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第8章第14節


 馬車に乗ったヴィクトルとメーナ。

 ガタガタと揺れる馬車の中で向かい合いながら、二人は先ほど姿を現した政敵について意見を交わしていた。


「旦那様、彼はノゾム様の事を……」


「大まかな情報は掴んでいると考えていいだろう」


 ノゾム・バウンティスについて、そしてディザート皇国のウアジャルト家との密約について、ヴィクトルはエグロードがある程度の情報は掴んでいると考えていた。

 元々、この話はパルライン夫人からある程度示唆されていたからだ。


「もっとも、小僧が龍殺しであることは知らないだろう。この事実の隠匿にはあの白龍翁も関わっているのだからな」


 だから、ヴィクトルに動揺はない。

 ディザート皇国との限定的な国交樹立については自国の王から承認を受けているし、元々アルカザム否定派のエグロードにとって、この地は敵地も同然。簡単に協力者を得ることは難しいだろう。

 ノゾムについては、バックに白龍翁がついている。

 さらにパルライン夫人もノゾムに一目置いている節があることから、いくらエグロードが騒ごうが、大したことはできないというのが、ヴィクトルの考えだった。


「しかし、エグロードが自分から動いたということは、こちらに対して何らかの対抗策を有していると考えるべきです」


「分かっている。油断ならない右腕もいるからな」


 そう言いながら、ヴィクトルはエグロードの副官である妖艶な女性を思い出す。

 政敵の副官ということで、ヴィクトルもメクリアについては情報収集を行ってきたが、そのすべてがことごとく空振りに終わっている。

 ここ数年でのファブラン家復興の背景にいる人物として、ヴィクトルにとってメクリアは、頭の痛い存在だった。


「最終的なエグロードの目的は、このソルミナティ学園を排除する事、ないしはフォルスィーナ国とアルカザムの関係を断ち切る事だ。この学園や都市を維持するために、わが国にも少なからず負担をかけているからな」


 大侵攻の際の迅速な対応。そしてこのアルカザム建設。どれもフォルスィーナ国が最初に声を上げて先導してきた経緯がある。

 一方、その為に払った負担は決して軽くはない。

 いくら国内は大侵攻の被害を受けなかったとはいえ、経済的にはかなり逼迫しているといっていいのが現状だった。


「もっとも、そのおかげでフォルスィーナ国の発言力は、他に類を見ません。次に発言力が大きいのはクレマツォーネ帝国ですが、あちらは軍事力を背景にしているために反発も大きいです」


 クレマツォーネ帝国はフォルスィーナ国の南側に接する大国で、軍事力だけならフォルスィーナ国を上回っている。

 軍事的にも経済的にも脅威であるため、この帝国はフォスキーア国にとって、ディザード皇国と並んで頭の痛い存在だった。

 クレマツォーネ帝国は龍殺しの武力によって建国された、という経緯から、軍事色や侵略意欲が高い。

 その軍事力は大侵攻の際は大きな力と成ったものの、未だに周辺国からは警戒されいる。

 そのためヴィクトルは遠交近攻の考えから、アルカザムという、各国使者が集まることが出来るという環境を使い、クレマツォーネ帝国と隣接する国と友好関係を築いてこの帝国を封じてきたという経緯もあったりする。

 実の所、このアルカザムの地は人材育成や技術開発だけでなく、現在のフォルスィーナ国にとって、安全保障上なくてはならない地なのだ。

 

「旦那様はどのようなお考えで?」


「いくらか思い付くが、どれも王の決定を覆すには至らない。フォルスィーナ国の安全保障体系を変更することもな。だが……」


 何かが頭の奥に引っかかっている。

 歯の間に物が詰まったような違和感を覚えながら、ヴィクトルの意識は思考の海へと沈んでいった。


「まだ私にはやるべきことがある。学園へ行くぞ。ジハード殿に話しておくことがあるからな」


「はい、旦那様」


 だが、この時のヴィクトルの予想は裏切られることになる。

 エグロードが、既にノゾムが龍殺しであることを把握していたがために。








 ヴィクトルが馬車に乗る頃、エグロードは誰もいない議事堂の廊下で一人佇んでいた。


「メクリア……」


 エグロードがつぶやくと、柱の陰から妖艶な女性が姿を現し、深々と頭を下げた。エグロードの腹心、メクリアだ。

 エグロードは頭を下げる己の腹心には目を向けず、淡々とした口調で要件と告げる。

 

「アビスグリーフに関して、あの研究者が言ったことは本当か?」


「はい。新たに呼んだ烏曰く、虚偽の情報ではありませんでした」


「もう一つ。例の件はどうなった?」


「書簡は問題なく届いております。先方の気質から考えて、ほぼ間違いなく、開園祭に合わせてこの都市に来るかと……」


「そうか。では、精々かき回してもらうとしよう」


 エグロードがチラリと視線を窓の外に向けると、そこにはソルイナティ学園の白亜の校舎が覗いていた。

 忌々しいものを見たように眉をひそめると、エグロードは踵を返して議事堂の廊下を歩き始める。








 闇夜の中、雪が吹きすさぶ中にたたずむ、巨大な城。

 その天辺に設けられた豪奢な部屋。城の主が住まうその部屋に、その女性はいた。

 まるで女神のように美しく、死神のように冷徹な雰囲気を纏った美女。

 彼女は一枚の衣も身に着けず、その肢体を柔らかな天蓋つきベッドに横たえていた。

 その肌は新雪よりもなお白く、滑らかな長い銀髪が肌触りのよさそうな絹のシーツの上に広がっている。

 だが、何よりも特徴的なのは、血を思わせる紅の瞳。氷柱のように冷たい無表情と相まって、背筋が凍るような美貌に満ちていた。


「ふむ……」


 美女は鋭利な美貌を一ミリも動かさぬまま、サイドテーブルに置かれていたグラスを取る。

 グラスの中には真紅の液体が満たされているが、それはワインと呼ぶにはいささか粘り気があるように見えた。

 彼女はそれを躊躇いなく口に運ぶと、しばらく舌で味わった後にコクリと嚥下する。

 

「……あまり良い血ではないな」


 不満そうにゆがめられた口元から、鋭い犬歯がのぞく。

 そう、彼女は吸血鬼。ディザート皇国を支える七大家の一つ、ウアジャルト家の現当主である。

 その名を、ヴィトーラ・ルタラーク・ダット・ウアジャルト。

 氷像を思わせる鋭利な眉を僅かに歪めながら、彼女は手に持ったグラスをサイドテーブルに戻した。


「ご主人様、失礼いたします」


 唐突に、ドアをノックする音が響く。


「入れ」


 凍えるような返答に促され、部屋に入ってきたのは片眼鏡をした老紳士。

 その紅の瞳が、彼もまた吸血鬼であることを示している。


「ルガトか。どうかしたのか?」


「このようなものが届きました」


 以前ノゾム達と死闘を繰り広げた老紳士。彼は己の主の前まで来ると深々と腰を折り、その手に持った書簡を差し出した。

 

「フランシルト? 確か……」


「半年ほど前に、私が赴いたフォルスィーナ国の重鎮でございます」


「ああ、お前が珍しく契約履行をしくじった件か。それで、なんと言っているのだ?」


 一国の重鎮に対して、あまりにも無関心な口調。

 しかし、彼女の目の前で腰を折るルガトは、特に気にした様子もない。この主がこんなにも不躾なのは、今に始まったことではないからだ。

 絶対的な強者。

 ランクにしてSSにカテゴライズされる彼女の力は、もはや災害としか言いようのないほどだった。

 この城を覆う嵐も、彼女の力が無意識のうちに外界に影響を及ぼしている為である。

 象が足元の蟻に気づかないように、強大な力の持ち主である彼女もまた、政治等の俗事に興味は示さない。政治とは、弱者が拠り所とする集団を維持するために身に着けた、生存戦略だからであるからだ。


「例の密約の件でございます。なんでも、早急に会談の席を設けたいとの事。時間も場所も用意してあるようです」


「興味はない。元々この密約自体も、先代が結んだもの。

 国交の樹立に関して、皇の裁可も既に下った。この件に関してはお前に一任するから、好きにしろ」


「畏まりました」


 受け取った親書を、ヴィトーラは一瞥するだけで放り捨てる。

 本当にフランシルト家に対して興味がない様子だ。

 実のところ、フランシルト家と密約を結んだのは、彼女の先代当主である。

 そして、密約の存在が判明した後、その始末はほぼ全てルガトが担っていた。

 また、密約を結んだ契約書がノゾム達との戦闘で喪失して以降も、フランシルト家との交渉はルガトが中心となって纏めてきている。

 フォルスィーナ国との国交の樹立に関しても、ヴィトーラが行ったことは「別に良いぞ」という承認の一言と、ディザード皇国の皇への形式だけの報告と進言をしただけであった。

 そしてその皇からも、ウアジャルト家の領域内に限るなら、別にかまわないとの裁可が下っていた。

 こんな適当な政治でいいのかと思えるかもしれないが、この国では各家の権力、自治権は完全に独立しており、皇の裁可が許す範囲ならば、領域内で何をしようが自由なのだ。

 その皇とて、普段は特に明確な命令を下すことはない。逆に言えば、そうでないと国がうまく回らないともいえる。

 もちろん、明らかな外敵と戦うことになれば、各家もそれなりの協調姿勢は見せる。

 しかし、他種族と頻繁に対立してきた歴史を各種族が持つゆえにそれぞれの独立心が強く、無理に各家の意思統一を図ろうとすれば、それが不協和音となって結果的に内乱が勃発しかねないのだ。

 

「そういえば、お前を退けた者の名は何と言った?」


「確か、ノゾム・バウンティスと申す若者でした。今では、かの学園で相当注目されている様子。あのジハード・ドラウンデルも、一目置いているとか……。以前も一度、お話ししたはずですが?」


「ああ、そうだったか? その時はゲリュヌス家の戦士が挑んできていたから、覚えていなかったよ」


 ゲリュヌス家は、ウアジャルト家と同じ皇国を納める大家の一つで、淫魔によって構成されている。

 淫魔は直接的な戦闘能力こそそれほど高くはないが、男性も女性も見目麗しく、催眠魔法に長け、異能によって相手の生命力を直接“吸精“することができる。

 淫魔の吸精方法は、相手の肌に触れることであり、触れられた相手は吸い上げられる生命力と引き換えに、猛烈な快感を得られる。

 ただし、生命力を根こそぎ吸い取られて死に至る場合も多く、昔から人間や他の亜人からは忌み嫌われていた種族でもある。

そのため、過去には魅了した他種族を奴隷にしたり、逆に他種族から奴隷にされたりなど、どっちもどっちと言えるような対立を繰り返してきた。

 ちなみに、淫魔の吸精効率は相手とどれだけ深く肌を重ねられるかで決まり、その家からの挑戦というのは、世間的な場での明言は憚られる内容の挑戦であった。

 具体的には、ベッドの上でニャンニャンするアレである。

 

「私としては、高貴なる姫に対する挑戦としては、いささか礼儀を失するように思われますが……」


「良い、どのような勝負であろうと私は受ける。そして、真正面からすべてを叩き潰して見せよう」


 その勝負でかけられたのは、彼女自身。

 絶大な力を持つ彼女の存在は、敵になれば絶対の死神となるが、身内に引き込めれば確実な勝利を約束する女神ともなる。

 そんな彼女を篭絡しようと、ゲリュヌス家は自分たちが最も得意とするベッドの上での勝負を挑んできたのだ。


「感心するべきか、呆れるべきか、迷うところです。それでも主には、戯れに過ぎなかったのですが……」


 そして彼女はその言葉通り、ゲリュヌス家の挑戦を正面から粉砕した。文字通り圧倒的な“格の差”を見せつけて。

 その時のことを思い出したのか、ヴィトーラの雰囲気が若干熱を帯びてくる。


「初めはまるで巨人のようにいきり立っていたが、少し撫でてやったらあっという間に子猫のように大人しくなったよ。

 いささか拍子抜けしたが、あれはあれで可愛いものだ」


 端正な口元をわずかに緩ませながら、ヴィトーラはその時の出来事を話していく。

ムワッとした色気が、室内に満ち始めた。

 ベッドの上での睦み合う事も、彼女は決して嫌いではなかった。むしろ、好む部類である。

 気に入った強者なら、閨を共にするのは男でも女でも、さらには魔獣でも構わないというのが、彼女の信条だった。


「とはいえ、最後は干物のように干からびてしまったよ。あれでは私の寵愛を受けるには値しない」


 それでも、ゲリュヌス家の挑戦者は最後まで彼女の目を引き付ける事は出来なかった。

 それは偏に、その戦士が彼女に“負けた”からである。

 血が湧き、肉躍る戦いこそ至高。そして、たとえどんな手を使おうとも、勝利こそが絶対。

 それこそが彼女の信念であるがゆえに、彼女が敗者に興味を抱き続けることはない。

 死と共に勝利に愛された姫。それが死鬼姫ヴィトーラ・ルタラーク・ダット・ウアジャルトだった。


「フランシルト家との交渉は任せる。必要なら、お前が直接赴いて交渉の席についてやれ」


「承知いたしました。では、私はこれで……」


 ルガトは恭しく頭を下げて、主の部屋を後にする。

 ヴィトーラは退室するルガトを一瞥すると、サイドテーブルに乗せておいたグラスを再び手に取った。

 グラスの中に僅かに残った血が、蝋燭の光を鈍く照り返している。


「人間の街に興味は湧かない。しかし、ルガトを退けた者達には興味があるな。少なくとも、この血で怠惰を癒すよりは……」


 ヴィトーラの指からグラスがスッと零れ落ち、床にぶつかってパリン! と音を立てて割れる。

 砕けたガラスと飛び散った血が高級感あふれる床に広がっていく。

 しかし、ヴィトーラは、まき散らされたグラスの中身を気にする様子もなく、未だに嵐が吹き荒れる窓の向こうを眺めていた。

 その時、コンコンと窓ガラスを叩く音が響く。

 ヴィトーラが音のした窓に視線を向けると、吹雪の中で紅目のカラスが、ジッと彼女を見つめていた。 

 猛吹雪の中訪れてきた、明らかに不審なカラス。

 一文字に閉じられていた彼女の口元に、僅かに笑みが浮かんだ。




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[一言] Espero llegue sus libros licenciados a Latinoamérica para comprarlos, muchas gracias por u magi…
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