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閑話 騒動の顛末

 メーナと猟犬達を伴ったノゾムは市民区へとやって来ると、まっすぐトムの工房へと向かった。

 雑多に立ち並ぶ民家の間を進んでいくと、ついこの前訪れた小屋が見えてくる。

 トムの工房の前では、フェオが積みあがった木箱を整理していた。

 ノゾムの姿に気付いたフェオがニッと晴れやかな笑みを浮かべる。


「おおノゾム、今日は何の用や?」


「フェオオオオオ!」


 腹の底に響くような怒声をあげながら、ノゾムは一直線にフェオに向かって突進。

 瞬く間に呆けるフェオの片手を取り、そのまま捻り上げながら、彼の体を傍にあった木箱に押し付けて拘束してしまった。


「うおっぷ! なぜに怒りモードMAX!?」


「お前、ソミアちゃんに何をした……」


「は?」


「お前が渡した猫耳グッズのせいで、今フランシルト家総出の大騒動になっているんだぞ!」


 いきなりノゾムが実力行使に出たのは、度重なる騒動で彼が一杯一杯なのか、それともフェオに対する信頼性の薄さが原因か。

 だが、怒り心頭のノゾムに対して、フェオの反応はやたらと鈍かった。


「い、いや。話が分からんのやけど、何があったんや?」


 全く身に覚えがないと言い張るフェオに、ノゾムはいぶかしみながらも現状を説明する。

 今朝早く、ソミアがフランシルト邸から姿を消した。探索した結果、なぜか猫化した状態で発見されるも、逃亡。

 その結果、アイリスディーナとヴィクトルが暴走し、現在双方が行方不明。


「ということで、場合によってはフランシルト家から相応の抗議が行く可能性が多分にある」


「ちょ! ワイかて分からんわ! あの獣耳グッズの製作はトムが一手に担っておったし、ワイは製作に必要な材料集めや、販売先になりそうな店をあちこち探したくらいや!」


 ちなみに“フランシルト邸からの抗議”という話は今のところ話題にはなってはないものの、十分あり得る話である。

 ノゾムが若干盛った情報で追い詰めると、フェオが焦った様子で、自分は関係ないとまくし立て始めた。さすがに、自分の損得に直接関わるとなると、この男は必死になるようだ。

 一方、今までのフェオの犯歴を嫌というほど知っているノゾムは、話を聞いても半眼で睨み付けたまま。悪い意味で信頼性があるだけに、どうにも信じきれない様子だ。


「……本当なんだろうか?」


「ホンマや! 信じて!」


「ノゾム様、とりあえず、トム様にお話を聞いた方が良いかと思いますが?」


「分かりました。フェオ、逃げるなよ」


「逃げんわ! あとお願いだから、腕を放してくれへん? 関節外れそうなんやけど」


「放したら逃げる可能性があるから駄目だ」


 ノゾムは関節が外れるか外れないか、微妙な力加減でフェオの腕を極めていた。ちょっとでも迂闊に動けば、そのまま自重で関節が外れてしまうだろう。

 ノゾムはフェオの体を起こしつつも拘束したまま工房の入り口まで進ませる。その風体は、取り押さえられた犯罪者のようだった。

 恐らくノゾムとしては、フェオがどんな答えを返してくるにしても、解放する気はなかったのだろう。



「なら、なんでわざわざ確認したん?」


「ただの建前」


  自分に対するあまりの扱いにガクッと肩を落としたフェオは、項垂れながら開いている片手を、工房のドアに手を伸ばした。







 ノゾム達が工房の中に入ると、作業台の上でトムがせっせと獣耳グッズを作っていた。

 耳を固定する台座に術式を刻み、取り付けた獣耳を丹念にブラッシングして、毛の一本一本をチェックする。まさしく職人の姿だった。


「あれ? ノゾム君どうかしたの?」


「猫耳つけたソミアが猫化した。身の覚えはあるか?」


「……え?」


 猫耳つけて猫化。何やら舌をかみそうな説明に、トムが首をかしげる。

 ノゾムはとりあえず、フェオの拘束を解き、先ほど話した内容をトムにも詳しく話した。

 フェオは改めて説明を聞いても納得できないのか、やや突っかかるような口調で反論してくる。


「あり得へんやろ。渡したのは確かに試作品やけど、精々着用者の魔力でピョコピョコ動くくらいや、ホンモンの猫みたいになるなんてこと……」


「…………」


 フェオは傍にあった羊の耳を手に取り、ポンポンと叩きながら、不満げに唇を尖らせる。

 一方、トムはなぜか押し黙ったまま、視線をキョロキョロさせていた。


「トム、なんで黙っているんや?」


「え、ええっと……」


「心あたりがあるんですね?」


 メーナの鋭い指摘に、トムの額から一筋の汗が流れ落ちた。

 プンプンと怒っていたフェオの表情が凍り付き、持っていた羊耳を床に落っことす。


「い、いや、こんなことになるなんて思っていなかったんだよ? ちょっと魔力の消費が多くなるけど、人体には何の問題もないはずだし……。それに……」


 しどろもどろといった様子で、トムは必死に弁明をしようとする。どうやら、今回の原因は彼にあったらしい。


「い、い、か、ら! さっさと話せ!」


「は、はい!」


 ノゾムの怒声を受けて雷で打たれたように姿勢を正したトムは、妙にハキハキとした口調で事の詳細を語り始めた。










「つまり、猫の動きを再現する術式を探求し続けていたら、偶然猫化する術式を編み出してしまったと?」


「はい……」


「それで、今は使えないと分かっても破棄するのは勿体ないから、猫耳に術式を刻んだと?」


「はい……」


「で、その試作品を、ソミアが新しい猫耳を買いに来た際に渡してしまったというわけか?」


「その通りです……」


 はぁ~~っと、ノゾムは大きくため息をついた。

 話を聞く限りだと、件の猫耳は、トムの研究熱が過熱した結果、生み出された代物らしい。

 事の次第はこうであった。

 トムはまず試作品第一号の猫耳を完成させ、ソミアに渡した。この時のことはフェオもその場にいたので知っている。

 その後、トムは徐々に様々な種類の獣耳グッズを作っていく。

 しかし、トムはさらに猫の動きを再現できないかと一日徹夜で試作した結果、偶然猫化する術式を編み出してしまう。だが、作り上げた術式は、今は製品として使うことはできない。

 しかし破棄するのも勿体ないと考えた彼は、一日貫徹のテンションに任せるまま、試作品第二号ということで、第一号と外見そっくりの猫化猫耳グッズを作成。

 当初、トムは試作品二号をしばらくは工房に置いておくつもりだったが、試作しただけで実験できない事、何より自分の作品が倉庫で埃をかぶることに忌避感を覚えてしまった。

 そして、フェオに内緒で、新しい猫耳を求めて偶然工房にやってきたソミアにその試作品二号を渡してしまったのだ。


「なんで渡したのよ……」


「いや、ソミアちゃんが、もっと猫と仲良くなれるようなものはありませんか! ってすごい真剣に聞いてくるし、僕もせっかく作った物が倉庫で埃をかぶるのは嫌だし……。

 それに、こんな完全に猫化するようなものじゃなかったはずなんだ。せいぜい口調や仕草が猫化するくらいのはずだよ……」


 トムの話では、刻まれている術式は、元々それほど強力な物ではないらしい。

 とはいえ、現実的に、ソミアは完全に猫化してしまっている。


「ソミアちゃんが完全に猫化した原因は?」


「使われている術式は、催眠魔法の一種なんだ。人の無意識の部分に、一時的に猫の仕草を真似させるもの。だから、言葉の端やちょっとした癖に、猫の動作がアレンジされる。

 だけど、もしその術式が強力に働いた場合……」


「その人の意識や動作、全てが猫化すると?」


「うん……」


 おそらくソミアは、買っていたばかりの猫耳を、夜の自室で試着したのだろう。

 その際、何らかの理由で猫耳に刻まれた術式が強力化。結果として、あのソミア猫が爆誕してしまったという話らしい。 

 

「術式が強力になった理由は?」


「人の無意識に干渉する術式は獣耳の部分にあるんだけど、魔力を供給する部分は尻尾にあるんだ。どちらも特別性の術式だから、二つの術式が相互干渉した結果、こんなことになったのかもしれない」


「で、解決方法は?」


「猫耳か、尻尾か、そのどちらかを外してしまえばいいと思う」


 とりあえず、ソミアを元に戻す方法は分かった。

 問題は、猫化したソミアをどうやって捕まえるかだった。


「トム様、猫化したソミリアーナお嬢様の動きは、普段のお嬢様では考えられないほど俊敏なものでした。それも、術式が関わっていると?」


「はい。おそらく、意識が猫化したことで、人が普段無意識に使っていない力や、彼女が身に着けて居る魔法を、本能的に使っているのかもしれません。」


「そういえばソミアちゃん、まるで本物の猫みたいな素早さだったな……」


 ノゾムは、先ほど遭遇したソミアを思い出す。

 あの人を軽々と飛び越えるほどの跳躍力は、彼女の隠れた才能の一端だったのかもしれない。

 あれほどの身体能力となると、捕まえるのは簡単ではないだろう。

 しかも、彼女はフランシルト家の令嬢。憲兵隊に協力を頼んだとしても、相手が高位の貴族令嬢となれば、力づくで捕まえるというのも難しい。

 怪我でもさせてしまったら、親馬鹿な当主様が何を言い出すかわからない。それは、フランシルト家の人達も同じ。

 だからと言って、時間をかけるわけにもいかない。アルカザムの治安は悪くはないが、どんな街にも碌でもない事を考える輩はいる。

 そんな人間に、ソミアが捕まってしまったら……。

 出来うる限り穏便に、かつ迅速に捕まえる必要がある。


「お嬢様が幼い頃から、礼儀作法やダンスだけでなく、魔法も嗜みとして教えてきましたが、まさかこのような事になるとは……」


 メーナが両手で顔を覆って、天を仰いでいる。彼女自身も、まさか自分の教育の結果、こんな捕獲困難な猫娘が誕生するとは思わなかっただろう。


「だとすると、誘き寄せる方がいいね」


「何か手があるのか?」


「一応、僕たちがどうやって素材集めをしてきたと思うの?」


 そう言ってトムは、工房の奥から。両手で抱えるほど大きなカバンを持ってきた。

 彼は持ってきた鞄をテーブルの上に乗せると、中からいくつかの袋を取り出すと、その一つをノゾムに手渡した。


「この袋には、マタタビとか猫じゃらしとか、僕達が猫達を捕まえるのに使っていた道具が入っているんだ。この道具を上手く使えば、ソミアちゃんを捕まえられるかもしれない」


「なるほど」


 トム達は獣耳を製作する際に、質の良い動物の体毛を採取してきた。その時に使った道具が、この袋に入っているらしい。

 トムはおもむろに袋の中からマタタビを取り出す。

 まだ加工されていない木材の状態だが、それでも猫達にとっては堪らない一品のはずだ。

 ちなみに余談だが、マタタビは粉末状にした方が、猫に対する効果は高い。香りがより引き立つからである。


「あと問題は、今ソミアちゃんがどこにいるか……」


「旦那様方の追跡から逃げることを考えると、おそらく商業区にはいないでしょう。市民区か行政区、あるいは、職人区か……」


「もしくは、そのどれにも逃げられる場所やな」


「となると、中央公園?」


 このアルカザムは、ソルミナティ学園と、それを取り囲む中央公園を真ん中に置き、各地区が四方に円を描くように造られている。

 中央公園なら、どの区画にも素早く逃げ込むことができるだろう。


「では、行ってみましょう」


 メーナの発言を皮切りに、ノゾム達は工房を出て中央公園へと向かった。









 ソミアを探して中央公園に来たノゾム達は、とりあえず手分けをしてソミアを探し始めた。

 とはいえ、中央公園はソルミナティ学園の全周を覆っているだけに、かなり広い。

 ノゾムはベンチの下や茂みの奥などを探しながら、只管に歩き回った。

 しかし、ソミアの姿は見えない。いるのは子供連れの夫婦や、散歩に来た老人夫婦などのみ。見えない茂みの影では愛を呟いているカップルらしき気配もある。

 とはいえ、あちこちから人の気配がするので、ノゾムもこの公園にソミアがいるのかどうかは分からない。

 感じる気配一つ一つを確かめるしかないのだろうが、下手にカップルのラブシーンに遭遇してしまったら、気まずい思いをするだろう。

 しかし、確認しないわけにもいかない。ノゾムは歩きながら、感じ取った気配を確かめてく。


「ソミアちゃん、いるのかな?」


 ノゾムが歩きながらそんな言葉を呟いた時、彼は茂みからこちらを覗いている視線に気づいた。

 ゆっくりと視線を感じた茂みの様子を覗うと、緑の草木の間から、黒色の尻尾がピョコッと生えた。

 さらに猫耳を付けた頭がニョキっと飛び出る。


「本当にいたよ……」


 ソミアが本当にこの公園にいた事に驚きながらも、ノゾムは袋の中をまさぐり、マタタビの木材を取り出す。

 そして、取り出した木材を地面に置くと、そこから数歩後ろに下がった。

 ソミアは置かれた木材を注視しながら、時折チラチラとノゾムの様子を覗いつつ、ゆっくりと茂みから出てくる。

 そして、一歩、二歩と警戒しながらマタタビに近づくと、匂いを嗅ぎ始めた。

 しかし、ソミアはマタタビの木を少し嗅いだだけで興味を失ったのか、ススッとその場から離れてしまう。 


「あれ? 効果がない?」


 マタタビが全く効かない事に、ノゾムは首をかしげる。

 だが、それも当然の話であった。

 人間はマタタビを摂取しても、猫のように泥酔状態になることはない。当然ながら、いくら猫の自己暗示をかけられても、肉体が人間のソミアには、本来の猫のような効能は現れないのだ。

 しかたなく、ノゾムは再び袋に手を突っ込む。

 出てきたのは柄の長い猫じゃらし。試しにソミアの目の前でプラプラと振ってみる。


「ほいほ~い」


「にゃう!」


「あ、壊れた……」


 ソミアが猫じゃらしに飛びついた瞬間、彼女の体重で柄がボキッと折れてしまった。

 いくら軽くても、ソミアの体重は猫の十倍近く。飛びついたら折れるのは当たり前だった。

 仕方なく、ノゾムは三度袋に手を突っ込む。しかし、出てきたのは先ほどの物より役に立たないものばかり。

 爪研ぎ板、捕獲用の小さな檻、干し肉、果てには取っ手と蓋のついた鍋とかが出てくる始末である。


「なんで鍋? これで猫鍋でも作れと?」


 次々と出てくる用途不明な代物に、ノゾムは困惑する。

 その時、ノゾムは自分の足元にフワリと何か柔らかいものが触れるのを感じた。


「あれ?」


「ふみゃ~~」


 気が付けば、ソミアがノゾムのすぐ足元に来ている。

 彼女は猫なで声をあげると、尻尾をピンと立て、ノゾムの周りをグルグルと回りながら、自分の体を擦り付けてくる


「…………」


 ノゾムは、出来るだけソミアを刺激しなようにゆっくりと腰を落として地面に座る。

 ソミアはノゾムの周りを回る事をやめ、彼の前で地面に座り込む。


「もしかして、上手くいけばこのまま捕まえられるんじゃ……」


 そんなことを考えながら、ノゾムは目の前にちょこんと座るソミアに視線を合わせてゆっくりと手を差し出した。

 すると、ソミアは差し出されたノゾムの指の匂いを嗅ぎ、おもむろにペロリと舐め始めた。


「みゃう……」


 ソミアは差し出されたノゾムの指を二、三度舐めると、ゴロゴロと顔を擦り付け始める。

 ノゾムそのまま手の平を反してソミアの喉や頬を撫でると、彼女は気持ちよさそうに目を細めた。

 ソミア猫の愛らしさに、ノゾムの心臓がドクンと跳ねる。

 今まで感じたこともない奇妙な感覚。しかし、決して悪い気分ではない。むしろ、ほっこりする気持ちだった。

 ノゾムがそのまま髪を撫でたり、手を首筋に回したりしても、ソミアは逃げない。それどころか、“もっともっと!”と言うように、グイグイと顔を手に押し付けてくる。


(やば、可愛い……かも)


 ソミア猫の可愛らしさに、ノゾムの頬が緩む。一瞬、捕獲の事を忘れそうになるが、ぐっとこらえて機会をうかがう。

 だがその時、ノゾムの視界の端に、誰かの影が映った。

 一体誰だろうとノゾムが顔を上げると、そこには、信じられないものを見たように目を見開いているアイリスディーナの姿があった。

 

「あっ……」


 ソミアを撫でていたノゾムの手が、思わず止まる。

 猫娘は”どうしてやめるの?”と言うように首をかしげ、さらに催促するようにペロリとノゾムの手をなめてくる。


「や、やばい……」


 一方、ノゾムは焦燥から冷や汗をかいていた。

 もしアイリスディーナが大声を上げたら、間違いなくソミアは逃げてしまう。

 また、その後にシスコンのアイリスディーナから、どんな追及を受けるか分かったものではない。

 目を見開いているアイリスディーナの瞳が徐々に潤み始め、全身がプルプルと震えている。

 アイリスディーナの口が大きく開き、辺りに怒声が響き渡りそうになった時。


「ノ、ノゾ~~むぐ!」


「アイリスディーナお嬢様、失礼いたします」


 素早く彼女の後ろに回り込んでいたメーナが、アイリスディーナの口元を押さえた。さらにメーナは、ノゾムに向かって突進しようとするアイリスディーナを後ろから抱え込む。


「む~~! む~~~!」


「お嬢様、申し訳ありませんが、お静かにお願いいたします。ノゾム様、こちらはお任せください」


 メーナさんナイスです! ノゾムは思わず心の中でそう叫び、片手の親指をグッと立てた。

 メーナは、口を押えられてながらもがくアイリスディーナを静かに窘めると、彼女の耳元で二、三声呟いた。

 すると、暴れていたアイリスディーナの動きがピタリと止まる。

 続いてメーナが耳元で何か囁くと、今度は目を見開いて絶望したような表情を浮かべた。

 アイリスディーナがメーナに何を言われたのか、ノゾムには聞こえなかったが、彼女がそれ以上騒ぐ気配は薄れた。

 がっくりと肩を落とすアイリスディーナに拘束は不要だと感じたのか、メーナも既に拘束は解いている。

 

「いや、そんなこの世の終わりみたいな顔しなくても……」


「う~~」


「あ、ごめん」


 コロコロと変わるアイリスディーナの表情に首をかしげていたノゾムだったが、手が止まって不満げな声で唸るソミアに急かされ、再び彼女を撫で始めた。

 その間に、アイリスディーナはメーナに引っ張られ、ソミアからは見えないよう、茂みの影へと連れて行かれる。


「なう~~」


「あっ!?」


 ソミアが猫なで声をあげるたびに、茂みの影からアイリスディーナの声が聞こえてくる。どうやら、しっかりとノゾム達の様子を覗き見ているらしい。

 ノゾムとしても、羞恥プレイをしているようで恥ずかしいが、恥ずかしい心をぐっと抑えてソミアを撫で続けた。

 茂みの影からノゾムに向けられる非難の視線が、徐々に強くなっていく。


「お、穏便に捕まえられるなら、別にいいじゃないか……」


 ノゾムは震える声でそんなセリフを吐いてみるものの、茂みの奥からはアイリスディーナからの非難の視線は弱まることはなく、ガリガリとノゾムの精神を削っていく。

 一方、撫でられているソミアは夢心地。すっかり警戒心を緩めて、ノゾムが撫でるに任されていた。 


「今なら取れるんじゃ……」


 ゆっくりと撫でていない片手を伸ばし、ソミアの頭に近づける。

 そして、間合いを測り、一気に彼女の頭の猫耳をつかみ取った。


「えい!」


「ふみゃ?」


 猫耳を取られたソミアは、上半身からカクンと力が抜け、座ったままフラフラと体を揺らす。

 やがてゆっくりと上体を起こすと、寝起きのような焦点の定まらない目をノゾムに向けた。


「う~ん、にゃふゃようございます~~」


「おはようソミアちゃん。もう昼だけど」


 猫化の影響が抜け切れていないのか、口調の端々が間延びしている。

 しかし、寝不足の影響もあるのかもしれない。

 彼女が屋敷から姿を消したのは昨夜。それ以降アルカザム中を彷徨っていたのなら、体は疲れ切っているはずだ。

 とはいえ、とりあえず猫化を元に戻せた。

 これで、騒動は収まるだろうと考え、ノゾムは安堵の息を漏らした。


「あれ~? 私何でこんなところに~」


「いや、まあ、色々あったんだよ」


 ソミアは、自分がなぜ公園にいるのかわかっていないのか、辺りをキョロキョロと見回している。

 とはいえ、彼女の寝不足はピークに達していたようだった。座りながらも上体はフラフラと揺れ、意識の半分以上が舟を漕いでいる。


「よしソミア! 目が覚めたのなら帰るぞ! 今すぐ素早く迅速に!」


 ソミアが元に戻ったことで、既に隠れる必要がなくなり、アイリスディーナが茂みから飛び出してきた。

 何やら屋敷に帰るようソミアを急かしているが、肝心のソミアはすでに限界だった。


「ふみゅ~~。まだ眠いでず~~」


「あっ……」


「ああっ!?」


 フラフラと揺れていたソミアの体がパタンと倒れ、ノゾムの足の上に落ちてきた。

 ソミアはそのままゴソゴソと体を動かすと、ノゾムの太ももの上に自分の頭を乗せる。いわゆる、膝枕だ。


「ふみゅ~。お休みなさ~い」


 ノゾムの太ももを確保したソミアは、そのまま夢の中へと旅立ってしまう。

 一方、アイリスディーナは憤慨した様子でソミアに詰め寄る。


「こらソミア! そんなとこで寝るんじゃない! なんて恥ずかし羨ましい!」


「いや、アイリス、何言ってるの?」


 支離滅裂な言葉を放つアイリスディーナだが、肝心のソミアはノゾムの膝枕の上でクウクウと心地よさそうな寝息をあげている。

 アイリスディーナはソミアの頬を叩いたり揺すったりするが、よほど疲れているのか、起きる気配が全くない。


「くう……。ノゾム!」


「いや、そんな睨み付けられても……」


 ソミアに声をかけても埒が明かないと分かると、アイリスディーナの矛先はノゾムへと向かう。

 ノゾムはとりあえずソミアを離してアイリスディーナを落ち着かせようとするが、肝心のソミアがノゾムのズボンと服をしっかり握っており、離すことができなかった。

 仕方なく、ノゾムはソミアに膝枕をしたまま、今日何度目になるかわからない溜息を押し殺しつつ、必死にアイリスディーナをなだめ続けた。









 夕方、寮の自室に帰ってきたノゾムは、疲労困憊といった様子で、自室のドアノブに手をかけた。 

 中央公園で完全に寝入ってから、ソミアは二時間ほど熟睡していた。

 アイリスディーナを落ち着かせるのにメーナも声をかけてくれたのだが、興奮したアイリスディーナにはまるで効果がなく、さらに騒ぎを聞きつけてヴィクトルがやってくる始末。

 当然ながら、ソミアを膝枕をしているノゾムを見つけた瞬間、ヴィクトルの怒りは頂点に達し、奇声をあげながらノゾムに飛び掛かろうとした。

 やむを得ず、メーナがヴィクトルを迎撃。すったもんだの大騒動が勃発。ついには、憲兵隊が出てくる騒ぎにまでなった。

 怪我人はおろか器物損壊なども全くなく、結局全員がその場で厳重注意を受けただけで事なきをえたものの、ノゾムは精神的にズタボロだった。

 ちなみに、騒動の発端であるトムと、彼の製品を扱っていたフェオは、憲兵から叱責を受け、作った製品はすべて回収。ソミアの父親からも敵のような目で睨みつけられていたのだが、その後なぜか、ヴィクトルと満面の笑みで肩を組んでいた。

 肩を組み合う彼らの傍ではメーナが佇み、口元に笑みを浮かべていたが、一体何の取引があったのか、ノゾムは知る由もないし、知りたいとも思わなかった。


「はあ、大変だった。今日はもう寝よう……」


 溜息と共に、ノゾムはドアノブを回して扉を開く。

 次の瞬間、ノゾムの体が硬直した。


「…………」


 目の前の光景を信じられないのか、ノゾムはドアを開けた状態のまま、目をぱちくりさせている。

 別に、自分の部屋が荒らされていたとかではない。相変わらず物が少ないものの、部屋の中は比較的小奇麗なままだ。

 そう、何も変わらない。

 ただ一つ。部屋の真ん中でフサフサの犬耳と尻尾を取り付けて座り込み、ノゾムを見つめているアイリスディーナを除けば。


「……これはどういう事ですかね?」

 

「わ、わん」


 ノゾムはこの事態に脳が一時的にフリーズしてしまった様子だった。

 思わず彼の口から出た言葉に、アイリスディーナ犬の答えは“わん”のみ。

 一呼吸置いて、ようやく再起動したノゾムは、蟀谷に指をあててながら、どうにかこの状況を理解しようと試みる。

 犬の格好をしたアイリスディーナは、まるで待てを命じられた犬のように、床にペタンとお尻を付けたまま、ジッとノゾムを見つめている。

 どこか寂しさと羞恥心を感じさせる口調と表情。真っ白な彼女の肌が、ほんのり朱色を帯びている。

 さらに、お尻の尻尾が、パタパタと軽やかに揺れている。

 普段の凛とした表情とはまるで違う、待ちわびた主人と再会した飼い犬のような仕草に、ノゾムは思わず……。


「可愛い……。いやいやそうじゃなくって! 

 アイリスさんや、犬耳つけて何やってるの? というか男子寮に忍び込むって何考えているのさ」


 ノゾムはとりあえず部屋に入り、ドアを閉めた。こんな所を寮生に見られたらたまらない。これ以上大声を上げるような騒動は、ノゾムとしてもお腹いっぱいだった。


「わ、わんわん……」


「わんわん、じゃないから。動物化する獣耳は猫耳一つだけなんだから、犬化なんてしてないでしょ。ほら、早く帰らないと……」


「くぅ~~ん……」


「いや、そんな捨てられた子犬みたいな目しなくても……」


 唐突に涙目になるアイリスディーナ。ノゾム自身、別に悪いことはしていないはずなのにすさまじい罪悪感に駆られる。

 何とかしてアイリスディーナを自宅に帰さないと……。そう考えるノゾムに業を煮やしたのか、アイリスディーナは不満そうな表情を浮かべると、突然ノゾムが身に着けている服の袖に噛みついた。


「う~~、はむっ!」


「ちょ、アイリスさん。いきなり何を!」


 ノゾムの袖を咥えたアイリスディーナはズンズンと四つん這いのまま、ノゾムを目的の場所まで引っ張っぱっていく。

 辿り着いたのは、ノゾムのベットの傍。彼女は服の裾から口を離すと、タンタンと前足? ベッドの端を叩く。


「す、座れって?」


「わん!」


 よくわからないまま、ノゾムはベッドの縁に腰掛ける。


「す、座ったけど、いったい何を……って!?」


 アイリスディーナはノゾムの隣に腰掛けると、ポスンとノゾムの膝の上に寝っ転がってきた。

 

「ちょ、何やってるのさ!」


「うう~~~! う~~!」


「いや、人間の言葉で話してよ」


 突然膝の上に感じた重み。そして、香る女の子の甘い匂いに、ノゾムは思わず立ち上がろうとする。

 しかし、アイリスディーナは不満そうに唸ると、離すまいとノゾムのふとももをしっかりと握りしめた。

 ギュッとズボンを握りしながら、「う~う~」と唸っているアイリスディーナに、ノゾムは上げかけていた腰を落としてため息を吐く。

 すると、消えそうなほど小さな声で、アイリスディーナがボソリと呟いた。 


「……ずるい」


「え?」


「ソミアばっかり、ずるい」


「いや、ずるいって言われても……」


 どう言葉を返せばいいのか分からず、頭をかくノゾム。一方、アイリスディーナはそれっきり何も話さず、ぶすっとした顔で、頬を膨らませている。

 彼女の尻尾も“きちんと気づけ”というように、パシパシとノゾムの二の腕を叩いていた。


「はあ、しょうがないな」


 ノゾムは呆れ顔を浮かべながら、ソミアにしてあげた時と同じように、アイリスディーナの頭を撫で始めた。


「……もっと優しく」


「はいはい……」


 お姫様のご注文通り、ノゾムは出来るだけゆっくり、髪の毛を梳くように撫でる。

 アイリスディーナのサラサラの髪の上を、ゴツゴツしたノゾムの手がゆっくりと流れていく。

 パンパンと不満そうに揺れていたアイリスディーナの尻尾が、徐々に大人しくなり、ペタンと萎れていた耳がピクピクと動き始めた。


「えへへへ……」


 先ほどまでプンプン不満を述べていたアイリスディーナの口から、艶やかな声が漏れる。

 アイリスディーナは“もっと……”と言うようにキュッと体を丸めて、ノゾムの太ももにすり寄ってくる。その仕草は妹と瓜二つだった。


「君って、こんなに甘えんぼだったっけ?」


「ノゾムのせいだ」


「え?」


「ノゾムが悪いんだ」


「何でだよ……」


「悪いったら悪いんだ」


 甘え全開で、返答にならない答えを返してくるアイリスディーナ。

 返された言葉は普段の彼女には似つかわしくないほど支離滅裂なのに、ノゾムの口元に自然と笑みが浮かんだ。


「はいはい、分かりました。俺が悪かったよ」


 そう言いながら、ノゾムはアイリスディーナの頭を撫で続け続ける。先ほどよりももっとゆっくり、一撫で一撫でを愛おしむように。


「えへへへ……」


 幸せそうに蕩けた笑みを浮かべるアイリスディーナを眺めながら、ノゾムもしばらくの間、膝の上の心地よい重みと、彼女の髪の感触を楽しんでいた。


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― 新着の感想 ―
[一言] ラストの甘えるアイリス最高です。 爆ぜろとかではなく、凄く尊いです。 ノゾムとアイリスのこう言う話をドンドンと投下頂ければアイリス推しとしては凄く充電できます。 最高の閑話ありがとうございま…
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