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第8章第2節

 ノゾムが武技園の外に出ると、既に日は西の空に沈みかけていた。

夕日が白亜の校舎を朱色に照らしている。

 ノゾムは朱色に染まった通路を歩きながら、先ほどの鍛練を思い出す。自身の体の中を暴れまわった暴力的な力の奔流。その流れに込められた、破滅の意思を。


(早く、何とかしないと……)


 ノゾムは何もかもが足りないと感じていた。混沌の力を制御出来る目途は立たず、精霊の存在も感じ取れなかった。

 未だに糸口すら見えない迷路の中で、ノゾムの胸の中で焦燥だけ増していく。


「ふう……」


 焦燥に駆られる自分自身を自覚し、ノゾムは一度深呼吸をする。

 静かに吐き出されたと共に、胸を掻き毟るような衝動が幾分か和らいだ。

 ノゾムは熱が収まった頭で、もう一度先ほどの鍛練を思い返す。


「俺の異能は、俺自身がどうにかするしかないって言われても……っ!?」


 ノゾムは、頭の中にピリッと何かが弾けるような感覚を覚えた。

 同時に、断片的な映像が脳裏に浮かぶ。


“テト、お疲れ様”


“ほんとだよ~。どうして私が人の姿でこんな格好しなきゃいけないの~”


“それは言っただろう? 一国の長なら、それ相応の威厳が必要だって。テトは内面が残念なんだから、とりあえず姿形だけでもどうにかしないとけないだろう?”


“ううう、ミカエルがひどい……”


「これは……。またアイツの記憶か……」 


 抗議の声を上げるティアマットと思われる女性の影、そして呆れ声を漏らしているミカエルの影。

 それは以前、ノゾムが怒りに我を忘れてティアマットと同調した際に垣間見た、ティアマットの記憶だった。

 二人の姿は逆光を浴びたように輝いて、ノゾムにはほとんど見えない。しかし、二週間前は全く見えなかった二人の姿が、僅かとはいえ見えるようになってきた事実がノゾムの焦燥をさらに煽っていた。


(俺とティアマットとの同調が少しずつ進んでいるのか? それとも、封魂の縛鎖を制御し始めている証? いや、制御時間はほとんど伸びていない。なら、これは一体……)


 二割の期待と八割の不安が、ノゾムの胸中でグルグルと混ざり合う。

 ティアマットとミカエルの姿は、わずか数秒で潮が引くように消えていった。

 しかし、胸に湧いた不安と期待は、まるで泥のようにノゾムの胸の奥に堆積していく。


「ノゾム、訓練は終わったのか?」


「え?」


 突然聞こえてきたよく知る声に、ノゾムは思わず呆けたような声を漏らす。

 ノゾムが視線を上げると、彼の目にソルミナティ学園の正門が飛び込んできた。どうやら彼は、考え事をしている間に正門近くまで来てしまっていたらしい。

 そして正門前では、数名の生徒達がノゾムを待っていた。

 その内の一人。白髪の少女がノゾムに気付き、小さく手を振りながら近づいてくる。


「皆、どうしてここに?」


「君を待っていたに決まっているだろう。何を言っているんだ?」


 白髪の少女、アイリスディーナ・フランシルトは、疑問符を浮かべるノゾムに、何を言っているんだと聞き返す。

 彼女は腰に手を当てながら、呆れた様子で溜息を吐いた。


「こっちも色々やることがあったからな。気にする必要はねえよ」


 アイリスディーナ達の後ろからマルスが顔を出す。

 白の制服があちこち土で汚れているところを見ると、どうやらマルスはマルスで、訓練場で鍛練をしていたようだ。

 彼の後ろにティマとトム、ミムルの三人がいるところを見ると、魔気併用術関係だろうか。


「日も落ち始めているから、そろそろ帰りましょう」


 アイリスディーナの後ろから少し遅れてやってきたシーナが、淡々とした口調でノゾムを促す。どうやら彼女達にとって、ノゾムを待つことは当たり前らしい。


「シーナ君の言う通りだな。正門を閉められる前に、帰った方が良さそうだな」


 アイリスディーナが木枯らしに流れる白髪を押さえながら、西の空を見上げている。

 そう、彼女の髪は、未だに真っ白なままだった。

 アゼルが襲撃して来た際、暴走したノゾムを止めるために魔力を過剰に使用したことで、アイリスディーナの艶やかな黒髪は完全に色が抜け落ちてしまっていた。

 彼女の体を診察したノルンの話では、体に異常はないし、時間が経てば色が抜けた髪も元に戻るらしい。

 とはいえ、白く色褪せてしまった彼女の髪を見る度に、ノゾムは心臓がギュッと締め付けられるような感覚を覚えていた。


「ところで、鍛練の方は大丈夫……ではないな。また無茶をしたのか?」


「いや、無茶ってほどじゃ……」


 アイリスディーナが、眉間に皺を寄せながらノゾムに詰め寄る。

 白髪になってしまった髪とは違い、アイリスディーナの瞳の色はほとんど変わっていない。

 彼女の黒曜石のような瞳に、ノゾムの視線は不思議と吸い込まれていく。

 至近距離から見つめられたノゾムの頬に朱が差した。

 一方、隠れたノゾムの疲労を見抜いたアイリスディーナは、眉間に寄った皺をさらに深めていく。


「そんな疲れた顔をして何を言っているんだ。また無茶をやったんだな!?」


「ノゾム君、ちょっとそこに座りなさい。ここ二週間ほど毎日言い聞かせてきたけど、まだ足りないみたいね」


 さらに、横から二人の様子を眺めていたシーナが加わった。

 石畳の上に問答無用で正座させられたノゾムは、目の前で仁王立ちしている二人から、今日の鍛練の内容を洗いざらい暴かれる。

 ノゾムが鍛練内容を話していくと、アイリスディーナとシーナがプルプルと肩を震わせ始めた。

 心なしか、二人の背後にドス黒い影も見え始める。相当お怒りのようだ。

 一方、ノゾムは額に脂汗を掻きながらも、ポツポツと鍛練内容を話していく。


「な、な? だから、無茶ってほど無茶じゃないだろ?」


「「どこがだ!!」」


 一通り話放し終えた時点で、夜叉達の怒りが爆発した。

 次にノゾムを襲ったのは、堰を切ったような罵詈雑言の濁流。


「ノゾム、毎日毎日、重症一歩手前まで怪我をしているとはどういうことだ!?」


「いや、怪我はもうないんですけど……」


「まさか、怪我が治れば問題ないとでも思っているの? どんな名剣にも寿命があるわ。いくら修理しても、無茶をして使い続ければ折れるのよ? まさか、自分がそうならないとでも思っているの?」


「い、いや、流石にそこまでは……」


「ああ、そうだろうな。その事はきちんと理解しているかもしれない。しかし、頭で分かっていても、行動が伴わなければ意味はない」


「むしろ、理解した上でやっているのだからタチが悪いわ。鳥だって、一度蛇に襲われれば、その場所で休もうとはしないのに」


「もしかして、俺の事、鳥頭って言ってる?」


「学習を反映させられるだけ、そっちの方がマシよ」


「むしろ、鳥に失礼だ」


「……一応、記録は伸びているんだけどな~」


 記録は伸びているから、学習はできている。そんなノゾムの小さな抗議は、しっかりと二人に黙殺された。

 その後も、ノゾムは二人から、やいのやいのと注意され続ける。

 そんな三人の様子を、マルス達は生温かい目で見つめていた。


「まあ、無茶だわな」


「やっぱりあいつ、変なところでズレてるよな」


 アイリスディーナとシーナの猛抗議にフェオが同意を示し、ノゾムの天然さにマルスが嘆息した。

 一方、ティマは視線を三人の間で行ったり来たりさせながら、オロオロしている。


「ええっと、止めなくていいのかな?」


「ノゾムの自業自得なんだから、放っておいていいだろ。アイリスディーナ達だって、ノゾムが心配であんなに口煩くなってんだから」


「にひひひ、シーナも可愛くなってきたよね~」


「ミムル、趣味悪いよ」


 最近、自分の恋心を自覚した親友の変化に、ミムルが人の悪そうな笑みを浮かべている。

 恐らく、この後どうやってからかってやろうかとか考えているのだろう。

 トムはミムルの悪巧みに感づいてはいるものの、特に止めようとはしない。どうせ後でシーナから反撃を食らうのが分かりきっているからだろう。

 二人の美少女に説教されるノゾムと、それを肴に楽しむマルス達。その時、彼らの後ろから、紅髪の少女が声をかけてきた。


「やっほー。ノゾム、生きてる?」


 声をかけてきたのは、ノゾムの幼馴染であるリサ・ハウンズだった。

 かつて長かったポニーテールをばっさりと切り落とされた彼女の髪は、今では肩よりも短く切り揃えられている。

 彼女の隣にはカミラの姿もあった。


「一応、ね。カミラも帰りか?」


「ええ。それにしても、何やっているの?」


「いや、その……。あんまり聞かないで」


 正座する男子生徒と、仁王立ちする二人の美少女。傍から見ても、ノゾムは晒し者にしか見えない。


「どうしてリサ君がここに?」


「私も色々と自習していただけよ。別に不思議な事じゃないでしょ。それより、急がないと正門閉まっちゃうわよ」


 リサは気軽な様子でノゾムの腕を取ると、正座している彼を立たせた。

 ノゾムの腕を抱えるようにして立たせた為、自然とノゾムとリサの体が密着する。

 そんな二人の姿を見て、アイリスディーナの額にピシリと青筋が立った。


「リサ君、あまりくっつかない方がいいと思うが?」


「ん? 別にこのくらいなら問題ないでしょ。幼馴染なんだし、友達なんだし。このくらい普通よ」


 静かに詰問するような口調でリサを咎めるアイリスディーナ。シーナは何も言わないが、絶対零度の視線で抗議の意を示す。

 一方のリサは二人からの威圧感などどこ吹く風というように受け流している。

 さらに彼女は、ノゾムの腕を取っている自分の手に、さらにギュッと力を込めた。

 くっついていた二人の体がさらに密着する。同時に、アイリスディーナ達の視線がさらに剣呑な光を帯びた。

 首筋に氷槍を突き立てられたような威圧感に、ノゾムの全身がビクリと硬直する。


「あ、それとも、周りの目を気にしているの? 大丈夫よ。色々煩いのは確かだけど、今はもう下校時間直前で、周りに生徒達はほとんどいないわ」


 ノゾムとリサが仲直りしてから二週間。その話は、今では学園中に知られる事になった。

 当然ながらその経緯についても、あちこちで根も葉もない噂が立っている。

 リサが改心したという内容から、ケンからノゾムへ乗り換えようとしている等の下世話な話、逆にノゾムがリサと復縁した等。学年や階級などで、それぞれ違う噂が多数蔓延していた。

 しかし、ノゾムもリサも、今はそんな噂など毛ほども気にせず、鍛練の日々を送っている。

 ノゾムはティアマットの力を制御するため、リサは自分自身の夢に向かって。

 それぞれが自分の道を歩み始めた今、二人は周りの不要な喧騒など、全く気にならなくなっていた。

 代わりに、リサは時折こうしてアイリスディーナ達をからかうようにもなっていた。

 自然とノゾムの口からため息が漏れる。


「はあ……。リサ、とりあえず離れてくれ」


「ん、ノゾムがそう言うなら」


 とりあえず、目の前の夜叉達をなだめる為にも、リサに離れるよう促した。

 リサもノゾムに言われると、素直に自分から体を離す。

 アイリスディーナ達も両者があっさりと離れたことに、とりあえず剣山のような敵意を引っ込める。

 下校時間が迫っていることもあり、ノゾム達はすぐに正門へと向かった。

 正門へ近づくと、徐々に下校している生徒の数が増えてくる。

 そこでノゾムは、思ったよりも学園に残っている生徒が多いことに気付いた。


「結構残っている生徒が多いな」


「ノゾム、まさか覚えていないのか? そろそろ開園祭の時期だろ?」


「開園祭? ああ、そういえばそうだった……」


 開園祭。

 一年に一度、ソルミナティ学園が一般に公開される日の事だ。

 この時、普段は目にすることのない学園の様子を見ようと、内外から様々な来園者が訪れる。

 同時に、街中もその恩恵にあやかろうと、色々な催しを行ったりする。一種のお祭りのようなものだった。

 だが、実はこの開園祭の目的は、日中の一般公開が終わった後にある。

 開園祭の夜、学園では各国の要人相手にパーティーが行われ、そのパーティーには各学年の成績優秀者達が招待されるのだ。

 そこで行われるのは、各国要人達から生徒達への勧誘活動。

 卒業後の優秀な生徒達を手に入れようと、各国がしのぎを削るのだ。

 生徒達もまた、そのパーティーで自分の進路に見合う相手を探す。言うなれば、一種の就職活動を兼ねたパーティーだった。


「開園祭って言っても、正直なところ、今まで俺達にはあまり縁がなかったからな」


「精々、祭りって名目でどんちゃん騒ぎするくらいか」


「私達はそれなりにやることもあったから、あまり気楽に、というわけにはいかないんだがな……」


 劣等生として常に十階級だったノゾムとマルスはともかく、常に総合成績で学年首位を貫いてきたアイリスディーナは、当然ながら毎年のようにパーティーに参加している。

 社交界で慣れているとはいえ、相手は面識もある要人ばかり。だからこそ、彼女は油断できないという。

 開園祭のパーティーに思うところがあるのか、彼女は凛とした表情の影に、若干憂鬱な雰囲気漂わせていた。

 そんなアイリスディーナの意見に、リサが同意するように頷いた。


「そうそう、ぜひ我が国に! って言ってくれるのはいいけど、何となく気味が悪いんだよね」


「リサさんは、どこかの国に仕えようとかは考えないの?」


「ん? 私の夢は本物の冒険者になることだし、そうなると特定の国に仕えるのはちょっと……。まあ、繋がりはあっても損はないと思うけどね。シーナさんは?」


「私も同じね。故郷を取り戻すにはどうしても私達の力だけじゃ足りないから、他国からの援助が必要だけど……。正直、私の体を舐め回すように見てくる人とは遠慮願いたいわ」


 一階級のリサと、二階級のシーナも、当然ながらパーティーに参加した経験がある。

 彼女達は彼女達なりに、色々と悩みはあるらしい。


「下校時間直前まで残っている生徒達は、おそらくパーティーの参加者で、今まで参加経験のない生徒達だろう。パーティーに慣れていないから、どうやったら失礼にならないかとかを、必死に勉強しているのだろうな」


 ノゾムはグルリと辺りを見渡し、下校している他の生徒達の様子を眺めてみる。

 よく見ると、考え事をしていたり、淑女の礼儀作法なる手引書を読みながら下校している生徒もいる。

 皆、少しでも良い印象を覚えてもらおうと必死な様子だった


「皆、大変そうだな」


「何を言っている。今回はノゾムも無関係じゃないぞ」


「……え?」

 

 間の抜けた返事を返すノゾムの様子に、その場にいた仲間達全員が溜息をついた。

 嘆息する仲間達を見ても理由が分からないノゾムは、辺りに満ちた微妙な空気に思わず頭を掻く。


「特総演習での好成績と、武技園でジハード先生相手に大暴れ。貴方が招かれない訳ないと思うわ。むしろジハード先生の事だから、進んで貴方を参加させると思うわよ」


「実際、参加メンバーにノゾムの名前はあったわよ。見てないの?」


「……どこにあったの?」


「正門横の掲示板だ。ちなみに、一週間前から掲載されている。

 君は登校中もブツブツと考え事をしていて、全く気付いていなかったがな。どうせ、ゾンネ殿との鍛練の事で頭がいっぱいだったんだろう?」


 どうやらこの男、鍛練の事に集中しすぎて、自分がパーティー参加者だったことに全く気付いていなかったらしい。

 仲間達から向けられる視線が呆れたものに変わる。


「い、いや。俺が公の場に出るって不味くない? ほら、憑依霊的存在ゆえに……」


 何とも言えない生温い視線に耐えられなかったのか、ノゾムがせめてもの抵抗を試みる。

 しかし、ノゾムの考えも間違いではない。

 彼は特大の爆弾持ちの人間だ。普通なら、あまり公の場に出すようなことはしないはずである。

 しかし、その疑問は、割とあっさり否定された。


「ノゾム君の体はどこまでも人間。なら、人前に出ることは問題ないだろう。ゾンネ殿ですら、君の魂は透視出来ないと言っているし、気づかれる可能性は少ないと思う」


「むしろ、積極的にノゾムを出して、認知してもらうのが目的じゃない? ノゾムに協力してくれそうな味方を増やして、いざという時に手を貸してもらうとか」


「その狙いもあるでしょうね。どの道、ノゾム君はジハード先生との一戦で、すでにお偉方には目をつけられていると思うわ。遅かれ早かれ、引っ張り出されていたと思うわよ」


「…………」


 立て続けに述べられる推論に、ノゾムは感心したように目を見開いていた。


「ん、なにしているのよ。ボーっとしちゃって」


「い、いや、アイリスだけじゃなくて、シーナやリサまで、よくそこまで読めるな~って……」


 貴族社会でもまれてきたアイリスディーナなら、権力者同士のバランスや動きを考えての発言も分からなくはない。

 しかし、リサは元々平民で、この学園に来るまでそんな世界とは関わりがなかったはずだ。

 孤立意識の強いエルフのシーナにも、人間同士の権力バランスなどの感性が元々あったとは考え難い。

 つまり、この二人がこのような考えができるようになったのは、この街に来てからなのだ。

 自分の知らない二人の姿に、ノゾムは純粋に感嘆していた。


「ノゾム君の警戒心が無さすぎるだけだと思うわ」


「君はもう少し、自分が周りからどう見られているかを考えたほうがいいと思うぞ」


 感心したら、突然言葉攻め。

 シーナとアイリスディーナからの容赦のない指摘に、ノゾムはうな垂れる。

 ノゾム自身も思い返してみれば、この学園に来てからは鍛練鍛練ばっかりで、彼女達のような感性を磨くことはしてこなかった。

 その結果がこの様かと、ノゾムは自分の情けなさに膝をつくが……。


「でも、ノゾムがパーティー参加者を確認し忘れたのと、この感性とは全く関係ないわよね?」


「ぐあ!」


 一番長い時間を共有していたはずの幼馴染に、しっかりトドメを刺された。

 もう自分のライフはゼロですと言わんばかりに地面に倒れこみながら、ノゾムはさめざめと涙を流す。


「なんか、せっかくの機会なのに、パーティーに参加する気がまるで湧かないんですけど……」

 

 本来なら嬉しい事なのかもしれないが、パーティーに参加する前から、ガリガリと気力を削られていく。


「まあ、パーティーは億劫なところもあるけど、出される料理とかは間違いなく一級品よ。食べておいて損はないと思うぞ」


「……なら、期待してもいいのかな」


 アイリスディーナが頬を緩めながら、ノゾムを慰める。

 気力の回復が食い気というのはどうかと思ったが、この際立ち直れるなら何でもいいというのが、ノゾムの率直な気持ちだった。

 少し元気が出たのか、ノゾムは口元に笑みを浮かべて立ち上がる。

 シーナが溜息を吐き、リサはしょうがないといった様子で肩をすくめているが、どこか胸が暖かくなる光景だった。

 ほっこりとした空気。しかし、その優しい雰囲気はこの男が投げ込んだ爆弾によってぶち壊されることになった。


「ち、な、み、に、パーティーにはダンスとかもあるんや。ノゾムは誰と踊るんや?」


 投げ込まれた爆弾はしっかりと起爆し、音のない衝撃が四人に襲い掛かる。

 無言で笑みを浮かべたまま固まるアイリスディーナとシーナ、リサの三人。先ほどよりもさらに増した威圧感に、亀のように縮こまってしまうノゾム。

 そして、爆弾を投げ込んだフェオは素早く避難して観客と化す。

 空気を読んだ上で、その空気を全力で無視するという、ある意味期待を裏切らない男である。

 ノゾムとしては今すぐ張本人をシバキ倒したかったが、まさしく開戦一歩手前といったこの状況。下手に動くと死ぬかもしれないと、彼の危機察知能力が全力を挙げて警告を発しており、下手に動けない。


「そういえば、事務室でパーティー参加者のしおりを配っていたような……」


「よし、ちょっと行ってくる! みんなは先に帰っていてくれ!」


「あっ! ちょ!」


 マルスが漏らした言葉に、ノゾムはこれ幸いと飛びつく。

 シュタッと手を上げると、先ほどまでの倦怠感などどこ吹く風というように、事務室へ向かって全力ダッシュしていった。









 フランシルト邸へと帰ってきたアイリスディーナは、自室に入ると、そのままポフッとベッドに倒れこんだ。


「やってしまった……」


 フカフカのベッドに顔を埋めていた彼女の口から、そんな言葉が漏れる。

 彼女の脳裏に思い出されているのは、放課後にノゾムにはなってしまった説教だった。


「うう、あそこまで言う気はなかったのに……」


 はっきり言えば、彼女にあそこまで強い口調でノゾムに諭すつもりはなかった。

 今までノゾムと一緒に過ごす中で、彼の鍛練に対する考え方が人とはややズレてることも知っているし、今の彼がティアマットの力を制御しようと躍起になっていることも分かっていた。

 しかし、アイリスディーナはどうにも我慢ができなくなってしまったのだ。

 外見には何もないように見えるノゾムの表情。しかし、その裏に隠された濃い疲労と消耗をアイリスディーナは敏感に感じ取ってしまう。

 何より、白くなった髪を見た時のノゾムの反応が、彼女の態度をより硬くさせてしまつていた。


「私は、嬉しかったのにな……」

 

 アイリスディーナはベッドに埋めていた顔を横に向け、白く色褪せてしまった自分の髪に指を絡ませた。色艶を失ったパサパサの髪が指に引っかかる。

 荒れてしまった髪の毛。でも、彼女にとってはとても愛おしいものだった。

 母と同じ黒髪は彼女の自慢ではあったが、その髪の色を失ってもノゾムを守れた事は、誇りでもあったのだ。

 しかし、この髪が今ではノゾムを苦しめてしまっていた。


「挙句に、あんな醜態を晒してしまうなんて……。無様だ……」


 さらにアイリスディーナは、ノゾムの手を取ったリサに嫉妬してしまった自分自身の姿を思い出し、一層落ち込んでしまう。

 ノゾムとリサが仲直りしたことは、喜ばしい事ではある。

 だが、表面上に現れなくなったとはいえ、ノゾムとリサの間に深い絆が再び結ばれた事も彼女は気付いていた。

 太陽のような熱い感情ではなく、月を思わせる穏やかな繋がり。

 自分の父と母の絆を思わせるその輝きに、どうしても羨ましいと感じてしまっていた。

 違う道を歩むことを決めたノゾムとリサが、ここ二週間ほどで恋人のような甘い関係に戻る雰囲気は皆無。

 それでも“もしかしたら……”という感情は、焦りと痛みと共に、彼女の胸の奥で渦巻き続けていた。

 アイリスディーナは今一度、ベッドに顔を埋めると、ギュッと力一杯目を瞑り、ふっ……と力を抜いた。

 砂嵐のような視界と痛みと共に、自分の暗い感情が抜けていくのを感じながら、アイリスディーナは今一度考えに耽る。


「ノゾムがやろうとしているのは、ティアマットの力を完全に制御する事……。なら、私に出来る事は……」


 ティアマットの力を制御する鍛練に関して、アイリスディーナはほぼ無力だ。

 彼女にシーナのような精霊と感応する力はない。

 だが、彼女には彼女にしか出来ないことがあった。


「よし!」


 跳ねるようにベッドから飛び出しながら、彼女は机に向かうと、徐にペンを取った。












 ノゾム達が微睡の中に落ちている時。ジハードは深夜の執務室で、開園祭に参加する各国要人の名簿を確認していた。

 フォルスィーナ国、クレマツォーネ帝国を初めとした数多の国から参加の申し込みが届いている。


「ジハード先生、新しいリストが届けられました。これでパーティーの参加者は二百人程となります」


「毎年毎年そうだが、年々数が増えてくるな」


 神妙な表情を浮かべつつも、ジハードはリストに記された名前を確認していく。

 見知った者から、初めて目にする名前まで、その一つ一つを、しっかりと頭に叩き込んでおく。


「第一期の学生が卒業してから七年程経ちます。卒業生達が徐々に評価されていき。この学園の存在がより広く認知されたという事なのでしょう」


「スィマヒャ連合から参加者も増えていることが、その証左なのかもしれんな」


 スィマヒャ連合は、元々十年前の大侵攻の際に滅ぼされた国々の生存者達が集まり、築かれた国だった。

 その経緯から、西側諸国に対して潜在的にあまりいい感情を持いない要人もおり、西側のフォルスィーナ国が主導で築かれたソルミナティ学園に対しても、学園設立当初はやや否定的な面もあった。

 また、名簿にはエルフ族の長老の名前もある。

 彼らは大侵攻で故郷の森を失って以降、スィマヒャ連合とクレマツォーネ帝国との国境近くでひっそりと暮らしている。

 故郷を失っても孤立主義なところが残っており、多種族とあまり関わろうとはしていなかった。

 そんな彼らも、少しずつ変わってきているのかもしれない。そんなことを考えながら、ジハードは名簿をめくる。

 その時、名簿に記された名前が、ジハードの目に留まった。

 

“エグロード・ファブラン”


 フォルスィーナ国屈指の名門貴族。フランシルト家に匹敵するファブラン家当主の名前に、ジハードは眉をひそめた。




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