第5章第4節
「……うっ」
真っ暗な視界の中、私は意識を取り戻し、呻き声をあげた。
「ここ、保健室?」
重い瞼を開いて周りを見渡すと、そこはソルミナティ学園の保健室だった。真っ白いシーツの敷かれたベットの上に私は寝かされ、長く、黒い髪をシーツの上に投げ出している。
診察に邪魔だったのか私の制服の上着は脱がされており、傍の服掛けに掛けられていた。
「目が覚めたかい?アイリスディーナ君」
「ノルン先生……」
目が覚めた彼女に声を掛けてきたのはこの保健室の主であるノルン・アルテイナだった。
「君は実習授業での模擬戦でリサ君と試合をして相打ちになり、ここに運ばれたんだ」
ようやく自分がここにいるのかが理解できた。
(そうだ、自分はリサ君と戦い、彼女に話しかけ、激高した彼女に細剣を弾き飛ばされて……)
そっと脇腹に手を当てると、ズキッとした痛みが走る。
「脇腹に一発もらっていたけど、骨に異常はない。今は少し腫れているが、すぐに良くなると思うよ。ただ、痛みが続くようならお医者さんに行きなさい」
「……はい」
ノルン先生が診察した結果を話してくれるが、私は上の空だった。彼のことが知りたかった。彼の力になりたかった。
それでリサ君に詰め寄ったけど、結局何もできなかった。
「…………」
気持ちが沈み、顔が自然と下を向いてしまう。形はどうであれ、ノゾムと彼女との間に入ることができないことが悲しかった。
「……しかし、アンリが言っていたけど、ノゾム君も随分と変わり始めているな」
「え?」
「彼は去年までは学園の人間とはロクに話をしようとしなかったらしいからな。アンリいわく、いつも独りぼっちで、授業が終わるとすぐに帰って森に入って鍛練していたらしい」
知らなかった。彼が学園の人間からあまりよくは思われていないとは思っていたが、話をする人すらいなかったとは思わなかった。
「一人で森に入るのは危険だからアンリもかなり気にしていたけど、やめる様子がなくてね、彼女はずいぶん心配していたけど、去年末からノゾム君の様子が変わったんだ」
(確かその時って……)
彼が能力抑圧を解除できるようになった頃だ。
私はノルン先生が何かを知っているのではと思い、彼女の言葉に耳を傾ける。
「特に今年に入ってからは顕著だな。学園でも笑うようになってきたし」
(……笑うようになって……)
その言葉にほんの少し、心が温かくなる。たとえ僅かでも彼の力になれていたのだと思うと嬉しかった。
「ん?噂をすればか」
「え?」
私がノルン先生の言葉に首をかしげると、保健室のドアが開いて人が入ってくる。
「「失礼します」」「失礼しま~~す」
「ノゾム、ティマ、マルス君、それにソミアまで……」
入ってきたのは私がよく知る友人達だった。エクロスにいるはずのソミアの姿まで見える
「……だ、大丈夫?アイ」
「怪我、大丈夫ですか?姉様」
「昼飯を買いに行く途中でティマさんに会ってアイリスが怪我したって聞いたんだ。それで昼ごはんを一緒に食べに来たソミアちゃんと合流して来たんだけど……大丈夫?」
みんなが私のいるベットの側にやってくる。
ティマとソミアは心配そうな目で私の顔を覗いてきて、ノゾムは2人の後ろで苦笑しながらソミアがここにいる事情を説明してくれているが、彼もまたソミア達と同じように私を心配してくれていた。
「あ、ああ。大丈夫だよ」
彼が私を気にかけてくれたことに胸の奥がさらに温かくなり、ホウッと浮き上がったような気持ちになるけど、心配してくれた彼らに大丈夫だと伝えようとした口はなんだか震えて上手く言葉を言えなかった。
「さて、友人がお見舞いに来てくれたみたいだし、怪我の方も大丈夫だろう。とりあえずお昼にしなさい」
「アイ、これ」
ノルン先生の声とともにティマが包みを取り出して私に差し出してくる。教室に置いておいていた私のお弁当だ。
「あ、ありがとうティマ」
私がお弁当の包みを受け取ると、再び保健室のドアが開き、アンリ先生が満面の笑顔で入ってきた。彼女は手に自分の分のお弁当を掲げている。
「ノルン~~お昼にしよ~~。あ、ノゾム君達も一緒だったんだ~」
「どうも」
保健室の中にノゾムがいるのを確かめると、お弁当を片手にこちらにやってくる。
その笑みは心なしかさらに輝いているように見えた。
「あ~れ?この子は?」
アンリ先生は私のそばにいたソミアを見て首を傾げた。そういえばソミアはアンリ先生達に会ったことがなかったな。
「あ、初めまして! ソミリアーナ・フランシルトです。姉がいつもお世話になっています!」
初対面のアンリ先生やノルン先生に元気よく挨拶するソミア。
うんうん。妹のしっかりしている姿に姉としては得意になり、つい胸を張ってしまう。
「か、かわいいい~~~!」
「むぎゅ!」
そんなソミアの可愛さに感極まったのか、妹に抱きつくアンリ先生。
いやアンリ先生、気持ちは分かりますけど、私も時々抱きしめたくなりますけど、ちょっと自重してください。
「こらこらアンリ。気持ちは分かるが、ソミア君が苦しそうだから離しなさい。それにしても……そうか、君がソミア君か。」
「えっと……私のこと知っているんですか?」
「ああ、君のその腕飾り、ノゾム君が君にあげた物だろう? 彼が君へのプレゼントを作っているところを見ていたからね。とは言っても、作っている途中までで完成品は見たことないんだ。ちょっと見せてくれるかい?」
「いっ! ちょ、ちょっとノルン先生!?」
「あ、はい! どうぞ!」
ノゾムがノルン先生の頼みに驚いたような声を上げるが、ソミアは笑顔を浮かべて腕飾りをノルン先生に見せる。
「へぇ、良くできている。それにこれは東方の鈴だね。向こうでは祭事とか魔除けのお守りとかに使われているけど」
「あ、あんまり良い出来ではないですけど……」
「そんなことありませんよ、ノゾムさん!これ贈ってもらって私、すごく嬉しかったです!」
「そうだよノゾム君。こういう物は気持ちが大切なんだ。君がソミア君に対する気持ちを贈り物に込めて、ソミア君がそれを受け取る。相手を大事だっていう気持ちを贈り物に込めることが大事なんだよ。確かに一流の職人が作る物に比べれば細工物としては良くないかもしれないが、気持ちという意味ではソミア君にとっては職人物以上の価値があるんだし、君の気持ちはキチンと彼女に伝わっている。」
そう言うノルン先生の言葉に合わせて頷くソミア。確かにあの腕飾りはソミアが以前していた腕飾りに似せて、ノゾムが作った物だ。
以前ソミアがしていた腕飾りそのものはソミアの魂を捧げるための呪物ではあったが、母親がいなくて寂しい想いをしてきたソミアにとっては家族の絆を確かめる物の一つであったし、実際あの事件の後、ノゾムにあの腕飾りを贈ってもらうまで、すこし悲しそうな顔をして腕飾りをしていて手を眺めていた。
今ではソミアは寝るときも入浴するときもあの腕飾りを肌身離さず持っている。
そう言う意味では彼の気持ちはきちんとソミアに伝わったのだろう。
腕飾りを嬉しそうに眺めるソミアの笑顔に癒される一方、私は正直ちょっとソミアが羨ましかった。
「……ねえマルス君、何かあったの?なんだか様子が変だけど……」
「え、あ、なんだ?」
ティマの言葉が耳に入り、マルス君の方を見ると、彼はどこか心ここに有らずな表情で立ち尽くしていた。
「いや、その……」
なんだかティマを前にして言い辛そうにしているマルス君。ティマは首を傾げているが、正直私にもよく分からない。
「まあ、マルスの奴、今日ちょっと調子悪いみたいなんだ」
「……え! マルス君大丈夫なの?」
ノゾムの言葉にティマが驚いたような声をあげてマルスを見つめる。
「あ、ああ。別に問題ないさ」
「そう言えば~~午前の授業中、マルス君見慣れない事やってたよね~。なんか気術と魔術を同時に使おうとして上手くいってなかったけど~」
「ちょ! ちょっ!!」
「む~~! む~~!」
アンリ先生の言葉を聞いたマルス君が慌てたように彼女の口を塞ぐ。そう言えば彼は最近ティマと魔法の勉強をしていたけど、訓練していたのはそれだったのか。
「気術と魔術の同時使用だって!? マルス君、ずいぶん難しいことをしようとしていたんだな。魔法と気術は使っている力が大きく異なっているから魔法のみや気術のみを複数使うことに比べて難易度が格段に跳ね上がるのだが……」
確かにそうだ。
それほど高度な技術を必要とする以上、摸擬戦で使うということはかなりの訓練を積んだ上でのことのはずだ。
ティマはこの学園に来る以前は、その身に有り余るほどの強大な魔力のせいで、あまりいい思いをしてこなかった。だから新しい魔法を使ったり、威力の高い魔法を使うことには消極的で、特に魔力のコントロールについては神経質といえるほど訓練をしていた。
ただ、彼女の持つ魔力はそれでも大きすぎて、未だに安定して魔法を使うことは難しい。
「……もしかしてマルス君。あの術を模擬戦で使ったの?まだ練習でも上手くできていないのに……」
ティマが悲しそうな声を上げる。やはり、マルス君は十分な訓練を積まずにその術を使ったらしい。
「ちっ……元々俺は体で覚えてきたからな。実践で使えば多少はコツが分かると思ったんだよ」
「……でも危険だよ。間違って暴走したら……大変なことになっちゃうよ!?」
幼いころから自身の魔力の高さゆえに白い目で見られてきたティマ。彼女にとって魔法の暴走は何よりも忌避するものだ。
それ以上にマルス君が何も自分に相談せず無茶な術の使い方をしたのがイヤだったのだろう。
「で、でもな……実際、術の発動自体は上手くいったわけだし……」
「でも! でも、下手したらマルス君怪我していたかもしれないんだよ……私、そんなのヤダよ……」
ティマの声はもはや悲痛ともいえるほどになっていく。目には涙が溢れ、今にも泣きだしそうだ。
「う……」
「…………」
ティマの悲痛な様子を見たマルス君もさすがに悪かったと思っているのか、言葉に勢いがなくなり、言葉に詰まってしまう。
「……す、すまん……」
「……もう無茶しない?」
「し、しねえよ」
「……うん」
ティマが涙目でマルス君を見上げている。
マルス君もそんな健気なティマの姿を見たら、これ以上意地を張れなくなったのだろう。彼は頭をかきながら視線をそらしているが、素直に謝罪した。
「さ~て! それじゃ~ゴハンにしましょう~~! 私お腹空いちゃった~~」
「……そうですね。食べましょうか」
アンリ先生の間延びした声で場の空気が明るくなり、ノゾムも同意したことで各々が席についてそれぞれの昼食を広げる。
「姉様! 一緒に食べましょう!!」
「ああ、いいよソミア」
ソミアが私の隣にきて自分のお弁当を広げる。皆と一緒に食べられるせいか、いつも屋敷で食事する時より3割増しの笑顔を振り撒いて、それに釣られて私の頬もゆるんでいく。
「……マルス君のお弁当、作ってくれたのハンナさん?」
「いや、これは親父だ。厨房は親父が仕切っているからな。お前のは?」
「……こ、これはお母さんが作ってくれたの。時々自分でも作るけど……」
「へ、へえ。よく出来てんな」
マルス君とティマは互いのお弁当を見せあいっこしている。二人の様子を見る限り、未だにぎこちないが、先程の件は尾を引いていないようだ。
「ノゾム君~~。また購買のパンなの~~?」
「ええ、まあ。正直手に入りやすくて安いので……」
「でも~。それじゃあ足りないでしょう~~。先生の分も分けてあげるわ~~!」
「あ、ありが……ってなんで先生のフォークを使って差し出してくるんですか!?」
「はい、ア~~~~ン」
ノゾムとアンリ先生も互いの昼食の見せあいをしていたのだが……なぜかアンリ先生が自分のお弁当をノゾムに食べさせようとしている。
……なんだかムカムカして自然とフォークを持つ手に力が入る。
「やりすぎですよ! 別に指で摘みますからいいですって!!」
「え~~。指?分かったわ~~~」
そう言って自分のお弁当の中身を自分で摘みだそうとするアンリ先生。
そうじゃないですよ!!なんで貴方が自分の指でつまみだそうとしているんですか! もしかしてそのままノゾムに食べさせる気ですか!!
「って分かってないですよ! 先生が指で摘むんじゃなくて、俺が自分の指を使えばいいんです! アンリ先生は弁当を差し出すだけでいいんですよ!!」
そう言って慌ててアンリ先生のお弁当の中身をひとつまみして口に放り込むノゾム。
「ぶう~~。せっかく食べさせてあげようとしたのに~~」
思うようにいかなかったのか、頬をぷっくり膨らませるアンリ先生。
やっぱり食べさせる気だったんですか!
この時、私は目の前の喧騒に気を取られてすっかり忘れていた。あの摸擬戦で倒れたのは自分だけではないことを。
そして会話に混じらないノルン先生の視線が、私が寝ていたベットの隣のベットに向いていたことに。
ノゾム達が昼食を食べ終わり、各々の教室に戻って行った後、ノルン・アルテイナが思い出していたのは先ほどまでアイリスディーナの隣のベットで寝ていた少女、リサ・ハウンズのことだった。
「んっ……」
「起きたのかい?」
アイリスディーナが目覚める10分ほど前、保健室のベットで寝ていたリサが目を覚ました。
「……保健室?」
「ああそうだよ。どうしてここにいるかは分かっているかい?」
「……はい」
リサの意識はハッキリしているようで、ノルンの質問にも問題なく答えていく。
「そうかい。一応見たけど腹部に撃ち込まれた魔力弾で痣ができている。少し痛むかもしれないが、数日で治るだろう。もし痛みが続くようなら 医者に診てもらいなさい」
ノルンが診察した結果を話していくが、彼女は隣にいるもう一人の患者が気になるのか、チラチラと視線が行っている。
「彼女が気になるのかい? まあ診察した上では彼女も問題ないよ。君と同じように数日は痛みが続くだろうがじきに良くなる」
「そう……ですか……」
どこか心あらずなリサの様子を見たノルンはアイリスディーナがまだ寝ていることを他確認すると、少し踏み込んだ質問をした。
「……それとも気になるのはアイリスディーナ君じゃなくて、彼女が気にしている男子生徒かな?」
「……どういう意味ですか?」
リサの表情が一気に強張る。自然と視線が鋭くなってしまい、目上の人に対して失礼とは思っていても、彼女は胸の奥から吹きあがる激情を止められなかった。
「別に大した意味はないさ。ただ彼女は最近随分とノゾム君のことを気にしていてね。まあ、ちょっとしたお節介みたいなものさ」
暗にノゾムとの噂について話を振るノルン。
「……別に話すことなんてないと思います。ただ言えるのは、あいつは最低の奴ってことだけですよ。……正直、もうあいつとの事は思い出したくないんです」
「……そうか」
苦虫を噛み潰したような表情でノルンの質問に答えたリサだが、ノゾムとの事にこれ以上触れられたくないのか、睨みつけていた視線を窓の外に移してベットから起き上がる。
その態度がもうこれ以上何も話す気はないと物語っており、ノルンもこれ以上追及しなかった。
しばらく保健室内には重い空気が流れていたが、誰かが訪ねてきたのかドアがノックされる音が響くと重い空気は霧散し、ノックの音に続いて2人の生徒が入ってきた。
1人は今のリサの恋人であるケン・ノーティス。もう1人はリサの親友であるカミラであった。
「ノルン先生。リサの様子はどうですか?」
ケンが礼儀正しい口調でノルンにリサの容態を聞いてきたので、ノルンも問題がないことを述べる。
淡々とリサの容態を述べるノルンだが、ケンを見つめる視線はどこか鋭い。
「腹部に痣ができているが問題はない。数日で痛みも引くだろう」
「ありがとうございました。リサ、行こう」
「ええ。ノルン先生、ありがとうございました」
ノルンに治療の礼をいうケンとリサだが、彼女は先ほどの事から不機嫌そうな表情のまま保健室を出て行き、それに他の2人も続く。
ノルンは先ほどの3人がドアの向こうに消えたのを確認すると。大きくため息を吐きだした。
「……やれやれ。これは大変そうだな」
ノゾムとリサ、そしてケンとの間に何が起こっていたのか薄々気づいているノルンだが、自分達はあくまで見守る者として傍観の姿勢を取っている。
しかし、それでもやはりみんな大事な生徒達であるので、やはり気になってしまう。
リサの本心を少しでも知ろうと思い、彼女のノゾムの事をそれとなく聞いてみたが、彼女にとっては未だに触れてほしくない傷痕であり、やはり完全に拒絶されてしまった。
「しかし、彼女は気付いているのかな?」
それでも本人の様子から分かったこともあった。
ノルンは窓を開けて空を見上げる。暖かい日差しが差し込み、春先のまだ少し冷たい風が部屋に残っていた淀んだ空気を押し流していく。まるで先ほどの出来事の痕跡をかき消していく様だった。
「リサ君。好きの反対は、嫌いでも憎悪でもないんだぞ……」
呟くようにノルンが漏らしたその言葉に未だに眠っている眠り姫は気付くことはなく、春の風にかき消されていった。