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第8章第5節

「小僧、今日の鍛練は中止じゃ」


「は?」


 放課後、ノゾムが武技園地下を訪れると、突然ゾンネから鍛練中止を聞かされた。

 いきなりの話に茫然と佇むノゾムを眺めながら、ゾンネは言葉を続ける。


「最近、ちょっと根を詰めすぎたからの。今日の鍛練は休みとするから、ゆっくり過ごすとええ」


 つまり、ノゾムにとっては唐突にダンス練習に使う時間が出来たということである。

 ゾンネの言う通り、ノゾムは最近かなり鍛練に集中しっぱなしだった。

 その所為で学園からの通達事項を見逃した上、危うくアイリスディーナに更なる心配をかけそうにもなっていた。

 そういう意味では、ノゾムとしても納得できる話である。


「何なら、デートでも行ってきたらどうじゃ。ひじょ~~に腹立たしいが、待ち人もおるんじゃろ?」


「い、一応……」


「ならさっさと行け。まったく、なんでワシには何のお誘いも無いんじゃ……」


 ブツブツと愚痴をこぼしながら、ゾンネはシッシッと追い払うような手つきでノゾムに出ていくよう促している。

 私怨が多分に交じった言動にノゾムはムッとするが、このノリがゾンネの平常だと思い返して溜息を吐く。


「いや、時間ができたのは助かるけれど……その前に一つ、聞きたいことがある」


 ノゾム自身、休みを取ることに異存はない。しかし、今は一つだけ、ノゾムはゾンネに確認したいことがあった。


「何じゃ、ワシは忙しいんじゃ。さっさとせい」


「最近、封魂の縛鎖を解放しなくても、ティアマットの過去を鮮明に見るようになってきているんだが、その時アルハラントの始まりを見た……」


 ノゾムは、今朝夢に見たアルハラントの始まりの光景をゾンネに語っていく。

 ティアマットが人に手を貸し、そして彼らに惹かれていった始まりの記憶。

 自らよりも苦境に立たされた人間達。

 彼らから向けられた、小さな感謝の言葉。

 よくよく考えれば、彼女は生まれてから誰かに感謝の言葉を向けられた経験が無かった。

 里ではその出生と力の無さから疎まれ、幼馴染たちはどちらかというと彼女を守る側の存在だった。

 そんな彼女が見出した初めて守れる存在。そして守りたいと思った存在。それが小さな力しか持たない人間だった。


「……そうか」


「ああ……」


「それだけか?」


「いや、その……」


「確かに、アルハラントはティアマットが緩衝地帯の人間を助けたことが始まりじゃ。それで、お主はどう思ったのじゃ?」


「それは……」


 アルハラント発祥の光景は、ノゾムがティアマットに感じ始めていた親近感を一気に大きくしていた。

 恋人の夢を叶えたいとソルミナティ学園へと赴いたノゾムと、死にかけている人々を救いたいと、力を振るったティアマット。

 共に“自分ではない誰かのため”に苦難へと身を投じた者達だった。

 その思いや方向性に若干の差異があるが、その根幹にある思いは非常によく似ていた。

 だからこそ、ノゾムは戸惑いを隠せない。

 ティアマットの憎悪は、全てを滅ぼそうとするほど苛烈なものではあったが、ノゾム自身、精神世界で何度もティアマットと相対する内に、彼女の内に秘めた悲しみを感じる機会もあった。

 ミカエルの姿を見たときなどは特に顕著だったような気がする。

 しかし、実際にこうしてティアマットが自分と同じ価値観で力を振るっていた光景を目の当たりにすると、どうしても胸が詰まるような思いをノゾムは感じるのだ。


「別に無理に言葉にする必要はない。奴の過去を垣間見たといっても、所詮は他人の記憶。どう思うかは、己の心の内に秘めておけ」


 そんなノゾムの動揺を見抜いたのか、ゾンネは機先を制してノゾムの動揺に楔を打つ。

 

「これから恐らく、このような事が度々起こるじゃろう。じゃが、所詮は大昔の出来事じゃ。お主の目的に直接関係することではない。

 封魂の縛鎖を解かなければ小僧の意識が乗っ取られるということはないじゃろうが、努々、ワシに師事した目的を忘れるでないぞ」


 睨みつけるようなゾンネの視線に、ノゾムは息を飲んだ。胸の奥で渦巻く動揺が、ギシギシと彼の胸の奥で暴れている。


「さあ、今日はもう帰るんじゃ。お主を待っておる者がいるのじゃろう? 明日からまた鍛練は再開する。しっかりと休んでおくんじゃ」


「……ああ」 


 話は終わり。そう告げるゾンネに何も言えず、ノゾムはトボトボとその場を立ち去るしかなかった。












 ゾンネとの鍛練が中止となってしまった以上、ノゾムは直ぐに正門前でアイリスディーナと待ち合わせ、彼女の邸宅に向かうことになった。

 二人で正門を出て、彼女の邸宅がある行政区へと向かう。

 しかし、ノゾムの脳裏には、先ほどのゾンネの言葉が、ずっと渦巻き続けていた。


「ノゾム、考え事かい?」


「い、いや、その……」


「ゾンネ殿との鍛錬は中止と聞いていたから何もないと思っていたけど、その様子では何か言われたみたいだね」


「……まあ、ね」


 ノゾムはゆっくりと足を進めながら、ポツポツと先程のゾンネとの話を語っていく。

 ティアマットの過去。アルハラントの始まりを見て、妙な親近感を覚えたこと。

 ゾンネから自分の目的の為に、見た光景の事は気にするなと言われたこと。

 その言葉を聞いて、何とも言えない苦い気持ちが、胸の内に残っていること。


「こんなの、老師の言う通り、余計な気持ちなのかもしれないけどね」


 最後に自嘲するような言葉を漏らしながら、ノゾムは空を見上げる。

 西日はまだ高いが、やはり冬の日差しは弱々しい。

 ノゾムにはその光景が、今の自分に重なって見えた。


「もちろん、目的を忘れたわけじゃない。ティアマットの力を制御すること。それが、俺の目標なのは分かっている」


「君は、もしかして悲しんでいるんじゃないのか? 自分に似たティアマットが、あんな姿になったことが」


「悲しんでいる?」


「話によると、そのアルハラントは滅びてしまっているのだろう? そして、その滅亡の原因は人間と龍……」


 アイリスディーナの言葉に、ノゾムは首肯する。

 アルハラント滅亡の原因は、未だに分からない。しかし、ノゾムはティアマットが人と龍に向けた殺意と怨嗟を誰よりも知っている。

 ならば、かの国が滅んだ要因に、人と龍がかかわっていたのは、まず間違いないだろう。


「彼女にとっては夢だったのかもしれない。人と龍が分かり合い、共に生きていける世界が……。

 でも、それを壊したのは、彼女が一番分り合いたい者達だった」


「夢……」


「そう、彼女の……小さな幼い黒龍の夢だ」


 彼女の言葉に、ノゾムは自然と納得していた。


“夢”


 自分自身の将来について、ノゾムは未だに明確な目標を完全には見出せていない。

 ティアマットの力の制御は、ノゾムにとっての目標ではあるが、決して夢ではないからだ。

 今のノゾムにとって、“夢”という存在は、それはまさしく夜空に浮かぶ星のように、眩いものだった。


「っ!」


 そこまで考えたところで、ノゾムは胸の奥が、一際強く締め付けられるような感覚を覚えた。

 ティアマットも、自分と同じ。

 幼馴染達と夢を語り合った自分と同じように、ティアマットも彼女の幼馴染達と笑い、同じように夢を見て、同じようにその夢を砕かれたのではないだろうか。

 そんな考えが、ノゾムの脳裏によぎる。

 唯一違うのは、その絶望から立ち直ったか、封印されてより深い絶望に落とされたか。


「ただ、彼女の場合はその力も夢も、何もかもが大きすぎた。人では到底成しえないほど。だからこそ、その絶望と怒りもまた大きい」


 ある意味における同族意識。それがノゾムの親近感の正体だった。

 だからこそ、ノゾムの口からはついこんな言葉が漏れてしまった。


「俺は、どうするべきなんだろうな……」


「気にする必要はないと思う」


「え?」


 バッサリと斬り捨てるようなアイリスディーナの発言に、ノゾムは思わず呆けたような表情を浮かべる。


「ゾンネ殿のいう通り、ティアマットの過去はあくまで彼女の物だ。ノゾムに直接関係のある事ではないし、君が本来背負うべき想いでもない。

 それを背負おうなど言うのは、ただの傲慢だ。

既に終わってしまっている以上、それを如何こう出来るものじゃない。過去は変えられないんだからな」


「そう、だな……」


 辛辣ともとれる発言をするアイリスディーナだが、その言葉は的を射ていた。

 元々、ノゾムはティアマットに対しては敵愾心や警戒心しか感じていなかった。

 それがいきなりティアマットに気を遣うような発言をしてしまったのは、彼女の過去を自分に重ねてしまったから。

 ある意味、気の迷いとも侮蔑とも取れるような事である。


「ならば、君は君のままで、ティアマットと向き合えばいい」


「え?」


「“向き合う事”と“背負う事”は違う。さっきまでのノゾムは、ティアマットの過去を一時の感情で“背負おう”としていた。それは彼女が背負うべきことで、ノゾムがやるのはお門違い。

 ノゾムがすべきなのは、自分の意思を持った上で、彼女と相対し続けること。ぶつかり続ける事だと思う」


 この世の全ての行いは、常に何かと向き合う行為とも取れる。

 ノゾムが今ゾンネと共に行っている鍛練も、内に秘めた力を制御するために、ティアマットと向かい合う行為。

 刀術の鍛錬も、日々の勉学も、未熟な自分と向き合い続ける行為。他者との会話も、喧嘩も、論争も、全ては何かと向かい合う行為なのだ。

 ならば、ノゾムがティアマットに対してやるべきことは、ありのままの彼自身でティアマットと“向き合う”行為を只管重ねる事だと、アイリスディーナは述べる。

 とはいえ、その道は苦行と同じか、それ以上に険しい道だろう。何せ、五千年もの間、憎悪と絶望に身を委ねていた黒龍が相手なのだから。

 しかし、それでもかの力を御そうとするなら、ティアマットの魂と向き合い続ける事は、決して避けては通れない。

 

「悲しむのもいい、同情するのもいい。憐れんでも怒りに駆られてもいい。

 それでも、その感情を胸に抱いたまま、背負うのではなく、向き合い続けろ。ゾンネ殿もそう言いたかったんじゃないのかな?」


「自分の想いを抱いたままで……」


 向かい続けるには自分を確立しなければならならない。

 その時、その柱となるのは、例外なく自分の内にある“強い想い”や“強い感情”だ。決して一時の同情心ではない。


「ああ、そうだ。そしてそれは、君の得意分野だろ? 私達がそうしたように。リサ君と新しい関係を築いたように……」


 その言葉に、ノゾムの瞳が大きく開かれる。

 そんな彼の様子を見て、アイリスディーナは微笑んだ。


「私は嬉しかったよ。ありのまま、私に向き合ってくれる君の存在が。いつも傍に居てほしいと願えるほどに……」


「……え?」


「なんでもない。気にするな。さあ、そろそろ屋敷に急ごう、せっかく空いたダンスの練習時間が無くなってしまう」


 口元に笑みを浮かべたまま、彼女は踵を返して歩き始める。

 白く色褪せた長髪が、西日の光を浴びながらサラリと風に流れる。

 その凛とした姿に、ノゾムは思わず目を奪われた。


「アイリス……」


「ん?」


「ありがとう」


「ふふ、どういたしまして……」


 先に進むアイリスディーナと、追いかけるノゾム。

 前を歩く彼女の背中を眺めながら、ノゾムは先程彼女から贈られた言葉を思い返していた。

 確かに、今の自分に“夢”はない。だけど“想い”はある。

 今の仲間達。自分を受け入れてくれた人達を守りたい。その為に、この力の呪縛を克服したい。

 その強い想いを胸に、ノゾムは彼女の後を追う。

 だが、このとき彼は気付いていなかった。

 今のノゾムが欲している“夢”という名の宝石。その発露こそ、その“強い想い”であることに。



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