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第2章第3節

 放課後、授業を終えたノゾムはアルカザムの中央公園に来ていた。

 この公園は学園の回りを囲うように作られており、平日は学生たちがここで様々な話に花を咲かせ、休日には様々な露店が並び、市民たちの憩いの場所となっていた。


 ノゾムがこの公園に来た理由は単純に考え事をするためだった。

 この公園のベンチに寝転がりながら、何度となく考えてきたことを考えていた。

 今までの自分とこれからの自分。師匠の残した言葉と自身の内にある龍の力。リサとの関係。

 でもいくら考えてもこれからどうするかがノゾムには分からない。それも当然だ、彼はまだようやく“今”を見つめ始めたばかりなのだから。

 逃げてきたことを思い返せば、このままでいいとは思わない。でも…………


 ノゾムは自分の内にいる巨龍を思いだす。全てを飲み込み、喰らい、滅ぼしかねない存在。シノとの戦いの後もノゾムの内で相変わらず圧倒的な存在を誇っていた。

 ノゾムの顔が歪む。その表情は傍から見てもとてもつらそうだった。

 あの圧倒的な存在のことが知られた時、自分はどうなってしまうのだろうかと考えてしまうとどうしても踏み込めない。


 ソルミナティ学園は大陸各国の出資によって設立、維持されている。その学園で育成した人材は未来の国際情勢に影響を与えるため、この学園は各国の政府に注目され、政治的な駆け引きが表と裏で常に行われている。


 そんなホットスポットに数百年現れなかった龍殺しが現れたら…………。

ノゾムにとってティアマットは肉体的な意味だけでなく、精神的にもあまりに大きな楔として彼の心に打ち込まれていた。





「ノゾムさん何をしているんですか?」


 ノゾムが自分の考えに懊悩していると突然声をかけられた。


 傍らをみると10歳ほどの少女が腕に黒猫を抱えて事らを覗きこんでいた。


「ずいぶん難しそうな顔をしていたみたいですけど、大丈夫ですか。」


 少女はずいぶん心配そうな顔をしている。ノゾムは慌てて表情を取り繕うと、少女に向かって微笑んだ。


「ううん。大丈夫だよ。ソミアちゃん」



 彼女の名前はソミリアーナ

 ノゾムと彼女との出会いは、ノゾムがどうにか3学年に進級できた時まで遡る。





 学年末試験の追試にどうにか合格し、進級がぎりぎり決まった後、学年が変わるために学園がしばらく休みにる頃、ノゾムはつかの間の休日に町に散歩に出た。

 市民街の公園の屋台に立ち寄って昼飯を買う。買ったのは麦パンに野菜と腸詰めをはさんだもの。

ブラブラと歩きながら、屋台で買ったパンを食べていると、視界に一人の少女が公園の木を見上げてオロオロしているのが目に映った。


 少女の周りには人はおらず、少女一人ではどうにもならないようだ。

 仕方がなくノゾムは少女の傍に行き、声をかける。


「どうかしたのか?」


「えっ」


 ノゾムの声に少女が気づいてこちらを見る。歳は10歳ほど、艶のいい黒髪を肩あたりで綺麗に切りそろえていて、深い漆黒の瞳が印象的な美少女だ。


 でも、顔立ちはやはり幼く、年相応である。


「えっと、じつはクロちゃんと遊んでいたんですけど……」


 少女はそういって木を見上げる。

 ノゾムも木を見上げると、木の枝に黒猫がおり、どうやらあの猫が件のクロらしい。黒猫は木の枝の上で何かにじゃれついていた。


「あれ、わたしの腕飾りなんですけど、クロちゃん気に入っちゃって。もうっ。クロちゃん返してよーーーー」


 黒猫はよほどその腕飾りが気に入ったのか、少女をそっちのけでその腕飾りで遊んでいる。


「しかたない」


 ノゾムは食べかけのパンを胃袋に押し込み、木を上り始める。黒猫はこちらに気付いたのか尾を立てて警戒する。


「おとなしく観念してそれを返せ」


 ノゾムは黒猫のいる高さまで登り、猫を捕まえようとするが、奴は「ふしゃーーー」とこちらを威嚇し、爪を振り回して抵抗する。


「こら!! 暴れるな!!」


「フギャ!」


 猫はさらに抵抗し、ついには彼に飛び掛かってきた。木の上ではろくに動けずノゾムは猫にいいようにひっかかれる。


「いたたたた!!! このくそ猫!!!!」


 狭い木の枝の上でノゾムと猫の大乱闘が繰り広げられる。彼は木の上ということもありろくに動けず、猫は“そんなのかんけいねえ!”とばかりにひっかいてくる。

 徐々にノゾムのバランスは崩れ、枝はギシギシと軋み、徐々に耐えられなくなっていき、遂にバキッ!という音とともに枝が折れる。


「うおっ!!」


「ニャニャ!!!」


 重力に引かれ、ノゾムと猫は真っ逆さまに地面に向かって落ちていく。

 しかしさすが猫。黒猫は空中で素早く身を翻すと、そのまま少女の腕の中に納まる。それにくらべてノゾムは体勢を立て直せず、不恰好に地面に激突。「ぶっ!」という情けない呻き声を上げて地面にうずくまった。


「……あ、あの……大丈夫ですか?」


「…………うん……大丈夫」


 ノゾムはやせ我慢して返事をして、どうにか立ち上がる。彼女は心配そうにこちらを見ていて、ノゾムは先ほどの醜態を思い出し、なんだか自分が情けなくなりそうだった。


「それより、腕飾りは大丈夫?」


 黒猫は少女の腕の中で未だに腕飾りにジャレついているが、腕飾り自体は大丈夫のようだ。


「よかった。ありがとうございます」


 少女は心から安心したらしく、花のような笑みを浮かべた。無垢で純粋なその表情にノゾムも久しぶりに自然な笑みを返していた。シノが亡くなり、居場所を失ったことでノゾムの心は本人も気づかない内に張り詰めていたのだろう。


「あ、ごめんなさい。自己紹介してませんでしたね。私、ソミリアーナって言います。友達はソミアって呼びます!」


「あ、俺はノゾム・バウンティス。俺はノゾムでいいよ。ソミアちゃん……って呼べばいいかな?」


「はい! よろしくお願いしますね、ノゾムさん!」


「こちらこそよろしく」


 互いに自己紹介をしていたが、ノゾムは彼女の服に気が付いた。彼女の服はエクロスの制服だ。

 エクロスはソルミナティ学園の付属学校で主に10歳前後の幼子たちが通っている。

 この学校の創立目的は見込みのある子供たちを早い段階から英才教育を施すことで、より高い能力を持つ人材を育成することであり、各国重鎮の嫡子や生まれつき希少なアビリティを持つ子供などが大陸中から集められて、教育を受けている。


「ソミアちゃん、エクロスの生徒なんだ」


「あっはい! そうです。今年で5年生になります」


 エクロスは6年制の学校だ。ということは、彼女は少なくとも5年間英才教育を受けてきたことになる。


 エクロスに入るということは各国から既にその才覚を認められているということに等しい。少なくとも万年落ちこぼれの自分とはえらい違いだとノゾムは思った。


「でもノゾムさん、ソルミナティ学園の生徒さんなんですよね!」


 彼女は向日葵の様な笑顔を顔いっぱいに咲かせて訪ねてきた。


「うん。まあ俺はまだまだ未熟者だけどね。階級も10階級と最底辺だし」


「そうなんですか。じゃあ私と同じですね! 私もまだまだですもん!」


 ソミアちゃんは、舌をペロッと出しながら恥ずかしそうに答えた。ずいぶんと表情豊かな少女である。その笑顔を見ているとノゾムも不思議と元気が湧いてきた。

 

(なんとなく、ソミアちゃんはアンリ先生と気が合いそうだな。)


 ノゾムは自分のクラスの担任の顔を思い出していた。彼女ののんびりとした性格と太陽のようなソミアちゃんとはなんとなく歯車が合いそうだった。



「そういえば、ソミアちゃんは何か目標でもあるの? さっき自分のこと“まだまだ”って言ってたから、何と無くそんな感じがしたけど」


「あっはい! 私、姉様が目標なんです!」


 その“姉様”について聞いてみると、ソミアちゃんはさらに饒舌になり、笑顔も5割増しの大売り出しとなった。



“姉様は強い” “姉様はかっこいい” “姉様は優しい”



 どうやら件の人物はかなりの出来る人のようで、ソミアちゃんもその“姉様”を心から慕い、憧れているのが傍から見てもとてもよく分かった。

 同時に同じくらい心配しており、無理していないか、怪我していないか、変な男に捕まっていないかと行き過ぎるくらい心配していた。


 話を聞く限りではどうやらその“姉様”も似たような感じらしいので、お互い似た者姉妹の様だ。


「そういえばこの黒猫。まだ遊んでいたのかよ」


 ノゾムがソミアの腕の中の黒猫を見ると黒猫はまだ腕飾りで遊んでいた。よく見ると腕飾りには繊細な装飾が施され、また同じように装飾を施された小さな鐘が付いていて、かなり価値があることが素人目にもわかった。


「この腕飾り、かなり貴重なものらしいけど何なんだろう?」


「あ、この腕飾り、家に代々伝わるものらしいんです。何でも家族の絆を繋ぐ物みたいで、これを持っているとたとえ離れ離れになってもいつか必ず再会できるっていわれています」


「へえ、ずいぶんと嬉しくなる言い伝えだね」


「はい!元々家の倉庫で眠っていた物なんですけど、姉様がくれたんです! たとえ家を出る事になっても絆が続きますようにって」


 彼女は本当に嬉しそうに腕飾りの話をする。彼女にとっては言い伝えもそうだが何より家族の繋がりがほしいのかもしれない。絆の言い伝えの腕飾りを常に身につけることで、家族を感じていたいのだろう。


 話が弾んでいた彼女だが、腕飾りにジャレついている黒猫を思い出し、腕飾りを取り上げた。


「あっ、そうだった。クロちゃんもういいでしょ」


 彼女が腕飾りを取り上げると、黒猫はまだ遊び足りないのか、“返せ返せ”とおもちゃを取り上げられた赤ん坊のように腕をバタつかせていた。


「それにしてもずいぶんな腕白な雄猫だな」


「えっ!」


「だって勝手に飼い主の持ち物取り上げて、さんざん遊んだ上、まだ遊び足りないなんてなあ……」


「……えっと…………」


 ソミアちゃんは何か言いずらそうにしている。


「あのう、ノゾムさん。クロちゃん……女の子です…………」


「…………え?」


「だから、女の子です」


 なんとこの黒猫、メスらしい。腕白具合といい、木の上でノゾムと繰り広げた乱闘といい、どう考えてもオスとしか考えられなかった。


(普通クロって名前、オスにつける名前だよな)


「えっと……なんで名前、クロなの?」


「えっ、可愛いじゃないですか、なんかこう、フィーリング的に」


「…………そ、そう」


 どうやら彼女のネーミングセンスは少しズレているらしい。


「あっそれにクロちゃんの飼い主さん、私じゃありませんし、たぶんこの子野良だと思います」


 彼女の話ではエクロスの校舎の周りで時々見かけるようになって、それから一緒に遊んだりするようになったらしい。


「へえ、こいつ野良なのか。ずいぶんソミアちゃんに懐いているみたいだったからてっきりソミアちゃんが飼っているのかと…………」


 そう言ってノゾムがクロに手を伸ばした瞬間。


「シャーーー!!!!」


「いて!!」


 突然クロがノゾムの手を引っ掻いてきた。


「あっ!だいじょうぶですか? クロちゃん気難しくて懐いてくれない人には本当に懐かないんです」


「いてててて。そうなの?」


「はい、クラスの男子は全員ダメでした。女子は大丈夫なんですけど…………」


(それって単純に男はダメってだけなんじゃ……)


 どうやらこの黒猫。女の子にしか懐かないらしい。ノゾムが引掻かれた手をさすりながらクロを見ると、彼女の腕の中では大人しく、正に借りてきた猫状態。

 クロはノゾムがこちらを見ることに気付くと“ツン”とそっぽを向いて、ソミアの腕の内で寛ぎ始めた。



(こ、こいつ!)



 ノゾムはクロを睨みつけるが当の本人(本猫?)はどこ吹く風と完全にノゾムを無視。ソミアが持っている腕飾りに再びジャレつこうとしていた。


「ちょ、ちょっと、だめだよクロちゃん!」


 ある意味とても猫らしい猫である。


 その後、腕飾りで遊ぼうとするクロとそれを止めようとしたノゾムとの間で大乱闘が繰り広げられ、2人(1人と1匹ともいう)が仲良く揃って10歳児に説教をくらったのは甚だ余談である。





 これがノゾムとソミアの出会いである。それから何度かこの公園で顔を合わせては、世間話ををしていた。ちなみに時々1人と1匹の大決戦が繰り広げられるが。


「そういえばソミアちゃん。そろそろ誕生日だったよね」


「はい! 私、もうすぐ11歳になります!」


 いつもの笑顔を振りまき、楽しそうに言うが、次の瞬間には表情が陰りを見せていた。


「でも、せっかくの誕生日なのに、父様帰ってこれないみたいなんです」


 話によると、父親は常に忙しく、ほとんど家に帰ってこれないらしい。母親もすでに亡くなっているらしく、家族は姉しかいないそうだ。


「で、でも、姉様が誕生会を開いてくれるそうなんです!」


 でもソミアは再び笑顔を見せ、寂しさを胸の内にしまいこみ、明るく振る舞っていた。




(……強い子だな……)


 今思えばノゾムが彼女ぐらいの時は、もっと親に甘えていただろう。気丈に振る舞う彼女を見て、ノゾムは感心すると同時に悲しくなった。甘えたい時に甘えられる相手がいないというのはとても辛いことなのだ。



 ノゾムは自身の事を思い出す。学園で孤立して、誰にも頼れず、目を背けて、張りつめた糸のように何時切れてもおかしくない状態だった。


 そんな時、師匠が言ってくれた「おかえり」という言葉とその時の抱擁にどれだけ救われただろう。



 忘れていた人の愛情を思い出すことができた。



 凍りついた心がやさしく溶かされ、思いっきり泣くことができた。



 “ひとりじゃない”とあの時実感できた。




 師匠が自分を受け入れてくれたおかげで自分は最後にあの人の願いを受け止めることができた。



 本音で語り合い、全力でぶつかり合い、本気であの人と向き合うことができた。



 そして、大切なことを教えてくれた……前に進むために。






「ソミアちゃんの誕生日なら、おれも何かプレゼントを用意するか」


「え、本当ですか!!」


 彼女はノゾムがプレゼントを用意してくれるとは思っていなかったのか、満面の笑顔を浮かべてたずねてきた。


「うん、まあ大したものは用意できないけど、俺なりにいいものを用意するよ」


「はい! 楽しみにしてますね!!」


 今度の彼女の顔には先ほどの暗い寂しさの影はなく、まさしく“お日様”のようだった。



(よかった。こんないい子が暗い顔をするところなんて、誰も見たくないしな)


 ノゾムはその笑顔を見て、ホッと肩の力を抜いた。





「そういえば今日は何か用事でもあったのかい?」


 エクロスの下校時間はもうとっくに過ぎており、ソミアがここにいる理由がノゾムには分らなかった。


「はい、今日は姉様を迎えに来たんです!」


(彼女の姉というと、出会ったときベタ褒めしていた人か、そういえば、お姉さんについては詳しく聞いたことなかったな。)


 彼女が学園の下校時間に学園の傍の公園にいるところを見ると、彼女のお姉さんは学園関係者なのかもしれない。


「ソミアちゃん、お姉さんはソルミナティ学園にいるの?」


「はい、姉様もノゾムさんと同じソルミナティ学園の生徒さんなんです!」


「へえ(ん、まてよ)」


 ノゾムはソミアの顔を見る。艶のある黒髪に漆黒の瞳、整った顔立ち。ノゾムはソミアの顔にある人物の面影が見えた。


「ねえソミアちゃん、もしかしてお姉さんって「ソミア、待たせてすまないな」」


 突然かけられた声にノゾムが振り向くと、ノゾムの体は完全に固まった。


 腰まで伸びたロングストレートの黒髪。整いすぎて現実とは思えないほどの容姿と、深い漆黒の瞳。 その顔は凛としていて、美の女神に祝福されたような肢体からは選ばれた者だけが纏えるオーラが見えるようだった。



 ソルミナティ学園3学年トップのアイリスディ-ナ・フランシルトだった。





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