第8章第6節
さて、道中で色々あった二人だが、そう時間もかかることなくフランシルト邸へとやってきた。
だが、屋敷の門をくぐり、正面玄関を開けたところで、二人の表情が一気に気の抜けたものになってしまう。
「どういうことだ……」
「あ、あははは……」
アイリスディーナは不機嫌そうに口元を吊り上げ、ノゾムは乾いた笑いを浮かべる。
ノゾムとアイリスディーナの視線の先には、マルスを初めとした仲間達の姿。さらに彼らの傍らにはメーナとヴィクトルの姿もあった。
「い、いや。俺も初めは学園の講習に出るつもりだったんだが、ティマに誘われて……」
「わ、私はヴィクトルさんから、この屋敷なら広いから、練習なり何なり好きに使ってくれって……」
「ノゾム君だけでなく、マルス君も開園祭の参加経験はないらしいじゃないか。なら、ダンス練習も大勢でやればより良い経験になるだろう!」
「申し訳ありませんお嬢様。旦那様がお嬢様の様子から、ノゾム様とダンスの練習をすることを看破されたらしく……」
胸を張って高らかに声を上げるヴィクトルを後目に、メーナが深々と頭を下げる。
どうやらこのご当主様。ノゾムとアイリスディーナの邪魔をするために、他の仲間たち全員に声をかけたらしい。
父親の思わぬ妨害に、アイリスディーナは思わずこめかみを押さえた。
「へえ、これがアイリスディーナさんの家か~。開園祭のパーティー会場並に豪華なんじゃない?」
「っていうか、私達も来てよかったのかな?」
しかもお誘いを受けたメンバーの中には、リサとカミラの姿もあった。
リサはマイペースに豪奢な屋敷の調度品に目を移らせ、カミラは何だか申し訳なさそうに頬を掻いている。
そんな彼女達の後ろで、親バカを拗らせたヴィクトルがニヤリを意味ありげな笑みを浮かべた。
「トム達もダンスの練習をするのか?」
「い、いや、僕は工房にいたらミムルに引っ張り出されて……」
ノゾムがトムに事情を聴くと、どうやらヴィクトルの誘いを受けたミムルが、工房から彼を無理矢理連れ出したらしい。
一方、シーナは一人喧騒から離れたところで、口元に手を当てたまま何やら考え込んでいる。
「シーナは……」
「ブツブツブツ……」
「だ、大丈夫か? なんだか様子がすごく変だけど……」
「何だか、朝からずっとこんな感じなんだよ。心ここに有らずというか……」
トムの話では、朝学園に登校してきた時からずっと自分の思考に沈んだままで、全く反応がないらしい。
ノゾムは訝むような視線をシーナに向けながらも取りあえず声を掛ける。
「お、お~い。大丈夫か?」
「ブツブツ……ふわ! な、なんでノゾム君がここにいるのよ! というかどうして私、アイリスディーナさんの家にいるの!?」
「一体どれだけ考えに耽っていたんだ?」
シーナは覗き込んでくるノゾムの顔を見た瞬間に、ぼっと頬を染めると、モジモジと体を揺らし始める。
その姿を見て、ノゾムはさらに首をかしげていた。
「ええっと、アイ、ごめんね?」
「なんだか、タイミングが悪かったみたいで……」
「いや、いい。私とした事が迂闊だった……」
頭痛を抑えるように呻くアイリスディーナに、トムとティマが申し訳なさそうな視線を送る。
一方、悪びれる様子がないのは、元凶であるヴィクトルとトラブルメーカーの獣人二人。
「それから、夕食はこちらが用意するし、“女性陣には”部屋を用意するよう申し付けてあるから、帰りの事は気にしなくてよいぞ。フランシルト家当主として、しっかりともてなそうではないか!」
「いや~、こんな豪邸に泊めてもらうなんて超ラッキー! やっぱり持つべきものは友達だよね!」
「豪華なディナー万歳! 流石大将太っ腹!」
「「「ハハハハハ!」」」
高笑いを上げる三人を睨みつけながら、思わず拳を握りしめるアイリスディーナ。
今、彼女は猛烈に目の前の三人を殴り飛ばしたかった。
その時、ガチャリと屋敷の玄関が無造作に開けられ、一人の中年の女性が入ってきた。
「やれやれ、ヴィクトルが無作法なのは変わらないんだね」
屋敷に入ってきたのは、恰幅の良い貴婦人。
高級感あふれる仕立ての良い暗褐色のコートとネックウォーマーに身を包み、溢れるほどの気品を滲ませていた。
「なっ!?」
女性は高笑いをしていたヴィクトルを一瞥すると呆れ果てたように溜息を吐く。
一方のヴィクトルは、貴婦人の姿を見ると、これ以上ないほど目を見開いて驚いていた。
娘のこと以外では冷静で威厳溢れる彼にしては、非常に珍しい光景である。
悪びれる様子もなく、ツカツカと屋敷に入ってくる貴婦人。彼女に声をかけたのは、ヴィクトルお付きのメイド、メーナである。
驚愕で硬直している主に代わって、突然訪問してきた貴婦人に用件を尋ねる。
「マザリネット・パルライン夫人、どうしてこの屋敷に?」
マザリネット・パルライン。
アイリスディーナやヴィクトルと同じく、フォルスィーナ国の貴族に名を連ねる人物であり、やり手の実業家である。
「なに、可愛い娘から頼まれたのさ。ダンスを見てほしい相手がいるって」
そう言うと、マザリネットはアイリスディーナに微笑みかける。
「久しぶりだね、アイリスディーナ。綺麗になったじゃないか」
「ありがとうございます、パルライン夫人。ご婦人も相変わらすお綺麗で……」
制服のスカートを摘み上げ、アイリスディーナもまた微笑み返しながら、恭しく礼をする。
貴族社会で付け込まれぬように浮かべる笑みとは違う、親愛に満ちた笑顔。それだけで、アイリスディーナと貴婦人が、旧知の間柄でもかなり親しい事が伺えた。
「ソミリアーナも久しぶりだね。ずいぶんと大きくなったじゃないか。将来が楽しみだよ」
「ありがとうございます!」
ソミアもまた姉と同じように、気品ある礼を返すと、マザリネットは満面の笑みを浮かべてソミアの頭を撫でた。
どうやら、この貴婦人はソミアとも知り合いらしい。
そして、貴婦人の視線は、アイリスディーナの隣にいたノゾムへと向けられる。
「で、アンタがアイリスディーナの言っていた男の子かい?」
「はい。私の友人で、ノゾム・バウンティスという方です」
「は、初めまして。アイリス、この人は……」
「父のご学友の方だ。幼い頃から社交界では色々とお世話になった方で、国元でもダンスホールや劇場などを運営されている。
ご本人も有名な踊り子だった方で、自分が運営する劇場の踊り子たちの教育もしている。ダンスを習うなら、アルカザムで間違いなく一番の方だよ」
パルライン夫人は、貴族の中でも実業家として活躍しているが、特に秀でているのは、芸術、美術関係だった。
これは、彼女が元踊り子であることに起因しているのだが、国中にある複数の劇場を運営、管理も行っており、特にフォルスィーナ国の王都にある劇場は、その規模、気品さから、貴族達の間で“赤薔薇の宮”と呼ばれるほど人気があったりする。
また、舞台演出にも定評があり、華やかさを前面に押し出すだけでなく、踊り子の個性を前面に引き出すような演出は、多くの人達を魅了してきた。
まさしく、芸術の母と呼べるような女性なのである。
「今朝、アイリスディーナからの手紙で、友人にダンスの基礎だけでいいからを教えてほしいと頼まれてね。こうしてやってきたわけさ」
「お忙しい中、いきなりの不躾な頼みを聞いていただき、ありがとうございます」
「いいんだよ。元々用事があって前からアルカザムには来ていたし、開園祭まで私のすることはないからね。それに、噂のノゾム・バウンティスにも会ってみたかったし」
「え? 俺、ですか?」
自分に会いに来たというパルライン夫人の言葉に、ノゾムは驚いたような表情を浮かべた。
平民の自分に、フランシルト家と親交があるほどの貴族が態々会いに来る理由がよくわかっていないのだろう。
そんなノゾムの様子を見たパルライン夫人が笑みを深める。
「ああ、あのジハード・ラウンデルと渡り合った規格外の生徒。武技園での大暴れは私も見ていたからね。気にはなるさ」
「いや、あれは渡り合ったというより、一方的にボコられたといった方が正しいんですが……」
「あの“顎落とし”を手にした英雄相手に、まがりなりにも打ち合える時点で規格外なんだけど……なるほど、随分と“ズレた”男の子らしいね」
「え、ええっと……」
深めた笑みから嘆息を漏らしつつ、パルライン夫人はノゾムを見つめる。
何か面白いものを見つけた子供のような、愉快そうで、そして底知れない視線に、ノゾムは思わず身震いした。
同時にノゾムは、自分に向けられた奇妙な視線も複数感じとった。屋敷の外から自分を監視するような視線がある。
おそらく人数は二人。警戒はされているが、敵意はまだ伴っていない。
ノゾムの視線が一瞬、屋敷の外へ向けられる。
その様子を眺めていたパルラン夫人は満足そうに頷くと、もういいと言うように手を振った。
同時に、ノゾムに向けられていた視線が消える。どうやら、この貴婦人、ノゾムを軽く試したようだった。
ノゾムの顔が若干居心地悪そうに歪む。
おそらく、視線の主は、この貴婦人の護衛。マルス達は屋敷の外から向けられた視線に気づいた様子はないことから、相当な手練れであることが予測される。
婦人にとってノゾムは全く知己のない人物である上、警戒されるのは無理ないが、お試しで睨まれて居心地がいいはずはない。
一方、マザリネットはノゾムを一瞥すると、特に気にした様子もなく、マルス達に視線を向けた。
「なんだか予定にない子達もいるけど、まあいいよ。というわけで、指導役として、礼儀、作法などを一から叩き込んであげよう」
「え? 俺達もいいのか?」
「アイリスディーナの友人なんだろう? 別に一人教えるのも二人教えるのも一緒なんだから、かまいやしないよ」
そうしてスタートしたダンスレッスンだが、開始して十分足らずでパルライン夫人の叱咤が飛びことになった。
「ダメダメダメだ。手の向きが違う。女性をエスコートするときは手を下から取るんだ。上から取ったら“強制的に連れていく”っていう意味になっちまうんだよ!」
「は、はい!」
「そこのデカブツは力入りすぎ。いいダンスはリラックスしてこそだ。そんなガチガチじゃ女性も安心して踊れないよ」
「い、いや、そういうけどな……」
「あ、あう~~」
「そっちの山猫は男性を引っ張りすぎ。あとくっ付き過ぎ。パーティーに出るなら最低限淑女になってからにしな。躾のないペットはお断りだよ」
「ええ!?」
「ほっ……」
初めはノゾムとアイリスディーナ、マルスとティマ、ミムルとトムが踊る予定だったが、ノゾムはダンスを踊る以前の問題。マルスとティマのペアは緊張からガチガチになって、まるで出来の悪い絡繰り人形のようになってしまっている。
そして、ミムルはあからさまなアピールでトムにくっ付きまくり、トムはトマトのように赤面。これまたダンスの練習にならないという悲惨な結果に終わった。
結局、ノゾムとマルスは最初のダンスパートナーと十分踊る間もなく解散。二人はパートナー無しで、パルライン夫人からダンスの作法を一から学ぶことになり、他のメンバーもシャッフルされた挙句、それぞれ全く別のパートナーとダンスを踊る羽目になった。
「というわけで、シーナさん、よろしくね!」
「ええ、よろしく、リサさん」
「ええっと、カミラさん、よろしく」
「あまりダンスは得意じゃないけど、頑張るわ」
割と穏やかな雰囲気を醸し出すのはリサ、シーナのペアとトム、カミラのペア。
シーナとリサは先の事件以降、時折世間話をすることもあったり、少しずつだが友好的な関係を構築している。
トムとカミラは、今まであまり接点はなかったが、元々険悪な関係ではなかったし、互いに気を付ければ問題ない。
「なんで私とトムが別なの! こんな納得いかな~い!」
「いや、ワイじゃ不満なんかい」
「不満! 不承! 不認証!」
「こ、このくそアマ……」
一方、不満タラタラなのは、恋人と引き裂かれたミムル。
彼女の場合は本人の経験というより、トムに対する気持ちが強すぎるのが問題だった。
トム以外の男など眼中にないミムルに、ほかの男を宛がっても、まるで磁石の同極のように反発するだけ。
だが、パーティーの場は社交場であり、文字通り交流の場なので、一応他の男性と踊る場合もあり得る。
ということで、パルライン夫人はミムルの文句を聞く気は全くなかった。
「なんだい、さっきからギャーギャー文句ばかり……」
「でも、だって……」
「アンタが惚れた男は、たった数分他の異性と踊ったくらいで気持ちが傾くような安い男のかい? それとも、アンタが安い女なのかい?」
「そんなわけないでしょ!」
「じゃあ、黙ってレッスンに励みな。アンタの姿がそのまま惚れた男の価値になるんだ。どんな屈辱でも、無様をさらすのは淑女じゃないよ」
「ぐぬぬぬぬ……。い、いいわよ! やってやるわよ!」
逆にパルライン夫人はトムをダシにしてミムルを挑発し、結果としてミムルは、トムのためにと発奮。フェオ相手に見事なダンスを披露し始めた。
フェオもミムルも、元々運動神経は良いし、フェオはその性格から、相手に合わせることはかなり得意である。一度噛み合えば、とてもスムーズに踊ることができた。
あの気まぐれ猪突猛進山猫娘の手綱を見事にとって見せたパルライン夫人の手腕に、ノゾム達は感嘆の息を漏らす。
「すげえ。あのミムルを完全に手玉に取ってやがる……」
「ああ、俺達じゃあ無理だな」
「こら、集中しな! アンタらが一番問題児なんだから、他人を見ている暇なんてないよ」
「は、はい!」
「わかってるってのよ!」
「じゃあ、私はアイリスディーナとソミアの相手役を……」
「ヴィクトルは邪魔。さっさと出て行きな」
「私の扱い、酷くないか!」
そして、手の空いたアイリスディーナ達姉妹に声をかけようとしたヴィクトルは、邪魔者扱いされて部屋の隅へ追いやられる。
元々今回のレッスンにはお呼びでないし、パルライン夫人の手間を増やした元凶なのだから、扱いが酷いのは当たり前である。
「旦那様、部屋に残っていた書類を持ってきました。ついでですから、ここで終わらせてしまいましょう」
結果として、ヴィクトルはメーナが執務室から運んできた書類を相手に、広間の隅で格闘し続ける羽目になった。
仲間外れにされたヴィクトルは、懇願するような瞳をアイリスディーナに向けるが、肝心の彼女はプイッとそっぽを向いて完全無視。
無視されたヴィクトルはガーン! と戦槌で頭を打たれたような衝撃を受け、さめざめと涙を流し始めた。
「というわけで、姉様、お相手お願いします!」
一方、手が空いたアイリスディーナは、ソミアからダンス練習の相手を頼まれた。
すっと手を差し出してきたソミアが、キラキラした瞳で姉を見上げている。
「別にいいけど、やっぱり私が男性役か……」
この場合、男性役をするのはやはりアイリスディーナである。
男女の割合がどうしても女性に偏っている以上、ダンスの練習をしようとすると、必然的に女性同士でペアを組む必要性が出てくる。
実際、リサとシーナの女性ペアは、互いに役を交代しながら、順調にダンスを踊っていた。
アイリスディーナ自身、ダンス練習で男役を演じたことはある。
また、ちょっとしたパーティーでも、異性からだけではなく、同性からもダンスをせがまれたこともあった。
そんな時、当然ながら彼女は男性役として、相手をリードすることになる。男性役のコツも当然ながら心得ていた。
そして、ソミアの手を取ったアイスディーナは、ごく自然な動作でソミアをエスコートした。
ソミアの歩調に合わせながら、優しく、流れるような自然な動きで、彼女を広間のスペースまで案内する。
そして、相手の背中に優しく手を添えると、ゆっくりと、自然体のままを揺らし、相手の息に合わせながら踊り始める。
その仕草は全てにおいて全く隙がなく、完璧だった。
「姉様、とってもカッコいいですよ!」
「ソミア、女性として、男役でカッコいいと言われても、あまり嬉しくないのだが……」
とはいえ、いくらパートナー役を完璧にこなせるからといっても、本人が満足しているかどうかは別問題である。
元々の気質から、アイリスディーナは男役をしても妙に様になるのだが、男っぽい口調や雰囲気を気にしている彼女としては、妹の評価はちょっと複雑だった。
ソミアの動きに注視しながら、体を動かしつつも、彼女はフウッと嘆息を漏らす。
その時、チリン、チリンと涼やかな音色が、アイリスディーナの耳に響いた。
アイリスディーナが音の元に目を向ける。ノゾムがソミアに送った誕生日プレゼントの鈴が、彼女の右手首で輝いていた。
「ソミア、その鈴、いつも付けているんだな」
「あ、はい! 折角ノゾムさんに貰ったものですから、付けていないと勿体ないです!」
ソミアが、ニコッと太陽のような満面の笑みを浮かべる。
高貴な生まれの彼女が付けるにはいささか不釣合いとも思えるような簡素な鈴。
しかし、その鈴はソミアにとって、兄のように慕う男性から貰った初めてのプレゼントであり、そして奪われるはずだった彼女の未来が、確かに繋がれた証でもある。
ソミアの笑顔に、アイリスディーナもまた自然と頬が緩んだ。
「そうか。やっぱり、よく似合っているぞ」
「そうですか! ありがとうございます、姉様!」
褒められたことが嬉しいのか、ソミアは先ほどよりも三割増の笑顔を浮かべる。
もう、ニッコニコ。今にもスキップしそうなほど、浮かれた様子だった。
そんな妹をちょっと羨ましいと思いつつも、アイリスディーナは頬を緩めながら、そっとパルライン夫人から指導を受けているノゾムを覗き見た。
ノゾムは相変わらず、貴婦人から叱咤され、四苦八苦しながらダンスの礼儀作法を学んでいる。
今は女性のエスコートから、ダンスのスタンディングポジションの確認へと移っているが、まだまだ拙く、ダンスを踊るまでに至っていない。
ノゾムと二人っきりでダンスレッスンができないことは残念だが、アイリスディーナは、今はこれでいいと考えていた。
実の所、既にこの時点で、アイリスディーナがノゾムにダンスレッスンを申し込んだ目的の八割は達成できていたからだ。
彼女の目的は、ダンス経験のないノゾムにダンスレッスンを施すことだけではない。
もう一つの目的は、ノゾムとパルライン婦人を引き合わせる事。
実業家として名を馳せているパルライン婦人の影響力は、フォルスィーナ国内ではフランシルト家、ファブラン家に次いでいる。
そんな彼女と“顔見知り”というだけでも、今のノゾムには十分な武器となりえるだろう。
(まあ、私にはこの位しかできないのだが……)
精霊魔法を使えないアイリスディーナは、ティアマットの力の制御に関して、ノゾムに力になれることはほとんどない。
そんな彼女がノゾムのために何かできないかと考えたことは、自身が持つコネクションを、ノゾムの後ろ盾の構築に使用することだった。
元々ノゾムは、アイリスディーナ達以外の“学園外”での繋がりが薄い。そんな彼に少しでも助力できないかと考えての行動だった。
結果として、それはまずまず成功だったといえる。
アイリスディーナから見て、パルライン婦人がノゾムに抱いた第一印象はそう悪くないように見えた。
パルライン婦人は、元々かなり果断な性格で、必要とあれば国王が相手であっても物怖じしない強い女性である。
誇り高く、常に物事の道理を通す。
人によっては、ノゾムを指導する様子はかなり高圧的に見えるかもしれない。
しかし、その言葉の裏にはしっかりと“ノゾムの成長を考えている色”が、アイリスディーナには感じ取れた。
何より、ノゾムを指導しているパルライン婦人はアイリスディーナから見ても“楽しそう”だった。
自然と、アイリスディーナの頬に浮かんだ笑みが、喜びに深まる。
(残念なのは、このままだと、ノゾムと二人っきりで練習できそうにないってことかな……)
湧くような喜びと、ちょっとの残念を胸に抱きながら、アイリスディーナは妹のエスコートを続ける。
パルライン婦人にダンスレッスンを頼んだ時点で、アイリスディーナはノゾムと二人っきりで練習する時間は、あまり取れないと考えていた。
しかも、ヴィクトルが余計な事をしたために、レッスンの参加人数が数倍に膨れ上がってしまう始末である。こうなっては、ノゾムと二人っきりになれるはずもない。
(だが、まあ仕方ない。まだこの後の予定はあるし、ダンスレッスンの代わりに、本番を楽しみにさせてもらおうかな?)
胸に残った残念な気持ち。しかし、本番でノゾムとダンスを踊ることを考えると、残念に思う気持ちは反転。一気に、胸を焦がすような期待感へと変わった。
「ノゾム、これで貸し二つだからな。ふふ、本番でしっかり返してもらうよ?」
自然と漏れた自分の言葉に笑みを浮かべながら、アイリスディーナはそう遠くない未来に踊る、想い人とのダンスに胸を躍らせた。