第3章第2節
昼休みの出来事はまるで雪崩のように学園内に広まった。学園の誰もが知る美少女に食事に誘われた男子生徒。しかもその生徒は学園始まって以来の落ちこぼれ。
昼休みの後、教室に戻ったノゾムを出迎えたのは、クラスメートたちの無数の視線だった。
「個人に発現するアビリティの他に、種族によって発現する異能があることは既に学んでいると思うが、種族によっては、この異能の影響で、魔法などの技能の習得に優劣があることも知られている。」
ジロジロ………………。
生徒たちの視線は嫉妬や敵意に満ちていて、どう見ても好意的ではない。
「10年前の大侵攻の際には、守ることに関して、他の種族よりも抜きん出ているエルフの国“ネブラ”が魔獣の侵攻の前に滅ぼされていることからも、単一の種族ではこの侵攻に対抗できないことが明白となった。だからこそ、この学園が創立され、各種族の熟知と協調を……」
ちなみに授業の内容は歴史。大侵攻前後の大陸の歴史の授業だ。
流石に授業中は絡んでくる生徒はいなかったが、それはあくまで授業中の話。休憩時間となれば……。
「くそ、何なんだよ……」「何で、アイツが…………」「…………殺す」
等々の怨嗟の声が聞こえてくる。
「……ったく、言いたいことがあるなら正面から来いよな」
マルスが愚痴るが、ノゾムは苦笑いをするしかなかった。
「マルス、先生が呼んでいるぞ」
「なんなんだ?」
一人の男子生徒が、先程授業をしていた先生が読んでいた旨を伝える。
「マルス急いだ方が良いんじゃないか? あの先生遅れたらうるさいぞ」
「分かってる。ちょっと行ってくるぜ」
マルスが席を外し、ノゾムの傍からいなくなると、周囲の陰口はあからさまに大きくなった。
(まあ……仕方ないよな、これは。)
ノゾムは自分がこの学園の生徒たちからどう思われているのか、十分に知っている。2年近くも罵られ、蔑まれてきた。1年の時は特に酷く、リサとの噂が下火にならない内は、リンチ紛いの暴行も受けてきた。
校舎裏に呼び出され、複数の生徒達から殴られ、蹴られ、時には魔法も打ち込まれた。
自分の持ち物を隠されたり、罵倒の言葉と共にズタズタに壊されたりした。
それらの仕打ちのせいで、心身に走った痛みを、心を空っぽにし、まるで人形のように過ごしていた日々…………。
「おい、落ちこぼれ」
ノゾムの思考が昔のことを思い返していた時、自分を呼ぶ声にノゾムは気が付いた。
ノゾムの机の周りにはクラスメートの男子達が集まっている。数は10人ほど。話しかけてきたのは、以前マルスの取り巻きだった生徒だ。
「ちょっと来い!」
「ちょ、なにするんだ!」
ノゾムの胸倉を掴み上げ、力ずくでノゾムを教室から連れ出す男子生徒達。
マルスは先生に呼び出されていて教室にはいない。おそらくこの男子生徒達は、マルスがノゾムの傍からいなくなる時を狙っていたのだろう。
他の生徒たちは助ける気配がなく、ノゾムは抵抗するものの力で敵わず、引き摺られる様に教室の外に連れて行かれた。
ノゾムが教室から連れ出された頃、マルスは教官室にいた。
「なんなんだ、用事って」
マルスが先程の授業の担当教師に用件を尋ねるが、とても教師に対する態度ではない。
「?……要件とは何の事ですか?」
「はあ? あんた俺に用事があるって伝言を生徒に頼んだだろうが」
「?私はそんなことをした覚えはありませんよ」
「…………なんだと!」
どういうことだ? これは。確かに俺は用事があることを聞いたし、ノゾムの奴もそれは聞いていた。なのに、こいつは用事がないって言っていやがる。
「それより前々から思っていましたが、君の態度はなんですか?君は年長者に対する態度がまるでなっていない。そもそも……」
…………待てよ。そもそもなんで伝言だったんだ? あの時は授業の終了直後だ。態々伝言なんて頼まなくても自分でいえばいい。…………もしかして目的は俺じゃなくて…………。
「聞いていますか! 君はどうしてそう「悪い! 用事が出来た!!」あ、こら待ちなさい!」
ノゾムが連れて行かれたのは校舎裏。ノゾムが逃げられないように退路を塞ぐ。
周囲を囲んだ生徒たちは一様にノゾムを睨みつけ、射殺さんばかりの視線を叩きつけてくる。
「おい落ちこぼれ! お前いったい何やったんだよ!」「なんでお前なんかがアイリスディーナさんと一緒にいるんだ!」
そして始まる一方的な問い掛け。彼らはノゾムがアイリスディーナを誑し込んだか、脅したとしか考えていない。
アイリスディーナは生徒たちにとって、憧れの存在だ。自分たちと歳の変わらない少女が、Aランクという、一流のみが持つランクに到達しているのだ。
しかも、彼女の容姿は女神かと思えるほどの美貌を誇っている。彼女に対して持つ感情は様々だろうが、少なくともノゾムの様な、落ちこぼれと言われるような男が相応しいと思う奴はいないだろう。
「このろくでなし野郎のことだ、紅髪姫の時みたいに今度は黒髪姫が酷い目に遭うに決まってるぜ。1年の時みたいな事になる前にしっかり教育し直しておく必要があるよな……。」
リサとの噂をまで持ち出してくるクラスメート達。彼らはニヤニヤしながらノゾムに詰め寄ってくる。
リサとの事を思い出し、ノゾムの胸がギシリと軋み、ノゾムの顔が僅かに歪む。
「大人しくしていろよ。俺達だって鬼じゃないんだ。そうすればすぐに終わらせてやるぜ」
「クッ!」
マルスの取巻きだった生徒がそう言うと、いきなり殴りかかっていた。ノゾムは咄嗟に自分の顔面に迫ってきた拳を片手でいなす。
ノゾムに避けられたことに苛立ったのか、その男子生徒は連続で殴りかかるが、明らかに前動作が丸分りなので、ノゾムは無傷で避け続ける。今のノゾムは集中すればマルスとも打ち合えるのだ。1対1で10階級の生徒の拳打に当たることはまずない。
「チッ、チョコマカ動くんじゃねえよ!!」
自分の拳が避けられ続けることに苛立ってきたのか、相手の動きが更に雑になる。ノゾムは自分の顔面狙いのストレートを往なすと同時に踏み込み、自分の腰に相手の重心を乗せると、一気に伸びきった相手の腕を引いた。
相手の男子生徒はそのままの勢いで前転し、背中を思いっきり地面に叩きつけられ、“グエッ!”という潰れたカエルのような呻き声をあげた。
「こいつ!」「嬲り殺しにしちまえ!」
ノゾムの予想外の抵抗に、周囲を囲んでいた生徒達がキレて殴りかかってくる。ノゾムは今までの集団戦と同じ要領で動き回り、一度に複数人を相手にしないように動きながら捌いていく。流石に初めから囲まれている上、校舎裏はあまり広くなく、常に1対1を維持することはできないため、かなりギリギリの均衡ではあった。
その様子に男子生徒達の苛立ちはさらに高まる。彼らにとってノゾムは自分達の苛立ちを解消するための案山子でしかなかった。
彼等もまた10階級という最底辺クラスの人間として、常に他のクラスから見下されていた。今まで彼らは鬱憤を、その最底辺クラスの中で最下位であるノゾムにぶつけてきたのだ。
そのノゾムの抵抗は彼等にとって予想外だった。以前彼らがノゾムを嬲った時、ノゾムはほとんど無抵抗だった。だが今のノゾムは、殴りかかってくる男子生徒達に真っ向から抵抗している。
さらには……
「フッ!」
大振りのフックをかわした隙に相手の水月に気で強化した拳を叩きみ、急所を殴られた男子生徒が悶絶して倒れこむ。
今までノゾムは攻撃に関してあまり積極的ではなかったが、徐々に彼は攻撃にも積極性が出てきた。
3学年初めの模擬戦でマルスに相手ごと斬りかかられた時も苛立ちを覚えていたノゾムだが、今の彼は場合によっては問題無い範囲で、自分の持つ技を使うようになっていた。
もっとも、彼の技は相も変わらず殺傷力が強いので、使いどころが難しいのは変わらなが…………。
それこそがノゾムの成長だった。
今まで逃げ続け、夢を言い訳にして立ち止り、周囲から目を背けていた彼。
逃げ続けていることを自覚しながらも、前に進めなかった彼が、友人を得て、人前で力を振るった事がきっかけとなり、本当に僅かではあるが、歩み始めた証だった。
(クッ!やっぱり数が多い!)
しかし、幾らノゾムの技量が優れていたとしても、多勢に無勢。しかも自分の刀は教室に置きっぱなしだ。おまけに乱闘している場所も悪い。校舎裏は狭く、動き回ることが難しい。どうにか捌けてはいるものの、身体能力でハンデがあり、かつ自身の得物を持っていないノゾムは打開する術がなかった。
(とにかく、どうにかしてこの場を切り抜けて「ゴウン!」な、なんだ!?)
どうやってこの場を切り抜けるか考えていたノゾムだが、突然魔力の波動を感じて、その方向を見ると、1人の男子生徒が激高して魔法を発動しようとしていた。
「この糞野郎! 殺してやる!!」
魔法を使おうとしていたのは、先程ノゾムに腹を殴られて悶絶していた男子生徒。その目は血走り、明らかに冷静さを無くしていた。
「な!」「くそ! 俺達まで巻き込む気か!」
ノゾムの周囲を囲んでいた他の生徒たちが一斉にノゾムの傍から離れたと同時に魔法が発動した。
ノゾムに向けられた魔法は“土蛇の鞭”。
大地の土がそのまま巻き上がり、土で複数の鞭を構築、それらの鞭が一気に襲い掛かってきた。
「やばい!!」
ノゾムは咄嗟にその場を飛び退く。その直後、土の鞭達が文字どおり蛇の様に暴れまわりながら、ノゾムの脇を通り過ぎた。
「つぶれちまえよ! ゴミ屑野郎!!」
しかしまだ終わらない。ノゾムの脇を通過した蛇達はその身をくねらせ、再びノゾムに向かって襲い掛かってきた。
だが術者自身の精神が不安定なせいもあり、土蛇の動きに見境がない。一撃一撃に容赦がなく、鞭が地面を叩くたびに土が捲り上がり、小石が周囲に弾け飛ぶ。気術の効果が薄いノゾムが当たればただでは済まない。
「ク、この、うわ!」
ノゾムは無軌道な鞭の群れを全力の身体強化と体捌きで躱していくが、動き自体は土蛇達の方が早く、周囲を囲まれてしまう。
「終わりだ!!」
その声と供に、一斉に土蛇達がノゾムに殺到する。鞭の軌道は正面、上、左右の4方向からノゾムを薙ぎ払うように迫る。躱す隙間は無く、得物がないので捌けない。
「まだまだだ!」
ノゾムはそれでも抗う。躱す隙間がないなら作るまで!
ノゾムは正面の鞭に向かって突進する。気術“瞬脚”で一気に加速し、左腕に全力で気を送り、極圧縮する。
その左腕に右手を添えて前方に突き出し、正面から襲い掛かってくる土鞭を滑らせる。
「ぐうぅぅぅぅ!」
容易く人を殴り殺せる土の凶器が左腕の皮を削ぎ取るが、鞭は気を極圧縮した左腕の上を滑り、その軌道を逸らされ、ノゾムの頭上を通過。ノゾムはそのまま術を使っていた生徒に向かって突進する。
「な、バカな!!」
「うおおおおおお!」
相手はまさかノゾムが自分の魔法を避け切るとは思っておらず、完全に無防備だった。しかもこの手の操作系の魔法は、術を使っている最中術者は動けない。
ノゾムは突進の勢いのまま右手に気を集中させて殴り飛ばそうとするが……。
「いい気になるなよ! 落ちこぼれ!!」
突然、横から魔力弾が襲ってくる。ノゾムは咄嗟に身を翻して躱すが、さらに多数の魔法が襲いかかってきた。
流石に躱しきれず吹き飛ばされ、そのまま校舎の壁に叩きつけられる。
「ぐあ!」
魔法を使ったのは“土蛇の鞭”に巻き込まれそうになって、避難していた他の生徒達だった。
「落ちこぼれ相手に何やってんだよ……」「わ、悪い……」
ノゾムを引き飛ばした男子生徒たちはお互いを確認すると、吹き飛ばされたノゾムを見る。ノゾムはどうにか立ち上がったが、明らかにダメージがあり、立ち上がる動作もぎこちない。
「散々手こずらせやがって」
あわやノゾムにやられそうになった男子生徒が愚痴ると、魔力弾を放つ。ノゾムは地面を転がることで避けるが、その姿を見たクラスメート達は次々と魔力弾をノゾムに向けて放った。
「見ろよ。あの無様な姿!」「汚ねえなあ、もう少しまともな避け方出来ないかねえ」 「ハハハハ! 何時まで避けられるかな?」
必死に避けるノゾムの姿がよほど面白いのか、ゲラゲラと笑いながら魔法を打ち込む生徒達。
お世辞にも綺麗とは言えない避け方だが、それでもノゾムは避け続け、抗い続ける。
(まだまだ、こんな事でギブアップなんて言えるかよ!)
今のノゾムを突き動かしているのは、“抗う”という意思。理不尽な仕打ちに対する純粋な怒りだった。
しかし、限界は訪れる。避けきれなかった魔力弾に被弾したことで体勢が崩され、さらに魔力弾の群れが迫りくる。ひとつひとつの威力は低いが数が多く、まともに当たれば重傷は免れない。
それでもノゾムは目を背けない。彼はこんなものなんかより、もっと凄まじいものを見てきたのだ。
ティアマットの巨炎。シノの絶技。ルガトの多重魔法。
自分に迫りくる魔力弾が自分にとって脅威であることは分かっても、彼が目を逸らす理由にはならなかった。
ノゾムの目の前に迫ってきた魔法が彼に当たると思われた瞬間。一本の矢がノゾムの目の前を駆け抜け、魔力弾の群れを纏めて薙ぎ払った。
「なっ!」「誰だ!邪魔しやがったのは!!」
クラスメート達が大声を上げ、矢の飛んできた方を見ると、ひとりの乙女が弓を構えていた。
「何をしたかですって? あなた達こそこんな所で何をしているのかしら?」
鈴のような声が周囲に木霊した。
その乙女は青みがかった長いストレートの髪をなびかせており、前髪を黒いカチューシャで留めていて……。
「もう一度聞くわ。あなた達はこんな所で何をしていたのかしら?」
なにより、その髪から彼女の長い耳が見えていた。
お待たせしました。第3章第2節、投稿しました。
今回はノゾムの変化をより明確に書いてみました。
第2章第2節でマルスに模擬戦の相手ごと斬りかかられたときも、ノゾムは怒りを感じてはいましたが、ここまで明確に抵抗はしませんでした。
これからは自身の技も少しづつではありますが使うようになります。(殺傷力の高さから、使う場所は限定されますが)
第2章で少し前に進んだことで、ようやく学園生活に少しづつ目を向けるようになった雰囲気を感じていただければ幸いです。
そして再び新キャラ登場。まだ新しい登場人物紹介は投稿しませんが、折を見て投稿したいと思います。
皆さんのご意見、ご感想をお待ちしていますので、お気軽に感想の欄に書いていただけたらと思います。
それではまた次節で。