第3章第1節
お待たせしました。第3章の開始です。
早朝のアルカザムの大通り。
ソルミナティ学園の正門に繋がるこの通りには、多くの登校中の生徒たちが歩いていた。
その大勢の生徒たちの中に、2人の男子学生の姿があった。
1人は腰に東方の刀を差した少年、ノゾム・バウンティス。ソルミナティ学園3学年の総合成績最下位の男子生徒。
もう1人は背中に大剣を背負った大柄な少年、マルス・ディケンズ。ノゾムと同じく3学年で、実力は有っても素行が悪かったせいで、最下位のクラスにいる男子生徒。
2人が学園に向かって歩いていると、同じように登校している生徒たちがある噂を話していた。
「ねえ聞いた? アイリスディーナさんの屋敷でマジックアイテムが暴発したらしいわよ」
「ええ、聞いたわ。町でも大騒ぎだもの。でも怪我人も亡くなった人もいなかったんだからよかったわ」
フランシルト家の騒動から数日後。あの騒動はソルミナティ学園やアルカザムで形を変えて聞かれるようになった。
なんでもフランシルト邸にあったマジックアイテムが暴走。屋敷を結界魔法で完全に遮断して、中にいた人間を閉じ込めてしまった。
しかし、アイリスディーナさんが原因のマジックアイテムを破壊。事態は収束したという話になっていたけど……。
「ノゾム、あの時の事件、なんか変な話になっているな。…………この噂、フランシルト家が流したと思うか?」
マルスが周囲に聞こえないような小さな声で俺に訪ねてくる。
「分からない。アイリスディーナさん本人はこの件が公になることは気にしないかもしれないけど、フランシルト家位大きな家だと周りが黙っていないと思う。」
数日前の件は、フランシルト家にとって知られたくない件だ。おそらく真実を誤魔化すために、いかにもそれらしいことをでっち上げる可能性はある。
「…………でも、今はいいじゃないか。少なくともソミアちゃんは無事だったんだから」
「まあ、な」
俺の意見に同意するようにマルスが答える。
俺にはフランシルト家の内情や、貴族の義務はよく分からない。あの時闘ったのは、単純に友達を守りたかったから。
もうダメかと思ったこともあったけど、結果として、また彼女の笑顔を見ることが出来た。
でも…………。
「ソミアちゃん、大丈夫かな……後遺症とかないといいけど」
すぐに元に戻ったとはいえ、一度は魂を抜かれた彼女。おまけに魂に何やら怪しい魔道具が融合しているのだ。何らかの後遺症がないかノゾムは心配だった。
「医者の話では問題ないようだがな……やっぱり気になるか」
「……うん。今度機会があったら聞いてみるよ」
あの事件があったとしても、ソルミナティ学園自体はいつもどおり授業をしている。
午前中の授業はノルン先生の魔法授業。
内容は付加魔法の応用術。ノゾム自身は、魔法は使えないとしても筆記試験でどうにか進級している身としては、たとえ使えなくても疎かにはできなかった。
ちなみに実技が得意なマルスはこの手の授業が苦手なので、授業中ウンウン唸っていた。
マルス自身、魔力自体はソコソコ持っているが、術式の構築や属性同士の干渉など、魔法に関する授業はとにかく頭を使うので、単純肉体派のマルスには難しい内容ではあった。
午前の授業が終了した後の昼時の教室内。クラスメートたちが思い思いに昼食を取っている。
マルスとノゾムは和解して以来、何か用事がない限りは一緒に食事を取ることが多くなっていた。
「ノゾム、昼飯どうするんだ?」
「とりあえず購買で買ってある。マルスは?」
「俺は家から持ってきた弁当があるからな」
そう言ってマルスは弁当の入った包みを上げる。
ノゾムは以前食べた穴ウサギのステーキを思い出していた。あの牛頭亭の店主の弁当ならかなり美味いだろう。
(とりあえず、適当な場所で食べようか……)
「マルス、何処で昼飯食べ「すまない、ノゾム・バウンティス君はいるかい?」……えっ」
最近よく聞く声に自分の名前を呼ばれたので、ノゾムが声のした方を見ると、そこには2人の美少女がいた。
1人は漆黒の黒髪と完璧な肢体を持ち、それ以上に自信に満ちたオーラをまとった少女、アイリスディーナ・フランシルト。
もう一人は茶色の髪を肩口で綺麗に切りそろえ、アイリスディーナさんに劣らない容姿を持つ少女、ティマ・ライムだった。
「「「「………………………………」」」」
教室にいたクラスメートたちは総じて固まっていた。
確かに彼女のたちのような才色兼備な少女が、最下位である10階級の教室にくる必要などないし、今までそんなことなかった。
それ以上にクラスメートたちを困惑させたのは…………。
「お、おい。今あいつの名前を呼ばなかったか?」「あ、ああ。俺もそう聞こえた」「なんであいつが、黒髪姫と知り合いなんだよ……」
彼女が呼んだ名前がノゾムの名前だったからだ。普通に考えれば、学年トップで容姿端麗な彼女と学年最下位で平凡なノゾムが知り合いだ、なんて想像できない。
かくいうノゾムも予想していない事態に完全に固まってしまっていた。
教室内を見渡していたアイリスディーナは、ノゾムの姿を確かめると、笑みを浮かべて彼の傍にやってきた。クラスメート達は、まるで王族のパレードを見る民達のように道を開ける。
みんな何事かと注目する中、彼女は……。
「こんにちは。ノゾム君達はもう昼食はとったのかい? もしそうでないなら一緒に食べないか?」
食事のお誘いという爆弾を投げ込んだ。
「「「「「な、なんだってーーーーーー!」」」」」」
瞬間。教室が爆発した。
「……すごい騒ぎになっちまったな……」
マルスが呆れたように呟く。
あまりの大騒ぎにノゾムは慌ててアイリスディーナに了承を伝え、マルス達と一緒に爆発した10階級の教室を逃げ出した。
彼女の一言に教室にいたクラスメート達は文字どおりの阿鼻叫喚。
アイリスディーナはその容姿と才能、そして一本気な性格から憧れている人は男女問わず多く、交際を願い出る者は後を絶たない。
しかし、彼女はその思いを受け取ったことはなく、高すぎる高嶺の花となっていた。
そんな彼女が食事に誘ったのが、パッとしない最下位男となれば、彼女を想っていた人には耐えきれないだろう。
やってきたのは中庭の一角。この場所で4人は食事を取り始めたのだが…………。
「あいつ、確か10階級の落ちこぼれだよな。」「なんで彼女とあの最底辺が知り合いなんだ?」
道行く人たちの視線がまず始めにアイリスディーナ達に視線が行き、その後にノゾムとマルスに視線が行くのだが、明らかに“なんでこいつが”という目つきで睨みつけてくるのだ。
人によっては呪い殺さんばかりの視線を叩きつけてくる。
ノゾムに対する視線は特に酷く、そのほとんどが純粋な敵意で満ちていた。
考えてみれば生徒たちがいる所という意味では、教室も中庭も関係なかった。
(あ、味がしない!)
「…………チッ!」
恨みなどの負の視線には慣れていたノゾムですら、今のこの状況はキツかった。突き刺さる敵意の視線に、今食べているものの味すらわからない。マルスは無遠慮な視線が煩わしいのか、イライラしている。
「……すまない。いきなり教室に押しかけてしまって……」
「…………ごめんね。迷惑だったかな?」
様子のおかしいノゾムとマルスに気付いた2人が謝ってくる。
「い、いえ。突然のことで驚いただけです」
「わ、悪い。あんたらの所為じゃねえよな……」
確かに彼女たちの責任ではない。ノゾムとマルスは慌ててアイリスディーナ達に謝る。
ノゾムはちょうどいい機会だと思ったので、朝から気になっていたことをアイリスディーナに尋ねてみた。
「そういえば、ソミアちゃんの様子はどうですか?」
「ああ、問題ないよ。今日も元気にエクロスに通っているよ」
ノゾムは周囲に配慮して、聞きたいことだけを聞く。あの事件はマジックアイテムの暴走ということになっているから、迂闊なことは聞けなかった。
一時とはいえ、魂を抜き出された彼女。翌日会った時は何ともなさそうだったが、その後はどうなるか分からなかったので、ノゾムはソミアの様子を聞いたが、どうやら大丈夫そうだった。
霊炎の炉をソミアの魂から取り出せたわけではないので不安が消えたわけではないが、とりあえずの安全にノゾムはホッと胸をなでおろして、食事を再開する。
しばらく4人で食事をしていると、アイリスディーナが思い出したように聞いてきた。
「……そういえば放課後、ノゾム君達はどうするんだい?」
「まあ、今日は特に予定はありませんね。ですから今日は鍛練をしますが……」
ノゾムは鍛練を欠かしたことはない。
かつてリサに振られた事実から逃げるため、我武者羅に鍛練していたが、理由はどうであれ、1年半以上の続けていた鍛練はもはや習慣になってしまっていた。また、基礎能力が低く、技術でその差を埋めるノゾムにとって、日々の鍛練で自らの技を研ぎ澄ませることは、何より重要だった。
「そうか、……もしよかったら今日の放課後、付き合ってくれないか? あの時のお礼もしたいし……」
アイリスディーナはノゾムに放課後の時間を割いてくれと頼みこんだ。彼女としてもノゾムに対して、何か形に残るものでお礼がしたかった。
ウアジァルト家との一件は彼女の父親がもみ消しを図り、邸宅が結界魔法に覆われたという事実はそのままでも、肝心の真実が全く変わってしまった。
それによって、フランシルト家の次期頭首として、ノゾムとマルスに正式に礼をすることが出来なくなってしまった。
だからこそアイリスディーナは、せめて彼女個人として彼に礼がしたかった。
大事な妹を助けてくれた彼に…………。
「お礼なんて……別に気にしなくてもいいですよ」
「そうはいかないよ。あれだけの事をしてくれたんだ。……せめて感謝の気持ちを受け取ると思って、受け取ってくれないか?」
アイリスディーナはノゾムの様子を確かめるように言葉を紡ぐ。
(ノゾム君は……今日は大丈夫そうだけど……)
アイリスディーナはノゾム自身の事も気になっていた。彼にルガトとの戦いの時の力について聞いた時、彼は明らかに様子がおかしかった。
“彼が自身の力を隠しているのは理由がある”
そのことに気付いていたから、アイリスディーナは父親にノゾムの隠していた力について話すことが出来なかった。
「…………分かりました。マルスはどうする?」
「なんで俺に聞くんだ? これはお前が受け取るものだろう? 実際、あの爺を止めたのはお前だ」
アイリスディーナの言葉を受け入れたノゾムに対し、マルスは“なぜ自分が”と問いかける。
マルスとしては、実際にルガトを止めたはノゾムだから、自分が礼を受けとるのは筋違いだと思っていたのだが…………。
「いや、君もそうだよ。あの時君が身を挺してティマを守っていてくれたから、ノゾム君が間に合ったんだ」
「そ、そうだよ。あの時マルス君が居なかったらきっと私、あの魔法の雨にやられていたよ。そうなっていたらソミアちゃんを連れて行かれていたはずだよ…………」
アイリスディーナとティマが、マルスの考えを否定する。確かにルガトを止めたのはノゾムだが、それに必要な時間はマルスが居なければ絶対に稼げなかった。
「…………分かったよ」
マルスもその事実を受け入れ、放課後付き合うことを決めた。
やがて、昼休みの終了を告げる鐘が鳴り、生徒たちが午後の授業の為に、教室に戻り始める。
ノゾム達も、自分達の教室に戻り始めるが、その後ろ姿を見つめる影があった。
「へえ、なんか面白いことになっているやんか」
校舎の陰から出てきたのは、1人の男子学生。その口元は楽しそうに笑みを浮かべている。
「あの“黒髪姫”と“四音階の紡ぎ手”と一緒に食事をするなんて羨ましい奴がどないな奴かと思えば、あの最底辺とやんちゃ坊主なんてな~」
その男子生徒は新しいおもちゃを見つけた子供の様な目で、教室へと戻るノゾム達を見ている。
「まあ、このおもろうない学園で久しぶりに見つけたおもろそうな話や。精々楽しませてもらうわ」
その男子生徒はもう一度ノゾムとマルスの様子を確かめると、踵を帰す。ノゾム達とは反対方向に歩き去る彼の頭と腰からは、見事な金色の耳と尻尾が生えていた。