第8章第25節
ヴェリの授業は本格的に実技に移ったのか、ティマとヴェリの2人が、それぞれ魔法を実演しながら講義をしている。
手持ち無沙汰になったノゾムは、とりあえず隣に立つマルスに声を掛けた。
「なあ、マルスは何時からこの場所に来ているんだ?」
「開園祭の少し前からだな。お前があの爺と鍛練し始めた頃からだ」
「そう、か……」
二人がエクロスに来るようになったのは、ノゾムがゾンネに師事を受けてかららしい。
ノゾムも、最近はゾンネとの鍛練に忙しく、マルスとティマが知らない所で、色々とやっている事は全く気がつかなかった。
しかし、ノゾムとしてはこうして目の当たりにすると、二人の意外な面が見えてきたような気がした。
「ちょっと、意外だな」
「ん? 何がだ?」
「マルスがここに来ていることもそうだし、ティマさんもあんな風に積極的な様子は、学園じゃ見たこと無かったからな」
強さを求めて、魔気併用術の習得を目指しているマルスが、こんな風に鍛練以外の事に時間を割いていることもそうだし、ティマがこうして子供達に教師のような事をしていることも意外だった。
特にティマの方は、普段の大人しくて口数の少ない姿が完全になくなり、積極的に子供達に講義をしている。
使う術式や魔力量の調整などにも細かく指導し、少し冒険心を見せて危険な事をしようとした子供には、しっかりとした口調で諌めている。
「ああ、アイツ、弟がいるからな。齢の頃も近いから、話しやすいんだろ」
「よく知っているな……」
ノゾムの言葉に、マルスはフン……と息を吐いて、黙り込んでしまった。
照れているのか、頬が若干赤く染まり、目元が少し緩んでいる。
マルスの視線はずっと子供たちを始動するティマに向けられており、その口元には、どこか楽しそうな色を帯びていた。
「変わったな……」
「ああ、アイツか? 最近色々ありすぎたせいか、自分の力に踏ん切りがついたらしい。
この授業の手伝いも、ティマが自分から参加を申し込んだからな」
マルス自身が変わったと思ったノゾムだが、その言葉はどうやらマルスにはティマの方に向けられていると思ったらしい。
しかし、マルスが変わってきているように、ティマも、マルスと一緒にいることで変わってきているようにノゾムは感じた。
「踏ん切りって?」
「あいつの話じゃ、以前は自分の強すぎる魔力が嫌いだったらしい。でも“今ではこの力があって良かった”ってよ……」
「そっか……」
ノゾムと関わり始めてからのティマは、ここ半年弱の間に、数多くの困難を乗り越えてきた。
その経験は、彼女自身が、自分の強すぎる魔力に対しての考え方を変えるには十分だったようだ。
ノゾムは、隣で楽しそうにティマ達の様子を眺めているマルスを覗き見る。
ティマの変化に最も影響を及ぼしたのは、おそらくマルスの存在だろう。
おおよそ性格が合うとは思えない両者。
だが、いつの間にか近くなっていた二人の距離に、ノゾムは少しの驚愕を覚えながらも、胸から湧き上がる喜びに笑みを浮かべた。
そんな風に考え込んでいる時、ノゾムは不意に横から声を掛けられた。
「ねえねえ、お兄さん。ちょっといいですか?」
ノゾムが声のするほうに目を向けると、三人の少女が並んで立っていた。
その内、真ん中の少女が、トトト……とノゾムに近づいてくる。
「ん? 君は……」
ノゾムは歩み寄ってきた少女に、奇妙な既視感を覚えていた。
一体どこで出会ったのかと、ノゾムが思い出そうとしている間にも、件の少女は笑みを浮かべてノゾムに話しかけてくる。
「お久しぶりです。あの時はお世話になりました」
「あの時って……」
「ソミアと一緒に図書館から帰るときに、暴漢に襲われた時の事です」
「ああ、ケンの起こした事件の時の。怪我はなかったのかい?」
少女は、ケンが暴行事件を起こした際に巻き込まれたソミアの友人だった。
名前はランサ。ソミアの同級生で、夜遅くまで図書館で一緒に勉強するぐらい、仲のいい友人だ。
「はい! ノゾムお兄さん達のおかげで、大丈夫でした」
屈託のない、明るい笑顔を浮かべて、ランサと呼ばれた少女はノゾムに頭を下げる。
「ノゾムお兄さん。せっかくこうして話せるので、ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「聞きたいこと? 俺に? 良いけど……って、マルス、どうしてそんな嫌な顔しているんだ?」
「…………」
ノゾムがふと、隣から重苦しい空気を感じて顔を向けてみると、マルスがこれ以上ないほど嫌そうな顔を浮かべていた。
「マルスお兄さん、どうしたんですか? そんな不機嫌な顔しちゃ、ティマお姉さんに嫌われますよ?」
「うるせえ、話しかけんな」
「おい、マルス……」
年下の少女に対して、突き放すような言動をするマルスをノゾムが諌めようとするが、ノゾムの言葉は、軽い調子で手を振るランサの声に遮られた。
「ああ、いいんですよノゾムお兄さん。マルスお兄さんは、照れているだけって知っていますから」
マルスの怒気を前にしても全く動じない少女の胆力に、ノゾムは驚く。
最近はかなり丸くなってはいたが、マルスは見た目通り、かなりの問題児だった。
学園外での喧嘩などは日常茶飯事で、その結果、最下位クラスの十階級に落とされていたほどである。
そんな元問題児のガン付けともなれば、幼い子供なら泣き出しかねない迫力がある。
「それで、ノゾムお兄さん。改めて質問、いいですか?」
「ノゾム、止めておいた方がいいぞ」
マルスの言葉にノゾムは妙な不安に駆られるが、せっかく話しかけてくれた年下の子にも悪いかと思い、彼女達の質問に答えることにした。
「……まあ、いいよ」
「よかった! みんな、いいって!」
満面の笑顔を浮かべたランサが手招きをすると、後ろに控えている残り二人の少女がノゾムに近づいてきた。
「こっちはメリー。あっちにいるのがキネアです。お兄さんが、ソミアの言っていたお兄さんなんでしょ?」
「ええっと、みんなソミアちゃんの友達かな?」
「はい! そうなんです! みんなで一緒に勉強したり、遊んだりしているんですよ」
この二人も、ソミアとはかなり親しい間柄らしい。
三人ともノゾムに対し、興味津々というような視線を向けてくる。
しかし、その視線は、先程ノゾムがミカグラ流刀術をお披露目していた時に向けられていたものとは違い、何故かどこか浮ついた、生暖かいものだった。
ノゾムが自身に向けられる奇妙な好奇心に首を傾げていると、ランサからこれ以上ない程ストレートな質問がぶつけられてきた。
「それで、ノゾムお兄さんに聞きたいんですけど、ソミアとはどこまで行ったんですか?」
「……はい?」
ランサの言葉の意味が分からず、ノゾムは思わず気の抜けた声で聴き返してしまう。
「あの娘、お兄さんの話はよくするのに、どこまで進展したか全然話そうとしないんです。せっかくの機会だし、ここでお兄さんから聞いておこうと思って」
「あの、君は一体何を……」
「それで、どこまで行ったんですか? デートは当然として、キスはしたのでしょ? それ以外には? 一緒にお風呂とかは入ったの? あ、もちろん、ソミアのお姉さんとのお話でもいいですよ!」
「してないよ! 君はいきなり何を言っているんだ!」
間隙なく、矢継ぎ早に繰り出される質問の内容は、どう考えてもソミアのプライベートを直撃するようなものだった。
しかも、極めてデリケートな内容な上、ちょっと道を踏み外したらピンク一色に染め上げられそうな危険物。
さらには、ちゃっかりアイリスディーナの情報まで聞き出そうとしている。
嵐のようにぶつけられた予想外の質問を前に、ノゾムは思わず大声を上げて否定してしまう。
一方、質問を否定された側のランサは目を見開き、ありえないというような表情を浮かべていた。
「本当にしてないんですか? キスは? まさかデートすらしてないの?」
かわいらしい猫なで声を、重苦しくドスの効いた声に変えて、質問を続けるランサ。
その様子は、質問というよりは追及とか、詰問と言われるもので、その妙に様になっている姿に、ノゾムは思わず正直に答えてしまう。
「……いや、デートはしたよ?」
「なるほど、デートはしたんですね。それじゃあキスは? 当然、お兄さんからしたんですよね?」
「…………」
どうやら、一つの問いかけに答えると、質問を二つ三つ増やされて返されるらしい。
これ以上変な質問をされてはかなわないと考えたノゾムは、沈黙でランサの質問に答える。
しかし、この少女もまた神童と呼べるほど察しがいいのか、沈黙するノゾムの様子から、しっかりと真実を感じ取っていた。
「なるほど、ソミアからしたと……。それで、どんなシュチィエーションだったの!? 二人で座ったベンチ? 帰り道で送った屋敷の前? それともベッドの上とか!?」
「うわぁ……」
答えようが、黙っていようが、繰り返される桃色質問の嵐に、ノゾムは辟易とした声を上げる。
しかも、ランサの言葉の中に、ノゾムがキスされた状況がしっかり混じっている。
思春期を前にした少女特有の、色恋に対する行き過ぎた興味からなのかもしれないが、それにしたって鋭すぎる。
色恋限定なのかもしれないが、この友人相手に答えを誤魔化し続けていたソミアに、ノゾムは改めて、彼女もまた神童であることを理解した。
そうして同時にノゾムは思った。この娘は、間違いなくフェオやミムルと同じタイプの人間だと。
下手に火が付いたらどこまでも熱くなり、暴走した挙句周囲を巻き込み続けるトラブルメーカーであると。
「始まった。だからやめとけって言ったんだ……」
マルスが呆れたような声を漏らす。
どうやら、彼もランサの質問攻撃の被害にあったことがあるようだ。
むしろ、被害にあったからこそ、あそこまでランサに対して拒絶反応を示していたのだろう。
ノゾムは質問を受ける前に感じていた嫌な予感が的中したことに、内心で頭を抱えた。
「え、ええっと……。まあ、ソミアちゃんが何も言っていないなら、俺から言う事はないかな」
「ええ~。せっかくソミアとの関係を赤裸々に語ってくれると思ったのに~~。もしかして、ノゾムお兄さんもマルスお兄さんと同じでヘタレなんですか?」
思わず“誰がヘタレだこの野郎!”という罵声が口から出そうになるが、ノゾムは全力で喉元までこみ上げてきた言葉を飲み込んだ。
確かに、ノゾムは幼馴染の関係修復に年単位の時間がかかったし、未だに自分の将来を見通せていないし、アゼル襲撃事件での暴走で落ち込んだりしているが、ノゾムにとって相手はソミアと同じ、年下の少女である。
ここでムキになるのは、あまりに大人げなさすぎると、ノゾムは僅かなプライドを総動員して、自分の口を縫い付ける。
「誰がヘタレだこの野郎!」
一方、ノゾムと一緒にヘタレ対象にされたマルスは、案の定、抑えがきかなかった。
「ええ~。マルスお兄さんもティマお姉さんのこと好きなの丸わかりなのに、全然認めようとしないんですもん。意地でも答えてくれないし……やっぱヘタレ?」
「こ、このガキ……」
成長してそれなりに落ち着いているように見えるが、煽り耐性は低いままなのか、マルスは怒りでプルプルと震えている。
一方、ノゾムはランサの目が自分からマルスに移ったことに一安心。そのまま気配を消してフェードアウトを試みている。
親友と言いながらも、矛先が逸れたら遠慮なく囮にしているあたり、ノゾムもかなりフェオやミムルの影響を受け始めているのかもしれない。
とはいえ、授業中にこんなに騒いでいたら、目立たないはずがなかった。
「マルス君、ランサちゃん。二人とも何やっているの?」
案の定、ヴェリの手伝いをしていたティマがランサ達を、叱るような口調で諫めてくる。
マルスの言う通り、ティマは自分の弟と同い年ぐらいの相手をしているからなのか、学園にいる時のオドオドとした様子はまるでなく、頼れるお姉さんといった雰囲気を醸し出している。
「ティ、ティマお姉さん。いや、ちょっと……」
「なんで俺まで怒られるんだよ……」
もっとも、今のランサにとって、ティマは怖いお姉さんに見えているのかもしれない。
授業中に余計なことをしていたことは自覚しているのか、叱られたランサは肩をすぼめて小さくなってしまう。
一方、弄られただけのマルスは、不満げな様子だった。
「ランサちゃんに何を言われたのかは分からいないけど、マルス君も年下の子にそんな声上げちゃダメだよ」
しかし、マルスの不満も、ティマの一言で封殺された。
ソミア位の幼い少女相手に、声を荒げるのは、確かに大人げない。
マルスもその辺りは自覚があるようで、素直に頭を下げた。
「わ、悪かった……」
「ランサちゃんも、今は授業中です。ヴェリ先生の所に戻りなさい」
「は、は~い!」
「それと、ノゾム君は好意でこの授業に参加してくれているの。何を話したのかは知らないけど、その人を困らせるようなことは、感心できないよ?」
気まずさを誤魔化そうと、やけに元気いっぱいに返事をしていたランサだが、しっかりと追加の説教が加えられた。
本当に、今の彼女は頼れるお姉さんである。
「は、はい……。ノゾムお兄さん、変なこと聞いちゃってごめんさない」
「気にしなくていいよ。驚いたことは確かだけどね」
恐縮した様子を見せながらも、ランサはノゾムに対して、素直に頭を下げた。
きちんと謝罪してくれるなら、ノゾムとしても別にかまわない。
ランサもソミアの友人だけあって、根っこの部分は素直ないい子だった。
ノゾムとマルスに頭を下げたランサ達を連れて、ティマはヴェリの元に戻ろうとする。
ノゾムとマルスも邪魔をしてはいけないと思い、もう少し離れた場所から見学しようと、訓練場の端に移動しようとした。
「あ、あの、ノゾムお兄さん、待ってください」
だが、移動しようとしたノゾムを、ランサが引き止めた。
授業に戻っていく友人たちを置いて、再度ノゾムの元に駆け寄ってくる。
「何?」
「ええっと、最後に一つだけ、いいですか?」
どこか躊躇しているようなランサの言葉。
先ほどのふざけた様子はまるでなく、その表情には何故か不安の影が色濃く映っている。
ノゾムがチラリとティマの様子を確かめると、彼女はノゾムと視線を合わせて小さく頷いてきた。
どうやら、今度はランサの質問に答えて欲しいらしい。
ノゾムが改めてランサと向き合うと、彼女は少し怖がるような様子を見せながら、小さく口を開いた。
「ソミア、明日はちゃんと来れますよね? あの子、最近は頑張り過ぎていましたから、体調を崩しただけですよね?」
彼女が不安だったのは、親友であるソミアの事だった。
フランシルト家とウアジャルト家との会合について、彼女もまた知っているのだろう。
そして、フランシルト家の置かれている状況と、親友の欠席から、ノゾムと同じような不安に駆られたのだ。
「……ああ、大丈夫だよ。明日には来れるさ」
ノゾムが伝えることが出来たのは、ノゾムにとって願望ともいえるような、根拠のない言葉だけだった。
それでも、少しでも彼女の不安を紛らわせればと思い、ノゾムはランサを励ますように笑みを浮かべる。
「……良かったです」
ノゾムの答えを聞いたランサは微笑みつつも、その表情はまだ不安の影を残していた。
その表情から、ランサもノゾムの答えに根拠がないことは理解していることが分かる。
彼女もまた、ソミアの家が抱えている状況を知っているが故に、一筋縄ではいかないことを、察しているのだろう。
それでも、不安を押し殺して笑顔を作れるあたり、この少女は親友想いで、同時にまだ幼く儚い存在であった。
「ノゾムお兄さん。ソミアやソミアのお姉さんの事、よろしくお願いしますね」
「……ああ、俺で出来る事なら、全力を尽くすよ」
ノゾムは、ソミア達の現状を何一つ明言できないならば、せめて、自分が示せる自分自身の意志は示そうと、”全力を尽くす”という言葉をランサに返した。
ノゾムの胸の奥で疼く、消える事のない不安と後悔。それを抱えていたとしても、ノゾムにとって譲れない想いは、変わらない。
ノゾムの意思を聞いたランサは何も言わず、授業に戻るために駆け出していく。
背中を向けて去っていくランサの表情は、ノゾムには見えないが、彼女を迎えたティマとヴェリは、確かな微笑みをその口元に浮かべていた。
だが、彼らの願いとは裏腹に、次の日からもソミアがエクロスに来ることはなかった。
ヴェリの授業が一通り終わると、ノゾムはアンリ、マルス、ティマとともに、エクロスを後にした。
エクロスの正門を通り、中央公園に面した通りへと出る。
「アンリ先生、炉のほうは……」
「大丈夫、話は通しておくからね~」
アンリはノゾムに話を通すことを約束すると、まだ教師としての用事が残っているのか、エクロスの校舎へと戻っていった。
エクロスへと戻っていったアンリを見送ったノゾムは、とりあえず、鈴を作る算段ができたことに一安心する。
ノゾムが安堵し、寮へと戻ろうとしたとき、隣を歩いていたマルスがノゾムに声をかけてきた。
「それじゃあ、ノゾム、ここでな」
「あれ? 二人とも何処へ?」
「まだ学園に用があるの。トム君たちとマルス君の魔気併用術についてね……」
どうやらマルス達もまた、学園に用事を残しているらしい。
「わかった。明日また、学園で」
「ああ、また明日、な」
ノゾムはマルスと別れを交わすと、ノゾムはそのまま街の方へと歩いて行った。
「さてと、行くか」
去っていくノゾムの背中を見送ったマルスは、ノゾムとは逆方向。学園へと足を進める。
その隣に、ティマが静かに寄り添う。
マルスは気力充実といった様子で、相当に気合が入っている。
一方、そんな彼の様子を見つめるティマの表情は芳しくない。
「ねえ、マルス君、本当にするの?」
「ああ。そろそろ、俺ももう一歩、前に進んでもいい頃だろう」
「でも……」
確かめるようなティマの口調。
今までの、一緒に魔気併用術を鍛錬してきた二人だが、マルスを心配するティマの様子は、明らかに今までとは違っていた。
どこか、不安をぬぐい切れない表情。
しかし、そんなティマの表情を見るマルスの目には、絶対に引くことはないと思える強い意志の光が宿っていた。
「止まれねえ。止まるわけにはいかねえ。アイツに追いつくには、走り続けねえといけねえ」
マルスにとって、ノゾムは親友であり、ライバルと言える存在だ。
一時、彼もまた己の未熟ゆえに、魔気併用術の制御に失敗し、暴走したことがある。
その経験から、彼は己の未熟を理解し、制御しきれない技術や力に対してはある程度の余裕を持ち、習得にも段階を踏むようになっていた。
しかし、余裕を持つだけでは、先に進めないことも確かだった。
マルスはトムやティマ、フェオの協力で限定的ながら、魔気併用術を使えたものの、その幅は限定的で、マルスとしては十分ではなかった。
ゆっくり歩いていくだけでは中々前には進めないし、壁を乗り越えることもできない。
必ず、どこかで勝負をしなければならない。
幼い頃に胸に宿った、自分を置き去りにした父親への憤怒と、力への渇望は、いまだにマルスの中で燻っている。
だが、それ以上にマルスは、自分の親友には負けたくなかった。
魔気併用術以上の力に翻弄されながらも、抗うノゾムの姿を思い浮かべながら、マルスは自分の拳を握りしめる。
「あと少しなんだ……。それに、今はやれるだけの事はやっておきてえんだ。分かるだろ?」
「うん……」
マルスもティマも、開園祭でノゾムとアイリスディーナの周囲で起こった一部始終を目の当たりにしている。
マルスもティマも、以前にルガトと刃を交わしているが、対外的にノゾム以上に部外者な二人は、開園祭の時は何もできなかった。
フランシルト家とウアジャルト家の接近、ノゾムに対して異常な興味を抱いていた吸血鬼の姫。
最近、騒動に敏感になってきたマルスの感が、再び自分の周囲がきな臭くなってきていることを告げていた。
「失敗したら、また頼むぜ」
「もう、調子のいい事ばっかり言うんだから……」
既に、道は見えていた。必要なのは、最後の一歩。
目の前の崖を飛び越えるための、最後の踏み切り。
そして、失敗すれば奈落に落ちるかもしれないと分かっていても、飛び出す勇気だった。
一方、失敗した後のことを丸投げするマルスに、ティマは呆れ顔でため息を漏らす。
それでも、不安の中でも、苦手だった異性に対して軽い口調で話せるようになっているあたり、この少女もまた成長していた。
「行こうぜ」
「……うん」
互いに確かめるように頷くマルスとティマ。
夕暮れ時の紅の地面に、寄り添うように並ぶ二つの影が、学園へと流れていった。