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第8章第10節

 

「生まれたばかりのアイリスディーナと、フィラーナの姿絵だ。ヴィクトルが二人の姿を残しておきたいと思い、自分で描いたものだよ」


 パルライン夫人が拾い上げた、一枚の母娘画。

 ノゾムには、その絵画が芸術的にどれだけ優れているのかは分からない。

  だが、見ているだけで思わず笑みが浮かんでしまうような、不思議と目が惹きつけられる絵だった。

 しばしの間、ノゾムは熱に当てられたように、掲げられた姿絵に見惚れてた。


「綺麗な人ですね……。それに、とても幸せそうだ……」


「幸せだったさ。間違いなく、ね……。だけど、彼女は長生きできなかった」

 

 意味深な言葉を呟きながら、夫人は杯の中のワインを一気に飲み干した。胸の芯に響くような声色に、ノゾムは思わず息を飲む。

 この後の結末を、ノゾムは知っている。以前にソミアから、大まかな話を聞いているからだ。

 しかし当事者が語る言葉は、息が詰まるほど重みとなって、ノゾムに圧し掛かってきた。


「アイリスディーナ様がお生まれになってからしばらくの後、フィラーナ様は第二子をご懐妊されました」


 パルライン夫人の言葉に続くように、今度はメーナが口を開く。

 当時の事を思い出したのか、女中長が悲壮な表情を浮かべる。


「しかし、奥様は元々の虚弱体質もあり、少しずつ体調を崩すようになっていました」


 元々体の弱かったフィラーナは、妊娠したことで徐々に体力を失い、ベッドに寝込むことが多くなっていく。

 それでもフィラーナは、母親として娘や夫を心配させまいと笑みを浮かべ、娘もまた母に気を使わせまいと、笑顔を返していた。


「順調に育っていくお腹の子と違い、奥様は徐々にやつれていき、遂には立つ事もままならなくなってしまいます」


 胎児の順調な成長に反して、弱っていく母親。その様は、まるで母が自らの命を子に与えているようであったと、メーナは語る。

 ノゾムは、弱っていく母を間近で見続けていたアイリスディーナの心境は、いったいどんなものだったのだろうかと思いを馳せるが、何も言葉は出てこない。

 ただ、言いようのない苦々しさが、胸の奥に広がっていく。

 

「お嬢様は、奥様の為に何かできないかと考えられましたが、当時のお嬢様では何もできず、旦那様は既に国中から腕の良い医者を呼んで希少な薬をかき集めておられましたが、既に奥様の体は限界でした」


 元々弱い体に、妊娠によって激増した負担は、フィラーナの体には重すぎた。

 それはさながら、腐った船底に穴が開く様によく似ていた。

 いくら穴を塞ごうと杭を打ち込んでも、腐った船底の穴を広げるだけ。水を掻きだそうとしても、崩れた底板は水圧に耐えきれず、次々と穴が開いていく。

 ヴィクトルが必死に施した治療も、アイリスディーナの切なる願いも、消えそうになっているフィラーナの時間を、僅かに延ばすことしかできなかった。


「そしてフィラーナは、アイリスディーナの前でソミリアーナを産んで、この世を去った……」


 悲哀に満ちたマザリネットの言葉が、染み渡るように宙に溶けていく。


「奥様の亡骸の前で、産声を上げられているソミリアーナ様を抱きながら、アイリスディーナお嬢様は誓われました。

 亡き母に代わり、私がこの小さな命を守る、と……」


 母の命を代償に生まれてきた妹と、その小さな命を掻き抱きながら、誓いを胸に刻み込んだ幼い姉。

 アイリスディーナが自分の道を定めた、始まりの出来事。

 自らが体験したことでもないのに、ノゾムは胸が締め付けられるような痛みと共に、ギュッと拳を握っていた。


「アイリスディーナが当主となることを決めたのも、ソミリアーナを守るためだ」


 今でこそ次期当主と言われているアイリスディーナだが、メーナ達の話では、生まれた時から次期当主として名が挙がっていたわけではないらしい。

 当時、最もその名に近いといわれていたのは、アイリスディーナの叔父。ヴィクトルの弟にあたる人物だった。

 ヴィクトルとしても、初めからアイリスディーナに自らの後を継がせる気はなかった。

 当主が背負う責務を考えた場合、分からなくはない。

 しかし、アイリスディーナは、血の滲むような研鑽を重ね、父親に自分の価値が次期当主として相応であると認めさせた。


「もしかして、銀虹騎士団に入るというのも……」


「当主になるには、目立った功績もまた必要。そういう意味で、銀虹騎士団へ入ることは、彼女が当主になる上で大きなプラスとなる」


 大侵攻以降に設けられた銀虹騎士団の知名度は、その規模と浅い歴史に反して異常なほど高い。

 曰く、一人の騎士が百を超える魔獣を切り伏せることができ、三人の騎士が集まれば竜を容易く屠ることができる。

 特に有名なのが、渓谷都市の縦断突破。

 魔獣の巣窟になってしまった渓谷都市を、わずか十人の騎士で突破し、血路を開いたという逸話だ。

 そんな話が、まことしやかに駆られるほど、その実力と名声は、このアークミル大陸に轟いている。


「もちろん、アイリスディーナの中には多くの人を守りたいという願いもあっただろうね。病弱な母親を支えたのは父親だけでなく、フランシルト家に仕えてくれていた者達であり、領民達もいた。当時の彼女は、幼いながらも、その事を理解していたよ」


 貴族は民に支えられ、民は貴族の生き様を心の支えの一つとする。

 貴族と平民は、人という文字が示すように、互いが互いを支えている関係を持つ。

 アイリスディーナは幼い時から、その真理と貴族としての姿を、父と母から学んでいたと、マザリネットは語った。


「ソミリアーナ様を守ると決めてから、お嬢様は文字通り身を削るように修練と学業に専念されました。」


 亡き母に誓った決意。その思いを胸に、アイリスディーナは人の上に立つ、一人前の貴族にならんと努力を続けた。

 メーナからは剣や魔法の使い方を学び、マザリネットやヴィクトルから社交界での振る舞い方を学び取っていく。


「その様は、まさしく飛び続けなければ生きていけないアマツバメのようでした」


 そう言いながら、散らばる調度品から持ち出したのは、ちょうどノゾムの肘から指先ほどの長さの、小ぶりの細剣。

 装飾はほとんどない、実用のみを考えられた品だった。


「これは?」


「当時のお嬢様が使われていた、練習用の細剣です」


 手渡された細剣を矯めつ眇めつしていると、ノゾムはあることに気付いた。

 細い柄にこびり付いた黒い跡。垢や汗の後とは明らかに違う、錆鉄のような染みに、ノゾムの目が鋭くなる。


「これは、血の跡?」


「はい……」


 ノゾムが漏らした言葉に、メーナが目を伏せながら頷く。

 濃淡もまちまちで、濃かったり薄かったりするところから、何度も何度も落としては汚れてきた事を窺わせる血の跡。

 更に、こびり付いた血の跡をよく見ると、柄にうっすらと小さな手の跡が浮かんでくる。それが、ノゾムの予想を肯定していた。

 この細剣を使っていた少女は、血豆が潰れてもかまわず、この細剣を振るい続けていたのだろう。それこそ、何年も何年も。


「お嬢様の願いは、ソミリアーナ様の幸せ。そして自らの責務を全うし、多くの民を守る事。その為には、あらゆることを惜しみません」


「言い方は悪いかもしれないが、必要なら、今のアイリスディーナなら海千山千の貴族達すら、利用しきるかもしれないね。今の坊やには、よくわからない感覚なのかもしれないが……」


 マザリネットの言葉に、ノゾムは思わず目を見開いた。

 まるで心臓を握られたように、胸がギュッと苦しくなる。

 彼女の言う通り、貴族としての感覚などノゾムには全く無く、アイリスディーナの背負う責務も、言葉以上の実感を覚えてはいない。

 ただそれでも、ノゾムはアイリスディーナが背負った重圧を、想像できないほど愚かではない。

 今のアイリスディーナは十七歳。その背中に背負うには大きすぎるものを、彼女はとっくの昔に背負う決心していたのだ。


「ある意味、彼女の夢と言えるね」


「……夢?」


「そうさ。夢とは“どんな人間になりたいか”という願望。稽古や修練は、そこに至るための手段。

 アイリスディーナにとって、夢とは“肉親を守りきれる人間になる事”“自らの責務を全うし、多くの民を守れる人間になる事“なんだろうね」


「…………」


 アイリスディーナの夢の形に、ノゾムは思わず押し黙る。

 ノゾムはそっと、細剣の柄に浮かんだ血跡に、自分の手を重ねてみた。


「どうかしたのかい?」


「いえ、ちょっと思うところがありまして……」


 ノゾムは、アイリスディーナの目的が銀虹騎士団に入る事だとは知っていたし、彼女が多くの人を救いたいと言っていたことも覚えている。だが、その裏にあるものを考えた事はほとんどなかった。

 こびり付いた血跡の大きさは、ノゾムの手の半分くらい。その小ささに、ノゾムは思わず胸が詰まる。

 今になって、ノゾムはアイリスディーナが背負った責務の一端を、実感していた。


(遠いな……)


 言いようのない苦い思いが喉元まで込み上げる。

 ノゾムの脳裏に蘇るのは、アイリスディーナの笑顔。自分を受け入れてくれた、失いたくないと思える人。

 想像もできない多くの物を背負いながらも、前を見つめて歩いていく彼女の姿を思い浮かべながら、ノゾムはどうしようもないほどの距離感と寂寥感を覚えていた。















「で、いつまで死んだふりをしているんだい?」


 ノゾムが出ていった後の執務室で、マザリネットが机に突っ伏したままのヴィクトルを小突くと、今までピクリともしなかった彼の体が、ムクリと起き上った。


「あの小僧と一緒に酒など飲めるか……」


 皺になった襟を整えながら、ヴィクトルは不満そうな声を漏らした。

 肩を怒らせるヴィクトルを眺めながらも、マザリネットは呆れた様子でプラプラと手を振っている。どうやら、今のヴィクトルの答えが不満だったらしい。


「そういう割には、アイリスディーナの話を止めに入らなかったね。本当は、聞かせるつもりだったんだろう?」


「…………」


 押し黙るヴィクトル。その態度が、パルライン夫人の言葉を肯定していた。

 元々、ヴィクトルとしては、ノゾムを牽制するつもりでもあった。

 ノゾムとアイリスディーナ。双方の身分は、それこそ天と地ほどの隔たりがある。

 ノゾムが今までその実感が薄かったのは、アイリスディーナと出会った場所が、偏にこのアルカザムだったからだ。

 このアルカザムは、あらゆる国からの干渉を受けない。貴族や王族という身分も、ここでは敬意を受ける対象ではあっても、権力には直結しないのだ。

 ある意味、世界の権力構造の空白地。この地で出会ったからこそ、二人はすんなりと友人となるまでに関係を進展させられた。

 もちろん、ヴィクトルとしても、娘の友人関係が広がることは良きことだと考えており、特に口を挟む事はしない。

 しかし、これが“それ以上の関係”になっていくなら話は別だ。

 利用し合うだけにしろ、情を交わらせる間柄にせよ、一定以上距離を縮めるなら、絶対に知らなければならない事実である。

 ヴィクトルは窓の外を眺めると、ふん……と息を吐いた。 


「お前とて、腹に一物抱えてこの屋敷に来たのではないのか?」


 察しているぞ、と言うように、確信をもって放たれたヴィクトルの台詞に、パルライン夫人は肩を竦めるのみ。

 肯定も否定もせず、曖昧な表情を浮かべている貴婦人に、ヴィクトルもまた硬質な視線をぶつけ続ける。

 主人の言葉を代弁したのは、隣で二人の様子を見守っていたメーナだった。


「それで、マザリーはどうして、お嬢様の頼みを聞き入れる気になったの?」


「ノゾム・バウンティスが気になる、だけじゃ納得しないんだろ?」


「ええ、暇だと言っていましたが、実業家の貴方が暇になる時など殆どないはず。おそらく、ほかに理由があったのでしょう?」


「まあ、ね……」


 メーナのいうとおり、実業家であるマザリネットは常に多忙だ。

 彼女自身、自らがやるべき仕事を他者に押し付けたりはしないし、果断な性格が問題を先送りにすることを許さない。

 故に、彼女がダンスの講師などという事をしている時間など、本来あるはずがないのだ。


「あの坊やが気になったのは確かだよ。ジハード殿との模擬戦は私も目の当たりにした。はっきり言って背筋が震えたよ」


 ノゾム・バウンティスの人柄を確かめることも、もちろん彼女の目的の一つである。

 ジハードと渡り合ったあの武技園での試合を見て、興味を覚えない者などいない。

 実際に水面下では、いかにして自分達をノゾムに売り込もうかと考えている各国のスカウトが、大勢しのぎを削っている。近々行われる開園祭にて、その戦端が開かれるだろう。

 だが、マザリネットが確かめたかったのは、彼を調べていく過程で見えてきた、旧友たちに取り巻く影の方だった。


「それで、調べていく過程でちょっと色々な話が入ってきたのさ。

何やら、ここ最近、お家の方が色々と騒がしいそうじゃないか? その辺りの所をちょっと確かめておきたくてね」


 最近、秘密裏に動いているフランシルト家だが、マザリネットが見ても、彼らの動きはやや浮き足立っているように見えた。

 そして、それを調べていく過程で見えてきたのは、フランシルト家と隣国ディザート皇国との繋がり。

 国交の成立していない国との密約は、場合によっては謀反を企んでいると取られかねない話だ。

 もちろん、マザリネットとしても、ヴィクトルが謀反などという事を企むような人間ではないことは百も承知だ。

 もし、ヴィクトルが謀反を企むなら、親類縁者に完全に根回しを終えてから、本格的に行動を開始する。浮足立つような事などないだろう。

 つまり、フランシルト家が一時的にも混乱したという事実が、この家にとっても、何か不測の事態が起こった事の証左だった。


「手は打ってある。すでに王にも話を通した」


 簡潔に、断片的な結果だけをヴィクトルは口にする。

 ディザード皇国との国交の樹立。それが、ヴィクトルの対抗策だった。

 つまり、過去のフランシルト家の汚点である密約を、ディザード皇国との国交樹立によって、覆い隠してしまおうと考えているのだ。

 およそ三百年前の密約は、既にその効力自体が消滅している。

 さらに、ウアジャルト家側の契約書はノゾムが切り捨て、フランシルト家側のものはヴィクトルが処分したため、その具体的な内容の裏付けは不可能。

 後は、ウアジャルト家側を納得させ、この密約自体が国交を結ぶ前の、外交使節団派遣要請へと変えてしまえば、密約の内容は完全に闇へと葬られることになる。

 断片的な内容しか口にしないヴィクトルに対して、マザリネットは特に追及する様子を見せない。

 彼女も、ヴィクトルの策について、ある程度は察していたからだ。王の承認もあるという事も、大きな理由だった。

 国交樹立を認めたフォルスィーナ国王が、フランシルト家の現状を知らないはずはない。

 察しているからこそ、国内外の情勢を見極めた上で、国王は承認の印を押しているはずだ。


「でも、近々この街に“暴君”が来るようだけど?」


「エグロードの事か……」


 二人の懸念材料は、近々この街にやってくる政敵の事だった。

 エグロード・ファブラン。

 フランシルト家の同格の権威と地位を持つファブラン家を治め、ヴィクトルとあらゆる面で真っ向から対立している大貴族。

 実は、ファブラン家は先代当主が政治的な失敗を繰り返したため、弱体化の一途をたどっていた。

 しかし、八年程前にエグロードが当主の座に就くと、瞬く間に勢力を盛り返し、今ではフランシルト家と肩を並べるほどの権力を取り戻してきている。

 特に軍部内では、ヴィクトルよりも強い発言権を持っていた。

 件の人物の姿を思い出したのか、ヴィクトルは忌々しそうに眉を顰めると、傍にあったグラスを引っ掴み、瓶に残っていたワインを全て注ぐ。


「あの太腕漢は、今でもアンタを目の敵にしている。先代は愚物だったが、あいつはそれなりに頭も回るし、何より有能すぎる右腕がいる。アンタの所の騒動も、耳に入っているだろうね」


「それでも、嫌がらせ以上のことはできぬだろう。下手をすれば、王に対する反逆となる。それに先ほども言ったろう? 手は打ったと……」


「なら、いいけどね……」


 沈黙と共に、ヴィクトルとマザリーは、どちらともなく話を終える。

 それ以上の言葉を交わす必要などないというように、ヴィクトルはグラスに注いだワインを一気に飲み干した。


「ところで、アイリスディーナの事はいいのかい?」


「ああ、銀虹騎士団に入ると言っていることか?」


「それもあるけど……さ」


 マザリネットも、アイリスディーナは目をかけて可愛がっていた。

 親友の娘ということもあるし、人の汚い欲望に晒されても、自分を見失わなかった少女の姿に、感銘を受けた事さえあった。

 だからこそ、彼女の身が心配になる。

 次期当主の座がほぼ確定しているとはいえ、彼女が自分で選んだ道はとてつもなく厳しい。

 銀虹騎士団に入り、その責を全うすれば、間違いなくアイリスディーナはフランシルト家の当主になるだろう。ソミリアーナの身も、安全が確保される。

 フランシルト家直系の血を継ぎながらも、次女であるソミリアーナは、権力を追い求めるハイエナには涎が滴るほどの得物。そんな者達の干渉を、アイリスディーナ自身が排除できるようになるのだ。

 しかし同時に、アイリスディーナ自身に降りかかる危険は、桁外れに跳ね上がることになる。

 それこそ、梅雨の雨のように、決して途切れることなく、細い彼女の体を打ち据え続けるだろう。

 少数精鋭が旨の銀虹騎士団にはいるということは、そういう事である。

 

「どうもこうもない。私の願いはともかく、あの娘がそう決めたのなら、精一杯叶えさせてやりたい」


 ヴィクトルはそんなアイリスディーナに降りかかる危険を承知の上で、彼女の夢を肯定した。

 もちろん、父親としては、娘をそんな危険な場所に送るなど、死んでもごめんである。

 しかし、それでも彼は、娘を止めることはしない。それが、死した母の前で、アイリスディーナが心の底から思い、選択したことだから。


「それに、人が生きる上で、しがらみから逃れることなど出来ぬさ。私も、アイリスディーナも、そしてあの小僧も」


 フランシルト家という枷。しかし、その枷があったからこそ、アイリスディーナはあそこまで自らを高めることが出来たともいえる。

 枷というものは、それを掛けられた者にとって、必ずしも負の面だけを齎すものではないからだ。

 アイリスディーナは、産まれ持っていた己の枷を、逆に己の武器へと変えた。泣き母への誓いと、父の背中を糧として。

 それは、ノゾム・バウンティスにも言える。彼もまた、大きな枷に身を捕らわれた人間の一人だ。

 彼はアイリスディーナと違い、未だにその答えを見出したわけではないが、いずれ選択の時は訪れるだろう。


「自分ができる限りの、多くの人達を助けたいか……」


 漏らすように呟いたマザリネットの言葉に、ヴィクトルが頷く。


「母親を失い、魑魅魍魎が蠢く貴族界の中で数多の悪意に晒され、それでも真っ直ぐに育ってくれたのは、本当に僥倖だった」


「まあ、アンタの影響も大きいと思うけどね」


「……ふん」


 気恥ずかしそうにそっぽを向くヴィクトルの姿に、マザリネットは頬を緩める。

 ヴィクトルは生温かい視線を送ってくる友人の視線を背中に感じながら、改めて自分自身に誓いを立てた。


「私は、フランシルト家の長だ。当主としての責務、そして、親としての責任を果たすために、あらゆる行為に手を染めよう」


“たとえ、娘の愛しい人の手を振り払うことになったとしても……”


 最後の言葉を飲み込みながら、ヴィクトルは窓の外に目を向ける。

 気が付けば、外には雪が舞っていた。



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