第8章30節
遅くなって本当に申し訳ありません。
4月以降、書籍化だけでなく本業でもバタバタしていて、気がつけばこんなに時間が経ってしまいました。
ワンドールの工房から連れ出されたノゾムは、腕を引かれるまま、職人区の大通りまで戻ってきていた。
タタタ! と軽快な足取りで、リサはノゾムを引っ張っていく。
ノゾムはタジタジになりながら何とかついてきたものの、あまりにも勢いよく腕を引かれていたため、手には相当な痛みが走っていた。
「リサ、ちょっと、手、離して! 痛い、痛い!」
「ん? ああ、ゴメンゴメン!」
我慢の限界にノゾムが声を上げると、リサはようやく足を緩めてくれた。
ようやく腕に走る痛みが治まったことに、ノゾムは安堵から肩を落とした。
「イテテテ……。もう、いきなり何なんだよ……」
「仕方ないじゃない。あのままだと、ワンドールさんの説教が続いていたし」
「でも、あの様子だと、どうせ剣を受け取りに行ったときに説教の続きが始まるだけだと思うよ?」
「あ~あ~。聞こえないな~~」
両手で耳を塞いで天を仰ぐリサに、ノゾムは溜息を漏らす。
仕方なく、彼は反省の色が見えないリサを放っておいて、次の用事を片付けることにした。
鈴はできたが、このまま渡すのは、あまりに味気ない。
せっかくプレゼントするのだから、少し洒落た細工かアクセサリーを付け加えようと考えたのだ。
実際、以前にソミアに鈴を送った時も、彼女が大切にしていた腕飾りの代わりとして、腕につけられるように細工を施している。
「それじゃあ、俺は別の用事があるから、ここで」
「ちょっと待ってよ。このまま帰るつもり?」
歩き出そうとしたノゾムの手を、リサが再び握ってくる。
その声色には、明らかに不満の色が窺えた。
「そう、だけど……」
「……やっぱりちょっと付き合って。行きたい所があるの」
一瞬、眉を吊り上げたリサが、再びノゾムの手を引っ張りはじめる。
先程と比べればリサの足取りは幾分緩やかで、ノゾムの手を引く力もそれほど強くはない。
だが、その手は不思議と彼の手に吸い付き、振り払うことが出来なかった。
「行きたいところって、どこに行くんだよ。というか、言ったけど、他にも用事が……」
「その用事って、さっきワンドールさんの鍛冶場で作っていた、その鈴に関わること?」
「ああ、そうだけど……」
チラチラとノゾムが抱えた包みに目配せを繰り返すリサに、ノゾムは居心地悪そうに、抱えていた包みを体の陰に隠した。
「その鈴をアイリスディーナさんに贈る理由って、開園祭の前にダンス練習をしてくれたお礼でしょ。ってことは、この後のノゾムの用事は、その鈴に着ける装飾探しかしら?」
的確なリサの指摘に、ノゾムは目を見開いた。
ノゾムがアイリスディーナに鈴を送る理由については、リサに語った事はない。
やっぱり……というように胸を張るリサを眺めながら、改めて幼馴染と言う存在の身近さを実感していた。
「そう、だけど……」
「じゃあ、いいお店を知っているわ。結構いい布地や糸が手に入るから、そこに行きましょう」
再び、リサの手にギュッと力が籠る。
ワンドールの店での強引さを思い出させる力強さに、ノゾムの背中に悪寒が走る。
尻込みしているノゾムを察してか、リサの顔にこれ以上ないほどの笑顔が浮かぶ。
傍から見れば見惚れるほどの笑みだが、最近の闊達かつ猪突猛進な彼女を知った今では、不安を加速させるものでしかない。
「大丈夫大丈夫、本当に良いお店だから!」
「いや、知っている、いないに関わらず強引なのは……だから、力任せに腕を引っ張るのはやめろおおおおおぉぉぉぉ!」
ノゾムの不安をしっかりと無視した上で、リサは再び、彼の腕を引っ張って駆け出して行く。
疾走する紅髪の少女に引きずられながら、少年の悲鳴が路地に木霊していった。
強引にリサに連れていかれたノゾムは、彼女が案内した店で買い物を終わらせると、中央公園のベンチに腰を落ち着けた。
細長い木製のベンチに腰を落ちつけながらも、ノゾムは抱えた疲労感を示すように、大きく肩を落とし、息を吐く。
ベンチの脇には紹介された店で彼が購入した品が入っていると思われる袋が置かれており、袋の口から、色彩豊かな布地が顔を覗かせている。
「はあ……酷い目にあった」
「でも、良いもの買えたでしょ」
「まあ、ね……」
再びリサに引きずられ、更なる腕の痛みを抱える羽目になったノゾムだが、彼女が案内した店は、確かに品揃えが豊富で、しかもお手軽な値段を付けてくれる優良店だった。
「染色したシルクバグの糸や布地なんて、早々手に入らないし……」
そう言いながら、ノゾムは脇に置いた袋の口から、顔を覗かせている布を横目で覗く。
ノゾムが購入したのは、アークミル大陸東部で採れる特別な糸で編まれた布地である。
その原料はシルクバグと呼ばれる巨大な虫が吐く糸から作られるが、このシルクバグ自体が、非常に珍しい虫なのだ。
元々シルクバグは、モスガラモスと呼ばれる魔獣が元となっている巨虫である。
モスガラモスは元々害獣扱いされている魔獣で、体色は紫色をしており、鋭い口吻で植物の水分を吸い尽くして枯らしてしまう、農家にとっては困った存在だ。
だが、モスガラモスの中で、稀にシルクバグに変異する個体がある。
シルクバグはモスガラモスと違い、体色が白く、非常に体が弱いという特性を持つ。
動きも鈍く、自然界の淘汰の中で消えていくような存在だが、その幼虫が出す糸は非常に肌触りがよく、高級品として扱われている。
ノゾムが購入したシルクバグの糸と布地は、それほど多くはない。
ぶっちゃけていえば、服を作る際に余った切れ端程度である。
それでも、普通の一般庶民には手の出ない品を売ってくれたのは、ひとえにリサのおかげだった。
「アルカザムだから手に入る品だよね。この甘味もそうだし、アルカザムに来て良かったって思えることの一つだよ」
手に持っている平たいパイのような甘味をパクつきながら、リサが笑みを浮かべる。
彼女が食べているのは、クイニーアマンと呼ばれる菓子。強力粉で作った生地を発酵させ、バターと砂糖で甘みを付けた、アークミル大陸南西部の甘味だ。
塩とバターを使用し、発酵させた後に焼かれた固めの生地は、齧れば外はパリパリ、中はふんわりとした触感を返してくる。
口の中で広がるバターの塩気と甘みは、これ以上ないほどの高揚感と多幸感をもたらしてくれるらしく、手に持つ甘味にハムハムと齧りつく彼女の様は、まるでクルミをもらったリスのようだった。
「そのクイニーアマン、代金払ったのは俺だけどな」
「紹介料だよ、紹介料。私がいたから、そのシルクバグの糸も安く買えたんだよ?」
「分かっているよ。まさかリサにこんな伝手があるなんて……」
今回、ノゾムがシルクバグの布と生地を手に入れた店は、リサが懇意にしていた服飾店であった。
元々は、彼女が一学年の時、初めて開園祭に出る為に衣装を探している際に、学園から紹介された店らしい。
シルクバグの糸を扱うような店は、経営基盤の大きな商店しかなく、高級品ともなれば、当然一般市民に売るようなことは皆無である。
だが、才があるならば、平民でも受け入れているソルミナティ学園が紹介するだけあり、件の服飾店も生徒の事情を慮って、驚くほど割安で衣装を用意してくれるし、頼めば他の装飾品も見繕ってくれる。
もっとも店側も、十分なメリットがある関係を、学園ときちんと結んでいる。
学園から大口の依頼を受けられれば、生徒の為に割り引いた分は十分取り返せるし、将来有望な金の卵達へ良い印象を与えられるなど、長い目で得られる利益を考えての行動だ。
特に、リサのように優秀な生徒達への助力は惜しまないらしく、彼女の鶴の一声で、ノゾムは求めていた以上の素材を手に入れることができた。
「一応、こう見えても将来有望な学園生徒ですからねぇ~~」
自分のコネの広さを自慢するように、リサは、にししし……と小生意気な笑みを浮かべる。
貴族のアイリスディーナに及ばずとも、彼女もまたこの都市の中では、各所にそれなりのつながりを持っている様子だった。
「はあ……。調子のいい事言って……」
「今の私達は、この位前向きで自慢するくらいがちょうどいいよ。生意気なのは若さの特権ってね。はむっ!」
隣で溜息を吐くノゾムの言葉も何のその。
リサは得意げな笑みを浮かべ、手に持ったクイニーアマンにかじりつく。
他人の目を気にせず、後悔の無いように全力を尽くし、失敗は笑って乗り越えよう。
満ち溢れる生命力と気力を振りまきながら笑みを浮かべる彼女の姿に、ノゾムは改めて、彼女が本当の意味で立ち直ったことを実感していた。
「色々あったけど、やっぱり私は、悩むのは性に合わない。下手な考え休むに似たりって言うし」
「さすが、予備の剣を立て続けに爆散させるだけあるな……」
だから、ついついからかいたくなって、こんな言葉も口にしてしまう。
ちょっと意地悪なノゾムの言葉に、リサは最後に残っていた甘味の一欠片を飲み込むと、困ったように頭の後ろを掻く。
「ま、まあ、そっちの方はこっちに置いておいて……。それで、その布地と糸で何作るの?」
まるでコントのように、箱を右から左に動かすジェスチャーも交えつつ、リサは無理矢理話題を変えてくる。
そんな彼女に苦笑を浮かべながら、ノゾムは改めて、彼女が紹介してきた店で買った品に目を落とした。
「どの色を使おうか迷っているけど、紐タイプの髪留めを創ろうかなって思っている。アイリスの髪、長いから」
ノゾムが買ったのは、紫、白、黒、赤の四色の糸と布地。それから、装飾用の飾り玉。
これらの糸を編んで紐を作り、糸に合わせたビーズで装飾を施そうと思っていた。
ミスリルは元々淡い光を帯びた銀色をしているので、ノゾムとしてはアイリスディーナの髪の色にあったものをと考えていた。
ノゾムはチクリと走る胸の痛みを自覚しながら、しばしの間、彼女を想う。
ただ、元々の彼女の髪は黒だが、先の一件で白く脱色してしまっている。
その色に合うのは何がいいだろうか? それとも、元の黒髪を意識したほうがいいのだろうか? もしくは、ソミアちゃんに渡した腕飾りに似たものの方が喜ぶか?
どうすれば、喜んでくれるのだろうか。
気が付けば、そんな問いかけを思い返している。
そんな時、ノゾムの視界に、公園の傍にひっそりと生えた木に、小さな花が咲いているのが目に留まった。
細長い、紫の花弁が特徴的な小さな花。星を思わせる形と、ほっそりとしながらもしっかりとした茎や葉の姿が、どこか彼女の姿を思い起こさせる。
「花……」
「花? ああ、クロウェアの事? 秋から冬にかけて咲く花だけど……」
「ああ、そんな名前の花なのか?」
「ノゾム、よく知らないの?」
「特に薬になるとかは聞いたことがないからな」
「まあ、そうだけど……。あの花は秋から冬にかけて咲く花よ。根付いた土地によっては冬も越せるけど、アルカザムは結構寒くなるし、難しいかな……」
クロウェア。別名、サザンクロスとも呼ばれ、小さな紫の花を咲かせる常緑小低木。
アイリスディーナの長い髪。黒と白、どちらにも似合うと思える紫の花に、ノゾムの頭の中で、イメージがカチカチとはまっていく。
そんなノゾムの様子に、リサが少し窺うような仕草で、ノゾムの顔を覗き込んできた。
「ふ~ん、ノゾムは髪の長いほうが好き?」
特に口にしなくても、リサはノゾムが考えている事を察している様子だった。
さすが、幼馴染と言ったところである。
「いや、そういうわけじゃない。ただ、アイリスには似合っているかなって思って、ね……」
ノゾム自身、アイリスディーナの長く艶やかでまっすぐな黒髪は、迷わない彼女の在り方を示しているようで、ある種の憧れにも近いものがある。
彼女自身も、自ら黒髪が誇りだと言っていた。だからこそ、今の白く脱色した彼女の髪を見ると、ノゾムは己の至らなさを悔しく思う。
(落ち着け、今大切なのは、俺が後悔し続ける事じゃない……)
負のループに囚われそうになっていた自分自身に気付き、ノゾムは今一度、深く息を吸い、大きく、ゆっくりと吐き出す。
吐き出されたと息と共に、胸の奥で渦巻く淀みが、薄れていく。
「似合っている、か……。じゃあ、私の髪は~?」
一方、リサは、ノゾムがアイリスディーナの話題を続けることに少し不満げな表情を浮かべながら、短くなってしまった自分の髪をノゾムに見せるように、指で梳いてみせる。
リサの髪が短くなった事も、ノゾムの暴走が原因だ。
だが、彼女の口元に張り付けられた意地の悪そうな笑みが、ノゾムの罪悪感を瞬く間に押し流してしまう。
恋人ではなくとも、元々共に過ごした時間が長いだけに、そもそも遠慮と言うものが生じ難い。
「……そっちも似合っているとは思うよ」
「ぶ~~。なんか投げやり。とってつけたみたい」
リサは行儀悪く足ばたつかせながら、頬を膨らませ、ブーブーと不平を漏らす。
そんな彼女の仕草に、ノゾムは思わず口元に笑みを浮かべた。
同時に、必要な素材を手に入れるのを手伝ってくれたとはいえ、色々と振り回されたお返しをしてやろうと、悪戯心が鎌首をもたげ始める。
「そんな事はないさ。嘘偽りない、本音だよ。第一、そっちが聞いてきたんじゃないか」
そして、普段受け身なだけに、攻めに入ると一気に踏み込もうとするのがノゾムである。
少し意地悪してやれ。
そんな悪戯心に突き動かされたノゾムだが、彼の悪戯心は、次のリサの言葉に一撃で粉砕された。
「仕方ないじゃん。元彼氏がずっと他の女の子の事をしゃべっていたら、気になるし、不機嫌にもなるよ。私、まだノゾムのこと好きだもん」
「ふぶっ!」
まだノゾムが好き。
軽い口調で発せられた、あまりのもストレートな告白に、ノゾムの悪戯心は瞬く間にしぼんで消えてしまった。
今回はここまで。ちょっと調子を見るために、少し短めです。
続きは28日か29日頃投稿します。
いや、本当に遅れて申し訳ありません。