第4章第8節
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それではどうぞ。
ノゾムは、自分が倒したワイルドドック達の咽かえるような血臭が漂う中、三つ目の巨人と相対していた。
キクロプス。
空を飛び、ブレスを吐く竜ほどの危険性はないにしても、その桁外れの膂力からランクAに分類される危険極まりない魔獣。
普通の冒険者や兵士では真正面から相手にすることは難しく、ランクAクラスの人間か、魔法による集中攻撃でどうにか倒せる相手。
しかし、ノゾムは能力抑圧の影響で初級魔法すら使えず、遠距離攻撃の手段がほとんどない。明らかに手に余る相手だ。
キクロプスがノゾムを見てにやりと笑う。おそらくノゾムに対して毛ほども脅威を感じていないのだろう。
普段の彼なら即座に撤退している相手であり、魔獣達の領域内でこんな強力な魔獣と闘うリスクを考えれば勝っても負けてもタダではすまない。
だが、今のノゾムはそんな後先のことなど考えられない。
“何もかも忘れるほど暴れたい”
自分自身で目を逸らしていた事とはいえ、親友の裏切りを突き付けられ、精神のタガが外れたノゾムは自分の中で渦巻き続ける激情をぶつけるために刀を構える。
そんな精神状態でありながらも能力抑圧を解放しないのは、ノゾムの中に残る最後の躊躇があったからだ。
ノゾムの中にあるティアマットに対する不安がギリギリのところで彼が激情に流されて抑圧を解放することを防いでいる。
しかし、彼が躊躇しているのはそれだけ。目の前の巨人を屠ることに、今の彼は疑問を抱いていない。
キクロプスの方もノゾムの戦意を感じ取ったのか、長さが人間の大人ほどもある巨大な棍棒を構える。
最初に動いたのはノゾムだった。気で身体能力を強化したままキクロプスに向かって疾走する。
キクロプスはこちらには向かってきたノゾムを一瞥すると、邪魔な小蠅を追い払うように巨大な棍棒を薙ぎ払う。
ノゾムは自分に向かって薙ぎ払われた棍棒を、刀を沿わせて受け流そうとするが……。
「ぐうぅう!」
あまりに力が違いすぎて受け流しきれなかった。上体大きく開き、体が浮き上がる。
キクロプスが振り切った棍棒を返して、先程とは逆方向から無防備なノゾムの胴を薙ぎ払おうとする。
ノゾムは咄嗟に地面に伏せて、迫りくる棍棒をやり過ごす。
薙ぎ払われた棍棒が頭の上を通り過ぎるのを感じながら、ノゾムはすぐさま立ち上がろうとしたが、キクロプスは地面に伏せたノゾムに対して棍棒を打ち降ろしてきた。
ノゾムは立ち上がるのをやめ、地面に伏せたまま横に転がって棍棒を避ける。
打ち降ろされた棍棒はノゾムのすぐ横の地面を叩き、衝撃で地面が揺れて土が捲り上がり、舞い散った土砂が降り注ぐ。
ノゾムは転がった時の勢いを利用して立ち上がると、瞬脚で一端後ろに下がった。
さすがに真正面から切り込むのは迂闊な行為だと気付いたようだ。
だが、キクロプスは追撃をしてこない。
巨人は“グフ、グフフフ!”という鼻声を上げている。どうやら先ほどのノゾムの醜態を見て笑っているようだ。
だがノゾムにはそんな声は聞こえない。彼が考えているのは“如何にしてこの巨人を屠るか”である。
ノゾムはキクロプスとの間合いを計りながらも思考を止めない。
先ほどワイルドドックとの戦いは終始優勢だったため、ノゾムは傷を負ってはいないが、後先考えずに気を使い続けたせいでノゾムの気量は心許なく、迂闊に気術を使って消費することは避けなければならない。
だがノゾムは魔法を使えない以上、活路を見出すには接近戦しかない。遠距離攻撃用の気術がないわけではないが、残りの気量を考えると遠当ては確実性に欠ける。
(となると、やっぱりあの棍棒をどうにか捌かないとかダメか…………)
ノゾムはキクロプスとの交戦経験はない。これほど強力な魔獣は普段は森の奥深くにおり、ノゾムがいつも鍛練する場所には現れない。
あれほどの剛力だ。まともに食らえば全身の骨が砕けるだろう。キクロプスとの交戦経験がない以上、書物の中で読んだ知識と現在の状況を照らし合わせて活路を見出すしかない。
(一番ヤバいのは“狂気の忌眼”を発動されることか…………)
狂気の忌眼。
キクロプス、そしてサイクロプスがもつ異能。
本能を暴走させ、理性的な判断力を失う代わりに筋力を倍加させる。
全身が筋肉で覆われている巨人の筋力が倍加すれば、力だけでなく素早さなども倍加し、手のつけられない暴鬼と化す。
そうなってしまえばノゾムの勝てる可能性はさらに低くなってしまうだろう。
(狙うのは一撃。それであいつを絶命させる!)
狂気の忌眼を発動させないためには、一撃で相手を仕留めるしかない。下手に中途半端な攻撃で相手を怒らせることに意味はない。
幸い、キクロプスはまだノゾムを脅威として見ていなかった。
(そのためにはどうにかして接近しないと……)
結局のところ、問題はそれに行きつく。
ノゾムと巨人の体格差は明らかで、それに比例して巨人の方が間合いは広い。
おまけにキクロプスが持つ桁外れの筋力。おおよそ武道や剣の振り方など学ぶこと事のない巨人だが、桁外れの筋力はそんな多少の心得など関係ない。
振り下ろされる棍棒の威力は正に攻城槌であり、生半可な防御で受け流せるものではない。
また、筋力に物を言わせた切り返しも早く、少しの油断も許されない。
「ゴアァァァッ!」
ノゾムが相手の攻略法を考えていると、今度はキクロプスの方からノゾムに襲いかかってきた。
巨大な棍棒を上段から打ち降ろし、ノゾムを叩き潰そうとしてきたので、ノゾムは今まで考えていた思考を一時中断し、回避に専念する。
巨人の振るう棍棒は唸りを上げてノゾムに襲いかかってきた。
ノゾムは後ろに下がって振り下ろされた棍棒を回避する。目の前を大人程もある塊が通り過ぎ、風圧で彼の髪を揺らす。
次の瞬間、棍棒が地面にたたきつけられ、再び土砂の雨を降らせる。
ノゾムは舞い上がった土砂で視界を遮られている中、土砂のカーテンの向こう側に薄っすらと見えるキクロプスの輪郭から、相手の行動を読み取る。
キクロプスは打ち降ろした棍棒を今度は横薙ぎに振り払う。
ノゾムは先程と同様に身を低くしてやり過ごすが、今度は巨人が袈裟懸けに棍棒を振り下ろす。
ノゾムは左側に一歩踏み込み、体を側面にずらすことで棍棒を回避する。
息をつく暇もない攻防。ノゾムとキクロプス、どちらかが倒れるまで続く長い戦いが始まった。
ノゾムと巨人との攻防が続くが、終始攻めているのは巨人の方だ。
巨人はその体躯と棍棒のリーチを活かしてノゾムの間合いの外から攻撃を仕掛けてくる。
対するノゾムは巨人の攻撃がギリギリ届かない距離で回避に専念し続けている。もう2歩ほど踏み込めれば彼の間合いに入るのだが、巨人の攻撃が苛烈で彼の間合いに入ることが出来ずにいた。
ノゾムが魔法を使えれば、もしくは魔法を使える仲間がこの場にいれば、ここまで苦戦しなかっただろう。
キクロプスは並はずれた筋力を誇っているが、魔法に対する耐性はそこまで大きくない。
即時魔法が使えるアイリスディーナや大規模魔法が使えるティマであれば、相手の足を拘束魔法で止めた上で殺傷力の高い魔法を急所に打ち込めばいい。
炎や雷などならば、相手の鋼鉄の皮膚そのものを焼き、内部にダメージを与えることが出来るからだ。
それで仕留めきれずとも、相手には十分に大きなダメージを与えることが出来き、それで流れは彼女達に向くだろう。
だがノゾムにその方法は使えない。それがノゾムにとって、この戦いをより厳しいものにしていた。
「グウゥゥゥゥゥゥゥ!」
ただ幸い、自分の攻撃がノゾムにいつまでも当たらないことに、キクロプスが焦れてきた。
元々ノゾムを脅威として感じていなかったキクロプス。すぐさま潰せると思った相手が思いの外粘っていることにイラついてきたのだ。
これはノゾムにとっては千載一遇の好機だ。焦れてきた巨人の攻撃は徐々に大振りになり、攻撃の間隔が少しずつ開いていく。
(まだだ……まだ仕掛けるには早い。もう少し焦らせてからだ……)
ノゾムは焦らずにキクロプスの攻撃を回避し続け、その時を待つ。狙うのは相手の焦りが極限に達した瞬間。そしてついにその瞬間が訪れた。
「ガァァァァァァ!」
いつまでも攻撃が当たらないことに巨人の我慢がついに限界に達した。大きく棍棒を振り上げて大上段からノゾムに打ち降ろす。
轟音とともに棍棒が一瞬で加速し、夜の冷えた空気を切り裂いてノゾムに迫りくる。
「今だ!!!」
ノゾムは迫りくる鉄塊に対して、正面から最速で突っ込む。傍から見れば無謀以外の何物でもない行為であり、ついに恐怖が限界を超えて錯乱したように見えるだろう。
だがノゾムの行為は決して無謀ではない。
剣、棍棒、斧等の長柄の武器は大きさの大小はあれど、円軌道を行うためその威力は切っ先に集中する。
言い換えれば、切っ先から離れるほどその威力は減退していく。
キクロプスの攻撃が焦りで大振りになったため、ノゾムは巨人の棍棒の切っ先より一歩内側に踏み込むことに成功した。
だが、たとえ威力が落ちるとしても相手の膂力は強大。ノゾムが真正面から受けられるものではない。
ノゾムは巨人と同じように上段から刀を振り下ろす。ようやく巨人の間合いより一歩踏み見込めたとはいえ、彼の間合いには一歩たりない。
だがノゾムの目的はキクロプスではなく、巨人の持つ棍棒そのもの。
ノゾムは巨人が振り下ろした棍棒のさらに上段から刀を叩きつける。さらに全身の筋肉を全力で強化し、強化した筋肉全てを連動させ、体を横方向にひねる。
すると、叩きつけた刀を基点にしてノゾムの身体が横方向に流れ、同時に巨人が振り下ろした棍棒の軌跡が逆方向へと僅かに逸れた。
ノゾムは巨人の棍棒を真正面から受け流せないと悟り、巨人と全く同じ方向から力を加えることで、相手の力を受け流しながら体を移動させることで巨人の攻撃を捌いたのだ。
だがこれは一歩間違えば即死だ。刀を打ち込むタイミングが僅かでも早ければ刀ごと叩き潰され、逆に遅ければ巨人の力を受け流しきれずに潰される。
まさに綱渡りの攻防だが、ノゾムはこの糸の上を歩くような綱渡りを制し、ついに自分の間合いに踏み込んだ。
ノゾムは刀に気を送り込み、極圧縮しながら跳躍。狙いは巨人の首。
送り込まれた気と、ノゾムが持つ優れた制御力によって魔刀と化した刀が巨人の首に吸いこまれる瞬間…………ノゾムの身体が吹き飛ばされていた。
巨人は飛びかかってきた俺をまるで蠅を振り払うように片手で払いのけた。
ただそれだけのことなのに、払いのけられた俺の身体はまるで風に吹かれた木の葉のように吹き飛んでいく。
必殺の斬撃はキクロプスの首を捉えることはなく、巨人の頬に傷を付けただけだった。
「ガハッ! グッ!」
吹き飛ばされた俺は次の瞬間には地面に叩きつけられていた。全身がギシギシと軋み、激痛が体の中を駆け巡っている。
「グッ、ゲフッ!」
口の中に錆鉄の味が広がる。
腹に触ると鈍痛がしてくる。内臓を痛めたかもしれない。
俺はポーチの中にいつも入れているポーションを飲み干す。
ティアマットとの戦いで回復系を含めた道具はすべて使い尽くしてしまっていたが、今では回復薬くらいは買えるようになっていた。
腹部の痛みは収まったものの、体全体に走る痛みは消えない。
(グゥ! マズイな…………)
一撃で決められなかった。おまけに不味いことに…………。
「ガァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
キクロプスの三つ目が紅く染まり、巨人の全身の筋肉がミチミチと音を立てて隆起する。異能“狂気の忌眼”が発動したのだ。
容易いと思っていた相手に傷をつけられたキクロプス。一方的に蹂躙出来る相手に抵抗され、イラついていたところに傷を受けたことで、巨人は完全にキレてしまっていた。
キクロプスの威圧感が先程とは比較にならないほど膨れ上がる。膨れ上がった威圧感のせいで、ただでさえ大きな巨人の体躯をさらに大きく見えてしまう。
この姿を見たならば、普通の人間なら腰を抜かしてへたり込み、並みの兵士なら我先にと逃げだすだろう。
(くそ! この脳筋野郎の癖に!!)
だが、キレているのは俺も同じだ。もっとも、俺の場合は巨人と戦う前から既にキレている。
狂気の忌眼を発動し、もはや今のままの俺では手に余ることは確実なのに、頭にはやはり逃げるという選択肢が浮かばない。
体の傷自体も回復薬を飲んだ今なら、戦い自体にそこまで影響はないだろう。
俺は自身がまだ戦えると分かると即座に立ち上がり、刀を構える。
俺の胸に渦巻く激情は起死回生の手段がうまくいかなかったことでさらに膨れ上がり、とにかくコイツを殺すという凄まじいまでの殺意とイラつきに変わっていた。
「オオオオオオオオオオオオオオオ!!」
巨人が俺に向かって突進してくる。全身の筋肉が異常に強化されたキクロプスの突進は先程とは比較にならないほどの速度と叩き出し、巨大な岩の様な体躯が迫りくる。
俺は“瞬脚”で咄嗟に離脱するが、巨人は即座に方向転換し、離脱した俺にめがけて棍棒を打ち落とす。
すぐさま“瞬脚”を“瞬脚-曲舞-”へと変え、複雑な曲線移動を繰り返すことで巨人の攻撃を回避しようとするが、身体能力が倍化した巨人は振り切れない。すぐさま俺に追いつき、棍棒を叩きつけてくる。
(この開けた場所じゃまずい!!)
今俺達が戦っている場所は森の中にぽつんと広がった広場のように開けている。この場所では巨人の行動を妨げる様な障害物が存在していない。結果として巨人はそのあり余る身体能力を惜しげもなく披露しているが、こちらはハッキリ言ってジリ貧だ。
ワイルドドックとの戦いで後先考えなかったせいで、気量も少なくなくなってきている。これ以上避け続けるのは難しいだろう。
ならどんなに危険でも賭けに出るしかない。問題は俺の身体が持つかどうか。
最後のその一瞬にすべてを賭け、俺はあえて迫りくる暴風の渦へと足を踏み入れた。
「ぐううううう!」
ノゾムの体全体が悲鳴を上げている。いつまでも避けきれないと悟ったノゾムはあえて致死の嵐の中へと踏み込んだ。
今までシノから学んだ体捌きを全て用いて、巨人の攻撃を避け続ける。
ノゾムの周囲にはキクロプスが棍棒を振り回すたびに強風が吹き荒れ、地面を叩けばそのたびに土塊の雨を降らせている。
ノゾムが速度を倍化させたキクロプスの攻撃を避けていられるのは、あまりに相手の攻撃が読みやすいからだ。
“狂気の忌眼”は確かに身体能力を劇的に高めてくれるが、その代償として理性のほとんどが削られる。
そのため、ただでさえ読みやすかったキクロプスの攻撃はさらに読みやすくなり、ノゾムは相手が構えた時点で攻撃してくる位置が手に取るように分かった。
しかし、それでも倍化した能力から繰り出される攻撃と間隙の無さは脅威だ。
目の前を通り過ぎていく死の鉄塊は、それだけで相手の戦意を挫き、体を硬直させる。
ノゾムが十全に動いていられるのは、単純にこれ以上の威力を持った攻撃を知っているからだ。
ティアマット、シノ、ルガト。
いずれもこのキクロプス以上の存在であり、彼らとの戦いは肉体や技量だけでなく、ノゾムの精神的な糧として、確かに彼の血肉になっていた。
だが、いくら相手の攻撃が分かっていてもあまりに素早く切り返されるので、ノゾムは自分の間合いに踏み込めずにいた。
(このままじゃどの道やられる! 一か八かやるしかない!!!)
ノゾムは巨人が棍棒を振り下ろした瞬間、タイミングを合わせて後ろへと大きく飛ぶ。
巨人はすぐさまノゾムに追撃してきた。理性が無くなっているキクロプスは目の前の障害を完全に潰すまで止まらない。
自分で巻き上げた土煙を突っ切り、巨人はノゾムに突進し続ける。
その時、ノゾムは足を地面にしっかりと固定していた。両足の小指にまで力を籠め、地面を足全体で引っ掴む。
彼は迫りくる巨人を確認すると自らの足に気を極圧縮させ始めた。
幻無に匹敵する気の極圧縮でノゾムの足の皮が裂け、血が滲み出るが、それでもノゾムは気を送り込み続ける。流れ出る血の量が増し、ノゾムの靴を真っ赤に染める。
巨人は斜め上方から鉄塊を薙ぎ払うように振り抜く。ノゾムの目の前に棍棒が迫りくる中、ノゾムは足に込めた気を爆発させた。
頭を地面スレスレにまで下げ、体を地に擦り付けるように投げ出し、巨人の足元めがけて一気に加速する。
元々ノゾムとキクロプスとの身長差は倍以上ある。必然的に巨人の攻撃はノゾムに対して上方から打ち降ろすようになり、その体格差ゆえに巨人の手元の下側に人1人が入り込めるだけの空間が出来る。
ノゾムの目的はその空間に滑り込むこと。
倍化したキクロプスの身体能力は確かに脅威だが、スピードは倍化してもキクロプスの感覚まで強化されたわけではない。
そのために一度後方に大きく跳躍し、相手の突進を誘発。その上で自身も地面スレスレまで体勢を低くして、全力で加速した。
驚異的な加速力と膂力を持っていたとしても、巨人の感覚がそのままである以上。咄嗟の行動の際に生じる隙は大きくなる。
そう考えたノゾムの行動は見事に的中した。
キクロプスが振り下ろした棍棒がノゾムを捉えると思われた瞬間。巨人は獲物の姿を見失った。
倍化した身体能力で突進していた巨人の視界は狭く。目の前を一瞬で、自身の進行方向と反対に加速したノゾムに巨人の感覚が追い付かなかったのだ。
ノゾムは巨人の足元に潜り込むと、腰からナイフを取り出し、気を送り込む。
元々戦闘を想定しない雑用ナイフであるが、送り込まれた気が極圧縮されたことで、切れ味の悪いナイフは一時的に魔剣並みの切れ味を持つ。
ノゾムはそのナイフを巨人の膝に突き立て、その上でナイフの柄をもぎ取る。
ナイフの刃はまるで楔のように巨人の膝の中も深々と埋まった。柄を壊されている以上、巨人はこのナイフの刃を引き抜くことができない。
しかも巨人が体勢を立て直そうとして膝に力を入れたために、ナイフが関節の骨や筋を引き裂き、膝の関節を完全に破壊した。
キクロプスの身体がぐらりと傾き、倒れこむ。咄嗟に巨人は両手で倒れぬように体を支えようとするが、その先にはすでにノゾムが回り込んでいた。納刀された刀にはすでに僅かに残ったノゾムの気がすべて送り込まれ、極圧縮されている。
これこそがノゾムの狙い。
巨人の両手を封じつつ、一撃でキクロプスを屠るための手段だった。
ノゾムの刃が放たれる。逆風に抜き放たれ、斬り上げられた刃は巨人の首をついに両断した。
「ゼエッ! ゼエッ! ゼエッ!」
頭を落とされた巨人の首から血が吹き出し、紅い地面をさらに紅く染めていく。
気を限界まで絞り切り、全力で戦い続けたことによる疲労と、極限の緊張感のせいで息が大きく乱れ、俺は地面に膝をついていた。
頭の中は極度の疲労のせいで朦朧としており、まともに考えが湧かない。
だがそんな中でも胸の中の激情はおさまってくれていない。これだけ血を被り、命を屠ってもまだ暴れたりないと俺の中で、暴れまわっている。
(……だ……ろ。ゆ………ねろ……)
耳の奥で木霊する声が徐々に大きくなっていく。俺はその声に従いたいという思いが抑えられなくなっていた。
“我慢などぜず、思うがままに力を振るいたい!!”“目の前の何もかもをぶち壊したい!!”
その声を最後に残った理性が必死に食い止めている中、 ガサリと音が耳に届いた。その音に慌てて周囲を見渡す。そこには俺の目を疑うような光景が広がっていた。
巨人がいる。それも一人や二人ではない。少なくとも十人の巨人がそこにいた。
体格は今し方屠った相手より一回り小さく、顔にある目は一つだけ。キクロプスの下位種であるサイクロプスだ。
さらに奥には三つ目の巨人までいる。
「ガアアアアアア!」「グオオオオオ!!」
巨人達が俺を一瞥し、傍にあった首のない死体を見つけた途端、巨人たちの目が真っ赤に染まった。
巨人達の体躯が膨れ上がり、目の前に巨大な肉の城壁が現れる。
おそらく先程屠ったキクロプスはこの群れの仲間だったのだろう。仲間を殺された事に怒り狂い、その元凶である俺を殺すつもりなのだ。
「ハ、ハハハハ…………」
もう無理だ。この消耗しきった状態では、戦うことも逃げることもできない。
目の前に現れた城壁を見上げていた俺の口から乾いた嗤い声が漏れていた。
(ゆだ……ろ。ゆだねろ…………)
心の奥底の声がはっきりと聞こえる。俺は生き残るために最後の枷を外す理由を見つけてしまった。気付いてしまった。
自身を縛り付ける鎖に手を掛ける。目の前に黒い巨龍の姿がチラつくが生き残るにはそれしかないと気付いた時点で、俺の中の躊躇は完全になくなっていた。
後に残ったのは身を焦がす激情と“何もかもぶち壊したい!!”という強烈な破壊衝動のみ。
すべてを思考の外に置き去りにして、すべてを己の衝動のままに、俺は鋼鉄の鎖を引き千切った。
いかがだったでしょうか。
キクロプスを倒すことには成功したノゾム。しかしまだ続きます。
文の長さが中途半端になりそうだったので、もう1話追加して3分割にすることにしました。
それではまた。