第5章第9節
お待たせしました、第5章第9節投稿しました。
また、第5章第8節に文末にワンシーン追加しました。
「………うぁ!」
早朝のソルミナティ学園男子寮。
普段ならまどろみの中、窓から差し込む朝日で覚醒を迎えているこの部屋の主は、再び悪夢に跳ね飛ぶように起きていた。
彼の顔色は病人のように蒼白で、着ていたシャツは全身から出た脂汗でじっとりと濡れており、彼の体にベットリと張り付いている。
「うっ!!」
彼、ノゾム・バウンティスは張り付いたシャツの気持ち悪さと、つい先程まで見ていた悪夢による嘔吐感から口元を押さえながら洗面所に駆け込み、冷たい水で顔を洗う。
「……ふぅ」
全身に張り付いたシャツを脱いで体を濡らしたタオルで拭くと、少しではあるが気分が良くなってきたのか顔色も良くなってくる。
だが、彼の目の下にはくっきりと隈が出来ており、彼が全く休めていないことが伺えた。
(……最近、あの夢を見る間隔が短くなってきている)
ノゾムは寝不足でズキズキと痛む自分の頭を押さえながら、あの悪夢の事を考える。
今まであの赤い夢を見るのは1週間に1度くらいだったが、最近になってその間隔が徐々に短くなってきていて、かつ鮮明なものになってきており、確実にノゾムの精神と体を蝕み、疲弊させていた。
(どうすればいいんだ?このままじゃ……)
ノゾムの心に焦りが募っていく。
(龍殺しの事をアイリス達に話すか? でも……)
アイリス達に話せばこの不安も少しは和らぐかもしれない。
そう思ったノゾムの脳裏に蘇えるのは自分が森でキクロプス達を虐殺したときの光景。
あの時、ノゾムは確かに怒りに呑まれていたが、それでも自分の意思で龍殺しの力を振るった。
自分の中で見ないようにしてきた、しかし確かに存在していた怒りや憤り、そして憎しみ。
それらをただ吐き出す為に、自ら進んで虐殺を行った。
「っ!!」
その時の事を思い出してしまうと、ノゾムは龍殺しの事をアイリス達に話すことがどうしてもできなかった。
自分が取り込んでしまった大きすぎる力。それが彼女達に向いたらどうなるかを見せつけられてしまっているから。
そして森での所業を知られてしまったら、彼女達に拒絶されてしまうかもしれないという不安が彼の足を鈍らせていた。
増大し続けるティアマットと暴走してしまうかもしれない自分。そして拒絶に対する恐怖は既に複雑に絡み合い、疲弊したノゾムにはもうどうすることもできなくなってしまっていた。
それでもノゾムは制服に袖を通し、鞄を持つと部屋を出て学園に向かう。
不安があっても、恐怖があっても、彼女達と一緒にいるときだけはこの恐怖を忘れることが出来たから。
(都合のいい……結局俺、まだ逃げているだけじゃないか)
だからノゾムは学園に行く。
たとえそれが逃避だと自身で気付いていても。
ノゾムが登校途中でアイリスディーナ達を見かけた時、彼女達は既に全員が集まっていた。
「(フゥ……)おはよう、みんな」
自分の中の不安を悟らせまいと一拍置いて呼吸を整えてから、彼女達に挨拶をするノゾム。
「お、おはよう……」
「あ、ああ」
「お、おはよう。ノゾム君」
「よう、ノゾム!」
「「「おはよう。ノゾム君」」」
ノゾムの姿を確かめた友人達が彼に挨拶を返してくるが、その中でアイリスディーナ、マルス、ティマから帰ってきた返事は何処となくぎこちないものだった。
その様子にノゾムは自分の中の不安に気付かれたのかと不安になる。
「あ、ノゾムさん、おはようございます!」
ノゾムが内心不安になっているのを余所にソミアが元気な挨拶を返してくる。
その様子を見る限り、彼女は先程のノゾムの態度に疑問は持っていないようなので、少し安心しながら挨拶を返す。
「おはようソミアちゃん。ところで……みんなどうかしたの?」
「マルスさんとティマさんは今日ここで会った時からこんな感じでしたよ? 姉様は……まぁ、大丈夫だと思います」
ソミアの曖昧な返事に首を傾げたノゾムはまずアイリスに視線を向ける。
「アイリス、大丈夫か? 何か様子がいつもと違うみたいだけど……」
「あ、ああ。大丈夫だ。体調は悪くないし、別段問題はないよ。うん」
ノゾムがアイリスディーナに声を掛けるが“問題はない”という彼女。
確かに顔色が悪いというわけではないし、足元がフラついているわけでもない。
「……そうか? マルス達もなんだか変だけど、どうかしたのか?」
「いや、なんでもねえ」
「う、うん。体は別に問題ないよ」
ノゾムは雰囲気のおかしい2人を心配して様子を尋ねるが、マルスもティマも“何でもない”と言い張るだけで全く要領を得ない。
「なあノゾム。昨日の話なんやけどちょっとええか?」
「え? いきなりなんだ?」
ノゾムがどうしたものかと首を捻っている時、突然フェオに声を掛けられた。
朝からノゾム達の間には妙な空気が漂っているにも拘らず、目の前の狐尾族の少年は陽気な笑顔でその空気を無視していた。
フェオには何かと振り回されることが多く色々大変な目にも合っていたノゾムだが、彼の持つ呑気かつマイペースは変な雰囲気になりかけていたこの場の空気を吹き飛ばしたため、今この場においてはまさに助け舟だった。
「昨日、特総演習でワイと組むことになったやろ? せやからワイもノゾム達の訓練に参加させてくれへんか? 演習まで後数日しかないけど、互いの息は合わせておきたいんよ」
ノゾムはフェオの提案に頷く。
確かにパーティーを作る以上、組む相手の得意不得意は把握しておく必要がある。
「……そうだな。それは確かに必要か。皆もいいかな」
「そうね。私もノゾム君とフェオが戦うまで彼がこんなにできるなんて分からなかったし、仲間の能力を再確認する意味でも一緒に訓練したりする必要はあるわね」
同じパーティーになっているシーナもまたフェオの訓練参加を了承する。
ノゾムは他の仲間達を見渡してみるが、皆一様に頷き、反対する者はいない。
「よし! 決まりやな。皆、これからよろしゅう」
ノゾム達の答えに満足したフェオが改めてその場にいた皆に挨拶をする。
「フェオが入るなら中盤の層は厚くなるわね。私は後衛に徹することが出来るし、トムやミムルも自分の役割に徹することが「あ、ごめんシーナ。2日目は私達、別の人と組むつもりだから」えっ!?」
フェオが参加したときの陣形を考えていたシーナだが、ミムルの突然の発言に驚きの声を上げる。
シーナがトムの方に視線を向けると、彼もこの件についてはミムルの意見に賛成なのか、黙って頷いていた。
「だって、折角他の階級の人と組めるんだよ? この機会に色々経験を積む意味でも、私達、それぞれ別の人と組んでみるべきじゃないかな?」
ミムルの一言のシーナは思い出したように頷く。
元々ノゾム達と訓練し始めたのは、いろんな人との訓練を通じて経験を積むことで、役割が固着しがちな自分達のパーティーの弱点を克服しようと思った事が目的の1つだった。
それを考えればミムルの判断は正しく、必要な経験を積む意味では非常に有益だ。
「そうね。確かにミムルの言うとおりの方がいいわね。だとすると私が完全に後ろに下がって……」
自分達の目的を再確認したシーナは、すぐさま自分の頭の中で陣形を修正していく。
「で、マルス君達にお願いなんだけど、2日目は私達と組んでくれないかな?」
「は? 俺が?」
「え? 私も?」
「うん。いいかな?」
「ええっと……」
ミムルの視線を受けた2人は少し考えるようなそぶりを見せるが、パーティーを組むこと自体に異は無いらしい。
ただティマはアイリスディーナの方が気になるのか、彼女の様子を窺うようなそぶりを見せている。
彼女は普段アイリスディーナと組んでいるため、普段のパートナーの意見を聞こうとしているようだ。
「ええっと、そうだな、うん。い、いいと思うぞ」
ティマの視線で彼女のやり取りでアイリスディーナは思う所があるのかチラリとノゾムに視線を向ける。
だが、結局彼女はノゾムに何かを言う事はできず、そのまま流される様にミムル達と組むことを決めてしまった。
「はぁ、姉様、しょうがないな……」
そんな姉の煮え切らない態度に肩を落としたソミア。
彼女はため息をつきながら肩を落とすが、何かを決意したのか、キッとノゾムを見つめる。
「え? えっと……ソミアちゃん、何か用?」
ソミアの強い視線を向けられたノゾムが何事かと彼女に尋ねる。
周りにいた他のみんなも彼女の只ならぬ雰囲気に黙りこくってしまい、いつの間にか小さな11歳の少女に注目していた。
「ノゾムさん。いきなりこんなことを言うのは失礼かもしれませんけど、今日の放課後、お時間いただけますか?」
「えっと今日? さっきも言ったけど特総演習が近いから今日はみんなでその準備をしようと思っていたけど……」
ノゾムが暗に予定があるから難しいというが、それでもソミアは真っ直ぐにノゾムを見つめてくる。
ソミアが何を考えているかノゾムには分からかったが、それでも彼女が引く気が無い事は分かった。
「ええっと……」
「ソミア、ノゾム君は予定が、「いいですか? ノゾムさん」ソミア……」
どうしようかと悩むノゾム。
その様子を見ていたアイリスディーナが引く様子の無いソミアを諌めようとするが、それでもソミアはそれでも引こうとしない。
2人の姉妹の雰囲気が徐々に重くなっていく中、口を開いたのはノゾムと組んだはずのフェオだった。
「ふ~ん。ええんやないか別に。見たところソミっちの用事はかなり重要な物みたいやし、今日の所は彼女に花を持たせてもええんやないか、ノゾム」
彼は今日の所は彼女に付き合ってやれとノゾムに言う。
「え?」
「ちょっとフェオ。貴方、自分から彼に組んでくれって頼んだのにちょっといい加減じゃないかしら」
フェオの言葉に苦言を漏らすシーナ。
生真面目な彼女は自分から組んでくれと申し入れた以上、自分からできるだけのことはすべきであり、今し方約束した訓練をいきなり放り出すのはどうかといっているのだ。
「まあまあ。シーナも今のソミっちの目、見たやろ。少なくとも彼女は自分が無理言っているのは理解しとる。その上でどうしてもノゾムに付き合って欲しいんよ」
フェオは詰め寄ってきたシーナを自分の手で抑えるような仕草をしながら彼女に
「それは、分かるけど……」
フェオの言葉に口を噤むシーナ。
彼女も先程のソミアの様子から、真剣な話だとは理解していたのであまり強く詰め寄ることは出来なかった。
フェオはもう1人の相方の様子に頷くと、ソミアと再び向き合う。
「そういうことや。というわけでソミっち、ワイらの事はええから、今日はノゾムを持って行ってええで」
「お、おいフェオ「ありがとうございます! ノゾムさん、いいですか!?」……分かったいいよ。それで、用事って?」
戸惑いの声を上げたノゾムだが、キラキラした目で見つめてくるソミアに苦笑を漏らしながらも、放課後付き合うことを了承する。
だが、改めて彼女の頼みを聞こうとしたノゾムに、ソミアは特大の爆弾を投げ込んできた。
「今日の放課後、私とデートしてください!!」
ソミアの言葉にその場にいた全員の時間が止まる。
呆けた様な顔をしていたノゾム達だが、耳に入ってきた言葉を徐々に理解していく内に顔が驚愕の色に変化していった。
「「「「は? え? ええ~~~!!」」」」
そして木霊する大絶叫。
道端の木々で早朝の朝日を浴びながら、囀っていた小鳥達が何事かと一斉に飛び立った。