第8章第26節
久しぶりの更新です。それから、重要な報告があります。
アルカザム北部の行政区。
エグロードは滞在のために借り受けた屋敷の二階にある一室で、眼下の庭を眺めていた。
彼の視線の先には、自らが率いてきた鉄骸騎士団が鍛錬を行っている。
鉄骸騎士団はエグロードお抱えの騎士団であり、その実力はフォルスィーナ国の中でも有数である。
人材の質は銀虹騎士団には及ばないが、軍隊特有の厳しい規律と訓練に裏打ちされた高い統率力と組織力、総合力を持っている。
自らの騎士団が厳しい訓練をこなしている様を眺めながら、エグロードは内心、心躍るのを感じていた。
元々、エグロードは軍事畑の人間であり、このような訓練を眺めることは、彼の余暇の過ごし方でもあった。
ひとしきり、騎士達の鍛錬を見通したエグロードは、傍に置いてある呼び鈴を鳴らした。
「メクリア、いるか?」
「はい、ここに」
エグロードの求めに応じて、メクリアが姿を現す。
臣下の礼をとるメクリアに対し、エグロードは率直な質問をぶつけた。
「あの小僧を、こちらに来るよう誘ったな。私は火中の栗は風見鶏に取らせると言ったはずだ」
エグロードがメクリアを呼んだのは、開園祭の時、なぜノゾムを勧誘したのか確かめるためだった。
エグロードは開園祭でのパーティー前に、メクリアに対し、ノゾムには干渉しないように言い含めている。
しかし、メクリアは開園祭のパーティーで、媚薬まで使ってノゾムを自分側に引き入れようとした。
背信とも言えるような行為であり、エグロードが詰問することも当然だった。
「申し訳ありません。ですが、後の事も考えれば、繋ぎは取っておく必要があると考えました」
メクリアの弁明に、エグロードは眉を顰めながらも、考え込むように顎髭をなでる。
この女性が、理由なく目をつけられるような行動をするはずがないと知っているからだ。
ノゾム・バウンティスは学園の生徒ではあるが、フランシルト家とは懇意にしており、それはもはや公然の関係として、周囲に認知されている。
フランシルト家が窮地に陥れば、ノゾム・バウンティスは間違いなく動こうとする。
「こう言いたいわけか? 上手くいくなら介入して、フランシルトの力をさらに削るべきだと……」
「はい、機を見て先を制すのは、戦では常道かと……」
「だが、ウアジャルト家との約定の件で多少動揺しているが、あの風見鶏の力はまだ強い。地の利がまだ相手にある以上、中途半端な介入は逆に悪手だ」
「ですが、木を枯らすには根から、と申します。まずはその根に杭を打ち込んでおくべきかと……」
臣下の言葉に一定の理解を示しながらも、あくまで不干渉を貫こうとするエグロード。
一方、メクリアはあくまで、ある程度の接触は必要だと主君に進言する。
両者の意見は基本方針としては一致しても、その細部には明らかに違いがあった。
「ふん。相変わらず、食えない女だ」
「ありがとうございます」
エグロードがメクリアに向ける言葉や態度は、信を置く臣下に対して向けるには、どこか無機質で、温度を感じさせないものだった。
メクリアも、エグロードの対応には慣れているのは、まったく抑揚を感じさせない返答をしている。
「……お前の言いたいことは理解した。今回は見逃そう。だが、これ以上の介入は許さん。下がれ」
「失礼いたします」
結局、エグロードはパーティーでのメクリアの独断を許しはしたが、これ以上の介入は認めないと明言した。
主と臣下という間柄や、メクリアの独断行動もあるが、重用してきた部下に対するものにしては、あまりにも冷たすぎるやり取りだった。
メクリアが退室するのと入れ違うように、黒い鎧を着た壮年の男性が入ってきた。
やや小柄ながら、鍛え上げられた体躯を持つこの人物は、彼は鉄躯騎士団の団長であり、エグロードがこの街に連れてきた信を置く配下の一人。
名はベルディク。
重役を任せられるだけあり、その容貌は厳めしく、厳格な雰囲気を漂わせているが、身長はそれほど大きくないだけに、どことなく若い子熊を連想させる人物だった。
「お屋形様、どうしましたか?」
「何でもない」
ベルディクにそれだけを言うと、エグロードは再び騎士団の訓練風景を眺め始める。
「彼女をお呼びになっていたので?」
「ああ、聞くことがあったからな。それで、どうだった?」
臣下の質問は軽く流し、エグロードは頼んでいた案件を報告するよう促す。
ベルディクはチラリと確かめるように、メクリアが去っていった入口に視線を飛ばすが、直ぐに主へと向き直り、滔々と調べていた案件を報告し始めた。
「調べましたが、こちらの調査員が全員捕縛、ないしは殺害されているため、ケン・ノーティスの一件で彼女が動いた形跡は確認できませんでした。しかし、事件前に彼女は、ある男をアルカザムに呼び寄せていたようです」
エグロードがベルディクに調査させていたのは、メクリアがアルカザムにいた間の活動に関する裏付け調査。一種の監察だった。
しかし、エグロードが送り込んだ人員は、ゾンネとジハードの奮闘により、全員が拘束、隔離されてしまっていた。
そのため、メクリアがアルカザムにいた間の活動について、裏付けを取ることはできなかった。
しかし、メクリアがアルカザムの外に接触をした事案については、ある程度の裏付けは取れていた。
その中で、エグロードが気になったのは、彼女が私兵として呼び寄せた一人の人物。
「ふむ、屍烏か」
「はい、出身、経歴、本名、一切不明の凄腕の傭兵。しかし、標的だけでなく、雇い主も気まぐれに殺すなど、思考や行動が理に適っていない生粋の狂人です」
「開園祭のパーティーで、メクリアの隣にいた痩身の男だな」
屍烏。
メクリアが私兵として、アルカザムに呼び寄せた狂人であり、暗殺者として常識外の実力を持つ傭兵。
あまりにも多くの命を刈り取り、血を流し続けたその様から、死を呼ぶ凶兆として、いつの間に定着していたあだ名が、そのまま彼を呼ぶ名となった。
屍烏が殺してきた人間の中には、Sランクに属する強者もおり、その実力と雇い主すら容易く手に掛ける狂気から、各国でも第一級の危険人物としてマークされている。
「アルカザムに来る前は、クレマツォーネ帝国に雇われていたようです」
クレマツォーネ帝国。その名前が出た瞬間、険しいエグロードの目付きがさらに険しくなった。
「もしかしてだが、その時に屍烏を雇っていたのは……」
「はい。抗争に勝利したヴィトゥン派の人間です」
クレマツォーネ帝国は強大な国家であるが、ここ十数年は国内の派閥対立により、内憂を抱えている状態だった。
しかし、ここ最近、片方の派閥の主要人物が次々と亡くなり、派閥対立が一気に解消に向かっていた。
そして、その対立に勝利した側に、推定Sランクの暗殺者がおり、対立解消直後に”仮想敵国側に雇われて”アルカザムに来ているとなれば、話は一気に胡散臭くなる。
「私は正直、彼女は信用なりません。確かに能力は突出していますが、いかんせん何を考えているのか分からないですし、何より“彼女も”出自が知れません」
そして、ここで問題となるのは、メクリア自身も、出身地は不明である点である。
メクリアはまだエグロードが当主となる前に、ファブラン家に仕官した女性だった。
本人の話では、山賊の襲撃で滅んだ村の出身で、流れの術師に師事していたが、師が逝去。
その後、食い扶持を稼ぐために仕官先を探し、エグロードの元に身一つでやってきたとの事だった。
「だが、使える女であることは間違いない。実績もある」
初めは出自の知れぬ娘と思っていたエグロードだが、メクリアはその余りに優秀な手腕で数々の実績を上げた。
愚鈍な前当主を隠居させるのにも一役買っており、その実績はエグロードの臣下の中で、右に出る者はいない。
だが、エグロードもまた、海千山千の貴族の一人。
彼は、臣下の礼をしてくるメクリアの影に、彼女が何らかの野心を隠していることを、ヒシヒシと感じていた。
「確かに、あの女は野心家だ。何を欲しているのかは分からんが、尋常ならざる欲をその内に秘めている。
だが、どんな野心を抱こうと、現実として我らの益となっているのであるのなら、相応の褒美は与えるさ……」
どんな野心を抱こうと、敵対せず、実益を伴うのであれば、エグロードはその実績を正当に評価する。
清濁も合わせて飲み込めるか否かが、支配者に必要な事だと理解しているからだ。
実際、彼はメクリアに相当な財と広大な屋敷を与えている。
しかし、同時にそれは、もし裏切るのであるなら、即座に排除することを意味していた。
「フランシルト家の方ですが、ウアジャルト家との交渉に入るようですが……可能なのですか? 吸血鬼などの危険な種族と交易など……」
一般的な吸血鬼に対する認識は、人の血を吸い、怪物に変える化け物であるというものだ。
長大な寿命、強大な魔力と数々の異能。
血を吸わなければ生きていけない等の欠点があるという事を差し引いても、人と比べてあまりにも強力な種族だ。
実際、血に狂った吸血鬼によって、滅んだ村や町の話は存在しており、普通に考えれば、そんな種族との貿易など不可能と考えるだろう。
「十年前なら不可能だっただろう。しかし、今では条件を整え、交易地と接触する人間を限定すれば、厳しいながらも無理ではないだろうな……」
しかし、そんなベルディクの予想とは裏腹に、エグロードが発した言葉は、フランシルト家の行動を肯定するものだった。
自分の意見とは反する主の言葉に、ベルディクは首を傾げる。
「御屋形様は、吸血鬼と面識は……」
「ない。吸血鬼など、ここ百年の間、表に出てはいないからな。だが、知識としてできる可能性があると知っていれば、話は別だ。そういう意味では、この街の存在意義も捨てたものではないな」
ベルディクには、エグロードの考えは読み切れていない。
だが、この豪胆な主が、可能性はあると言えば、それは事実なのだろうとも納得していた。
ベルディクは、一兵卒だった時にエグロードに見いだされ、騎士団団長まで上り詰めた人間だった。
故に、彼がエグロードに向ける忠誠は、国王に向けるものよりもはるかに大きく、エグロードが願えば、王殺しですら厭わないと、彼自身が自負するほどだった。
「とにかく、今は気にする必要はない。監視と情報収集だけは怠らないように」
「はっ!」
敵対した時は容赦なく切り捨てると、言外に含ませながら、エグロードは話を終わらせる。
鉄躯騎士団団長のベルディクも、主の意思に深々と礼を返した。
しれっと更新しました。
リハビリを兼ねているので、ちょっと短めですが、ご容赦を。
それから、前書きにもありましたが、重要な報告があります。
詳細は次話及び活動報告で行います。