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第8章第19節

 ノゾムの元を離れたシーナは、一直線に目的の人物に近づいた。

 一人は歳を召した血縁関係にある老エルフ。もう一人は役者のように整った容貌と金糸のような髪を持つ、青年のエルフだ。


「久しぶりじゃな、シーナ」


「お久しぶりです、トリフォリウム様」


「そのような他人行儀はよせ。儂はお前の親も同然だ」


 トリフォリウム・ルート

 シーナの曽祖父に当たる老エルフ。

 エルフの避難里を統べる長老の一人であり、立場的にもこの開園祭に参加できるだけの人物である。

近しい親族がいなくなってしまったシーナに残った唯一の血縁者であり、後見人でもあった。


「ラウルス様もお久しぶりです」


「うん、久しぶりだね」


 ラウルス・フォリウム。

 トリフォリウムの御付きとしてこのアルカザムに来た青年エルフ。

 もちろん彼も開園祭に参加するだけの有力者である。

 彼の立場は、エルフと他種族との交渉窓口。

 大侵攻で故郷を追われ、他所の土地で生きなければならなくなったエルフにとって、他種族との交渉は必要不可欠であり、それ故にこの青年エルフはとても重要な役目を担っている。


「ここは少し騒がしい。外に出るぞ」


 トリフォリウムはそう告げると、シーナ達の返答を待たずに背を向けて歩き始めた。

 ラウルスとシーナが無言で後に続く。

 三人は大広間を出ると、迎賓施設の庭へと足を向けた。

 月の光に照らされた庭には照明用の魔力灯が灯され、静かな風が大広間の喧騒を微かに響かせている。


「そのドレス、とても似合っているよ」


「ありがとうございます。このドレスは友人の父上から贈られた物でありますので、私の友人も嬉しく思っているかと思います」


 とろけるような美声と笑みで賛辞を述べるラウルス。

 だが、シーナは丁寧な礼を返しつつも、その表情をピクリとも動かさない。

 事務的なシーナの対応に、ラウルスは苦笑いを浮かべた。


「相変わらずだね。一応、僕は君の婚約者だけど……」


 実はこのラウルス、シーナに宛がわれた婚約者候補の一人である。

 大侵攻以降、元々種族全体が衰退しているエルフにとって、次世代を担う存在を作ることは急務だった。


「ラウルス様、確かに貴方様は婚約者候補の一人ではありますが、正式に決まったわけではありません。それに私は、まだ伴侶を決める気はありません」


 シーナの硬質な返答に、ラウルスはやれやれと言った様子で両手を上げた。どうやら、このようなシーナの態度には慣れているらしい。

 そんなシーナの態度に眉を顰めたのはトリフォリウムである。

 

「シーナよ、今一度言う。同胞の里に戻るのだ」


「固辞させていただきます。私は私のすべきことがあります」


 元々シーナがアルカザムに来ることに反対していただけはあり、トリフォリウムが彼女に向けた声色は硬い。

 一方、シーナもそんな曽祖父の意見は読んでいたため、即座に拒否の意思を示す。

 シーナの返答を聞いたトリフォリウムが、呆れとも苛立ちとも取れるような表情を浮かべた。


「まだ言うか。お前一人で何ができる!?」


「私一人ではありません。信頼し、背中を預けるに足る友人がいます」


「友人? 信頼? 他種族がか?」


「はい」


「言を弄し、笑みの奥に暗い策謀を隠す異種族が信じられると? バカバカしい」


 シーナの言葉をトリフォリウムが一蹴する。

 エルフから見れば、言葉という回りくどい手段でしか意思の疎通が出来ず、しかも分かり合えない他種族は信用するに値しない、と言うのがトリフォリウムの考えだった。


「トリフォリウム様、彼らは精霊と共に生きることが難しい種族です。無理はないかと」


 トリフォリウムの隣に控えるラウルスが忠言するが、その言葉の端には人族への隔意が混ざっている。

 エルフがここまで他種族に対して頑ななのは、精霊という言葉を交わさずとも理解し合える存在が近くにいることも大きい。

 そんな存在が幼い頃から傍に居る環境で育てば、言葉という回りくどい手段しか使えず、なおかつ互いの意思を十分に通じ合わせることが出来ない他種族は劣って見えるだろう。

 さらに、謀で騙された経験があるなら、なおさらその考えは強くなる。

 

「ですが、その考え故に、私達は故郷を失ったのではないですか?」


「…………」


 反撃ともいえるシーナの言葉に、トリフォリウムが黙り込む。

 彼女の言う通り、客観的に見て、その考えはエルフが故郷を失う原因の一つといえるからだ。

 異種族というものを信じ切れなかった彼らは、魔獣の侵攻を受けた際、最後の最後まで自分たち以外の助力を拒み、その結果、故郷を失った直後もこれ以上ないほどの苦境に立たされてしまっている。

 トリフォリウムもその結末を知っているからこそ、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。


「まあまあ、二人とも、少し落ち着いて」


 ラウルスが険悪な雰囲気を放ち始めた二人の間に割って入る。


「トリフォリウム様、彼女がこういったら聞かないことはご存知でしょう? シーナも、落ち着きなさい。長老様の言葉は厳しいけど、君を心配しての事だ」


 ラウルスの言葉に、シーナとトリフォリウムは気まずそうに視線を逸らす。

 もっとも、双方、自分の意見を曲げる気はないのか、美麗な口元を真一文字に引き絞っている。

 そんなシーナとトリフォリウムの様子に、ラウルスは仕方ないと言うように肩をすくめた。どうやら、彼がこんな風に二人の間に入るのは、一度や二度ではないらしい。

 しかし、ラウルスはすぐに真面目な表情を浮かべ、シーナに向き直る。


「だけど、トリフォリウム様の考えには賛成だ。今の君はこの都市にいるべきじゃない」


 その言葉に、強張っていたシーナの眉が更に引き上がる。


「そんなことはありません。精霊との契約も取り戻し……」


「嘘だね。いや、本当に取り戻したのかもしれないが、少なくとも、今の君は精霊の契約が出来ないだろう?」


「……何のことでしょう」


「誤魔化そうとしても無駄だよ。むしろ、この都市に来る前よりも弱くなっている。おそらく、魔力を練り上げる事すら困難な状態みたいだね。今日の模擬戦で、あの程度の炎弾すら相殺できなかったのが理由だ」


「…………」


 ラウルスの言葉に、シーナは心臓を射貫かれたように一瞬硬直した。

 彼の言う通り、今のシーナは精霊契約はおろか、自分の魔力を練ることすら難しくなっていた。


「トリフォリウム様が内心反対されながらも、君がアルカザムに行くことを許したのは、その魔力だけでもそれなりに自衛できたからだ。だが、その魔力すら練れないそんな状態で、いったい何ができる?」


「…………」


「理由は、あの青年かな?」


「っ!?」


 図星を突かれ、白雪のように真っ白なシーナの顔が真っ青に変わる。

 シーナの不調の原因。それはノゾムとの血約の儀が原因だった。

 ノゾムの異能である封魂の縛鎖。

 ティアマットすら封じ込める強力な異能は、血約の儀によってつながったシーナの魂にすら影響を及ぼし、彼女の能力を著しく減退させていた。


「やはり、ね。しかも、その様子だと、血約の儀まで行っているみたいだね」


「……なんだと!?」


「先ほど、あの少年と話しているときに感じたよ。二人の間に感じた強い契約を」


 ラウルスが続ける言葉が、シーナをさらに追い詰めていく。

 多種族との交渉窓口を担うだけはあり、ラウルスもまた極めて優秀な能力を持っている。

 そんな彼の眼にはシーナとノゾムとの間に結ばれた強い契約をしっかりと見抜いていた。


「軽率なことをしたものだ……。エルフと人種、唯でさえ違う種族同士な上に、血約の儀まで……」


「シーナ! お前は人間にその一生を捧げる気か!」


 シーナの行動によほど頭が痛くなったのか、ラウルスは手を額に当てて天を仰ぐ。

 一方、トリフォリウムはすでに冷静さなど消し飛んでいるのか、唾を飛ばしながらシーナに詰め寄っている。


「……私の意思は変わりません」


 知られたくなかった事実を全て看破されたシーナは俯きながらも、ただ一言、意地を張るように拒絶の言葉を言い放つ。

 そんなシーナの姿に、ラウルスは嘆息を漏らすと、トリフォリウムに向き直った。


「トリフォリウム様、今日は下がりましょう。どうやら、今の彼女には何を言っても無駄みたいです」


「ふざけるな! このような大事、このままにしておけるか!」


 血縁の同族が辱められたとでも思っているのだろうか?

 いざともなれば、元凶であるノゾムに害意を向けそうなほど、トリフォリウムは激高している。

 そんな長老を前に、ラウルス冷静さを保ったまま、淡々とした口調で述べる。


「ここはアルカザムです。その庇護下にいる彼を害するのは、エルフとしてもするべきではありません」


 エルフという種族全体で考えれば、このアルカザムで騒動を起こすなど、百害あって一利なしである。

 他種族との交渉を担っているラウルスにとって、元凶であるノゾムを害するという選択肢はまずなかった。

 とはいえ、トリフォリウムにとっては、曾孫の一大事。頭が茹で上がっている今の状態では、ラウルスの論述だけでは効果が薄い。


「ここで無理に連れ戻しても、どのみち彼女は納得しないでしょう。

それに、シーナ自身も、こんな弱体化した状態でこの学園に居続けることはできませんよ。おとなしく、諦めるのを待ちましょう」


 だからこそ、シーナの現状を絡めて説得しにかかった。

 能力を大幅に減退させられた今のシーナでは、ソルミナティ学園に残り続けることはほぼ不可能である、と。

 ラウルスの言葉にトリフォリウムもしぶしぶ納得したのか、厳しい表情を浮かべたまま、踵を返した。もうこれ以上言うことがないということなのだろう。

 それはシーナが曽祖父の干渉から逃れられたということの証左だが、シーナの表情は暗く、今にも崩れ落ちそうだった。


「シーナ。君が血約の議を行い、己の夢を放棄してまで尽くそうとしていることは分かった。

 僕としても、これからのエルフにとって、異種族との友諠は必要だと思っている。

 だけど、私達エルフという種は数的には既に瀬戸際まで来ている。軽率な行動は控えるべきだったよ」


 エルフは大侵攻によって数が激減し、種を維持するための成人個体数が相当減ってしまった。

 もし何らかの理由で再び人口の大減少が起これば、種を維持するための最小存続可能個体数すら危ぶまれる状態である。

 長命ゆえに次世代の個体が生まれにくいという特性が裏目に出た結果だった。

 このまま数が減り続ければ、エルフという種がこの地上からいなくなる。その瀬戸際は、実はエルフにとって遠くない現実であった。

 また、種族の個体数変動の大きな要因の一つに、環境変化がある。

 今のエルフにとって、避難している里は決して住みやすい環境ではない。その個体数を維持し、さらに次世代のエルフを増やすためにも、故郷の森の奪還は必要だし、その為にも他種族との協力は必要不可欠である。

 当然、シーナもその現実は理解している。

 シーナが故郷を取り戻すことを夢見ていたのも、家族への復讐だけではなく、この環境変化と最小存続可能個体数の問題もあったからだ。


「周囲の反対を押し切ってこの都市に来た、君なら理解していると思ったんだけどね……」


 故郷を取り戻す。

 その願いをずっと抱いて走り続けてきたシーナにとって、ラウルスの言葉は深々と胸に突き刺さった。

 自分の夢が閉ざされた現実を、明確に突きつけられたから。






 トリフォリウムとラウルスが帰った後も、シーナは独り、迎賓施設の庭に立ち尽くしていた。

 そんなシーナに、さらなる追い打ちが待っていた。

 

「シーナ、どういうこと?」


 シーナの前に、ドレス姿のミムルが現れた。

 予想外の相手が現れたことに、シーナの表情に動揺が走る。


「ミムル、どうしてここに……」


「なんか、ただならない雰囲気で庭に出て行ったから、後を追いかけたんだけど……。それで、どういうことなの?」


 一瞬の沈黙が、シーナとミムルの間に流れた。


「何でもな「何でもないわけないよね? ちなみに話は全部聞いていたから」っ!」


 ひた隠しにしていた事実を知られたことに、シーナは言葉を失う。

 青ざめた唇を噛み締め、蒼い絹手袋に包まれた両手をギュッと握り締める。


「今日の模擬戦でも調子がおかしいと思ったけど、まさか魔力すらろくに練れなくなっているなんて……」


 彼女としても、シーナの調子が悪そうだということは気付いていたが、まさかここまでひどい状態だとは夢にも思わなかったのだろう。

 ミムルは困惑したように額に手を当て、天を仰いだ。


「そして、原因がノゾムにあると……。彼は知っているの?」


「……知らないわ」


 その言葉を聞いて、ミムルは無言で踵を返す。

 迎賓施設へ足を進めるミムルの背中に異様な威圧感を感じたシーナが、怯えたような声で親友を引き留めようとした。


「……待って、何をする気?」


「決まっているでしょ。シーナの状態をノゾムに話すの。私は精霊契約についてはよくわかんないけど、このままじゃ絶対ダメだもん」


「っ、それはダメ!」


 その言葉を聞いた瞬間、シーナは噴火のように湧き上がる恐怖心に突き動かされていた。

 すぐさまミムルに駆け寄り、その手を掴んで彼女を止める。


「ダメ? 何でよ?」


 何故、止めるのか。

 責めるような視線で見返してくるミムルに、シーナの瞳が揺れる。


「今の彼は、ティアマットのことで手一杯よ。これ以上負担をかけるのは……」


「だからって、このまま黙っていろって? シーナこそ、ふざけているの!」


 ミムルの激昂が、揺れていたシーナの心を揺さぶる。

 まっすぐに、実直に、愛しい人に素直に好意を伝えるミムルにとって、シーナの行動は絶対に容認できないものだった。


「……好きなんでしょ、ノゾムの事」


「す、好きって……」


「分からないと思ってるの? お堅いエルフのシーナが血約の儀までして力になりたかったって、そういうことでしょ」


 いつの間にか胸に抱き、大きくなって、ついさっき自覚した恋心。

 必死になって隠そうとしていたその感情を、シーナの親友はいとも簡単に見抜いて口にする。

 もっとも、ミムルにとっては、恋に不慣れな親友の感情など分かりやすすぎた。

 何故なら、彼女はずっと、トムという幼馴染に恋をしているから。

 この点だけ見れば、ミムルはシーナの百倍は経験値がある。


「好きな人の力になりたいって気持ち、私はよくわかる。だけど、これはダメ。このまま黙っていたら、シーナ、絶対後悔するよ」


 だからこそ、親友の間違いをこのままにはしておけなかった。

 自分の感情を押し殺した結果なんて、どんな結末になっても後悔するとミムルは考えているからだ。

 それでも、シーナはミムルの手を放そうとしない。

 いい加減焦れたミムルは、シーナの手を無理矢理振りほどこうとする。


「シーナ、いい加減……」


「ダメ、それでもダメなの」


 力を込めていたミムルの手が硬直する。

 普段頑固で、まるで委員長のように悪ふざけをする自分を叱り飛ばす親友とは思えないほど、弱々しい嘆き。

 思わず振り返ったミムルの目には、涙を瞳一杯に溜めながら、縋るように見つめてくるシーナの姿があった。


「この儀の事を知ったら、ノゾム君をさらに追い詰めることになる。ただでさえ、二度も私達に刃を向けてしまって、焦っている彼を……」


 それなりにこの学園で彼らと一緒の時間を過ごしたミムルも、ノゾムが最近抱えている焦燥には察しが付く。その無茶苦茶な鍛練についても。

 あの白龍の翁に直談判して弟子入りし、早朝から濃い疲労の色と、咽るようなノゾム自身の血の香りを、全身から漂わせていたからだ。

 同時に、シーナの悪い予感にも想像がついた。

 焦燥に駆られている今のノゾムに“シーナの夢を潰した”という話は劇薬に等しいだろう。

 あの心優しい、青年には特に。

 もしノゾムがもう一度ティアマットに取り込まれたら、今度こそ呼び戻せるかどうかわからない。


「大丈夫、私は大丈夫だから……」


 自分の夢も、自分の恋心も、すべてを押し殺して、シーナは微笑む。

 無理やり作られたクシャクシャな仮面の笑顔を前に、ミムルは唇を噛み締めることしかできなかった。





 一方、迎賓施設でノゾムはある人物と対峙していた。


「初めまして……ではありませんわね。ノゾム殿」


 かつて、アイリスディーナと共に一度だけ会った貴婦人。

 背中を大きく開いた紺のドレスに身を包み、緩やかなウェーブを描いた絹のような紫髪が、これ以上ないほど妖艶な雰囲気を醸し出している。

 一度会ったら忘れられないほどの美人。しかし同時に、その笑みを浮かべた美麗な相貌に、氷のような冷たさを秘めていた。


「貴方は……」


「メクリアです。お久しぶりですわね。少し、お話しませんか?」


 そう言って彼女が指差したのは二階のサロンへと続く階段。

 背筋が凍るような視線を向けられながら、ノゾムはゴクリと唾をのんだ。



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