第8章第43節
アルカザム中心部にあるソルミナティ学園。
その中で最も大きな施設。武技園の地下に、何十人もの人達が集まっていた。
「三番、四番制御陣準備完了、現在五番、六番制御陣の接続中!」
「源素感応陣及び各接続術式のチェック終了、問題ありません」
「おい! 変換陣の第八番術式と増幅陣の十五番術式の展開部に齟齬があるぞ! すぐに直せ!」
白衣を纏った研究員達が、切羽詰まった様子で動き回る。
すり鉢のように掘り起こされた地下室の床には、幾重もの魔法陣が施され、さらに蓋をするように何枚もの巨大なガラス板が重ねられていた。
被せられているガラス板にも陣が施され、各ガラス板や底面の陣では、数多くの研究者たちが慌ただしく作業をしている。
超大型多重積層儀式魔法陣。
この地下室に施された、アルカザムのもう一つの姿を象徴する魔法陣。その傍で、ティマ・ライムは佇みながら、目の前で繰り広げられる研究員たちの奮闘を眺めていた。
彼女が立っている場所は、すり鉢の縁に設けられた祭壇。
四色の魔法陣が描かれた祭壇は目の前の超大型多重積層儀式魔法陣と接続されおり、この規格外規模の魔法陣の起動と制御を行うためのものだ。
彼女は地下室に張りつめる緊張感に身を震わせながら、大きく息を吐く。
「ふう……」
「大丈夫か?」
様子を眺めていたジハードが、後ろから彼女に話しかけてきた。
彼の傍には、常日頃から彼を補佐しているインダの姿もある。
「はい。大丈夫です」
背中からの問いかけに答えるティマは静かに、歯切れのよい言葉をジハードに返す。
落ち着きのある彼女の返答に少し驚いた。
ティマはアルカザムに来て長く、ジハードもまだ彼女が幼子だった頃を知っている。
その気弱な気質も。
秘めた力とは裏腹に、少女の心は弱かった。まるで、濡れた紙のように、少し力を入れただけで千切れそうなほど。
だか、先ほどの短い返答の中には、どこか一本の筋の通った気配がにじみ出ていた。
戦士として幾多の戦いを経験したジハードの直感が、確信を抱かせる。大丈夫だと。
「君に頼むのは、この魔法陣の制御だ。こちらでも補佐をするが、これだけ大規模な魔法陣だ。相当な負荷になるだろう……」
「ごめんなさい。私達だけでは、この陣の起動すら出来なくて……」
「分かっています。住人の避難はどうなったんですか?」
「すでに効果範囲からの退去は完了している。遠慮する必要はない」
「よかった。それじゃあ、全力が出せますね」
全力を出せる。そんな言葉を、この少女は口にしたことはなかった。
常に自分の力と、他人に対する怯えを抱えていた。
「……変わったな、君は」
「そう、ですね。そうだと思います。昔はこの力が大嫌いでしたから……。でも、今はよかったと思います。友達を助ける、その手助けができますから」
背を向けたまま、ジッと目の前の超大型魔法陣を見つめ続ける少女に、ジハードは思わず口元を緩める。
その時、一人の伝令が地下室の中へと飛び込んできた。
「超大規模の源素噴出を確認しました! 場所は行政区、フランシルト邸です!」
始まった。
その場にいた全員に緊張感が走る。
「準備は!?」
「たった今、完了しました!」
「ティマ君、いいか?」
「はい!」
「よし! 都市隔離結界を起動する。総員配置に着け!」
ジハードのその一言に、その場にいた研究員が一気に動き出す。
先ほどまで作業をしていた場所から退避し、すり鉢の縁へと移動する。
ジハードに付き従っていたインダもまた、彼らの中へと混じると、各々が手を広げ、魔法陣へと向き合う。
よく見るとすり鉢の縁には何本もの太い線が描かれ、それらの全ては地下室の外壁へと一直線に続いていた。
そして、縁に並んだ研究員たちは一斉に魔力を高め、目の前の魔法陣へと魔力を注ぎ始める。
「起動プロセス実行。一番から四番までの副制御陣の起動を確認」
「続いて五番から十二番までの副制御陣の起動を開始」
魔法陣の縁に配置されなかった一部の研究員たちが、次々に起動経過を報告する。
「対象地区への導路解放、接続開始」
「接続を確認、都市隔離結界、展開準備完了」
「始めます」
次の瞬間、ティマの体から膨大な魔力が噴き出した。
赤、青、黄、碧の四色の魔力が地下室内に吹き荒れ、中央の超大型多重積層儀式魔法陣へと注がれていく。
ティマの立つ祭壇が四色の色に輝き始め、それに呼応するように、各魔法陣を描いている塗料が光を放ち始める。
「中枢制御陣起動、制御媒体とのリンク完了!」
「制御媒体の起動を確認。抽出核の龍脈への接続を確認しました」
続けざまに繰り出される難解な言葉を無視しながら、ティマはただ意識を集中させる。
目の前の魔法陣は、アルカザムの技術の粋を結集して造られた魔法陣。
そして、この魔法陣こそが、アルカザムの存在意義の一つでもあった。
今でこそ学園都市として名が広まっているアルカザムだが、実はもう一つの名前が存在する。
その名を、『試験型儀式魔法都市アルカザム』
再び起こる可能性がある、大侵攻への備え。都市の構造全体を魔法陣とすることで、外敵に対して驚異的な防衛能力を発揮することを目的とした都市計画。その先駆けだ。
広大な大陸に存在する源素の流れである龍脈を利用することを目的とした、技術確立のための都市である。
そもそも、こんな魔獣の跋扈する森に都市を建設したのも、この計画の一環だ。
だが、この儀式魔法都市としての機能は、今までその機能を全て発揮したことは無い。
それは、この都市の心臓部を起動することが出来なかったから。
正確には、起動できる素養の持ち主はいた。
ティマ・ライム。長い歴史を見ても、極めて稀有な素養と膨大な魔力の保持者。
超巨大儀式魔法陣を起動するための源素を、龍脈から引き出すための呼び水として唯一無二の存在。
今までの彼女は、その魔力量に比べて、制御に難があった。故に、この魔法陣の起動はずっと延期になっていた。
「源素感応陣呼応開始。制御陣、増幅陣、安定しています。出力、定格値に到達」
だが、今の彼女は自分の魔力を十全に制御している。
魔力とは、精神を具現化させる力。ゆえに、四色の魔力は、成長した彼女に呼応するように、綺麗な渦を描きながら、中央の儀式魔法陣へと流れ込み、膨大な無色の源素を引き出している。
「都市隔離結界を起動します!」
拍動するように明滅を繰り返していた魔法陣が強く輝き始める。
空前絶後の規模の、儀式魔法の発動。その光景に誰もが息をのむ中、祭壇にたたずむ少女だけが、まっすぐに前を見つめていた。
豪奢なフランシルト邸の壁を破壊して、庭に躍り出た二つの影が激突する。
轟音と共に地面が爆砕され、吹雪が大理石の柱と白く美しい外壁を砕いていく。
砕かれた土砂は衝撃波で吹き飛ばされて殺意の嵐と化し、きらめく銀閃が迫る嵐を空間ごと破断する。
斬り砕かれた間隙に滑り込む影。致死の刃を手に迫るノゾムの姿に、ヴィトーラは歓喜の笑みを浮かべる。
「は、はは、ははははは!」
凶笑を浮かべたヴィトーラが斬り飛ばされた右腕を瞬時に再生しながら、稲妻のような速度でノゾムに殴りかかる。
「良い、良いぞ! 痛みを覚えたのは150年ぶりだ!」
きらびやかな真紅のドレスを翻しながら、振るわれる豪撃。
魔力を込めただけの単純な打撃だが、そこに込められた魔力は一流の魔法使い百人分を軽く凌ぐ。
余波だけで舞い散る石材を砂粒にまで粉砕してしまうほどの一撃。どんな生物も例外なく、容易くミンチにしてしまうほどの嵐が、たった一人の人間に襲い掛かる。
「シッ……」
その嵐を、極彩の刀が容易く斬り崩す。轟音を響かせる嵐とは正反対の静謐な一刀。
滅龍王の力を込められた刃が、人が抗えるものではない自然災害を一太刀で斬り裂く。
その隙間に、ノゾムが音もなく滑り込む。
ヴィトーラの目にも、ようやく追えるほどの速度。音すらも置き去りにしたような加速と共に、反撃の刃が振り上げられる。
「ふはっ!」
脇腹に迫る斬り上げの刃に、ヴィトーラは濡れた声を漏らしながら、拳を振り下ろして迎撃する。
激突する斬り上げと打ち下ろし。
吸血姫の拳が余波だけで地面を陥没させ、ノゾムの刃が至近距離の爆風を斬り飛ばし、ヴィトーラの白い左拳を縦に裂く。
「はは、痛いじゃないか!」
拳から上腕までを骨ごと真っ二つにされたにもかかわらず、ヴィトーラは怯む様子を全く見せない。むしろ、より喜悦を含んだ凄惨な笑顔を見せながら、いっそう魔力を猛らせる。
「はっはああぁぁああ!」
血をまき散らしながらも、繰り出される剛腕。ヴィトーラは裂かれた左腕を再生させながら、まるで鞭のように振るう。
「っ!」
傷を完全に無視した反撃。大気はおろか、空間すら引き千切るのではと思えるほどの左腕の一撃を、ノゾムは反射的に受け止める。
次の瞬間、激烈な圧力が彼の全身に圧し掛かってきた。
今まで相対した存在達の中でも段違いの膂力。ノゾムは反射的に体を捻りながら後方に跳躍。全身でヴィトーラの打撃の勢いを殺す。
(再生速度も異常だが、なにより精神が異常だ。痛みで動きが鈍る様子がまるでない……)
自らの血で濡れながらも、ヴィトーラの狂笑は止まらない。
むせ返る自らの血に酔いながら、さらに恍惚とした表情を浮かべている。
「与えられるだけでは悪いからな、お前にもくれてやろう!」
ねっとりとした吐息を漏らしながら、ヴィトーラが全身から魔力を噴き出す。
そして、有り余る魔力によって、魔法が立て続けに発動する。
身体強化、魔力噴射による推進力の獲得、魔力壁の構築。全てを一息に完了させる。
ヴィトーラは魔法を使うための陣も無く、詠唱もしていない。
それは、あまりにも濃密な魔力という精神のエネルギーが、大本であるヴィトーラの思考に反応した結果、自然に発動した魔法。
現在、このアークミル大陸で主流となっている陣式、詠唱式とはまるで違う、最も原始的な魔法の形だ。
複数の魔法を同時に展開したヴィトーラは、ノゾムの着地のタイミングに合わせて突進を開始。ドゴン! と地面を爆散させながら、閃光を思わせる速度で彼に襲い掛かる。
「ふっ!」
着地のタイミングを完全に捉えられたノゾムだが、迫りくるヴィトーラに対しても冷静だった。
体を半身にして着地。さらに腕を広げて組み敷こうとしてくるヴィトーラと自分の間に『無銘』を滑り込ませながら、体を落とす。
突進してくる魔力壁をノゾムの無銘が破断し、彼の体が自然にその隙間に潜り込む。
さらにノゾムは刃筋を迫る彼女の右肩関節に立て、激烈な相手の推進力を利用して断ち斬る。
そして、二人は交差する。
互いが位置を入れ替えながら振り返ると、沈黙の中にボトリと断ち切られたヴィトーラの右腕が落ちる音が流れた。
「なんだ、受け止めてくれないのか? 淑女からの慎ましやかな抱擁を拒否するなんて、酷いじゃないか」
断ち切られた右腕を復元しながら、不満げなセリフを口にするヴィトーラ。しかし、言葉とは裏腹に、その顔には隠しれない悦の色が浮かんでいる。
吸血鬼としての人間離れした美貌。そして魔法を自然発動させるほどの濃密な魔力も相まって、己の血に濡れながら笑みを浮かべる彼女は背筋が凍るほど恐ろしく、目を離せないほど倒錯的な美しさに満ちていた。
「背骨をへし折るどころか、体を千切りそうな抱擁を慎ましやかとか言うのか? 吸血鬼の感性ってどうなっているんだよ……」
一方、そんなヴィトーラの姿を前にしても、ノゾムは彼女に対する呆れを漏らすだけで、その表情は淡々としていた。
今までのノゾムは、封魂の縛鎖を解除する事しか出来なかった。しかし、その異能を完全に制御下においた今、繰り出す技の精度、密度は今までの比ではない。
過去と現在、そして未来。その全てで己の答えを出し、龍殺しとして真に覚醒した今の彼は、心技体の全てが完全に合一している状態であるといえる。
それは彼の師であるシノ・ミカグラが予見した姿。人では対抗できない災害級の力を持つ者すらも、打倒しえる可能性を体現した存在。
そんなノゾムを見つめながら、ヴィトーラは色づいた溜息を漏らす。
(素晴らしい。まるで、月夜の下で深淵を覗きこんでいるようだ……)
どこまでも澄んでいて、全てを俯瞰しているような冷たさと、マグマのごとき熱を秘めた瞳。風に身を委ねるススキのように自然体でありながら、大地に根を張る大樹を思わせる佇まい。
その矛盾した要素をはらみながらも完全に融合した姿が、彼女の背筋を震わせ、どうしようもなく昂らせる。
彼女はふと、再生したばかりの自分の右腕を掲げた。
己の血にまみれるその腕に、僅かにノゾムの力の残滓がこびり付いている。
「はむ、ちゅぷ……」
指先に絡みついているその残滓を、思わず口に含む。
わずかに残ったティアマットの源素が、ヴィトーラの舌を焼く。自らの肉を焦がしながらも舌に広がるその味は、この世のなによりも甘露だった。
粘着質な唾液に白く細い指を濡らしながら、残滓の最後の一片まで何度も味わい、嚥下する。
「はふぅ……。そなたの力の残滓。残り香ですら我の舌を焼く滅龍の力……なんと刺激的で、甘美なものか……。ふっ!」
恍惚としていたヴィトーラの瞳が、ギラリとさらに危険な色を帯びる。
次の瞬間、彼女は一足飛びにノゾムとの間合いを詰めていた。
続いて、空気の弾ける音が響く。力任せでありながら、音すらも置き去りにした彼女は、風よりさらに速い、雷鳴のごとき一撃をノゾムに向かって振るう。
「ふっ……」
だが、そんな音すらも置き去りにした一撃すら、ノゾムは断ち切った。
五色の源素と白色の鎖を纏った『無銘』が細かく振るわれ、繰り出される嵐を迎撃。余波だけで地面を吹き飛ばすほどの両拳を、一秒足らずで微塵に斬り砕く。
さらに返す刀で、ヴィトーラの右足を斬り飛ばした。
「ぐっ!」
足を失い、バランスを崩したヴィトーラ。ノゾムは拳を斬り砕かれた彼女の右腕を左手で引っ掴むと、滑るような体捌きで体を回転させる。
そして勢い余ってたたらを踏むヴィトーラの体を宙に浮かせると、そのまま彼女の突撃の勢いすらも乗せて、地面に叩きつけた。
「がっ!」
ズドン! と、まるで大岩が落下したような重低音が響く。後頭部から激突したヴィトーラが、地面を陥没させながら反動で宙に浮いた。
さらに、衝撃で悶絶している彼女の脇腹に、ノゾムの左拳が突き刺さる。
足、腰、肩、腕、全てが精密に連動した完璧な一撃。吸血鬼としても規格外の魔力と筋肉を貫き、内臓を破裂させ、背骨を粉砕しながら、ヴィトーラを吹き飛ばす。
続いて響く轟音の重奏。
ヴィトーラの体は地面を何度もバウンドしながら、フランシルト邸の壁に激突。砕けた大理石の欠片と煙に、瞬く間に包まれた。
数秒の沈黙が、フランシルト邸に流れる。
「すごい……」
いつの間にか庭に出てきていたアイリスディーナ達が、思わずそんな言葉を口にする。
「……やっぱり、まだピンピンしているか」
ノゾムの言葉を肯定するように、ヴィトーラが何ともない様子で煙の中から姿を現す。
切断された右腕も、グチャグチャにされた内臓も、折れた背骨もすでに再生を済ませていた。
「ノゾム・バウンティスよ。紳士として、婦女子にこれは酷いのではないか?」
そして、今さっき斬り飛ばされたばかりにもかかわらず、既に綺麗な白い肌に包まれている右足を、艶めかしく見せつける。
「嫌だと思うなら帰れ。俺は別にお前と戦うことは楽しくもなんともないんだ」
「フフ、つれない態度もいいな。生まれてこの方、このような態度を取られたことがないから、本当に新鮮な気持ちだぞ」
「悪いけど、お前は俺の好みじゃないんだよ。他を当たれ」
「ああ、ダメだ、我慢できん。是が非にでもお前を連れて帰りたくなったぞ!」
傲岸な態度を取りながら、吸血鬼の姫はさらに魔力を引き出し続ける。
底が見えないという表現すら陳腐な魔力量。舞っていた砂塵が、雪の結晶と化したかと思うと、彼女の足元に地面がみるみる凍りつき始める。
かつてノゾムを封印しようと襲いかかってきた白龍、アゼルすら上回る威圧感を振りまきながら、ヴィトーラは高々と右手を掲げる。
瞬間、巨大な白い円柱が、彼女を包み込むように天高く聳え立った。
まるで絹布のようにユラユラ揺れる薄壁。しかし、そこに込められた魔力は、フランシルト邸を基部から吹き飛ばして有り余るほどの量。
ノゾムの背筋に、強烈な悪寒が走る。
そしてヴィトーラがまるで邪魔な塵を払うように薙ぎ払うように腕を振るうと、巨大な円柱が凍り付いた地面を砕きながら、徐々に広がり始めた。
『絶氷鬼の薄衣』
氷の嵐による超濃密な魔力壁を展開し、叩き付けることで敵対者を凍りつかせながら削り砕く魔法。
拡大を始めた薄布の壁は、フランシルト邸をまるでヤスリにかけるように砕きながら、ノゾムに向かって前進してくる。
「今のお前ならこの嵐も容易く斬り裂き、逃れるだろう。だが、後ろに残っている奴らは無事では済まん。只の人間では、余波ですら致命傷だ。確実に全滅……お?」
ヴィトーラが言葉を言い切る前に、ノゾムは迎撃に動いていた。
掲げられるのは、白い鎖が巻きついた左腕。握られた拳に力が入った瞬間、鎖がほどけ、五色の源素が溢れ出す。
噴出した膨大な源素は周囲を取り囲む鎖輪に導かれるように、ノゾムの左腕に集束。全ての源素が左腕に集まった瞬間、ノゾムは拳を地面に叩きつけた。
『滅光衝』
ヴィトーラの足元から五色の源素が吹き出し、彼女の『絶氷鬼の薄衣』を飲み込み、押え込む。
「ははは! 力勝負か! いいだろう!」
滅龍王の源素に飲まれながらも、ヴィトーラはさらに魔力を引き出し続け、ノゾムの『滅光衝』に抗う。
「おおおおおおおお!」
「ハ、ハハハ、ハハハハハ!」
ノゾムの雄叫びと、ヴィトーラの狂笑が木霊する。
押さえつけようとする滅光衝と、全てを削り砕こうとする絶氷鬼の薄衣。あまりの力の衝突に音すらも二つの極大の力に封じ込められ、閃光だけがまばゆく弾け続ける。
そして、力の衝突が臨界点を超えた。
同時に崩れる滅光衝と絶氷鬼の薄衣。
残された極大の力が衝撃波となって、内と外に解き放たれる。
外に弾けた衝撃波は既に半壊していたフランシルト邸を完全に破壊し、瓦礫を宙へと舞い上げ、内側に押し込まれた力はそのままヴィトーラの体を押し潰す。
「きゃあ!」
あまりの衝撃に、アイリスディーナ達の悲鳴があがる。
ノゾムが顔を上げれば、舞い上がったフランシルト邸の瓦礫が、彼女達に向かって落下していく。
「ふっ!」
ノゾムが落ちてくる無数の瓦礫に向かって、刀を振るう。
秒間十回を超える斬撃の群れ。無数の『塵断』の嵐が、アイリスディーナ達に向かって落下してくる瓦礫を斬り砕いていく。
「ノゾム、上!」
「ちっ!」
だが、一瞬ノゾムの意識がアイリスディーナ達に向いた間に、彼の頭上に瓦礫の雨が降り注いできた。
アイリスディーナの声に迫る瓦礫に気づいたノゾムが、刃を斬り返そうとする。
「おらああああ!」
だがその前に、横合いから飛び込んできた螺旋の渦が、降り注ぐ瓦礫を薙ぎ払った。
魔力と気、相反する二つの力を融合した嵐が、ノゾムに降り注ぐはずだった岩の欠片の一片までを砂塵に返す。
続いて、大柄な影がフランシルト邸の庭に飛び込んでくる。
姿を見せたのは大剣を背負ったマルスだった。
右腕の入れ墨を輝かせながら、魔気を纏った彼はノゾムの隣に立つと、思いっきり溜息をもらす。
「マルス……」
「アホ、自分の防御を忘れてどうすんだよ」
「すまん、助かった」
「ま、いいさ……」
振るった大剣を肩に背負い直したマルスは、口元に笑みを浮かべながら、元凶である吸血鬼の方へと視線を移す。
そこには、既に傷を再生し終えたヴィトーラが佇んでいた。
全身を己の血で真っ赤に染めている彼女に、マルスは思わず眉を顰める。
「おいノゾム、あの吸血鬼、血まみれなんだが……」
「ああ、斬っても殴っても潰してもすぐに再生するんだ。ゴキブリの方がまだ可愛げがあるよ……」
心底嫌だというようなノゾムの視線と発言に、マルスは思わず顔を引きつらせる。
あのルガトですら、ノゾムに体を両断された時は、再生に相応の時間を要したが、改めてこの吸血鬼の再生能力は異常だ。
致命傷と思える傷を負ったとしても、ほぼ瞬間的に再生を終えてしまう。
噴き出す魔力は留まるところを知らず、いったいどれほどの魔力量なのか見当もつかない。
一方、ヴィトーラはこの場に乱入してきたマルスを、少し興味深そうな視線で一瞥していた。
「ふむ、ルガトと戦える者が、この街にはまだいたのか。人間というのは、思った以上に侮れない種族だな」
「そりゃどうも」
ヴィトーラの視線に肩を竦めるマルスだが、その額には僅かに冷や汗が浮かんでいた。
魔気併用術を身につけ、ルガトとも戦えるほどに成長した彼でも、今のヴィトーラの魔力は思わず息を飲んでしまうほど驚異的なものだった。
「マルス、すまないけど……」
「ああ、分かっている。アイリスディーナ達は任せろ」
「頼む。後は、あのイカれた吸血鬼をどれだけ抑えこめるか……」
ノゾムとマルスが静かに言葉を交わす中、更に魔力を引き出し始めたヴィトーラの体の周囲に、再び氷の結晶が舞い始める。
「まだ魔力が上がるのか……。まずいな、これ以上の力を振るわれたら、街の被害が……」
「そっちは心配すんな。そろそろ……」
マルスがフランシルト邸の周囲の街並みを見渡す。
その時、眩いばかりの巨大な光壁が、フランシルト邸を包み込むように展開された。
更にフランシルト邸を囲むように、一重、二重と、フランシルト邸がある区画一体を何重にも囲うように結界が展開されていく。
それは、ソルミナティ学園にいる者達が展開した結界。
魔力ではなく源素で構築されたそれは、行政区のおよそボ三分の一を覆い尽くすほどの規模であり、その結界の一枚一枚が、聞いたことも見たことも無い程の巨大さと強靭さを誇っている。
「これは……」
「この都市に備え付けてある、超大規模儀式魔法による隔離結界だ。ティマの奴、間に合ったみたいだな」
口元に笑みを浮かべながら、マルスはソルミナティ学園のある方向を見つめている。
「だけど、これじゃあお前が外に出られないんじゃ……」
「ああ、心配すんな。とりあえず見とけ」
そういうと、マルスはアイリスディーナ達の元に駆け寄り、大剣を掲げると、魔気併用術“爆嵐渦”を空に向かって放つ。
次の瞬間、フランシルト邸を取り囲んでいるものと同じ結界が、アイリスディーナ達の周囲に展開された。
「思った通り、この結界はかなり即応性があるみたいだな」
どうやらこの隔離結界は、ある程度展開箇所を自在に変化させられるようだった。
元々、強力な魔獣が都市内に侵入した際に使用される魔法。ある程度自在に展開できることは必須ともいえる。
「とはいえ、即座に展開できる結界は一枚だけみたいだな。突破してくる余波は、俺が何とかしてやる」
だが、それでも完璧とは言えない。即応性を高めれば、それ以外の性能が削られるのは自明の理。今アイリスディーナ達を守っている結界は、フランシルト邸を囲っているものと比べると幾分か結界の光も弱く、強度が心もとないように見える。
「……頼む」
それでも、今のマルスなら何とかしてくれるだろう。
ノゾムは友を信じてアイリスディーナ達を任せると、再びヴィトーラと相対する。
「なるほど、良い行いだ。せっかくの二人きりのダンスだ。相方に余計な輩に意識を削がれては、興が冷めるからな。さて、それではノゾム・バウンティスよ、踊りを続けよう。今度はテンポを上げてシャープに、そして大胆に行くぞ」
次の瞬間、爆風のごとき魔力流が荒れ狂い、ノゾムは思わず左手を翳す。
そして数秒の嵐が収まり、顔を上げ、思わず絶句した。
「……嘘だろ」
そこにいたのは、もはや驚愕の感情すら置き去りにするほど、大量の魔力を放出する吸血姫。
超高密度の魔力はほぼ物質化し、まるでオーラのようにヴィトーラの体を包み込んでいた。
魔力に反応し、オーロラのように輝く銀色の髪をなびかせながら、彼女は手を空へと掲げる。
再び生み出される白い絶氷鬼の薄布。だが、今度は一枚ではなかった。
一枚でノゾムの滅光衝と互角の威力を誇るカーテンが、二枚、三枚と次々に産み出され、重ねられていく。
そしてヴィトーラが腕を薙ぐと同時に、まるで騎馬戦列のように並んだ絶氷鬼の薄布が、一斉にノゾムに向かって殺到していった。
いかがだったでしょうか。
淡々としながらも、繰り出す技は全て殺意マシマシのノゾム。そんな絶殺技を食らいまくっても即座に回復するチート吸血姫。
戦闘の序盤としては、こんなものなのかなと……。