第8章第45節
対ヴィトーラ戦の続きです。
戦いの余波が、容赦なくマルス達を守る都市隔離結界に襲いかかる。
四散した魔力が結界を構築する源素を削り、薄くなった結界の隙間から、防ぎきれなかった魔力と一緒に瓦礫が飛び込んでくる。
「おらあ!」
ギシギシと悲鳴を上げる都市隔離結界に冷や汗を流しながらも、マルスは結界を抜けてきた魔力と瓦礫を吹き飛ばす。
その額には玉のような汗が浮かんでいる。
既に結界にはいくつもの穴が開いており、その数は徐々に増している。優れた再構築能力を持つ都市隔離結界ですら、一枚では二人の戦いの余波を受け止めるには不十分なのだ。
だが、これでもまだマシである。
徐々に崩されているとはいえ、マルス達を守る結界がまだ形として残っているのは、ヴィトーラの間にノゾムがいるからだ。
そうでなかったら、アイリスディーナ達を守る結界は『絶氷鬼の薄衣』の連発で既に破壊されていただろう。
とはいえ、限界が近い。破壊速度が、徐々に結界の再生能力を上回りつつあるのだ。
「あの吸血鬼、マジでどうなってる! 明らかにおかしいぞ!」
「上限が見えない。これが、本当の怪物、か……」
ヴィトーラと戦うノゾムを見つめながら、アイリスディーナは悔しそうに拳を握りしめる。
今の彼女に、戦う術はない。
ノゾムの封魂の縛鎖によって、体を浸食していたヴィトーラの魔力ごと、自分の力を封じられたからだ。
もっとも、戦えたとしても何もできなかっただろう。
「悔しい。こんな時に何もできないなんて。結局、彼に頼りきりになるなんて……」
おもわず吐露した弱音。漏らした言葉が、じわりじわりと、彼女の心を縛り付けていく。
その時、一際大きな轟音と共に、彼らを守る都市隔離結界が揺らいだ。
元々綻んでいた結界のあちこちが弾け飛び、結界の強度が一気に落ちる。
「きゃあああ!」
「くそ、もう限界だぞ!」
悲鳴と焦燥の声が上がる。
その時、大きく開いた結界の隙間から、無数の蝙蝠が飛び込んできた。
「皆さん、失礼いたします」
飛び込んできたのは、先ほどまでマルスと戦っていたルガト。
枯葉一瞬で蝙蝠から人型へと変化すると、素早く指で陣を描き、都市隔離結界の隙間を埋めるように結界魔法を構築する。
「アンタ、どういうつもりだ? いや、助かったのは確かだが……」
綻んだ都市隔離結界の穴を塞いだルガトが、くるりとアイリスディーナ達に向き直る。
「我が主に余計な憂いを抱かせないことが、私の使命ですので」
ノゾムとの戦いを心底楽しんでいるヴィトーラ。その様子を見れば、ルガトがなぜマルス達を助けたのかは察せられる。
「憂いね……。俺達は足手まといか」
「誠に申しあげにくい事ではありますが……」
「濁さなくてもいい。悔しいが、今の俺でもあの戦いには割って入れねえ……」
マルス達に何かあれば、戦いの相手であるノゾムに余計な気持ちが混じってしまう。戦いを楽しんでいるヴィトーラにとっても、それは好ましくはない。
暗にそう漏らすルガトの言を、マルスは溜息と共に素直に認めた。
「ルガトさん、でしたよね。一つ聞きたい事があります」
「なんでしょうか? エルフのお嬢様」
そんな中、シーナがルガトに問いかける。
「彼女は……貴方の主は、いったい何者ですか?」
「何者か、ですか。それは、どういう意味で?」
「いくら個体能力に優れた吸血鬼だからと言って、彼女の力は異常です。幼龍だったとはいえ、精霊の王である龍を完全に上回っています」
魔力と源素の違いはあれ、ヴィトーラの力は以前戦った幼龍アゼルを完全に上回っている。おおよそ人型の生物に収まる量ではない。
故に、ヴィトーラもノゾムと同じように、何か秘密がある。そう考えるのが当然だった。
「それは、ノゾム様に資格があるのなら、すぐに分かりますよ」
「資格?」
「ほら、ご覧下さい……」
ルガトが指差す先で、二人の戦いの均衡が、ついに崩れ始めていた。
叩きつけられ続ける腕撃。
肉体変化を繰り返したヴィトーラの両腕は、もはや人型のものではなくなっていた。
赤黒い巨大な肉塊に生えた、剣を思わせる無数の翼。蝙蝠の腕を連想させる副腕は、ヴィトーラの意志のままに自在に動き、ノゾムに向かって殺到していく。
「ふぅ!」
その迫る無数の腕をノゾムは『塵断』で斬り飛ばし続ける。
舞い上がる鮮血が視界を塞ぐも、嵐の隙間から流れてくる僅かな気配を感じ取り、最適の角度と速度、威力で刃を繰り出す。
しかし、戦いは徐々に、ヴィトーラが押し込むようになっていった。
ノゾムの刃がいくら迫る脅威を斬り裂き続けても、津波のように押し寄せ続ける魔力と驚異的な再生能力復元した腕が、反撃の機会を阻み続ける。
(ティアマットの力が使えるようになっても、まだ足りないのか!)
じりじりと押されていく感覚に、ノゾムは臍を噛む。
両者の差を決めたのは、単純な出力差、そして種族差だった。
細く、小さく、力を収束させて最適な行動を繰り返すノゾムと、後先考えずに常に全力全開で力を垂れ流すヴィトーラ。
普通なら、全力で走り続ける後者が先にくたびれる。
だが、大陸でも上位の能力を持つ吸血鬼のなかでも規格外の存在であり、血に酔ってタガが外れたヴィトーラは、傷を負えば負うほど、さらに魔力を引き上げ続ける。それこそ、自らの自壊すら厭わないほど。
(最初から仕留めに行ってもこれなのかよ!)
なにより、致命傷になるはずの攻撃が、致命傷にならない。この事実が、否応なくノゾムに長期戦を強いて、ヴィトーラに際限なく魔力を引き出させてしまっている。
(ふう……)
技を繰り出しながらも呼吸を整え、熱くなりそうな頭を落ち着かせる。
どうすれば、目の前の攻勢を跳ね返せるのか。どうすれば、あの再生能力を上回れるのか。
鍵はやはり、ティアマットが持つ滅龍の力。問題は、それをどうやって、ヴィトーラの再生能力を上回る形で叩き込むかだ。
垂れ流され続けた魔力は、未だに都市隔離結界内に満ちており、ヴィトーラの思考に反応して異形化した腕に纏わりつき、強化し始めている。これをどうにかしない限り、彼女に近づくことすら不可能だ。
それに、幻無や塵断では無理。芯穿ちでも威力不足。肉体の一部を消滅させたところで、すぐに再生するだろう。
ではどうすればいいか。手段は、一つだけだった。
(やるしかない。……いくぞ!)
決断を下すと、ノゾムは一気に行動を開始した。
無銘を逆手に持ち直し、薙ぐように迫る腕撃に対して、刀ではなく拳を振り上げる。
「むっ?」
「ぐう!」
拳にかかる負荷に耐えながら、薙ぎ払われた異形の腕を何とか打ち上げる。
続いて剣のように鋭い翼を持つ副腕が殺到してくるが、腰の剣帯から鞘を外して、まとめて薙ぎ払う。
「おおおおお!」
踏み込みながら、突き出されたヴィトーラの左腕を蹴り払い、そのままの勢いのまま体を回転させ、再度迫る副腕の群れを右手の無銘で斬り裂く。
先程までの堅実な動きとは違う、どこか踊りにも似た動作に、ヴィトーラが鼻白む。
「何だそれは。ダンスの誘いか!?」
ヴィトーラの思考に応えるように魔力が渦巻き、『絶氷鬼の薄衣』が放たれる。
塵断で迫る魔力嵐に隙間を作り、半身になって滑り込む。
(くそ、思ったように型が嵌らない。途中で刀を振るっているからか!)
本来の型とは違う動きを取り入れているためか、肝心の効果が出ない。
ヴィトーラが無作為に繰り出す攻撃も、型の成立を阻んでいた。
(相手の動き合わせるんじゃない。相手をこちらの型に誘導しろ。彼女の攻撃は、威力はあれど稚拙だ……)
繰り出され続ける腕撃と副腕の嵐の中で、ノゾムは徐々に型を修正していく。
自らが変化させようとしている型、相手の好む動作、思考傾向、全てを加味しながら。
(こうか? いや、こう?)
「む?」
ガチン、ガチ、ガチ、ガチン……。
ノゾムとヴィトーラの動きが、歯車がかみ合い始めるように徐々に同調していく。
そして少しずつ型を修正していく中で、ノゾムの目もまたヴィトーラの動きに慣れてくる。
確かに、攻撃速度、威力共にけた外れだが、両腕を肥大化させたために、主腕の動きはごくごく限定的だ。薙ぎ払うか、叩き付けるか、突き出すか。その三種類しかない。
副腕の動きも同様だ。腕を複数生やしても、繊細な戦術を取っているとは言い難い。
だからこそ、今考えている手段が通用する可能性があった。
カチカチ、カチ……カチン!
(……よし)
そして、全てが『ハマる』感覚を覚えた瞬間、ノゾムは一気に動き出す。
まるで急流を昇る魚のように、前進を開始。
頭上から降り注ぐ副腕の群れを流れるような動作で薙ぎ払い、振り回された腕撃を踵落としで地面に叩きつける。
叩き付けられる魔力流を回し蹴りで弾き飛ばし、突き出される腕を腰の入ったフックで逸らす。
「これは……どういうことだ?」
繰り出す攻撃全てが、当たる気配すらなく、弾き返され、躱される。
まるで、自ら目標を避けていくような違和感に、彼女は当惑の声を漏らす。
その感覚は正しい。ヴィトーラは今、徐々にノゾムの術中に嵌り始めていた。
「くっ、なんだ、この気持ち悪い感覚は!」
圧倒的な能力差で押し込みながらも、見透かされているような感覚に、ヴィトーラの心が揺れる。
その焦りがさらにノゾムが張った罠に、ズブズブと彼女をはめていく。
武芸の達人は、相対しただけで、相手の数手先までを看破する。そして何手先までを読めるかは、相対的な技量差、経験、戦術眼で決まる。
そして圧倒的な差があれば、達人は相手を思うがまま誘導することも可能となる。
視線の向き、体の動かし方、相手の傾向。全てを己の技量と経験から一瞬で見抜き、何十手先までも決められた『型』にはめ込むことができる。
そして、その『型』に相手をはめ込むことが、ノゾムの狙い。
「ぐっ!」
そして、自らが罠にはまったと気付いた時には、既に遅かった。
周囲の魔力が、ノゾムに向かって流れ込み始める。ヴィトーラが放出した魔力すら、彼女の意志に反してノゾムに吸収されていく。
「ふっ!」
ついには、ヴィトーラの剛力を正面から弾き返し始める。
一体どうしてと疑問が脳裏に走る間にも、ノゾムはヴィトーラの攻撃を叩き潰し、距離を詰めていく。
「はは、いったいどういう手品を使った! ノゾム・バウンティス!」
「別に特別な事はしていない。俺の型に嵌るようにアンタの型を誘導して、アンタの魔力を俺に“捧げさせた”だけだ」
儀式体術・輪廻回天。
元々は体術のみで型を繰り出し続けることで、周囲の魔力を吸収、身体強化をかけ続けるもの。
だが、体術だけではヴィトーラの攻撃を凌ぐことは不可能。だから、刀を振るう形に変更した上で、型が崩れないようにヴィトーラの攻撃を誘導し続けた。
ノゾムは輪廻回天の型を、完璧にその身に沁み込ませ、理解している。どの動きが何の意味を持ち、どのような術式に対応しているのかも。
だからこそ、輪廻回天の術式効果を変えずに、型を変えるが出来た。予想以上に稚拙なヴィトーラの戦い方も、この即興展開を可能とした要因の一つ。
結果、儀式体術は成立。
周囲に漂う高密度の魔力がノゾムへと注ぎ込まれ、その身体能力を一気に引き上げる。
さらに、儀式体術が周囲の魔力に干渉し始めたことで、ヴィトーラの魔法の威力、精度共に、著しく下がっていく。
元々、彼女の魔法は術式の補助を一切受けていなかった。膨大な魔力が、持ち主である彼女の意志に反応した結果、魔法が発動していたに過ぎない。
さらには、『ノゾムの型』に組み込まれたことで、彼女自身も輪廻回天の術式に組み込まれた。
結果、彼女は自身から、己の魔力をノゾムに差し出す形となってしまう。
そして、吸収した魔力とティアマットの力を掛け合わせ、ノゾムは今、一気に攻勢に出た。
「ふっ!」
魔力を伴って繰り出された足撃が、ヴィトーラの丸太のような主腕と無数の副腕をまとめて薙ぎ払うと、集めた魔力とティアマットの力が『無銘』に叩き込まれる。
以前、ジハードとの戦いで、ノゾムは輪廻回天で集めた魔力を制御しきれなかった。
しかし、封魂の縛鎖はノゾムが苦手としている魔力制御を完璧にこなし、彼の望む形で刃を作り上げる。
「は、はは……。なんという……」
ヴィトーラの口から、感嘆の声が漏れる。
都市隔離結界内すべての魔力を集約した刃は、ティアマットの五色の源素を包み込むように、薄青色の光を纏っていた。
「食らえ!」
そして、渾身の突きを放たれる。
ヴィトーラは反射的に肥大化させた両腕を割り込ませるが、刃は主腕と副腕全てを一瞬で貫いて炸裂。
膨大な魔力と源素をまき散らし、肥大化した腕を一瞬で粉みじんに粉砕しながら、彼女の胸から下を抉り、消し飛ばした。
「がはっ!?」
肉体の七割近くを一度に失った痛みに、ヴィトーラの意識が飛びかける。
そして、ノゾムは一気に至近距離まで間合いを詰めると“本命”を叩き込んだ。
「ふっ!」
繰り出された拳が、再生途中だったヴィトーラの胸を貫く。
さらに彼は上半身のみだったヴィトーラを宙に浮かせたまま、全力で拳にティアマットの源素を叩き込む。
輪廻回天も、芯穿ちも、全ては布石。
外側からでは滅しきれないヴィトーラを完全に仕留めるための準備でしかない。
「終わりだ、魂ごと消滅しろ!」
そして、宙に浮かせた彼女の体を地面に叩き付けると、心臓めがけて滅龍の力を解放する。
『滅光衝』
解放された破滅の源素はヴィトーラの体を一瞬で焼き尽くし、魂すらも消滅させながら、巨大な光の柱を生み出した。
ちょっとした登場人物紹介
ヴィトーラ・ルタラーク・ダット・ウアジャルト
吸血鬼の姫。単純な出力で覚醒状態のノゾムを上回る怪物。
そのあまりに突出した素質と能力ゆえに戦闘技術は拙いが、そんなことなど問題にならないくらいのチート姫で、精霊の王である龍とも正面から戦える能力を持つ。
弱点があるとしたら、今までの挑戦者を全部その突出した能力でごり押ししてきたため、戦闘技術の幅が狭いこと。
アホみたいな魔力出力と、ヒトデかプラナリアのような再生能力をどうにかできればワンチャンある。
あとは吸血鬼らしく、欲に素直なその性格くらい。