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第5章第26節

 上空から巨大な黒い巨塊が唸りを上げながら、地上にいるノゾム達めがけて疾駆してくる。

 自分達に向けられた敵意を敏感に察知したノゾムは、その場にいたアイリディーナとマルスに向けて震砲を放ち、何とか巨塊の進路上から弾き飛ばしたものの、自分自身が回避するだけの余裕はなく、巨塊の突進をまともに喰らってしまった。

 まるで石ころのように吹き飛ばされるノゾムの身体。彼は地面に何度も叩きつけられながら、シノの小屋に激突。壁に大穴を空けながら、小屋の中へと消えていった。

 次の瞬間、屋根を支えていた柱が倒れたのか、音を立てて小屋が崩れ始めた。そのままノゾムは、崩れ落ちる小屋の下敷きになってしまう。

 いったい何が起こったのか、訳が分からず呆然とするアイリスディーナ達。

 そんな彼女達を尻目に、ノゾムに突進してきた巨塊はその丸太の様な四肢を地面に打ち込み、深々と地面に溝を刻みながら停止。その威容を見せつける様に背中の翼を広げた。

 全身を覆うひび割れた鱗と剥き出しの傷口、腐りかけた腐臭を撒き散らしながらその獣は、復元されたその頭をもたげる。


「なんで……こいつがここに……」

 

 ようやく絞り出したというような表情でマルスが呟いた。

 彼らの目の前には、昨日自分達の目の前でジハードによって倒されたはずの存在。

 欠損していたはずの片翼が再生しているが、その姿は間違いなくかの屍竜のものだった。

 

「グルルル……」


 屍竜がその口腔を開き、大きく息を吸い込むと、喉の奥から赤い光が漏れ出した。

 一拍の後に吐き出される灼熱のブレスが、シノの小屋に襲いかかる。

 森の木で作られた質素な小屋は一瞬で炎に包まれ、中に取り残されたノゾムごと炎獄の中に叩き込まれた。


「ノゾム!!」


 小屋が炎に包まれる姿に唖然としていたアイリスディーナが悲痛な声を漏らす。

 だが、屍竜は横にいるアイリスディーナ達には目もくれず、じっと自らの吐息を叩きつけた小屋を睨みつけていた。


「くぅ!!」


「まずい! 早く助けねえと!」


 アイリディーナとシーナ、マルスがノゾムを助けようと、近くにいる屍竜を無視して燃え盛る小屋に駆け寄ろうとする。

 だが、そんな彼女達の思いを阻むかのように、屍竜の口腔に再び赤い光が灯った。


「グウウウ!」


 再び吐き出される灼熱のブレスは狙い違わず、アイリスディーナとマルスを捉えていた。

 しかし、進路上に突然現れた光の壁がブレスの進行方向を逸らす。


「……なんでアンタが生きとんのか知らんけど、邪魔はさせへんで!」


 2人に向かっていた屍竜のブレスを防いだのはフェオの符術だった。

 流石に一枚ではこの竜のブレスを防ぎきれないと踏んだのか、5枚の符を使用して結界を展開している。

 しかし、竜のブレスを防ぐだけで結界の耐久限界を超えたのだろう。パリンという砕け散る音と共に光の壁が消滅し、結界を維持していた符が燃え尽きて消滅する。

 稼いだ時間は僅か。だが、その時間は何よりも貴重なものだった。


「みんな、とにかくあの竜の目を引き付けるんだ! ティマさん! 魔法で小屋の消火を!」


「ノルン~! ノゾム君の所に行ってあげて~。私はここでシーナさん達のフォローをするわ~!!」


「分かった! 無理はするなよ、アンリ!」


 フェオが稼いだ僅かの間にアンリとノルンがハッとして気を取り戻し、その場にいた皆に指示を送る。

 矢継ぎ早に2人の指示が飛ぶ中、その指示を受けて我に返った仲間達が一斉に行動を開始した。

 屍竜に目がけて立て続けに魔法が放たれ、アンリの鞭が炸裂する。

 その間にフェオとミムルが瞬脚で屍竜に接近。鱗が剥がれて下の皮膚が剥き出しになっている場所に目一杯の力を込めて獲物を振り下ろす。

 しかし、やはり痛覚が無くなっている屍竜には効果が薄く、屍竜はただ煩わしい小蠅を払うようにフェオとミムルを振り払う。

 強化されたフェオの棍やミムルの短剣は皮膚を貫き、トムの魔法が焼くものの、動きを止めるには至っていない。特にアンリの鞭はその得物の特性故、痛覚が無い屍竜にはまったくと言っていいほど効いていなかった。


「ノゾム! 聞こえるか!」


「クソ! 火が強すぎる!」


 一方、燃え盛る小屋に辿り着いたアイリスディーナ達は何とか火を消し止めるべく奔走していたが、その経過は芳しくはなかった。

 アイリスディーナが即時展開で水属性の魔法を叩きつけ続けるが、燃え盛る火を消し去るには勢いが足りず、マルスの風属性の魔法では火をさらに煽ってしまう可能性がある。

 また、シーナは何とか精霊魔法を行使しようとしているが、精霊との契約に思った以上に手間取っていた。


「みんな! お願い、落ち着いて!!」


 シーナの悲痛な声が木霊する。何とか精霊達をなだめようとするが、怯える様にシーナの周りにすり寄るだけで、言う事を聞いてくれない。

 ノゾムが抑圧解放をしたために感じ取れるようになったティアマットの気配。突然現れた強大な精霊の力に本能的に恐怖を感じたのか、辺りの精霊達は完全に委縮していた。

 一方、マルスは崩れ落ちた屋根の梁に自分の剣を撃ち込み、梃子(てこ)の要領で瓦礫を持ち上げようとする。


「くぅうう!!」


 しかし、ノゾムを助けたいと必死の形相で屋根を動かそうとするマルスの思いとは裏腹に、ノゾムを下敷きにした屋根はピクリとも動かない。

 下敷きにされたノゾムは意識を失っているのか、はたまた動けなくなっているのか、燃え盛る建材の弾ける音が聞こえるだけで、崩れ落ちた瓦礫の下からノゾムが出て浮くる様子はない。

 時間をかける訳にはいかない。このままではノゾムは下敷きにされたまま焼き殺されてしまう。

 もしそれを免れても、煙を吸い込んで、そのまま死に至る可能性もある。

 火事での死因の半分近くは呼吸困難による窒息死なのだ。

 いくらノゾムの能力が高まろうとも、一度呼吸困難に陥れば体は動かなくなってしまい、後はただ焼かれるかそのまま窒息死するのみになってしまう。


「マルス君! そのまま動くな!」


 ノルンの声がマルスの耳に響くのと同時に、圧縮された風弾がマルスの脇を駆け抜けた。

 飛翔した風弾は炎を煽る事無く崩れた屋根を抉り、真っ二つに切り裂いてしまう。


「よ、よし! これなら!」


 突然飛んできた風弾に驚いたものの、小屋の屋根が半分になったことで、どうにか動かせそうだった。

 さらにティマが詠唱と共に空中に巨大な水塊を形成する。

 空中に溶け込んで見えない水摘を掻き集めて作られた水塊の大きさは、シノの小屋に匹敵するほどの巨大さだった。

 

「マルス君! 火を消すから一旦下がって!」


「わ、わかった!」


 ティマの声と共にマルスがその場から一旦離れる。空中に出現した水塊の大きさを考えれば、今小屋を燃やしている火をかき消すには十分だろう。

 空中の水塊が一際大きく膨らみ、今まさに燃えている小屋に降り落ちようとした瞬間……。


「ガアアアア!!」


 その水塊目掛けて屍竜が突進してきた。

 屍竜を足止めしようとしていたアンリ達の必死の攻撃を一切無視し、背中の翼をはためかせて突っ込んでくる巨体。


「え!?」


 小屋ほどの大きさもある水塊も、自身よりも圧倒的に大きい身体を持つ屍竜の突進の前に弾け飛び、霧散してしまう。


「そ、そんな……」


「くっ!!」


 ティマの口から呆然とした声が漏れる。

 マルスもまた目の前の信じられない光景に唇をかみ、小屋へと戻ると再び大剣を突き立て、必死に崩れた屋根をどかそうとする。

 アイリスディーナは即時展開と豊富な魔力を存分に使って水塊を叩き続けるが、思うように火は納まってくれず、シーナの周りにいる精霊達も未だ怯えているのか、言う事を聞いてくれない。

 アイリスディーナとシーナはこのままでは埒が空かないと判断したのか、強化魔法を全身に掛けると、燃え盛る瓦礫に手を当て、マルスと同じようにノゾムを下敷きにしている屋根をどかそうとしてきた。


「お、おい!」


「くううう!」


「っうう!!」



 焼けるような熱さと突き刺すような痛みが彼女達の両手を襲ってくる。

 アイリスディーナとシーナのあまりに無謀な行動にマルスが声を上げるが、彼女達はそんな事は思慮の外だった。

 このままではノゾムが死んでしまうかもしれない。

 彼がいなくなるかもしれないと不安に襲われ続けていたアイリスディーナにとって、今目の前で起こっていることはまさにその悪夢の具現に繋がってしまうかもしれない事だった。

 シーナにとっても、炎に焼かれそうになっているノゾムの姿は、まるで10年前に家族を失った時の様子に重なって見えていた。

 炎に包まれた森と焼け落ちていく家。目の前で物言わぬ骸になっていった家族。

 もしかしたら彼も皆と同じ様に……。


 そう考えたら、自分達の手に走る痛みなんて、彼女達にはどうでもよかった。


「ノゾム、ノゾム……!」


「お願いだから……間に合って……」


 只々懇願するように祈りながら、必死に瓦礫をどかそうとするアイリスディーナとシーナ。しかし、そんな彼女達の願いを踏みにじるように、屍竜が3人目掛けて襲いかかる。


「クソ! 一体どうなってんだ!!」


 自分を攻撃してくるアンリ達ではなく、何故かアイリスディーナ達を狙ってきた屍竜に舌打ちしたマルスは、慌てて瓦礫の隙間に突き立てていた剣を引き抜きつつ、アイリスディーナ達の襟首を掴むとその場から全力で離脱する。

 次の瞬間、上空から急降下してきた屍竜の爪が、アイリスディーナ達が先程までいた地面を深々と抉る。

 更に、退避していたアイリスディーナ達目掛けて屍竜の尾が薙ぎ払われた。

 

「ッ!!」


「ちぃ!」


 咄嗟にマルスが大剣を掲げ、アイリスディーナが魔法障壁を展開した瞬間、勢いをつけた大質量の物体が激突する。

 足を踏ん張り、全力を込めて圧し掛かってくる圧力に耐えるアイリスディーナとマルス。

 巨大な尾の突進を2人がかりで何とか防ぎきっていた。


「この!」


 シーナが矢筒から引き抜いた矢に魔力を叩き込み、アイリスディーナとマルスが抑えている尾に突き刺すが、やはり効果は見られない。


「グゥルアアア!」


 しかし、屍竜が尾にさらなる力を込めた。腕にかかる圧力が増大したせいでアイリスディーナとマルスは耐え切れなくなり、シーナもろとも3人纏めて弾き飛ばされる。

 何とか受け身を取り、追撃に備えて体勢を立て直す3人。しかし、屍竜は追撃してくることはなく、燃え盛る小屋を背に悠然と立ち塞がっていた。

 まるで、ノゾムを助けに行くのを阻むかのように。

 

「クソ。アイツ、俺達にノゾムを助けさせないつもりか!」


 どのような理由か分からないが、屍竜は明らかにアイリスディーナがノゾムを助けに入ることを邪魔していた。

 先の戦いでは、一切の理性を感じさせなかった屍竜。かの竜の瞳は未だに白く濁り、その身が既に死した身であることを告げてくるが、その動きはとても衝動や本能で動いているとは到底思えない。


「っ!! 手間をかけてはいられないんだ! なんとして退いてもらうぞ!!」


 アイリスディーナが細剣に全力で魔力を叩き込んで“月食夜”を発動し、シーナが構えた弓を力一杯引き絞り、番えた矢に“星海の天罰”をかける。

 彼女達の激情に呼応するように光輝く刀身と流星のごとき光矢。

 アイリスディーナとマルス、そしてフェオとミムルが屍竜目掛けて駆け出す。シーナが星海の天罰に更なる魔力を叩き込み、ティマ、アンリ、トムが魔法の詠唱を開始する。

 屍竜もまた彼女達を迎え撃とうと四肢を張り、背中の羽を雄々しく広げ、その戦意を十分に示す。

 次の瞬間、アイリスディーナ達は一斉に屍竜目掛けて駆け出し、対する竜は向かってくる彼女達めがけて、灼熱の吐息を吐き出した。

 






 アイリスディーナ達と屍竜との戦闘が開始されようとしていた時、倒壊した小屋の中に閉じ込められたノゾムの目には、真っ暗な視界の中を所々赤く揺らめく炎と、その光に写る瓦礫の影だけが映っていた。


「アッ!! ………っぁ!」


 体にのしかかってくる瓦礫の中で、ノゾムは呻き声を上げた。

 彼の身体は崩れてきた屋根の梁に押さえつけられ、ピクリとも動けない。

だが身動きが取れない事以上に、充満した煙と襲ってくる炎の熱が容赦なくノゾムを攻め立てていた。

 ノゾムは必死に息を吸おうとするが、いくら吸っても楽にはならず、むしろ煙を吸い込んでしまい、加速度的に苦しくなっていく。

 肌に感じる熱は徐々に高くなり、容姿なくノゾムの身体を焼こうとしてきていた。


「っ!………だ、ぅぁ……」


 徐々に暗くなっていく視界の中、ノゾムは助けを求める様に手を伸ばそうとするが、瓦礫に挟まれた腕はピクリとも動かない。

 朦朧とする意識の中、ノゾムの脳裏に過るのは、今し方自分を受け入れてくれた仲間達の姿だった。

 やっと手に入れた絆。孤独だった自分にできた、絶対に失いたくない人達。

 外にはまだあの屍竜がいる。外の様子が今どうなっているか分からないが、少なくともあの竜が大人しくしているとは思えなかった。

 ノゾムの瞼の裏に怒涛のように流れていくアイリスディーナ達の顔と、彼女達と育んだ思い出。

 まるで、走馬灯の様なその光景は、2度と彼女達と思い出を作れなくなることをノゾムに予感させ、彼の焦りがさらに加速していく。


 やっと手に入れることが出来た。怖かったけど、勇気を振り絞って自分の思いを伝えることが出来たのに……。 


 死にたくない! まだ死ぬわけにはいかない!!

 

 その決意とともにノゾムの体に力が張る。

 それは強烈な生存本能の発露。かつてあのシノが垣間見、ティアマットと戦った際にも表れた、生きようとする意志。

 ノゾムは瓦礫に挟まれている左手に渾身の力を込める。

 ミチミチと嫌な音を立てて筋肉が隆起し、そのせいで腕を挟んでいる瓦礫が僅かに動いた。


「ぐ! がっ! ゴホゴホ!」


 しかし、ノゾムが出来たのはそれまでだった。呼吸困難と焦りがノゾムの集中力を阻害し、思うように気が練れない。

 ノゾムの必死の思いとは裏腹に思うように動いてくれない自分の体。まるで全身に鉛を括り付けて水中に沈められたようだった。

 その時、耳の奥から誘うような声が響いてきた。


“生きたいか? それともあの者達を助けたいのか?”


 ノゾムの脳裏に響く奴の声。能力抑圧を解放しているせいか、ノゾムにはいつもよりもティアマットの声がはっきりと聞こえてきた。

 ノゾムの目にティアマットの姿は見えないが、その声は明らかに身動きができずにいるノゾムを蔑んでいた。


“しかし、もう遅いだろうな。既に屍になっているとはいえ、竜相手ではあの人間達は生き残れまい。今頃ひき肉にされ、哀れな骸と化しているだろうよ”


 ティアマットの無慈悲な通告がノゾムの胸に突き刺さる。


“そして貴様は、結局何も出来ずにいる。所詮は人間。この程度が貴様達の限界だ……”


 ここで終わりだと告げるティアマット。その言葉がノゾムの心に猛る生存本能に、さらなる戦う理由を加える。


 ふざけんな! そんな事、させてたまるか!


 やっと分かり合えた仲間達の命が失われるかもしれない。その事実がノゾムの焦りをさらに掻き立て、激情を燃え上がらせていく。

 それこそ、ノゾム自身にも制御しきれないほどに。


「オオオオオオオオ!!」


 ティアマットの無慈悲な宣告。それを全力で否定しようと、ノゾムは絶叫を上げながら、形振り構わず全身の気を爆発させた。

 炸裂した気がノゾムを拘束していた瓦礫と彼の身体の間に僅かな隙間を作る。

 空いた隙間が再び閉じられるよりも先にノゾムは左手を引き抜き、全力で気を叩き込むと、破れる皮膚と噴き出す血を一切無視して左腕を地面に叩きつけた。

 気術“滅光衝”

 目の前の視界が光で満たされ、自分の身体を押さえつけていた瓦礫が吹き飛んでいく。

そんな中、何故かノゾムの中にいる奴がニヤリと口元を吊り上げていた。


 押さえつけられていた瓦礫が無くなったことによる開放感を感じながら、ノゾムは自分の手足を確かめるように起き上がった。

 全身には相変わらず溢れ出る力の影響で痛みが走り続けており、滅光衝を放った左手からもとめどなく血が流れている。


“……でも、動いてくれる!”


 瓦礫に挟まれていた足も、腕もノゾムの意思にちゃんと答えて動いてくれる。

 問題はない。ノゾムはきっと前を見据えて、目の前に現れるであろう相手との戦いに集中しようとする。


「……えっ?」


 しかし、自身が放った滅光衝による光の奔流が納まり、視界が戻った時、ノゾムは目の前に広がる光景に唖然としていた。

 なんで、俺はここにいるんだろう?

 真っ赤に染まる視界のなかで、ノゾムはそう独りごちた。

 彼の目に映るのは燃え上がる真紅の炎と散乱した数多くの家の瓦礫。倒壊した建物の多くはノゾムがここ2年程でよく目にしていたアルカザムの家々。

 そう、つい先ほどまで森にいたはずの彼の目に前には、なぜか崩壊したアルカザムの姿があった。


「な、なんで……。俺は、ついさっきまで森に……」


“しかし、もう遅いだろうな。既に屍になっているとはいえ、竜相手ではあの人間達は生き残れまい。今頃ひき肉にされ、哀れな骸と化しているだろうよ”


 ティアマットの言葉がノゾムの脳裏に蘇える。

 目の前にある崩壊したアルカザムと燃え盛る家々。肌を焼く炎の熱とあちらこちらから聞こえる助けを求める誰かの声は、まさしくあの悪夢の具現。

 そうだ、時間がない。とにかく早く皆を見つけないと! 


「っ!! みんな! どこだ!!」


 声を張り上げながら、ノゾムはアイリスディーナ達の姿を求めて辺りを見渡す。

 しかし、周囲から聞こえるのは誰かのうめき声と炎が弾ける音、そして焼き尽くされた建物が崩壊する音だけで、彼女達の姿は見えない。


「アイリス! マルス! シーナ!!」


 呼吸をする度に熱風が喉を焼き、熱を帯びていく身体。そして熱くなっていく身体に反比例するように、胸の奥はどんどん冷たくなっていき、ぽっかりと穴が空いたような喪失感で満たされていく。

 まさか、もう……。

 そんな最悪な予想を振り切るように、ノゾムは仲間達を探そうと、当てもなく全力で駆け出そうとする。

 だが、彼の前に黒い影が現れた。

 しかも出現した影は一体だけではない。複数の影がノゾムの前に陽炎のように立ち塞がっている。

 ひときわ大きな影。ノゾムの数倍は軽くある体高。焼ける大地を踏みしめる力強い四肢。そして、翼と思われる背中に生えた翼状の影を雄々しく広げている。

 見る者全てが畏怖するその威容が、その影の存在の大きさを物語っている。

 その巨影の後ろには、控えるように10体近くのヒトガタの影が見える。

 ヒトガタの大きさは様々だが、皆一様に武器と思われる影をその手に持っていた。


「……邪魔する気か……」


 仲間の安否が気掛かりな故に、ノゾムはあらん限りの殺気を目の前の影達に叩き付ける。

 物理的な力をすら帯びているのではと思えるほどの威圧を受けた影達。ノゾムの殺気に気圧されたのか、ヒトガタの影達が僅かにたじろぐ。

 しかし、巨影はそれでも退く気はないのか、背中の羽を雄々しく広げてノゾムを威嚇してきた。


「……時間がないんだ。邪魔するなら無理矢理にでも退いてもらうぞ!!」


 あらん限りの剣気と殺気を目の前の巨影に叩き付けながら、全力で自分の体を強化する。

 能力抑圧の開放により体から溢れ出すほど肥大した力が、ノゾムの身体の身体能力を限界以上に高めていく。

 だが、焦燥感に駆られた彼は気付かない。

 巨影の後ろにいた人型の影が持っていた得物が、自分がよく知るものであることに。

 その人型の影の口が、誰かの名前を呼ぶように動いていたことに。

 そして、この場所に来る直前、脳裏によぎった奴の口元が歪んでいたことに。






 ノゾムを助けに行こうとするアイリスディーナ達と、何故かそれを阻もうとする屍竜との戦いが対峙する中、突然辺りに耳をつんくざく様な轟音が周囲に轟いた。

 噴出した光の奔流。土煙が舞い上がり、燃え盛っていた瓦礫が粉々になってと火の粉と共に上空に叩き飛ばされる。

 地面に落ちた瓦礫が草花を燃やし、焼原となっていく広間。同心円状に吹き飛ばされた瓦礫の中央、先程まで小屋があった場所で、揺らめく炎の中に1つの影がむくりと起き上がった。


「……ノ、ゾム?」


 確かめる様なアイリスディーナの声が響く。

 ゆっくりとその身を起こしたのは間違いなくノゾムの姿だった。しかし、その様相は大きく変化している。

 身に着けていた服が所々黒く焦げつき、小屋が崩れ落ちた時に瓦礫で怪我をしたのか、頭からは紅い雫が流れて地面に滴り落ちている。

 右手には抜身の刀が握られ、周囲の炎の明かりを照り返してゆらゆらと揺れていた。

 だが、何よりもアイリスディーナが目を疑ったのは、ノゾムの身に纏う空気が激変していたことだ。 

 周囲に無差別に叩きつけられる殺気。近づこうとする者を即座に斬り殺しかねない剣呑な雰囲気。そして見た者の心臓を突き刺すような、真紅に染まったその瞳。


「うっ……」


 ノゾムの真っ赤に輝く眼光がアイリスディーナ達に向けられる。

 つい先程まで、自分の思いの丈を聞かせてくれていた彼の雰囲気は微塵もなく、燃え盛る眼光に気圧されて、思わず後ずさるアイリスディーナ達。


「グウウウ……」


 屍竜がノゾムに向き直る。

 もはや屍竜はアイリスディーナ達に興味はないのか、無防備な背中を晒し、その白く濁った瞳はただ炎の中で佇む少年に向けられていた。

 対峙するノゾムと屍竜。

 火の粉が舞い、炎が揺らめく中、アイリスディーナ達は目の前の光景に釘付けになっていた。

 彼女達の目に映るのは、炎の海に佇むようなノゾムの姿。

 その身から撒き散らされる暴風の様な気の渦と殺気、そして爛々と輝く真紅の視線と、その場にいる全ての存在を萎縮さる気配。


「な、なんだ? ノゾムの奴、どうしたってんだよ……」


 絞り出すようなマルスの声が、辺りを覆う、焼け付く様な空気に溶けていく。

 いったい何が起こっているのだろうか。

 それはこの場にいる誰もが感じている事であった。


「ッう、ううう……」


 アイリスディーナの隣にいたシーナの身体が突然崩れ落ちた。

咄嗟に隣にいたアイリスディーナが彼女の身体を支えるが、シーナの様子は明らかに異常だった。

 顔色は蒼白を通り越して死人のように真っ白になり、目は虚ろで焦点が合っていない。


「シーナ君! どうし……」


 崩れ落ちる彼女の身体を受け止めたアリスディーナが声を掛けるが、その時ハッとした様子で顔を上げる。

 彼女の視線の先にあるのは、言うまでもなく圧倒的な量の気を放っている彼の姿。


「ノゾム……」


 ノゾムの桁外れの力に一番驚き、そして今、その時以上の動揺を見せているシーナ。目の前にいる異様な雰囲気を纏い始めたノゾム。そして、ノゾムが告白した言葉にあった“自分以外の意思”の存在。


「まさか……」


 アイリスディーナの頭の中で一本の線が繋がった時、事態が動いた。

 屍竜の顎が開き、屍竜の口腔に赤い光が燈る。

 


「ガアアアア!」


 咆哮を上げる屍竜。その口腔に灯った光が一際強くなったかと思うと、ノゾムめがけて暴風のような灼熱のブレスが放たれた。


「あああああ!!」


 ノゾムの絶叫が森の中に木霊する。目の前に迫る灼熱の吐息を前にして、ノゾムは足に込めた気を爆発させた。

 次の瞬間、踏み込んだ足が地面を粉砕し、真紅に染まった瞳で目の前の竜を睨みつけながら、瓦礫を火の粉と共に巻き上げてノゾムが疾走する。

 瞬脚で加速を得たノゾムはすぐさま瞬脚-曲舞-を発動。一瞬で瞬脚の進行方向を変え、地面を舐めながら迫るブレスの脇を駆け抜けながら、屍竜目掛けて突っ込んでいく。


「おおおおお!」


 刀身に気を極圧縮しながら、屍竜との距離を一瞬で踏破したノゾム。

 自分の間合いまで接近したノゾムは、そのまま交差するように屍竜の側面に回り込むと、抜身の刀を一閃させる。

 極限まで研ぎ澄まされた気刃が屍竜の右前足を深々と切り裂き、それと同時に気術“塵断”が発動。炸裂した無数の気刃が屍竜の右前足の筋肉をごっそり抉り取り、ひび割れた竜麟ごと粉々に粉砕する。


「ガアゥアアア!」


 前足の筋肉を半分近く抉られたことで屍竜が大きく体勢を崩す。

 ノゾムは倒れそうになる自分の身体を支えようとしている屍竜の腹の下に潜り込み、反対側に駆け抜けつつ、柔らかい腹部を斬り裂く。

 再び発動した“塵断”が屍竜の腹を深々と抉り取り、内臓が地面にまき散らされる。


「ガアアアアアアアアア!!」

 

 大気を切り裂くような屍竜の絶叫が響いた。

 抉られた傷口から内臓が零れ落ち、むわっとした腐臭が立ち込める。

 だが、屍竜は腹部から内臓がはみ出しているにもかかわらず、その尾を高々と上げると、反対側に駆け抜けたノゾムめがけてその尾を薙ぎ払った。

 鞭のように風を切り裂きながら、襲い掛かってくる屍竜の尾。

 自分の側面から迫りくる一抱えほどもある巨大な尾を横目で見ながら、ノゾムは身体を回転させつつ刀を切り返す。

 ノゾムは再び刀身に気を叩き込んで極圧縮すると、そのまま屍竜の尾めがけて気刃を付与した刀を斬り上げた。

 魔獣の中でも突出した存在である竜。

砦すら落とせると言われるほどの強力な魔獣であるその存在は、尾の一撃でもたやすく家を破壊する。

 鉄壁を誇る竜鱗と、その巨体を支える強靭な筋肉で覆われた巨大な尾が勢いをつけて襲い掛かってくるのだ。

 並みの人間が一人で真正面から受けるなど不可能な一撃。

 だが、ノゾムの斬撃と屍竜の尾撃が交差した刹那の瞬間、竜の尾は斬り飛ばされていた。

 斬り裂かれ、高々と宙を舞う巨大な尾。

 “幻無-纏-”を付与されたノゾムの刀は屍竜の鎧の様な竜鱗を紙のように斬り裂き、振り抜かれた斬撃は金剛石よりも固い骨と鞭のように柔軟な筋肉を一撃で断ち切った。

 刀を振り上げたノゾムは動きを停滞させずにすぐさま次の行動に出る。

 再び瞬脚を発動。眼前の巨体目がけて踊りかかる。

 屍竜の左後足を深々と斬り裂きながら、もう一度屍竜の腹の下を駆け抜けつつ刀を一閃。先程抉り切った右前足を完全に切断する。

 右前足を喪失したことでバランスを崩した屍竜。しかし、残った右前脚と後足で何とか崩れる体を安定させようとする。

 だが、ノゾムはそのまま“瞬脚-曲部-”ですぐさま反転。屍竜の眼前を駆け抜けながら、体重の掛かった左前脚の半分を気術“塵断”で吹き飛ばす。

 前足を片方喪失し、もう片方の前足も満足に力が入らなくなった屍竜が大きく体勢を崩す。

 だが、ノゾムの追撃はまだ終わらない。

 さらに体勢を崩した屍竜の左前足に飛び乗り、そのまま跳ね上がるように竜の体を駆け上がりながら刀を振るう。

 2撃、3撃と炸裂する“塵断”が屍竜の巨体を削り取り、血と肉が雨の様に周囲に撒き散らされていく。


「……ノ、ノゾム」


 そんなノゾムの姿を、アイリスディーナ達はただ眼を見開いて眺めることしか出来なかった。

 目の前で、魔獣の中でも最上位の一種である竜をバラバラにしていくノゾムの姿。それは彼女達にとって、余りに筆舌しがたい光景だった。

 殺気を振り撒きながら血肉を撒き散らしていくノゾム。


「……こんな……こんな事……」


 ここにきて彼らはようやく、ノゾムが抱えていた不安を思い知った。

 ノゾムに切り刻まれていく屍竜。先程までのノゾムの話を鑑みれば、あの場で斬殺されているのは、もしかしたら自分だったかもしれないのだ。


“俺の中にいるティアマットの力。もし、この力に呑まれたら、俺は俺自身の手でみんなを殺してしまうかも……”


「っ!!」


 つい先程のノゾムの言葉が蘇えり、アイリスディーナは思わず舌を噛む。崩れ落ちたシーナを支える手に力が入り、新雪のように白い指がさらに色を失って白くなっていく。


“……不安で不安でしょうがなかった……”


 顔を歪めながら、千々乱れる自分の心に(さいな)まれながら、思いの丈を告白してくれたノゾム。あの時、ノゾムともう一度やり直せると思っていた、向き合えると歓喜していた。

 しかし、そう考えている間にもノゾムは刀を振るい続け、辺りを血の海に染めていく。

その姿に、アイリスディーナ達は只々胸が痛かった。


 アイリスディーナ達が胸を痛めている間にも、ノゾムは刀を振るう手を止めたりはしなかった。

 屍竜の身体を斬り刻んでいたノゾムは、そのまま竜の首を駆け上がり、頭部に到達すると、刀を鞘に収めつつ鞘尻を屍竜の脳天に叩き込んだ。

 気術“破震打ち”による伝播した破壊的な衝撃波と気が、屍竜の脳髄を致命的なまでに破壊し、頭の半分を吹き飛ばす。

 その巨体がぐらりと傾く中、ノゾムは素早く跳躍し、地面に飛び降りる。だがその時、屍竜の目がギョロリとノゾムの後姿を睨んだ。


「ギガァ、ゲグァアウウ!!」


 もはや叫び声すらまともにあげられない状態にも拘らず、竜の口腔が赤く光る。

 放たれる真紅のブレス。

 残った命全てを注ぎ込んだ渾身の一撃。鋼鉄すらも一瞬で溶解させるほどの極獄の焔がノゾムを灰にすべく襲い掛かる。


「うおおおおおおお!!」


 だが、ノゾムは迫りくる極炎を前にしても避けようとしない。

 鞘に納めた刀に全力で気を叩き込みながら、眼前まで迫ったブレスに全速力で突っ込んでいく。

 刀の鯉口を切り、抜刀。

 超高速で飛翔する気術“幻無”が屍竜のブレスを両断し、一筋の道を切り開き、その道をノゾムは屍竜目がけて突っ込んでいく。

 吐き出され続ける灼熱の吐息が切り開かれた道を塞ごうとしてくるが、そんな時間を与える間も無くノゾムは竜の眼前まで距離を一気に詰めていた。

 

「あああああ!」


 斬り返される白刃の刃。極圧縮された気で光り輝くその斬撃が竜の口に吸い込まれていく。

 気術“幻無-回帰-”

 閃いた一筋の光刃は竜の顎から上を一瞬で斬り飛ばしていた。

 崩れ落ちる屍竜の身体。ビクッビクッと痙攣していたが、やがてその動きも止まり、その身は完全に沈黙する。


「…………」


 横たわった屍竜に一瞥したノゾムがアイリスディーナ達を睨みつける。

 彼女達に突き刺さる、斬り裂くようなその視線。

彼がいつも友人達に向けていたものではなく、まるで仇敵に向ける様な、鋭く、剣呑なものだった。


「っ! ノゾム!!」


 アイリスディーナの祈るような、痛ましい声が森に木霊する。

 自分の脳裏に過った最悪な予想とそれを認めたくない悲痛な叫び。

 だが、そんな彼女の願いは斬り捨てられたのか、ノゾムが見る者全ての背筋を凍らせるほどの殺気を纏いながら、踏み込んできた。

 




 まるで大洋の中の孤島のように、闇に染め上げられた森の中にほのかな明かりが灯っている。

 周囲を生い茂る木々が覆い尽くす中、その場にいたのは顔を隠すようにフードを被った人物。


「始まったか……」


 その人物は誰もいない森の中で、虫すらも聞き取れないほどの小さな声で呟いた。

 フードの人物の目の前には球状の光球がフワフワと浮いている。

 その光球の中には1人の人間と一匹の巨大な魔獣が戦う姿が映し出されていた。

 1人の少年が一本の刀を携え、赤く光る瞳で目の前の巨獣に向かって斬りかかり、対する巨獣はその巨体とその口から放つ真紅の吐息で少年を迎え撃つ。

 少年が対峙しているのは、魔獣の中でも突出した存在である竜。

 アンデットと化してはいるものの、魔獣の中でも恵まれた体躯と灼熱のブレスは健在。そして、欠損していた羽も復元してある。

 普通に考えれば少年に勝ち目など無いはずだった。

 しかし、明らかに劣勢に立たされていたのは少年ではなく屍竜の方。

 空中に浮かぶ光球に映し出される映像の中で、少年は縦横無尽に駆け回り、彼の剣閃が閃くたびに城のように頑強なはずの巨体が斬り刻まれていく。尾を斬り飛ばされ、足を切断され、頭を割られる巨獣。

 満身創痍の屍竜。だが、崩れ落ちる竜の白く濁った瞳が、再び少年を睨み付けた。

 魔獣の頂点に立つものとしてのプライドか、目の前の少年の形をした化け物への恐怖か、それとも甦らせた人物への恩義か。その理由は、屍竜を甦らせたと当人にも分からない。

 いずれにしろ、かの竜もこのまま終わる訳にはいかなかったのだろう。

 最後の力を振り絞って放なたれたブレス。

 だが、屍竜の最後の一撃は、少年のたった一太刀で切り裂かれた。避ける間もなく、返す刀で頭を両断される屍竜。

 フードの人物はその光景をさして驚いた様子も見せずに眺めている。

 光球に映るノゾムの視線がアイリスディーナ達に向けられる。その瞳は相変わらず赤く染まったまま、映像越しでも寒気を覚えるほどの殺気を放っていた。


「これからだ……」


 フードの人物はそう声を漏らすと、さっと腕を振った。すると、足元に光輝く無数の陣が現れる。

 徐々に地面に広がりながら、幾重にも幾重にも入り乱れる魔法陣。六芒星を重ねたような複数の陣が干渉し合って、より大きな魔方陣を展開し、展開した魔方陣がさらに巨大な陣を形成する。

 複雑怪奇を極めた魔方陣の中心で、フードの人物は独り佇む。

 目の前の光球に映る彼らの姿に張り付くように、その眼を見開きながら。


「確かめさせてもらうぞ……」


 森に広がる闇の中に、呟くような声が溶けて行った。



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