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第8章第33節


 おそらく、精霊魔法で隠れていたのだろう。

 シーナの目の前に現れたトリフォリウムは、驚く曾孫を前に嘆息する。


「お前を待っていたに決まっているだろう。人間どもが作った学園から出てくるのを、精霊が教えてくれたからな」


「やあシーナ、開園祭以来だね」


 トリフォリウムの傍には、シーナの婚約者候補であるラウルスの姿もある。

 ラウルスは誰もが見惚れる端正な顔に華やかな微笑みを浮かべ、軽い調子で手を上げる。

 気さくな貴公子という表現がぴったりなその笑顔は、女性にとっては麻薬にも似た魅惑の笑みだろう。

 一方、シーナはそんなラウスルのあいさつに、無表情で小さく頭を下げるだけ。

 相も変わらず塩対応なシーナにラウルスも慣れているのか、苦笑浮かべるだけだった。


「用件は以前も言ったとおりだ。里に帰るぞ」


「お断りします。私には……」


 トリフォリウムが話す用件は、開園祭の時と同じ。シーナもまた、同じ答えを返そうとする。

 だが、先の開園祭の時と違い、トリフォリウムはシーナが言葉を言い切る前に、自分の言葉を重ねてきた。


「信じる仲間がいる、友人がいる、伴侶がいる。そんな嘘は聞く気はない」


「ちょっと待ちなさいよ、何が嘘だってのよ!」


 シーナの言葉を一言で斬って捨てたトリフォリウムに、ミムルが声を荒げる。


「友である精霊たちは、あらゆることを教えてくれる。嘘でないのなら、空っぽの言葉と言い換えよう。肝心の相手に血約の儀の意味を伝えずに行った挙句、その結果受けた呪いも話せない。それで何が伴侶か、何が友か、何が仲間か」


 エルフとして長い時を生きてきたトリフォリウムである。その辺にいる精霊達に語りかけ、シーナの様子を盗み聞きしてもらう事など造作もない。

 そして、今のシーナが精霊の感知すらできなくなっていることも、トリフォリウムは精霊たちの協力により見抜いている。


「それは……」


 そして、トリフォリウムの言葉は、シーナが抱えた心の隙を正確に射抜いていた。

 胸の隙間を突かれ、シーナは言いよどむ。


「シーナよ。別にお前を責めているのではない。精霊の存在すら感じ取れなくなってしまったのでは、愚かな人間のようになってしまうのも無理もないことだ。そのようになってしまったのは、全てあの男の所為なのであろう?」


 押し黙る曾孫を前に、トリフォリウムはその声色を幾分か和らげる。

 だがその言葉は、全ての元凶をノゾム・バウンティス一人に押し付けるもの。

 エルフの人への蔑視感情を漂わせる言動、何よりも想い人を貶めようとするその言葉に、シーナは思わず口を開く。


「違います! あれは、私がそうしたかったんです! 彼に恩を返したい、彼の力になりたい! 彼に……もう、あんな思いをしてほしくない!」


 自分達を傷付けたと、自分自身に憤っていた彼。それを何とかしたかった。

 溜まっていた、鬱屈としていた感情。それが反転したように、一気に溢れ出し、彼女のむき出しの心を曝け出す。


(それでも私は、今度こそ後悔はしたくないの、夢も、恋も……。まあ、あまりにも見ていられないなら、遠慮なく貰っていくから、ね)


 リサ・ハウンズの厳しくも優しい挑発が、彼女の背中を押していた。


「ずっと傍にいたいから、そうしたんです!」


 悲鳴にも似たシーナの告白。

 それを前に、トリフォリウムもラウルスも目を見開いていた。

 シーナがこれほど拒絶反応を示すとは思っていなかったのか、それとも、魔力すら練れなくなって心折れたと思っていたのか。

 一瞬目を見開いたトリフォリウムだが、すぐに目を細め、重苦しい口調でシーナの説得を続ける。


「今一度いう。里に戻るのだ。お前がどれだけ身を粉にし、心を砕いても、人には伝わらん……」


「そんな事は……ありません」


「お前はエルフ、そして、あの小僧は人間だ。確かに、妙なアビリティを持っているようだが、それは変わらん。ワシらのように、精霊と意思を交わすことはできんし、同じ時を生きる事もできん。実際、そうだったのではないか?」


 ノゾムが精霊魔法を習得できなかった事実もトリフォリウムは把握していた。

 物理的な重みすら感じられるほどの空気が、二人の間に流れる。


「彼は、特別です。トリフォリウム様が想像している以上に……」


「知っておる。精霊の王が、この地にはいるようだからな……」


 精霊の王。その言葉に、シーナは目を見開く。

 その言葉は間違いなく、ノゾムを鍛え、監視している白龍の翁を指していたからだ。

 だが、よく考えれば当然だ。ノゾムを監視しているゾンネが、自分と同じように精霊で監視をするものを見逃すはずがない。


「なんで、その事を……」


 茫然と見上げてくる曾孫を前に、トリフォリウムはゾンネと接触した時の事を思い出し、苦々しく表情を歪めた。










 トリフォリウムがゾンネと接触したのは少し前。ノゾムがアンリに頼まれ、エクロスへ講義の手伝いに向かっているときだった。

 トリフォリウムはこの時、上空に漂う精霊と契約し、ノゾムを監視していた。

 この時、普段は傍に居るラウルスもいなかった。あのエルフの青年は他種族との窓口であり、彼の仕事はトリフォリウムの傍仕えだけではないからだ。

 お目付け役がいないことをいいことに、トリフォリウムは精霊を介してノゾムを睨みつけながら、彼をシーナの前から排除する為に何をすべきかを思案していた。

 曾孫を惑わす人間を、彼は見逃すことはできない。

 だが、徒に力ずくで排除することも難しい。あの人間がこの学園でも割と重要な立ち位置にいることは、頭に血を上らせている状態のトリフォリウムでも察することができるからだ。


「やむを得ん。あの小僧と直接話し、シーナの現状を叩き付けて去るように命じるしかないな」


 もっとも、ノゾムが退かないのならば、彼としてはより強硬な手段を取る気もあった。

 エルフの精霊魔法は、アークミル大陸の中でも、特に強力な術の一つに数えられている。

 それを使えば、一人の人間などいかようにもできるという自負が、トリフォリウムにはあった。 

 精霊の力を借りてその者を別空間に隔離し、渇きと飢えで動けなくなるまで放置してもいい。

 トラウマや悪夢を引き出して叩きつけ続け、心を折ってもいい。


(シーナよ。今、お前の枷を解き放ってやる)


 トリフォリウムにとって、シーナは唯一残った家族。彼の親族はすべて、大侵攻の中で死んでいった。故に、彼女に対する愛情は並々ならぬものがある。

 長年エルフが抱えてきた他種族への蔑視感情もあいまって、なんとしてもノゾムを排除しなければという感情が、彼の頭を支配する。

 そして、渦巻く怒りに突き動かされるまま、トリフォリウムは掌握した精霊達に命令を下そうとするが……。


「っ!」


 突如として襲い掛かってきた怖気に、彼が掌握していた精霊は瞬く間に霧散した。

 繋いでいたはずのパスを無理矢理引き千切られ、直後に周囲の景色が灰色へと変わっていく。


「な、な、な……」


 狼狽するトリフォリウムを他所に、彼は全くの別空間に放り出されていた。

 直後、強烈な威圧感が、彼を押し潰しにかかる。

 

「あ、ぐうっ……!」


 肺から無理やり空気が吐き出され、老エルフは思わず膝から崩れ落ちる。

 そして蹲る彼の前に、その存在が姿を現した。


「あ、貴方様は……」


 彼の前に姿を現したのは、一人の老人。

 だが、トリフォリウムの眼には、この人物の正体がはっきりと映っている。

 老エルフの前に姿を現したのは、白龍の翁、ゾンネだった。


“退け。彼に手を出すことは許さん……”


 精霊の頂点に立つ龍。

 トリフォリウムにとっても、頂上といえる存在の出現に、老エルフはただ言葉を失っていた。

 直後、トリフォリウムの脳裏に、ある映像が送られる。

 それは、五色の源素を吹き出しながら、目の前の精霊の王と相対するノゾムの姿。かつて彼が暴走した時の光景。

 人の姿をしているが故に弱体化しているとはいえ、ゾンネを追い詰めていくノゾムの姿に、トリフォリウムは戦慄する。

 いや、ノゾムの強さだけではない。トリフォリウムが最も恐怖を覚えたのは、件の少年の体から噴き出す五色の源素。明らかに異質なその源素を見て、ノゾム・バウンティスがいったいどのような存在であるのか、分からぬはずはない。


“今一度言う、彼に手を出すことは許さん”


 重苦しく、絶対の強制力をこめて放たれた言葉を前に、トリフォリウムはただ平伏する事しかできなかった。









 ゾンネとの接触を思い返しながら、トリフォリウムは強張っていた表情を解すように、大きく息を吐く。


「まあ、かの方も相当気を使われているようだ。儂と契約した精霊を介して、接触してきた。あの人間が、それほど特別な存在だという事は分かる。王より直々に、見せられたからな」


「……何と言っていましたか?」


「早々に手を退けと……。接触はするなと厳命された。精霊の王直々の命令ならば、致し方あるまい」


「そう、ですか……」


 ノゾムの存在を知り、ゾンネに予防線を張られたトリフォリウム。

 白龍であるゾンネに止められれば、曾孫を惑わす元凶に接触などできるはずがない。まして、力ずくでの排除など到底不可能。実質、彼はノゾムに対して、身を焼くほどの憤りを抱いても、何もできなくなっていた。


「だからこそ言う。シーナよ、今のお前は、ここにいるべきではない」


 そのような事情から、彼はなおのこと、シーナをノゾムから引き離そうと躍起になる。

 抑えきれない感情と焦燥を漂わせながら、早口でシーナに対し、いかに自分が危険な状況にいるかを捲し立てる。


「龍族とティアマットの確執は、エルフの長たちの間でも語られている。全てを滅ぼそうとしたティアマットと、それを止めようとした龍族との凄惨な戦いの結果、この大陸の精霊の力は大きく削がれた」


 人間の間では伝説しか残されていないティアマットと龍族との闘いだが、長命種であるエルフには、それなりの記録が残されている。

 もっとも、それはほとんど長老クラスの人物にしか明かされてない。

 中には到底、口にすることを許されない真実もある。

 トリフォリウムは、ゾンネが接触してきた時のことを思い出す。

 曾孫を惑わず汚らわしい人間に制裁を加えようと、精霊に命令を下そうとした瞬間、全身が硬直し、動けなくなった。

まるで手足をもがれ、氷柱で全身を貫かれたかのような感覚。

 掌握していた精霊は瞬く間に霧散し、完全につながりを遮断された。それはまさしく、今シーナが陥っている状況と全く同じ。


“退け。彼に手を出すことは許さん……”


 世界に一人だけになったかのような感覚に襲われていたトリフォリウムの耳に響いてきた、王の勅命。失われた故郷で大樹の精霊を崇めてきたトリフォリウムに、その勅命に逆らうことなどできるはずがない。


「今現在の大陸の形も、ティアマットと龍たちの戦いによるもの。シーナよ。これはもはや、エルフや人間にどうこうできる問題ではないのだ」


「でも、見捨てられません……」


 だから、威厳を保ちながらも、トリフォリウムは必死にシーナを説得しようとする。

 だが、シーナもまた引き下がる様子がなく、聞き分けのない曾孫に、徐々に老エルフの焦燥が募ってくる。


「見捨てるのではない。身を引くのだ」


「同じことです!」


「お前にもうできることはない! 魔力も練れず、精霊との繋がりも失ったお前が、龍殺しという特大の厄災を前にいまさら何ができる! さらにこの街には、あの皇国の化け物が来ている! おまけに、やけにあの龍殺しに興味を持っているではないか!」


 皇国の化け物。

 ヴィトーラの存在もまた、トリフォリウムにとって頭の痛いものだった。

 龍殺しであるノゾム・バウンティスに明らかな意図を含んだ態度で接しており、精霊と関わるものの直感が、ただ事では済まないという警鐘を鳴らしている。


「彼を不幸の象徴として罵るのはやめてください! 彼は私の恩人です! 私の……私が伴侶になって欲しいと、心から願う人です!」


「お前が一方的にそう思い込んでいるだけだろうが!」


 聞き分けのないシーナに、ついにトリフォリウムも声を荒げてしまう。

 エルフの中でも特に長い時を生きたトリフォリウムは、ディザード皇国の要人が持つ個人武力のすさまじさを知っている。

 そして、その結果も容易に想像がつく。

 もし、あの二人が激突することになったら、この街は龍殺しと死鬼姫によって、間違いなく終わりを迎える。

 そして、この街に住むシーナも、このままではその厄災からは逃れられない。


「あの小僧と関わり続ければ、絶対にお前は不幸になる! 儂は魔獣共に蹂躙され、人間どもに騙されて全てを失った! その最後に残った曾孫が自らを犠牲にするなど容認できるはずがない!」


「私は、絶対に帰りません!」


「あっ、シーナ!」


 聞き分けのない曾孫にトリフォリウムが我慢の限界を終えた一方、シーナもまた曽祖父の一方的な要求を飲めるはずもない。

 踵を返して駆け出していくシーナを、ミムルが慌てて追いかける。

 取り残されたトリフォリウムは、激情に流された己を恥じながらも、曾孫の頑固さに頭を悩ませ、禍根を拭うように額に手を当ててうな垂れる。


「トリフォリウム様、今のお話は……」


 そんな時、彼の隣に控えていたラウルスが、驚きを隠せない様子で尋ねてきた。

 彼もまた、ノゾムが龍殺しであることや、ゾンネの接触があったことを、今はじめて知ったのだ。

 

「本当の事だ。この街は危険すぎる。時間もない。なんとしても、シーナをこの街から連れ出さなくては……」


 湧き上がる焦燥に、トリフォリウムは奥歯を噛みしめる。

 そんな彼の隣で、ラウルスはその端正な口元に手を当て、考え込むように走り去っていった路地を見つめていた。

 



モヤモヤ感が残ったままですが、申し訳ない。どうしてもここでは解決するためのファクターが足らんのですよ……。

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