第8章終幕(リサエピソード+α)
お待たせしました。
第8章の終幕は3話の最初。リサエピローグ+αです。
都市隔離結界が消えて一時間あまり。
ようやく戦いが終わったが、アルカザムは行政区をはじめとして、あちこちで騒動が起こっていた。
突如として発生した光の壁。繰り返し響いた爆音と閃光は、学園都市に住まう者たちすべてを不安と恐怖に落とすには十分すぎた。
アルカザムの四区画、すべてで衛兵たちが奔走する中。中央公園の一角で、二人の男女が並んで戦いのあった行政区へと目を向けていた。
「終わったわね。まさか、彼の方が勝つなんて……」
男女の内、女性の方はメクリアだった。
紫の髪とドレスに包まれた艶めかしい肢体をさらしながら、心底驚いた様子を見せている。
「メクリアちゃんとしては、完全に予想外だね。まあ、僕としては嬉しいけど。それで、目的のモノ、手に入った?」
もう一方の男性。屍烏と呼ばれていた男は、夜の闇の中でも映える病的な青白い顔をメクリアに向け、催促するように手を出す。
「ええ、彼の部屋にありました」
メクリアが懐から出したのは、小さな袋だった。屍烏はチャリチャリと硬い金属音のする袋を開き、中身を手に平の上に広げる。
袋の中から出てきたのは、割れた漆黒の金属片。
綺麗な波紋を映しながらも、折れて砕けたそれを見て、屍烏はにんまりと笑みを浮かべる。
「なるほど、間違いないね。これが、ティアマットを殺した刃。その欠片……」
屍烏は掌の上の『無銘の破片』を摘まみ上げ、一つ一つ袋の中に戻すと、大切そうに懐へと入れる。
「白龍翁の封印も終わりました。後は手はず通りに……」
「はいはい。それじゃあ……」
屍烏の姿が、夜の闇に溶けるように消えていく。
やがて血色の悪い男が完全にその場から消え去ったところで、メクリアは胸のつまりを吐き出すように、白い息を吐く。
「これで、ようやく宿願が叶います。やっと……」
吐いた息が夜の風で消えていく中、彼女はおもむろに後ろを振り返った。
茂みの奥から向けられる見慣れた視線に、彼女は微笑みながら口を開く。
「エグロード様、何か御用ですか?」
彼女の呼びかけに答えるように、茂みの奥から貴族の衣装を身にまとった男性が姿を現した。
エグロード・ファブラン。メクリアの主であり、フランシルト家とは政敵関係にあるフォルスィーナ王国の大家の当主だ。
口元に指をあてながら、メクリアは艶めかしく微笑む。
成熟した女性。その中でも特筆した色気は、男性はおろか女性ですら惑わしそうな強烈な色気を放っている。
しかし、エグロードはそんな視線を向けられながらも、まったく表情を変えないまま右手をゆっくりと掲げる。
次の瞬間、エグロードの背後から黒い鎧をまとった兵士たちが飛び出し、メクリアを取り囲んだ。
エグロードの子飼い、鉄躯騎士団である。
「動くな……」
鉄躯騎士団の団長、ベルディクが、鈍く輝く刃をメクリアに突きつける。
「これはこれは、ベルディク殿。無力な女性に刃を突き付けるなど、王国貴族のすることではありませんよ?」
「女でも、相手が魔女であるなら否応なしよ」
「なるほど、吸血姫の口から私達の介入が漏れることを危惧しての処理ですか……」
「いや違う。そちらは私も了承していた話。これはお前の独断専行を確認し、止めるためだ。抵抗するなら殺すしかないが……」
そもそも、ヴィトーラへノゾムの情報を提供することは、エグロードも認めていたことである。そこは、彼は咎めるつもりはなかった。
問題は、それ以外での行動。
凄腕だが狂人でもある傭兵と共に、明らかに不審な行動を繰り返している彼女。いったい何をしようとしているのか。エグロードはそれを確かめるつもりだったのだ。
龍殺しとダンピール、そして吸血姫との戦い。これらにより、今のアルカザムは蜂の巣をつついたような状態だ。
平時なら厳重注意か、都市外退去程度で済むようなことでも、過剰反応してくる可能性は十分ある。
そして、ヴィトーラとメクリアとの間で行われた情報提供に関して、アルカザム側が知るのは時間の問題。
だからこそ、エグロードは動く必要があった。そして彼は、咎めることはしないが、手段も選ぶ気はなかった。
「何をおっしゃいます。今さら、害を与えないなど噓でしょうに……」
「違うな。それはお前次第だ。お前が私に対して本当に忠誠を誓っているなら、今自分が屍烏を通じて行っていることをすべて話せ」
「信じるおつもりがあるのですか?」
「話を聞いてから決める。こう見えて、私はお前の功績を評価している。ゆえに、お前の功績に報い、こうして弁明の機会を与えているのだ」
ヴィトーラからメクリアへの介入があったことが知られれば、エグロードは身の潔白のために、彼女の身柄を引き渡さなければならない。
信を置けるなら、そのままアルカザムに引き渡しても問題は無い。もちろん、早期に解放されるように全力で手を打つ。
しかし、信頼できない、もしくは明らかに謀反に類する行動をとっているなら、処理するつもりだった。
この戦いの中での事故死、もしくは行方不明ということにして。
しかし、エグロードが答えを出す前に、タイムリミットとなった。
エグロードよりも低く、そして威圧感の伴った声が、辺りに響く。
「ですが、それはそちらの理由。彼女はこちらに任せていただきたいですな。エグロード・ファブラン殿」
白銀の鎧をまとった偉丈夫、ジハード・ラウンデルが、自身の代名詞である巨剣“顎落とし”を背負い、姿を現した。
大陸でも最強クラスの剣士の登場に、鉄躯騎士団の騎士たちは押し殺した声を漏らす。
彼女の後ろには、インダの姿もある。
さらに鉄躯騎士団を取り囲むように、黒いローブをまとった影が数十人表れた。
「ジハード・ラウンデル。それに、星影か……」
エグロードはそう言いながらスッと手を振り、鉄躯騎士団を下がらせると、ジハードと相対した。
インダと星影が警戒する中、ジハードがエグロードに詰問をぶつける。
「ファブラン家に今回のウアジャルト家とフランシルト家の交渉において、介入、さらには内乱誘致の疑いがあります。少しお話を聞かせていただきたいのですか?」
「あの騒動は吸血姫自身の趣味によるものだ。我らが責に問われる理由がない」
「それも含めて、お話をお聞かせしていただきたいのですよ」
大侵攻で活躍した英雄を前に、エグロードは一歩も引かずに声を張る。
しかし、ジハードは引き下がる様子は微塵もない。
元々ピリピリと緊迫していた空気が、さらに張り詰めたものへとかわっていく。
ほんの少し、力が加わるだけで、破裂しそうな緊張感。周囲の鉄躯騎士団、そして星影の隊員達もまた、火花を散らす二人の圧力に息を飲む。
だがそんな空域の中に、唐突に弛緩した声が流れた。
「さて、ここまでですね」
声を上げたのは、この空気の元凶であるメクリア。
彼女はジハードとエグロード、そして周囲を取り囲む鉄躯騎士団と星影を見渡すと、胸元から小さな、黒く、波紋のある鋭い鉄片を取り出す。
「そんなもので何をする気だ。抵抗するなら、手荒な手段も辞さないのだが?」
「その必要はございません。確かに、私は龍殺し、ノゾム・バウンティスの存在について、かの吸血姫に情報を提供しました。すべては私の不徳の致すところです。ゆえに、自裁でもって責を取ることとしましょう」
「待て……!」
何をするつもりなのかを察したエグロード達が止めようとするが、その前にメクリアは取り出した鉄片で首をかき切っていた。
血が噴き出し、力をなくした彼女の体が地面に倒れこむ。
慌ててベルディクが駆け寄って傷を押さえ、インダが回復魔法で治療を試みる。
しかし、彼女の首から流れ出す血はとめどなく、やがて彼女の瞳から光が失われた。
「……死にました」
メクリアの死に鉄躯騎士団が呆然としている中、エグロードは思わず唇をかみしめた。
そんな中、彼の隣から強烈な気の奔流が噴き出す。
「エグロード殿、彼女が死んだ以上、貴方から詳細を聞き出すほかない。是が日にでも、一緒に来ていただきます」
絶対に逃がさない。硬い意思と、強烈無比な圧力。
有無を言わさぬ英雄の眼光に、エグロードはため息を漏らし、星影たちの拘束に甘んじるのだった。
ヴィトーラとの戦いから数日後、アルカザムは一応の平穏を取り戻した。
しかし、その爪痕は甚大であり、早急な復興は困難であることは誰の目にも明らかだった。
被害を端的に言えば、行政区の三分の一。都市隔離結界に覆われていた範囲はすべて壊滅。建物はおろか、小物家具の一つも残らぬほどに、全てが土くれに返されていた。
そしてこの被害をもたらした元凶。ヴィトーラとフランシルト家に対する責任追及も、間違いなく行われる。誰もがそう思っていた。
しかし、事は彼らの予想外の方向へとむかった。この件の責任追及に待ったをかける者たちがいたのだ。
声を上げたのは、今までフランシルトから援助を受けていたスマヒャ連合。そして、フォルスィーナ王国とは潜在的な対立を抱えているはずのクレマツォーネ帝国である。
ディザード皇国は大侵攻の際、攻め込んできた魔獣の群れを独力で退けながらも、その歴史的背景から、どの国とも繋がりを断っていた国だ。
そしてもう一つ、この事態を複雑なものにした要因がある。
それは伝説の存在となっていた龍殺し、ノゾム・バウンティスと、新たな種族として覚醒したアイリスディーナ・フランシルトの存在である。
龍殺し。伝説に詠われる最強の代名詞であり、歴史の中に消えていった存在。
今ではクレマツォーネ帝国の王家の血筋にその痕跡が残るくらいしかおらず、あの化け物じみたヴィトーラと真正面から戦える強者である。
そしてアイリスディーナ・フランシルトは、吸血姫の力を一方的に駆逐する極めて異質な魔力特性に覚醒し、その能力も大きく向上。
さらにウアジャルト家との通商交渉をまとめたフランシルト家の人間であり、ノゾム・バウンティスとも特に親しい間柄でもある。
二人の尽力により、フランシルト家とウアジャルト家との通商交渉が正式に締結。同時にフォルスィーナ王国とディザード皇国が、正式に国交を結ぶことになる。
被害は甚大。しかし、功績も多大。
もちろん、表に出てこない不満と言うのは間違いなく蓄積していっているが、表面上は大人しく、どの勢力も糾弾を声高には叫んでいない。
人的被害が皆無であることも、この件を穏便に収めるに寄与していた。
肝心のノゾムとアイリスディーナの扱いに関しては、アルカザムで保護という扱いになっており、現在二人はソルミナティ学園の敷地内で生活している。
また、学園の授業も一時中断。
あと数日で再開される見通しだが、学園教師を始め、スタッフたちは徹夜で仕事に奔走している。
その間、龍殺しとして公になったノゾムが今何をしているかというと……グローアウルム機関の一室で、検査を受けていた。
龍殺しとして覚醒した彼の身体データの収集が目的である。
検査室には部屋の六割を占めるほどの巨大な黒い箱が置かれ、その箱からいくつも伸びている。
管の一つの先には腕に巻くバンドが取り付けてあり、箱から伸びた他の管は傍に置かれた台座に接続され、台の上にはこれまた意味深な魔法陣が描かれている。
これは魔力だけでなく、気、さらには保有源素も計測できる最新式の装置を、さらに改良したものらしい。
装置でいっぱいの検査室には、ノゾム以外には三人いる。
一人は検査主任。この検査を担当する主治医である。
もう一人は、学園保険医のノルン。ノゾムとも親しく、そして彼の体を何度も診た経験を買われて、ここにいる。
そして、最後の一人は……。
「じゃあノゾム、腕を出して?」
「なあ、リサ、どうして君がここにいるんだ?」
「うん? 手伝いだけど? ほらほら、早く」
白衣を着た紅髪の少女、リサだった。彼女は装置と管でつながったバンドを手に、ノゾムに迫る。
検査装置自体、物珍しいものであることは間違いないが、今のノゾムは目の前でコスプレしている幼馴染が気になって仕方なかった。
一体どうして彼女はここにいるのだろうか?
ノゾムが疑問の視線を近くで作業をしているノルンに向ける。
「私が君の検査を手伝うことをアンリから聞いたらしくて、早朝から突撃してきたんだ。最近検査漬けの君の精神状態を考慮しての措置だよ」
「だったら、そばで見守るくらいのはずじゃ……。なんで、検査主任側で手伝いしているんです?」
「まあまあ、いいじゃない。ほらノゾム、腕出して」
ノルンの説明に疑問を投げかける彼に、リサは笑顔で割り込みながら、ノゾムの腕をとる。
言う前に手を取っているじゃないかと彼があきれていると、ぐいっとリサが身を寄せてきた。
よく見れば、白衣の胸元が不自然に開いていた。
シミ一つない肌と赤い下着が、ちらりと目に映る。
「リサ、その……」
「うん、どうかしたの? ほらほら、きちんと体から力を抜いて~~」
明らかにノゾムの反応を面白がっているリサがじりじりと近づいてくる。
ギュッと腕を寄せているからだろうか。健康的な胸の谷間が強調されている。
ノゾムはおもわず視線がチラリと映る肌色に向きそうになり、ぱっと反射的に視線を逸らすが、そんな彼の様子にリサはにんまりと笑みを浮かべていた。
「リサ君、大事な検査なんだから、ちゃんと仕事しなさい」
「わかっています。これはノゾムをリラックスさせるためなんですから」
「これ見よがしに胸元を見せつけるのはやめなさい。はしたないし、ノゾム君が別の意味で興奮しそうだ」
「興奮していませんよ!?」
「興奮してくれるなら、それはそれで私は全然OKなんですけど」
おいコラと、ノゾムがリサに抗議の視線を向けるが、一方のリサは口元に笑みを浮かべたまま、さらに身を寄せてくる。
もちろん、胸の谷間を強調したまま。
「君、邪魔ならすぐに出て行ってもらうよ」
「は~~い、わかってま~~す」
検査主任の注意に、リサがぱっと身を離す。
気が付けば、腕にはしっかりと検査用のバンドが巻かれていた。
いつ巻いたのか。ノゾムが茫然としている中、検査主任とノルンは呆れながらも、彼に始めるように指示を出す。
「本当にわかっているんだろうね……。それじゃあノゾム君、やってみてくれ」
「ええっと……はい」
ノゾムが目をつぶると、彼の体に巻き付く白い鎖が現出する。
同時に彼の周囲に漂い始める、五色の源素。
彼の腕に巻かれた帯と管を介して、装置にティアマットの源素が送り込まれる。
次の瞬間、黒い煙を上げながら、装置が盛大に爆発した。
「あの、装置が使い物にならなくなったわけですが……」
爆風と煙が収まった検査室の中で、ノゾムのつぶやきが漏れる。
薬品の刺激臭と焦げ臭さが混じった空気が満ちており、床の上では爆風を受けたリサとノルンが気絶している。
一言で言って大惨事だった。
一方、無事だった検査主任は、壊れた装置と向き合いながら苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「測定結果もめちゃくちゃ。源素総量は測定不能だし、属性も判別不能。というか、これって測定用の術式を一方的に書き消しているし。なんでこんなでたらめな力を持っているのに死んでいないの?」
「あの……死んだほうが正しいみたいな言い方止めてくれません?」
まるで珍種を見つけたような視線をノゾムに向けてくる検査主任。
ここ数日検査ばかりでストレスの溜まっていた彼だが、ここにきて一気に疲れが出てきたような気がした。
「実際、珍種じゃない。龍殺しなんていう、数百年ぶりの」
「言わないでください。自覚しているところなんですから」
身も蓋もない言い方である。事実は事実だが、こうも正面から言われると気持ちが折れる。
げんなりと肩を落とすノゾムを前に、検査主任も壊れた装置に向かっては~~と、長いため息を漏らしていた。
「こんなに壊れちゃ、修理も無理ね。この装置、高いのに……」
「具体的にはどのくらい……」
「そうね。研究費用も含めて、下級貴族が数家、破産するくらいかしら」
「ぶぶふっ!」
思った以上に高価な装置だった。
龍殺しになったとしても、一般農民として染みついた金銭感覚は変わらない。
ノゾムは思わず吹き出し、現実逃避するように天井を見上げる。頼むから修理費とか請求しないでくれよ、と心の中で懇願していた。
「まあ、測定すらできないみたいだから、ノゾム君の持つ源素、ティアマットの力は、今の私たちでは制御不能という結論は変わらなそうね。とりあえず結果をまとめるから、今日はもう帰っていいわよ」
「わかりました」
よかった、請求されなかった。変な安堵を抱きながら、ノゾムは変える準備を始める。
その時、検査主任が気絶しているリサを指さした。
「あ、それからそこで寝ているあなたの幼馴染、連れて帰りなさい。いいわね?」
「……はい」
所々敗れた服から覗く肌色と、女の子特有の柔らかい感触に、努めて平静を保つよう努めながら、幼馴染の体を抱き抱えた。
「それじゃ、失礼します……」
黒煙を吐く装置の前で哀愁を漂わせている検査主任の背中を一瞥すると、ノゾムは検査室を後にした。
廊下に出ると、彼は腕の中のリサを優しく揺らす。
「リサ、起きなよ……」
「う~ん、はっ!? ここは誰!? 私はどこ!?」
「大丈夫か? つらいなら、ちょっと寝かせたほうがいいかも……」
「寝る!? ここで!? ちょっと恥ずかしいけど、ノゾムが寝たいなら……」
「寝るの意味が違うし、俺は寝ないよ! 上げ足を取らない! というか、リサは最初っから気絶なんてしていなかったじゃんか」
「あ、わかってた?」
てへっと、舌を出すリサに、ノゾムはため息を漏らしながら彼女を立たせようとする。
リサが「もっと抱っこして……」と耳元でつぶやくが、当然無視である。
しぶしぶと自分の足で立ったリサはノゾムに近づくと、今一度自分が身に着けた白衣を見せつけるように笑みを浮かべた。当然、胸元をチラつかせることも忘れない。
「それでノゾム。私のこの姿、ドキドキした?」
「はしたないから止めなさい。まったく、なんだかなあ……」
「だって、このくらい積極的にいかないと、負けちゃうもん」
「負けるって……」
「実のところ、もう決着はついちゃっているんだけどね。まあ、諦めるつもりもないんだけど……」
「え?」
「なんでもない! それよりもノゾム、少し休んでいかない? 近くに休憩室もあるみたいだし」
突然腕を絡めてきたリサが、ある部屋の立て看板を指さした。
休憩室と記された部屋にノゾムを連れ込もうと、ぐいぐい引っ張り始める。
「ちょ、リサ!?」
「あ、ベッドもあるよ。ノゾムの検査前に確かめてあるから。あとは言わなくてもわかるよね」
確かめてあるんかい! ノゾムは思わず心の中でそう叫ぶ。
その時、検査室から出てきた影が、リサの首根っこを引っ掴んだ。
「はい、そこまで。さすがに研究所内で不埒な行為は駄目だよ」
リサを止めたのは、検査主任の補佐をしていたノルンだった。
まだ気絶から回復しきっていないのか、眼鏡の奥に見える目の焦点もまだ揺れている。
「先生、不埒な行為じゃありません。いたって真剣な行為です!」
とはいえ、ノルンに止められても、今のリサは全く止まる様子がない。
まったく、幼馴染はどうしてこうなってしまったんだろうか。昔はもうちょっと慎みがあったような気がするんだが……。
ノゾムのそんな気持ちを察してか、それとも気絶の影響からか、ノルンは頭痛を堪えるように頭を振る。
「無敵の人かな……。とにかく、ノゾム君。私は彼女とお話しないといけないから、少し彼女を借りるよ」
「ええ、かまいません。むしろお願いします。どうしてこうなったのやら……」
「それは、ノゾムが悪いと思います! 罰として私とそこの部屋で休憩を……」
「はいはい、私が付き合ってあげるから、ちょっと一緒に行こうか」
「いえいえ、ノルン先生もお忙しいでしょうから、謹んでご辞退……。ああ、ノゾム~~、助けて~~」
いうが早いか、リサはズルズルとノルンに休憩室まで引きずられていった。
休憩室の扉が無情にもバタンと閉じる。一人になったノゾムの口から、今日一番のため息が漏れていた。
リサ・ハウンズ
諦める気持ちは微塵もないし、引き下がる気もない。
とはいえ、自分が一番出遅れているのは自覚しているため、ある意味必死。