第5章第8節
7月21日、文末にシーナサイドのお話をちょっと追加しました。
休日の午後の昼下がり、ノゾム達は午前中に外縁部で鍛錬した後、牛頭亭で昼食を取り、しばしの間寛いでいた。
元々鍛錬の予定ではなかったのだが、先日フェオの決闘騒ぎによりその日は十分な鍛錬を行うことが出来なかったので、この日ノゾム達は再び集まり鍛錬を行ったのだ。
ただ彼らの側にエナはいない。店に客がいないときは彼女もノゾム達の輪に加わるのだが、牛頭亭の中は昼過ぎにもかかわらず遅めの昼食を取る人で席は埋まっており、働き者の彼女は未だに給仕の仕事に追われていた。
マルスも手伝おうとしたのだが、エナに「訓練してきたんだから、しっかり休んでからにしなさい」と言われ、今は休息を取っている。
「それにしても、この間は散々だったな。ノゾム」
「アハハ……まぁね。前々から妙な視線は感じていたし、何が目的なのかと気にはなっていたけど、理由が完全な興味本位でしかもそれだけであんな騒ぎまで起こすなんて……」
ノゾムがマルスの声に乾いたような笑いと共に答える。
「確かに、狐尾族はかなり気まぐれなことで知られているけど、僕はあんなに生き生きとしているフェオは初めて見たよ」
「しゃあないやんか。気になったらトコトン確かめないと気が済まない性分なんやから」
フェオと同じクラスのトムが、日頃の彼とノゾムの決闘を仕掛けた時のフェオの違いを改めて口にした。
傍にいたフェオはその顔に常に浮かべている胡散臭い笑顔を張り付けたまま、頭を掻いていた。
「でもいきなり殴り掛かるのはどうかと思うぞ。ノゾムのことを知りたいのならキチンと話をして友人になってからでも良かったはずだ」
「ま、まあワイもちょっと気張りすぎていた所もあったんやけど……それを言われるとちょっと辛いわ」
だが、ちょっとは反省しているのだろう。アイリスディーナの厳しい一言に、フェオはちょっと気まずそうにしながら視線を空中に泳がせる。
「……ところでフェオ、聞きたいのだけど」
「ん? なんや?」
シーナが思い出したかのように口を開くと、フェオは何事かと彼女の方に視線を向けた。
「……何であなたここにいるのかしら?」
「…………」
「…………」
一瞬で空気が凍った。
ノゾムが思い出す限り、フェオは午前中の鍛練には来ていなかった。
にもかかわらず、彼はいつの間にかノゾム達の席の隣に座っていたのだ。
「……そう言えば、違和感なかったけど何でここにいるんだ?」
「え? 何で居ちゃいかんの?」
「何でって……」
なんでここにいるのかを問うシーナだったが、逆に問い返されて言葉に詰まってしまう。
「まあ、ええやないか。ワイかてキッチリ罰は受けたんやさかい」
「……それ、自分で言うことじゃないと思うけど……」
「まあ、良いんじゃないかな? 確かに本人が言うのもどうかと思うけど……」
何だかんだ調子のいいことを言っているフェオだが、別に断る理由も特にないのでノゾムは同席を了承する。
他のメンバーも呆れ顔ではあるが、嫌悪感は持っていないようだ。この辺りは彼の人柄もあるのだろう。
色々騒動を起こしてしまうようだが、基本的に悪意や害意が無いフェオ。子供の様に純粋ゆえに掴みどころがないが、妙に憎めない奴だった。
「そう言えば話は変わるけど、そろそろ“特総演習”の時期だな」
「あ、そう言えばそうやったな。それで最近、教室の中が妙にピリピリしていたんか」
“特総演習”とは特別総合演習授業の略称で、この時期に行われる特別な授業のことだ。
普段別々に授業を行っている各階級の生徒達だが、この授業については階級の隔たりは関係なく、1つの学年すべての生徒を集めて行われる。
この演習は2日間に渡って行われ、各生徒達はそれぞれパーティーを組み、指定された演習区域の中で様々な課題をこなしながら得点を獲得していく授業である。
初めの1日目は同じ階級内でパーティーを組んでそれぞれの課題に当たり、2日目からは階級には関係なく自由にパーティーを組むことが出来る。
課題の内容は様々で、指定された物や人物を護衛するものや、特定の演習目標の撃破、指定物の発見と確保など多岐にわたる。
だが、それ以上にこの演習の特筆する点は他のパーティーの妨害も許可されているのだ。
護衛の課題なら護衛の妨害に成功したパーティーにポイントが与えられ、特定の演習目標の撃破や指定物の発見は基本的に早い者勝ちである。
当然、あちこちでパーティー同士の戦闘が繰り広げられることになるが、もし敗れて戦闘不能となると、今まで稼いだポイントはすべて無くなってしまうのだ。
しかも最終的に持っていたポイントはそのままこの授業の得点として成績に反映されるため、自分達の獲得したポイントを死守しようと、みんな必死で戦うことになる。
「……ずいぶん前に通知が来ていたと思ったのだけど?」
「いや~。ノゾムのことで手一杯ですっかり忘れとったわ」
アハハハ、と頭をかきながら笑って誤魔化そうとするフェオ。
成績に直接反映する授業を忘れることは普通に考えればあり得ないと思われるが、この男の場合、彼の視線は常に自分の興味のある対象に固定されてしまっており、身を以てその事を知ったこの場のメンバー達は一様にため息を漏らすだけだった。
「……つまり初日はノゾムとも敵同士ということか」
「そうね。初日のパーティーは同じ階級内で組むから必然的にこの場にいる人間は3組に分かれるわね」
2人の乙女の視線がノゾムに向けられる。
その視線にノゾムは彼女達の可憐な容姿からは考えられない覇気を感じ、自然と背筋が伸びる。
まさしく花と呼ぶに相応しい彼女達だが、やはりソルミナティの生徒であり、一流の戦士のとしての存在感を徐々に身につけ始めていた。
「……お手柔らかにお願いします」
「いや、本気で行くよ。君相手だと油断は出来そうもないし」
「そうね。こんな機会は滅多にないから、全力でお相手させていただくわ」
「ア、アハハハ…………」
全身からやる気を溢れさせ、宣戦布告とも取れそうな宣告をしてくる彼女達にノゾムは少し抑えた発言をするが、アイリスディーナ達をなだめる事は出来ず、逆に彼女達の勢いに完全に飲まれてしまい、乾いた笑い声を漏らすしかできなかった。
ある意味ノゾムに熱い視線を送っていた2人だが、アイリスディーナが突然、何かを思い出したかのようにノゾムに話しかけてきた。
「ノゾム、初日は良いけど、2日目はどうするんだい?」
「え?」
「ふ、2日目だ。2日目はパーティーを組むのに制限はないんだし……」
確かに2日目には階級によるパーティーメンバーの制限はなくなる。
だがノゾムは交友関係が狭いので、とりあえず2日目もまずマルスに声をかけようと思っていた。
「そ、その。もし良かったら、一緒に……」
「あっ!!」
アイリスディーナがノゾムを誘おうとノゾムに声をかける。それを聞いたシーナが慌てたような声を漏らしたが、かまわず言葉を紡ごうとするアイリスディーナ。
「なあノゾム、ワイと一緒にやらへん!?」
「組んで……え?」
しかし、アイリスディーナが意を決してその言葉を伝えようとした瞬間、彼女の声は突然横合いから話しかけてきたフェオの大声に潰されてしまった。
2人に先を越されたシーナも先を越そうとしたアイリスディーナも、その突然の横やりに呆気に取られ、呆然としてしまっていた。
「え? フェオと?」
「そうや! なんか話を聞いていると2人とは色々やったことは有るみたいやし、今度はワイと組んでみんか? ワイはこう見えても色々出来るし、この間の決闘の時の動きを見る限り、相性は悪くないと思うんやけど!?」
「ま、まあ、良いと思うけど……」
ノゾムが遠慮しがちに了承する。確かにパーティーに人数制限は特にないし、フェオの実力は十分頼りになるものだと知っているので、彼は別にフェオが参加することに否はなかった。
ただ、横合いから竜もかくやというようなもの凄いプレッシャーが放たれている。
ノゾムは背中に冷や汗が流れるのを感じていたが、そんなノゾムに対してそのプレッシャーを向けられる原因となったフェオ本人はというと……。
「よっしゃ! 決まりやな。じゃあ2日目はよろしゅう……ん?何や2人とも、そげな怖い目つきして?」
そこまで話しを進めたところでフェオはようやく自分を見ているシーナとアイリスディーナに気づいた。
「…………別に、何でもないさ」
「そうね……何でもないわよ」
「ん、そうか? じゃあ! ノゾム、また学園でな~~」
2人のプレッシャーを気づいていないのか、はたまた意図的に無視しているのか、言いたいことだけ言ってさっさと店から出て行くフェオ。荒らすだけ荒らしていなくなる様は正しく竜巻か嵐のようだが、これに割を食ったのはノゾムだった。
「えっと……2人とも、その、どうかしたの?」
「……何がだい?」
「そうね、別に何ともないんだから気にしなくてもいいわよ?」
「ええっと……」
絶対零度の視線を受けて縮こまってしまうノゾム。
なんとかこの空気をどうにかしようと、萎えてしまいそうな気力を沸き立たせて言葉を紡ぐ。
「そ、その……2人とも。もしよかったら2日目、パーティーに入ってくれないか?」
「別に私達は要らないだろう。良かったじゃないか。頼りになる人が入って」
「…………」
ノゾムの頼みをたった一言で突き返す黒髪の乙女。そのあまりにクリティカルな精神攻撃はどうにか耐えていたノゾムの心を羽虫のように踏みつぶし、バッサリ切り返されたノゾムはズ~ンと肩を落として机に突っ伏してしまう。
シーナの方も内心面白くないのか、以前の彼女の様に冷たい視線をグサグサとノゾムに突き刺してくる。
彼としてはパーティーに人数制限は無いのだから、別にフェオが参加するのはかまわないと思っていたのだが、どうやら彼女達はそうではなかったようだ。
「はぁ……ノゾムさん、何やっているんですか……」
そんな情けないノゾムに呆れたような声を漏らすソミア。
ノゾムはシーナの方にも目を向ける。先程の態度を見る限り断られるだろうと思っていたのだが……。
「……いいわよ」
「……え!?」「……は!?」
シーナの言葉にノゾムとアイリスディーナが驚く。
先程の態度からノゾムもアイリスディーナも彼女もまたノゾムの誘いを断ると思っていたからだ。
「パーティーに入ってもいいと言ったのよ。貴方なら前衛を任せられると思うし……なに?不満があるなら別にいいのだけど」
ノゾムはシーナの言葉に慌てて首を振る。
「そう、じゃあ決まりね」
「…………」
ノゾムの了承に機嫌を良くしたのか表情を和らげるシーナだが、それとは対照的にノゾムに向けるアイリスディーナの視線は極寒の寒波並に冷たくなっていた。
「……はぁ」
傍からその様子を見ていたソミアはどうしようもない2人に呆れて、もはや溜息しか出なかった。
その時、マルスがスクッと立ち上がった。
「……悪い、少し用事を思い出した。エナ、そう言う訳だからちょっと出てくる。夕飯頃には戻って店を手伝う……」
「あっ! ちょっとお兄ちゃん!?」
マルスは一言だけそう言うと、それ以上何も言わずに店を出て行く。
店を出て行った彼はなんだか難しい顔をしており、声をかけたエナにも何も言わなかった。
「……マルスの奴、どうしたんだ?」
「さぁ?」
「……あ。ゴ、ゴメンみんな、私も用事を思い出したから……」
ノゾム達が首を傾げていると、ティマもまた何かを思い出したかのように慌てて店を出て行った。
「ど、どうしたの?ティマさんまで……」
「……まあ、大丈夫だろう。多分、昨日学園で忘れ物をしたから取りに行ったんだ」
みんなが首を傾げている中、アイリスディーナとカウンターの中で仕事をしながら聞き耳を立てていたハンナだけが納得したような顔で頷いている。
その後はすぐに解散となったのだが、結局アイリスディーナはノゾムに対して終始冷たいままだった。
ノゾム達と別れた俺が向かった先は、昼間みんなで鍛錬していた外縁部。
俺は外縁部に到着するとすぐさま背中の大剣を引き抜き、素振りし、一度冷えてしまった体を温め始める。
「ふっ! はっ! ゼア!!」
一気に頭上から真下に振り下ろすと、そのまま反転して薙ぎ払い、その勢いのまま再び正面に向き直ると大剣を振り上げる。
そのまま剣を振り続けながらも徐々に剣速を速め、それに合わせて体を機敏に動かしていく。
俺が剣を振るうたびに、ブオン!ブオン!と大気が唸りを上げ、引き千切られて掻き回された空気が俺の髪を撫でていく。
未だに高い太陽は、春にも関わらず容赦なく照りつけ、俺もまた全力で剣を振るい続ける。
髪を撫でるだけだった剣風は徐々に強くなり、やがて突風にも等しいほどの風を生み出すようになった。
やがてその剣風は額に浮かぶ汗を吹き飛ばし、地面に生える草を剣圧だけで押し倒すようになる。
「ハア!ハア!ハア……」
どれほど剣を振り続けていたかは分からないが、やがて息が切れるようになり、徐々に剣速が落ちていく。
俺は今一度大きく剣を振りかぶり、唐竹に振り下ろすが、剣が地面に振れる瞬間、全身に筋肉を総動員して落ちる剣を止める。
振り下ろされていた剣は地面にぶつかる瞬間にその動きを止め、代わりに剣圧による風だけが土を巻き上げ、地面を這うように走っていく。
「ハア、ハア、ハア……フゥ~~」
俺は剣を振り下ろした姿勢のまま息を整えると、再び青眼に剣を構える。
ゆっくりと大剣に気を送り込みつつ、同時に魔力を解放する。
気と魔力。異質な2つの力を同時に感じながら、俺はまず気術“塵風刃”を展開。気によって生じた風が大剣の周りを渦のように巻き始め、やがて大剣に風の刃を纏わせる。
続いて風の渦の中心を通すように大剣に魔力を込めながら、同時に強化魔法を詠唱。大剣の刀身に強化魔法を施す。
刀身に込めた魔力で大剣が徐々に光を帯びていくが、魔力を込め始めてしばらく経った時、塵風刃の風が不規則に揺れ始めた。
「くっ!」
すぐさま不安定になった気術を持ち直そうと気を送り込むが、今度は刀身に込めた魔力が揺らぎ、魔法が不安定になっていく。
「くそ!!……うわ!!」
慌てて魔力を注ごうとするが時既に遅く、施した強化魔法は霧散し、空中に散った魔力が塵風刃に干渉してしまった。
不安定になっていた気術はその形を維持することが出来なくなり、風の刃が周囲に拡散。周囲の草木を無差別に切り飛ばし、俺の体にも裂傷を刻む。
「グッ!!」
体に走る痛みに声を押し殺しつつ、痛みに耐える。
裂傷自体は深くはなく、出血もほとんど無いが、傷以上に悔しさと焦りが心の奥で首をもたげてくる。
「くそ!」
上手くいかない。
そもそも気術と魔法の同時併用を思いついたのは、ノゾムやアイリスディーナ達を出会ったことがそもそもの始まりだった。
俺自身それまでは敵に魔法を使う奴がいても、魔法を使われる前に斬ればいいと思っていたし、俺の気量なら魔法も十分に対処できると思っていた。
だがあいつらと出会い、自分一人では手も足も出ない敵に出会ったりしている内に今の自分よりもさらに上の存在を身を持って知ることになった。
そして俺が更に強くなるために、無い頭を振りしぼって考えた結果、魔法を使おうと考えついた。
上手くいけば今まで俺がほとんど使ってこなかった魔力を戦力として考えることが出来るようになり、憧れになっていた“自分だけの剣”を手に入れるだけじゃなく、あらゆる意味で戦う術が増えると思っていた。
しかし、自分で考えた気と魔力の併用術は上達する気配が全く見えず、そして焦りだけが俺の中で加速し続けていく。
目の前を走っていくアイツについて行こうと必死に足掻いても、まるで底なし沼に入ってしまったようにズブズブと沈んでいくばかりだった。
「っ!! もう一度だ!!」
悔しさで目一杯歯を食いしばっていた俺はもう一度と意気込んで立ち上がり、傷の手当ても全くせずに剣を構えて術を使おうとしたが、その時最近よく聞く声が耳に入ってきた。
「ハア、ハア。マルス君……やっぱり此所にいたんだ……」
「お前……」
そこにいたのはノゾム達と一緒に店にいるはずのティマだった。
走ってきたせいか、少し顔が紅潮していて、荒い息を整えようと胸に手を当てている。
その姿に俺の心臓がドクンと大きく鳴った気がした。
「……何しに来たんだ?」
「あ……」
なんだかその姿を見るのが恥ずかしくなって、つい彼女から視線を逸らした上、まるで詰問するかのようなぶっきらぼうな口調で尋ねてしまう。
ティマの口から少し寂しそうな声が漏れ、それを聞いた俺もまた胸が苦しくなる。
「その……マルス君、またあの術を練習すると思ったから、ちょっと手伝えないかなって思って……」
「別にそんな事をする必要なんてねぇぞ……」
心配して来てくれた彼女に、俺は恥ずかしさを感じながらも、同時に嬉しさも感じていた。
しかし、俺は特訓が上手くいかない俺はその苛立ちをぶつける様に、心配してくれたティマに対して突き放すような言葉を返してしまう。
どう考えても心配してくれた人に対して向ける態度ではなかった。
「で、でも、手当必要でしょ……マルス君、怪我してる……」
「……ちっ」
そんな態度をとって俺に対しても、ティマの奴は怯えながらも心配することをやめなかった。
彼女の視線は先ほど失敗した術によって付けられた傷に向けられ、まるで自分が負った傷であるかのような表情をしている。
そんな彼女に根負けした俺は舌打ちをしながら無造作に傷の付いた腕をティマに差し出した。
「ちょっと待っててね……」
大人しく治療を受ける気になった俺に安心したのか、まだ表情は硬いものの、少しだけ柔らかい顔でティマは治癒魔法の詠唱を始める。
ティマのかざした手から光が溢れ、俺の体を包み込むと先ほどまでヒリヒリしていた傷の痛みが無くなり、傷口が徐々に塞がり始めた。
その手際の良さに感嘆を覚える。魔力の制御に難があるとは言われている彼女だが、やはりその腕は俺よりずっと上だ。
「……上手いな」
「そ、そうでもないよ! アイに比べたら全然だし……」
アタフタしながら“そんなことない”という彼女。おそらくティマの本来の制御力はティマ自身が思っているほど悪くはないのだろうか。
「……ねえマルス君。なんでこんなに焦っているのか……私、分からないけど……」
「…………」
「やっぱり少し急ぎすぎだと思うよ?もうちょっとゆっくり訓練していってもいいんじゃないかな?」
ティマが控えめながらも自分の意見を口にする。
彼女の言っていることが分からないわけじゃない。俺自身、肝心の気と魔力の併用術は碌に制御できておらず、成功率は1割ほどで、先日の模擬戦でも成功したのは本当に珍しい。
「…………」
ティマがこう言う事は分かっていた。
生まれながらその身に宿る強大な魔力ゆえに、その制御が困難なティマ。
彼女に何があったかわからないが、力を持ちながらも周囲に対して怯える様子を見れば、少なくとも彼女が自身の力で悩み続けていることは馬鹿な俺でもなんとなく察する事ができたのかもしれない。
「……治療は終わったろ。なら下がっていろ。もう一回だ」
「マルス君……」
しかし、心の中で渦巻く焦りは“時期尚早だ”というその判断を容易く塗り潰してしまい、俺は再び訓練するために剣を構える。
チクリと胸の奥が僅かに痛むが、“あいつに追い付きたい”という渇望とも取れる思いと焦りに突き動かされ、俺の耳にはそれ以上ティマの言葉は聞こえて来なくなっていた。
アルカザムの行政区。
ここに建つフランシルト邸で、この屋敷の主であるアイリスディーナとその妹、ソミリアーナが夕食を取っているのだが、その様子はいつもとは違っていた。
背筋を伸ばし、優雅に目の前に並ぶ一流のシェフの芸術品を食すその姿はまさしく選ばれた者のみが持つ気品に溢れているのだが、彼女たちが食事をしているダイニングにはどこか張り詰めるような空気が漂っており、彼女たちのそばに控えるメイド達もその空気に当てられたのか硬い表情をしている。
そんな締め付けられるような空気を作り出している人物。それはこの館の主であるアイリスディーナ・フランシルトだった。
「…………」
私は無言で手に持ったナイフとフォークを動かしている。
いつもならソミアにエクロスで何があったかとか、ソルミナティでこんな事があったとかを話し、休日ならそれぞれ楽しかった事等を思い思いに語って楽しく食事をするのだが、今日の牛頭亭での出来事から私はずっとイライラしていた。
しかし、私は若輩者だがフランシルト家の次期党首。その責任を担う者として、自分の感情を悪戯に表に出して醜態を晒すことはないのだ。
そう、自分の心で反芻していたのだが……。
「ねえ、姉様。そんなにノゾムさんと組みたかったの?」
「ぶっ!!」
ソミアの一言に思わずむせてしまい、いきなり醜態をさらしてしまった。
「ソ、ソミア。いきなり何を……」
「だって姉様、あの時からずっと不機嫌なんだもの。こんな風に」
そう言いながら自分の目尻を人差し指でニュッと吊り上げるソミア。
「ソミア、行儀が悪いぞ。お前もフランシルト家の……」
「姉様、逃げないの」
私は行儀の悪いソミアを諌めようとするが、ソミアはじっと私の目を覗き込むように見つめてきて、私は言葉に詰まってしまう。
昔から私はまっすぐに見つめてくるソミアには弱かった。まるで“守って”と言っているような妹の姿に庇護欲を掻き立てられ、つい言う事を聞きそうになってしまうのだ。
それでも私は醜態を晒すまいと、見つめてくるソミアの瞳を見ないようにして言葉を言い繕おうとするのだが……。
「何を言っているんだ。私は別に不機嫌なんてことは……」
「不機嫌だよ。だって今日帰ってから、みんな姉様に怯えているもの」
あっという間にソミアに逃げ道を塞がれてしまった。
確かに帰って来てから私の姿を見た屋敷のメイドが妙に怯えていて、中には“ひっ!”という悲鳴を必死に押し殺そうとしているメイドもいた。
あえて考えないようにしていただけに、その事実を妹に突きつけられると妙に心が痛む。
「まあ、ノゾムさんもデリカシーにかけるとは思うけど、ちょっと冷たくしすぎたんじゃないかな?」
「むう……」
「おまけにせっかくノゾムさんがパーティーに誘ってくれたのに、断ったのは不味いんじゃないかな?どうやって一緒のパーティーになるつもりなの?」
「ぐうぅ……」
発端はどうであれ、確かにこのままでは彼と一緒のパーティーになることは難しい。あれだけハッキリと断ってしまった以上、彼も既に別の人とパーティーを組むことを考えてしまうかもしれない。
今まであえて気付かないようにしてきた事実に気付いてしまい、私はもはやうめき声しか出なかった。
「……はあ、素直に謝ってしまえばいいのに。それともまだ気になることがあるの?」
「それは……」
自分の中にあるノゾムに対する不安と不満。
ノゾムとリサ君達との間にかつてあった絆を感じた時の不安と彼が自分の事を隠していることに対する不満。
そしてそれに踏み込めない自分自身に対する不満。
真っ直ぐにノゾムに尋ねることが出来たらどんなに良かっただろうか。
「君の事を聞かせてほしい」
その一言をそのまま彼に伝えることが出来たらそんなに楽だっただろうか。
そうしたら彼の事をもっと知ることが出来ただろうに。
それでもどこか踏み込むことに躊躇してしまっている自分もまたいる。
以前保健室でノルン先生と話をしたことで幾分か和らいだが、それでも私の心の中で燻り続けていて、消えたわけではなかった。
今日、牛頭亭でノゾムに突っかかってしまったのも、もしかしたらそんな私の心の奥底の闇が顔を覗かせた所為なのかもしれない。
「それでどうするの、姉様?ノゾムさんをもう一度誘うの?」
「それは……」
胸の奥底に眠っていた種火は再び燃え上がり始め、私の心を焦燥で染め上げていく。
ソミアの問いに答えられないまま、私はただ悶々と答えの出ない問いを自分に問いかけ続けるしかなかった。
女子寮のとある一室。
そこで寝巻に着替えた2人の女の子がベットの上でお喋りに興じていた。
「ねえシーナ。シーナは彼の事どう思っているの?」
「誰?彼って?」
「ノゾム君の事だよ。気にかけているみたいじゃん!!」
ニシシッとちょっと不気味な含み笑いをするミムル。
なんだかまるで鬼の首でもとったかのような顔にちょっと嫌な予感がするが、改めてノゾム君の事を考えてみる。
初めは彼の噂を信じていたせいか、彼に対する心情は最悪といってよかったけど、あの黒い魔獣の一件でそれは大きく変わっていた。
卓越した刀の技量と気の制御力、そして冷静な判断力。
特に気術についてはあの黒い魔獣の柔軟で強靭な肉体を斬ることも出来ていた。
その皮膚はミムルがトムの力を借りなければ傷をつけられず、私の矢も表面に刺さりはしても貫通できなかったことを考えると、その技の冴えは私達学生の領域を超えているのではないだろうか?
そして、私が噂を鵜呑みにしてあれだけ酷い事を言ったにも拘らず、単独行動をしてしまった時には助けに来てくれたこと。
それを考えれば彼という人物は十分信用できるだけの実力を持ち、かつ人柄的にも信頼がおける人だという事は分かった。
「初めは確かに良くは思っていなかったけど、今は違うわ。彼の実力や人柄があの噂とは全く違うのだと知っているし、背中を預けられるとも思っているけど……」
だからこそ特総演習で彼と一緒にパーティーを組むことにしたのだ。
実力、人柄に問題が無く、何より私はミムル達以外の人間とほとんど組んだことがない。
これから先、故郷を取り戻すときには様々な人の力を借りていくことになると思うし、私自身もっといろんな経験を積まなければならない。
そう考えた私の脳裏に浮かんだのはあの森で黒い魔獣と初めて遭遇した時、誰よりも素早く、的確に動いていたノゾム君の姿だった。
私自身の戦闘における立ち位置はどちらかと言えば後衛だ。
より広く戦況を見ることができ、仲間達にもっと的確な指示を送ることが出来るようになれば、間違いなく私自身にとっても、仲間達にとっても大きな力になる。
その為に私はどうしてノゾム君があそこまで的確な判断が出来たのかを知りたいと思っていた。
「まぁ、それは私も知ってる。ノゾム君と本気でやり合ったら私も危ないもん」
ミムルは黒い魔獣と戦った時に私が精霊魔法を使うために契約を行っている間、彼と一緒に魔獣の足止めをしていてくれて、その後、私が精霊魔法で拘束したかの魔獣にトドメを刺そうとした時もフォローしてくれた。
あの場にいた私達3人の中で彼に一番近い場所でその戦いを見ていたのがミムルであり、彼女もまたノゾム君の実力を理解している。
そしてこの前のフェオとの一騎打ち。
私自身フェオの実力は高いとは思っていたが、あの時見せたはフェオの実力は間違いなく1階級でも十分に通用するレベルであり、普通に考えれば10階級に所属している生徒など唯の一撃で沈めてしまうだろう。
しかし、ノゾム君はそのフェオ相手に善戦した。
それを考えれば、彼の実際の実力は十分に1階級に並ぶ……いや、剣の技量や判断力なら上回っていることは十分に理解できた。
「うん、ノゾム君相手に普通に接近戦をしたんじゃ下手をしたら手玉に取られるね。一番確実なのは獣化使って一気に押し切ることかな、もしくは魔法で遠距離から仕留めるか……ってそうじゃない! 今聞きたいのはノゾム君の実力についてじゃなくって、シーナの気持ちだよ!?」
「……どういうこと?」
正直、私はミムルが何を聞きたいのか分からなかった。
「つまり! ノゾム君に恋愛感情を抱いていないのかって事!?」
恋愛感情……。
「……どうなのかしら?」
「あれ? なんか思ったよりも淡白な反応」
「……一体ミムルは何を期待していたのかしら?」
私がミムルの予想とは違う反応をしたせいなのか、首を傾げるミムル。
正直私の方が首を傾げてしまうのだけど……。
「それはやっぱりあれだよ。彼の顔が頭から離れない! とか胸が苦しくて夜も眠れない! とかあるんじゃない? 昼間だってノゾム君を誘おうとしたらフェオに先を越されて不機嫌になっていたよね?」
「それは……」
昼間の事を想いだしてちょっと恥ずかしくなり、ミムルから視線を外して明後日の方を向く。
「……正直、どう思っているかは分からないわ。こういう話、私は縁が無かったから」
あの時は確かにムカムカしてしまったのだけど、私自身彼をどう思っているのかと聞かれても私自身も分からなかった。
確かに私は、ミムルやトムに感じている友愛を彼にも感じている。
でも、今まで復讐と故郷を取り戻すことしか考えてこなかったから、私は恋や恋愛といった話に疎く、どんな気持ちになるのかもよく分からない。
「……う~ん。まだちょっと聞くのは早かったかな? エルフは長生きだからその辺のんびりしているし」
「……そうなの?」
「うん。基本的に長生きだから、その辺余り焦ったりしないみたい。心から決めた相手になると話が別になるけど……ってなんでエルフのシーナが知らないの?」
「だから言ったじゃない、縁が無かったって。それにそんな事をするぐらいなら鍛錬した方が良かったし……」
仕方ないじゃない。今までそんなこと考えたことなかったんだから。
確かに同族の里の人達の中には恋愛をして結婚する人を見たことはあるけど、私は自分が強くなることばかり考えていたし、他の人の恋愛模様に首を突っ込むくらいなら鍛練するか本を読んでいる方が有意義だと思っていたのだから。
「見た目によらずなんて脳筋……まあこればっかりは仕方ないか。恋愛の仕方は人それぞれっていうし、何処で恋に堕ちるかなんてわからないから。私もトムと初めて会った時はこんなに好きになるなんて思わなかったし……」
「……そういえば貴方、初めはトムの事嫌っていたのよね? それがなんで好きになったの?」
「う~ん、まぁね……。出会った頃は“トムは小柄で鈍くさい奴だな”って思っていたから。力はなかったからいつも周りの男の子達からいじめられていたんだけど、あの時の私はそんなトムを面白半分でイジめる側だったな~」
懐かしいことを思い出すように部屋の天井を見上げながらそう漏らすミムルだが、その表情は少し暗い。
彼女も幼い日の事とはいえ、彼をイジめていたことをちょっと後悔しているようだった。
「でもトムはドンドン勉強して、ドンドンいろんなことが出来るようになっていって。そんな彼をいつの間にか目で追うようになっていって……」
彼女は胸の奥底にしまい込んでいた大切な宝物に傷付けないように、ゆっくりとトムとの出会いを私に語ってくる。
「私も気が付いたらいつもトムの事を考えるようになって、自分でもどうしようもなくなっていって……」
大切な人との恋物語を話す時の彼女はいつも天真爛漫で元気一杯の彼女と同じ人とは思えないほど魅力的な、一人の恋をする乙女の顔をしていた。
「そしてこの学園に来る直前にトムに告白されて……その時かな?私はトムの事が好きなんだって気付いたの。そして私達付き合うようになったんだ」
そう言って私の方に振り向いた彼女の瞳はいつにも増して輝いていて、少女ではない“女”の顔をしていた。
「そう……」
「うん! もしシーナに好きな人が出来たら分かると思うよ。その人の側にずっといたい、その人に求めてもらいたいって気持ち」
「…………」
「まあ、でもこれは私の気持ちで、私達の恋のやり方。シーナはシーナで自分の恋をすればいいし」
「……恋をすることが前提なの?」
「ん? 別に恋に限った事じゃないんじゃないかな? フェオだってノゾム君のこと知りたいって思ったから戦ったんだと思うし」
「だからっていきなり襲いかかるのはどうなの。アレじゃ通り魔と同じよ? ノゾム君からしたら襲われた理由が“そうしたかったから”じゃ堪らないわよ」
「ま、まあそうだけど……」
「大体、貴方も少し落ち着きを持ったらどうなの? この間トムと中央公園で待ち合わせた時、待ち合わせの場所に来た彼に飛び付いて怪我させたでしょう? 一緒にいたいのは分かるし、待ち望んでいたのは分かるけどもそれで相手に怪我させたらダメじゃない」
「あ、あれ? なんか話の方向が変わってきてる……何でいつの間にお説教になってるの?」
聞いているのかしら?
思い返してみれば彼女は“思いついたら即行動!”みたいに本能で動いているところが多分にあるわね。おまけにちょっと上手くいっただけで調子に乗って後で痛い目を見た事も……。
……ちょっとその辺の事について話す必要があるわね。
フェオといい、ミムルといい、獣人族は自分の本能に流されやすい所が少なからずあるわ。
今はいいかもしれないけど、後々それを利用されてしまい、窮地に陥ることもあるかもしれない。
私としては大事な親友にそんな事になってほしくないわ。
ならきちんと話すべきよ。興味のない事を聞くのが苦手なミムルだけど、彼女の為になるなら心を鬼にして言い含めておくべきね。
結局、彼女の説教は3時間にわたって続けられ、ミムルが解放されたのは日付が変わった後だった。