第1章第3節
ノゾムはいつものように学園に登校していた。
教室に入るとすでに登校していた生徒が彼を見るが、すぐにバカにしたような視線を浴びせる。
彼の机には誹謗中傷がびっしりと書かれ、それを片付けるノゾムの姿を周囲がクスクスと笑う。
徹底した実力主義が基本方針であるこの学園は極めて明確に勝者と敗者を分ける。
このクラス、10階級の生徒は間違いなく後者であり、この学年で最下層扱いされる。そんな敗者たちは、大抵自分たちよりさらに弱い者を見つけ、それに自分たちの不満をぶつけるのだ。
彼はこのクラスでは腫れ物扱いであり、彼が話しかけても徹底的に無視する。
彼に話しかけるのは担任のアンリ先生か素行が悪く、問題児のマルスくらいである。もっともマルスは徹底的に彼をこき下ろすことしか考えていないが。
「それでよ~その女がまたいいカラダで……」
バカ話に花を咲かせながらマルスたち3人組がやってきた。マルスはこちらに気付くとニヤニヤ笑いながらやってくる。
マルスは背が高く、体格も恵まれている。素の顔も悪くないがその人を馬鹿にするような表情が全てを台無しにしていた。
「よう、落ちこぼれ。また無駄なことをやりに学園に来たのかよ。どうせなら便所掃除のほうがいいと思うぜ、まだ俺たちのためになるからよ」
「おいマルスやめとけよ。こいつの掃除した便所なんて誰も使えねえよ」
「そうだぜ、それより俺たちの訓練人形なんてどうだ。武器の試し切りの役には立つだろう」
ノゾムは何も言わない。いつも通りの罵倒、いつも通りの嘲笑、いつも通りの日常の始まりだった。
今日は午前中が魔法の講習だった。講師は保健医のノルン先生。
「知ってのとおり魔法は自身の精神力を糧に体内の魔素を隆起させ、さまざまな現象を顕現する技術だが、隆起させる対象は自身の魔素だけではなく外界、つまり大気中の魔素も可能である。
主に大規模魔法を使用する際は、必ずと言っていいほど外界の魔素を使用する。これは儀式魔法と呼ばれ、もともと精霊たちや神などに祈りをささげる神事が起源である。大勢の人が同じ様に祈りを捧げこれが現在の詠唱術の基礎でもある。
すなわち…………」
彼女は無駄なく、つづがなく授業を進めていく。アンリ先生の授業は彼女の雰囲気もあってどこか緩い雰囲気だが、ノルン先生の授業は逆にシン……、と静まり返り、張り詰めるような雰囲気がある。
俺は先生の話すことを逐一メモを取っていた。能力抑圧によって実技の点が思うように取れない自分にとって、筆記試験はまさに生命線だ。1学年末の学年末試験の実技重視の試験では、追試試験に追加される筆記試験でどうにか進級した。実技試験に筆記試験が追加されるので普通の生徒ならさらに追い打ちだが、俺にとってはまさに最後の砦である。
授業終了の鐘とともに、講習の時間が終了し、実技の時間に入る。
ノルン先生の呼びかけと共にクラス全員が訓練場に移動する。
訓練場に到着し、それぞれが思い思いの魔法を使っているのを見ながら、俺はただ自分の中の魔力を感じて操るという、1学年でしかやらない訓練に没頭していた。
この大陸の人間は大なり小なり魔力を持っているが、俺の魔力はその中でも特に低い。
元々はそこまで低くなかったが、能力抑圧が発現してからは初級魔法さえ使えなくなった。
だからこそ、ただ初級の鍛錬を繰り返し、制御力を上げることのみをしている。
その様子を見て周囲の生徒たちが再び笑い始める。それにつられてマルスがやってくると授業中にも関わらす俺をののしり始めた。
「なんだよ、まだ1年の時の訓練なのか最底辺。赤ん坊の歩行器がいるんじゃないか。ハハハハ」
それらの嘲笑を無視して訓練に没頭する。そもそもこのとき俺には彼らの声が聞こえていなかった。
訓練に集中すると周りが見えなくなる。特に基礎訓練のときは顕著で、師匠と出会った時もこの状態であった。
「…………おい、何無視してんだ」
俺が聞いていないことにイラついたのかマルスの雰囲気が一気に剣呑なものになる。
元々彼は自己顕示欲の強い人間だ。
最下位の俺に馬鹿にされたと思ったのだろう。それでも俺には聞こえない。完全に自分の内側の世界に籠ってしまっていた。
突然、横から衝撃を受け弾き飛ばされた。マルスが風の魔法で俺を吹き飛ばしたのだ。
放った魔法は“エア・バースト”風の魔法の一種で、圧縮した風を解放したときの衝撃波で相手を吹き飛ばす魔法だ。
まだ収まらないのかマルスが続けて魔法を放とうとする。だがその前にノルン先生の魔法がマルスの足元をえぐった。
「そこまでだ、これ以上は教師として必要な措置を取ることになるぞ」
放たれた魔法は“エア・アロー”。風の初級魔法だが、詠唱速度はマルスより早く、精度、威力もマルスをしのぎ中級の単体魔法に匹敵している。
マルスのエア・バーストより彼女のエア・アローのほうがすぐれていることは明白だった。
「ちっ、わかりましたよ」
捨て台詞を吐くようにマルスは離れていき、それにともなって周囲の生徒たちも訓練に戻る。
「大丈夫かい」
ノルン先生が俺に声をかける。
「大丈夫です」
俺は即座に答える。いつも師匠に吹き飛ばされているので受け身はとてもうまくなった。数少ない俺の特技である。
即座に訓練を再開する。この程度のこといつものことである。だからこそ、
「あの手の奴はどうやっても面倒になる。アンリ先生も君を心配している。必要ならいつでも相談に来なさい」
その言葉を真正面から受け取れず、生返事しか返せなかった。
翌日、この日学園は休み、学生たちは束の間の休日を思い思いにすごしていた。
ノゾムはこの日、冒険者ギルドから仕事を受けて、商業区のバイトに来ていた。冒険者ギルドは様々な都市で仕事を斡旋しており、それはこの都市でも例外ではなかった。
仕事はランクが高ければ条件付きで弱い魔獣の討伐なども受けられるが、彼のランクは低いので主に雑用系しか受けられない。
彼の仕事の内容は単純な荷物運び。
商業区には各国からたくさんの荷が届くので、運び手は1人でも多いほうがいい。
荷を集めている集積場に来ると親方に挨拶をして自分の運ぶ荷を受け取る。受け取った荷を馬車に乗せ、相方と目的地まで運ぶ。
今日の荷は商業区の道具屋と職人区の医者。
どうやら店で使うものをまとめ買いしたらしく荷は多いが、行先は少ないので早く終わるだろう。
「そういえばノゾム。お前さん彼女はいるのかい?」
突然の質問とその内容にノゾムは思わず答えに詰まる。
「えっ、………いませんよ。どうしたんですか急に」
その様子にある程度の確信を得たのか相方の目の色が変わる。
「いや、なんとなくさ。いるにしろいないにしろ、おまえさん好きな人はいるんだろう。教えろよー」
相方は性格明るく悪くないが、逆に相手の気分そっちのけで自分本位なところがあり、この手の話はしつこく聞いてくる。
“好きな人”の言葉を聞くたびに彼女の影がよぎり、つらくなる。
この手の話を聞かれることはあったが、その時の彼の様子を見て追及する者はいなかった。
「なあなあなあ、美人か、それとも可愛い系か、話を聞かせてくれよー」
「…………いきますよ」
ノゾムは即座に馬を進める。相方がしつこく聞いてくが無視する。
仕事中ずっと質問してくる相方を表面上は受け流していたが、彼の表情は明らかに強張っていた。
終わると親方から給金を受け取り、ノゾムは即座に帰路に就いた。
彼の実家は一般的な農民なので、親の仕送りが期待できない彼には生活に必要なものである。
ソルミナティ学園の授業料は各国の援助のおかげで、学園の規模と比較しても十分良心的だ。
10年前の大侵攻で失った人材の確保は各国でも死活問題で、それだけこの学園に各国が期待し、支援しているのが分かる。
この学園でどれだけ優秀な人間を確保するかが、今後の各国家間の優劣を決める大きな要素となる。
そのため優秀な人材を自国に引き入れることに各国は余念がなく、様々な好条件をつけてスカウトに来る。
特に俺の学年は過去に例を見ないくらい、優秀な生徒がいる。ランクにしてAランクに足を踏み入れている生徒が5人もいるのだ。
Aランクは一流の冒険者や近衛騎士などが保有するランクで、まだ十代後半の学生がこのランクに至ったと考えれば、彼らの優秀さが理解できるだろう。
家への帰り道の途中、前方からよく知っている人たちが歩いてきた。ケン・ノーティスとリサ・ハウンズ。
かつての恋人と俺の幼馴染。
ふたりはデートの途中なのだろう。ケンは楽しそうに笑い、彼女もとても楽しそうでケンに心を許しているのが分かる。
ケンがこちらを見て俺に気付くと手を上げる。リサもこちらに気付くが、顔をしかめており、不機嫌さがありありと見える。
それを見て俺の心はきしりと軋んだ。
「やあノゾム、奇遇だね」
ケンが気さくに話しかけてくる。その表情に彼女のような嫌悪感は見えない。ケンは俺が彼女と別れた後も気さくに俺に話しかけてくる。リサと付き合っていることに対して複雑だが、以前と変わらず俺に接してくれるので、少しホッとしている。
「ああ、まあそうだな。どれくらいぶりになるのかな」
「3ヶ月ぶりぐらいだよ。なかなか時間が合わないから」
「仕方ないさ。俺と違ってそっちはやることがいっぱいあるんだろう」
「うん、この前もジハード先生に稽古をお願いしたらつい熱が入っちゃって」
ケンは、たははと苦笑いしながら話をしている。
1階級の生徒となれば学園の期待も大きく、それ相応の待遇が約束される。
それにケンは学園でもわずかしかいないAランクに到達した生徒だ。
それ故に、大陸に名立たる名士達から個人的に手ほどきを受けることができる。
ケンと話をしていたら隣にいたリサが話に割り込んできた。
「ケン、いくよ」
彼女はそう言うとケンの手をとり、歩き出す。俺の顔を見るのもイヤなのかこちらを見ようともしない。
「あっ」
俺はつい引き止めようとしてしまうが、彼女のその横顔は明らかに俺を拒絶していた。
ケンの手を引き、去っていく彼女に結局俺は何も言えず、ただ立ちすくむしかなかった。
家に帰っても俺の心は落ち着いてくれなかった。彼女がどうして俺を拒絶するようになったのか。その理由はいまだ分からず、俺の気持ちは宙ぶらりんのまま。
普段はそれほどでもなくなったが、学校でリサを見つけたり、恋人について聞かれたりすると気持ちがざわめき、やはりまだ引きずっていると自覚する。
彼女に拒絶されたときを思い出す。冷めた目でこちらを見つめる彼女。「さようなら」と一言だけ告げて彼女は背を向ける。
訳が分からず問い詰める俺に答えることなく、彼女は俺の前から去っていった。
あれ以来、俺の気持ちは止まったままだった。