第8章第7節
お待たせしました。
今回は本編でも関わるお話。
ヒロイン達の夢の再確認です。
パルライン夫人からのレッスンが終わった時には、すでに夜が更ける頃になっていた。
日は完全に落ち、空には星が瞬いている。
ノゾム達はフランシルト邸でかなり遅めの夕食をご馳走になり、美味な食事に舌鼓を打った後に寮に帰る予定だった。
ところが、食事後にアイリスディーナが言い放った一言が、ちょっとした騒動を引き起こすことになる。
「ノゾム、予想以上に夜も遅くなったし、今日は泊まっていかないか?」
「え?」
「なにーーーーーーーー!」
いの一番に抗議の大声をあげたのは、当然ながらヴィクトルである。
“いくら気心が知れているとはいえ、異性を自宅に泊めるのはまかりならん!”とか、“もし間違いがあってはならない! 夜道が不安な女性陣はともかく、男性陣は寮に帰すべきだ!”と、言葉だけは至極まっとうな抗議を述べる。
もちろん、その言葉の裏に、娘に対する愛情の暴走があることは間違いない。
しかし、アイリスディーナも反論を述べる。
“この屋敷には女性だけでなく男性の使用人も泊まっている。元々屋敷の空き部屋も十分あり、今更異性がこの邸宅に泊まることは問題ではない”
“そもそも、ノゾム達はフランシルト家の恩人である。そんな人物に礼儀を失する対応は、フランシルト家の威厳に関わる”
と、真正面からヴィクトルと対立。
こちらも言っていることはもっともだが、その言葉の端に若干怒りの色が覗えた。
さらにアイリスディーナは、こっそり屋敷のメイドたちに命じて、ノゾム達の部屋を用意させる周到さを見せる。
しかも、ノゾム達に用意された部屋は、屋敷の中心を挟んで、アイリスディーナ達の部屋の正反対。
つまり、女性陣の部屋から一番遠い場所に用意されていた。これも、恐らくヴィクトルを丸め込むためだろうと考えられる。
「い、いや、いくらそんな事を言っても、父親として許容する訳にはいかん! 」
だが、もちろんその程度ではヴィクトルも引き下がらない。
何とかしてノゾム達を追い出そうと弁論を続けるが、肝心のアイリスディーナはヴィクトルを完全無視して、別の人物に声をかけた。
「パルライン夫人の部屋もご用意してあります。ぜひ今日はこの屋敷にご逗留ください」
「おや、夕食までごちそうになったのに悪いね」
「いえ、今日は私の方が無理を言ってお越し頂いたのです。ぜひ、ごゆるりとお寛ぎ下さい」
パルライン夫人はアイリスディーナとヴィクトルの喧騒を面白そうに眺めながら、ゆっくりと食後のワインを味わっていた。
彼女の後ろには二人の女性メイドが控えている。
彼女達はパルライン婦人お付きのメイドであり、一人はショートカットに切り揃えた紺色の髪が特徴的な綺麗な女性。もう一人はふんわりとした褐色の髪を持つ、可愛らしい女性だった。
二人とも、見た感じはノゾム達と同年代に見える。だがノゾムは、彼女達が相当な実力者であり、玄関で自分に警戒の視線を送ってきた者達であると確信していた。
パルライン婦人の後ろに控える彼女達の立ち姿に隙は全くなく、場の空気に溶け込みつつも、主に降りかかる危険を払おうと警戒を怠らない。
その姿は、さながら守護霊のようだった。
「アイリスディーナ! 話はまだ終わっていないぞ!」
「父様、この屋敷の主は私です。それに、私は若輩ではありますが、フランシルト家の次期当主。
父様は、そんな私が軽はずみな行動を取ると本気でお思いですか?」
「う……」
一方、喧々囂々と繰り返されている親子喧嘩は、アイリスディーナに天秤が傾きつつあった。
凛とした威厳のあるアイリスディーナの雰囲気にヴィクトルが一瞬言葉に詰まる。
ヴィクトルは完全に血が上った頭に、冷水を掛けられた形になっていた。
「いいんじゃないかい? アンタだって、学生時代は随分とバカやっていたじゃないか」
そんな時、傾いた天秤をさらに押し込むような助勢がアイリスディーナ側についた。
突然アイリスディーナに味方を始めたパルライン夫人の様子を見て、ヴィクトルの額に冷や汗が浮かぶ。
「お、おい、マザリー!」
ヴィクトルが、思わず学生時代のパルライン夫人の愛称を漏らす。
「ええっと、父様、何をやっていたんですか?」
「おや、ソミリアーナは知らなかったのかい?」
パルライン夫人の言葉に、ソミアはコクリと頷く。
ヴィクトルが何やらブンブンと首を振っているが、夫人はチラリと横目でヴィクトルを一瞥すると、意地の悪い笑みを浮かべた。
「何なら話してあげようか? 女子寮に忍び込んで警備の女性騎士に不審者として斬り捨てられそうになったり、デートの約束がトリプルブッキングして誤魔化そうとした挙句、その現場をフィラーナに見られて……」
「わかった! 私が悪かった! 頼むからもうやめてくれ!」
フィラーナとは、ヴィクトルの妻。つまり、アイリスディーナ達の実母である。
ノゾム達はおろか娘達さえ知らなかったようだが、このご当主様、若い頃は相当なプレイボーイだったらしい。
なんでも、学生時代は常に二、三人は交際していた女性がいたそうだ。
「父様……」
「ま、まだフィラーナに交際を申し込む前の話だからな!? 時効だからな!?」
娘達から父親に向けられる絶対零度の視線。
ヴィクトルは必死に弁解しようとするが、この場合、何を言っても彼の評価を下げるだけである。
ちなみに、フィラーナ、つまりアイリスディーナの母親に惚れ込んだ後は、軟派な行動はきっぱり取らなくなり、真摯に彼女を想い続けたらしい。
フォスキーア国では、別に第二夫人を持つことを禁止してはいない。
特に身分が高い家ともなれば、保険が必要になる場合もあるからだ。
勿論、経済的に余裕がない限り第二夫人を持つことは出来ないし、それ相応の権威も必要にはなる。
だが、フォスキーア国は十年前も魔獣の侵攻を直接は受けておらず、数多の妻を持つという気質は、貴族や王族などの一部を除けばほぼ無いと言え、また貴族の間でも、徐々に廃れてきていた。
これは、数多の家と婚姻関係を結んでしまうと、結局は本家の勢力を削がれる結果になりかねないからだ。
ヴィクトルもまた、フィラーナを第一夫人として迎えて以降、決して第二夫人を迎えることはしなかったが、これは彼が妻を一途に想っているが故である。
アイリスディーナも幼い頃、病に伏せった母親を必死になって助けようとするヴィクトルの姿を見ているので、頭では納得している様子。
しかし、普段は常に立派で、威厳のある理想の父と思っていただけに、その落差にどうしても落胆を隠しきれない様子だった。
ソミアに至っては、その落差がより顕著であった。
初めて見た父親の情けない姿。なおかつ、その理由がこれまた庇いようのない酷いものだっただけに、心底嫌そうな目をヴィクトルに向けている。
結局、娘達からの冷たい視線に耐えきれなかったヴィクトルはあっさりと折れ、ノゾム達を屋敷に泊めることを承認。
本人は滝のように涙を流しながら、自室に引き篭もってしまった。
月が天に上り、その穏やかな光で夜の街を照らす頃、フランシルト邸の浴場に、女性陣の驚嘆の声が響いていた。
「うわ~! 広~い!」
「なにこれ、学園の教室より大きいんだけど……」
バカでかいとしか、表現しようのない浴場。
泉をそのまま持ってきたのではと思えるほど広大な浴槽には、乳白色のお湯が張られ、大理石によって削り出された調度品が、広大な浴室を荘厳な宮殿へと変えている。
まさしく最高ランクの浴室。
平民出身の女性陣は、感嘆の声を漏らしながら、キラキラと瞳を輝かせていた。
「ひゃっほー!」
一番に突撃したのはミムル。
バシャン! と派手な水しぶきを上げながら浴槽に飛び込むと、子供のようにスイスイとお湯の中を泳ぎ始める。
「うわー、なにこのお風呂、泳げちゃうよ、ほらほら!」
「ちょっとミムル、はしたないわよ! まず初めに体を洗いなさい!」
シーナが渋い顔をしながらミムルを諌めつつ、彼女をお湯から引っ張り出す。
彼女はそのままミムルを近くにあった風呂椅子に座らせると、頭からお湯をぶっかけ、石鹸で擦り始めた。
「うにゃ~! シーナ、耳、耳はやめて~!」
「うるさい、大人しくしなさい!」
「あはは、ミムルさん、やっぱり耳は弱いんですね」
シーナのやや強引な洗浄にミムルが悲鳴をあげるが、エルフの少女は構わずガシガシとミムルの頭を洗っていく。
一方、ほかの女性陣はペットのように洗われているミムルに苦笑を浮かべつつ、自分たちも石鹸で体を洗い始めていた。
綿菓子のような滑らかな泡が、少女たちの瑞々しい肌を覆い、流れていく。
しかも、そのここにいる少女達は、街を歩けば、誰もが振り返るほど見目麗しい。
どこかの色欲龍が見たら、鼻血を出して発奮すること間違いなしの光景が広がっていた。
「カミラ、背中流してくれる?」
「え、ええ」
「ほら、ティマさんはこっち」
「うえ!?」
中には互いに体を洗い合う娘達もいた。
三人並んで背中の洗いっこ。リサがカミラに背を向け、さらにリサはティマの腕を引っ張って自分の前へ。
恥ずかしがり屋のティマは突然背中を洗われている状況に思わず背を丸めて縮こまってしまう。
膝を抱えるように身を丸めたことで、ほっそりとした太ももの端から、意外と大きなティマの胸がムニュっと覗く。
「ふ~ん……」
「な、何?」
「いや、ティマさんって胸大きいんだな~って……」
「ふひゃあ!」
耳元で突然言われたリサの言葉に、ティマの体がビクンと跳ねる。
慌てふためいた彼女は、パッと逃げるようにその場から飛び退くと、壁の傍でフルフルと震え始めてしまう。
どうやら、リサに言われたことが相当恥ずかしかったらしい。
「ああ、ごめんなさい。そこまで恥ずかしがると思わなくて……」
リサ本人としては特に意識した言葉ではなかったが、ティマがそこまで過剰反応するとは思っていなかったらしい。
予想外の反応でティマに逃げられたリサは、苦笑を浮かべつつも、ゴメン、ゴメンと手を振る。
ティマの過剰な反応に驚いたリサだが、同時に意外に大きいティマの胸にも驚いていた。
(もしかしたら、アイリスディーナ並みに大きいんじゃない? そのくせ足や腰は細いし……。何、この反則娘)
今のティマは、フルフルと震える小鹿のような儚さと相まって、同じ女性であるリサから見ても異常なほど蠱惑的だった。並の男なら、一発で理性が昇天してしまうこと間違いなしである。
しかも、これを本人が天然でやっているのだからとんでもない。
「そういえば、ティマさんって、なんでアルカザムに来たの?」
「え?」
「いや、それだけ魔力があるなら、他にも色々と道があるんじゃないかなって……」
とりあえず、何か話を逸らした方がいいと考えたリサは、おもむろに頭に浮かんだ話題をティマに振ってみた。
リサとティマは同じクラスに属してはいるが、実は会話したことはほとんどない。
ティマ自身が親しくない他人とはあまり話が弾まないというのもあるし、リサ自身もノゾムやアイリスディーナと親交を持つティマに対しては、ちょっと距離を置いていた経緯がある。
だが、先のノゾムが暴走した一件で、リサとアイリスディーナはとりあえず和解している。
その為、リサとしては、ティマに対してちょっと話をしてみたいという興味も湧いていたのだ。
「…………」
ところが、肝心のティマは複雑そうな表情を浮かべて、黙り込んでしまう。
いきなり変な質問だったのかな? と考えつつ、リサはティマの親友であるアイリスディーナにチラリと視線を送る。
だが、おそらくティマの事情を知っているであろう白髪の少女は、丁寧に妹の背中を洗いつつも、肩を竦めるだけだった。
「えっと、聞いちゃいけなかったかな?」
「う、ううん。そんなこと無いよ」
ちょっと気まずそうに頬を掻くリサに対して、ティマは首を振った。
そんなティマの様子を見て、リサはちょっと軽率な質問だったかなと後悔していた。
ティマの持つ魔力は、一人の人間が持つにしては明らかに大きすぎるもの。
リサは、ティマが幼少の頃から、どの程度の魔力量を保持していたかは知らなかったが、少なくとも一般人として生活するには不便だったのではないかと、この時になって思いついたのだ。
そして、その後に続くティマの言葉は、リサの予想に沿うような内容だった。
「私は、子供のころから魔力が強かったんだけど、ちっとも制御できなかったの。
今でこそ少しは制御できるようになったけど、昔は全然……。それで、ちょくちょく暴走させちゃうことがあって、一つの街にあまり長くいることが出来なかったんだ」
魔力は精神の力であり、魔法の効果や精度は、術者の精神状態が大きく影響する。
精神的に幼い頃のティマに、膨大な魔力を制御するなど、到底できるはずもなかった。
結果として彼女の一家は、行商人のようなことをしながら、街から街へ転々とする生活をしていたらしい。
「ちょっと怖い夢を見ただけで魔力が暴走して、テントの中がグチャグチャになっちゃったり、友達と遊んでいたら、つい魔力が漏れちゃったり……。
幸い、お父さんもお母さんも、弟も気にするなって言ってくれたけど、体が大きくなるにつれて魔力もどんどん大きくなっていっちゃって……」
それでも幼少の頃はまだよかったらしい。
魔力自体は多かったが、今ほどではなかった。
魔力が漏れたとしても、精々突風が吹き荒れ、地面が隆起し、舞い上がった火の粉でちょっとしたボヤ騒ぎになるくらいであった。
それでも、体が成長していくにつれて魔力もまた大きくなっていき、両親もさすがにどうにかしなければならないと危惧し始めた頃、ソルミナティ学園からスカウトされ、アルカザムに来たらしい。
「この街に来て、アイと出会って、学園で学んで、少しは制御できるようになってきたけど、正直まだまだで……」
「でも、最近はよくなってきているんじゃないか? この前ノゾムと戦った時だって、魔力供給はかなり安定していたぞ?」
言葉を挟んだのは、アイリスディーナだった。
しかし、ティマは苦笑を浮かべつつも、首を振って親友の言葉を否定する。
「あの時は、トム君達の協力があったからだよ」
ティマの膨大な魔力を利用した、身体強化、常時展開型の障壁魔法等の数多の術式。
これらの全てすべての術式を構築したのはトムであり、制御していたのがフェオだった。
「ねえ、あの二人ってやっぱりすごいの?」
二人の技量をよく知らないカミラが尋ねてくる。
カミラはこの場にいるメンバーの中で唯一、先のアゼル襲撃事件の真相も知らされておらず、ノゾムが龍殺しであることも知らない。
しかし、ノゾムとリサが和解したことは、その当日に気づいており、また二人の心情を慮って、特に詳細を追及するようなことはしていなかった。
「そうだね、フェオ君が獣化した時の魔力制御力は、多分宮廷魔術師クラスだし、トム君も、グローアウルム機関の研究員並の術式構築能力があると思うよ」
実際、トムはグローアルルム機関で研究を行っているトルグレイン講師の助手をしている。
最近は自分の工房を手に入れた為、それほど手伝いをする機会はないらしいが、その手腕を疑う余地はない。
フェオに至っては、一階級でも通用するほどの戦闘技能を保有し、その幅も広い。
符術に棒術、投剣術と隙が無く、策を弄することも躊躇いがない。
ある意味、戦場で出会ったら、一番油断できないタイプである。
「あの二人、なんで二階級なの?」
「トム君は錬金術や術式関係には詳しいんだけど、どうにもそれに没頭しちゃう癖があるみたいなの。それに攻撃魔法とか、戦闘系の魔法はあまり得意じゃないみたいだし……。
フェオ君は……ワザとじゃないかな?」
「フェオについては、確かにありえそうね」
ティマの言葉に、シーナが頷いた。
自分にとって楽しい事にしか興味を抱かないフェオなら、授業はおろか、学年末のテストでも適当に手を抜くだろう。この場にいる全員が納得できる理由だった。
「ふ~ん。それで、ティマさんが将来叶えたいのは、どんな夢なの?」
「そうだね、普通に生きて、普通に恋して、幸せな家庭を築ければいいかな……」
伝説級の才覚を持つ魔法使いの夢としては、とても小さな、人並みの幸せを語りながら、ティマは晴れやかな笑みを浮かべる。
「魔法を学んでいるのは、それが私にとって必要だからだし、今でこそアイ達の力になれると思えるようになったけど、昔は正直、こんな魔力なんていらないって思っていたから……」
彼女は、自分の持つ魔力にはそれほど興味はない。
今でこそ親友や友人達の助けになれると肯定的に考えられるようになったが、幼い頃は苦痛でしかなかっただろう。
それでも、今こうして満面の笑顔になれるのは、自分を受け入れてくれた親友たちがいてくれたからに他ならない。
ティマが満面の笑顔を浮かべている他所で、アイリスディーナが恥ずかしそうに頬を赤らめている。
「なるほど、その夢の相手筆頭が、マルス君と……」
「……え!? な、なんでマルス君の名前が出てくるの!?」
「え? まさか、隠しているつもりじゃないよね?」
「え、ええ? そ、それは、その……」
リサが漏らしたマルスの名前に、ティマが過剰反応する。
湯気でほんのり朱に染まっていた頬が、一気に茹蛸のように真っ赤に変わる。
その時、ティマの脇から手が生え、ムニュっとその巨大な双丘を鷲掴みにした。
「ふひゃあ!」
ティマの口から甲高い悲鳴があがる。
突然襲撃を仕掛けてきたのは、シーナに拘束されて洗浄されていたはずのミムルだった。
頭や全身に石鹸の泡を纏いながら、スリスリと自分の体を摺り寄せ始める。
「何やら甘酸っぱい恋の匂いを嗅いで来てみれば……。おう、これはまさしく極上品。大きさ、張り、どれをとっても文句なし! まさしく天女の美巨乳!」
ムニムニ、と手の中で形を変えるマシュマロのような感触を楽しみつつ、荒い鼻息を漏らすミムル。
一方、ティマは突然の事態に完全に硬直してしまっている。
「いや、この胸をものにできるマルス君が羨ましいですな~」
「ふ、ふえ、ふえ……」
ようやく状況が呑み込めてきたのか、ティマの瞳が潤み始める。
同時に、チリチリと産毛が逆立つような魔力が、ティマの体から漏れ始めた。
「あ、やばい……」
突然のミムルの愚行を目の前で見せつけられたリサの口から、思わず深刻な言葉が漏れる。
このままティマが魔力を暴走させてしまったら、大惨事間違いなしである。
だが、リサの危惧が現実になる前に、色情狂に裁きを下す処刑人が現れた。般若の表情を浮かべたシーナが、ミムルの後ろに仁王立ちしていたのである。
「何をしているのか、このバカ猫! 昨日、私を辱めただけじゃ足りないのかーーーー!」
シーナはミムルの後ろから、彼女の後頭部をむんずと鷲掴みにすると、猛烈な力で締め上げ始めた。
ミシリと骨が軋む音が浴場に響き、激痛がミムルの頭を襲う。
あまりの激痛に耐えかねたのか、ミムルはティマの胸を揉んでいた手を放し、バタバタと暴れ始めた。
「ああ、ごめんなさい! ちょっと、恋のフェロモンが気になっちゃって! ああ、やめて、頭、頭割れる~~!」
「このバカ猫はーーー!」
「うきゃあああ!」
ミムルの悲鳴を一顧だにせず、シーナは彼女の体を持ち上げ、そのまま浴槽に向かって放り投げる。
綺麗な放物線を描いたミムルの体は、頭からお湯の中へ飛び込み、派手な飛沫を上げた。
「うえ~。鼻にお湯が入った~~。シーナ、酷いよ~~」
「まったく、自業自得でしょう!」
ドバっと鼻から大量のお湯を漏らしながら、ミムルは涙目を浮かべている。
しかし、昨日ミムルからセクハラを受けていたシーナは、当然ながらミムルの抗議を一刀両断した。
「昨日はシーナだって悪い気はしなかったくせに……」
「何か言った?」
「いえ、何も言っていません!」
ビシッと敬礼をするミムルに、シーナはため息を漏らす。
事の様子を遠目で見ていたアイリスディーナ達も苦笑いを浮かべていた。
「まったく、ミムルにも困ったものだわ」
「あはは、楽しそうね」
「冗談じゃないわよ。毎回毎回止める方の身にもなってほしいわ」
リサが憤慨した様子のシーナに軽い調子で声をかけるが、彼女は嘆息して肩を落とす。
毎回毎回、ミムルが起こす騒動に巻き込まれてきたシーナとしては、“楽しそう”の一言で片づけられるリサが羨ましかった。
ミムルが暴走したものの、体を洗い終えたリサ達は、ゆっくりと乳白色のお湯につかる。
体の芯から疲れが解けていく感覚に、少女達は心地よさそうに頬を緩めた。
「まあ、ティマさんの夢はよくわかったわ。それで、シーナさんはどうなの?」
ティマの夢を聞くことができたリサは、今度はシーナに話題を振ってきた。
「私? 故郷であるフォスキーアの森を取り戻す事よ」
「なるほど、アイリスディーナは?」
「何も変わっていない、銀虹騎士団に入る事だ」
「ふ~ん……」
意味深な笑みを浮かべながら、じっと二人の少女を見つめるリサ。
彼女がこの二人に抱く感情は、結構複雑だ。
友情か、それとも共感か。はたまた、その両方かもしれない。
だが、リサにとって、この二人の少女は色々と特別であることには変わらなかった。
「そういう君はどうなんだ?」
「私はやっぱり、一流の冒険者になって、大陸中を回る事かな……」
今度はアイリスディーナが、リサに質問を返してくる。
リサはその質問に言いよどむことなく、率直な自分の気持ちを口にした。
冒険者には、おおよそ二つのタイプがある。
一つは、その日暮らしの糧を稼ぐだけの日雇い者。もう一つが、自ら未開の地や魔獣の領域へ足を踏み入れる開拓者。
リサが夢見る冒険者とは、もちろん後者である。
「本当なら、もう学園をやめてもいいんだけど、ここまで来たからには、この学園で最後まで自分を試したい気持ちもあるし……。これもある意味、冒険の一環ね」
リサとしては、今すぐ冒険学園をやめて、冒険に出てもよかった。
しかし、ソルミナティ学園で受けることができる授業や経験は、ただ冒険するだけでは得られないものだった。
ならば、今この場で出来るだけの“冒険”をしてから、大陸に繰り出してもいいだろう。それが、今のリサの考えだった。
「やっぱり、ノゾムとの約束か?」
「う~ん。約束……。そうね。“約束”と言えるかもしれないわね……」
冒険者になる夢を彼女に思い出させてくれたのは、最後まで彼女に向き合おうとしたノゾムだった。
今はノゾムとリサの道は分かたれたとはいえ、彼女の胸の奥には“リサに立ち直ってほしい”というノゾムの想いがしっかりと灯っている。
そういう意味では、幼いころにノゾムと交わした約束が、今の彼女を支えているともいえた。
だが、リサは同時に理解もしていた。
今のノゾムにとって、自分は一番の特別ではないことも。
だからこそ、ノゾムは彼女と一緒には行けないと言ったのだから。
「……だから、私は絶対に私の夢を叶えるわ」
だが、その言葉をリサは口にしない。
ちょっとした意地悪のつもりなのか、それとも負けん気が先立っているのか。
アイリスディーナもシーナも、リサの宣誓には何も返さず、じっと熱いお湯に浸かっていた。
天井に水滴となったお湯が浴槽に落ち、チャポンと跳ねて、心地よい音を立てる。
全身を漂う倦怠感と、胸の奥に湧き上がる熱を感じながら、三人の少女は目を閉じて、各々が思い描く夢と、意中の人に想いを馳せていた。