第2章終幕後編
第2章終幕後篇です。
今回でこの事件の本質的な部分は終了です。
それではどうぞ。
目の前で傷ついていく大切な人たちを前にして、私、ソミリアーナはただ悔しかった。
何もできない自分を助けようとして傷だらけになったティマさんとマルスさん。
姉様はまだ戦えているけど、その綺麗な体には幾つもの傷が走っている。
そんな姉を無視して、私の魂を刈り取ろうと、目の前に降り立つ死の化身。
目前に迫る死に体は震え、声は擦れる。
“怖い”
その恐怖は、私を縛る死神の鎖と共に纏わりつき、氷雪の様な冷たさが体の自由を奪う。
私の身体を引き裂こうと、大鎌が振り下ろされる。
「ッ!」
私は自分を死に誘う痛みから逃げるように、目を固く閉じる。まるで目を瞑ることで現実から逃げるように。私にはそれしかできなかった。
…………でも、何時までたっても痛みは来ない。不思議に思って目を開けると、そこには死神ではなく、男の人の背中があった。
決して大きいとは言えない背中。
でも私には何よりも、大きく、頼もしく見えた。
エナを空いていた部屋に寝かせ、武器を持ち出してノゾムがソミア達の所に戻ってきた時に見えたのは、今にも大鎌を振り下ろそうとしていたルガトの使い魔の姿だった。
ノゾムは即座に気を刀に送り込み、幻無で使い魔の両腕を切り飛ばし、返す刀で使い魔を両断する。
「ノゾム……さん?」
ソミアが確かめるようにノゾムに声をかけるが、彼はその問いに答える余裕は無かった。今対峙している相手には油断など微塵も許されない。
ルガトは契約の使い魔を一刀両断したノゾムを驚いた表情で見ていた。
「……なんと、まさか一太刀で契約の使い魔が倒されるとは……」
アイリスディーナもティマも目を見開らいている。唯一人、マルスだけが呆れたような表情で見ていた。
ノゾムは背中に背負っていたマルスの大剣を降ろし、マルスに向かって蹴り飛ばす。
大剣は床を滑り、マルスの傍に辿り着く。
「ったく…………おせえ……よ」
マルスは愚痴りながらも、大剣を拾い上げる。しかし、彼の手は血塗れで脚は震え、傍目から見ても戦闘続行は不可能だった。
「……すまん」
「…………ふん」
「でも契約の使い魔は倒した。これで契約は…………」
ノゾムがそう呟くと、彼が砕いた使い魔の核である腕飾りの破片が宙に浮き、空中で集まり始めた。
「な!」
空中に集まった破片は漆黒に染まり、黒い光の塊となってドクンドクンと脈打ち始めた。
その様子からあの死神が復活しようとしているのがノゾム達には見て取れた。
「な、なんで…………」
「その使い魔は私の持つ契約書がある限り何度でも復活いたします」
「……どうしてもソミアちゃんを連れていくつもりですか?」
「はい。それが我が主の命。」
ルガトは迷うことなく即答する。彼は自らが行おうとしている行為に全く疑問を持っていない。その態度にノゾムの声も自然と荒くなる。
「何故です! 300年前の契約なんて当の本人達には何も知らされていない! そんな契約、認められると思っているんですか!? そもそも契約の内容は霊炎の炉を帰すことだけ! ソミアちゃんの魂を持っていくことなんて一文字も記載されていない!!」
ノゾムは高貴な家の義務や300年前のフランシルト家の事情など分からない。
でも何も知らないソミアを一方的に生贄にして、自分の子供たちにすべて丸投げするなどノゾムにはとても認められなかった。
「正直に申しまして、霊炎の炉がソミア様の魂に融合しているなど、今この場で確認するまで知らされておりませんでした。我が主もこの契約の事はそれほど重要視しておりません。というよりも興味がないというべきですか……」
「だったら!」
「ですが既に契約は交わされております。一度交わされた以上、それは絶対です」
ノゾムの言葉を待たず、はっきりと言い切るルガト。
「確かに霊炎の炉はソミア様の魂に癒合してしまい、恐らく剥離することはもはやできないでしょう。しかし、だからといって我々の契約が無かったことにはなりませぬ。一度交わされた契約を破棄してしまえば、それは契約を交わした双方にとって、信用や威厳、場合によっては敵対している存在に付け込まれる可能性もございます。興味がないとはいえ、我が主も契約が一方的に反故にされれば黙っていないでしょう。フランシルト家にとってもこの密約が公になることは避けたいと思われますが……」
「そんなことはどうでもいい! ソミアを離せ!」
丁寧な言葉の中に脅しを入れてくるルガトだが、アイリスディーナはそれを一蹴する。
彼女にとっては金と権力に溺れた家の連中よりも、目の前の妹の方が何よりも変えがたい宝物なのだ。
「……………………」
その様子を見ていたルガトの雰囲気が変わる。
「…………我が国は強さこそが何よりも尊ばれます」
ディザート皇国は建国された理由から、強ければ強いほど尊敬され、敬われる。たとえ自分が損害を被ろうが、相手が強ければ許される。そんな国風なのだ。
「もし、あなた方がこの契約を認められないというのなら…………」
ルガトの身体から魔力が溢れ出す。それが“これは最終警告です”と、その態度が如実に物語っていた。
彼はノゾム達がこれ以上抵抗すれば、間違いなく殺しに来るだろう。
「自らが私よりも強き者だと証明しなさい!」
“強さをもってこの契約を破棄させろ”とルガトは宣言した。
本気になったルガトを前にして、ノゾムも刀を構える。アイリスディーナもノゾムの傍にやってきて話しかけてきた。
「……ノゾム君。さっきの技、どのくらい使えそうだい?」
「……あまり多くありません。後数発が限度です」
能力抑圧下のノゾムの気量は少ない。いくら使う気の量を削っても、あの相手に通用する技を放つことは余り出来ない。
「……悔しいが私ではルガトに敵わない。君が頼りだ。ルガトが持つ黒球がおそらく契約の使い魔を操ってる……お願いだ。彼が持つ黒球を破壊してくれ」
「……わかりました。行きます」
アイリスディーナの真摯な願いにノゾムは答えるが、しかしその声は何処か震えていた。
相手は自らの師と同じSランクの猛者。迷いを抱えたまま闘うなど言語道断の相手だ。
(今は闘う。闘うしかないから!!)
自らの迷いを、今の状況を言い訳にして無理矢理抑え込み、ノゾムは身体強化を自分にかけ、ルガトに向かって疾走した。
ルガトの十の指が空中で楽器を奏でるように走り、再び陣を描く。空中に描かれた陣から十の魔力弾がノゾムに向かって射出される。
迫りくる十の魔力弾はノゾムを穿とうと迫りくるが、ノゾムの背後から飛んできた五つの魔力弾に防がれる。
ノゾムの後ろにいたアイリスディーナが即時展開で5つの“マジックバレット”を発動し、ルガトの魔力弾を相殺したのだ。
しかし彼女が相殺できたのは5つの魔力弾のみ、残り5つがノゾムに迫っていた。
ノゾムはルガトに突っ込みながら、脚に気を集中させ、爆発させる。
気術“瞬脚-曲舞-”
ノゾムは5つの魔力弾の間を縫うように走り抜け、ルガトに肉迫。そのまま斬りかかるが、ルガトは素早く魔方陣を描き、血剣を形成。その剣を右手で持ち、ノゾムの斬撃を防ぐ。ノゾムは防がれるのは当然と思っていたので、構わず連撃を放った。
袈裟切り、左切り上げ、右薙ぎ、左薙ぎ。
全身の筋肉を無駄なく使い、動きを停滞無く繋げていく。
それに対して、ルガトは片手に持った血剣で素早く防ぐ。その動きは確かに速いがノゾムの動きと違い、直線的でムラがある。恐らくルガトは、接近戦はそれほど得意ではないのだろう。純粋な剣術ならノゾムが上回っていた。
しかし桁外れの身体能力を持つルガトは、そんな技量差をものともしない。無駄な動きを補正し、さらに無駄な動きに労した時間すら計算して動かすことで、ノゾムの連撃を防ぎきる。
圧倒的な経験が成せる業だった。
「く!」
相手の不得意な距離であるにもかかわらず、攻めきれない事にノゾムの顔が歪む。
ルガトは剣を持っていない左手で陣を描く。自分の足元に魔方陣が描かれるのを見たノゾムは、咄嗟に瞬脚で離脱する。
ノゾムが離れるのと同時に魔方陣から闇色の炎が噴出した。もしその場に留まっていたら骨までコンガリ焼かれていただろう。
間合いが開いたことでルガトはノゾムに向かって魔力弾を矢継ぎ早に放つ。ノゾムはマルスの様に真正面から魔力弾を弾き返すことは出来ない為、魔力弾の側面を打ち、軌道を逸らす。
しかし魔力弾の数が多いため捌ききれず、押し切られる前に瞬脚で全速移動を繰り返す。
ルガトがさらに追撃しようとするが、今度は反対側からアイリスディーナが斬りかかってきたため、ルガトは右手の血剣で捌く。
「はああああああ!」
アイリスディーナは細剣を連続で振るう。その動きは流麗で一切の無駄がない。刀身には強化魔法がかけられているのか淡く光っており、ルガトが血剣で捌くたびに魔素と火花が舞い散る。
ノゾムは足の止まったルガトを確認すると、抜いていた刀を納刀する。納刀後、すぐさま気を刀に送り、わずか半秒で極圧縮。
アイリスディーナと斬り合っていたルガトもこちらに気付き、左手で魔方陣を展開。半秒で魔法障壁を2重に展開する。
ノゾムが抜刀。極圧縮された気刃が高速で飛翔し、ルガトが展開した魔方陣に着弾。気刃は初めの障壁を切り裂き、2つ目の障壁の半ばで炸裂。障壁は術の構成を致命的なまでに破壊され、霧散する。
ノゾムが返す刀でルガトに斬りかかるが、ルガトの左手が素早く動き、構築された魔方陣が血剣を作り上げる。
ノゾムが追撃で放った“幻無-回帰-”を血剣に膨大な魔力を送り込むことで受け止める。
ルガトを両側から挟むように3人は組み合うが、ルガトは片手にもかかわらず、ノゾムとアイリスディーナは押しきれない。
「ッハ!」
「うわ!」「クッ!」
ルガトが一瞬力を入れ、体を回転させるとノゾムとアイリスディーナはまるで玩具のように弾き飛ばされた。
ルガトは血剣を手放すと、すぐさま両手で陣を構築。無数の魔力弾を2人に向かって浴びせる。
2人はどうにか捌くが、どう考えてもジリ貧だった。ノゾムの気量は身体強化を全開でかけている為消耗が激しく、幻無を放てる回数も徐々に減っていく。アイリスディーナの方も、いままで全力で戦い続けていたので疲労の色が濃い。
気がつけば、2人はかなりの距離を離されていた。もう余力がない、あと一撃で決めなくてはいけない。
ノゾムはある考えを胸に秘め、アイリスディーナに話かけた。
「ハァハァ…………アイリスディーナさん、全力での攻撃はあとどれくらいできますか?」
「フゥー。……そうだな、後1回が限度だろうな」
ノゾムは自分の考えを周囲に聞こえない様にアイリスディーナに伝える。彼女も最初は驚いていたが、
「…………道は俺が開きます。後は……頼みました」
「…………わかった」
確認が済むとノゾムはルガトに瞬脚で突っ込む。すぐさま魔力弾が迫ってくるが、ノゾムは瞬脚-曲舞-で躱そうとするが、魔力弾の数が多すぎて躱しきれずに被弾する。
「ッツ!」
被弾した個所に激痛が走り、血が出るが、ノゾムは痛みをかみ殺して躱し続ける。
反対側ではアイリスディーナも同じように降り注ぐ魔力弾を躱し続けている。今までと同じような一方的な展開だが、これもノゾム達は想定済みだ。
問題は如何にしてあの魔力弾の雨を逃れて接近戦に持ち込むかだ。ノゾムの頭の中で既に方法は組み上がっているが、問題は気量だ。これから使う技は、能力抑圧下の自分には過ぎた大技。一度の使用でほとんどの気を使い尽くしてしまう。戦闘で消耗している今の状態で使えば自身も死にかねない。
鞘を腰のベルトに戻し、左手を振り上げ、大量の気を左手に叩きこむ。今までの幻無の数倍の気が一点に集中したため、左手が纏う気で激しい光を放つ。
「む!」
その光景にルガトの表情が変わるが、ノゾムは構わず左手を地面に叩きつける。
気術“滅光衝”
次の瞬間、ルガトの足元がはじけ飛び、光の奔流がルガトを包みこんだ。
「ぐうぅぅぅうぅぅ!」
気が急激に抜けていき、目の前が暗くなっていく、限界を超えた気の放出に自身の生命活動まで危険な状態だ。
滅光衝は俺の持つ技の中でも最大の効果範囲を持つ。この効果範囲の中にルガトさんを入れてしまえば、彼はこちらを攻撃できず、自身の防御に徹するしかない。
アイリスディーナさんは既に次の準備をしている。
彼女の細剣に幾つもの魔方陣が浮かび上がり、刀身には黒の魔力光が激しく波打っている。
彼女が行ったのはいたって簡単。強化魔法の重ね掛けである。強化魔法を何度も掛けることで、最終的に爆発的な威力を叩きだす。俺の持つ技の1つ、“輪廻回天”と同じ類のものだ。
もっともその発動時間が信じられないほど早く正確だ。輪廻回天の威力を最大まで高めるにはかなりの時間を要するが、即時発動のアビリティを持つ彼女は俺とは比較ならない速さで強化魔法を発動していく。
魔法剣“月食夜”
やがて彼女の魔法が完成する。そこには一本の魔剣が創造されていた。刀身の周囲は漆黒の魔力が包み、闇の波動を放っているが、細剣の刀身そのものは白く輝き、まるで闇夜に輝く彗星のようだった。
アイリスディーナが踏み込む。俺は彼女が剣を振るうタイミングに合わせて滅光衝を解除。光の奔流の残滓を闇に包まれた彗星が切り裂いた。
「なっ!」
アイリスディーナが声を漏らし、予想外の事態に完全に動きが止まる。彼女が切り裂いた空間にルガトはいなかった。彼女の渾身の魔法剣はむなしく虚空を切り裂いたのみ。
「ど、何処に……きゃあ!」
あわてて周囲を見渡す彼女の死角から迫った魔力弾が着弾し、彼女を吹き飛ばす。吹き飛ばされた彼女の周囲に4つの魔方陣が展開され、その魔方陣が鎖を召喚。彼女を拘束してしまった。
「い、いったい何が……グッ!」
予想外の事態に混乱するノゾムだが、その間にアイリスディーナと同じように、魔法で拘束されてしまう。
ノゾムが周囲を見ると、黒い影が飛び回っている。
よく見ると飛び回っていたのは蝙蝠だった。飛び回っていた蝙蝠たちはやがて一ヵ所に集まると、そこからルガトが姿を現した。彼は自らの身体を蝙蝠に変えて滅光衝の範囲から離脱。大技の隙にアイリスディーナを拘束したのだ。
ノゾムは彼が蝙蝠に姿を変えたことである結論に辿り着いた。おそらく彼は……。
「吸血鬼…………」
「はい、そのとおり、私は吸血鬼でございます」
吸血鬼。
アークミル大陸には多種多様な人種が存在しているが、その中でもトップクラスの潜在能力を持っているという種族だ。
桁外れの身体能力、膨大な魔力、極めて永い寿命、多種多様の異能の能力。先ほどの自分の身体を蝙蝠に変えるという能力も、吸血鬼独自の異能である。
個体数こそ少ないものの、その能力は極めて高い。
だがその能力の高さ故にと、生きるために他者の血を飲まなくてはならない事に恐れられ、迫害されたという歴史がある。
実はディザート皇国自体、そのように迫害されてきた種族たちが集まって建国した国なのだ。
ノゾムは改めてルガトを見つめる。彼の持つ真紅の瞳は確かに吸血鬼の特徴の1つだ。
しかし、今分かった所で何もかもが遅すぎた。既に全員が拘束されるか、戦闘不能に追い込まれ、もはや打つ手はない。
何もできなくなったノゾム達を尻目に、ルガトはソミアの元へ向かって行った。
老人がソミアの元に向かって行く、それを目の前にして私は何もできない。
「ク! 外れろ! 外れろ!!」
必死に自分を拘束している魔法を外そうとするがビクともしない。この魔法には相手の魔力を抑える効果があるのか、自身の魔力を練り上げることが出来ない。
老人が魔法を発動すると、契約の使い魔が復活した。
「あ……やめて、やめてくれ……」
目の前の使い魔が何をもたらすのかを思い出し、血の気が引く。
「やめろ!やめてくれ!!魂がほしいなら私の魂を持っていけばいい!だからソミアを連れて行くのはやめてくれ!!」
必死に懇願するが老人と使い魔はやめる様子はない。使い魔がソミアに手を向けると彼女の魂がゆっくりと飛び出してきた。まだ完全に肉体との繋がりを切られていないのか、魂の一部が体に繋がっているが、ソミアの顔色に生気はない。
「あ……やめ、やめて…………」
一番大切な宝物。私が欲望渦巻く家の中で自分を見失わずに済んだのはソミアがいたからだ。
姉様、姉様と自分の後ろについてきたソミア。いつも笑顔で大好きと言ってくれた私のかけがえのない妹。
ソミアの死。
それを目の前にして体が崩れ落ちる。全身に力が入らず、ただ妹が殺される光景を見続けることしか出来ない。
お願いだ。誰でもいい、私にできることなら何でもするから。体も、魂も、全部捧げても構わないから!
だから……だからお願い………。
「だれか……お願い。たす……けて…………」
ノゾムは唇をかみしめる。
ルガトが吸血鬼であることを推測できる要素はあった。しかし見逃してしまい、取り返しのつかない事態になってしまった。
いや、もしも自分が初めから能力抑圧を解放していれば、マルスもティマさんも余計な怪我を負わずに済んだかもしれない……。
後悔だけが胸を締め付ける。
いつもそうだ。俺は肝心なことは何一つできない。
リサとの関係に踏み込むことができない。龍殺しの力を知られて、拒絶されることが怖くて、心配してくれる人たちに自身の事を話せない。結局は自己保身だ。
師匠が命を懸けて教えてくれた“逃げている事実から目を背けない”ことで俺が今まで逃げていたことを自覚は出来るようになったけど、こんな時でも俺は前に進めない。
ふと視線を上げると、視界にソミアちゃんの傍に立つルガトと叫び続けるアイリスディーナさんが見えた。
ルガトが陣を描くと、空中で黒い光の塊になっていた使い魔が復活。ソミアちゃんの傍に行くと、白い骨だけの手をソミアちゃんに向ける。
すると、恐怖に声も出ないソミアちゃんの胸から白い光の塊がゆっくりと飛び出てきた。
その光はソミアちゃんの胸に、同じように白く光る紐でつながっている。多分あれが彼女の魂だ。
ソミアちゃんの顔は青白くなり、意識もなくしている。
それはまさに死に顔だった…………そう、あの時の師匠と……同じ。
あの時の事を思い出すと今でも悲しくなる。自分は師匠を助けることは出来なかった。力を手に入れても、それは師匠を助けるものではなかった。
でも後悔はしていなかった。
師匠は最後に笑っていた。
「満足じゃ」と言っていた。後悔はないと当人が言っていた。
師匠が死んでしまったことは今でも悲しいけど、師匠の想いを受け止めることは出来たのだから。
じゃあ今はどうだ? このままでソミアちゃんの死をただ見ているだけでいいのか?
魂を抜かれて生気を失ったソミアちゃん。項垂れるアイリスディーナさん。
いいわけない。少なくとも俺はこの結末を認められない!!
その時、ふと聞こえてくる声があった。
「だれか……お願い。たす……けて…………」
聞こえてきたのは、擦れる様なアイリスディーナさんの懇願。普段の彼女からは想像もできないほど弱々しい声。
それを聞いた瞬間。俺は気がついたら、今までの懊悩を全部すっ飛ばして能力抑圧を解放していた。
爆発的な力が周囲を蹂躙する。私の魔力を容易く押し流し、“勝手なことするな”と言わんばかりに暴れまわる気の奔流。
「な!!!」
私は慌てて荒れ狂う力の大元に目を向けると、そこには契約の使い魔を一刀両断した少年がいた。
少年は私の拘束魔法を紙屑のように引きちぎると、その場から掻き消える。
次の瞬間。少年は使い魔の頭上にいた。
腰だめに構えていた刀が抜刀され、使い魔は本人が気づくことなく再び切り裂かれ、霧散化する。
私は慌てて距離を取り、かの少年を見る。外見は変わっていないが、その身から放たれる力が桁違いに上がっている。
確かに彼の技量には感嘆した。卓越した剣術と抜群の気の制御力。契約の使い魔は、かつての主が作り上げただけあり、ランクにすればAランクに届く強力な使い魔だ。
それを一太刀で倒したことを考えれば彼が警戒するに足る武器を持っていることは分かったが、それでも自分に敵うとは思わなかった。
彼の動きは的確ではあるが、あまりに遅かった。技量と本人の身体能力が釣り合っておらず、あまりにチグハグだった。
だが先程の動きは私自身油断していなかったにもかかわらず、彼の動きを見切ることが出来なかった。
彼の仲間を見ると、彼らの顔もまた驚愕で固まっている。
彼らもまた、この少年の今の状態について何も知らないようだ。
私は彼を即座に倒すべき敵と認識。十本の指を使い、複数の魔法を同時に発動する。
魔力弾の嵐が少年を襲うが、少年は瞬脚で離脱する。その速度は桁違いに速く、私の目にもほとんど残像しか映らない。
放った魔力弾は掠りもせずに壁や床に着弾し、虚しく瓦礫を巻き上げるのみ。
私は構わず立て続けに魔法を発動する。ただ魔力弾を撃つだけでなく、床から炎を噴出させたり、血剣を操って斬りかかったりするが、彼は高速で複雑な曲線軌道を描き、こちらが放った魔法をすべて躱すか、刀で捌ききる。
その光景を私は信じられなかった。あれほど高速で移動して、あんな複雑な曲線移動を行う者など見たことがない。
彼の使う気術が瞬脚であるというのは分かるが、あんな爆発的な加速を行えば直線的にしか動けないはずだ!
動揺した私の魔法の精度がわずかに鈍る。次の瞬間、彼は迷うことなくこちらに突っ込んできた。
こちらの魔法での迎撃をものともせずに、彼は私との間合いを侵食し、斬りかかってきた。
私は咄嗟に血剣で受け止め、押し返そうとするが…………。
(ク!! 押し切れません!)
種族としてのスペックはこちらがはるかに勝っているはずなのに、押し切れない。
いや、むしろこちらが押されはじめ、徐々に彼の刀が迫ってくる。
このままでは押し切られると思った私は血剣の刀身に魔力を過剰に注ぎ込み、爆発させる。
爆発の衝撃に吹き飛ばされ、体には無数の傷ができるが、吸血鬼の私はこの程度の傷ならすぐさま完治する。その隙にさらに間合いを離そうとするが、少年が爆発の煙を突っ切って斬りかかってくる。
少年の技量と今の能力を考えれば、接近戦で私に勝ち目はない。魔力を足に集中させて離脱しつつ、魔法を放つがやはり躱され、捌かれる。
接近戦がさほど得意ではない私は何とか間合いを離すことを最優先とし、魔力を全て速度を上げることにつぎ込む。
互いに高速移動をしながら斬り合っているが、その内容は完全に少年が勝っていた。直線かつ最短距離を移動している私に対して、少年は曲線移動を取るがゆえに移動距離は私よりも長いはずなのに追いつかれ、一方的に攻撃される。
「グ! ッツ! ッア!!」
まるで蛇のように絡み付きながら斬りかかってくる少年の斬撃は苛烈を極め、捌ききれずに裂傷が体に刻まれていく。
「!しまった!」
そして、ついに移動先を見破られ、先回りされる。
足を止められ、そのまま斬り合いとなるが、全くかなわない。
さらに裂傷を体に刻まれる中で、咄嗟に自らの体を無数の蝙蝠に変化させる。少年の斬撃は無数の蝙蝠を捉えることなく空を斬る。
私はそのまま蝙蝠達を少年に向かわせる。無数の牙と爪が少年を襲うが、少年は刀と鞘を巧みに使い、蝙蝠達を撃ち落とす。
だが圧倒的な数を誇る蝙蝠達に押されはじめ、少年の体には徐々に傷ができていく。
そのまま少年を飲み込もうと殺到する蝙蝠達。しかし少年が地面に拳を叩きつけた瞬間、蝙蝠達を極光が焼き尽くした。
「ぐあああああああああああ!」
文字どおり身を焼かれ、私は蝙蝠の状態から人型へと戻る。全身から煙が上がり、肉が焼けるにおいが充満する。
あまりの激痛に意識が持って行かれ、気がついた時には、少年は追撃の準備を終えていた。
納刀された刀に送られる膨大な気。
私は今までにないほどの悪寒を覚え、全力で障壁を展開する。
展開したのは、上級魔法にも耐えられる魔法障壁を4重。普通に考えれば、この障壁を突破できる攻撃など、最大規模の儀式魔法ぐらいだ。
しかし、そうはならなかった。
抜刀される刀、それと同時に放たれた極圧縮された気刃は4重の障壁を苦も無く両断し、私の体を持っていた黒球と契約書ごと両断した。
気術“幻無”がルガトさんの体を両断する。一緒に黒球ごと両断したようで、復活しようとしていた使い魔が消滅し、同時にソミアちゃんを縛っていた鎖も消滅した。
アイリスディーナさんも解放されたようで、彼女はあわててソミアちゃんの元に駆け寄る。
最初こそ強張っていた彼女の表情も、ソミアちゃんの様子を確かめたら、安心したような顔になったので、彼女の方は大丈夫そうだ。
俺はルガトさんに視線を戻すと、彼のほうに歩み寄る。右肩口から左腰までを断ち切られたのに、彼は驚いたことに生きていた。
「ふ……ふふ。私ぐらいの吸血鬼は……心……臓か……脳を…………破壊されない限り……死にませんから」
驚くと同時にホッとした。いくら一方的とはいえ、人殺しになるのは気持ちのいいものではなかったからだ。問題は彼がまだソミアちゃんを狙うかどうか…………。
「ふふ、ご安心ください。あなたは……私に勝ちました。だからこそ……私はソミア様を……連れて行こうとはしませんよ。……どのみち……使い魔を操るための魔道具も契約書ごと破壊されました。これでこの契約は事実上、履行……不能となりました。後は……ウアジァルト家とフランシルト家の話し合いで決着するでしょう。」
ルガトの言葉にノゾムは息を吐き、ようやく終わったかと腰を下ろす。ふと見ると、手を繋いだフランシルト姉妹が仲良くこちらにやってくる。自分の力をどう説明するかなど難しいことはともかく、今はただ2人の笑顔が守れたことが嬉しかった。
第2章終幕後篇、いかがだったでしょうか。
今回はかなり長くなったので(実質2話分)この次に第2章の後日談として、この事件の顛末等を書いて第2章を終了とします。
……正直ここまで長くなるとは思っていませんでした。