第5章第3節
……やっちまった。
おかしい、もう少しソフトな感じにするはずだったのに……。
ノゾムとマルスが模擬戦を行う少し前、別の訓練場では1階級のクラスが授業を行っていた。
内容はノゾム達と同じ模擬戦形式による実習。
しかし、訓練場に集まった生徒達の雰囲気は10階級とは違い、ピリピリと張り詰めた緊張感に包まれていた。
実力主義であるソルミナティにおいて、上位の成績を取り続けることは決して簡単ではない。
油断すればライバル達に蹴落とされ、そして上位の階級から下位へと転落しまった人間に対する目は決して優しくはない。
かつていたクラスのメンバーからは蔑まれ、落ちたクラスでは腫れ物扱いされる。
1年の頃は上位のクラスで輝いていたが、その後周りについて行けず、下位に落ちたことで学園をやめていった人間も決して少なくはない。
そしてその競争と転落時の周囲の目は上位のクラスほど酷くなる傾向にある。
そんな緊張の中、リサ・ハウンズはじっと訓練場の一角を見つめていた。
「……」
「リサ?どうしたんだい?」
「ケン?」
リサが自分にかけられた声に反応して振り向くと、そこには同じクラスで幼なじみのケン・ノーティスがいた。
彼は怪訝な顔でリサが見つめていた方向に目を向けると、そこには長い黒髪の少女と肩口まで茶色の髪をなびかせた少女が授業の準備をしながら話をしている。
「ああ、アイリスディーナさん達?やっぱりリサとしてはライバルが気になるのかい?」
リサとアイリスディーナは実習においてはほぼ互角の実力の持ち主同士であり、実習の授業や模擬戦、試験の時などで何度もぶつかってきたライバル同士である。
それゆえに気にしているのかと思われたが、ケンはリサが気にしているのは彼女だけではないと思っていた。
「……それとも、気にしているのはノゾム?」
「!?」
ケンが呟くように言い放った一言を聞いた瞬間、彼女の顔が一瞬驚きに染まるが、すぐにその瞳に怒りの炎を宿し、唇を噛みしめて顔を歪ませる。
「大丈夫だよ。僕がいる。一人じゃないよ」
そうリサの耳元で囁き、彼女の肩を抱いて胸元に寄せるケン。
「……」
リサはただ黙って俯いたままケンに身を委ねていたが、その表情はまだ硬い。
そんな2人の後ろから、ケンでもリサでもない声が響いた。
「ああ、はいはい。2人とも熱いでございますね~」
リサとケンが声の聞こえた方に振り返ると、1人の少女が呆れたように両手を挙げてため息をついていた。
鳶色の瞳とその瞳と同じ色の髪を肩口でざっくばらんに切りそろえた少女。顔立ちはそれなりに整ってはいるが、呆れるような態度とその表情には女性らしさはあまり感じられない。
「カ、カミラ!」
「あのさ~リサ。2人でイチャつくのはいいけどさ、場所ぐらい選ぼうよ。みんな見ているよ」
「!?」
カミラという少女に言われ、リサは自分が今どこで何をしていたかに気づくと、慌ててケンから離れる。
「で、なんで黒髪姫のほうを見ていたの?何か気になることでもって……アイツのことか……」
カミラはアイリスディーナの方を一瞥し、リサが何を気にしていたのかを考えるようなしぐさをするが、すぐに思いついた様で彼女は苦い顔をする。
「ったく! あいつは本当にどうしようもない奴ね! リサに続いて今度はアイリスディーナさんに手を出すなんて! あの時リサがどれだけ傷付いたと思っているのよ」
憤慨し、怒り出す彼女。
彼女はリサが1年の時から同じクラスで、彼女の親友と呼べる女の子である。
1階級に所属していることから分かる通り、彼女も優秀な生徒であり、ノゾムとリサが付き合っていたときはノゾムとも普通に話をしていたし、リサを応援もしていた。
だがノゾムの噂が蔓延したときは真っ先にリサに話を聞きに行き、彼女の話を聞いて怒り狂い、ノゾムを殴り飛ばした。
それ以来彼女もまたリサと同じようにノゾムを嫌悪するようになった。
「まったくだね。まあ、聡明な彼女のことだから一時の気の迷いさ。すぐノゾムに嫌気が差すだろ」
ケンがノゾムに対して痛烈な批評をするが、その言葉にカミラは首をかしげる。
「珍しいわね、あんたがアイツをそこまで言うなんて。いつもなら多少はアイツのことを庇うのに」
カミラが言うとおり、今までのケンは、この話題に関して最終的にリサの味方という立場を崩さなかったが、多少はノゾムを庇うような発言をしていた。
これはノゾムにケンが自分の味方であると思わせていたことが理由である。
ノゾムとリサを仲違いさせ、その上でノゾムの行動を掌握させるために彼の前で味方をするような行動を取ったケン。だからこそ、最終的にはリサの側についたとしても、多少はノゾムをかばうような言動を取り、周りとノゾムとの態度に矛盾を生じさせないようにしてきた。
しかし、ノゾムを完全に潰したと思っているケンはもうその必要が無いと感じ、今までのノゾムを庇うような言動を一転。周囲と同じように、大見得切って彼を非難し始めたのだ。
だが、いきなりの態度の変化は周囲にも少なからず違和感を残す。
それに対して彼が用意した理由とは……。
「この間、ある店……確か牛頭亭だったかな? その店にリサと入ったときノゾムと偶然会ったんだけど、その時あいつ、リサに真顔で“なんで振られたんだ”って聞いたんだ」
「……なにそれ! どんだけフザけてんのよアイツ!!」
ケンの言葉を聞いて彼女の脳裏に思い起こされたのは、1年の夏の時の親友であるリサの姿。ノゾムに裏切られたと思い込み、部屋の中でただ膝を抱えてうずくまっていた彼女。
カミラは訳が分からず、何とか話を聞こうとしていたが、当のリサはずっと下を向いたままで、まるでこちらのことを見えていないようだった。
結局、リサの様子を見にきたケンが話しかけるまでリサは何も反応しなかった。
ケンがリサに言葉をかけると、幼馴染の言葉は届いたのか、ようやく彼女は顔を上げた。
なんでカミラ達がここにいるのか分からなかったのか、呆けたような顔をしていたリサだが、やがてその瞳に大粒の涙が溜まっていくと、すすり泣き始めた。
そして溜まった涙がついに溢れた時、彼女も堰を切ったように大声で泣き始めた。
1時間ほど泣き続けた彼女だが、ようやく落ち着いた時、彼女の口から語られた事に彼女は今までにないほどの怒りを覚えた。
「さすがにあれを聞いちゃったらさすがに僕も呆れたよ。今まではノゾムもちょっと魔が差しただけだろうと思っていたけど、さすがにもう庇えないよ」
彼がノゾムを非難し始める理由としたのは、以前ノゾムが牛頭亭でリサに詰め寄ったときのことだった。
ノゾムとしてはもう一度自分が逃げてきたことに向き合おうとした故の行動ではあるが、噂を信じている人間にとっては自分のことを棚に上げた行動であると思うだろう。
「……」
カミラとケンが牛頭亭での出来事について話をしている時、リサは再びアイリスディーナ達に視線を向けていた。
アイリスディーナは自分の得物である細剣を手入れしていたが、リサの視線に気づいたのか顔を彼女のほうへと向ける。
「…………」
「…………」
2人の視線が交差する。
リサは心の中がざわつき、怒りがこみ上げてくるのを感じていたが、ふっと視線をそらして背を向ける。
しかし、目を背けても彼女の心の中のざわめきは小さくなっても消えてはくれなかった。
「アイ、今日はどうするの?」
ティマが傍らで自分の細剣の確認をしているアイリスディーナに話しかけるが、彼女は黙々と確認作業をしており、彼女の問い掛けに反応しない。
しかし、一見ただの準備作業をしているように見えるが、1年のときからの親友であるティマは、アイリスディーナの視線が別の方向に向いており、準備作業ではなく、別のことに意識が向いていることに気付いていた。
「……」
「……アイ」
「え?あ、すまないティマ。それでなんだい?」
手を止めてティマの方に視線を向けたアイリスディーナをティマの瞳が受け止めが、彼女の顔は自分の親友を心配しているせいか、どこか元気がない。
「ねえ、アイ。やっぱりリサさん達のこと、気になるの?」
「……まぁ、ね」
彼女が気になっていたのはやはりリサ・ハウンズのことだった。
ノゾムと、リサそしてケンとの間に起こったことにほぼ確信を持っている彼女だが、それを未だ誰にも話すことができずにいた。
ただ、リサともう一度話をしてみたいとは思っている。
彼ら3人の関係においてキーとなりうる彼女。彼が好きだった女性。
もしかしたら今でも好きなのかもしれない。そう考えるとアイリスディーナは胸の奥ががキュッとする感覚を覚える。
「……どうするの?」
「正直に言えば、もう一度話がしたい。それに、彼女も私達のことが気になるらしい」
「えっ?」
その言葉にティマがアイリスディーナの視線の先を見ると、リサがアイリスディーナと同じようにこちらを見つめている。
こちらを見つめてくるリサの表情は分からない。遠いからではなく、彼女の顔が無表情ゆえに何を考えているのかが分からないのだ。
思い起こされるのは学園に蔓延したノゾムの噂。
アイリスディーナはもう既にあの噂が見当違いのものであると気付き、なんとか彼の力になりたいと思っていた。
彼女にとってノゾムは妹の命を救ってくれた恩人であり、かけがえのない人の一人であると思っている。
それ故に彼が学園でありもしないことで非難され続けていることに我慢がならなかったし、どうにかしたいと思っていたが、この2年間の間に定着してしまった彼の評価は彼女一人ではどうにもできないほどになっているのを感じていた。
それをどうにかするにはノゾム、リサ、そしてケンというこの3人の幼馴染についてもっと知らなければならないと思っていたが、簡単に聞ける内容でもない。
始めはノゾムに直接聞こうと思い、牛頭亭でマルスも含めてみんなと話をしたが、その時のティマに「焦ってはダメだ」と諌められた。
確かにそうなのかもしれない。
ノゾムが話してくれることが一番いいことだというのは理解できる。
でも心の中の焦燥感は消えてくれず、日に日に増すばかり。しかも彼女は自分でノゾムと彼の幼馴染の間に起ったことを推察してしまい、さらに最近はノゾムとの間にも壁を感じるようになった。
最近の彼は傍から見ても無理をしているのは丸分かりだったが、彼は何があったのかを話してはくれない。
無理矢理心の奥底にしまい込み、心の奥底では笑わないまま私達に作った笑顔を見せる。
その偽物の笑顔は彼女たちがよく見てきた笑顔に似ていた。
表面上を仮面のような笑みで覆い尽くし、心の奥底では濁りきった汚濁で言い寄ってくる人間達。フランシルト家という大樹に取り付き、その甘い汁を貪ろうとする害虫たちとよく似ていた。
もちろんノゾムとその害虫たちの心の中での思いはまるで違っていることは分かっていたが、ノゾムが本当に笑わないまま浮かべるその笑みと、彼女が立てた推察が、彼女自身の焦燥感をさらに煽り立ててしまっていた。
話してほしい。でも話してくれない。
聞かせてほしい。でも聞かせてくれない。
彼のことが知りたい。彼に偽物ではない本当の笑顔で笑いかけて欲しい。
そしてアイリスディーナはその焦燥感を持て余したのか、普段の彼女からは想像もつかない事を言い放った。
「……だから、ちょっとこの授業を利用させてもらう」
リサの視線を真正面から受け止めていた彼女が、おもむろにそう宣言した。
授業が開始した時、アイリスディーナが真っ先に模擬戦の相手に指名したのはリサだった。
基本的に他のクラスと同じように、1階級も今は集団戦を中心に授業を行っている。
しかし、Aランクに所属するメンバー達5人は実力が他の生徒と比べて突出しているため、Aランクの人間を各パーティーに加えた上で模擬戦をすることが多い。
だが今回、アイリスディーナはいきなりリサとの1対1の模擬戦を申し込んできた。
初めは担任のジハードも怪訝な顔をしていたが、Aランクの生徒ともなれば訓練内容についてもある程度の裁量を許されているため、彼女の提案を了承した。
「…………」
「…………」
訓練場の中心で得物を構えて向かい合う黒髪と赤髪の少女。アイリスディーナは細剣の剣先を突き出すように構え、リサは右手にサーベルを、左手に短剣を逆手に持ち、腰を落として身構えている。
周りには彼女達を円状に取り囲むようにクラスメート達が集まり、これから始まる2人の戦いを見守っていて、訓練場に張り詰めるような緊張感が漂っている。
2人の瞳にはこれから戦う相手をまっすぐに映しているが、向かい合う相手の向こうには同じ男の子が映っていた。
「それでは……はじめ!」
ジハードの開始の合図とともにアイリスディーナが動く。
細剣を一閃させるとアビリティ“即時展開”が発動し、その瞬間に5つ黒色の魔力弾が作られ、リサに向かって疾走する。
「ふっ!」
リサはあらかじめ詠唱していた魔法を発動。彼女の前面に不可視の障壁が張られ、アイリスディーナの魔力弾を受け止める。
バンバンという炸裂音とともに黒色の魔力弾が霧散するのを視界に収めながら、リサは続けて魔法を発動する。
魔力が彼女の身体を包みこみ、身体能力を劇的に引き上げる。
自身の身体を魔法障壁で守りながら身体強化の魔法で引き揚げられた身体能力で駆け出し、一気にアイリスディーナとの間合いを詰めるリサ。
その速度は明らかに普通の身体強化で出される速度ではない。単純にアイリスディーナが身体強化をしたときの倍の速度を叩きだしている。
アイリスディーナは魔法での迎撃をあきらめ、即時発動でリサと同じ魔法障壁を展開。突進してきたリサを受け止める。
2人の魔法障壁が激突し、バチバチと互いの魔力がぶつかり合う音が響く。やがてパリンという音と共に障壁が破壊されると、リサは右手に持ったサーベルをアイリスディーナめがけて一閃させた。
アイリスディーナは即時発動で身体強化の魔法を発動。リサのサーベルを細剣で受け止める。
突進してきた時のリサを見れば、彼女の桁外れの身体強化で振るわれた刃はアイリスディーナでもまともに受ければ吹き飛ばされそうだが、そうはならない。
実は先の突進はリサのアビリティが発動した故に可能な行動だった。
アビリティ“ニベエイの魔手”
任意の魔法に干渉し、その効力を倍加するアビリティ。
リサはこのアビリティで自身の身体強化魔法の効力を倍加。一気にアイリスディーナとの間合いを侵略したのだ。
サーベルを細剣で受け止められたリサだが、再びアイリスディーナに斬りかかろうとする。
しかし、アイリスディーナの技量も半端ではない。リサがサーベルを引いた瞬間を狙い、細剣の軽さを使って肩口めがけて突きを放つ。
だがリサもまたアイリスディーナと同じAランクに属する生徒。冷静に短剣を振るい、アイリスディーナの突きを受け流すと、今度はサーベルで胴を薙ぐように一閃させる。
そのまま斬り合いに突入する彼女達。
数秒の間にいくつも剣閃が煌めき、金属同士がぶつかる甲高い音が木霊する。
しばらく斬り合っていた彼女達だが、突然アイリスディーナが地面を蹴って後退した。
次の瞬間リサのサーベルが一気に薙ぎ払われる。
薙ぎ払われたサーベルは大気を切り裂き、ゴウッ!という音と共に周囲を薙ぎ払う。再びニベエイの魔手が発動したのだ。
リサが開いた間合いを倍加した身体強化魔法で再び詰めようとするが、アイリスディーナも簡単に2度も同じ手は使わせない。
リサとアイリスディーナとの間の地面が隆起し、大きな石壁が出現する。
アイリスディーナが即時発動で発動させた土属性の魔法“砂上の城壁”
この魔法は周囲の砂を使って一時的に強固な壁を作り上げる魔法だ。作られた壁はかなりの堅牢さを誇るのだが、効力が長続きせず、維持するには魔力を送り込み続けるしかない。魔力が切れるとすぐに砂に戻ってしまう所から砂上の城壁と名付けられた魔法である。
アイリスディーナの目的は時間稼ぎ。
リサのアビリティ“ニベエイの魔手”は任意の魔法の効力を倍加させるが、使い手はアビリティを発動させた後、しばらくの間、そのアビリティを発動できなくなり、その時間はその直前にアビリティを使っていた時間に比例する。
つまり、リサはニベエイの魔手を使えば使うほど、その後の展開が不利になる。
手数ではどう頑張っても即時発動を持つアイリスディーナには敵わない。ニベエイの魔手を使った瞬間的な突破力がリサの持ち味であり、アイリスディーナに対抗できる手段なのだ。
だがリサもアイリスディーナの目的は分かっている。だからこそ時間はかけない。
リサは右手を引き、サーベルに魔力を送り込んでいく。サーベルの刀身が真っ赤に燃え上がり、次の瞬間、燃え上がっていた炎が刀身に集中していく。
彼女が行っているのは付加魔法の1つであるが、単純に魔力で強化したり、特定の属性を持たせるのではなく、攻撃魔法そのものを自分の得物に付加する魔法。
彼女が付加した魔法は“爆炎の渦”という攻撃魔法。その名の通り、爆発的に撒き散らされる炎が周囲の物を吹き飛ばしながら燃やし尽くす攻撃魔法だ。
「ふう~~」
息を吐きながら炎を刀身に集めていくリサ。炎が刀身に納まったのを確かめると彼女は目の前の城壁に向かって駆け出した。
ニベエイの魔手によって劇的に引き上げられた身体能力を使い、一気に加速した彼女はそのまま真っ赤に染まったサーベルを城壁に打ち込んだ。
次の瞬間、轟音とともに炎が舞い散り、城壁に大穴が空いた。
空いた穴を一気に駆け抜け、アイリスディーナに突進するリサ。
対するアイリスディーナだが、今度は迎え撃つのではなく、リサと同じように突進してきた。
「ッ!!」
まさかニベエイの魔手を発動している自分に自ら突っ込んでくるとは思わかなかったが、リサは構わず右手のサーベルをアイリスディーナ目掛けて打ち落とす。
アイリスディーナもまた自身の細剣に強化魔法を付与し、リサの斬撃を真正面から受け止める。
「くうっ!!」
「な!?」
アイリスディーナの口から苦悶の声が漏れるが、彼女は僅かに押されただけで、その場に踏みとどまった。
リサもまさか、今の自分の斬撃を真正面から受け止められるとは思わなかったのか、驚きの声を漏らす。
アイリスディーナがリサの斬撃を受け止められた理由は、即時発動を利用した身体強化の重ね掛け。
リサが砂上の城壁を破るまでの間、アイリスディーナは即時発動で身体強化の魔法を自身に複数回重ね掛けし、ニベエイの魔手を発動したときのリサに迫る身体能力を一時的に手に入れていた。
だが、複数の魔法の制御は凄まじい集中力と精神力、制御力を必要とし、幾らアイリスディーナとはいえ身に余る行為であった。ニベエイの魔手を発動させればいいだけのリサと違い、消耗の激しい手段である所為か、打ち合った時にアイリスディーナはリサに僅かではあるが押されてしまう。
(だがそれでもリサ君とすぐそばで向き合える状況には出来た!)
模擬戦の中で何とかリサと話す機会を狙っていたアイリスディーナ。
以前話をした時の様子とケンに疑いを持っている彼女は、リサにまともに話しかけても逃げられるか、ケンの邪魔が入ると思ったため、あえて授業の模擬戦を利用し、その時に話かけることにした。
「リサ君、君はノゾム君が本当に浮気なんてする人間だと思うのか?」
「な、なによ」
リサの顔に動揺が走る。まさかいきなりこんな所でその話をされるとは思わなかったのだろう。
「君だって知っているはずだ。彼がどれだけ努力できる人間なのかを」
ノゾムとリサの過ごしてきた時間はアイリスディーナ達よりもずっと長い。それを考えるとチクリと胸が痛むが、彼女は構わず話し続ける。
「私は僅かとはいえ彼と一緒に過ごしてきた。君と比べても短い時間だし、私も彼を理解しきれているわけじゃない」
アイリスディーナが話を続けるが、リサは俯き、表情は見えなくなってしまう。
「でも彼は決して今君が考えているような人間じゃない! それだけは断言できる!」
僅かとはいえ、一緒にいて感じた彼の印象。それを偽りなくアイリスディーナはリサにぶつけていく。リサに対して何を話したらいいか分からない以上、自分の感じるままをぶつけるしかなかった。
「……君だって本当は「……じゃあ、なんで何も言ってくれなかったの?」……え?」
アイリスディーナが言葉を続けようとするが、その言葉を遮るように俯いていたリサが口を開いた。
「じゃあなんで、今まで何もアイツは言ってこなかったのよ。それがアイツが私を裏切ったことの証明じゃない……私が裏切られたと思って、部屋に閉じこもっていた時、駆けつけてくれたのはカミラとケンだけだった。アイツは……来てくれなかった」
当時、ノゾムは発動した能力抑圧に抗って昼も夜も鍛錬を続けていた。
街の郊外で自主訓練を繰り返し、ケンに付き合ってもらって模擬戦を繰り返し、その場で崩れ落ちる様に眠る日々だった。
1年の時からノゾムとリサは互いの能力の違いから別のクラスに分けられており、ノゾムはリサに何が起こっているか分からないまま訓練の日々を過ごしていた。
郊外での訓練の時にリサが学校に来ていない事をケンに尋ねたが、ケンはリサが体調を崩していると言い張り、ノゾムがリサに近づかないように仕向けていたのだ。
だがリサにとってはそんなことは知らない。
彼女にとってノゾムは自分を裏切っておきながら、今まで一切の弁明も説明もしなかったろくでなしであり、いくらケンが後ろで暗躍し続けたとしてもノゾムがリサと向き合うことから逃げ続けた事を考えれば、ノゾムに原因の一端が無かったわけではない。
「なのに今更そんな事……ふざけるな!!!」
リサの身体から一気に魔力が吹き上がる。激高した彼女は一気にアイリスディーナを押し返すと、そのまま彼女の細剣を打ち上げた。
「くっ!!」
「あああああああ!!」
リサが返す刀でサーベルを薙ぎ払う。
だが引く訳にいかないのはアイリスディーナも同じ。彼女もまた即時展開で魔力弾を形成、至近距離からリサ目掛けて打ち放つ。
振り抜かれたサーベルはアイリスディーナの腹部に吸い込まれ、そのまま彼女を吹き飛ばした。
リサもまた目前で放たれた魔力弾を防ぐ術はなく、アイリスディーナと同じように反対方向に吹き飛ばされる。
「がっ!!!」
「ぐうぅう!!」
当然、使われている武器は訓練用であり、刃をつぶしているが、ニベエイの魔手で強化された斬撃はアイリスディーナの意識を刈り取るには十分であり、彼女は自分の意識が遠くなっていくのを感じていた。
意識が落ちる直前、アイリスディーナはただ恩人である彼に自分が何もできない事が悔しくて、視界に自分と同じように地面に伏せながら、泣きそうになっているリサを歪んでいく視界に収めつつ、自分の頬に何か熱いものが伝っていくのを感じていた。