第8章47節
お待たせしました。
対ヴィトーラ戦、決着です。
吹き荒れる鮮血の源素を、黒銀の矢群が食い破る。
開いた空間に躍らせた細剣の間合いにヴィトーラを捉えると、アイリスディーナは魔力で強化した刃を躊躇なく薙ぎ払う。
「ちい!」
ヴィトーラは鮮血の源素で生み出した刃で薙ぎ払いを受け止めるも、アイリスディーナの剣は瞬く間に血色の刃を食い破り、鮮血の精霊を一閃。一筋の傷を吸血姫の胸に刻む。
「浅いか!」
「この!」
間合いを詰められたことに焦ったヴィトーラはなりふり構わず己の源素を引き出す。
そして引き出した源素を至近距離からアイリスディーナに叩き付けると、全力でその場を飛び退く。
その焦りは、今までの彼女にはなかったもの。
満足することを知ったが故の未練と、一方的に己の力を打ち消すアイリスディーナの異端性。それが再び訪れるかもしれない死を連想させ、ヴィトーラに生まれて初めての焦燥をもたらしていた。
「気持ちの悪い! なんだ、この不快感は!」
ヴィトーラは右手を高々と上げると、巨大な真紅の光球を生み出す。
真紅の球体は彼女の焦燥を現すように、瞬く間に巨大になっていく。それこそ、更地になったフランシルト邸の敷地を飲み込むほどに。
「むん!」
しかし、舞い上がる土煙の中から放たれた黒銀の槍が真紅の光球を貫き、霧散させた。
放たれたのは中級魔法『深淵の投槍』。
だが、たかだか中級魔法一発に精霊の術が消された事実に、ヴィトーラの顔に更なる焦りが刻まれる。
「うん、威力も魔法の展開速度も、今までとは比較にならないほど上がっている。これが貴方の血の影響だと考えると、少し複雑だな」
「この……」
「おや、私だけに集中しすぎていいのか?」
次の瞬間、ヴィトーラの背筋に強烈な悪寒が走る。
反射的にその場を跳躍した瞬間、閃光のように飛翔してきた五色の刃に両足が斬り飛ばされた。
「ぐっ!?」
焼かれるような痛みに顔を歪ませながらも、斬撃が飛んできた方に視線を向けると、刃を構えたノゾムが疾走してくる姿が映った。
彼はアイリスディーナとの弾幕戦を避けるように迂回しつつ、愛刀を回収していたのだ。
「っ! 近づくな!」
「させない!」
咄嗟に『絶氷鬼の薄衣』を複数展開して叩き付けようとするヴィトーラ。しかし、アイリスディーナの展開した障壁がノゾムを守り、襲い掛かってくる鮮血色の戦列を受け止める。
ヴィトーラの魔法と比べても、あまりにも頼りない障壁。しかし、その紙の壁のような障壁を『絶氷鬼の薄衣』は突破できないでいた。
数秒の拮抗。その間に、刃を鞘に納めたノゾムが抜き打ちを放つ
「ふっ!」
抜刀と同時飛翔し、炸裂する刃。塵断が『絶氷鬼の薄衣』の戦列と魔力障壁を食い破り、ヴィトーラの体を大きく抉る。
肩から脇腹にかけて真っ二つにされたヴィトーラが、驚きに目を見開いた。
「がっ!? なんだ、その技はこれほどの威力ではなかったはず!」
「ああ、ただの塵断じゃ足りないから、アイリスの技を真似て十発分重ねてみた」
わずか数秒、されど数秒。
元々、半秒ほどで『幻無』等の絶技を放つことが出来たノゾムである。数秒あれば、複数の塵断を重ね打ちすることは不可能ではなかった。
今まではヴィトーラの猛攻にその数秒すらなかったが、アイリスディーナが参戦してきたことで、攻撃に十分な『溜め』を作ることが出来るようになっていた。
「ふっ!」
ヴィトーラが両断された体を際している間に、ノゾムが間合いを詰めつつ、源素を込めた拳を振るう。
再生を終えた彼女は反射的に手を掲げ、ノゾムの拳を受け止めた。
「ぐっ……」
拮抗する吸血姫と滅龍王の源素。バチバチと紫電を散らす光景を前に、ノゾムはある確信を抱いた。
「お前、今俺の源素を龍脈に流せていないな?」
「っ!?」
ノゾムのその言葉に、ヴィトーラの瞳が揺れる。
彼女は絶大な力を持つとはいえ、成り立ての精霊だ。当然、その力もまた十全に使いこなせているとは言い難い。
(なによりも、あの銀髪の娘の魔力に当てられてから、何故か力が上手く使えなくなり始めた。あの娘、妾の源素だけでなく能力すらも……)
「うおおおおおおお!」
「ぐううう!?」
ヴィトーラの動揺を見抜いたノゾムが、さらに力を引き上げる。
急激に増した圧力はヴィトーラを吹き飛ばし、大きな隙を生む。その姿を見て、ノゾムの腰が落ち、再び刃が鞘へと納められる。
再度背筋に走る悪寒。ヴィトーラは反射的に視線を空へと向けた。
ヴィトーラの思考に反応した鮮血の源素が氷柱となり、死角からノゾムに襲い掛かる。
「ノゾム、上だ!」
「っ!」
アイリスディーナの叫びに反応したノゾムが、その場から飛び退く。直後に、無数の氷柱が地面に突き刺さった。
「ちい、もうなりふり構っていられんな!」
絶大な『破壊』の力を持つ龍殺しと、こちらの力も能力も封じてくる少女。
中途半端な攻撃は意味がないと判断したヴィトーラは、己の全ての存在を攻撃へと転化し始める。
(必要なのは、あの二人に連携をさせない事。近づかれる時間を最短にすること。あの娘に無効化されることを考えれば、超広域の術で薙ぎ払うのではなく、ノゾム・バウンティスのように知覚されない程の威力と速度で一点突破するのが最良か)
絶氷鬼の薄衣を複数無効化されたことを鑑みれば、広域に影響を及ぼす術は効果が低い。
アイリスディーナの能力で、著しく威力を減退させられることが目に見えていた。
「はあああ……」
大気中に舞う源素、龍脈から吸い上げた源素、そして己の体と魂を構築する源素、全てを一点に集め、収束を繰り返す。
ヴィトーラの人型としての体が崩れ、やがて血の色に染められた一本の氷槍となる。
すでに肉の体ではない彼女。精霊として己の意志のまま、自在に姿を変えることが出来る。
その氷槍は、人が持つにはあまりにも巨大だった。
長さにして、およそ人6人分。
巨大な穂先と、棘に覆われた柄は禍々しくも美しく、ただひたすら貫通力に特化した姿をしていた。その穂先が、アイリスディーナへと向けられる。
「っ!」
ゼロからの急加速。
アイリスディーナが反射的に障壁を張るが、相性の不利を持ち前の力技で突破し、天敵の心臓めがけて突き進む。
「アイリス!」
横合いから飛び込んできたノゾムが彼女を押し倒す。
ギリギリで外れた氷槍は都市隔離結界を瞬く間に貫通すると、夜の上空へと飛翔。その切っ先を返し、再びノゾム達めがけて突撃してくる。
「くそ!」
「きゃっ!」
アイリスディーナの体を抱え上げ、ノゾムはその場から跳躍。直後、地面に激突したヴィトーラが衝撃で地盤を捲りあげながら、局地的な地震を引き起こす。
さらに、地中で再度方向転換した氷槍は、三度ノゾム達めがけて突撃を開始する。
「なろ!」
地面を抉りながら突っ込んでくる氷槍を躱しながら、ノゾムは毒ずく。
空中へと飛び出したヴィトーラは再び上空へと消えていく。おそらく、再び空から加速しながら突撃してくるだろう。
案の定、加速したヴィトーラは地上を這うように横合いから突撃してきた。
反射的に片手で保持した刀を添わせようとするが、相手の余りの速度に、刃を立てる暇もなく弾かれてしまう。
「ノゾム、私を降ろすんだ」
「ぐっ! アイリス、すまん!」
抱えていたアイリスディーナを降ろして両手で刃を振るうも、やはり一方的に弾かれてしまう。
「この……」
飛び去るヴィトーラにアイリスディーナが魔力弾を放つも、当たらない。
そもそも、速度差があり過ぎる。質量のほとんどない魔力弾すらも置き去りにするほどだった。
「くそ、拙いな。どんどん速度が上がってきている」
突撃を繰り返しながらも、氷槍の速度は徐々に上がってくる。
ヴィトーラの戦術は、ノゾムの技とコンセプトは同じだ。集束した力による、一点突破である。
垂れ流していた己の力全てを集めて固めたからだろう。氷槍の強度はノゾムの刃も弾き返すほどになっていた。
おまけにヴィトーラは、人の目で視認できる範囲外から強襲を仕掛けてくる。
近距離から中距離での白兵戦を得意とするノゾムとアイリスディーナにとっては、頭の痛い状況だった。
「ぐっ!」
「きゃ……」
さらに加速を繰り返したヴィトーラは、ついには衝撃波を纏うまでに加速していく。
視認すら許されないほどの速度で飛翔してきた氷槍は、進行方向にあるあらゆるものを貫き、破砕し、吹き飛ばす。
動きまわりながら直撃だけは回避し続けるノゾムとアイリスディーナだが、まき散らされる瓦礫の雨に、徐々に疲弊していく。
このままではじり貧である。
そう判断したノゾムは、突撃の間隙を縫うようにアイリスディーナの傍へと跳躍。
背中合わせになりながら、彼女へ語りかけはじめた。
「アイリス、俺がヴィトーラの突撃を何とか止めるから、君は最大の一撃で彼女を倒してくれ」
ノゾムが抜いていた刃を鞘に納める。
それだけで彼が何をしようとしているのか察したアイリスディーナは、思わず声を荒げた。
「ちょっとまて、いくら君でも、見えない速度で飛んでくるものを捉えることは無理だ!」
「だけど、魔法ではあの速度で飛ぶ物体を捕えることはできないだろう? おまけに槍自体も徐々に細く、長くなっているみたいだし……」
実際、既にヴィトーラの速度は、アイリスディーナの肉眼ではとらえられない速度になっている。
彼女の魔法の中で、あれほどの速度で飛ぶ物体を拘束できるような魔法はない。
おまけに、腕ほどだった槍の太さも、指先ほどにまで細く圧縮され、正面から見た面積も著しく小さくなっていた。
見えないほど遠くから、瞬きする間もなく襲い掛かってくる超高密度の槍。
今までは標的が動き回っていたために当たらなかったに過ぎず、それを足を止めて正面から刀で迎撃するなど、アイリスディーナには不可能としか思えなかった。
「確かに私の魔法では拘束することは……。まて、君はあの速度で飛んでくる槍が見えているのか?」
「外観だけはぼんやりと、なんとか……」
「相も変わらず、規格外だな、君は……」
アイリスディーナの目には光の瞬きにしか映らない槍も、ノゾムはなんとなく見えているらしい。そんな彼に、アイリスディーナは嘆息した。
背中合わせで構える二人の間に、緊迫した戦場には似つかわしくない、弛緩した空気が流れる。
「でも、嬉しいよ。こうして君の背中を任せてもらえている」
「なんだよ、こんな時に……」
「いつも、君に守られているか、君を守るかのどちらかだったからな。新鮮な気分だよ」
その一言に、ドクンと心臓が脈打つ。
確かに、ノゾムはアイリスディーナと共闘したことはほとんどない。
じんわりと背中から伝わる熱。自然と気持ちが昂り、視界が広くなっていく。
『二人とも、大丈夫?』
「この声……」
「シーナ君?」
その時、シーナの声がそよ風のように耳に流れてきた。
よく見れば、緑色の精霊が、淡い光を放ちながらノゾムの耳元でフヨフヨと漂っている。
ヴィトーラが己の浸食源素を全て回収したおかげで、どうやら彼女が契約した精霊が、この場所に来ることが出来るようになったらしい。
『今から精霊達に頼んで、吸血姫の動きを捉えるわ。突撃のタイミングと方向は私が伝えるから』
「……わかった。頼りにしている」
『ええ、任せて』
直後、夜の空から流星に似た閃光が走る。
『来たわ。左60度、仰角80度、ほぼ頭上からよ!』
「く!」
「ふっ!」
光の尾を引きながら、再び頭上から突撃してきた真紅の氷槍。ノゾムとアイリスディーナがその場から飛びのいた瞬間、轟音と共に地面を貫く。
地中で反転した氷槍は、再び空の彼方へ。
そして再度、突撃を繰り返す。
『次はノゾム君の真後ろから。地面スレスレを飛んでくるわ!」
「なろ!」
シーナの援護により、先ほどよりはある程度余裕を持てるようになったノゾムとアイリスディーナだが、状況が好転するにはまだ足りない。
ヴィトーラも少しずつ慣れてきたのか、突撃の精度も徐々に高まっていく。
そして彼女は幾度かの突撃と離脱を繰り返したかと思うと、これまでよりもさらに勢いをつけて、天高く飛翔。螺旋を描きながら、これまで以上の加速を開始した。
『上空を旋回しながら加速してる。一体どれだけ速度を上げていくつもりなの……。風の精霊すらもう追いつけなくなってる』
円を描くように旋回を繰り返しながら、加速を続ける氷槍。
やがてヴィトーラは、シーナが掌握している精霊の探知圏外まで飛んで行ってしまう。
『っ、探知外に出たわ』
「くそ、どうする?」
『ギリギリまで探知範囲を広げるわ。でも、その分精度が……」
「大丈夫だ。慣れてきたし、方向とタイミングさえわかれば、あとはこっちでどうにかする」
『……分かったわ。死なないでね』
「むう、二人とも少し距離が近い」
『物理的には貴方の方が近いんだから、いいでしょ。そんなことより、そろそろ来るわよ』
ノゾムとアイリスディーナ、二人は再び背中合わせになりながら、得物を構えると、静かに己の刃を研ぎ澄ませる。
黒銀の魔力が立て続けに強化魔法展開し、五色の源素が“無銘”の刃に幾重にも重ねられていく。
一方のアイリスディーナも細剣に黒銀の魔力を纏わせ、強化魔法を瞬く間に何十回もかけていく。
一秒、二秒……。澄んだ空気の香りが漂い、風がそよぐ音だけが耳に響く。
静寂の刹那。数瞬後には致死の刃が迫ってくる状況にもかかわらず、二人の心は自然と凪いだように穏やかだった。
『っ、来たわ! アイリスディーナさんの右三時の方向! 三秒後よ!』
「っ!」
即座にノゾムが動く。刹那の間に、残った己の集中力、全てを注ぎ込む。
視界に映る世界が停滞し、色を失う。
一秒。灰色に染まった世界で、超高速で迫る紅色の点がノゾムの視界にはっきりと映る。
「ふううう!」
二秒。アイリスディーナの側方に回り込みながら右足を踏み込み、筋肉の連動に合わせて極強化。
三秒。無銘を抜刀。稼働する筋肉と極強化を完璧に連動させながら、幻無を重ね掛けしていた刃を、一気に抜き放つ。
幻無・閃
龍殺しとして覚醒したノゾムの最大最強の一撃が、超音速で迫るヴィトーラの氷槍と激突する。
「っ!?」
「ぐううう!」
全身の骨が砕けるのではと思えるほどの衝撃が、ノゾムの全身に走る。
同時に、弾けた衝撃波で地面が捲り上がる。
拮抗する紅の穂先と、五色の極刃。氷槍から驚愕の気配が漏れ出した。
まさか、正面から受け止められるとは思わなかったのだろう。もしくは、無意識に思わないようにしていたのか。
いずれにせよ、その動揺がこの戦いの決着をもたらす。
「終わりだ……」
ノゾムを飛び越えたアイリスディーナが、刃を振り上げる。
魔法剣・月食夜。
強化魔法を重ね掛けした、彼女の切り札である魔法剣。
黒銀の魔力を幾重にも束ねた刃が振り下ろされ、極限まで細くなった紅の氷槍の柄を四分割に破断した。
「がっ!?」
「ふううう!」
呻くような苦悶の声。抵抗がなくなり、解放された幻無・閃が氷槍を縦に破断した。
断ち切られた氷槍が分解され、吸血姫が現れる。
その姿は精霊としてではなくなっていた。
真紅の肌は白のそれへと戻り、源素で構成されていたはずの体が、肉の体へと戻っている。
「私の、負けか……」
「精霊化が解けた?」
「ああ、フランシルトの娘……アイリスディーナの力のせいだ。もう、指先すら動かせん」
仰向けに倒れ込んだヴィトーラは、指一本動かせない様子だった。
肉体的には傷一つないのに、魔力が異常なほど弱まっている。まるで、長年病に倒れ伏している病人のようだった。
「さあ、私を殺すがいい。それで、決着だ」
ヴィトーラは見下ろしてくるノゾムとアイリスディーナを一瞥して満足そうに笑みを浮かべると、自分を殺すように言ってくる。
アイリスディーナはゆっくりと月食夜をヴィトーラの胸に突き付けるが、すぐに魔法を解き、刃を鞘に納めた。
「殺さないのか?」
「貴方がこの街に来た元々の“建前”は、フランシルト家、ひいてはフォルスィーナ国との国交の樹立の為だったはずだ。この際、その責務は果たしてもらおう」
フランシルト家とウアジャルト家、ひいてはフォルスィーナ国とディザード皇国との国交の樹立。
その確約を、アイリスディーナはヴィトーラに迫る。
「ああ。それに、この街をこれだけ壊してくれたんだ。その責任もきちんと果たしてもらわないといけないからな。せいぜい毟り取らせてもらう」
ついでに、壊したものの請求も忘れない。慰謝料も含めて、ぶんどれるだけぶんどってやるつもりのようだ。
「……いいだろう。勝者の特権だ。そちらの条件、全て飲もう。それから、ノゾム・バウンティスよ。お前は私に何を望む?」
アイリスディーナの条件をすべて飲んだヴィトーラは、続けてノゾムに視線を向ける。
その瞳には、何かを期待するような熱が燻っている。
「俺? 俺は別に……」
「ノゾム、それはよくない。この勝利は間違いなく、君のおかげだ。それに、君は立場的に一番迷惑をかけられたのだ。相応の請求をするべきだ」
ヴィトーラの瞳の色に若干の不審を抱きつつも、アイリスディーナは報酬を辞退しようとするノゾムに待ったをかける。
こんな時でも純朴な彼の気質はアイリスディーナの好むところではあるが、この場では彼女はきちんとノゾムに報酬を受け取ってほしかった。
なにより、ヴィトーラは自分の欲を優先し、ノゾムに要らぬ無理を強いたのだ。ケジメはきちんとするべきであるというのが、彼女の考えだった。
「そんな事を今言われてもな……。なら、俺の後ろ盾の一人になってもらう。俺が必要だと思う時に、力を貸せ」
一見すると、なんでもない要求。しかし、ノゾムとしてはこれが最善で、都合がいい要求であった。なぜなら、補償の内容も限度を指定していないめちゃくちゃなものとも取れるからだ。
とはいえ彼としては、対外的な『名目』が立つし、今回のことで色々と被害をこうむった者達への言い訳にもなる。
それにノゾムは、この一件で完全に龍殺しであるとバレた。
自分や周りの大切な人たちを守るためにも、あらゆる力を取り込んでおく必要があると踏んでの要求だった。
一方、ヴィトーラはノゾムの要求を聞いて、何やら驚いた表情を浮かべている。
「……本気か? 我ら吸血鬼の後ろ盾を得ようなどとは」
「もう俺は龍殺しだと公になっちゃうだろうし……。それに、アイリス達はこれからもあなた達と関わっていくんだろう? なら、俺があなた達に影響力を持ち続けることは悪い事じゃない。ちがうか?」
「それにしても、もう少し別の要求の仕方もあったろうに……」
「俺はこの中で、一番政治力が低いからな。限界があるんだよ」
精一杯含みを持たせたつもりの似合わない笑みを浮かべたノゾム。
彼の言葉にしばらくの間考え込んでいたヴィトーラだが、やがて小さく頷いた。
「いいだろう。アイリスディーナ・フランシルトが求めたもの以外で、妾が持つすべてでもって、其方の背中を支えよう……」
「ん? いや、別に全部は要らないし、単純に必要な時にすこし力を貸してくれればそれでいいんだが……」
「何を言うか。政治的な力も必要なのだろう? ならば、その位の度量は見せるべきだ。妾を下したともなれば、どんな馬鹿も早々手出しはしてこない。違うか?」
だが、思った以上に重い言葉をあっさりと返され、ノゾムの薄いメッキはあっさりと剥がされた。
隣ではアイリスディーナがジト目で倒れ込むヴィトーラを見下ろしている。その視線は、なにやら懐疑に満ちたものであった。
戦いは終わったのに妙に生温かい空気が流れる中、都市隔離結界が消滅していく。
そして、後ろから精霊と共に援護してくれていたシーナと、決着を見届けたマルス達やルガトが駆け寄ってきた。
「ノゾム君、アイリスディーナさん、大丈夫!?」
「姉様、御無事ですか!?」
「こいつら、ヒヤヒヤさせやがって!」
シーナがノゾムの元へ、そしてソミアがアイリスディーナの元に駆け寄ってくる。
そしてマルスが両手を広げ、四人をまとめて掻き抱く。
ヴィクトルやメーナ、そしてリサも、少し後ろから四人の様子を見守っていた。
「主様、ご無事でございますか?」
一方、倒れたヴィトーラの元には、ルガトが駆け寄ってきた。
彼はやや緊張した面持ちで主を抱き起していたが、無事な姿を確かめると、安堵の笑みを浮かべる。
「失礼いたします」
ルガトが陣を描き、魔法で闇の傘を作り上げる。気がつけば、東の空には、陽が昇り始めていた。
陽の光は吸血鬼には毒だ。普段のヴィトーラなら無尽蔵の魔力で何でもないのだろうが、今は完全に弱り切っている。
「ああ、すまないなルガト、世話をかける」
「いえ、貴方様に仕えることが、私の使命でございます。……成長しましたね」
長年ヴィトーラに仕えてきた執事自身、主に対しては思うところがあるのだろう。
静かに、しかし想いの籠った言葉を、彼女だけに聞こえるように呟く。
そんな唯一の臣下の言葉に、ヴィトーラはどこか恥ずかしそうに微笑を浮かべる。
「満足しましたか?」
「……いや、まだだ。どうしても欲しいものが出来てしまったからな」
主の視線の向かう先を確かめ、ルガトは静かに瞑目する。
先程の微笑みとは違う、嘆息したような、なんとも意味深な笑みを浮かべていた。
「そうですか……」
「まあ、今は我慢しよう。体も動かぬし、やる事も出来てしまったからな」
鎖を纏った龍殺し。龍鎖の剣士を見つめながら、ヴィトーラは先ほどの微熱を含んでいた視線を、北の空へと向ける。
「アイ、みんな!」
そうこうしている内に、ティマとジハードが多数の兵を引き連れてきた。
ティマは銀髪になったアイリスディーナに抱き着き、彼女の無事を喜んでいる。
ジハードはそんな彼女達を一瞥すると、全ての兵士を引き連れ、ヴィトーラを取り囲んだ。
「ヴィトーラ殿。御身を拘束させていただく。理由はお分かりですね?」
「一丁前に勝者気取りか? 妾は龍殺しと黎明の娘に負けたのであって、お前達に敗れたのではないぞ」
ニヤリと好戦的な笑みを浮かべるヴィトーラに、兵士達が気圧される。
いくら消耗しきったとはいえ、相手はアルカザムを更地にしかけた怪物。たとえ満身創痍であっても、彼らには強大な存在だった。
実際、ジハードですら、その額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「そこまでにしたらどうだ?」
「おい、私との契約を忘れたのか?」
そんな中、鶴の一声と言うべき言葉が響く。
声をかけてきたのは、ノゾムとアイリスディーナだ。
「分かっている。少し揶揄っただけさ。今は大人しく、虜囚の身となろう」
静かに目をつぶると、ヴィトーラはそのまま眠りについた。
魔法の傘を差したまま、ルガトは主を抱きかかえると、ノゾムとアイリスディーナに頭を下げる。
そしてそのまま、ジハードたちに連れられて行った。
立ち去るヴィトーラ達を見送ったノゾムとアイリスディーナ。昂ぶっていた気持ちが、スッ……と潮が引くように落ち着いていく。
ノゾムの体に浮かんでいた白い鎖が消え、アイリスディーナの銀の髪が徐々に元の髪色である艶やかな黒に戻っていく。
「アイリス、髪が……」
「魔力が戻ったからだろうな。どうだ?」
元の色に戻った髪を差し出すように掬い上げ、そっと見せてくるアイリスディーナ。
「綺麗だよ。銀髪も綺麗だったけど、やっぱりアイリスには黒が一番似合っている」
素直に口から出たその言葉に、アイリスディーナは顔を赤らめながら、笑顔を浮かべる。
一点の曇りもない、満面の笑み。ノゾムも彼女の笑顔に釣られるように、自然と心が軽くなり、口元に微笑が浮かぶ。
彼女の白くなっていた髪は、ノゾムの心の中でしこりになっていた。
怒りから暴走し、彼女達に刃を向けた。彼にとっての罪悪感と己の未熟の象徴。それが、胸の奥のつかえと共に、氷のように解けて流れていく。
ふと東の空を見上げれば、朝日が完全に顔を出している。
「ようやく、終わった……」
「ああ、だが君も私も、まだ色々と残っているがな」
龍殺しであると実質的に公になったノゾム。シーナとの血約の儀も含め、多くの人に身の振り方の説明と証明をしなければならない。
そして、人以外の何者かになってしまったアイリスディーナ。彼女もまた、身の振り方を根底からひっくり返してしまった。
おそらく、これからまた大きな嵐に、何度も見舞われるだろう。
ただ今は、二人で昇って来た朝日に照らされながら視線を交わらせ、長い夜の夜明けに安堵の笑顔を綻ばせていた。
「そうだノゾム、少し時間が出来たら、付き合ってくれるか?」
「え?」
「……伝えたいことがあるんだ」
ようやくヴィトーラ戦が終わりました。
後はエピローグのみ。長かった第8章も、ようやく終わります……。