表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
211/221

第8勝第46節

お待たせしました。遅くなって申し訳ありません!

今回もまた覚醒回。これでようやく終わりへと向かっていける……。


 妾の体が消えていく……。

 痛みはすでに消え、ただ光と熱だけが妾を包み込んでくる。

 これまで感じたこともない温もりと興奮。そして歓喜。

 湧き上がる感動が、胸を一杯に満たしていく。

 これほどまでに、妾に抗った挑戦者はいなかった。

 これほどまでに、妾の力を引き出した強者はいなかった。

 これほどまでに……妾を本気にさせてくれた他者はいなかった。

 ああ……素晴らしい。それ以外の言葉が出てこない。

 繰り返された、退屈で永い時。しかし、この刹那、妾は生まれて初めて充足感と満足感を得ていた。


(ああ、しかし、それでもまだ……)


 充足の中で浮かぶ、新たな感情。

 それは、安堵でも解放感でもない。

 

 更なる“欲”だった。


 もっと知りたい、もっと見てみたい。

 注がれた熱は既に私の体を焼き尽くし、魂すらも消滅させようとしているにもかかわらず、残された僅かな“私”が、彼を求めてやまない。

『満足』という感情を得たからこそ、『次の満足』が、欲しくて欲しくて仕方がない。

 どうすればこの世に残れる? どうすれば、もう一度ノゾム・バウンティスの前に立てる?


『なるほど、素養は疑いようがない。しかし悲しいかな、その突出した素養故に、完成することはないだろう。未完の大器か……』


 脳裏に浮かぶのは、150年前にその吐息と爪にて、我が力を突破し、妾に傷つけた唯一の者。妾が知る中で、ノゾム・バウンティスに並ぶ存在。


『だが、幸いだった。お前はそのままであった方がいいだろう。お前の同属たちの為にもな……』


 そして、気になったからと言う理由で勝手に押しかけ、理解したと言っていなくなり、それから姿も見せようとしなかった粗忽者。

 一体何を言いたかったのか見当もつかなかったが、今この場で思い出したのなら、何か意味があるのかもしれない。


(ああ、そうだな……。最後に足掻くのも悪くない)


 残された力をすべて行使する。しかし、肉体はおろか、魂の再生もできない。

 既に妾の魂も欠片しか残っていない。そもそもの元がなければ、再生など不可能だ。

 有り余っていた魔力も、強靭な肉体もなくなった。

 ないか? 何かないか? 妾の中に、他に残されたものは……。

 完全に消滅するまでの数秒の中で、妾は必死に残されたものを探す。

 その時、僅かな気配を感じた。

 どこか遠く、それでいて近くにあるもの。凍りついた岩の奥から染み出す、湧水を思わせる僅かな力。それは鈍い、血の色をした結晶だった。

 散りかけていた意識は、いよいよ限界を迎えつつある。

 妾は必死に、縋り付くように手を伸ばし、その力に触れようとする。

 指の先が力の先に触れた瞬間、光が弾け、たゆたう無数の泡が出現した。

 浮かんでは消えていく泡の中には、私が見た事もない光景が広がっている。

 緑豊かな森をかける獣。うだるような熱砂のなかで耐える蛇。死した屍を食らう虫の群れ。大地に染み渡り、地の奥深くまで沈む水。

 数多の光景を目にするたびに、時間感覚が速まっていく。

 刹那の間に、妾の中であっという間に時が過ぎ、消えかけていた魂が、急激に元に戻っていく。

 否、それどころか、更に意識は広がりつづける。

 まるで空を飛ぶ鳥のように、土に潜る虫のように、荒れ狂う海を進むクジラのように。

 そして、最後の光景が目の前に広がっていた。

 どんよりとした闇に包まれた空。

 昼なのか夜なのかもわからない闇に包まれた空に、昏い穴が開いている。

 まるで血のように紅い縁に彩られた穴。そこから滴り落ちる血が地面を染めながら、妾の体も紅く染めていく。

 ああ、なるほど、妾の親だった者は、初めからこのつもりで……。

 そして、ようやく妾は“本来の妾”となり、意識は凍りついた鮮血に彩られた。














 つい先ほどまで、豪華なフランシルト邸が立っていた場所は、僅かな時間で更地になってしまっていた。

 豪邸は石材一つに至るまで完全に破壊され、敷地の中央には巨大なクレーターが穿たれている。


「はあ、はあ、はあ……」


 自らが生み出したクレーターの中で、ノゾムは荒い息を吐いていた。

 全力の滅光衝。確実に仕留めたと思える手ごたえであり、肉体ごと魂を消滅させたはず。

 舞い上がる源素の残滓と土煙に包まれながら、ノゾムは乱れる息を整える間もなく、アイリスディーナ達の方へ視線を向ける。

 無事な彼女達を確かめ、ノゾムはようやく安堵の息を吐く。

 良かった、守れた……。

 振り返り、彼女達の所へ向かって歩き始めた。

 数歩進んだところで、ノゾムは後ろ髪を引かれるような感覚から振り返る。

 滅光衝で生み出されたクレーターの中心には、抉られた地面以外何もない。

確実に、死んだのだろう。

 殺したという事実が、ノゾムの肩に重くのしかかる。

 胸に去来するのは、安堵と罪悪感。

 何とも言えない気分を胸に抱きながらも、ノゾムは再び守ると決めた彼女達の元へと今一度足を進めようとする。

 だが、そんな彼の足元で、ガラリと何かが崩れる音がした。

 流れてきた音に導かれるように下を向くと、奇妙なものがあった。

 幾つもの菱形を重ねたような、歪な結晶。まるで血を固めたような紅色のそれが、崩れた地面から顔を出している。

 一体なにかと、思わず注視する。その時、ノゾムの全身に針を刺したような悪寒が襲ってきた。


(よかった。また会えたな……)


 思わず身を翻し、鞘に納めていた無銘に手を伸ばす。

 しかし、突如として結晶から飛び出した手が、無銘を剣帯ごと弾き飛ばした。


「ぐっ!?」


 さらに続いて飛び出した結晶の槍が、ノゾムの左肩を貫く。

 続いて、まるで心臓の拍動のように結晶が明滅し、周囲の源素と魔力を取り込み始めた。

 ドクン、ドクン。

 響く鼓動と共に、紅い結晶が人型へと変わっていく。真紅の肌と髪を持つ異質な存在へと。


「ハア……」


 魅力的な肢体を惜しげもなく晒しながら、人型は熱い吐息を吐き、その視線をノゾムへと向ける。

 その容姿は間違いなく、消滅させたはずのヴィトーラ。しかし、その体を構築しているものが、明らかに変化していた。

 気でも魔力でもない力。シーナと血約の儀を結んでから、敏感に感じ取れるようになった根源的存在。


「精霊……」


 それは間違いなく、純粋な源素。精霊達が使う力そのものだった。


「ああ、やっと戻ってこれた。長い、長い時間だったぞ……」


 すっと、音もなくノゾムの元に近づいたヴィトーラが、突然ノゾムを抱きしめる。


「なっ!?」


「ふふ、変わらぬな。まあ無理もない。そなたにとっては刹那の間の出来事でしかなかったのだから」


「くっ!?」


「あっ……」


 反射的にティアマットの源素を叩き付け、ノゾムはヴィトーラの拘束から逃れる。


「なんだ、せっかくまた会えたというのに、もう少しくらい抱きしめさせてくれてもよかろう……」


 一方、ヴィトーラは明らかに不満と言った様子で、口を尖らせている。

 先の傍若無人な様子から一変。まるで玩具を取り上げられたような幼子のような彼女の様子に、ノゾムは一瞬呆けかけるも、すぐに表情を引き締め直す。


「死んだんじゃ、なかったのか?」


 確かに、仕留めたはずだった。ティアマットの源素は間違いなく、ヴィトーラの肉体を消し去り、魂すらも飲み込んだはずだった。


「ああ、確かに、妾は其方の力で死んだ。そのまま龍脈に取り込まれて消えるはずだったのだが、一念岩をも通すと言ったところか。最後に残された妾の異能により、戻ってこれたのだ……」


「異能、だって?」


「起源回生。妾個人の持つ異能。お前たちの言うところ……なんだったかな……」


「アビリティ……」


「そう、それだ。死の間際に自らの起源を覚醒させ、生き返る異能だ。もっとも、覚醒した以上、二度目はない。もう一度殺されれば、妾は死ぬしかないのだが……代わりにこのような力を得た」

 

 ヴィトーラの体から噴き出した源素が、周囲を紅く染めていく。地面や瓦礫だけでなく、空気すらも。


「っ!?」


 その光景を前にして、ノゾムは反射的にヴィトーラに殴りかかっていた。

 収束した紅い源素がノゾムの拳打を受け止める。連動するように、紅い空間が広がる速度が、僅かに鈍った。


「相変わらず良い感だ」


 ティアマットの源素がヴィトーラの源素を滅して、彼女の体を押しのける。

 ボロボロと紅い空間内で崩れ、ドロリとした血へと変わっていく瓦礫が、ノゾムの予感を確信へと変えた。


「お前、周囲を自分の源素で浸食して取り込んでいるな!」


「ああ、どうやらこれが、妾が精霊としての形らしい。さながら、鮮血の精霊と言ったところか……」

 

 あらゆるものが血へと還元され、崩壊しながらヴィトーラへと注がれる中、彼女の体から血色の源素が噴き出す。

 空間がより濃い血の色に染め上げられ、舞い散っていた雪もまた真っ赤に染まっていく。

 さらには周囲に展開されていた都市隔離結界すらもが、徐々に紅く染まり、崩れ始めた。


「この!」


 ノゾムはなりふり構わずティアマットの源素を吐き出し、ヴィトーラの浸食源素を弾き飛ばすと、後方へ跳躍。地面に落ちた無銘を拾おうと試みる。

 しかし、ヴィトーラは自分の身が焼かれることも構わず、吹き荒れるティアマットの源素の中に飛び込むと、再びノゾムの手を掴んだ。


「ぐっ!? やはりお前の力はすごいな。今の妾でも抗いきれんとは……」


 バチバチと互いの源素が火花を上げる中、ヴィトーラはノゾムの腕を引っ張りながら、反対の腕を薙ぎ払った。

 血の源素が彼女の腕から伸び、巨大な刃となってノゾムに迫る。

 

「ちっ!?」


 迫る刃にノゾムは反射的に体を捻り、踏み込みながら空いている手で自分の腕をつかむヴィトーラの内肘を跳ね上げた。

 さらに薙ぎ払われる刃の間合いの内側に体を滑り込ませながら彼女の上体を浮かせると、拘束を払いのけながら、再度『滅光衝』をヴィトーラの腹に叩き込む。


「なっ!?」


 だが、ノゾムの拳はヴィトーラの腹を貫くも、その五色の源素は彼女の体を焼くことはなく、芯の尽きた蝋燭のように消え去っていく。


「さすがにティアマットの源素は今の妾でも吸収できないからな。龍脈に返させてもらったぞ」


「龍脈にって……」


「何を不思議に思うことがある? 今の妾は精霊だ。当然だろう?」


「なら!」


 反対側の手にティアマットの源素を叩き込み、地面に向かって解放する。

 至近距離で発動した『滅光衝』が、ノゾムとヴィトーラ、双方を吹き飛ばした。


「ぐっ!」


「むぅ!? 無茶をする。ティアマットの源素を至近距離で炸裂させるとはな」


 地面をバウンドしながらも立ち上がったノゾムは、再び地面に落ちた無銘に手を伸ばす。


「させんよ」


 しかし、突如として地面が隆起し、出現した紅色の壁がノゾムを阻んだ。

 その間にも地面に落ちた『無銘』に真紅の源素が纏わりつき、ノゾムの刀を彼女の手元へと引き寄せる。


「お前に刀を持たせると何をするかわからないからな。悪いが、返す訳にはいかん」


「くっ!」


「さて、もう一度勝負だ。今度は私が勝つぞ!」


 無銘を自分の後ろへと下げたヴィトーラが、ノゾムに向かって力を振るう。

 出現したのは、天を覆い尽くすほどの血氷柱の群れ。

 まるでティアマットの精霊魔法を思わせる猛攻が、愛刀を失ったノゾムに向かって放たれた。








 鮮血の精霊として覚醒したヴィトーラを前に、アイリスディーナ達は言葉を失っていた。

 元々天災のような力の持ち主が精霊となり、さらに強力な存在となる。

 あまりにも現実離れした現実に、只々目を見開いて呆然とすることしかできない様子だった。


「これが、あの人の本当の姿、ですか?」


「はい、その通りでございます」


「元々化け物だったが、それ以上にヤバい奴だったのか……」


 そんな中、かろうじて正気に戻ったマルスとシーナだけが、鉛を飲んだような表情でルガトを問いかけていた。

 片眼鏡の老紳士は感慨深そうに覚醒したヴィトーラの見つめながら、二人の質問に滔々と答え始める。


「かつての主……ヴィトーラ様のお父上は、同族を守るために、限りなく純化させた吸血鬼を生み出しました。しかし、生み出された者は完璧ではあったが、完成していなかった」


 未完の大器。それをウアジャルト家先代当主は覚醒させようと試みた。

 しかし、その先代当主は逆に返り討ちに会い、亡くなった。

 残されたのは作り手の欠けた完璧な未完成品。


「必要だったのは死と、今わの際に浮かぶ強烈な欲。それが、我が主のアビリティを覚醒するために必要なものでした。しかしながら、それは絶対にかなわないと思っていました。今、この瞬間までは……」


 万感の想い、そして望外の喜びに目を輝かせながら、ルガトは主を覚醒させた龍殺しの青年を見つめる。


「感謝します、ノゾム様。貴方様のおかげで、我が主は本来の姿になることが出来ました」


「ぐっ……」


 その時、突如として首筋に走った痛みに、アイリスディーナは思わず膝をついた。


「姉様!?」


「ちょっと、どうしたのよ!?」


「これは……」


 首筋に刻まれた噛み跡の奥が、まるで焼きゴテを押し付けたように熱い。

 封じられながらも体内で激しく疼く力の残滓に、白髪の少女は顔を強張らせる。

 首に当てた手から、ネチャリと粘着質な音が流れる。気が付けば、吸血姫に噛まれた傷跡から、ドクドクと血が滲みだしていた。

 ソミアやリサが手当てを施すが、血は止めどなく流れ続ける。


「主の覚醒にともなって、アイリスディーナお嬢様の中に残っている力が共鳴しているのでしょう」


「……お前、初めからあの姫様を精霊にすることが狙いだったのか?」


 感極まっているルガトの声色を訝しんだマルスが、再び老吸血鬼を問い詰める。

 一方、ルガトは彼の言葉を否定するように、ゆっくりと首を振った。


「いえ、あくまで私は、ノゾム様に興味を持たれた主の為に動いたにすぎません。あの方がティアマットの力を完全に制御できるとは思っておりませんでしたし、まして一度とはいえ主を殺すほどの実力を見せるとは……」


 老紳士がノゾムに向けた言葉には、歓喜だけでなく、純粋な驚嘆の色も含まれている。

 どうやらルガトとしても、ヴィトーラがノゾムに一度倒され、鮮血の精霊として覚醒する事態は予想外だったらしい。


「間違いなく、ノゾム様は歴代の龍殺しの中で最上位の存在でしょう。同時に、主もきちんと新たな感情を得たご様子。どのような形であれ、主が成長し、そして幸福を感じておられるなら、従者としては大変に喜ばしいことでございます」


「俺達人間にとっちゃ、迷惑極まりない話だ」


 この状況で喜悦満面を浮かべるルガトに、マルスは眉を顰めた。

 現にアルカザムの行政区は、ヴィトーラの力の余波で既にボロボロだ。都市隔離結界が無かったらアルカザム全体が更地になっていただろう。

 さらには、その都市隔離結界すら、ヴィトーラの鮮血の源素に侵食され始めている。


「拙いな。本格的に俺達も後がなくなってきた。どうにかしねえと……っておい、どこ行く気だよ」


 そんな中、蒼い顔をして立ち上がったアイリスディーナが手当てをしていたソミアとリサを振り払い、結界の端へと向かって歩き始めた。

 固い決意を秘めた背中に不安を抱いたマルスが、彼女の肩を掴んで引き留める。


「はあ、はあ……マルス君、離してくれないか?」


「そうはいくか。お前、自棄になっているわけじゃないよな」


「どう、だろうな。だが、もう後がない。都市隔離結界も限界に近いし、ルガト殿の魔法もそう長くは、もたないだろう」


 マルスがチラリとルガトに視線を送ると、老紳士はアイリスディーナの言葉を肯定するように、小さく頷いた。


「そうですね。おそらくは、一、二分が限界かと……」


「結界が壊れれば、私達はあの吸血姫の源素に飲まれる。そうなったら、全員が死ぬことになる」


「はい。例外ではありません。無論、私も……」


 あっけらかんと、自分も死ぬと言い切ったルガトに、マルスが溜息をもらす。


「死ぬかもしれないのに、随分と冷静だな」


「私の力及ばず、皆さまを守れなかったことは申し訳なく思いますが、主が成長できたというのなら本望でございます。それに私は十分に生きました。少々、生き過ぎと思えるくらいには」


 好々爺といった表情で主のために死ねるときっぱりと言い切るルガトだが、その言葉にアイリスディーナは反発する。


「生憎と、私は死んでやらないし、誰も死なせたくない」


「ですが、どうするのですか? 今の貴方では、主の源素が満ちた空間に入ることすらできませんよ」


 アイリスディーナはおもむろに自分の腕を掲げた。

 ジッと意識を向けると、白く輝く鎖が浮かんでくる。

 それは、ヴィトーラの魔力から彼女を守るためにノゾムが施した、封魂の縛鎖だった。


「……これを解く」


 おもむろに封魂の縛鎖をひっつかむと、彼女はそれを解こうと力を籠めはじめた。


「姉様!?」


「バカ、何考えてやがる! それがお前の命綱だと分かってるだろうが!」


 アイリスディーナの突然の行動に、ソミアたちが当惑の声を上げる。


「今の、私に、足りないというのなら、あるところに手を伸ばすしか、無い……」


「無理ですよ。いくら吸血鬼になろうと、覚醒した主には及びません」


 吸血鬼化による、能力の劇的な向上。

 それを狙っての行動だったが、そんな彼女の行動を、ルガトが否定する。

 噛まれた時の様子を見る限り、アイリスディーナではヴィトーラの魔力に抗いきれない。吸血鬼に覚醒できる可能性は、万に一つもないだろう。

 それに今のヴィトーラは、もう吸血鬼などという枠組みには収まらない存在になってしまっている。

 覚醒したての吸血鬼に、何ができるというのか。

 それでも、アイリスディーナは抗うことを止めない。


「届くか届かないかじゃない。やるかやらないかだ。それに……どのような結果になろうとも、私は彼の隣にいたいんだ……」


 彼女は気がつけば、どうしようもないほどの渇望の視線を、ヴィトーラと戦うノゾムに向けていた。

 熱に浮かされていると言えば、そうなのだろう。

 断ち切るつもりで突き放し、遠ざけた結果自覚した想い。

 そして、それでも来てくれた彼の選択を前に、アイリスディーナの心はもう止まらなくなっていた。

 

「……そうね、私もそうだわ」


 シーナが、そんなアイリスディーナに同意するように、一歩前に出る。

 彼女もまたノゾムに助けられ、惹かれていった女の子。そして、彼の為に自分の夢を諦めようともした。

 そして何より、彼女は誰よりもノゾムの“封魂の縛鎖”を長く、その身にかけられている。

 だからこそ、彼女は誰より、その力を理解することが出来た。それこそ、自覚したばかりの担い手であるノゾム自身よりも。


「シーナ君……」


「彼は、貴方を守るためにその鎖を貴方にかけた。なら、必ず貴方の声に応えてくれるはずよ」


 そう言うと、シーナは目を瞑った。やがて彼女の体にも、アイリスディーナと同じような白い鎖が浮かび上がってくる。

 蒼髪の少女は浮かんできた白い鎖を愛おしそうに撫でる。

 すると、彼女の体を縛り付けていた鎖は、まるで糸がほどけるようにスッと外れていった。


「これは、ノゾム君の異能。彼が夢を繋ぎたいと願い、そして新生した力。だから、もう私達を無理矢理縛り付けたりはしない」


 ある意味、これはもう『封魂の縛鎖』ではない。

 壊れそうな夢を繋ぎ留めるもの。そう、『夢結の繋鎖』とでも呼ぶべきもの。

 鎖がほどけたシーナは 周囲の精霊と契約を結ぼうと、魔力を放つ。

 ヴィトーラの源素に怯えていた精霊達は、まるでシーナに縋り付くように我先へと彼女の元へと集っていく。


「怯えないで、大丈夫だから」


 シーナと精霊達の間に契約が結ばれる。

 精霊達が放つ淡い光に包まれながら、彼女はアイリスディーナに己の手を差し出す。


「手を出して」


 シーナの言葉に導かれるようにアイリスディーナが手を差し出す。その手を、エルフの少女は両手で優しく包み込み、こつんと額を合わせた。

 二人は一度暴走したノゾムを助けるために、パスをつないだことがある。

 そして、その魔力路はまだ残っていた。

 復活した魔力でそのパスを広げながら、シーナは精霊の力を借りて、より深く、アイリスディーナと繋がっていく。

 

「想って、彼を。そして貴方の願いを。彼の力は、必ずあなたの願いに応えてくれる」


「ああ……」


 胸に満ちる精霊達の力と、シーナの想い。

 湧き上がる温もりに励まされながら、アイリスディーナは意識を自身の内側へと向けていく。

 つながった精霊達の影響か、彼らが見ている光景も、彼女へと送られていた。

 壊れていく街並みと、逃げ惑う人々の様子が見える。

 願うのは、未来を切り開く力。

彼と同じように、大切な人達を守り、その夢を繋ぎたい。

 再び暗闇に包まれる世界。目の前には、真紅の結晶と、それを捉えるように四方八方から巻き付いた鎖があった。

 これが、ヴィトーラがアイリスディーナを吸血鬼に変えるために送り込んだ力であり、そしてノゾムが彼女を守るために施した鎖。

 アイリスディーナが結晶にそっと触れると、鎖がほどけ、彼女の体に巻き付いた。

 沈黙していた結晶が明滅を始め、暗かった周囲が徐々に赤く染まっていく。

 それは間違いなく、ヴィトーラの力が再びアイリスディーナの体を浸食し始めた兆し。

 しかし、今のアイリスディーナは、浸食の痛みも苦痛も感じなかった。

 ただ、ある種の確信と安堵が胸に満ちる。

 一度瞑目し、自分を守ってくれている彼の鎖に視線を落とす。


(どうしたい?)


 白い鎖、『夢結の繋鎖』が、そう語りかけてきているような気がした。


「彼の隣に立ちたい。そして、大切な人達を守る。その為に……」


 分かった。

 そう言うように、鎖は解け、無数の白い輪となると、紅く染まった暗闇へと散り始めた。

 徐々に白くなっていく視界。その中で、真紅の結晶も溶けるように周囲の景色と同化していく。

 そして再び、視界が暗転する。

 

「これは……」


 見えたのは黎明の太陽。そして、朝日を浴びながらも輝く月。

 夜から昼へと切り替わる、ほんの一瞬の光景だった。

 だが、不思議と何も感じない。

 風も、太陽の熱も。まるで、時が止まっているかのように、静かだった。

 

「そうか、そうなると言いたいのか……。構わない。もう迷わないと決めたんだ」


 これから起こることに確信を抱きながらも、アイリスディーナは覚悟をもって答える。

 この道を進むと。

 次の瞬間、黎明の月が輝き、まばゆい月光が彼女の体を包み込んでいった。










 鮮血の精霊と化したヴィトーラの猛攻に、刀を失ったノゾムは見る見るうちに追い詰められていった。


「ぐっ!?」


「ふふふふふ!」


 腕から血の刃を生やしたヴィトーラが、腰を捻り、袈裟がけに斬撃を放つ。

 長く、長く。それこそ、ヴィトーラの身長の何倍も伸びた刃が、大気を斬り裂きながら迫る。 

 一方、ノゾムは刃を躱しながら間合いを詰めようと試みるが、ヴィトーラが無作為に叩き付けてくる氷柱の群れに阻まれる。

 さらに、一瞬足が止まった隙に、ヴィトーラが『絶氷鬼の薄布』を思わせる赤色の源素奔流を叩き付けても来る。


「こいつ!」


 滅光衝で迫る氷柱の群れと紅の薄布を払い飛ばすも、ヴィトーラの猛攻を押し返すには至らない。完全なじり貧だった。

 

「ノゾム、伏せて」


「なっ!?」


 追い詰められ始めた彼に、突然向けられた声。

 反射的に伏せたノゾムの頭上を、銀色の風が通過した。

 銀の細剣を携えた少女が、絶殺の威力を秘めた血刃の前に身をさらす。

 ノゾムの瞳がその少女の姿を捉えた。長い銀の髪。そして、凛々しく、見る者を魅了する端正な顔。

 なにより、血のように真紅に染まりながらも、強い意志を秘めた瞳が、ノゾムにその少女が誰であるかを一目で確信させた。

 

「アイリス?……ッ、ダメだ!」


 ヴィトーラの血刃が、アイリスディーナに迫る。規格外の力を持つヴィトーラの刃だ。人間など、紙よりも容易く断ち切ってしまう。

 そんな刃を前に、アイリスディーナは腰の細剣を抜き放つ。

 髪色と同じ銀に輝くミスリルの刃が、迫る血刃に向かって薙ぎ払われる。

 力に満ちたヴィトーラの刃と比べれば爪楊枝のように頼りない刃。

 しかし、銀の刃が猛る血刃を接触した瞬間、まるで霞のようにヴィトーラの刃が霧散した。

 

「「なっ!?」」


 驚くノゾムとヴィトーラを他所に、アイリスディーナが踏み込む。

 同時に噴き出す膨大な魔力。黒と銀に輝くそれは、以前のアイリスディーナとは比較ならない量だった。

 さらに、彼女はアビリティ『即時展開』によって強化魔法を発動すると、ヴィトーラに向かって踏み込み、鋭い突きを放つ。


「くっ!?」


 反射的に体を逸らしたヴィトーラの肩に、アイリスディーナの細剣が掠った。

 痛みに顔をしかめた吸血姫が、後ろに飛んで距離を取る。

 それは鮮血の精霊と化した彼女の力を考えれば、異様な光景だった。


「なんだ? これは……」


 ヴィトーラは傷を負った肩を押さえたまま、呆然とした表情で呟く。

 よく見れば、アイリスディーナの細剣がつけた傷から、血が流れ続けている。そう、ノゾムの刃でも即座に回復していたはずの傷から……。


「妾の体が……再生しない?」


 ヴィトーラの表情に、初めて恐怖が浮かんだ。


「其方、何をした? いや、何になったのだ!?」

 

「さあ……。私にも分からない。ただ、彼が私の願いをかなえてくれたのさ」


 魔力に満ちた銀髪をなびかせながら、アイリスディーナはノゾムに流し目を送ると、フフ、と微笑んだ。


「……なんだと?」


 一方のヴィトーラは、どういうことかと問い詰めるような視線をノゾムに送るが、彼自身も目を見開き、当惑していた。

実際、今のアイリスディーナに何が起こっているのか、彼本人もよく分かっていなかったりする。

 

「この……」


「ふっ!」


 ヴィトーラが腕を長い払い、真紅の源素を巨大な塊として放つ。

 その巨大な塊を、放たれた無数の魔力弾が、一方的に貫いていく。

 千切れ、四散してく真紅の源素。あらゆる存在を浸食するはずのヴィトーラの力が、数は多いとはいえ只の魔力弾に霧散させられていた。


「むう、火力差が……。まだ足りないか……」


「この、妾とよく似た魔力。其方、妾の魔力を取り込んで吸血鬼になったのか!?」


「吸血鬼? 心外だな。私はまだきちんと人間だぞ。多分な……」


 にいっとアイリスディーナが唇を指で引き上げる。

 あらわになった白い歯は、間違いなく人間のもの。吸血鬼の特徴である鋭い八重歯はない。


「……では、其方は一体何になったと」


「よく分からない。ただ、今の私の力は、貴方にこの上なく効くみたいだな」


 確信をもって告げられる言葉。

 源素と魔力。何よりも精霊化したヴィトーラとアイリスディーナでは、そもそもの力の総量が、圧倒的に違うはず。

 にもわらず、アイリスディーナの魔力はヴィトーラの源素を一方的に駆逐していく。

 まるで、朝日が夜の闇を切り払うかのように。


「これでやっと、君と共に戦える。さあ、行こうノゾム。この手で、私達の未来を掴むために」


 高揚と自信に満ちた宣言。

 黎明の銀月を思わせる佇まいで、アイリスディーナは黒銀の輝きを抱いた細剣を振るう。

 夜を払う(ダンピール)

 結ばれた絆によって覚醒した彼女が、未来を掴み取るために龍を屠った者と共に立つ。

 長い夜明けはすぐそこだった。


やっとここまで書けました。

ヴィトーラが強化されるも、それに触発されるようにアイリスディーナもまた覚醒。

次回で多分、この長い戦いも終わりになると思います。


起源回生

ヴィトーラのアビリティ。

死の間際の渇望を火種として己の起源を覚醒させ、蘇生する。

一生に一度しか発動しない異能であり、これにより彼女は先祖返りし、鮮血の精霊となった。


鮮血の精霊

吸血鬼であるヴィトーラが精霊化した存在。

代表的な六大属性にから生まれる精霊とは違う異端精霊であり、吸血鬼としての特性が色濃く出ている。

周囲の源素を己の「色」に染めながら、龍脈にすら接続することができ、精霊の中でも上位の力を有している。



夜を払う者

別名ダンピール。

アイリスディーナ・フランシルトが、ヴィトーラの魔力と覚醒したノゾムの異能の力を借りて変質することで誕生した新種族。

詳細は不明だが、吸血鬼の究極系であるヴィトーラの力を一方的に駆逐するなど、既に圧倒的な優位性の片鱗を見せている。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ダンピールでありクルースニクでもある感じか
[良い点] 泣いた。やばい。アイリスぅううう(´;Д;`) やはりアイリスしか勝たん。
[気になる点] >>それに私は十分に生きました。少々、生き過ぎと思えるくらいには ルガトさん、死んじゃダメ。 このまま死なれると、ヴィトーラ側の証言が取れなくてもっと酷い国際問題に発展するので…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ