第8章第17節
開園祭は、ソルイナティ学園のオープンキャンパスであると同時に、学生たちの一大イベントでもある。
当日は日中に学園が一般に開放され、内外から様々な人達が学園を訪れる。
授業などは普段と変わらないが、一般人にも公開されるため、学生達はいつもより気合が入っている。
もっとも、メインとなるのは夕方から行われるパーティーだ。
各成績優良者が参加して行われるパーティーは各国の要人達が参加し、学生たちは己の進路を見定め、各国のスカウトはより優秀な人材を得ようと凌ぎを削ることになる。
一方で、アルカザムとしても、各国要人の関係者が数多く訪れるこの機会は、結構の商機である。
要人たちの傍仕えや護衛など、数多くの滞在者がやってくるからだ。
それに伴って、街中がこの商機に乗ろうと活気づく。
「ううう、緊張してきた……」
学園や街中がお祭り騒ぎに浮かれる中、ヴィクトルから貰った小奇麗な正装に身を包んだノゾムは一人、パーティー参加者の控室で胃を押さえていた。
今ノゾムがいるのは、武技園の隣に設けられた迎賓施設。
学園を訪れた要人などをもてなすための場だが、当然ながらノゾムには今まで縁がない場所であり、気にも留めていなかった施設だ。
造りとしては、何となくアイリスディーナの屋敷を思わせるような豪奢な作りで、一階に舞踏場や食事会などを行えるほどの大広間と、パーティー参加者の控室。
二階はサロンや遊戯施設などを設けている。
開園祭のパーティーの際は、主に一階の舞踏場で顔合わせを行い、二階のサロンなどで詳しい話を交わすという形を取るのが通年通りのやり方であった。
ちなみに、ノゾムがいる控室はパーティーに参加する男子生徒専用で、よく見れば見慣れた顔もちらほらと見受けられた。
待合室として作られたためか、壁には大きな魔力駆動式の振り子時計もある。
「ノゾム君、大丈夫?」
肩を落としているノゾムの姿を見つけたのか、トムが話しかけてきた。
「トムか、大丈夫……じゃない」
「午前中、模擬戦で大暴れした人とは思えないね」
「仕方ないだろ。前にも言ったけど、こんな大きなパーティー、参加経験なんてないんだから」
再び吐きそうになるため息を押し殺しながら、ノゾムこれから始まる初陣に不安で肩を落とす。
「マルス達は?」
「ここにいるよ」
「よう」
ノゾムが声をかけてきたほうに視線を向けると、以前ヴィクトルから送られた正装に身を包んだマルスとフェオがいた。
「何やノゾム、辛気臭い顔しとんな」
「お前まで言うか……」
「そういえば、ワイは午前中マルスと一緒やったけど、ノゾムは普通に合同授業だったんか?」
「ああ。トムは、午前中は論文発表だっけ?」
「論文って言うより、魔法の実技発表って感じかな? うん、高魔力制御術式の構築と陣式の刻印法による魔力効率の変動、及び異種術式による制御効率の変動観察って実演なんだけど……」
「随分と頭が痛くなりそうな題目だな」
「あはは……。でも、ずいぶん好評だったよ。マルス君やティマさんに協力してもらえたのが大きかったな~」
開園祭の一般公開においては、普段通りに授業が行われてはいるが、その中で、トムのように自分の研究発表や、実技演習を行う場も存在する。
「そうなのか?」
「ああ、俺の手甲の術式や、ティマの常時展開式の魔法障壁に、シーナの付呪矢とか……」
「ワイも一緒やったんやで?」
「それじゃあ、4人で一緒に?」
ノゾムの質問に、フェオとマルスが得意げに頷いた。
どうやら、トムの発表内容というのは、以前、ノゾムが暴走した際にマルス達が使っていた術式に関するものだったらしい。
内容はトムが用意した各術式にティマが魔力を注ぎ、フェオが符術で制御した際の観察記録を発表し、簡単な実技演習をしただけだが、結果は上々だったらしい。
特に各術式の魔力効率の高さと、符術を利用した制御補助が高評価。これはトムの術式とティマの魔力とアビリティ、そしてフェオの魔力制御が上手くかみ合った結果ではあるが、各国の研究機関の人間がかなり興味を示したらしい。
難点は、術式を刻んだ媒体への反動。高威力、高負荷な魔力反動は相変わらずで、使用後の媒体はやはり二度と使い物にならないくらい破損してしまったそうだ。
それでも、極めて限定的とはいえ、ティマクラスの魔力やマルスの魔気併用術の制御を可能とする術式は、その手の分野を生業とする者達の琴線に触れていた。
「うん、ノゾム君達の合同授業は普通に模擬戦だったんだっけ?」
「そうだな、いつも通りに……」
「いつも通りねぇ。そりゃ相手が可哀想だ」
「?」
マルスは相変わらず無自覚に絶技を乱発していたであろうノゾムの姿を想像し、ニヤニヤと意味深な笑みを口元に浮かべる。
同時にマルスは、やはりこの親友は他者からの評価を本心ではあまり気にしていなのだろう、とも考えていた。
「そういえばノゾム、ケヴィンとも模擬戦したんやろ? どうだったんや? あの煩い犬ッコロ、ボコボコにしてやったんやろ?」
午前中の合同授業でノゾムとケヴィンが模擬戦をしたことをどこかで聞いていたのか、フェオがノゾムの肩に手を回しながら詰め寄ってきた。
「いや、決着がつく前に授業が終わった」
「なんや、つまらん」
思った結果ではなかったことに、フェオが不満そうに唇を尖らせる。
実際のところ、ノゾムとしてはケヴィンに絡まれるのは迷惑ではあるが、それ以上にエグロードの存在とその時の自分の失態が気になってしまっていた。
「はあ……」
「なんや、ため息なんかついて。ケヴィンに絡まれたのがめんどくさいのは分かるけど……」
「そっちじゃなくて……。いや、そっちも面倒だけど……」
どうにも曖昧なノゾムの言葉に、マルス達は話してみろと、ノゾムを促した。
マルス達に促されるまま、ノゾムはポツポツと模擬戦を終えた後での出来事を話し始めた。
エグロード・ファブランという大貴族に声を掛けられて、高圧的な態度で質問をされたこと。
相手がフランシルト家の政敵と知って質問をぼかすような返答をしたら、失笑されたこと。
さらに間に入ってくれたアイリスディーナ達まで侮辱し始めたので、我慢できずについ本気で剣気をぶち当ててしまったこと。
「大貴族に殺気を当てたって……」
トム自身も、暴走していたとはいえ、本気のノゾムと相対した経験がある。
全身を鋭利な刃で両断されるようなノゾムの剣気を思い出し、トムの顔が真っ青に変わる。
一国の大貴族相手にやっていい事では絶対にないだろう。
「は、ははは! いいじゃねえか!」
ノゾムの所業にトムが茫然としている一方、マルスは痛快というように大笑いしていた。
「よくないよ! 大問題だよ!」
「なんでだ? ここはアルカザムだろ? フォルスィーナ国じゃねえんだぜ?」
「それは、そうだけど……」
マルスの言うとおり、このアルカザムは各国の権力が直接及ばない中立地だ。
これがもしフォルスィーナ国内だったら大問題だが、アルカザム内なら大っぴらに声を上げることは考えにくい。
立場のある人間というのは、往々にして人の目を気にするものである。
「むしろワイは、ノゾムの印象は悪くなってないと思うで」
「……まじ?」
「むしろこの場合、簡単に下手に出たり、何も言わないほうが問題やな」
「どういうこと?」
「今回ノゾムに話しかけてきたのはエグロード側や。しかも、あからさまに挑発してきとる。初めからノゾムの反応を見ることが目的で、それ以外はオマケなんやろうな。
もちろんノゾムの反応を見る過程で、あわよくばフランシルト家を牽制しようとかぐらいは考えとっただろうが、な。」
フェオの話では、ノゾムがどんな反応を返そうが、エグロードはノゾムを挑発しただろうというのだ。
元々の目的はフランシルト家と懇意にしている平民の生徒がどんな人間かを確かめることで、それ以外は二の次だったというのだ。
「ただ、衆人に注目されている中であからさまに挑発されているところに簡単に下手に出たら、そのまま言質をとられて、何を要求されていたかわからへんで。そういう意味では強硬なノゾムの反発というのは、この場合悪手ではあらへん」
元々フランシルト家とファブラン家の関係は各国のだれもが周知することで、今更暴言の一つや二つではどうこうならないというのだ。
むしろ、多少強気な態度を示した方が、相手も簡単にこちら側に踏み込んでこれなくなる。
「しかも、この場合ノゾムは黒髪姫を庇うという形で反抗しとる。第三者から見れば、非がどちらにあるのかは明らか。そういう意味で、エグロードもこれ以上大事にはできへんよ。するつもりもないやろうがな」
今回ノゾムがエグロードの挑発に対して反撃した理由は、あくまでもアイリスディーナ達が侮辱されたことが理由だ。
本当の貴族はプライドも高いが、同時に駆け引きも上手い。
声高に叫ぶことのメリットとデメリットを比べて後者が勝るなら、それ以上は何も言わないのだ。
木っ端やボンクラ貴族ならともかく、エグロードはまかりなりにもフランシルト、パルラインと並ぶ大貴族。当然、その辺りの加減は心得ている。
「ノゾムもそう考えたんやろ?」
「黙ったままじゃだめだなとは思った。後、多少無礼をしてもアルカザムなら大丈夫だろうとは思ったよ。でも、フェオほど深く考えていた訳じゃなかった」
実際のところ、ノゾムもエグロードが挑発してきた流れの中で感覚的に黙っているのはまずいと思った。
だが、あそこまで強硬な態度をとったのは、結局のところアイリスディーナ達が侮辱されたことが我慢ならなかったからだ。
一度頭に血が上った時点で第三者への配慮は頭に上らなかったし、深く考えがあったわけじゃない。
「まあ、貴族社会じゃそんな挑発は日常茶飯事やで? イチイチ気にするだけ無駄や」
「そもそも、なんでノゾムはそんなに気にしてんだ?」
「いや、その、アイリスに迷惑がかからないかな、と……」
結局のところ、ノゾムが気に病んでいるのは、自分の突発的な行動がアイリスディーナ達の害にならないか、不安になったからだ。
午前中の模擬戦から時間がある程度経ったことも、ノゾムの胸の中で不安が大きくなった要因だろう。
「それこそ気にする必要ないわ。黒髪姫にとっちゃ挑発にもならん、ただの挨拶やで? 言われなかったんか?」
「いや、アイリスはいつもの事って言っていた」
「そうやろ、そうやろ」
バカバカしい。そんなことを言うようにフェオは手を振りながら、ノゾムの心配を鼻で笑った。
その軽い態度に、ノゾムは胸の奥で膨らんでいた不安が萎んでいくのを感じた。
「そろそろ時間みたいだな」
マルスの言葉にノゾムが部屋の中の振り子時計を見てみると、確かにパーティーの開始時間が迫っていた。
さらに控室の扉が開かれ、引率の教師が入ってくる。
「時間です。皆さん、会場に向かいますよ」
その声に促され、生徒たちは各々控室を後にしていく。
ある生徒は自信に満ちた笑みを浮かべて。ある生徒は緊張に身を震わせながら。
「さて、それじゃあ行くか」
「うん」
マルス達も他の生徒のあと追うように、控室を出ていく。
アイリスの屋敷での指導があったからか、それとも午前中の発表が好評だったからか、その顔に不安は微塵も感じられない。
ノゾムもマルス達に続こうと腰を上げた。
「ノゾム。せっかくの機会なんや。せいぜい楽しめや」
先を歩くフェオが振り返り、軽い調子で手を振る。
「この狐の言う通りさ。別にこのパーティーで俺たちの将来が完全に決まるわけじゃねえ」
「あはは……。まあフェオ君ほど気楽なのもどうかと思うけど、このパーティーはあくまでも機会の一つ、ぐらいの考えで良いんじゃないかな?」
フェオの言葉に続くように、マルスが親指を立て、トムが苦笑いを浮かべている。
最近色々なことがありすぎて、緊張しているノゾムを気遣ってくれているのだろう。
初めての正式な社交パーティー。しかも、自分の将来を決めるかもしれない場所。
そんな全く未知の場に赴くというのに、ノゾムは不思議と自分が自然体でいることに気付いた。
「楽しめ、か……」
不思議と笑みが口元に浮かぶ。先ほどまでウンウンと悩んでいたのに、ずいぶんと気持ちの切り替えが早いことである。
割と現金な自分に苦笑しながらも、ノゾムはふとある事を思い出した。
「そういえば、アイリスにちゃんとお礼は言ってなかったな」
エグロードが去った後、突発的な行動をしたことを謝ったノゾムだが、思い出してみれば間に入ってくれたアイリスディーナにきちんと礼を言っていなかった。
それは良くない。
ただでさえ、パルライン伯爵夫人との礼儀作法やダンス練習の機会を設けてもらったりなど、世話になりっぱなしなのだ。
“アイリスだけではない。シーナにもリサにも、他の仲間達にも俺は迷惑をかけっぱなしだ……”
アゼル襲撃の際に暴走したノゾム。それを抑えるために奮闘したアイリスディーナ達。
二度も彼女たちに刀を向けたという事実は、未だにノゾムの中で大きなしこりとなっている。
そのしこりは後悔という姿でノゾムの胸の奥に残り、ゾンネとの訓練で無茶をするという形で吹き出しそうになった。
だが、そんな後悔とは別に、ノゾムの中で膨らみ続ける気持ちがあった。
それは“自分は彼女達に何をしてあげられるだろうか?”という感情。
少しでも彼女たちの力になりたい。そんなノゾムの気持ちが、自然と形を持った姿だった
正直、ノゾムには、自分が何をできるのかはわからない。今まで鍛錬漬けの毎日で、刀を振るうことしかしてこなかったからだ。
それでも、後ろ向きな後悔を抱えながらも正の気概を抱くことは、本人が自覚せずとも、彼が成長した証だった。
「よし……」
とにかく何か彼女達にお礼をしたい。言葉だけじゃなく、何か他の、形に残るもので……。
胸の奥から自然と湧き上がる声に促されるまま、ノゾムはパーティー会場へと足を進めていった。