第四巻一周年記念閑話 スノーキャンドルエンゲージ
久しぶりの投稿……。
書籍第四巻の発売一年を記念しまして、ちょっとですが、お話を書かせていただきました。
もしよければ、読んでください。
吹雪が、窓をガタガタと揺らしている。
今年一番の寒波に襲われたアルカザム。
森の中の都市にしては似つかわしくない風雪に晒された街は、すっかり静まり返っていた。
ノゾムとアイリスディーナが住む迎賓館もまた同様。
広い庭は一面の銀世界と化し、学園の校舎もすっかり雪化粧を纏っている。
そんな迎賓館の一室。パチパチと薪がはぜる暖炉の前で、二人は作業に没頭していた。
室内に満ちる、甘い香り。暖炉には大小二つの鍋がかけられ、小さな鍋の方には何本もの糸が垂らされている。
その糸の一本をアイリスディーナが取り出す。
鍋の中身を吸い、光沢を帯びた糸。本来柔らかいはずのそれは、部屋の冷気に当てられて瞬く間に固まり、乳白色の衣を帯びる。
「ふう……ノゾム、こんなものでどうかな?」
「いいんじゃないかな。こっちもそろそろできる……」
アイリスディーナが持ってきた糸を、ノゾムが受け取る。
彼の前には、細長い円柱型の型枠。そこに固まった糸を入れ、大きな鍋の中身である飴色の液体を少しずつ入れていく。
満たされた型枠。これもまた冬の冷気に晒され、中身はすぐさま固まった。
ノゾムが型枠から外して形を整える。
わずかに頂部から顔を覗かせる糸に暖炉の灯を付けると、ほんのりと甘い香りが、部屋に漂い始めた。その出来に、二人は満足そうに頷く。
「ほう、いい香りだな」
「うん、悪くないと思うよ」
彼らが作っているのは蝋燭。魔力灯などを開発し、施設に使用しているアルカザムだが、こうした昔ながらの蝋燭というのは、今でも需要がある。
だが、二人が作っているのはちょっと凝ったものだった。
パチパチと薪が爆ぜる暖炉にかけられた鍋。中にはドロドロに溶けた蝋が渦を巻いているが、蝋が入った鍋の傍にはもう一つ、小さな別の鍋が掛けられていた。
小さな鍋の中身は香油。香草を油で煮詰めたもので、これで蝋燭に香り付けをしていたのだ。
なぜ二人が蝋燭を作っているのかと言えば、アイリスディーナがノゾムの故郷での生活について尋ねてきたことが理由だ。
農村だったノゾムの故郷では冬には大雪に見舞われることもあり、そんな日は家の中で日常品の作成をしていた。
蝋燭もそんな間につくられる品の一つで、作ったものは備蓄に回してもいいし、雪解けの後、村に訪れる商人に売ってもいい。
そんなノゾムの村での生活を聞いたアイリスディーナが、自分もやってみたいと言い出す。
結果、二人で蠟燭づくりをすることになったというわけだ。
「それにしても、使うのは蜜蝋なんだな……」
「動物の獣脂からも作れるけど、匂いがきついから安くなっちゃうんだよね。だから蜜蝋を使った方が値段はいいし、香料を使えばもっと高値で売れる。まあ、香料をつくるのにも作物がいるから、数はどうしても限られちゃうけど」
農村では気象条件さえ無視すれば、労働者の数が成果に比例する。その点、ノゾムの家は貧しかった。働き手が両親とノゾムしかいなかったからだ。
もちろん、親戚や隣人の力を借りてもいたが、どうしてもほかの大家族と比べれば、糧は少なかっただろう。
(親父たち、大丈夫かな……)
故郷を思い出し、つい窓の外に視線が向かう。
吹雪の向こう側に目を向け、物思いにふけるノゾムの横顔を、アイリスディーナがじっと見つめていた。
「……なあノゾム、君の故郷ではこの季節、他にはどんなことをしていたんだ?」
「え、そうだな。天気がいい時は罠を仕掛けに行ったり、凍った川や池で釣りをしていたりしたよ。他にも親父は農具の手入れや薪集め、母さんは保存した食料の確認や刺繍なんかもしてた」
「色々やっていたんだな……」
「俺の家はあの村には珍しく、一人っ子だったからね。アルカザムに来てからは、することはなくなったけど」
農村にはとにかくマンパワーが必要だ。
種まき、草刈り、害獣の駆除、農具の修理等々。やることは沢山ある。便利な魔法も道具も、正直縁がない地だった。
だから、大抵の家は子供が多いのだが、生憎とノゾムの家の子供は彼一人。そのため、常になにか作業に追われていた。
「でもどうして、急にこんなことをする気になったんだい?」
「フランシルト家から廃嫡になった私も、この学園を卒業したらこういうことをしていく必要があるかもしれないだろ?」
「いや、廃嫡になったとはいえ、そんな下々の生活、ヴィクトルさんがさせないと思うんだけどな……」
アイリスディーナの父は彼女を廃嫡したとはいえ、娘への多大な愛は全く曇っていない。
むしろ、相手ができたことで心配性が加速している。
少なくともノゾムには、ヴィクトルがアイリスディーナに適当な地位を与え、食うに困らない資産や土地を渡すくらいは間違いなくするだろうという確信があった。
(というか、そんなことになったらヴィクトルさんは「妻一人養うことができずない夫がいるか!」とか言って、無理やりアイリスディーナと別れさせようとするだろうな……)
経済的にもきちんとしないといけないと、改めてノゾムは気を入れなおす。
「まあ、父様はそうするかもしれないが、私の身に起こったことを考えれば、受け取ることはできないよ。ソミアの傍に居させてもらえるだけでも御の字さ」
吸血鬼でも人間でもないダンピールとなってしまったアイリスディーナ。
そんな存在が土地や地位などという既得権益を得ることには、間違いなく拒否反応が出るだろう。
それは、フランシルト家の次期当主を目指すこと決めたソミアの邪魔になる。
そういう意味でも、ノゾムの経済力は重要だった。
「それに、私の知らない頃の君を知りたかったんだ。私はリサ君と違って、アルカザムに来る前の君が、どんなことをしていたのか知らないからな」
「…………」
屈託のない笑みを浮かべるアイリスディーナ。
惚れた弱みだろう。暖炉に照らされたその笑顔にノゾムは思わず見惚れ、気恥ずかしさから思わず顔をそらした。
「そ、そういえば、アイリスは冬にどんなことをしていたんだい?」
ノゾムの動揺を知ってか知らずか、アイリスディーナは懐かしそうに窓の外を眺める。
貴族として都市部にすんでいた彼女。年中自然を相手生活している農民と比べれば確かに自然を意識する機会は少ないが、それでも冬にもなれば雪は降るし、否応なく寒さに襲われた。雪に包まれた街並みを見れば、どうしても故郷を思い出す。
「そうだな。正直、季節が移っても、やることにそう変わりはなかった。父様に連れられ、領地と王都を行ったり来たりする生活だったよ」
次期頭首としての勉学、剣や魔法の鍛錬、コネクションを引き継ぐための付き合い。それらが、これまで彼女がやってきたこと。
「週に一回は、どこかの会合やパーティーに参加し、縁を作っていた。今考えてみれば、随分と淡々とした生活だったかもしれない」
「俺だったら、胃炎になりそう……」
「ノゾムもこれから嫌というほど味わうことになるだろう。私もメーナの忠言を意識しておかないといけないな」
龍殺しであることが公になった以上、避けては通れない道。
これから続くであろう心労に満ちた生活に、ノゾムは思わずため息を漏らす。
「まあ、いざとなったら、どこか遠い、誰も知らない場所で隠居するのもいいかもしれない。君の体のことを考えたら、特に……」
一応、龍殺しの異能に目覚め、制御できるようになったとはいえ、ノゾムが特大の災厄を抱えていることに変わりはない。
それを考えたら、誰も知らない地で生活していくことも考えなければならないし、日々の糧を得る方法を身に着けておく必要はあるだろうと、アイリスディーナは続ける。
一緒に来てくれると迷いなく言い切る彼女の意思が、ノゾムには嬉しかった。
「……俺も、何か君にできたらいいだけどな」
「助けてくれたろう? 二度も。私が今こうして己を見失わずにいられるのも君のお陰なんだ」
ふわりと甘い香りが立ち上り、肩にかかる心地よい重み。
隣に座っていたアイリスディーナが、コテンとノゾムの肩に頭を預けてきたのだ。
嬉しそうに緩んだ口元。まっすぐ見上げてくる彼女の瞳は、熱情に浮かされたようにうるんでいた。
「もう、君からは離れられないんだ。だから……」
「責任は取るよ」
それ以上は言わせない。
向けられる彼女に気持ちにこたえるように、ノゾムは彼女の唇を奪う。「ん……」と、アイリスディーナの口から、甘い吐息が漏れた。
ノゾムの舌にも、ほんのりとした甘さが帰ってくる。
唇を放したノゾムが、呆れたようにため息を漏らす。
「……アイリス、蜜蝋をつまみ食いしたな?」
「いいだろ。甘味は貴重なんだ。市井の民になったら、数少ない楽しみになるかもしれないだろう?」
蜜蝋はろうそくの材料ではあるが、そのまま食べることもできる。
どうやら彼女は、作業の過程でこっそり蜜蝋の一部を拝借していたらしい。
おすそ分けだというように、今度はアイリスディーナから口づけを返してくる。
再び香る、甘い匂い。
そんなおちゃめな彼女に、ノゾムは唇を奪われながら、しょうがないなと、しばしの間、彼女にされるがままにしていた。
「ふう……ノゾムは、何人欲しい?」
「え?」
「子供だ」
アイリスディーナの唐突な言葉にノゾムは面食らう。
「私の家は確かに大きかったが、家族と呼べる者は少なかったからな。子供は、いっぱい欲しいな……いやか?」
「い、いや、そんなことないけど……」
「よかった……!」
ノゾムの返答に、満面の笑みを浮かべるアイリスディーナ。
彼女の妹にもよく似た、暖かで無邪気な、太陽を思わせる笑顔。
幼いころに母を亡くし、妹を守るために名家の次期当主競争に名乗り出て、その地位を勝ち取っていた彼女。家族を求める気持ちは、実のところ人一倍強かった。
「まあ、その前に色々とやらないといけないがな……」
「な、なに?」
「予行演習、しないか?」
椅子から立ち上がったアイリスディーナが、左手を差し出してくる。
彼女が何を求めているのかを察し、ノゾムは思わずごくりと息を飲む。
この世界では、新郎新婦は結婚式の際、二人は手を取り合って、己の意思を祝詞の
として精霊の前で誓う。
ノゾムもアイリスディーナも、普通の人の人生を歩むことは難しい身だ。だからこそ、彼女はやりたいのだろう。
そんな彼女の気持ちを嬉しく思い、同時にそんな人生を歩ませることになってしまったことを若干申し訳なく思い
すっと立ち上がり、差し出された彼女の手を取る。
「あ、う……」
アイリスディーナの頬が朱に染まる。
自分が言い出したことなのに、とノゾムは考えながらも、そんな彼女のいじらしさが心を突く。
心底惚れているのだなと、再自覚しつつ、ノゾムはそのまま取ったアイリスディーナの手をくるりと返し、細く白い彼女の指の隙間に己の指を滑り込ませる。
「俺は、己を生んだ精霊に使う。君を支え、そして共に生きていくことを」
放さない。
宣誓とともに固く握られる手に、アイリスディーナの目が見開かれる。
そして、朱に染まったままの彼女の顔が、涙と共に綻んだ。
「私も世界を支える数多の精霊の前に誓おう。貴方の伴侶として共に歩み、共に死ぬことを……」
三度目のキス。
そしてアルカザムを包む吹雪が治まるまで、二人の影は重なり続けるのだった。
少なくてすみません。
正直、全然書けなくなっていました。
それでも待ってくださった読者の方々、本当にありがとうございます。