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第5章第11節

お待たせしました。ちょっと遅れましたが、第5章第10節、投稿しました。

 ゾンネの店を離れたノゾム達は再び商業区を歩いていた。


「…………」


 ノゾムはつい先程聞いたゾンネの言葉を思い出していた。

 龍殺しを含め、様々なことをひた隠しにしているノゾム。以前森に行く直前にリサとケンに遭遇し、その時に湧き上がった黒い衝動。様子が変だった自分の事を心配してくれたアイリスディーナ達だが、結局ノゾムは彼女達に何も話せなかった。それが彼女達を傷付けたことは想像に難くない。


(だけど、もし話したら……)


 それでもノゾムの中の不安は消えない。燻り続け、徐々に大きくなっていく火種。


「ノゾムさん? どうかしたんですか?」


「え? い、いやなんでもないよ」


 一緒に歩いていたソミアがノゾムの顔を覗き込むように話しかけてくる。自分の考えに沈んでいたノゾムだが、話しかけられた事に咄嗟に何でも無いように振る舞う。


「それよりソミアちゃん。これからどうする? まだ時間はあるみたいだし」


 ノゾムの言うとおり、日はまだ沈んでいない。春になり、徐々に日が長くなってきているせいか道を歩く人達も減る様子はなかった。


「う~ん。如何しましょうか……あれ? 何か甘い匂いが……」


「ん? この匂いは……」


 道を歩いていた2人の鼻を甘い香りが撫でた。ノゾムとソミアが香りのする方に目を向けるとそこには小さな露店があり、なにやら子供達が集まっていた。


「ねえおじさん! 僕にもその飴頂戴!」


「あ、ずるい! それ私が貰おうとしていたのに!!」


「ほらほら、喧嘩しない。ちゃんとみんなの分を作ってあげるから」


 その店は以前アイリスディーナとノゾムが訪れた飴細工屋だった。前に訪れた時と同じように、子供たちは甘い飴を求めて集まっていたようだ。飴細工屋の店主も子供達に喜んでもらえるのがうれしいのか、満面の笑顔を浮かべながら器用に飴細工を作っていく。


「はい、出来たよ」


「うわ~! ありがとう!!」


 飴を受け取った子供たちは嬉しそうに店主にお礼を言うと飴を片手に元気そうに走り出し、人ごみの中に消えていった。

 ノゾムはその光景に微笑みながら見届けると店主に声をかける。


「どうも」


「ん? ああ! 君は以前店を手伝ってくれた学生さんだね。今日はどうしたんだい?」


 ノゾムに気付いた店主。彼は笑顔のままノゾムと話をしているが飴細工を作る手は止まることはなく、次々と精緻な芸術品と呼べる飴を作り上げていく。


「ちょっと学校帰りに寄り道をしたんですよ。それにしても相変わらず美味しそうな飴ですね」


「ああ、ありがとう。その女の子は……」


 相変わらず見事な手さばきの店主に感心していたノゾムだが、彼の一言でいつの間にかソミアが静かになっていることに気付く。


「わあ~~!」


 ノゾムがソミアの方に目を向けると、彼女は目をキラキラ輝かせながら目の前にあるたくさんの飴細工に見入っていた。


(そういえばアイリスディーナさんはソミアちゃんが甘いものに目がないって言っていたっけ……)


 ノゾムは以前アイリスディーナとこの店を訪れた時の事を思い出した。妹が可愛くて仕方がない彼女は、ソミアが甘い物に目が無いから食べ過ぎで虫歯にならないか心配していた。


「そうだ。君、もう一度飴細工を作ってみないかい?」


「……え?」


 突然店主が放った言葉にノゾムが首を傾げる。


「そこのお嬢ちゃんもどうだい? 普段、飴細工なんて作ったことないだろう? 物は試しにやってみないかい?」


「え? いいんですか!?」


「もちろんだよ。まだ材料はあるし、2人分なら問題なく作れる。もちろん、お代はいただくけどね」


 ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべながら店主がソミアに飴作りを提案する。ソミアもまた飴細工を作ることに興味があるのか、ワクワクしているようだ。


「ノゾムさん、やってみましょう!」


「……そうだな。前回はうまく作れなかったし、試しにもう一回やってみるか」


「決まりだね。じゃあ、こっちにおいで」


 店主はノゾムの答えに満足すると、2人を調理台の方に案内する。


「それじゃあ始めようか。君は以前やったことがあるから大体わかるよね?」


「ええ、大体ですが……」


 ノゾムはそう言うとまず水飴を流し込んだ鍋を火にかけた。飴が焦げつかない様に火力に細心の注意を向けながら飴を煮立たせながら、砂糖などの材料を加えていく。

 鍋をかき混ぜながら色と粘りを確認し、ちょうどいいと思ったところでノゾムは鍋から飴を取り出し、それを2つに分けて片方の飴をソミアにあげると、もう片方の飴を2本の棒で飴細工の形を整えていくが……。


「わっ!わわ!!」


「っ! おっと!!」


 やはり思うようにはいかないようだ。ソミアは棒に乗っている飴を危うく落としそうになり、ノゾムも柔らかくなったせいで地面に垂れてしまいそうな飴に四苦八苦している。

 粘つく飴は細工を作るために使っている棒にへばり付き、ノゾム達の思うように形を整えさせてくれない。

 やがて飴に籠っていた熱が逃げ、硬くなった時点で2人は飴をいじるのを止めたのだが。


「ちょっと、うまくいかなかったね」


「そうですね。私のも何だかよく分からない物になっちゃいました。ノゾムさんは何を作ったんですか?」


「ん? 俺は馬……のはずだったんだけど」


 ノゾムが作ったのは馬だったのだが、足を作る段階で飴が垂れてしまい妙に足長の馬になってしまった。


「私は猫ちゃんだったんです。でもなんだか……」


 一方ソミアが作ったのは猫。しかしこちらも耳が妙に長くなってしまっており、顔の形も歪んでしまっている。


「アハハ。やっぱり最初はうまくいきませんね」


「ハハ! そうだね。前回のリベンジのつもりだったけど、いくらなんでもこの足長馬はありえないって」


 ソミアが自分で作った猫を見ながら微笑み、それに釣られる様にノゾムも笑う。


「ふふ、まだ材料はあるけど、どうする? もう一度やるかい?」


 店主がもう一度やってみるかと問いかける。


「「やります!」」


 店主の提案に息をそろえて答える2人。それから何度か飴細工を作ってみた2人だが、その作品はどれもこれも一見しただけでは何を模して作ったのか分からない物ばかりであり、その度に2人は声を上げて笑っていた。

 自分の作品を自分で笑う事にソミアもノゾムも妙な気分ではあったが、それでも彼女達は心から飴細工を楽しんだ。





 ノゾム達が店主の勧めで飴細工を楽しんでいる時、2人を尾行していたソミアの姉達と獣人グループはそれぞれ物陰に隠れながら飴細工に苦戦しているノゾム達を覗いていた。


「…………」


「ねえアイ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


「……でもさっき、ソミアはあの老人に触られそうになっていた」


 アイリスディーナが言っているのは先程のゾンネの占い屋での出来事の事だろう。

 ソミアの目的地がセクハラ爺の店だと分かったアイリスディーナはよほど妹が心配なのか、店の前の立つ2人に食い入るような視線を向けていた。

 そして店の奥から出てきたゾンネ。この時点でティマとマルスはイヤな予感がしていたが、頭の中がピンク一色の好色爺は案の定、アイリスディーナにセクハラしようとした時と同じ手段でソミアに触ろうとしてきた。


「で、でもノゾム君がどうにかしてくれたじゃない……」


「でも触られそうになっていた……」


 ゾンネが占いにかこつけてソミアに触れようとした時、ティマがアイリスディーナは腰に下げた細剣を引き抜いてノゾム達3人の所に突撃しようとした。

 マルスとティマが体を張って止めたのと、ノゾムが実力行使も辞さない態度でゾンネを止めたことで収まったものの、それ以来アイリスディーナのゾンネを見る視線は更に鋭くなっていた。

 その後ゾンネは真面目に占いを始めたのか、ソミアはノゾムも老人の話に聞き入っていたが、アイリスディーナ達はノゾム達の話を聞き取ることは出来なかった。ゾンネの店にくる途中でノゾムに視線を向けられたため一度距離を取った為だ。

 話の内容が分からない事に再びアイリスディーナが焦れた顔をしていたが、最後はソミアが晴れ晴れとした顔をしていたので少なくとも悪い話ではなかったと思い、そんな妹の笑顔を見たアイリスディーナもようやく殺気を納めてくれた。ある意味ソミアの気分次第でゾンネの運命が決まっていたと言っても過言ではなかった。


「でもよ、そろそろ不味くねぇか。ノゾムも俺達の事に気付いているみたいだし、あまりしつこいとソミアにも気付かれちまうぜ?」


「そ、そうだよ、アイ。これ以上はダメだよ。ソミアちゃんに嫌われてもいいの?」


「うっ!?」


 ティマの“ソミアに嫌われてもいいのか?”という言葉がアイリスディーナの胸に突き刺さる。その一言は妹想いである彼女の心に楔を打つには十分だったようだ。


「ソミアちゃんが心配なのは分かるけど、ノゾム君も一緒なんだし、大丈夫だよ」


「……まぁ確かに、実際あのエロ爺もノゾムのおかげでソミアに手が出せなかったみたいだしな。アイツなら下手なチンピラなんて相手にならんし、アルカザムは治安も良いからそうそうヤバイ事にはならんだろ……」


「……うう~~」


 ティマの言葉に今度はマルスが同調する。2人から諌められたアイリスディーナだが、それでもソミアが心配なのか、はたまた他に理由があるのか、唸ってはいるもののその場を動こうとしない。これではまるで彼女の方が子供みたいだ。

 ティマがノゾム達の方を見てみると、そこには飴細工に没頭しているノゾムとソミアがいる。

 ノゾムは煮立たせた飴が固まらないうちに2つの棒で細工を作ろうとしているが、うまくいかなかったのか難しい表情をしており、ソミアは彼の横で飴相手に悪戦苦闘しているノゾムを優しい笑顔で見守っていた。

 距離は離れているため会話を聞き取ることは出来ないものの、一緒に飴を作る2人はかなりいい雰囲気である。

 そんな2人をアイリスディーナは拗ねた子供の様な表情で見ていた。まるで自分がそこにいられないのが不満で仕方がないように。


(……はぁ、やっぱりアイはソミアちゃんも心配だけど、ソミアちゃんとデートするノゾム君の事も気になっているみたい……)


 ティマは大きく息を吐くと、今まで見たこともない表情を見せる親友を眺める。彼女にとってアイリスディーナはこの学園に来て初めて出来た友人であり、親友だ。だが彼女は今までこんな風に拗ねた様な彼女を見たことはない。


(それだけ2人の事が気になっているってことなのかな?)


 ティマはアイリスディーナがノゾムの事を気にしている事は気付いていた。ノゾムはおろか本人も気付いているかどうか分からないが、ノゾムと一緒にいるときのアイリスディーナの雰囲気は今までの彼女とは明らかに違っていたからだ。


「なぁ、もう良いんじゃないか?  少なくとも大事にはならなそうだし」


 親友を眺めながら自分の思考に没頭していたティマだがマルスの声に気が付いて彼の方を見る。

 マルスの言葉に下を向いて考え込んでいたアイリスディーナだが、突然マルスに問いかけてきた。


「……マルス君はエナ君が知らない男と歩いていたらどう思う?」


「はあ? なんだっていきなり「どう思うんだい?」べ、別にどうも思わねえよ……」


 言葉では何とも思わないと言っているマルスだが、そっぽを向いて言葉を詰まらせるその姿は言葉とは正反対の感情が滲み出ている。


「……私は心配だ。もしソミアとノゾムが……」


 突然顔を真っ赤にしながらブツブツと何かを呟きはじめたアイリスディーナ。一体彼女の心中で何があったのかは分からないが、突然遠くにいるノゾムを睨みつけたと思ったら、すぐに俯いてしまう。そして再び顔を上げたかと思ったら、今度は頭を抱えて悩み始めた。


「……どうするんだよ。こいつ完全に混乱しているぞ」


「どうしようって……」


 正直目の前の親友をどうしたらいいのか、この場で一番付き合いの長いティマにも分らない。教えてほしいのは彼女も同じのようだ。

 その時、アイリスディーナは通りの一画にある店が目に留った。


「そうだ、これなら……」


「ちょっと、アイ! どこ行くの!」


 ティマの呼びかけに答えず、その店の中に駆け込んでいくアイリスディーナ。彼女はすぐに店から出てきたが、その光景にマルスとティマは茫然としていた。


「なあ、なんだ? あれ?」


「ええっと、たぶんアイだよ。なんであんな恰好しているのか分からないけど……」


 アイリスディーナが入っていったのは服屋。そこでは日常で着る服だけでなく、作業用の厚手の服や、旅に使う頑丈な服も売っている。

 店から出てきたアイリスディーナ。彼女は全身をスッポリ覆うフード付きのマントを羽織っており、フードも深くかぶっているので、顔を覗き込まれない限りは一見しただけで彼女だと分からない格好だ。ただ、見た目は完全に不審者だが。

 マントを羽織った彼女はそのままノゾム達がいる飴細工屋に向かって歩いていく。


「……まさか、あの恰好で様子を見に行くつもりか?」


「…………」


 マルスの問いかけにティマはもう言葉も出ない様子だった。飴細工屋に行ったアイリスディーナに気付いたノゾムが明らかに呆けた表情で彼女を見ている。

 それでも構わずのノゾムに近づくアイリスディーナ。彼女は客を装ってノゾムと何やら言葉を交わしているようだが、頭に被ったフードが不自然に動いており、アイリスディーナが混乱している様子が見て取れる。段々フードの動きが激しくなり、不審に思ったソミアが2人の傍にやってきた。

 するとマズイと思ったアイリスディーナはノゾムが差し出した飴の入った袋を鷲掴みにし、ノゾムに何かを伝える様に一瞥して戻ってきた。


「……なんか、色々ダメダメだな」


「……うん」


 隠れている茂みの中でマルスとティマのため息が全く同じタイミングで吐き出されていた。






 飴細工を楽しんだ俺達は店主に代金を払ってお礼を言うと、今度は中央公園まで歩いてきた。そろそろ西日が傾いてきたのか、周囲は徐々に紅く染め上げられ始めている。


「ああ! 楽しかった!」


「そうだね。正直作り過ぎてしまった時はどうしたものかとは思ったけどね」


 俺は手に持った袋をに目を向けながらソミアちゃんの言葉に頷く。

 俺達が作った飴は結果的にかなりの数になってしまっていた。

 出来た飴にあまり熱を加えすぎると変色したり、味が崩れてしまうので作り直すわけにもいかず、流石に作り過ぎたかと心配になったが、店主が作り過ぎた飴を引き取り、格安で売りに出してくれた。

 形はお世辞にも整っているとは言えないが飴自体の味に変わりはなく、おまけにソミアちゃんが“作ったのは自分達だから”とお客の呼び込みまで自ら進んでやり始めた。

 そんなソミアちゃんを見て俺もまた一緒にお客の呼び込みをやった。

 呼び込みを始めて直ぐは遠巻きから眺めていただけだった通行人の人達。仕事を終えた人や散歩をしていた老人、これから一緒の時間を過ごそうとしていた恋人達など様々な人に彼女は声を掛けて回っていた。

 初めは突然声をかけられたことで怪訝な表情をしていた彼らだが、ソミアちゃんが笑顔で飴を勧めると、表情を緩ませて店頭に並んだ飴を眺め始めていた。

 

「結果として飴は完売。言うことなしだね」


「そうですね。でも、結果的にノゾムさんに足りない分を出させてしまいました」


 ソミアちゃんの表情がちょっと陰る。

確かに飴自体は完売したものの、形が悪いため相当安く売り出したので、俺が足りない分を補填したのだ。


「いいよ。最近臨時収入も入っているから、ちょっとはお金もあるし。それにあの爺さんなら、こういうことは男の甲斐性だ! って、言うだろうしね」


 できるだけ雰囲気を壊さないように不本意ではあるがあのエロ爺を引き合いに出す。


「……えへへ! やっぱり優しいですね。ノゾムさん」


 ところがソミアちゃんはちょっと陰りのある表情を一転。舌をペロッと出して悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「……ソミアちゃん。もしかしてワザと?」


「えへへへ!」


「はあ……」


 俺の言葉を肯定するようにその顔に浮かべた笑みを深くするソミアちゃんに、俺は降参とばかりに手を挙げる。どうやら俺はこの小さな女の子にからかわれたらしい。

 文字通りしてやられた俺だが、正直この歳で男を手玉に取るソミアちゃんに戦慄を覚える。

 アイリスと同じ艶のある黒髪と漆黒の瞳を持つソミアちゃん。まだ子供ではあるものの、彼女の姉をそのまま幼くしたような顔立ちは、将来彼女がどれだけ魅力的な女性になるのか十分想像することが出来た。


(まぁ、ソミアちゃんもアイリスも、ちょっと困った所があるみたいだけどね)


 ノゾム達が飴細工屋にいる時、フードを被って様子を見に着たアイリスディーナ。震えた声で飴を注文するその姿に呆然としてしまった。

 近くにいたソミアちゃんに聞こえないようにアイリスに何をしているのか尋ねたが「わ、私はアイリスディーナという名前ではない」なんて狼狽えた声で否定してきた。

 そのまま追求しようとしたらムキになって否定してきたが、傍にいたソミアちゃんが「どうかしたんですかと」と尋ねてきた。

 あわてた俺達は“何でもない!!”と同じタイミングで同じ言葉を言うと、俺はすぐにアイリスが注文してきた飴を袋に包んで彼女に手渡した。その時、突然俺の手がギュっと握りしめられたと思うと、フードの奥からものすごい眼光が俺を貫いてきた。

 その時彼女は言葉にせずともこう言っていた。


「間違いのないようにな!!」


 ……一体、何をどう間違えというのか。ソミアちゃんは11歳。たぶん恋とかはまだ早いだろうし、このデートだって恋人同士というより兄と妹といった感じだろう。


「ノゾムさん。ちょっとあそこで休んでいきませんか?」


「あっ、そうだね。そうしようか」

 

 彼女が指したのは中央公園の一画にあるベンチだった。2人でベンチに座ると持っていた袋の中から飴を取り出して口に含む。

 甘い匂いと味が口いっぱいに広がり、体全体に染み渡るようだった。それはソミアちゃんも同じらしくベンチに腰掛け、脚をブラブラさせながら甘い飴に顔を綻ばせている。

 飴細工なんてほとんどやったことない事をしていたせいか、思った以上に疲れていたのかもしれない。


「……ノゾムさん。今日はありがとうございました」


「いや。こっちも楽しかったし、お互い様だよ。飴細工にも再挑戦できたしね。結果は……まあアレだけど」


 俺とソミアちゃんの視線が交わり、互いに笑みを浮かべる。交わされた言葉は少ないけれど、今日のデートが楽しいものであったことは十分に感じ取ることができた。


「ねえノゾムさん。聞いてくれますか?」


「ん? なんだい?」


 ソミアちゃんが改まって俺に訊ねてくる。


「今日の占いでお爺さんに聞いたこと、なんですけど……その……」


「……悩み事?」


 俺の問いかけにソミアちゃんは小さく頷く。今日の占い。おそらくゾンネの露店であの爺さんに聞いていた事だろう。


「俺が聞いてあげても良いけど、俺でいいの? ソミアちゃんの事ならアイリスに相談した方がいいと思うけど」


「姉様は駄目です。その……悩みってその姉様のことなので……」


 どうやらアイリスの事で悩んでいるらしい。俺は分かったと言う様に頷くと、ソミアちゃんはポツポツと自分の心の内を話し始めた。


「ノゾムさんは知っていましたよね。私が姉様みたいになりたいって……」


「ああ」


 ソミアちゃんの目標は姉であるアイリスディーナの様になること。この公園で初めて彼女と出会った時に聞いたことだ。


「姉様ってすごく素敵じゃないですか。綺麗だし、強いし、何でも出来て……」


 ソミアちゃんの言葉に俺も頷く。確かに彼女はとても魅力的な女性だ。学園で彼女に告白した人間は2桁じゃ済まないらしいし、実家はフォスキーア国の重鎮、しかも彼女はその跡取りと来ている。ハッキリ言って欠点を探す方が難しい。


(まあ、ソミアちゃんのことに関しては別みたいだけど……)


 俺はソミアちゃんに気付かれないように、自分たちが座るベンチから公園の反対側の一画に目を向ける。姿は見えないものの、その場所からはいま話題に上っている彼女達の気配を感じることができた。距離が離れているためこちらの会話は聞こえないだろうが、彼女達の尾行は続いていたようだ。


「そんな姉様が私は大好きですし、自慢の姉様なんですけど……やっぱり時々嫌なこと考えちゃうんです。羨ましいとか、いいなあ、とか。もちろん姉様も頑張って、頑張って沢山の事が出来るようになったっていうのは分かるんですけど……それでもそう思っちゃうことがあって」


「……もしかして、そのことで悩んでいたの?」


 俺の言葉に頷くソミアちゃん。アイリスがとても大事な家族で、彼女の目標であることに変わりはなくても、それでも時に優秀すぎる姉に対して羨ましいと思ってしまう。そしてアイリスがどれだけ努力してきたかを誰よりも知っているから、そんな風に考えてしまう自分が嫌になってしまったのかもしれない。


「……でも仕方が無いんじゃないかな? 誰かを羨ましいって感情はだれでも持つと思うし、たとえ姉妹でもそれはあるんじゃない?」


「…………」


 俺の口から出た答えは有り触れたものだった。正直ソミアちゃんがどれほど悩んでいるか分らなかった俺はそんな曖昧な返事しか返すことができず、彼女の表情は硬いままだった。


「…………」


「…………」


 しばらく無言の時間が流れる。少し気まずい雰囲気が漂っていたが、おもむろにソミアちゃんが口を開いた。


「私、昔は姉様の事が大嫌いだったんです」


「……え?」


 その言葉に俺は自分の耳を疑った。だって俺達の見てきたソミアちゃんは誰よりもアイリスの事が大好きで、彼女を自分の将来の夢の姿だと言うくらいだったのだから。


「私は母様の顔を見たことがありません。私を産んですぐに死んでしまったので、母様がどんな人だったのかも分からないんです。あるのは家の父様の部屋にある肖像画だけ……」


「…………」


 ポツリポツリと呟くように昔の事を語り始めたソミアちゃん。俺は口を挟むことはせずに黙った彼女の言葉に耳を傾けていた。


「抱っこされたことも、子守歌を歌ってくれたことも、一緒に眠ってくれたこともありませんでした。姉様はそんな私に母様の話をよくしてくれました。私達と同じ黒い髪を持っていて、とても優しい人だったって……」


 そう語り続ける彼女の顔に浮かんでいるのは寂しさと……後悔であるように思えた。


「今思えば、姉様は母様を知らない私に少しでも母様の事を知ってほしかったんだと思います。でもその時の私は、母様の事を知らない私の事を馬鹿にしているって思っちゃったんです。あるいは母様を奪った私の事を恨んでいるんじゃないかなって……」


「…………」


「だから私は姉様にも父様にも自分から話しかけることはしませんでした。向こうが嫌っているなら私だって大嫌い。そんな風にしか考えていなかったんです」


 ソミアちゃんが持っていた飴の袋がクシャリという音をたてて潰れた。


「誰も私を気にかけてくれる人なんていない。誰も私の事なんて心配しない。そう思っていたから家にいることが苦痛で、私は家を飛び出したんです」


「ええ!?」


 ソミアちゃんの言葉に驚きの声が漏れる。彼女の家はフォスキーアでも有数の名家であり、当然それに相応しい警備態勢が敷かれているはずだ。しかも当時のソミアちゃんの歳は一桁のはず。

いくら警備の厳重な場所は外から入ることに比べて中から出る方が簡単だとはいえ、もの凄い行動力だ。


「でも今まで私はずっと屋敷の中にいましたから、当然行く当てなんてありませんでした。やがて日が暮れて、街の片隅でただ蹲っているしかありませんでした。寒くて、寒くてどうしようもなくて。それでも帰るなんてことは考えられなくて……。」


「…………」


 俺はそんな風になっても帰ろうとしなかったソミアちゃんにただ言葉を失っていた。どれだけ彼女は孤独だったんだろうか。どれだけ寂しさをこの小さな体に押し込めてきたんだろうか。


「そして、とうとう雨まで降ってきてしまったんです。ずぶ濡れになってしまった服を必死に抱き込んで、どうにか寒さに耐えようとして。でも体はガタガタ震えるだけでちっとも暖かくなってくれなくて。やがて意識も朦朧としてきた時、誰かが呼んでいるような声が聞こえてきたんです」


 ソミアちゃんがブラブラさせていた脚をギュッと抱え込む。俺にはその姿に、今彼女が話をしている、雨に濡れながらどこにも行けずにいる少女の姿が見えるようだった。


「初めはそんなわけないって思いました。だって私は誰にも愛されていないし、そんな私を探している人なんていないって思っていましたから」


 顔の半分を膝に埋めてそう呟くソミアちゃん。


「でも、だんだん私を呼ぶ声は大きくなって、気が付いたらすぐ傍からその声が聞こえてきたんです。顔を上げた時に目に入ってきたのは私と同じようにずぶ濡れになった姉様でした。私を探す為に姉様まで屋敷から飛び出してきてくれたんです」


 そう言って顔を上げたソミアちゃんの顔は、ついたった今浮かべていた陰のある顔ではなく、晴れ晴れとした表情をしていた。


「でもその時私、こう言っちゃったんです。何しに来たの!! って。今考えてもひどいこと言っちゃいました。“探しに来たんだ”って言った姉様は私の腕を引いて家に連れて帰ろうとしたんですけど、私は帰ろうとしませんでした」


 当時の自分の醜態を思い出して、アハハハと苦笑いを浮かべるソミアちゃん。


「後は連れて帰ろうとする姉様と帰ろうとしない私との意地の張り合いでした。私も姉様も言うことを聞いてくれない相手に、いつしか遠慮なく大声を上げていました」


「…………」


「結局、姉様と同じように父様が私を探しに来て屋敷に連れ返されました。帰った後は私も姉様もひたすら父様からお説教。その時私、今まで思っていたことをみんなの前で思いっきりぶちまけちゃったんです。何で母様がいないの! 何でみんな私のことを嫌うの! そんな嫌いなら放っておいてよ! って、泣きながらそう怒鳴っていました。そうしたら横で一緒にお説教を受けていた姉様に思いっ切り叩かれました。」


 自分の左頬を撫でるソミアちゃん。多分そこがアイリスディーナに叩かれた場所なのだろう。


「怒って叩き返してやろうと思って、私が姉様の方を見ると、姉様も泣いていたんです。必死に溢れてくる涙を我慢しようとして、それでも涙は止まってくれなかったみたいで……。私の前ではいつも笑っていた姉様ですけど、考えてみれば姉様も母様が死んでずっと悲しかったんだと思います。でも、それを表に出すわけに行かなくて、必死に隠そうとして、でも私の言葉に隠していたものが溢れちゃったんです」


 考えてみれば当時はアイリスも10歳ほどであり、肉親の死は堪えるのは当たり前だ。


「後は私も姉様も泣きながら大声で怒鳴り合って、気がついたら眠っちゃっていました。それから私は姉様のことが好きになって、この人みたいになりたいって思う様になりました。必死に自分の悲しみを押し隠してそれでも笑顔でいた姉様。そんな姉様みたいになりたいって」


「…………」


 これで全部話し終えたか、ソミアちゃんは大きく息を吐き出すと、硬くなった体をほぐすように大きく背伸びをした。


「はぁ~。スッキリしました!」


「ねえ、ソミアちゃん。何で俺にその話をしたの?」


 俺は率直に感じた疑問を聞いてみた。悩み相談といい、今の話といい、少なくとも簡単に人に話せる話ではなかった。


「う~~ん。よく分かりません! ただ私が話したかったんです」


「話したかった?」


「はい! ノゾムさんに私のことを知って欲しかったんです。そう思ったら自然と口が開いていました!」


 そう言いながら笑みを浮かべる彼女。その顔にはつい先ほどまで浮かべていた硬い表情は全くなく、いつも浮かべているような太陽な笑顔だった。

 やっぱりこの子はアイリスと同じ強い娘だ。悩みながらも誰かを気に掛けられる強さを持っている。


「……ソミアちゃん。俺には兄弟はいないからアイリスに対する君の悩みを本当の意味で感じ取ることは出来ない」


 俺に兄弟はいない。父と母と俺、3人家族だった。

 

「でも、誰かを羨ましいって思ったことはたくさんあるよ」


 でも、今まで誰かに嫉妬しなかった訳じゃない。能力抑圧で強くなれないと言われ、必死に頑張っても思うようにいかなかった日々。

 もし能力抑圧が無ければ。もし俺がもっと強かったのなら。そんな意味もない“もしも”の話を考えなかった訳じゃなかった。


「俺自身上手く言えないけど、君はそれでもやっぱりアイリスが大事なんだろう?」


「……はい」


 誰にだって嫉妬はある。俺も自分を置き去りにしてどんどん強くなっていったリサ達に内心嫉妬していたし、いつまでも強くなれない自分を情けなく思ってきた。当時はリサとの約束とかいろんな理由をつけて蓋をしてきたけど、今にして思えばそう言った暗い感情は確かにあった。

ソミアちゃんの場合は以前にその嫉妬でアイリスを傷つけたことがあるから多分こんなに悩んだんだろう。


「ならそれでいいんじゃないかな? だってソミアちゃん、それをアイリスに話したら彼女が傷付くんじゃないかなって思ったんだろ? だから占いなんて事をしたんだし、俺に話したんだと思う」


 彼女は姉のことが大好きな優しい娘だ。だから昔、自分勝手な思いこみで姉を傷付けたことが深く記憶に残ってしまっていて、自分が姉に嫉妬していたんだって知られるのが怖かったんだ。


「……はい。母様が亡くなった時、それでも笑っていた姉様が実は凄く無理していたんだって思い出して……それでも姉様は私のことを大事にしてくれました。そんな姉様を私が傷付けたんだって考えたら、話せなくなっちゃって……」


 沈んだ声を漏らしながら下を向くソミアちゃん。


「なら大丈夫。いくらアイリスが羨ましいって思ったとしても、ソミアちゃんの心の一番根っこにあるのは“姉様が大好き”って感情なんだから」


「あ……」


 俺の言葉を聞いたソミアちゃんが顔を上げた。彼女の瞳は大きく揺れている。

 だってそうだろう。彼女はアイリスを傷付けたくないから話せなかった。ならそれは彼女にとって姉が誰よりも大切な人って事なんだから。


「はい! 私、姉様が大好きです!」


 元気よく宣言するソミアちゃん。夕暮れの光に照らされた彼女の顔は、まるで一番星のように輝いて見えた。





「よし! そろそろ日も暮れてきたし、帰ろうか」


「あ! ちょっと待ってください! まだあるんです」


 ベンチから腰を上げようとした俺をソミアちゃんが引き留めた。どうやら彼女はまだ話があるらしい。


「ん? 何?」


 彼女は俺に向き合うと大きく深呼吸をした。まるでこれから人生における重大な決断をするような雰囲気に俺の背筋も自然と伸びる。


「……私が以前魂を奪われそうになった時、ノゾムさんに助けていただきましたよね。まだその時のお礼をちゃんとしていませんでした」


「え? お礼ならキチンと言ってもらったけど……」


 彼女が言っているのは間違いなくウアジャルト家のルガトとのことだろう。だがあの時はその翌日にアイリスと彼女自身からお礼を言われていたはずだが……。


「はい。でも私が個人的にお礼をしたいんです」


 そう言ってソミアちゃんはまっすぐ俺を見つめてくる。正直、俺はお礼なんて気にしなくても良かったのだが、見つめてくるソミアちゃんの視線は彼女が相当な決心をしてきたかと言うことを感じさせる。

 そこまで彼女が決心をする理由が正直俺には分からないが、少なくとも俺は彼女の決心を無駄にはしたくなかった。


「……分かった。せっかくソミアちゃんが贈ってくれるっていうなら受け取るよ」


「あ……はい!」


 俺が受け取ることに安心したのか、声を弾ませたソミアちゃんはベンチの腰掛けの部分に立った。

 11歳の彼女の身長は当然俺より低く、腰掛けに立ってようやく俺と同じ目線の高さになる。一体何をするつもりなんだろうか?


「ええっと、動かないでくださいね」


「ん? いったいどうし……「んっ」 え!?」


 動かないように言うソミアちゃんに俺が尋ねようとした時、俺の視界一杯に彼女の顔が映った。

 そしてその後、頬に感じた柔らかい感触。

 突然の出来事に俺の思考は真っ白になり、ただ呆然と惚けてしまっていた。


「えへへ。キスしちゃいました」


「え、え?」


 頬に感じた柔らかい感触が無くなると、次に見えたのは真っ赤な顔をしたソミアちゃん。


「ほっぺたにですけど、お礼は私のファーストキスです。私も父様以外の人にするのは初めてなんですよ」


 そう言って悪戯っぽい笑みを浮かべるソミアちゃん。その顔は以前のデートで俺を振り回したアイリスとよく似ていて、やっぱり姉妹なんだなって思う。

 

「……やっぱり、アイリスとよく似ているね」


「え!? そうですか! そう言って貰えると「あーーーーーーー!」ひう!」


 突然響き渡った大声にソミアちゃんがビクリと肩を震わせる。ノゾムは反射的に声が聞こえてきた方を見ると、茂みの奥に隠れていたアイリスが立ち上がってこちらを指差していた。


「な、な、ななな……」


 あまりに驚いているせいか、呂律が回らないアイリス。指先はプルプルと震えていて、普段は冷静沈着な彼女の姿は微塵も感じられない。


「っ! ノ~ゾ~ム~~!!」


「ちょ、ちょっと!!」


 我に返った彼女が俺の名前を叫びながら一目散にこちらに駆け込んでくる。彼女の顔は恐ろしいほど強張っている上に目が血走っていて、まるで“狂気の忌眼”のようだった。はっきり言ってメチャクチャこわい。

 真っ直ぐ突っ込んできた彼女は俺の肩を両手で鷲掴みにすると、ギリギリと俺の肩を締め付けてくる。

 彼女の爪が肩に食い込み、痛みのあまり俺は必死で彼女の手を離そうとするが、すらりとした白い腕は信じられないほどの力で俺の肩を締め付けていて、まるでビクともしない。


「ノ~ゾ~ム……私は言ったな。“くれぐれも間違いが無いように”と……」


「ハ、ハイ……」


 本当に狂気の忌眼が発動したのかと思えるほどの眼光と、奈落の底からの怨嗟のような声に俺の身体は石の様に硬直した。まさしくか弱い子羊と怒り狂ったキクロプス。


「なら“アレ”はどういう事だ……」


「えっと、その……って痛い! 痛い!! アイリス! 頼むから手を離してくれ!!」


 肩に走る痛みがさらに増し、彼女の手がミチミチと締め付ける音が聞こえてくる。


「ダメだ。離したら逃げる。さあどういう事か説明して「それは姉様の方でしょう」……あっ」


 俺を力ずくでも問い詰めようとしてきたアイリスだが、横から聞こえてきたソミアちゃんの声にようやく現状を理解する。

 

「姉様、どういう事ですか? 私はついてきちゃダメって言いましたよね?」


「あっ、いや、その……」


 ジト目でアイリスを睨みつけるソミアちゃん。一方、姉のはずのアイリスディーナはただオロオロするだけだった。


「おまけにマルスさんやティマちゃんまで巻き込んで……姉様、間違いはどっちの方なの?」


「い、いや。だから私はソミアが心配で「問答無用です」」


 ソミアちゃんの説教タイムが始まった。そう言えば俺も彼女と初め会った時に野良猫のクロと喧嘩して彼女に説教をされたなぁ……。

 目の前で11歳の妹に詰め寄られてタジタジになっているアイリスを横目に、俺は袋から飴を一つ取り出して口に含む。

 説教されているアイリスが涙目で俺の方を見てくるが、俺はワザと視線を逸らして見ないふり。今日はソミアちゃんの味方をすることにした。

 

「よう、ノゾム」


「こ、こんばんは。ノゾム君」


「ああ」


 アイリスと一緒にいたマルス達が茂みから出て来て声を掛けてくる。やっぱりまだ一緒にいたんだな。


「なんだか大変そうだったな」


「ああ、アイリスディーナの奴、俺達の話なんて全然耳に入っていなくて……ってやっぱり気付いていたのかよ」


 俺はマルスの言葉を肯定するように頷く。


「ああ、でもソミアちゃんは気付いていなかったみたいだし、バラしたらその時点でデートがダメになると思ったからね。でもソミアちゃんを心配するアイリスの気持ちも分かるから。せめて遠巻きに見守るぐらいにして欲しかったんだけど……」


「アハハ……」


 ティマの口から渇いた笑いが零れる。今日の親友の暴走にもう何を言ったらいいか分からないんだと思う。

 ソミアちゃんにキスされたって言っても、キスされた場所は頬。彼女としても恋とか愛というよりも親愛といった感情なんだと思う。

 でも誰よりも妹が大事なアイリスの事だ。目の前で頬にとはいえ、妹のキスシーンを見せられれば落ち着いてはいられないよな。


「まったく。姉様は何を考えているんですか!」


「うう……」


 妹の前でショボンと肩を落としているアイリスディーナ。いつもの凛とした姿は欠片も感じられないが、俺は正直そんな姿に頬が緩んでいた。ソミアちゃんが抱えていた悩み。少しではあるけど吹っ切れたみたいだったから。


「そうだ姉様。こんな事をしたんですから、そんな悪い子な姉様にはお仕置きがあってしかるべきですよね」


「お、お仕置き!?」


 お仕置きと言われたアイリスディーナがガバッと顔を上げる。


「はい。そもそも今回のデートは私がノゾムさんを誘ったんです。そして姉様は私に誘われただけのノゾムさんに八つ当たりをしたんですから、ノゾムさんにお詫びをするのは当然です」


「な、なにをすればいいんだ?」


 アイリスが緊張した様子でソミアの言葉を待っている。


「簡単です。今度の特総演習の2日目、ノゾムさんとパーティーを組んでください」


「「……え?」」


「ノゾムさん、いいですか? ちなみに、姉様に拒否権はありません」


「ええっと。俺はいいけど……」


 俺はチラリとアイリスに視線を向ける。彼女はなぜか紅い顔をすると慌てて顔を逸らしてしまった。


「姉様、いいですね」


「あ、ああ! 分かった! そ、そういう事だから! ノゾム、よろしく頼む……」


「あ、ああ。よろしく……」


 俺は言葉を詰まらせながら手を差し伸べてくるアイリスと握手を交わすが、彼女の顔はまだ紅く、握手をした手も何故か震えていた。

 その光景をニコニコしながら眺めるソミアちゃん。もしかしたら彼女は初めからこうするつもりだったのかもしれない。今日は最初から最後までこの娘に振り回されっぱなしだった。


 その後、俺達は日も暮れてきたこともあり、そのまま解散。皆はそれぞれの帰路に着いた。

 ちなみに俺とソミアちゃんをつけていたもう一つの集団はというと……。






「……さて、ノゾム達は公園まで来たか。ノゾムが11歳のソミッちを夜に連れまわすとは思えんし、多分、この場所でこのデートは終わりやな」


「そうだね。今まではなんか普通のデートでイマイチだったなぁ。まあ、アイリスディーナさんの方はかなり面白かったけど」


「…………はぁ」


 アイリスディーナ達の更に後ろから彼らの様子を覗いているフェオ達。結局フェオとミムルは己の欲望の命ずるままに追跡を続けており、彼らの後ろではトムが大きくため息を吐いている。

 この3人の中で唯一の良心と言えるトムは何とかフェオとミムルに止めようと話しかけたが、いくら呼びかけても全くいう事を聞かない獣人2人は彼の言葉を完全に聞き流していた。

 ちなみに飴細工屋でアイリスディーナが変装と呼べないような変装でノゾム達の様子を見に行った時、この2人は周囲の目も憚らず爆笑していた。一番不幸なのはその隣にいた唯一常識人であるトムだろう。彼は自分達に突き刺さる周囲の視線に顔が真っ赤になっていた。

 今、ノゾムとソミアは中央公園のベンチに座って話をしている。


「ん~。やっぱ遠すぎるな。話の内容がさっぱり分からん」


「そうだね。ねえフェオ、アンタの符術でどうにかならないの?」


「ちょ、ちょっと2人とも! こんな所で術を使うつもり!?」


 覗きだけでなく、術まで使って盗聴までやろうとする2人。あまりに非常識な行動の連続にトムの精神力はガリガリと削られていく。


「残念やけど無理や。そのための符はまだ作っとらんのよ。くそ、こんな面白い事があるなら昨日徹夜しても作っとくべきやった!」


 拳を握りしめて本気で残念がるフェオ。このキツネは盗聴用の符を持っていたら迷わず使っただろう。後ろではトムが犯罪にならなくてホッとしていた。


「しかし、黒髪姫の方は随分楽しいことになっているな。さっきから必死にティマとマルスが止めようとしとるが全然話を聞いておらへん。いや~黒髪姫も人の子だったんやな~」


 ミムルもフェオの言葉にうんうんと何度も頷いているが、その顔はだらしないほどにニヤけている。


「でも、いい加減日も落ちてきている。はぁ、さすがにもう何も起きんか……ん? なんや?」


「ん? フェオ、どうしたの?」


 2人の視線の先ではソミアがベンチの腰掛けに立ち、ノゾムと見つめあっていた。次の瞬間、ソミアの顔がノゾム近付き……。


「「きたーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」」


 獣人2人の大声が木霊する。デートの終りにキスをするという情熱的なソミアの行為に2人のテンションは一気に最高潮にまで駆け上った。


「やった! やったでソミッち!!」 


「きゃっほう!! 見てよノゾムの顔!! 完全にソミッちにメロメロじゃん!!」


「お! 堪らず黒髪姫も出てきたで!!」


「修羅場!? 修羅場ね!! よっしゃ、一瞬たりとも見逃すわけにはいかないわよ!!」


 坂を転がり落ちる岩のようにもう止める術もなくひたすら暴走していくフェオとミムル。だが、だが彼らは目の前に広がる光景しか見えておらず、自分達の後ろから忍び寄る運命に気付かなかった。


「……ずいぶん楽しそうね、貴方達。自分達の状況が理解できていないのかしら?」


「「……え?」」


 凛とした鈴の様な声が響き渡る。

 耳に入ってきた聞き覚えのある声に2人は後ろを振り返り……そして絶望を見た。


「貴方達、他の人のデートを覗き見るなんてずいぶんいい趣味しているのね。私、呆れてものも言えないわ」


 蒼く長い髪と尖った耳。スラリと整った容貌には芸術品のような笑顔が張り付いており、同時に凄まじい怒気を振り撒いている。

 フェオとミムルがこの尾行の事を一番知られたくなかった女性、シーナ・ユリエルが仁王立ちしていた。


「な、なんで分ったんや!?」


「嫌な予感がしていたのよ。自分が面白いと思ったことに何でもかんでも首を突っ込む貴方の事だからデートする2人に妙な事をしていないかって」


 シーナの隣ではトムが立っている。おそらく暴走したフェオ達を止める為に、この公園で偶然見かけたシーナを呼んできたのだろう。


 笑顔だった彼女の眼が見開かれる。口元は笑っているけど瞳は完全に怒りに燃えており、その視線を受けたフェオとミムルは小動物のようにガクガクと震え始める。


「それでも今日、ソミアちゃんに譲った貴方の事を見て少し見直したのよ。でも図書館からの帰りで公園に来てみれば何やら騒いでいる人達がいる上、トムが慌てた様子で走ってくるから様子を見に来てみれば……私の見込み違いだったみたいね」


 彼女は次にミムルに視線を向ける。鋭い眼光でシーナに睨まれたミムルは“ヒッ!!”という悲鳴を上げる。


「ミムル。私、昨日言ったばかりよね。“そうしたいから”なんて勢い任せの理由で動いたら大変なことになるかもしれないって……」


「は、はい~~!!」


 シーナの低頭平身するミムル。この場において誰が上位なのかを動物的本能で感じとった彼女はひたすらに頭を下げ、目の前で怒髪天を衝いている親友の怒りを少しでも和らげようとしていた。


「2人とも元気が有り余っているみたいだから、今から訓練に行きましょうか。大丈夫よ。それだけ力があるならきっと一晩中でもいいわよね?」


 だが、今更頭を下げたところで目の前の夜叉が怒りを鎮めてくれるはずもなかった。


「「あ、あの。さすがにそれは……」」


「……何か言った?」


 にこりと笑みを深くして声だけは優しく話しかけるシーナ。これ見よがしに片手で何かを握りつぶす動作をしているあたり、口答えをすればタダでは済まない。これ以上の怒りを買うことが目に見えた2人は即座に頭を地面に擦りつけて許しを乞う。


「「も、申し訳ありません!!」」


「大体、貴方達は!!」


 そして始まる説教地獄。何時彼らがその地獄から解放されたかは定かではないが、彼らを心配して様子を見に行ったトム曰く、同じ言葉を繰り返す人形のようになっていたそうだ。



いかがだったでしょうか。本来は閑話として書く予定だった話ですが、うまく書けていることを願うばかりです。

今回書いてみたら結構ボリュームがありました。いつもの2倍以上の字数。なんだか最近どんどん一話あたりの字数が増えていってます。やっぱり登場人物が増えたせいなんでしょうね。

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[良い点] とてもよいです。英語で言えばExcellentです。アイリスのダークサイドが面白く描写されていてよいです。
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