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第5章第17節

 東から昇った太陽が正中を迎えるころ、私、ジハード・ラウンデルは運営本部に設置された物見台の上で演習区域を見渡していた。


「今のところ問題はなしか……」


 ひとしきり周囲を見渡してそう呟く。演習区域は森で覆われているため物見台からは直接状況を見ることはできないが、演習区域には不穏な空気は感じ取れない。少なくとも今のところ異状はないようだ。


 私がふと物見台の下に視線を向けると、まず運営本部がある天幕が目に付いた。その天幕の中をこの演習を運営する教師たちが忙しそうに出入りしている。

 また、運営本部の前には演習に脱落した生徒達も集まっており、その中には怪我をした生徒達もいた。

 怪我が軽い生徒たちはそのまま薬だけ受け取り、キズが芳しくない者は運営本部の隣に建てられた天幕の中で保険医であるノルン女史から治療を受けている。

 怪我人は多少いるが、死者が出たという報告は入っておらず、演習区域内に侵入したものがいるという報告も受けていない。

 とりあえずではあるが、大きなトラブルもなく進行していく演習を確かめて、私は息を吐き出した。

 その時、私は自分自身がらしくもなく緊張していたことに気付いた。そんな自分を少しおかしく感じて口元が緩む。

 キクロプス虐殺事件や黒い魔獣の件など、最近色々とあったせいか神経質になっているのかもしれない。


(だが、警戒を怠れないことは確かだ……)


 黒い魔獣の件は徐々にではあるが収束しつつある。発見された黒い魔獣は倒され、死体は回収されて現在調査中。今のところ他に黒い魔獣がいたという報告は出ておらず、単独だったことはほぼ確定した。また、森の魔獣達の動きも特に変化はない。


 もう一方であるキクロプスの件。こちらは今のところ進展がない。

 あれが人、又はそれに属する者によって倒されたことはすでに分かっている。だが、警備隊長であるマウズ殿と銀虹騎士団の者が行方を追っているものの、それを行った人物はいまだに特定されていない。

 巨人達の死体を発見した時はすでに夜であり、人手も少ないことから、私達は死体のすべてを持ち帰ることはできなかった。持ち帰れたのは切り落とされた腕や肉片等の断片のみで、手掛かりとなるようなものは発見できず、翌朝再び現場を訪れたが、その時には巨人の死体はもう原形を留めないほどに損壊していた。

 分かったことは切り落とされた腕などの切り口から、すべて同一の武器でつけられた傷であり、その事から巨人達を虐殺した者はおそらく単独であること。

 ほぼ一撃で巨人達に致命傷を負わせていることから、相手のランクは少なくともSランク。自分に匹敵する力量の持ち主であること。

 それほどの実力者がこのアルカザムにいるかもしれない。


(もし事を誤ればいったいどうなる事か……。場合によっては……)


 私の手はいつの間にか背中の相棒に伸びていた。

 そこまで考えて、私はいつの間にかその相手と戦うことを前提にして、その事ばかり考えていることに気付く。


(……焦りすぎだな。相手が全く見えてこないことでいつの間にか私も焦っていたらしい)


 目を閉じ、物見台に吹き付ける風を感じながら、私は大きく息を吐く。

 胸の中にある焦燥感はいまだに私の中で消えることなく燻っているが、大きく燃え上がることはない。

 少なくとも今はそれでいいのだろう。この件はキクロプスを倒した者が誰なのか判明してからでも遅くない。もうこの街を去ったのか、それともまだ潜伏しているかは分からないが、今のところアルカザムの運営自体には大きな影響はない。


(……とりあえず、今は目の前の事に集中した方がよかろう。今日の演習も残り半分。このまま何もなければよいが……むっ)


 自分の思考をとりあえずひと段落したところで、誰かが物見台に上がってくる音が聞こえてきた。

 後ろを振り返るとそこにいたのは2階級の担任、インダ女史だった。


「ここに居られましたか、ジハード殿。とりあえず今日の演習時間の半分が終わりましたので報告に参りました」


「そうですか……それで、いかがですかな?」


 インダ女史は切れ目の瞳を手に持った報告書に向ける。


「現在、演習を継続しているパーティーは全体の5分の1になりました。また、1階級であるアイリスディーナ・フランシルト、ティマ・ライムのパーティー。リサ・ハウンズ、ケン・ノーティス達のパーティー。ケヴィン・アーディナルのパーティー、それと2階級のシーナ・ユリエル達のパーティーが特別目標を撃破しています」


 キビキビと無駄のない口調で報告書を読み上げたインダ女史は手に持った報告書を私に手渡してきた。

 その報告書を受け取り、自分も目を通す。

 この演習参加者が掛けているペンダントには万が一の時の為にある魔法を掛けてある。

 それはペンダントの位置情報を特殊な術式を施した地図の上に表示するというもので、これのおかげ非常時は生徒達の位置を素早く特定することができ、またどのパーティーがどれだけのペンダントを所有しているかをも知ることが出来る。


「なるほど……1階級の彼らは能力が高くとも経験が追い付いておらず、敗れてもおかしくはないと思っていたのだが……きちんと成長できているようだな」


 私は報告書に目を通しながら純粋に特別目標を倒した彼ら称賛する。

 同じAランクとはいえ、生徒達と教師との間には明確な経験の差が存在する。いかに能力が高かろうと、その経験差は容易に覆せるものではなかったはずだ。

 まだ熟していない彼らが完熟しているはずの教師陣に勝った。もちろん数の利はあるだろうが、それだけで彼らの成長を確かめるには十分だろう。


「それに、2階級のパーティーにも特別目標を撃破したパーティーがいる。インダ先生の生徒も優秀ではないか」


 それに彼女たちはあの黒い魔獣を倒した者たち。なるほど、先の件が彼女たちを成長させたのか……。


「は、はい。ありがとうございます。彼女達は最近めきめきと実力をつけています。特にパーティー間の連携がとてもよく、正直驚かされました。この演習で今までそりの合わなかったフェオ・リシッツアが彼女達のパーティーに入ることは少し不安も抱きましたが、この結果を見る限り問題は見受けられません。……自慢の生徒です」


 いつも淡々としている彼女にしては珍しく、うわずったような声を上げているところをみると、自分の生徒の成長が内心嬉しいようだ。

 やや紅潮したような顔をしたインダ女史だったが、次の瞬間にはその表情を曇らせていた。


「実は、まだ……」


 インダ先生が躊躇いがちに言葉を紡ぐ。何やらまだ言いたいことがあるようだ。


「むっ、他に何かあるのかね?」


「は、はい。実は特別目標を撃破したパーティーは他にもう一つありまして……」


 彼女の言葉に促されて報告書の先を読むと、確かに特別目標を撃破したパーティーは、先の4つのパーティーの他にもう一つあった。


「ノゾム・バウンティスに、マルス・ディケンズか……」


 その名前には聞き覚えがある。マルス・ディケンズは、実力は高いが素行に問題ありとされた生徒。

 もう一人のノゾム・バウンティスは特別目標を倒したインダ先生のクラスの生徒達と同じく、黒い魔獣と遭遇した学園生徒の1人だ。

 他の教師や生徒達から聞いた話ではあまりいい話は聞かないが、少し気になる少年ではあった。

 あの時、黒い魔獣。あれがどれだけ危険なものかはよく知っている。凄まじい生命力と再生能力。そして一番の特徴は他の生物を吸収し、変化するという事だ。

 あの魔獣に遭遇したのは10年前の事、正直その時の事については思い出したくもなかった。

 そんな魔獣と遭遇し、殿をたった一人で引き受けて生き残った。もちろん運の要素もあるのだろうが、それだけではないのだろう。


「は、はい。パーティーの人数は特別目標を撃破したパーティーの中では一番多いのですが……」


 どうやら彼女はノゾム・バウンティスのパーティーが特別目標を撃破したことが信じられないらしい。

 確かに10階級のパーティーが特別目標を倒すなど、ソルミナティ学園が創立して以来全くなかったことだ。

 そう考えながらも私は手に持った資料を読み続ける。


「相手は担任のアンリ・ヴァール。……君はもしかして彼女が自分の生徒に手心を加えたと思うのかね?」


「いいえ……そういうわけではありませんが……」


 私の問いかけにやや詰まったように答えるインダ女史。表情を見る限り、彼女の感情として一番適当なのは困惑のようで、この結果をアンリ女史の不正と決めつけているわけではないようだ。


「確かに彼女は非常に生徒に近しい立場をとる教師だが、少なくともこのような場で生徒を甘やかすことはしない」


 インダ女史は非常に優秀で厳格な教師だ。優秀であることは20代でこの学園の中で2階級という上位階級の担任になっていることからも分かる。

 また、この学園に誇りを持っており、多忙な私の代わりに1階級の授業を受け持ってくれるときもあるなど、真面目で責任感もある。

 それ故に不正や間違いというものを許すことが出来ない人間ではあるのだが、融通が利かず、やや思考が硬直しやすい傾向にある。


 それに対してアンリ女史はインダ女史に比べて正反対といえる気質の持ち主だ。

 非常におおらかで、優しい彼女。

 ともすれば行き過ぎた優しさだと周囲に見られてしまうこともあるだろうが、少なくともこのような場で手心を加える人物ではない。生徒を甘やかすことと、優しくすることの違いは十分認識している女性だ。

 

「君とは色々と考えの違う人物ではあるが、教師として見ている場所は同じであると思うのだが? そもそも、予測不可能な事態が起こりかねないのが実戦だ。その様な時のために我々は日々、生徒達を鍛えているのでは?」


 今回インダ女史が10階級のパーティーが特別目標を撃破したことに困惑したのは、おそらく彼女自身がこの結果はあり得ないと決めつけてしまったことが原因だろう。

 何が起こるか予測できないのが実戦。そう言う意味では、この予測できない結果を生み出せた事は非常に有益だったのではないだろうか。生徒達にとっても、我々教師達にとっても。


「はい……申し訳ありません。まさか彼らがアンリ先生を撃破できるとは思わず……」


 そう言って頭を下げるインダ女史。自らの浅慮を恥じているようだ。

 だがそれは私も同じだろう。つい先程まで、私は今目の前にいるインダ女史と同じように自らの浅慮に囚われていたのだから。


「気にせずとも良い。人は皆、未熟者だ。つい先ほど、私も自分の未熟さを笑っていたところだ」


「は?」


 私の突然の言葉に惚けたような声を漏らすインダ女史。いつも硬く眉間にしわを寄せている彼女の珍しい表情に、私は思わず声を漏らす。


「ふふ。さて、では本部に戻るか」


「は、はい」


 物見台を降り始めた私の後にインダ女史がついてくる。


(ノゾム・バウンティス……か)


 学園始まって以来の落ちこぼれと言われた生徒だが、本当にそうなのだろうか?


 あの魔獣と遭遇して生き残っている以上、その話がとても本当とは思えない。

 そして今回アンリ女史を撃退したことでその考えはさらに膨らんだ。

 インダ女史は先程から思案顔で口元に手を当てている。おそらく、考えているのはノゾム・バウンティスの事だろう。

 インダ女史の彼に対する考えは簡単に変わらないだろう。だか、今まで成績等でしか生徒を判断してこなかった彼女にとっても、何らかのきっかけにはなればとも思う。

 アルカザムはまだ若い。生徒達も街としても、そして教師達も。


(ノゾム・バウンティスについては、今度アンリ女史に話を聞いてみるか?)


 その時、今まで凪いでいた風より一際強い風が吹いた。


「……む」


 その風に私は何かが混じっているような気がした。澄んだ水面に落ちた絵の具のように波紋を立てながら広がっていく異質な空気。

 それは10年前にはよく嗅いだもの。戦場の空気だった。

 だが、その違和感はすぐさま演習場の空気に溶けて分からなくなってしまう。


(……何もなければよいが)


 先のキクロプスや黒い魔獣のことを考えていた所為だろうか。私の胸の中には一抹の不安がよぎっていた。








 演習区域の北側、私とケン、カミラの3人のパーティーはここで周囲を警戒しながら散策していた。

  

「とりあえず、ここまでは順調ね」


 私は他のパーティーから獲得したペンダントを掲げながら呟く。

 午前中に南側から演習区域をぐるりと反時計回りに移動しながら複数のパーティーを倒し、特別目標も撃破して相当なポイントを稼いだ私達。

 今現在、トップにいるかどうかは分からないが、少なくともトップを狙える位置にいることは間違いない。

 私達は一時休息を取った後、さらにポイントを稼ぐために行動を開始していた。


「そうだね。でも正直に言えば、Aランクが組んでいるのは僕たちかアイリスディーナさん達しかいないんだから当然と言えば当然だね。彼女達かケヴィン君以外のパーティーなんて全然脅威にはならないよ」


 そう言いながら口元をつり上げるケン。その表情には私達に倒されたパーティーに対する侮蔑が含まれているような気がした。

 何だろう……今のケンを見ていると妙に胸がざわつく。


「……ねえケン。アンタなんか最近変わった?」


 私と同じ事を思っていたのか、カミラがケンに問いただすような口調で話しかけた。


「ん? 何でそう思うんだい?」


「だってアンタ……」


「何も変わってないよ。そう、何もね……。だろ、リサ」


 そう言いながら私に微笑みかけてくれるケン。私がノゾムに裏切られた時も支えてくれたケン。いつもと同じ、昔から変わらない笑顔。

 でもなぜだろう。いつもと変わらないのに、ホッとするはずの笑顔なのに……胸のざわつきは収まってくれない。


「……うん。ケンは何も変わっていないよ」


「ほらね」


「…………」


 私はそんな胸のざわつきを無視して言葉を紡ぐ。

 その言葉にケンはいつも通り笑みを浮かべているが、カミラの表情はまだ硬い。


「……リサがそう言うなら」


「そうだよ。別にケンは変わってなんかいないよ……」


 そう、変わってなんかいない。ケンが変わるはずなんて無い。アイツみたいに、私の隣からいなくなることなんて無いんだから……。


「この話はもういいじゃないか。それよりも、この後の事だけど……ん?」


 ケンが話題を変えようとしたとき、遠くから何かの音が聞こえてきた。

 金属がぶつかる音とだれかの怒号。おそらくどこかのパーティーが戦闘をしているのだろう。


「……聞こえなくなったわね」


 しかし、その争う声もすぐに消えた。おそらく決着がついたのだろう。


「……どうする?」


「そうだね。一応誰が戦っていたのかを確かめて、可能なら不意打ちで撃破って事でいいんじゃないかな?」


 カミラの問いかけにケンが答える。

 確かにそれで問題はないと思う。午前中にかなりの数のパーティーが脱落したことで、ポイントを稼げる機会は減っている。可能な限り、稼げるときに稼いでおきたい。

 私は他の2人を見て頷くと、気配を消して身を低くしながら怒号が聞こえてきた方に向かって歩き始めた。






 リサ達がいる森の北側の区画。そこでは2つのパーティーが互いにしのぎを削っていたが、その戦況はあまりに一方的だった。


「せい!」


「つっ!」


 漆黒の髪をなびかせた少女が疾風のような一閃で対峙していた男子生徒の腕を切り裂く。腕を斬られた生徒が持っていた剣を落としてしまうのを見送ることなく、少女はすぐさま細剣を返して柄尻で男子生徒の顎に叩き込んだ。

 男子生徒の顎が跳ね上がり、彼が倒れ込むのと同時に首に掛かっていたペンダントが紅く光る。


「ふぅ……」


 細剣を持った女子生徒。アイリスディーナ・フランシルトは大きく息を吐くと細剣を鞘に納めた。


「……終わったみたいだね」


 アイリスディーナの後ろにいたティマ・ライムが話しかけてきた。

 彼女達の周りには6人の生徒達が倒れ伏している。全員のペンダントは紅く光っており、彼らが失格したことを告げていた。


「ああ、正直、かなりてこずったが……君たち、大丈夫か?」


「ハ、ハイ……何とか……」


 アイリスディーナ達は自分達が倒した生徒達、一人一人に声を掛けていく。怪我をしている者には簡単な魔法治療を施していくあたりが彼女達らしい。

 一通りの治療が終わった後、彼らは自分達のペンダントをアイリスディーナに渡すと、連れだって運営本部に戻っていった。

 彼らを見送ったアイリスディーナにティマが魔力ポーションを渡してくる。精神を癒し、魔力の回復を促す薬だ。


「アイ、お疲れ様」


「ああ、ありがとう」


 受け取ったポーションを嚥下するアイリスディーナ。ティマもまたポーションを取り出して飲み干す。


「ふう……」


 ポーションを飲み干したアイリスディーナが大きく息を吐き、生い茂る木々を見上げる。

 どことなく憂いを帯びたその表情。彼女の端正で芸術品のような容姿も相まって引き込まれるような光景だが、横目で親友を見ていたティマは、その仕草の中に混じっていたアイリスディーナの迷いを敏感に感じ取っていた。


「アイ、やっぱりノゾム君の事、気になるの?」


「……ああ」


 目を伏せて絞り出すように答えるアイリスディーナ。その様子を見ていたティマは自分の胸が締め付けられるようだった。自分が言った一言、それが目の前にいる親友の憂い顔に繋がってしまったのだと思ったから。


「……ねえアイ。……正直私、後悔してる」


「……後悔?」


 ティマが突然言い放った言葉にアイリスディーナが怪訝な顔をする。


「前にみんなで話をしたじゃない。ノゾム君の様子が最近おかしいって……」


「……ああ」


 最近様子がおかしくなったノゾム。その事に気付いた彼女達はノゾムに話を聞こうとしたが、それに待ったをかけたのがティマだった。

 自分の強大な力故に周囲と孤立していたティマ。人一倍感受性の強い彼女はノゾムの悩みが相当深く、彼にとってとても重いものであることを感じ取り、いたずらに話を聞こうとするのではなく、ノゾム自身から話してくるのを待とうと言った。

 それは彼女自身が人間関係で相手に踏み込むことを躊躇ってしまう性格であったこともあるし、この話をしたときのアイリスディーナとマルスの勢いがかなり強かったこともあった。

 だが、結果としてノゾムのアイリスディーナ達との間には妙な溝が出来てしまい、表面上は変わらずとも、徐々にその溝は広がっていた。


「……でも、本当は私達から話しかけた方がよかったのかも……。その所為で、最近はなんだかマルス君の様子もおかしいし……」


 ティマの言葉通り、最近はノゾムに触発されるようにマルスの様子もおかしくなってきた。

 無謀な鍛練を繰り返し、その度にティマはマルスに無茶しないように言うのだが、マルスは分かったと言いながらも無茶な鍛練を改める様子が無い。

 その光景を見るたびに彼女の胸はズキンと痛んだ。

 自分の提案がノゾムとマルス、そして自分達の関係に影を落とす要因の一つだったのは確かなのだから。


「……いや、ティマだけの所為ではないさ。私も彼と話が出来なかった。話を聞きたいと思っていながら、踏み込めなかった……」


 だが、ティマだけでなくアイリスディーナもまたノゾムに踏み込めなかった。ティマの提案でノゾムを問い詰めることをやめたが、それはあくまでも“ノゾムが話すまでもう少し待とう”という話であり、その後に聞くチャンスはいくらでもあった。


(どうして聞けなかったんだろう……)


 あれほど心の中でノゾムの事を知りたいと思いながらも踏み出せなかったアイリスディーナ。

 それ気付いた時、アイリスディーナは胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われた。


「っ!!」


 いつの間にかアイリスディーナは自分の胸倉を固く握りしめていたが、彼女自身その理由は分からなかった。

 ノゾムの事を考えると胸が暖かくなるが、同時に引き裂かれたように痛む。言いようのない不安が湧き上がり、彼女の心を覆い尽くしてしまう。

 何故なのかと考え続けるのだが、頭の中がグチャグチャで考えが纏まらず、グルグルと回り続ける。

 一向に纏まらない思考を一度リセットしようと頭をブンブンと振ってみるが、艶ある黒髪が舞うだけで頭の中は全く落ち着いてくれない。

 いや、それどころか回り続ける頭の中はどんどんその勢いを増していく。温かさと冷たさ、沢山の正反対なものが入り乱れ、彼女の心を乱し続ける。

 それも無理はない。彼女はその感情を持つことは生まれて初めてなのだから。


「……アイ、この演習が終わったら、ノゾム君達に聞いてみよう?」


「え?」


「マルス君とノゾム君に。……私、これ以上今のマルス君やノゾム君たちを見ていたくない」


 それはティマにとって、自分の一言がこの状況を作ってしまったことに対する後悔の言葉。以前の自分の言葉に負い目を感じ、とにかくどうにかしたいと思って捻り出した結論だった。


「そう、だな……」


 ティマの言葉にアイリスディーナが小さく頷く。その時、彼女達の後ろの茂みがガサリと揺れた。


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