第8章第16節
「ふう……」
女性陣が奇妙な空気に包まれている一方、ノゾムは地面に倒れる対戦相手を前に、残身を保っていた。
気の消費も、体力も問題ない。周囲の視線は無遠慮なものがあるが、戦いともなれば全く気にならない。
このままもう数戦はいけそうな感じだった。
残身を保ち続ける中、ノゾムは周囲に気配を配る。
複数の視線や模擬戦の熱気を肌で感じながら、今まで感じていた人の気配とは明らかに異なる気配を探していた。
訓練場をかける風の気配、照らされた地面からわずかに鼻孔をくすぐる土の香り、それらの中に、あの夜感じた精霊達の存在を。
少しでも早く、精霊の力を感じ取り、その力を制御できるようにならなくてはならいから。
彼の心とは裏腹に、肝心の精霊たちの気配は相変わらずぼんやりとしていて、その存在をうまく感じ取ることはできない。
その事実が、ノゾムの焦燥を刺激する。
もっとも、ただの人間が精霊を感じ取れるようになったこと自体が奇跡的な進歩なのだが……。
「しっ!」
次の瞬間、ノゾムの背後から強烈な覇気と共に、拳が突き入れられた。
ノゾムは反射的に刀を振るい、突き入れられた拳を受け流しながら、不意打ちをしてきた相手から距離を取る。
「ケヴィンか……」
そこにいたのは銀狼族の同級生。
剣呑な敵意を隠そうともせず、拳を構えてノゾムを睨み付けている。
「次の相手は俺だ。構えろよ」
ケヴィンが左半身を前に出して構える。
促されるように、ノゾムも正眼に刀を掲げた。
待機状態だったノゾムの体と思考が、一瞬で臨戦態勢に変わる。
ノゾムが構えを取ったその瞬間、ケヴィンは素早く動いていた。
「つあっ!」
瞬間的に間合いを詰めて拳を一閃。狙いは正中線の中央、鳩尾だ。
突き入れられた拳に、ノゾムは黙って刀を沿わせる。
ギャリリリ! と耳障りな音を立てて、ケヴィンの手甲に付されていた気が舞い散った。
ノゾムとケヴィンは互いに立ち位置を入れ替えるように交差し、再び振り返って相対する。
「ちっ……」
ケヴィンが思わず舌打ちをする。
よく見れば、先程突き入れた手甲に小さな傷跡が一筋付いていた。ノゾムの気刃がケヴィンの気を突破した証だった。
ケヴィン・アーディナルは血の気が多く、プライドが高い獣人ではあるが、Aランクの実力は伊達ではない。
身に着けてきた武技と戦闘経験、何より銀狼族としての本能が、相対しているノゾムに対して警鐘を鳴らし続けている。
何より、彼はノゾムとジハードが合同授業でやらかした模擬戦の一部始終を、その目で見ているのだ。
今さらノゾム・バウンティスに対して、侮る気持ちなど存在しない。
だがそれ以上に、彼の心を支配していたのは、目の前の男が気に入らないという感情だった。
「気に入らねえ。本当に気に入らねえ……」
ケヴィンは憤る自分の感情を戦意に変えて、眼前の相手に叩き付ける。
気を全身にめぐらせ、筋肉の一本一本が軋むほどに昂らせる。
ケヴィンの戦意をノゾムも感じ取ったのか、ノゾムの目が細まった。
刹那、ケヴィンの体が矢のように放たれた。
自らを一本の牙と化し、一直線にノゾムめがけて疾駆する。
一方、ノゾムもまたケヴィンを迎撃しようと刀を振り上げた。
今まで以上の気を模造刀の刀身に注ぎ込み、瞬脚を発動。ケヴィンの突進に合わせる形で振り下ろそうとする。
「そこまで!」
しかし、牙と刃は激突することはなかった。
授業終了の合図が、訓練場に木霊する。
ノゾムの刃はケヴィンの肩から胴体を斬り裂く直前で、ケヴィンの拳はノゾムの左胸を撃ち抜く寸前で止められていた。
「…………」
「…………」
ノゾムとケヴィン。数秒の間、至近距離で視線をぶつけあった両者は、どちらともなく離れると、互いに背を向けて歩き始めた。
「……次だ」
背を向けながら、ケヴィンはノゾムに宣言する。
「次戦う時に、必ずてめえを潰す」
明確ではあれど、一方的な宣戦布告。
ノゾムはケヴィンの宣言を背に受けながらも、歩き続ける。
ケヴィンの宣言も気にはなったが、それは胸にくすぶる焦燥にすぐさま塗りつぶされてしまう。
“まだ、うまく使える気が全くしない……”
ノゾムの脳裏を占めるのは、やはり己の内に秘めた爆弾の事だった。
訓練場の端に移動し、摸造刀を納めて自分の愛刀を腰に戻しながら、ノゾムは喉から出かかった独白を飲み込む。
気の制御は全く問題ない。体調もゾンネとの鍛練を一日休んだおかげか好調だ。剣技の冴えも悪くない。
しかし、胸の奥の焦燥感はやはり消えてくれそうになかった。
顔を上げると、授業を終えた生徒達が各々訓練所を後にしている。
周りで見ていた来園者たちも、喧々囂々と次の目的地へ足を向け始めていた。
その時、ノゾムは唐突に声をかけられた。
「失礼する。君が、ノゾム・バウンティスだな?」
威圧するような低い声にノゾムが視線を上げると、目の前に貴族と思われる大柄な男性がいた。
年齢は四十代だろうか? 頬に走る小皺とは裏腹に、筋肉質な体躯と鋭い眼光が、常人なら思わず震えるほどの威風を放っている。
フォルスィーナ国の重鎮の一人、エグロード・ファブランだった。
とはいえ、ノゾムにとっては全く面識のない人物。しかも相手は、明らかに貴族である。
いきなり現れた不審人物に、ノゾムは警戒心を抱いた。
「貴方は?」
「ふむ、私を知らないのか? 私は……」
エグロードが名を名乗る前に、二人の間に割って入る人物がいた。
白髪の長髪を持つ令嬢、アイリスディーナだった。
エグロードと相対する形で割り込んだ彼女は、警戒するような視線をエグロードに向けている。
「アイリス?」
「お久しぶりです、エグロード様。この度はどのようなご用件でしょう?」
「久しぶりだな。アイリスディーナ・フランシルト。残念だが、君に用があるわけではない。そこにいる刀使いに用があるのだ」
アイリスディーナの口から出たエグロードという言葉に、ノゾムはようやく目の前の貴族の正体に気付いた。
「エグロードって……」
「エグロード・ファブラン、フォルスィーナ国の貴族だ。そこにいるフランシルトとは、政敵と言ってもいい間柄だ」
挑発するようなエグロードのセリフに、ノゾムの方が強張る。
「……何の用ですか?」
「単刀直入に尋ねよう、君はその力で何をする?」
唐突な質問に、ノゾムはすぐに答えを返すことが出来なかった。
いったい、この貴族は自分の何を、どこまで知っているのだろう。
突然の訪問と、威圧を伴った有無を言わせぬ口調。さらに“その力”等という曖昧な言葉がノゾムの思考を深い疑念に落としていく。
「……どういう意味ですか?」
ノゾムはとりあえず、お茶を濁すような返答で、誤魔化すことにした。
知りもしない人間から向けられた意味深な質問に対して、特に答える必要はないと考えたからだ。
一方、エグロードはジッと睨み付けるような視線をノゾムに送っている。
まるでこちらの瞳の奥まで力ずくで暴こうとするような視線に、ノゾムは眉を顰めた。
しばらくの間、ノゾムを見つめていたエグロードだが、やがて落胆したというように、大きくため息を吐いた。
「質問に質問で答える、か……どうやら、私が思っていた程の男ではないらしい」
「どういう意味ですか?」
「期待など出来ぬ男だという事だ」
切り捨てるような言葉に、ノゾムの額の皺がさらに深まる。
いきなり現れて、有無を言わさぬ口調で不躾な質問をされた側としては、不快感を覚えるのは当たり前だった。
「エグロード様、初対面の相手にずいぶんと失礼な言葉ですね。ここはアルカザムであり、しかも今は開園祭の真っ最中。他国の目がある中、最低限の礼すら失するような方が……」
ノゾムの気持ちを代弁するようにアイリスディーナが苦言を述べる。
一方、苦言をぶつけられたエグロードはアイリスディーナの言葉が終わる前に一蹴した
「黙れ、女には男の矜持など分からぬであろう。どんな時だろうが、自らの意味を問われ、胸を張って答えられぬ男が何をできる」
エグロードの視線は既にノゾムではなく、アイリスディーナに向いていた。
もはや気に留める価値もない、とでも言うように。
「アイリスディーナ、お前もだ。その細腕で家を背負うなど止めて置け。弄ばれ、身を亡ぼすだけだ。大人しく、令嬢としての……」
「エグロード様、私は既にフランシルト家次期当主です。それに、既に道は定めた。今さら引き返したいなど思わない」
威圧感に満ちたエグロードを前にしても、アイリスディーナは変わらない。凛と佇まいをそのままに、迷いなく己の道を進むと宣言する。
「ふん、愚か者が……。どの道、芯の無い男に期待など持てぬ。どれほど優れた才覚や素養を持とうが、大成など出来ぬであろうな。そのような男に入れ込むなど、お前もその友人も大した者では……」
「ずいぶんと、身勝手な台詞を吐いてくれますね……」
だからこそ、彼女達を貶めるようなエグロードの言葉に、ノゾムは我慢できなかった。
気が付けばノゾムはアイリスディーナの前に出て、エグロードと再び睨み合っていた。
「……なんだと?」
「いきなりやってきて喧嘩を売ってくるような方の質問に、素直に答える必要があるのですか?」
普段のノゾムらしくない荒々しい口調。端的に言って彼はキレていた。
貴族相手に失礼極まりない言葉遣い。さらに今は開園祭で他国の要人の目もあるが、だからこそ、失礼な言動を向けられたにもかかわらず、何も言わない方が問題だ。
どうせここは諸国の権力が及ばないアルアザム。このくらいの無礼なんて大したことないと言い訳を脳裏の片隅に浮かべつつも、ノゾムは更に威圧感の増したエグロードの視線を跳ね返す。
「ふん、女に庇われるような男が何を……」
「俺をとやかく言う事はどうでもいい。だがな、それ以上彼女達を侮辱してみろ……」
「ほう、一体どうすると……っ!」
次の瞬間、濃密な殺気が訓練場を包み込んだ。同時にエグロードの目に無数の銀閃が走る。
首、四肢を一瞬で両断し、さらに唐竹と横薙ぎに胴体を四分割するように走る銀閃に、エグロードは言葉を飲み込む。
「…………」
数秒の間固まった後、エグロードは、銀閃が走った己の首を確かめる。
エグロードの首はしっかりと胴体についており、斬られた跡は微塵もない。相対しているノゾムの刀も納刀されたまま、手すら添えられていなかった。
エグロードが見た銀閃は、殺気と共にノゾムが放った剣気。“そこを斬るぞ”と明確な意思をもって放たれた架空の剣閃だった。
あまりに濃密な剣気は、相対していたエグロードだけでなく、傍で成り行きを見守っていたアイリスディーナ達や各国の要人達にすら、その架空の剣閃を幻視させてしまうほどの物だった。
「ノ、ノゾム……」
ノゾムの強烈な剣気に当てられたアイリスディーナが、思わず声を漏らす。
相対していたエグロードはその硬質な目を細めると、口元を吊り上げた。
「……なるほど、臆病者の兎ではなく、主に尻尾を振る犬というわけか。なら、せいぜい飼い主に見捨てられぬようにしておけ。フランシルトはお前が思うほど、清廉潔白ではないぞ」
もう話すことはないのか、エグロードは踵を返して訓練場を立ち去っていく。
エグロードの姿が校舎の影に消えると、訓練場を包んでいた張りつめたような空気がようやく和らいだ。
身がすくむような緊張感から解放された生徒や要人達は、チラチラとノゾム達を覗き見ながら、そそくさと訓練場を後にしていく。
「ノゾム。大丈……」
「すまないアイリス。俺が下手を打った」
「いや、いいんだ。開園祭のこの時、ファブラン家が接触してくるのは分かっていたから。それに、あの人があの態度なのは、いつでもどこでも変わらないよ」
だから、気にするだけ無駄だ。
そう言葉を付け加えながら、アイリスディーナは笑みを浮かべた。
特に気にした様子が見えないことからも、あの貴族の突っかかるような態度は、今に始まったことではないのだと、ノゾムも判断した。
しかし、ノゾムの表情には、僅かな影が差していた。
“芯がない”
かつて、ヴィクトルと同じように言われたその言葉が、ノゾムの胸の奥でしこりの様に疼いていた。
訓練場を後にしてソルイナティ学園内に戻ったエグロード、その後ろに、エグロードの腹心、メクリアが付き従う。
「メクリア……」
「それで、いかがでした? かの龍殺しは……」
「お前の言う通り龍殺しだったとしても、現状では毒にも薬にもならん。だが……」
思い出されるのは、最後に放たれた剣気。
数多の武人や貴族、王族と相対してきたエグロードとしても、目の当たりにしたことがないほどの濃密な殺気であり、もしあれが一般人に直接向けられていたら、“斬られた”と言う錯覚だけで、そのまま自死しかねない程のものだった。
持ち前の気丈さと貴族としてのプライド、何より一人の男としての矜持から表情をださなかったが、正直な話、エグロードも内心額に汗が浮かぶ思いだった。
同時にこうも思う。悪いものではないと。
「先方には、明らかに悪い印象をもたれたようですが……」
「はっ、北にディザード皇国、南にクレマツォーネ帝国を抱える我が国では、龍殺し一人程度では足りぬよ。それに現状では、奴はフランシルト家にいた方が、都合がいい」
実際の所、フォルスィーナ国の実情はかなり厳しい。
かの国は北を異形種の強国、南を軍事大国に挟まれている国情があり、もしフォルスィーナ国が龍殺しを抱えた場合、建国の起源に龍殺しを持つクレマツォーネ帝国が難癖つけてくる可能性がある。
また、北のディザード皇国とは国交が全くなかったが、最近限定的な国交を結ぶという話で、国内外が若干ピリピリしている。
もし、この状態で龍殺しなどという爆弾が爆発した場合、そのあおり一番食らうのは、かの龍殺しと最も親交のある家、つまりはフランシルト家だ。
「火中の栗はあの風見鶏に取らせる」
「よろしいのですか?」
「くどい」
そう副官に言い含めると、エグロードは控える副官を無視して歩き始めた。
己にとって忌々しいこの学園を、視界から振り払うように。