第3章第3節
お待たせしました。第3章第3節です。
それではどうぞ。
「もう一度聞くわ。あなた達はこんな所で何をしていたのかしら?」
その少女はこの場にいる者たちすべてを見渡しながら、そう言い放つ。その声は氷槍のような冷たさを持ちながらも、彼女の持つ静かな怒りを感じさせていた。
彼女が持つ弓には次の矢が既に番えてあり、その弦は張りつめ、いつでも放つことができる様になっていた。
さらに番えられた矢は淡い光を放っており、何らかの魔法が掛けられていることが分かる。
俺は先程、自分の目の前を駆け抜けていった矢を思い出す。たった一矢で、最低ランクとはいえ複数の魔法を薙ぎ払ったことを考えれば、この少女が今矢をつがえている指を離すだけで、クラスメート達は木の葉のように吹き飛ばされるだろう。
「な、何って……べ、別に大したことじゃねえよ……な、なあ」
「そ、そうだぜ。お、俺たちはただ、ちょっと遊んでいただけで…………」
俺が考えていた事は彼らも分かっているのだろう。俺を嬲っていたクラスメート達は顔を青くして後ずさる。
「そもそも、決められた場所以外での戦闘行為は禁止されているはずよ。貴方達、みんな揃ってこの学園から叩き出されたいのかしら?」
少女はそう言って笑みを浮かべる。可憐な野に咲く花の様な笑みだが、その笑みから感じる威圧感はかなりものであり、彼女の実力の一端を感じさせる。少なくとも10階級の生徒では身に余る相手であることは確実のようだ。
「い、行こうぜ…………」「お、おう……」
彼らはそう洩らすと、そそくさと立ち去った。彼らが居なくなったことで少女も魔法を解除して弓を降ろす。
「ありがとう、助かったよ。」
俺は少女の元へ行ってお礼を言い、彼女と向き合って改めて驚いた。
その少女は一言で言えば可憐だった。青みがかった癖のない長髪に、蒼色の瞳。長く、引きしまった脚線にスレンダーな肢体と、驚くほど白く整った顔立ち。
彼女の容姿からは蒼天の野原一面に広がる草木の様な生命力を感じた。
リサやアイリスディーナと並ぶほどの容姿だ。そして彼女の長い髪から覗く長い耳。アークミル大陸に住む種族の1つ。エルフの特徴だ。
“エルフ”
精霊の祝福を最も受けたと言われる種族で、長命であること、総じて容姿が整っていることなどで知られている。
しかし何より有名なことが、精霊と感応できるという事だ。
彼らは周囲の精霊と感応することで、遠くの出来事を見聞きしたりするなど、様々な恩恵を受けることが出来る。
元々は大陸北部のフォスキーアの森を中心とした国“ネブラ”という国で生活していたが、10年前の大侵攻で魔獣の侵攻で滅ぼされ、以来流浪の民となっている。
「……別に気にしなくていいわ。私は通りかかっただけよ」
気にしなくていいという彼女だが、その表情は硬く、その視線は先程俺を嬲っていたクラスメートに対するものと変わらない。 その表情に俺は少し戸惑った。
「え、えっと、改めてありがとう。俺は「知っているわ。ノゾム・バウンティスでしょう」えっなんで、俺の名前を……?」
「昼の噂。今日学園に来ていた人達ならみんな知っていると思うわよ」
…………確かにそうだった。昼間のアイリスディーナとの出来事は、既に学園中に広まっている。彼女が知っていても不思議じゃない。
「私はシーナ・ユリエル、3学年2階級よ。でも、私があなたを知っている理由は昼間の噂が原因じゃない。あなたが一学年の時、リサさんに対して行った仕打ちが理由よ」
彼女がそう言った彼女の眼は、さら厳しいものになる。
「そもそも、あなたがリサさんに対して浮気なんてしなければ、彼らもここまで強硬なことはしなかったはずよ」
その一言が俺の胸を抉る。リサと付き合っていた時は、確かに周囲から色々と言われてはいたが、私刑の様な暴力沙汰はなかった。それを受け始めたのは俺がリサに振られてから。
「今回の事は確かに彼らから手を出してきたのかもしれないけど、そもそも原因はあなたにあることを自覚しなさい」
彼女は俺にそう告げると踵を返す。もう用はないのだろう、彼女はまっすぐ校舎に帰っていく。
俺は彼女の背中をまっすぐに見つめていた。
(分かっていたさ。そんなことはとっくに分かっていた)
周りの俺に対する態度がさらに酷くなった理由など、とうの昔に理解していた。
俺自身は浮気など全くしていない。ずっとリサを想っていたし、傍にいる女性なんて彼女しか考えられなかった。
でも、俺が浮気をしたという噂は既にこの学園の人間にとっては事実となってしまっている。
噂が立ち始めた頃なら其処まででは無かったのかもしれないが、時間が経つうちに真実として学園の生徒達に刷り込まれてしまった。
その原因は、あの時の俺が鍛練という名の逃避しか考えられず、その噂に抗おうとしなかったせいだろう。もしあの時、逃げずに抗っていたら、“そんなことしていない!”と声高に叫んでいたら、もしかしたらリサとの仲はここまで拗れなかったかもしれない。
でも俺は逃げた。周囲の間違った認識を正そうとしなかった。
…………これも俺の逃げ続けてきたこと……。
「………………自覚していたさ、理由が俺の“逃げ”が原因なんてことは。周りと向き合おうとしなかったことが原因なんてことは……」
俺がそう吐き捨てる声だけが、校舎裏に響く。
その時、ふと俺は誰かの気配に気付いた。誰かがこちらを見ている。気配自体は弱く、かつ敵意や殺気もなく、すぐにその気配は消えた。
その視線は校舎裏の茂みの中から感じた。俺がその茂みの中をのぞいてみると、よく分からない紋様が描かれた一枚の紙が木に張り付けてあった。
「おいノゾム!大丈夫か!」
俺が声のした方を見ると、マルスが走ってくるのが見える。俺はもう一度木に張り付けられていた紙を見つめると、その紙を懐にしまい。友人の所に向かって歩き始めた。
「……なるほどな~。どうやら言われているほど弱くはないみたいやな。アイツ」
校舎の屋上。既に始業の鐘は鳴り、誰もいなくなったはずのこの場所に、金色の耳と尻尾を持つ1人の男子生徒がいた。昼休みの時にノゾムを遠くから眺めていた男子生徒だ。
おそらく、何らかの遠見の術を使っているのだろう。彼の足元には陣が描かれ、魔力光を放っている。彼の目の前では一枚の符が浮いており、彼の毛並と同じ金色に淡く光っている。
本来なら校舎裏は影となっていて見えるはずがないが、彼はこの術で先ほどのノゾムとクラスメート達のやり取りを盗み見ていたようだ。
「しかし、なかなか頑張るやないか。10階級の生徒相手とはいえ、1対10であそこまで頑張るなんてな~。あのヤンチャ坊主を引き離せばどうなるかと思うてやってみたけど、意外とおもろい結果になったな~。まあ、シーナの邪魔が入ったのは予想外やったけど……」
どうやら男子学生を使い、マルスをノゾムから引き離し、彼を一人にさせたのはこの男のようだ。彼の目の前にはシーナと向き合うノゾムの姿が映し出されている。
「しかしわからんな~。確かに腕は悪くはなかったが黒髪姫が目を掛けるほど強いわけでもあらへんし……まだ何かあるんかいな?」
その生徒は頭をガリガリと掻きながら目に映るノゾムの姿を見続ける。
「う~~ん、もう少し様子を見てみるか」
そう言い、彼は行使していた術をかき消し、校舎の中へと戻っていくが、術の解除が僅かに早かったために彼は気付かなかった。ノゾムが自身の心中を吐露していたことを。ノゾムが彼の術に気付き、彼が施した符を見つけたことを。
その日の授業が終わった後、俺とマルスは牛頭亭にいた。放課後付き合ってくれと言ってきたアイリスディーナさん達も一緒だ。今は宿に泊まっている人はおらず、店の入口には準備中の立札が掛けられ、店の中には俺達と、ハンナさん達だけだった。
そんな中で初めに口を開いたのはアイリスディーナさんだった。
「まず、ご両親方に謝罪させてください。この度は私たちフランシルト家のせいで御子息方を危険な目に合わせてしまい、申し訳ありませんでした」
謝罪の言葉とともに、深々と頭を下げるアイリスディーナさん。
フランシルトにとって、あの事件の真実を知る人間を増やすことは家のためにならないだろうが、アイリスディーナさんは、
“あの事件はうちが隠蔽工作をしてしまったが、それでも話せることを話し、きちんと誠意を示したい”
と述べ、ハンナさんとデルさんにあの事件について、300年前のフランシルト家との密約も含めて説明した。
その時の彼女は相変わらず凛としていて、真っ直ぐにハンナさん達の視線を受け止めている。
その姿に俺は純粋に見惚れていた。その真っ直ぐな強さを俺は持っていないから…………。
マルス達を巻き込んだことで、彼女はハンナさん達に罵倒されることは覚悟していたようだったが……。
「なんだい、かわいい女の子を守るために体を張るなんて、あんただってしっかり出来るじゃないか!」
そう言ってハンナさんはマルスの背中をバンバンと笑顔で叩き始めた。あの時庇われていたティマさんは顔を赤くして俯いているが、小さくコクコクと頷いている。ハッキリ言ってかなり可愛い……。
「痛えよ!何すんだ!!」
肝心のマルスはそんなティマさんの様子には気付かず、かなり痛いのかハンナさんに向かって文句をブーブー言っている。しかし彼の顔は赤く、誰がどう見ても照れていて、それを見てハンナさんはますます機嫌を良くしていた。
「全く、お兄ちゃんいつもこうならいいんですけどね。まだまだ安心できません。何せ前科が多すぎますから……」
エナちゃんは相変わらずマルスに対しては容赦がないが、その頬は隠しようない程緩んでいる。やはり普段憎まれ口を叩いていても兄を褒められるのは嬉しいんだろう……。
「ああそうだ。ノゾム君。まだ時間は大丈夫かな? まだ少し付き合ってほしいのだが……」
「ああ、別にいいですよ。何をするんですか?」
「別に大した事じゃないよ。せっかくの機会だからみんなで少し散策してみないか?商業区のこの辺りはあまり来たことがないんだ」
「は~~い。私も賛成しま~~す!」
「私も……いいよ」
アイリスディーナさんの提案にソミアちゃんが元気よく答え、ティマさんも賛成する。
「まあ、いいんじゃねえか。この辺りなら俺も案内できるし……」
「私はダメですね。夜の仕込みがありますから……」
マルスは了承を伝えるが、エナちゃんは残念そうに行けないという。牛頭亭は、昼は食事処ではあるが、夜は酒場となる。その準備が必要なのだ。
「いいよ。エナ、行ってきなさい」
ハンナさんがエナちゃんに一緒に行くよう勧める。
「え、でも仕込みが……」
マルスと違い、真面目な彼女の事だ。手伝いを放り出して遊びに行くことに戸惑いがあるのだろう。小さく声が漏れる。
「別に2人で大丈夫だよ。せっかくお友達が誘ってくれるのだから行っといで」
「……は、はい!」
ハンナさんがニコニコとした笑顔でエナに言う。初めは迷っていた彼女だが、ハンナさんの笑みに後押しされたのか、笑顔でこちらにやって来た。
「お兄ちゃんの監視が必要ですから一緒に行きますね!皆さんよろしくお願いします」
「ああ、よろしく」「よろしくおねがいしま~す」「うん、よろしくね」「なんで俺の監視なんだよ……」「まあまあ……よろしくね、エナちゃん」
俺達6人は並んで商業区の通路を歩く。それぞれ魅力的な美少女達が並んで歩く姿はかなり目立ち、道行く人達は様々な視線を彼女達に向けている。
その視線に対する彼女たちの反応も様々。
アイリスディーナさんは無数の視線の群れに全く動じず、凛とし佇まいを崩さない。
ティマさんはやっぱり視線が恥ずかしいのか、終始俯いて、顔を赤くしている。
ソミアちゃんはみんなと出かけるのが楽しいのか、周囲の視線気にせず、笑顔いっぱいである。
エナちゃんはソミアちゃんの様に気にしないとまでは出来ないようだが、隣で彼女と同じように笑っている。
マルスは自分に向けられた視線に対して睨み返し、逆に相手を引かせている。
「ははは……それにしても濃いな……このメンツ……」
十人十色の反応に、苦笑いが漏れる。
商業区は各国から様々な物品が運ばれるだけあって、かなりの店が軒を連ねている。大陸東方の細工品や漆器、西方の茶器や衣服、中央の織物や香辛料、南方の果実の瓶詰。
また、旅商人たちも商いに余念がなく、露店を構えて自分の商品の宣伝を繰り返している。賑わいがあり、歩いているだけでも十分楽しめそうだ。
アイリスディーナさん達は様々な露店や店を見て回り、話に花を咲かせている。それを見ていると、学園で雲の上の人たちみたいに思えた彼女達も、1人の少女なのだと改めて感じる。
思えば、俺はこの学園に来てからこんな風に街を歩いたことが無かった。いつも修行や仕事に明け暮れ、リサに振られてからはさらに修行にのめり込んだ。
もう2年以上も住んでいるのに知らない事が多い……いや、俺が知ろうとしなかったのか…………。
自分の考えに埋没しながらしばらく歩いていると、突然腕を引かれて路地裏に連れ込まれた。俺を連れ込んだのは何とアイリスディーナさん。
「な、なんです「しっ」」
突然のことで声を上げようとする俺の口を白い指で塞ぐ。彼女が声を出さずに仕草で、道の反対側を 見てみろと言うので見てみると、そこにはエナちゃんとソミアちゃんがいた。
どうやらエナちゃんも何も分からず引き込まれたようで、目をキョロキョロさせている。
「…………あの、どういうことですか?」
あまり声を上げて欲しくなさそうなので、小声でアイリスディーナさんに話しかける。
「なに、マルス君とティマを2人きりにしたかったのさ」
「あの、なんでですか?」
「ティマは男の子が苦手だから少しでも慣れて欲しくてね。それに彼女もマルス君や君に対しては他の男子より大丈夫そうだし…………何よりティマはマルス君にお礼が言いたいみたいだけど、恥ずかしいらしいからね。少し強引な手段を取ったんだ」
なるほど、それで無理やり2人きりにしたと。おそらくソミアちゃんもグルなんだろう。ソミアちゃんの方を見ると、彼女は笑顔で手をブンブンと振っている。
「……なるほど、なら如何します?」
幾らなんでもマルス達を付けるのはまずいと思うし、彼女もせっかく2人きりにしといてデバガメみたいなことはしないだろう。そう思っていた俺に対して彼女はとんでもないことを言いだした。
「じゃあ、2人でデートと行こうか」
「……………はい?」