第8章第31節
書籍版の予約が開始したので、活動報告で正式にイラストレーターさんの紹介もしました。
絵師の方はsime氏。
聖者無双や、fate/grand orderでアナスタシアを担当されている方です。
唐突に、しかし、しっかりとした言葉で告げられたリサからの告白。
ノゾムの心臓が跳ねるように鼓動し、猛烈な熱が全身を湯立たせる。
一方、ショックを受けて言葉を失っているノゾムの様子に、リサは不満そうな表情を浮かべた。
「……なんでそんなに驚くかな? ちょっと傷ついちゃう」
「いや、その……」
「そもそも、好きじゃなかったら、また一緒に冒険してくれる? なんて誘わないでしょ」
まったくもって、彼女の言うとおりである。
ノゾムも、リサからの変わらぬ好意には気づいていたが、こうして正面からの告白をぶつけられた経験は、実のところあまりない。
実際、リサと最初に付き合った時、告白したのはノゾムの方である。
付き合っていた間は互いに好意の言葉を口にはしていたが、距離を開けた時間が、逃避に走っていた時間が長すぎた為か、直接的な言葉は想像以上の衝撃を彼に与えてくる。
「それは、その……」
「はあ、昔のノゾムはあんなに情熱的だったのに、今じゃこんなにヘタレになっちゃって。あの化け物に取り込まれた私の手を引っ張ってくれた時は、元に戻ったと思っていたんだけどな~~」
頬に手を当ててため息を漏らすリサに、ノゾムもまたむくれたように明後日の方向に顔を背ける。
「そういうリサは変わりすぎだろ」
「変えたのはノゾムでしょ。いや、変えたというより、元に戻した、かな? ウジウジしていた私に強引に迫って来て、まるで、俺を見ろ! と言わんばかりに無理矢理振り向かせて……」
「い、いや、その……」
つらつらと、ノゾムが自分にした行為を語り始めたリサに、再びノゾムが狼狽し始めた。
実際、彼がリサと向き合おうと決めてからの行動は、傍から見ればストーカーとして見られてもおかしくない行動だった。
周囲がどう噂しようと、リサが只管に拒絶しようと構わず、ズンズンと突っ込んでいっている。
「おまけに、また一緒になってくれると思ったら、最後の最後で突き放すんだもん。酷いよ……」
しかも、そこまでやりながら、ノゾムはリサの告白を袖にしている。
実際、振られたリサが不満を抱くのも無理はない。
ただ、その不満を口にする口調と場所が悪かった。
中央公園で同じようにくつろいでいた街の人達が、ノゾムを指さしてひそひそ話を始めている。
おまけに、リサがグスグスと嘘泣きまでし始めてしまった事から、ノゾムに向けられる視線が、一層不穏なものに変わり始めた。
「ちょっと、ちょっと……言い方! 言い方ぁあああああ!」
「ごめんごめん、冗談だよ、冗談!」
ケラケラとノゾムの悲鳴を笑い飛ばすリサの姿に、周囲からの視線が和らいだ。
どうやら、ノゾムが揶揄われているだけだと理解してくれたらしい。
代わりに、周囲の視線は初々しいカップルを眺めるような、生温かいものに変わる。
「あらあら、若いっていいわね~」などと口にしながら、退散していく周囲を睨み付けながら、ノゾムは言いようのない疲労感を吐露しながら、肩を落とした。
「し、心臓に悪いからやめてくれ」
「でも、嬉しかったよ。ちゃんと私を見て、私を捕まえてくれて……」
唐突に、スッ……と立ち上がったリサが、ノゾムの正面に回り込み、彼の顔を見下ろすように覗きこんでくる。
「ねえ、ノゾム、もう一回いい?」
「な、何を考えてるんだよ」
「分かるでしょ……」
リサの手が、そっとノゾムの頬に添えられる。
ノゾムの視界一杯に、彼女の顔が迫ってきた。
「だって、チャンスだって思っちゃったんだもん。今朝の二人を見て。そう思ったら、黙っているなんてできないよ」
潤んだ瞳にノゾムの顔を映しながら、リサは再び、滔々と己の心の内を晒し始める。
「好きだよ、ノゾム。世界で一番、誰よりも……」
耳の奥に染みわたるような、静かな吐露。
先程のようなサラリとした告白とは違う、心の芯に響くような想いが、まるで砂漠に水を撒いたように、しずしずとノゾムの心に染み渡っていく。
「お願い、私と一緒になって。隣にいて、ずっと……」
「リサ……。俺は……」
ノゾムは自分の意識が、吸い込まれるように遠のいていくのを感じた。
視界一杯に広がる、微笑を浮かべた彼女の顔。
思わず、そっと両手で抱きしめたくなるほど魅力的で、儚く、そして恐ろしいほどに蠱惑的だった。
揺れる瞳が、懇願するようにノゾムの顔を映している。トクン、トクン、と静かに拍動する心臓の音が、やけに耳に響く。
彼女は、これほど魅力的だったろうか。
一度折れ、失恋し、それでも立ち上がったのは、ノゾムだけではない。
リサもまた、完全に折れても立ち上がった。今一度自分の夢に向き合った。
脆かった精神は急速に成長し、彼女は一足早く、大人の女性としての魅力を身に着け始めている。
幼い時から惹かれ、一時は恋人となった少女。
今でも、彼女への好意は、ノゾムの胸の奥に残っている。夢を叶えてほしいとも願っている。だからこそ、ノゾムは拒絶され続けても、彼女を向き合おうとし続けたのだから。
「……すまない。やっぱり、今の俺は君と一緒には行けない」
それでも、ノゾムの口から出た言葉は、以前と同じだった。
この街に来た頃の彼なら、迷わず彼女の手を取り、一緒に生きていっただろう。
アルカザムを出て、一緒に冒険し、そしていつか、故郷の村に戻って子を成す。そんな人生を歩んでいただろう。
だが、ノゾムの中で、何かが引っかかっていた。
過去の自分が抱いていた、熱い熱情とは違う、穏やかな温もり。
それが、違うのだと、彼に訴えかけている。
そんなノゾムの様子を見ても、リサは落胆するどころか、穏やかな笑みを浮かべていた。
「……ま、分かってたけどね。ノゾム、頑固だから」
「そんなに頑固か?」
「うん、頑固頑固。その辺はノゾムのお父さんとそっくりだよ」
分かっていた。その言葉に、ノゾムはどこか申し訳なさそうな表情を浮かべる。
彼の負の気持ちを察してか、リサは苦笑しながらも、彼の後ろめたさを払うように、プラプラと軽い調子で手を振っていた。
「前も言ったでしょ。ノゾムはちゃんと約束を果たしてくれたって」
屈託のない笑みを浮かべながら、リサは一度ノゾムから視線を外して呟く。
「私はやっぱり、本物の冒険者になりたい。ノゾムは将来、どうなりたいの?」
やるべきことではなく、やりたいこと。義務でも責務でもなく、願望。自分がなりたいものは何か。
そう言われても、やはりノゾムには何も思いつかない。
頭に浮かぶのはティアマットのことや、自分の異能について。そして、前に進めていない現状に対する焦燥のみ。
「……分からない。色々ありすぎて……」
「ふうん、私の告白は受け入れてくれないのに、分からないんだ……」
再びノゾムの心をグサグサと弄び始めたリサ。彼の額に再び冷汗が浮かぶ。
リサに対する複雑な心境から、ノゾムが僅かに視界を逸らす。その瞬間、彼女はストンと、ノゾムの膝の上に乗ってきた。
「リサ、いったい何を……うわ!」
唐突に増した密着度に、ノゾムが上ずった声を漏らす。
一方、リサはノゾムの膝を跨ぐように女の子座りしながら、再びノゾムの瞳を覗きこんでくる。
「やっぱりね。どうにもどうにも悩んでいるみたいだったけど、そういう事か……」
狼狽えるノゾムをよそに、リサは得心がいったというように、天を仰ぐ。
「ねえ、いっその事ノゾムの思い通りにやってみたら? 多分ノゾムは、もう自分のやりたい事、決まってるんでしょ? 今は少し、見えなくなっているだけで……」
もう、自分の道を知っている。リサのその言葉に、ノゾムは思わず息を飲む。
「……同じことをアンリ先生に言われた」
「へえ、やっぱりちゃんとノゾムを見ているんだね、あの先生。もし分からないなら、教えてげようか?」
胸の奥で渦巻く焦燥が、まるで飢餓に陥ったかのような欲求にかきたてていく。
聞きたい、知りたい、この息が詰まるような現状をどうにかしたい。そんな欲求が止めどなく溢れ出してくる。
「……いや、いい。多分、俺がちゃんと答えを出さないといけないと思う。いや、この場合、見直すって言うべき、なのか?」
だが、ノゾムはリサから己の答えを聞くことを良しとしなかった。
それは、自分が見出さなくてはならないこと。他者から聞けば、その時点で人の意思が多かれ少なかれ、混じってしまう。
自分が苦しい思いをしたくない、考えたくない。そんな後ろ向きな気持ちが囁いていた誘惑。それに、ノゾムはキチンと気づいていた。
「うん、さすがノゾム。そうこなくっちゃね!」
そんなノゾムの言葉に、リサも満面の笑顔を返す。
彼女も言葉にはせずとも、こうして地に足を付けて歩み始めたノゾムの姿に心動かされた人間。
だから、ハツラツとした笑みを浮かべながらも、自分の提案をきちんと蹴ってくれた彼に、一層心がときめいていた。
「ノゾム、もし考えてもよく分からなくなったら、もう一回頭を空っぽにしてみたらいいと思うよ」
「空っぽ?」
「うん、アイリスディーナさんとか龍の事とか、余計で無関係な事、全部一回忘れちゃって」
「余計な事じゃないし、無関係じゃ……」
「無関係だよ。実際のところ、ノゾムはアイリスディーナさんじゃないし、フランシルト家の血縁というわけでもない。元々ウアジャルト家との一件は、フランシルト家の問題じゃん? 国だって違うし、一学生が抱えるには問題が大きすぎるよ」
無関係ではないと思わず口にしようとしたノゾムに、リサが言葉を重ねて封じ込める。
だが実際、両家の密約に端を発した問題も、フォルスィーナ国とディザード皇国との国交樹立についても一学生でしかないノゾムに首を突っ込む資格があるわけでもない。
本質的に、この問題については、ノゾムは無関係。
考えてみれば、問題はシンプルだ。ウアジャルト家が、フランシルト家、ひいてはフォルスィーナ国と初の国交樹立を果たすかどうか。
むしろ、ノゾムが下手に介入した場合の方が、事態が複雑化しかねない。だからこそ、ジハードはノゾムに関わるなと釘を刺したのだ。
「もしかしたら、何もないまま普通に条約結んで終わりかもしれないよ?」
「でも、そうならないかもしれない……」
「なら、結論を今考えても仕方ないでしょ。だって、まだ最後の交渉は始まっていないんだから」
未来は見えないし、まだ決まっていない。確定していない未来に不安を抱き続けるのは無意味だ。
それを暗に含んだリサの言葉にノゾムは押し黙る。
「だから、どうしても気になるなら下手に考え続けるより、頭の中からっぽにしちゃえばいい。そっちの方が、自分の夢が見えるし、その為にやるべきことが見える。私は、そう思うよ」
だから、自分に今できることを精一杯頑張っておけばいい。そうリサは言い切った。
膝の上で両手を広げる彼女を前に、ノゾムは大きく息を吐く。
「空っぽ、か……。今のリサみたいにか?」
「そうそう、私みたいに……って、どういう意味よ!」
「いや、鍛冶屋での一件を考えると……ねえ?」
「あれはちょっと、その……実験だったから仕方ないわよ。次からはしっかりと準備するわ」
「慎重さが足りなかったのは認めるんだな……」
恥ずかしそうに顔を赤らめながらそっぽを向く幼馴染に、ノゾムもクスリと苦笑を洩らす。
胸の奥で燻る焦燥が、幾分か和らいだような気がする。
ほんの僅かな安らぎ。
だが、その小さなきっかけが、焦りで凝り固まっていたノゾムの意識を少しではあるが解してくれていた。
「で、いつまでこうしているんだ?」
「ん? 何が?」
「いや、だから、その……」
僅かとはいえ、収まってくれた焦燥。だが代わりに、別の焦燥がこみあげてきた。
リサは未だに、ノゾムの膝の上に乗っかったままだ。
太ももに伝わる、女の子と特有の柔らかい感触に、ノゾムの頬が急激に熱を帯びてくる。
まして、相手は振ったとはいえ、ノゾムにとっては初恋の相手。それだけに、胸に込み上げてくる羞恥は凄まじい。
整った顔と、ほのかに甘い香り。心臓はドクン、ドクンと激しく脈打ち、全身が熱した鉄のようになっていく。
「私はずっとこうしていたいけど? 何なら、ちょっとその辺のお宿に寄っていこうか?」
コテンと可愛らしく首を傾げながら、リサはさらに聞き捨てならないセリフを口にしてくる。
お宿に寄って何をするのか、ノゾムとて分からぬわけではない。ないからこそ、頭の中は大混乱に陥ってしまう。
「お、おいおい、冗談は……」
「冗談だと、思う?」
ノゾムはまるで水面に落ちた虫のように手足をバタつかせて抵抗……できればよかったのかもしれないが、右往左往する頭とは裏腹に、彼の身体の方は完全に硬直してしまっていた。
その間に、リサは両手でノゾムの頬をそっと包むと、スッと顔を近づけてくる。
「え、え?」
「ん……」
冗談っぽく微笑みながらも、瞳には妖しくも本気の輝きを含ませながら、リサの唇がゆっくりとノゾムとの距離を侵食してくる。
艶めかしい色香が彼の脳を蕩けさせる。近づいてくるリサの頬もまた、ほのかに朱に染まっていた。
「ちょ、ちょ……!」
後少しで重なる唇。その距離は、既に互いの吐息を唇で感じ取れるほどまでになっていた。
だが、爪の先程の距離まで近づいたところで、唐突にリサの唇は進むのをやめた。
一秒、二秒、三秒。
そして五秒目で、リサの唇が唐突に離れていく。
「……あ~あ~。肝心なところで邪魔が入っちゃったな~。ま、しょうがないよね。さすがに我慢できないか」
「え?」
先程まで浮かべていた艶めかしい笑みを引っ込めながら、リサはノゾムの膝の上から離れる。
ノゾムの混乱を余所に、スタッと地面に降り立ったリサ。
彼女はベンチに座ったまま呆けている彼を一瞥すると、顔を突き出すように前かがみになると、先程の色気に満ちた者とは違う、闊達とした笑顔を見せた。
「それじゃあノゾム、またね。あ、それから、お店の紹介料として、これも貰っていくから」
そう言いながら、リサはノゾムに見せつけるように、自分の右手を掲げる。
彼女の手には、ノゾムが鍛冶屋で作っていたミスリル製の鈴が二、三個ほど握られていた。
「あっ、いつの間に!」
「良いお店を紹介した紹介料って事で、こっちも貰っていくね。結構たくさん作ってたからいいでしょ。それじゃあね!」
ノゾムが手を伸ばす暇もなく、リサは擦りとった鈴を胸元に入れると、くるりと踵を返し立ち去ってしまう。
残されたノゾムは一人、茫然としたまま、彼女の背中を見送ると、「はあ~~」と大きく溜息を吐いて、ベンチの背もたれによりかかる。
「色々と反則だよ……」
一瞬、かつての想い人に心奪われそうになった。その事実に嘆息しつつも、ノゾムは激しく高鳴る心臓が落ち着くまで、ベンチに座って、冬の薄暗い空を見上げ続けていた。
ノゾムがベンチに座って空を見上げている中、中央公園からは離れたリサは、大通りから路地に数メートル入ると、唐突に足を止める。
「タイミングが悪いというかなんというか。覗き見は良くないわ。そう思うでしょ、シーナさん」
彼女が振り返ると、路地の入口に二人の少女が佇んでいた。
シーナとミムル。学園ではリサと同級生であり、そしてアビスグリーフの一件で、世話になった人達。
その内の一人、シーナ・ユリエルに挑発的な笑みを浮かべながら、ノゾムから掠め取った鈴をチリチリと鳴らす。
その姿に、咎めるようだったシーナの視線に、剣呑な色が浮かび始めた。
リサさん大暴れ。
ヒロイン達との距離が開くのを見るやいな、キスを迫り(一部それ以上も誘う)、主人公が用意したプレゼントを一部横から掻っさらう。
そんなリサの所行を見てしまったシーナさん。
そして、プレゼントの贈り先のアイリスさんは完全に蚊帳の外。