第8章29節
幼馴染の珍妙な光景を見せられたノゾムは、胡散臭げな表情で、リサとこの工房の主と思われるドワーフを眺めていた。
リサを睨みつけるドワーフの視線は厳しく、リサは逃げるように、キョロキョロと必死に明後日の方向に目を泳がせている。
この幼馴染は何をやらかしたのだろうか?
ノゾムは喉元まで込み上げてくる溜息を必死に押し殺しながら、問題を起こしたであろう人物に視線を向ける。
「リサ、いったい何をやったんだ? そのドワーフの店主さん、尋常じゃない怒り方しているぞ」
「と、ところで! ノゾム、どうしてこんな寂れた鍛冶屋に?」
「寂れていて悪かったな! どうやら反省していないと見える……」
リサがノゾムの質問を無理やり誤魔化そうとするが、肝心のドワーフは怒り心頭といった様子で、さらに厳しい視線をリサに向け始める。
ドワーフは成人でも背は低く、身長もノゾムの胸から腹ほどしかない。
だが、その短躯から放たれる威圧感は、彼の視線を向けられていないノゾムも思わず息を飲むほどだった。
ワンドールの圧力に耐えかねたリサが、ピューっと風のようにノゾムの背中に隠れる。
「リサ、何やってるんだよ」
「ええっと、えへへへ……」
苦笑いでお茶を濁そうとするリサだが、ノゾムにジーっと睨み付けられると、観念したように、何故自分が此処にいるかをポツポツと漏らし始めた。
「ここ、私の行きつけの武器屋さんなの」
「へえ……」
リサの話では、このドワーフの名前はワンドール・カウルという名のドワーフで、この職人区でも特に腕の立つ鍛冶師の一人らしい。
しかし、性格は職人気質全開で頑固であり、簡単には依頼人に武器を作ったりしないとの事。
元々ドワーフは気難しい性格の者が多いが、ワンドールも例にもれず、そのような気質の持ち主のようだった。
逆を言えば、武器を作ってもらえる程度には、リサはワンドールに認められているという事になる。
それにもかかわらず、何故件のドワーフは怒り心頭になっているのだろうか? そんなノゾムの疑問を、アンリが代弁した。
「ワンドールさ~ん、リサさんがいったい、どうしたんですか?」
「この下手くそが、新調してやったばっかりの儂の武具を壊しやがったんだよ」
アンリの問い掛けに、ワンドールは、半ばから折れたリサの剣を突き出した。
壊れた剣はただへし折れたという様子ではなく、剣身のあちこちがヒビ割れ、高熱であぶられたように融解しており、一見しただけで酷い有様だった。
いったい、どんな使い方をしたのだろうか? ノゾムの脳裏に、別の疑問が浮かぶ。
とはいえ、武器である以上、使えば消耗するし、その過程で壊れることは避けようがない。
確かに、武器を作った職人から見れば、自分の武器を壊されることにはいい気分はしないだろうが、武器も鎧も、総じて消耗品である。
いずれ壊れることは、避けられない。
「お怒りは分かりますが、武器である以上、壊れるのは仕方ないんじゃないですか?」
「んなこたぁ、分かってる! 問題なのは、この下手糞が三日に一回は武器を壊して持ち込んでくるところだ!」
どうやらワンドールも、武器が壊れた事そのものを怒っているのではなく、その頻度が異常だからこそ怒っているという感じだった。
ノゾムがチラリと、背中に隠れているリサに目配せすると、彼女は視線を泳がせながら、今度は口笛を吹き始める。
その反応を見て、ノゾムもまた、ワンドールの言う事が真実であると確信した。
「いったい、どんな使い方をしたら、そんな頻度で武器を壊せるんだ?」
「ええ、っと。ちょっと“ニベエイの魔手”の練習してたら失敗しちゃって……。まあ、仕方ないよね! ノゾムの言う通り、形あるものは必ず壊れるって言うし!」
テヘペロ、とごまかすように笑顔を振りまくリサに、ワンドールのゲンコツが炸裂した。
ドワーフの短躯には似つかわしくない見事な跳躍から振り下ろされた拳が、リサの脳天に直撃する。
「いったあああい!」
「阿呆が! 満足に得物を扱えない己の未熟の言い訳をしおって!」
激痛に悲鳴を上げて頭を打さえるリサと、再び大噴火するワンドール。
「ううう、無茶したのは悪いと思ったけど、ここは挑戦すべきだって思ったんだもん!」
リサの話では、この異常な頻度での武器破壊は、ニベエイの魔手の実験に熱が入った結果らしい。
いったい、どういうことかと詳しく聞いてみると、どうやらリサは、ニベエイの魔手で強化した魔法を、より精密に収束させられないか、試そうとしたそうだ。
元々、火力に優れているリサだが、ニベエイの魔手を使用した際の突破力は、瞬間的にSランクに届く。
それは、ノゾムが暴走した際に、彼女が最後の一手を決めたことからも明らかだ。
そして、リサは、自らのニベエイの魔手のさらなる研鑽を行おうとしていた。
彼女が参考にしたのは、ノゾムの幻無やアイリスディーナの魔法剣。
そして、幻無も月食夜も、非常に緻密な制御力を必要とする。
制御力の向上が威力の向上に直結することは、ノゾムとアイリスディーナの二人を見ていれば、非常に納得ができる。
同時に、その精度は今のリサには及ばぬ領域であり、また、そこに挑戦することにリサは冒険心が疼いたのだそうだ。
とはいえ、リサの魔法資質は、制御よりも威力に偏っている。その為、アイリスディーナのような精緻な魔法剣を作ることは難しい。
なら、どうすればいいか?
悩んだ結果、リサはとりあえず、足りない制御力を補う為、自分の剣に陣を描くためのインクで魔力を制御する術式を描いた。トムが行っていたような、陣式による魔力制御を試そうとしたのだ。
しかし、実験してみたはいいものの、トムのような高品質のものができる訳もなく、注いだ魔力はまるで底の抜けた桶に水を汲んだように、駄々漏れになってしまった。
やむを得ず、リサはトムに頼み込み、ティマが使用していた制御術式の一部を刻んでもらったものの、今度は制御術式が起動できない事態に陥った。
元々、異種混合術式を含めたトムが新しく作り上げた術式は、今のところ、ティマクラスの魔力があることが前提である。
その為、術式起動に必要な魔力が足りなかったのだ。
「そこはなんで、普通の制御術式を刻まなかったの?」
「ほら、私の得意な魔法って、火属性に偏っているじゃない。それに、ティマさん用の制御術式なら、ニベエイの魔手を使っても、十分な強度があると思ったから……」
魔力の制御術式は、古今東西、様々な種類がある。
陣式魔法の発動の為に回路の役割を果たすものから、各種属性に適したもの。
属性変換効率の向上、魔力相互作用による出力の向上、さらには術式自体の補強など、その種類は星の数ほどある。
その中でも、トムがティマの為に作った術式は、四属性に適性がある彼女の為に作った特注の術式だ。
その基本は各属性に適した魔力制御術式を円環状に配置し、さらに特別な術式を刻むことで完成する。
また、膨大なティマの属性魔力を受け止めるために、その魔力制御術式の強度は折り紙つきである。
その四属性の魔力制御術式の内、火属性を担っていた術式が、リサがトムに頼んで刻んでもらった術式だった。
「後は、ちょっと使ってみたいな~と思ってたから……」
(なるほど、そっちが本音か……)
頬を掻きながら、視線を彷徨わせるリサを見て、ノゾムは幼い頃を思い出していた。
好奇心の強い彼の幼馴染は、村に馴染んだ後も、よく冒険と称して色々な事をやらかしていた。
彼の故郷で一番のトラブルメーカーと言えば、間違いなくリサである。
つまるところ、リサがティマ専用の制御術式に手を出したのは、好奇心にそそのかされたからであり、引っ込みがつかなくなったのも、彼女の冒険心の暴走が原因であった。
実際、リサは魔力不足で諦めるようなことはせず、魔力が足りないなら、他で補えばいいとばかりに、魔石の粉末を持ち出して魔力を補っていた。
さらに、ニベエイの魔手を連続使用。結果、リサの剣は増幅された魔力と倍加し続けた威力に耐え切れずに大爆散したらしい。
「……アホか」
「ちょ、ノゾムまで酷い!」
口から思わず出た言葉にリサが抗議してくるが、ノゾムとしてはこの件については、彼女を庇う気がまったく起きなかった。
そもそも、トムの異種混合術式はティマクラスの魔力だけでなく、獣化したフェオの卓越した制御力があって初めて成り立つ。
それでも、術式起動による反動はすさまじく、媒体が再使用不可能になるまで損壊するほどだ。
当然、リサ一人で制御しきれるような術式ではない。
さらにタチが悪いのは、今のリサが一度の失敗で諦めるような気質ではなく、自分の限界を高めるいい試練だと、この無茶な実験を続行した事だろう。
「もしかして、開園祭の時も使ってたとか……」
「さ、さすがに、そんな術式を施した剣は使わないよ! それに、実験に使っていたのは、予備の剣だし……」
歯切れの悪いリサの言い訳を聞き流しながら、ノゾムは改めて、砕けたリサの剣に視線を落とした。
既に剣としては完全に死んでおり、見るも無残な有様だが、煤で汚れた剣身を拭うと、ひび割れて溶解した剣身の端に、艶やかな光沢が顔を覗かせる。
予備武器とはいえ、その質はリサ愛用の剣に勝るとも劣らない品だったに違いない。
(トムの奴、きっといいデータが取れると思ったから、ポンポンと気易くこの術式を施したんだろうな……)
全てを纏めると、この悲劇は、リサの冒険熱とトムの研究熱が空回りした結果だったというわけだ。
「はあ、まったく……」
最近、フェオに続いてトラブルの元になっている友人に対し、ノゾムは呆れたような声を漏らした。
「リサ、それはさすがに無茶だわ」
「まあ、今はちょっとやりすぎたって思っているけど……。というか、こと鍛錬に関してノゾムに無茶とか言われたくなーーーい!」
「やかましい!」
「ぎゃん!」
ワンドールのゲンコツが、再びリサを襲う。
二段目のたんこぶを頭にこさえたリサは、再び工房の床に突っ伏す羽目になった。
そんな彼女の様子に溜息を吐きながらも、ノゾムは妙な懐かしさを覚えていた。
幼い頃、冒険と称してリサがノゾム達を連れ回した後、彼女は母親によく怒られており、リサの母親も元冒険者の為か、叱る際はよく手が出ていた。
同時に、過去の情景と重なるリサの姿が、彼が惹かれた少女が本当の意味で立ち直ったことを示している。
かつて惹かれた少女の冒険心溢れる姿に、ノゾムは心の奥で安堵の息を漏らしていた。
「まったく……それで、坊主は何の用で、ここに来たんだ?」
「ちょっと、炉を貸していただけないかと……」
リサの所業にワンドールが呆れた声を漏らしながら、ノゾムにこの店に来た要件を話すよう促してくる。
ノゾムの用事を聞いたワンドールは、思い出したように手を叩くと、おもむろにノゾムが差している刀に目を向けてきた。
「ああ、アンリの嬢ちゃんから話は聞いている。聞いているが……条件がある」
「条件?」
「ああ、お前の腰の刀、“無銘”を見せろ。それが条件だ」
予想外な条件に、ノゾムは思わず、自分の腰に帯びる刀に手を添えた。
無銘。ノゾムの師匠、シノの愛刀であり、東方では名の知れた元妖刀。
愛刀の意外な出自に、話を聞いたときは驚いたが、既にシノが調伏していたため、ノゾムにとっては極めて優れた愛着のある刀という感覚しかない。
とはいえ、ティアマットの力を注がれても壊れないあたり、並外れた刀であることは疑いようがなかった。
金属に愛された種族と称されるドワーフが気になるのも、無理はない。
「良いですけど……」
ノゾムは愛刀を腰の剣帯から外して、ワンドールに手渡す。
渡された刀を鞘から抜くと、ドワーフの鍛冶師は無名の刀身を矯めつ眇めつすると、ふんっ、と鼻を鳴らした。
「気に食わん刀だ。儂も大概偏屈だが、この刀を作った奴は儂以上にひねくれ者だ。使い手のことなど微塵も考えておらん。作るだけ作って、後は知らん、好きにしろと、使い手も刀自身の事も完全に投げ捨てておる」
「…………」
愛刀の散々な言われように、ノゾムは思わず閉口する。
曰く付きの刀と言う事は聞いてはいたが、それとは違う方向でボロクソに罵られている。
もっとも、罵られているのは刀そのものでもなければ、担い手のノゾムでもなく制作者なので、ノゾムとしてもなんとも言えない。
微妙な表情を浮かべるノゾムの視線の先で、ワンドールはパチン、と刀を鞘に納める。
「……まあいい。約束は約束だ。それで、なんで、炉を貸してほしいなんて言ってきたんだ?」
「恩人への贈り物を作りたいと思いまして……。俺の命を救ってくれた人が、自分が作った鈴が欲しいと言ってくれたんです。ですので、作れる炉を貸していただけたらと……」
突き出されるように返された愛刀を腰の剣帯に戻すと、ノゾムは用意した材料をワンドールに見せた。
ノゾムが用意したのは、拳一つ分の真鍮。
苦学生のノゾムには貴金属はどうにも手がとどかず、用意できたのはこれだけだった。
ワンドールはノゾムが用意した真鍮を一瞥すると、フン……と鼻を鳴らす。
「鈴はどの位の数を作るんだ?」
「ええっと、予備も含めて十数個作れれば……」
それだけを聞くと、ワンドールはおもむろに工房の壁に据え付けてある棚に向かった。
工房の壁一面を占有している棚の一つを開けると、中から銀色に輝く一塊の金属を取り出して、ノゾムに放り投げる。
投げられた金属をキャッチしたノゾムは、手のひらに収まるほどの塊を目にして、思わず顔をひきつらせた。
「俺が見ている間だけ、貸してやる。それから、その屑石は材料としてはあまり良くはない。こいつもついでにくれてやるから、さっさと作れ」
「ちょ、ワンドールさん、これミスリル銀……」
ノゾムの隣で覗き込んでいたリサも、ノゾムの掌の上の金属を指さして顔を引きつらせている。
ミスリル銀。
非常に高価な魔法金属で、武器や防具としても優れた素材であり、同時に光沢のある銀色から、破邪の金属として、大陸各所に伝わる伝説にも出てくる素材だ。
この素材を使った武具を纏うことは一種のステータスであり、腕に覚えのある騎士や貴族、魔法使いなどが好んで使っている。
また、叩くととても澄んだ音を響かせることも特徴で、極めて稀なことだが、打楽器などにも使用された例がある。
だが、元々採掘量が乏しく、少なくとも、単なる鈴を作るために使うような金属ではない。
「おら! さっさとしねえか!」
「は、はい!」
茫然としている二人を他所に、ワンドールは怒声でノゾムを促すと、炉に素材となるミスリル銀を突っ込ませた。
炉の温度を上げると、溶けたミスリル銀が粉雪のような光を湛えながら、出鋼口から流れ出してくる。
流れ出たミスリル銀を伸ばして一枚の薄い鋼板を作ると、続いて円形に打ち抜き、一対の円盤を作っていく。
続いて、円盤を熱しながら半球を作り、片方に溶かしたミスリル銀でリングを付け、もう片方に音を出すための切れ込みを入れる。
半球の型が完成したら、ミスリル銀の玉を入れて、半球同士をくっ付けて溶接すれば、鈴の大まかな形ができる。
最後に、余計な部分をやすりで削り落とせば完成。
そうしてノゾムは、ミスリル銀で合計十二個の鈴を作った。
完成した鈴の一つを、ワンドールが手に取って鳴らしてみる。
シャリン、シャリン……と、涼やかな音色が響いた。
「ふん、一応形にはなっているが、微妙に雑音が混じっているな。商品としては、どんなに足下駄履かせても、中の下って所か」
「ア、アハハハ……」
辛辣なコメントに、ノゾムは顔を引きつらせる。
ノゾムにとっては過去最高のできなのだが、このドワーフには鼻で笑うようなレベルの物だったらしい。
もっとも、相手はこの道一筋の鍛冶職人である。
にわか細工師でしかないノゾムが作った鈴に低評価を下すのは、ある意味当然と言える。
むしろ、“中”という言葉を引き出せただけでも、ノゾムとしては十分だった。
ノゾムが完成した鈴を布でくるもうとすると、リサが背中越しに、できたミスリル銀の鈴を覗き込んできた。
「ねえ、ノゾム。その鈴を送る相手って、アイリスディーナさん?」
「ええっと、そうだけど……」
「……なんで?」
「頼まれたから?」
「ふ~~ん……」
音調の低い声を耳元で響かせてくるリサに、ノゾムは嫌な予感がした。
不機嫌になっている。むくれている。ふてくされている。へそを曲げている。
同時に、ザワザワとした寒気が背中に走り、バクッ、バクと、心臓が鼓動を速めていく。
ギラつき始めたリサの瞳に、ノゾムは死んだ師の面影を思い出していた。
「ねえノゾム、この後、時間ある?」
「え? いや、いや、ちょっと用事が……」
よし、逃げよう。ノゾムはコンマ一秒で撤退を決めた。作ったばかりの鈴を布でくるんで、いそいそとその場を後にしようとする。
だが、身をひるがえそうとする彼を押し止めるように、リサの手が後ろから肩に置かれた。
同時にリサの手に力が入り、ノゾムの肩からミチミチと異音が響き始める。
肩に走る鈍痛に、ノゾムは思わず硬直した。
「そう! あるのね! よかったわ。じゃあ、付き合って。ワンドールさん、また来るから、その時までに新しい剣、よろしくね!」
「いや、リサ。だから、俺は用事が……って、ちょっとおおおおお!」
「おい、コラ、小娘! 代金は先に払え!」
ワンドールが怒声を上げながら腕を振り上げるが、リサはまったく聞いていなかった。
硬直したノゾムの体を引きずりながら、風のように工房から駆け出していく。
あっという間にいなくなった問題児に、ワンドールは振り上げた腕の行き場を無くし、仕方なく、近くにあった椅子に腰かけた。
「全く、あの小娘め……」
手近にあったパイプを手に取り、おもむろに煙草を吹かせ始める。
ワンドールがパフパフとパイプを噴かすたびに、甘い香りが工房に立ち込め、くゆる白煙が空中に輪を描きながら、天井へと立ち昇って消えていく。
そんな彼の様子を眺めながら、残されたアンリはご機嫌な様子で、笑みを浮かべていた。
「ふふ、ワンドールさん、随分とリサさんの事がお気に入りなんですね~」
「そんなんじゃねえ。俺が知る限り、あの小娘は随分と陰気臭かったが、最近かなり変わってきたから、少し驚いているだけだ。そういうお前こそ、随分とあの小僧に入れ込んでいるみたいじゃねえか」
ワンドールが知るリサは、ノゾムとの確執で追い詰められていた頃の彼女である。
剣腕は確かに、若い連中の中では突出していた為、ワンドールとしては自分の槌を振るう事に否はなかったが、あまり関わり合いになりたい客でもなかった。
だが、最近の彼女は冒険心に溢れ、挑戦する事に生きがいを感じ、なんともワンドール好みの性格に変わりつつある。
確かに、武器を壊す頻度が激増した事には辟易しているが、彼女の性格の変化は、彼にとっては好ましいものだった。
ワンドールも、今の明るく、冒険心に溢れる姿が本来のリサであり、彼女が自分を取り戻せたのも、傍にいた一人の少年のおかげであることはなんとなく察していた。
「ええ、ノゾム君、いい子ですから~。できるなら、同じ教師として、一緒の職場で働きたいですね~~」
「やれやれ、本当に入れ込んでいるな。まあ、俺もあの刀を見たから、あの小僧の腕前については疑う気はねえんだが……」
ワンドール程の鍛冶師ともなれば、武具を観るだけで、担い手の技量を正確に把握できる。
そして、一流の鍛冶師として観たあの少年の技量は、ワンドールが知るどの剣士よりも突出していた。
刀身に残された傷や、掛かった圧力の痕跡。
素人目には決して見えないその爪痕が、担い手の技量がどれほどの高みにあるかを、雄弁に語ってくるのだ。
「それで、ワンドールさんはノゾム君の事が、どう“視”えましたか~」
だが、ワンドールがなによりも驚いたことは、ノゾム本人の技量ではない。
それは、このドワーフが持つ“アビリティ”が齎した、刹那の光景。
「…………」
アンリの視線が、ドワーフが垣間見た光景を語るように催促してくる。
ワンドールは今一度、パイプをくゆらせながら、“無銘の深奥を覗いた”時のことをも思い返しながら、ゆっくりと口を開いた。
「知っているだろうが、俺のアビリティは、何もかもを見通すとか、そんな大層なものじゃねえ。
武具に使われた鉱物に宿った担い手や作り手との縁から、過去から未来までの光景の一部を、鏡合わせのようにして覗いているに過ぎねえ。だから、確定的な事は言えんし、全てが断片的だ」
一流の鍛冶師としての彼が持つアビリティ。それは、“岩の囁き”と呼ばれる特殊能力。
これは、鉱物を介して、未来や過去などを見通す、一種の神がかり的な能力だ。
土地によっては“精霊憑き”とも呼ばれる能力の一つで、太古の昔では祭事など重要な儀式の際に、このような力の持ち主が、祭司を担ったりしていた。
今日、この店にアンリがノゾムを連れてきたのは、鈴を作りたいという彼の希望をかなえたいという事もあるが、“岩の囁き”を持つワンドールにノゾムの行く末を観てもらう事が一番の目的だった。
ノゾムの行く末を占ってもらい、自分に何ができるのか?アンリはその指針を得たかったのだ。
もちろん、ワンドール自身も、ノゾムには興味があった。
彼もまた、アルカザムに来て長い。武技園で大侵攻の英雄相手に大暴れした生徒については、噂は聞いていた。
その人物が持つ得物が、東方では伝説的な鍛冶の作った刀と聞けば、一鍛冶師として、関心を抱かずにはいられない。
「それでも、これだけは言える。あれは別格だ。武具の作り手も、刀そのものも、その担い手も。あまりにも鮮烈すぎて、正直口にしたくねえ程にな……」
だが、興味本位でノゾムの刀を観たワンドールだが、その内心に浮かんだ想いは、後悔であった。
古今東西、様々な鉱物や武具に触れてきたワンドールだが、ノゾムと彼が持つ無銘は、あまりにも異質すぎて、彼自身も言葉にできなかった。
彼がノゾムの刀を観た時の感想を一言でいえば“まるで鎖に雁字搦めにされて、海の底に沈み続けている”というもの。
あまりにも深く暗い闇と、痛みを伴う息苦しさ、常に心臓を万力で締め付けられているような恐怖。正直、ワンドール自身、引きつりそうになる表情筋を押し殺せたことが不思議で仕方なかった。
だが、そんな闇と痛みしかない暗闇の中で唯一、朧気ながら視界に浮かんだ光景があった。
「俺が視えたのは唯一つ。鮮血に塗れた巨大な屋敷と、銀髪の女。その前で血まみれで横たわっている、あの小僧だ」
「その銀髪の女性は?」
「顔はよく見えなかった。だが、若い女だったな」
ワンドールはそれだけを伝えると、火床に戻り、再び槌を振るい始める。
恐怖と後悔はあった。だが、一つの極致に至った刃に込められた狂気に魅入られるのも、また鍛冶師の宿命とも言えた。
担い手の資質と想いに共鳴し、万華鏡のように変化する刀。
いったい、どのような技術をもってすれば、そのような刀を生み出せるのだろう?
怖気が走るほどの恐怖を覚えてもなお、万華鏡の刃は虹色のような輝きを持って、ワンドールの好奇心と鍛冶欲を掻き立てていた。
鉄が打ちたい。ドワーフの鍛冶師の想いを示すように、キン、キン! と甲高い音が再び鳴り始めた工房。
暫しの間、アンリは口元に手を当てて考え込んでいたが、やがて工房を後にすると、速足で学園へと戻っていった。
ワンドールは、アンリが去っていった店の入り口を一瞥すると、再び炉の炎に向き直る。
その日、炉の炎と鉄を打つ音は夜が更けても止むことはなく、職人区の一角に鳴り響き続けた。