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第8章第32節

 時間は少し遡り、ノゾムがリサに連れられて、彼女の行きつけの装飾店を後にした頃。

 シーナとミムルは学園から女子寮へ戻るところであった。

 学園の正門を出て、葉の落ち切った木に囲まれた中央公園を、並んで歩く。

 既に季節は冬に近づき、いつ雪が降り始めてもおかしくない頃だ。

 元々、森ができる程度には降水量に恵まれている土地である。

 気温が下がれば、雨が雪に変わるのは必然と言えた。

 冬の気配がすぐそこまで近づいている。街の空気は冷たい。

 そして、落葉の園を歩く二人の間にも、引きつるような肌寒い雰囲気が流れていた。

 普段は闊達な言動を絶やさないミムルだが、今ではその元気も鳴りを潜め、隣の親友の様子を伺うように、ピクピクと落ち着きなく耳を動かしている。

 一方、隣を歩く森の麗人は、ジッと前を見据えたまま、その流麗な口元を真一文字に引き締めている。全身から話しかけるなという雰囲気を、これ以上ないほど醸し出していた。


「ねえ、シーナ。やっぱりノゾムに話そうよ。黙っているのは良くないって」


 ずっと、沈黙したままだった両者だが、ついに、ミムルが我慢に耐えかねて口を開く。その内容は、彼女の親友が抱えている問題について。

 現状のシーナは、ノゾムとの血約の儀を結んだことで封魂の縛鎖の影響を受けてしまい、精霊魔法はおろか、魔力をまともに扱う事すら困難な状況だった。

 シーナとしては、ずっと隠しておくつもりだった秘密。だが、開園祭に訪れた曾祖父と婚約者候補のせいで、ミムルにバレてしまったのだ。

 以降、彼女の親友は、事あるごとにノゾムに相談するべきだとシーナに苦言を呈している。


「ミムル、言ったでしょ。今の彼にこれ以上の負担はかけられないって……」


 だがシーナは、ミムルの提言を一言で切って捨てる。

 以前もシーナは、親友から抱えている問題をノゾムに伝えるように言われていたが、その時もこのエルフの少女は、ミムルの忠告を切って捨てている。

 さらには、焦れたミムルが自分でノゾムに話そうとするのを、涙ながらやめるよう懇願していた。


「負担負担って言うけど、黙っている方がマズイって。こういう事って、後々バレた方が問題になるから!」


 ミムルも親友の涙に、一旦は引き下がった。しかし、時間が経って改めて考えを固めたのか、今日の彼女はシーナが言い含めても引き下がる様子が無い。

 尻尾をピンと立てて毛を逆立たせ、いかにも怒り心頭といった様子を見せている。


「普段は火の粉を被りそうな事は徹底的に隠すのに、こんな時だけ正論を言うのね……」


「正論って事は、シーナも自分のしていることが本当は良くないって思っているんだね」


「…………」


 煙に巻くつもりだった自分のセリフに足を引っ張られ、シーナは思わず押し黙る。

 普段は思考の底が抜けているのではと思えるほどに軽率な言動と行動が目立ち、自業自得を繰り返すミムルだが、こと恋愛に関しては異常なほどの明晰な思慮を見せる時がある。

 ある種のゾーンに入った親友に、シーナは思わず目を逸らすが、そんな彼女の行動が、ミムルをさらに刺激してしまう。


「目を逸らさないで! ねえ、シーナ。せっかくのチャンスなんだよ。今なら二人の間に滑り込めるんだから」


 元々ミムルは、からかうような言動こそあれ、シーナの恋を応援していた。

 お堅く、どこか生き急いでいる感のあった親友と、彼女の仇がもたらした騒動。

 恋人であるトムが傷ついてしまったことで、一時は亀裂が入ってしまった双方の仲だが、最終的には、より強い絆が結ばれることができた。

 その切っ掛けとなってくれたのが、ノゾム・バウンティスという少年。

 ミムルは、その軽い言動とは裏腹に、ノゾムに対して恩義を感じているし、余計なお世話だと思われようとも、親友に幸せを掴んで欲しいとも思っている。

 頭の中が恋愛一色なミムルだが、だからこそ、その道では一切妥協はしないし、自分から幸せを遠ざけようとする親友の行動が、看過できなかった。


「……そんな事、別に望んでいないわ。そもそも、私はそんな事の為にこの学園に来た訳じゃ」


 真っすぐな視線を向けてくるミムルからさらに逃げるように、シーナは足を速める。

 これ以上話したくない。そんな彼女の感情が如実に表れた行動だった。

 だからこそ、ミムルは退かない。

 足早に立ち去ろうとするシーナの手を掴み、逸らそうとする彼女の目を、無理やりにでも戻そうとする。


「……もしかして、怖い?」


「……何がよ」


「人を好きになる事。好きな人を追い続ける事。好きな人の為に、全てを捨てる事。好きになるっていう事、そのものが」


 ミムルの鋭い言葉が、背中からグサリと心臓に刺さる。

 激しく高鳴る心臓。それと相反して、まるで凍傷を負ったように、手足が冷たくなっていく。

 シーナは体の震えに耐えるようにコクリと唾を飲み込み、震える声でミムルの言葉を否定する。


「そんな事、ないわよ」


「嘘。だって、シーナ逃げてる。好きな人に好きだって言うことから逃げてる」


「……私には、ミムルが何を言っているのか分からないわ」


 シーナはへばり付いた蜘蛛の巣を払うように、ミムルの手を振り解こうとする。

 だが、細いシーナの腕力でミムルの手を解けるはずもない。

 逆に、らしくないシーナの抵抗が、詰め寄るミムルをさらに勢いづかせる。


「じゃあ、ノゾムが好きだってことは認めるんだ。逃げてはいても、好きではあるってことだもんね。そうだよね。そうじゃなきゃ、血約の儀なんかしない。お堅いシーナがそこまでやったって事は、つまりそういう事でしょ」


「だからなんなのよ!」


 激しく言い募るミムルの言動に、シーナもまた声を荒げる。


「ええ、そうね。確かに、私は彼に惹かれてる。でも、どうしろっていうのよ! 私じゃこれ以上彼の力にはなれない!」

 

 彼女は、エルフにとって血約の儀がどのような意味を持つのかを、ノゾムに伝えなかった。

 ノゾムに精霊魔法を習得するきっかけになってほしいと願った行為。同時に、彼女は今一番大変で重要な時期に、彼に精神的な負担をかけたくなかった。

 だが、その行為が、予想以上の悪影響を彼女に及ぼしていた。

 今のシーナは、パスを通じてノゾムの存在を感じ取ることができない。それどころか、徐々に封魂の縛鎖の影響が高まっているのか、精霊の存在すら感じ取れなくなってきていた。

 以前のシーナは、姉を失ったトラウマから精霊との契約能力を失いはしたが、精霊の存在を全く感じ取れなくなるということはなかった。

 だが、今では路肩の陰に潜む小さな精霊達すらも感じ取れない。

 以前も彼の異能にパスを閉じられたことはあるが、その時も彼の存在感まで消えてしまうことは無かった。だが、今ではその繋がりの欠片すら見出すことができない。


(もう、なにも感じ取れない……)


 今まで、リサやアイリスディーナが動揺してきた中でも、彼女は気持ちがブレることが少なかった。

 それは、ノゾムとの間の“契約”という、普通の人間では到底紡げない絆があったから。

 そしてその絆は、いつでも自分がノゾムの力になれるという自負と、常に隣に彼の存在を感じ取れるという安心を、彼女に与えてくれていた。

 だが、今その契約の力がもたらす恩恵は、完全に反転している。

 常に胸に灯っていた安心感はひっくり返り、彼女を不安と孤独に陥れるものへと変化してしまった。

 幼い頃から共にいた精霊も、愛しい人も感じ取れない。それは、契約という魂のつながりの中で生きているエルフにとっては、致命的だった。

 まして、彼女は一度精霊との繋がりを失って、それを取り戻した経緯がある。

 大切なものを失い、そして取り戻したからこそ、それが再び失われた時の喪失感は尋常ではない。

 それは強烈な無力感をシーナにもたらし、血約の儀についてノゾムに伝えられなかった罪悪感と共に、彼女の心を著しく委縮させていた。


「今の私じゃ、彼の力になれない……。むしろ、足を引っ張るわ」


「だから、それが良くないんだって! だって、肝心のノゾムに何も伝わってないじゃん!」


 一方、そんなシーナの言葉に、ミムルが一層声を荒げる。

 自分の気持ちをずっと声に出して、大事な人に伝えてきたミムルだからこその言葉。

 彼女から見れば、シーナの行動は全くの逆効果だ。知らされないまま距離を取られた方が、相手は傷つく。後はズルズルと離れていき、最後はもう取り戻せないほどの距離が開いてしまう。

 少し落ち着いて考えれば、分かること。

 だが、今のシーナは無力感と後ろめたさから自閉に陥り、上手く自分や周りを客観視できていない。


「今の私より、アイリスディーナさんやリサさんのほうが……」


 そして、後ろ向きな心は、あらゆることをマイナスへと捉えてしまう。

 それは、ノゾムとリサとの間の関係もそうだった。

 絆を取り戻した女性と、失った自分。

 そんな自分の姿が、どうしても惨めに感じてしまう。


「二人がなんなんだってのよ! 昔の事とか、シーナには関係ないじゃん! 好きなんでしょ! 契約とか力がなくなったからとか関係なしに、好きなら好きだって伝えなさい! 逃げるな!」


 そして、かつてのノゾムのように後ろ向きになってしまっているシーナの眼に、最悪の光景が目に飛び込んできた。


「えっ……」


「あれは、ノゾムと……って、ええ!?」


 中央公園の端に備え付けてある長いベンチ。そこに、二人の男女がいる。

 着ている服がソルミナティ学園の制服であることから、学園生であることが分かるが、問題はその二人が、先程までシーナが口にしていた男女だったこと。

 さらにリサは、動揺しているノゾムの膝の上に座り、彼の頬を両手で包み込みながら、体を密着させるように唇を近づけていく。

 シーナの瞳が大きく見開かれる。

 視界がグルグル回り、口の中が瞬く間に乾いていく。


「っ…………!」


 続いて込み上げてきたのは、強烈な怒り。

 先ほどまで後ろ向きだった心が、一気に反転し、茫然とした視線が激情の色に染まっていく。

 それは間違いなく、嫉妬の感情。

 心から愛した人とは魂の深奥で繋がる以上、エルフが自分のパートナーに嫉妬の感情を抱くことはまずない。

 しかし、今の彼女は普通のエルフではまず経験しない孤独感を抱えてしまっている。

 そして、嫉妬の感情は弱ってきている彼女の精神に瞬く間に広がっていく。

 シーナの視線に気づいたのか、リサが唇を触れさせる前に、スッとノゾムから離れた。

 彼女はノゾムが持っていた鈴を数個掠め取ると、笑顔で彼に手を振りながら、人通りの多い街並みの中へと消えていく。


「これって、つまり二人が……ってシーナ!」


 後ろから聞こえてくる親友の声を無視して、シーナはリサを追いかける。

 ミムルも慌てて、駆け出した親友の後を追った。


(何を、何をしているの、何を考えているのよ!)


 胸に渦巻く嫉妬の感情に突き動かされるまま、シーナは人混みをかき分けていく。


(今の彼は、大事な時期なのに!)


 彼女の思考は既に、支離滅裂で訳の分からないものになっている。

 ミムルには自分はノゾムから離れた方がいいと言いながら、彼と距離を詰めようとしている少女に反発している。

 だが、そんな事も、彼女は嫉妬ゆえの視野狭窄で気づけない。

 そうこうしている内に、シーナはリサに追いついた。

 いや、路地へと曲がった彼女が、シーナ達を待つように立ち止まったのだ。

 シーナに少し遅れて、ミムルも二人に追いつく。


「タイミングが悪いというかなんというか。覗き見は良くないわ。そう思うでしょ、シーナさん」


 覗き見をしていたシーナ達に初めから気づいていたリサは、特に動揺も見せずに振り返る。

 得意げな表情を浮かべるリサに対して、シーナは嫉妬の感情を露わに、彼女を睨みつける。

なぜ、ノゾムを惑わすようなことしているのか?そんな気持ちを視線に込めて、リサに叩き付ける。

 一方、リサはシーナの無言の抗議もどこ吹く風というように笑顔で受け流すと、手に持っていた鈴をチリチリと鳴らす。

 それは、リサがノゾムから掠め取った鈴。その様子を見ていただけに、シーナの視線が一層剣呑なものに変わる。


「ノゾムが作った鈴よ。羨ましいでしょ」


「……感心しないわね」


「いったい、何が? 別に好きな人に好きだと言っただけでしょ。変に遠慮するよりはいいわ」


「彼を惑わすようなことを……」


「そんな事、するわけないでしょ。あいつ、また色々と自分の事を見失いかけていたから、ちょっとアドバイスをしただけよ」


 リサは「まあ、キスしたかったのは本当だし、願うならそのままロマンチックな部屋を借りてお泊りしたかったわ」と言葉を続ける。

 冗談っぽく話すその口調。だがシーナは、リサが軽い調子の言葉が実現することを本当に願っていると、敏感に感じ取っていた。

 胸の奥で渦巻く嫉妬心に、思わず奥歯を噛み締める。頬が硬直し、眼光の鋭さが増した。

 ただならぬシーナの様子に、リサはいぶかしむ。

 彼女から見て、目の前のエルフの少女は、最もノゾムに近く、そして聡明で彼を理解していると思っていたからだ。


「見えていないの? あいつ、明らかに焦っていたわ。たぶん、思った以上にあのお爺さんとの鍛練が上手くいっていないのよ。少なくとも、ノゾムはそう思い込んでいる……」


「それは、分かっているわ。だから……」


 そんな事、言われなくてもわかっている。だからシーナは、自分にできることをやった。

 血約の儀という、エルフにとって神聖な儀式を行い、彼に精霊の存在を感知できるよう計らった。

 だが、その行為の結果、彼女は文字通り、自分が持っていたものすべてを失った。

 波のように揺り返してきた不安感と孤独感が、猛っていた彼女の妬心を瞬く間に鎮静化させ、今度は逆に心を凍り付かせていく。


「だから、なに?」


 リサが問うような眼をシーナに向ける中、エルフの少女は自らの体を抱きしめるように腕を組んで目を逸らす。まるでリサの視線から逃れるように。

 その後ろ向きな仕草に、リサは怪訝な表情を浮かべる。


「妙な気分ね。ノゾムとの距離は、二人の方がもっと近いのかと思っていたわ」


「何を……」


 シーナの顔に射した影。それを見抜いたリサの瞳に、獲物を見つけた猫のような鋭い光が浮かぶ。


「でも、これなら追い付けそうね。今は貴方達がリードしているけど、思った以上にまごついているようだし。それとも、踏み切れない理由でもあるのかな?」


 踏み切れない理由。

 その言葉を聞いた瞬間、シーナの顔に射した影が、一気に濃くなった。


「図星、みたいね。正直、ズルいことをしている自覚はある。貴方にも、アイリスディーナさんにも感謝の気持ちはあるもの」


 リサは、非情でもなければ恩知らずでもない。

 アビスグリーフに取り込まれたケンとノゾムが闘った後、彼女は昏睡したノゾムに対しての罪悪感から、潰れそうになっていた。

 その時、彼女を叱咤したのはアイリスディーナであり、光明ともいえる言葉を掛けてくれたのはシーナだった。

 そんな二人に対しての感謝の感情を、リサはきちんと持っている。

 ただ、それでも譲りたくないものがある。

 ひとかどの冒険者になりたい。そして叶うなら、もう一度彼と一緒に、この大陸の未知を追いかけたい。

 それは、今の彼女を強烈に突き動かす原動力。胸の奥に灯った、尽きることのない情熱の炎。だからこそ、リサ・ハウンズは退かない。


「それでも私は、今度こそ後悔はしたくないの、夢も、恋も……。まあ、あまりにも見ていられないなら、遠慮なく貰っていくから、ね」

 

 紅髪の少女は静かに、そして言い聞かせるようにその言葉をシーナに放つ。

 だから、迷いを抱えているシーナに、宣戦布告と共に発破をかける。

 その挑発的な笑みの裏に、彼女への感謝を隠しながら。

 そして、押し黙るシーナにどこか複雑そうな視線を向けながら、踵を返して路地の奥へと消えていく。

 俯きながら、何も言えないシーナの様子を、ミムルもまた重苦しい表情で見つめていた。

 そんな時、どこか威厳に満ちた、しわがれた声が路地に流れる。


「シーナよ……」


「トリフォリウム様……どうしてここに」


 誰もなかったはずの路地の片隅。

 そこから、まるで霧が晴れるように、二人のエルフがシーナの前に姿を現した。


シーナに宣戦布告をしつつも、発破をかけるリサ。そして、また現れた曽お爺さん。

次に取りあえず、シーナのシーンは一旦終了の予定。その後、いよいよアイリスディーナサイドに戻ります。

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