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閑話 子犬は好きですか?

 薄暗い部屋の中に、二人の影が映る。

 二人の周囲には、実験室を思わせる怪しい機器が並び、様々な色彩の魔力光が輝いていた。


「で、調子はどんな感じなんや?」


 一人はスラリとした長身の男性。輝くような金色の体毛で覆われた耳と尻尾が、怪しい魔力光の輝きに照らされている。


「まだ結果は出ないよ。ついこの間、試作品ができたばっかりなのに。というか、あの試作品どこにやったの?」


 もう一人は、中世的な声色の少年。

 先ほどから部屋中をあちこち動き回り、設置された機器で何か作業をしている。

 紫色に輝くビーカーに千々れた糸状に何かを入れ、続いて実験台の上に一枚の紙をのせる。

 髪には円状の魔法陣が描かれており、その上に三日月を思わせる板状の物を乗せた。


「試作品である以上、試験をする必要がある。そう思うたから、今テストに出してる」


「どこに出したの?」


「心配すんなや。相手は信頼できるお得意様や」


 狐耳の男性に不満げな視線を送るが、その時、紫色のビーカーから煙が噴き出た。

 少年は慌ててビーカーから糸状の何かを取り出し、実験台の上の魔法陣に乗せる。


「とにかく、本格的に作るには材料が足りないよ」


「なら、採りに行くしかないわな。ちょう行ってくるわ」


 狐耳の男性は、踵を返してさっさと部屋を出ていく。

 後には、紫色の魔力光に照らされながら、怪しげな実験を続ける少年が残されていた。









 ある日の放課後。ノゾムはアリスディーナに誘われる形で、街の北側の森まで赴いていた。

 彼女の話では、何でもギルドで受けた依頼を手伝って欲しいとの事。

 もちろん、分け前も折半という形であったし、アイリスディーナの頼みということもあり、ノゾムは快く引き受けた。


「で、依頼の内容は、野生化した猟犬達の始末をつけてほしい、だったっけ?」


「ああ、去年亡くなった猟師の息子夫婦が依頼してきた。数は二匹。似た犬の目撃例が、この北部の森で数件ある。

 できるなら連れ帰って保護して欲しいという話だったけど、無理なようならお願いします。だそうだ」


「なるほど……」


 依頼内容は、猟犬の保護。無理なようなら、殺処分という内容だった。

 元々、依頼対象の猟犬は、依頼主の父親が飼っていたもので、彼が亡くなった際に二匹とも姿を眩ませてしまったらしい。

 野生化して人に危害を加えるようになった犬は、そのまま魔獣として認定される。ワイルドドックと呼ばれる魔獣が、このカテゴリーに分類されている。

 特に人が飼っていた犬は、人間を恐れないだけに始末が悪い。

 一、二匹ならノゾム達なら問題はないが、戦う術を知らない一般人や子供には驚異だ。それは、襲われた経験があるノゾムもよく分かっていることだった。


「ノゾム、この辺で猟犬が住みつけるような場所とかはあるのか?」


「一応あるよ。今でも生きているなら、街の近郊に住み着いている他のワイルドドックやゴブリンに目をつけられないように、それぞれの縄張りの境界付近を移動しながら生活している可能性が高い。

 でも、森の深部まではいけないだろう。あっちはオークとかキクロプスとかいるから」


 ワイルドドックは、低位の魔獣に分類される。数は脅威ではあるが、その能力はキクロプスなどには到底及ばないからだ。

 猟犬として生きてきたなら、他の魔獣たちの脅威は身に沁みているだろう。おまけに数は二頭と少ないなら、まず他の魔獣との戦いは避けるはずだ。

 それに、人に慣れているなら、人の街の近くに巣を構えることにも抵抗感は抱かない。

 ゆえに、ノゾムはアイリスディーナと一緒に、北部の街道近くを探索し始めた。


「アイリス、獣道を見つけた。比較的新しい足跡も」


 依頼対象の猟犬が残したと思われる痕跡は、三十分ほどで見つかった。

 木々の隙間を縫うように伸びた獣道に、数匹の犬と思われる足跡が残っている。


「数は……4匹。数が合わないけど、2匹の足跡は他の2つに比べても小さい。今年生まれた犬かも……」


「番だった、ということか」


 猟犬が二匹とは聞いていたが、番だったという情報は依頼書にはなかった。

 足跡が小さいことから、二匹はまだ子供だとは思われるが、子持ちの番は時に格上の魔獣よりも厄介になる。子供を守ろうと、死に物狂いで牙を剥いてくるからだ。

 ノゾムとアイリスディーナは、さらに慎重に獣道をすすむ。


「ノゾム……巣があった」


 やがて、アイリスディーナが獣道の先で巣を見つけた。

 二人は一旦、巣の風下へと回り、茂みに隠れながら、巣の様子を覗う。

 猟犬が作った巣は、地面に穴を掘った簡素なもの。

 巣の入り口の前では、番の子供と思われる二匹の子犬がじゃれあっていた。


「子犬が二匹……。数が一致する。やっぱり、今年生まれた犬みたいだ」


「ああ……」


 アイリスディーナの隣に寄り添いながら、ノゾムは周囲の気配を探る。

 一方、アイリスディーナは巣の中に親がいる可能性を考えているのか、じっと巣の様子を見つめていた。


「親は……いないみたいだな」


「ああ……」


 周囲に大型の魔獣の気配は感じ取れない。

 とりあえず、ノゾムは一旦巣の方に視線を戻す。

 じゃれあっている子犬達は、まだかなり幼い。生まれて数か月。もしかしたら、一か月も経っていないのかもしれない。

 短い脚と、丸みを帯びた体。体毛もまだ滑らかさはなく、毛糸のようにふわふわで千々れている。

 そんな幼い子供を連れて移動したという事は、他の魔獣に追われて巣を移動した可能性がある。

 ということは、おそらく親の猟犬たちも、巣からそれほど離れた場所まではいかず、近場で狩りをするはずだ。

 つまり、そう時間が経たない内に、親犬が帰ってくる。


「アイリス、どうする? 今のうちに、子犬だけでも確保するか? それとも、親が来てから仕掛けるか?」


「ああ……」


 このまま親が帰るまで待ち、一網打尽にするか、それとも、まず子犬だけでも確保しておくか。

 見たところ、子犬は生まれてからそれほど時間が経っていない。ならば、人間に対する警戒心も低いだろう。

 つまり、親の方は野生化した結果、人に危害を加えるかどうか分からないが、子犬だけなら依頼主に渡すことも可能ということだ。

 ところが、ノゾムの問いかけに対して、アイリスディーナの反応が妙に鈍い。


「……アイリス?」


「ああ……」


 いや、鈍いどころではない。

 一体何事かとノゾムがチラリと隣の少女の様子を覗ってみると、アイリスディーナはまるで子供のようなキラキラした視線で、じゃれ合う子犬たちを見つめていた。


「け、毛玉……。モフモフの毛玉が2匹も……。ああ、撫でたい。頬ずりしたい……」


「…………」


 真剣な目つきをしていたアイリスディーナの口から漏れた言葉に、ノゾムは思わず耳を疑った。

 何か今、とても場違いな言葉が聞こえてきたような気がしたのだ。

 毛玉とか、モフモフとか、頬ずりとか……。

 

「な、なんだ?」


「もしかして、子犬に見惚れてる?」


「な、何を言う。別に見惚れてなんてしていないぞ!」


 明らかに声が震えている。その上、目がキョロキョロと宙を泳いでいる。説得力が全くない。


「アイリスって、子犬好きなのか?」


「な、なんだ? そ、そ、そんな事はないぞ。つぶらな瞳が愛くるしいとか、ヨチヨチ歩く姿が胸に来るとか、そんなこと思ってなんていないぞ!?」


「可愛いは?」


「正義! あ、いや、その……」


 確定である。この少女、依頼も忘れて完全に子犬に心を奪われていた。

 凛として大人びている彼女が、実は子犬好きという意外な事実。そして、それを知られて恥ずかしそうに頬を染めている姿はとても魅力的だ。

 しかし、あいにくとノゾムには、その余韻に浸ることができなかった。


「それより、アイリスが大声で叫んだから、子犬に見つかっちゃったよ……」


「え?」


 何故なら、先ほどからじゃれあっていた子犬のくりくりとした瞳が、ノゾム達が隠れている茂みの方に向けられていたから。

 ついでに、子犬の隣には、先ほどまでいなかった大型犬が二頭いる。


「さらに言うと、親犬が帰ってきてる」


「ええ!?」


「グルルルル……」


 唸り声をあげながら、警戒心全開で茂みを睨み付ける親犬たち。明らかにノゾム達に気付いている。


「どうすんの。完全に警戒されちゃっているんだけど」


「大丈夫だ。こういう時のために、秘密道具を用意してもらってきた」


 奥の手。

 彼女が言うなら頼りになるだろうが、ノゾムはなぜか嫌な予感を拭い切れない。

 ついこの間、似たようなシチュエーションを目の当たりにした気がしていたからだ。


「これだ! 元飼い主が愛用していた手袋だ。飼い主の匂いがついたこの手袋をつけていれば、私の事も仲間と思ってもらえるはず!」


 嫌な予感が的中した。

 自信満々に小道具を取り出す姿は、妹と瓜二つ。ついでに、微妙に漂う残念臭も瓜二つ。


「いや、それって一年以上前の手袋だろ? 元飼い主の匂いも、とっくに落ちているんじゃないか? それに、いくら手袋をつけたって、つけているのがアイリスなら警戒を解いてくれるはずが……って、話を聞きなよ!」


 無駄かと思いつつも口をはさむが、当然ながらアイリスには聞こえていない。

 手袋をはめて、自信満々な様子で犬達に近づいていく。もう毛玉しか見えていない。


「さ、大丈夫。私は味方だ……」


 慈愛の笑みを浮かべて歩み寄るアイリスディーナ。そんな彼女を前にして、犬たちは相変わらず警戒心満点で唸っている。

 しかも、頭を低くして牙を剥きだしにしてきた。完全に臨戦態勢になってしまっている。


「……あれ? おかしいな?」


「当然だろう。まったく、姉妹して行動パターンが同じなんだから……」


 さすがにここまで警戒されると、もはや連れて帰ることは不可能だろう。


「アイリス、こうなったら殺処分するしかないんじゃ……」


「いやダメだ! 何としても保護する!」


 とはいえ、アイリスディーナは保護する気満々で、全く譲る気がなさそうだった。

 個人的感情丸出しで、全く譲る様子が見られない。普段の冷静さが欠片も残さず消し飛んでいる。

 げに恐ろしきは毛玉の魔力か……。


「じゃあ、どうやって保護するの? 無理に連れていったら心を開いてくれるはずないし、このまま時間をかけて警戒心を解くといっても、その間に他の冒険者に始末されるかもしれないし……」


「う……」


 とはいえ、話を聞くだけの理性はきちんと残っているので、理詰めで追い込むとあっさり言葉に詰まってしまう様子だった。

 悲しそうな顔を浮かべながら、彼女の視線は毛玉とノゾムの間を行ったり来たり。

 その悲しそうに潤んだ瞳が、妙にノゾムの罪悪感を掻きたてる。


(頼むから、そんな捨てられた子犬のような瞳で見ないでくれーーー!)


 ノゾムとしても出来るなら殺処分というのは気分的にしたくはないが、それでも依頼が依頼なだけに、無視もできない。

 その時、ノゾム達もよく知る声が響いた。


「あれ? ノゾムやないか。こんなところで何しとるんや?」


「フェオ、なんでここに……」


 唐突に表れたのは、冒険用の装備に身を固めたフェオだった。

 背中には彼が愛用している棒と、何やら大きな袋を抱えている。


「ワイも依頼を見たんや。最近、妙に人を恐れないワイルドドックがうろつくようになったから、始末してくれって依頼をな」


 フェオの視線が、ノゾム達の後ろで唸っている猟犬親子に向けられた。

 親犬もフェオの視線の意味に気づいたのか、ノゾム達からフェオへと向き直る。先ほどのノゾム達と対峙していた時と同じように、四肢でしっかりと地面をつかみ、いつでも飛び掛かれる体勢だ。


「フェオ君、ちょっと待ってくれ。彼らはまだ野生化していない! 魔獣として始末するには早すぎる!」


「いや、さっきっからそこのお犬さん、警戒心むき出しなんやけど……」


「私達がいきなり来たから警戒しているだけだ。大丈夫、時間をかければ私たちに敵意がないと分かってもらえる!」


 アイリスディーナが猟犬親子とフェオの間に割って入る。

 殺す必要はないと説得しようとするアイリスディーナ。だが、フェオは申し訳なさそうな表情を浮かべつつも、きっぱりと彼女の提案を断った。


「というてもな。悪いけど、ワイとしても、この場は譲れんのや。堪忍しとくれ」


 アイリスディーナが一気に剣呑な気配を放ち始め、フェオがおもむろに背中に背負っていた棒を構える。

 

 突然、一触即発の雰囲気になった二人に、慌ててノゾムが仲裁に入る。


「おいフェオ、落ち着けって、アイリスも」


「何を言う。この可愛い毛玉……もとい、小さな命を放置できるわけがない!」


「今、毛玉って言ったよね?」


 これだけの剣気を放っていても、彼女の脳内は未だに毛玉一色。

 あまりのギャップにノゾムはついツッコミを放ってしまう。


「ワイとしても、譲るわけにはいかんのや。なにせ、今後の生活が懸かっとるからな」


「いや、お前の赤貧生活は、半分以上自業自得だけど、ちょっとでいいなら融通するぞ?」


 フェオの赤貧生活は大抵本人のせいではあるが、流石にこれだけ険悪な雰囲気を放置はできない。

 ノゾムも懐はそれほど温かい訳ではないが、自分を助けてくれた仲間達の為なら、一肌脱ぐのもやぶさかではない。

 だが、そんなノゾムの願いは、届くことはなかった。


「いいだろう。力で来るというなら、こちらも力で返すのみ」


「望むところや、行くで」


 二人の間に流れる緊張感が一気に膨れ上がる。

 色々と残念な理由ではあっても、二人はソルミナティ学園三学年でも高位の実力者。当然、その気合は並ではない。

 二人の剣気に当てられた親犬が一瞬目を見開き、さらに幼い子犬が「キャン!」と悲鳴に似た鳴き声をあげた。

 次の瞬間、フェオが動く。

 すばやく懐から取り出した二つの球体を、地面に叩き付ける。

 強烈な閃光と炸裂音。続いて、舞い上がった白色の煙が、アイリスディーナ達の視界を覆い隠す。


「なっ!?」


「いきなり目くらましかよ!?」


 光玉と煙玉による目くらましでアイリスディーナ達の視界を奪いながら、フェオは素早く符術による身体強化を発動。目標めがけて疾駆する。

 猟犬たちは、突然の閃光と炸裂音にパニック状態。


「くっ!」


 視界をほとんど塞がれながらも、アイリスディーナは素早く術式を構築。

 煙幕で隠れるフェオめがけて、魔力弾を放った。

 放たれた魔力弾は、相手がほぼ見えていないにもかかわらず、アイリスディーナ達の脇を駆け抜けるフェオに正確に捉えていた。

 しかし、その魔力弾は、フェオの体に着弾する前に、破裂音と共に霧散する。

 どうやら、フェオは身体強化のほかに、簡易の魔法障壁も使用していたらしい。


「ははは、とりあえずこの子達は貰って行くで! あ~ばよ~!」


「ク~ン、ク~ン……」


 子犬達の傍に駆け寄ったフェオは、素早く子犬を背負っていた袋に詰めると、妙に腹立たしいセリフを残して、そのまま退散していった。

 不安げな子犬の鳴き声が、煙に満ちた周囲に木霊する。

 数秒後、煙が晴れた場所に残されたのは、茫然とした表情で手を掲げたまま固まっているアイリスディーナ。そして、子供達がいなくなり、右往左往する親犬達のみだった。

 







 目標の確保を完了したフェオは、その足で拠点となっている市民区にある小屋へと戻っていた。

 ここは、トムが錬金術の実験のために借りた小屋で元々は上級生が作った工房だった。

 工房で作業をしていたトムは、フェオから目的の獲物を受け通ると、抱き上げて、子犬の健康状態を確認する。

 子犬は見知らぬ場所に連れてこられたせいか、不安そうな泣き声をあげながら、フルフルと震えている。


「それで、煙玉を使ったの? 毛皮に変な匂いがつくと困るんだけどな……」


 フェオにいくつか質問をしながら、毛皮の匂いを嗅ぐ。

 煙玉のせいか、若干煙臭かったようだ。


「仕方ないやないか。ノゾムと姫さんのタッグやで? むしろあの程度で撒けただけでも御の字や」


「……よく逃げ切れたね」


「ノゾムが完全に油断しとってくれたからな。あいつが臨戦態勢だったら即逃亡しとったわ」


 フェオから事情を聴きながら、トムは思わず嘆息した。

 ノゾムとアイリスディーナ。どちらも、すでにソルミナティ学園では上位の実力者だ。

 獣人並みの気配察知能力と卓越した刀術を持つ青年。そして、魔法から剣術まで、あらゆる術を使いこなす才女。

 二人の実力をよく知っているだけに、フェオが逃げれたのは奇跡に近い。


「さて、それじゃあ始めようか……」


「ク~ン、ク~ン……」


「ゴメンね。君たちの命を無駄にするわけじゃないから……」


 意味深なセリフと共に、トムが子犬の一匹を抱き上げてドアの向こうへと消えていく。

 フェオがほっとしたように、近くにあった椅子に座りこむ。

 ノゾムとアイリスディーナに追いつかれないか、いままで気を揉んでいたのだ。

 しかし、この小屋は市民区のはずれにある。

 いくらノゾム達があの後すぐさまアルカザムに戻ったとしても、この場所をすぐに見つけることは不可能だろう。

 そう考え、フェオが安堵の息を漏らし、残った一匹の子犬を摘み上げた。子犬は緊張で四肢をピンと張り、キョロキョロと不安げな表情を浮かべている。

 だが次の瞬間、入り口のドアが突然、轟音と共に吹き飛んだ。


「な、なんや!?」


「そこまでだ。この狼藉者!」


「って姫さん!? なんでこの場所が分かったんや!」


 ドアを吹き飛ばしてあらわれたのは、撒いたと思っていたアイリスディーナだった。

 彼女は抜身の細剣をその手に携えており、その全身からは戦意が溢れている。


「私だけでは無理だっただろう。しかし、今の私達には、頼れる仲間たちがいる!」


「「ウォ~~~ン!」」


 彼女の後ろには、親犬の姿があった。どうやら彼らに、フェオの匂いを追跡させてここまで来たらしい。

 

「ワン、ワンワン!」


 親犬の登場に、フェオが摘み上げていた子犬が歓喜の鳴き声を上げる。


「く、親の猟犬を仲間に引き込んだのか」


「引き込んだのではない。共に力を合わせたのだ!」


「くっ、トム、聞こえるか! 襲撃や! 逃げるで!」


「え、ええ!? ちょ、うわ!」


 突然、ドアの向こうから、ザン! という切断音と、ゴン! という落下音が聞こえてくる。

 続いて、ドン、ガン、ガシャン! という騒音が響いてきた。


「なんや!? トム、何があったんや!」




「ノゾムが壁を切断して、反対側から突入している。それにしてもまさか裏で手を引いているのがトムだったとは……」


 どうやら、アイリスディーナの突入タイミングに合わせて、ノゾムが裏から強襲を仕掛けてきたらしい。

 完全に挟み撃ちの形だ。まさしく、前門の虎、後門の狼である。

 もっとも、今対峙している相手は、狼や虎なんかよりもよっぽど恐ろしい存在であるが。


「さて、今さら逃げられると思うなよ」


「くッ、こんなところで捕まるわけにいくかい!」


 それでもフェオは、降伏はしなかった。

 摘み上げていた子犬をしっかりと抱え込むと、再び光玉と煙玉を炸裂させた。

 相手の視界を奪いながら、身体強化と魔法障壁を発動。近くの窓から逃げ出そうと試みる。


「甘いぞ! 同じ手は食わん!」


 しかし、今度はアイリスディーナも逃がさない。

 素早くフェオの逃げ道を塞ぐと、細剣に魔力を込め、一太刀で魔法障壁を紙切れのように切り破った。


「ひいいい! 掠った、掠った!」


 頬に掠った殺意満点の細剣に、フェオが思わず悲鳴をあげる。

 さらに、尻込みした彼にとどめを刺すように、アイリスディーナは細剣を突き入れる。

 繰り出した刺突は、フェオの狐耳を掠め、小屋の壁に深々と突き刺さった。


「友人のよしみで当てなかった。だが、もしまた逃げようとするなら……斬る」


 友人でなかったら問答無用で斬るんでしょうか?

 そんな質問を心の中で漏らしつつも、フェオは諸手をあげて降参。

 解放された子犬は親犬の元に駆け寄り、今までの不安を掻き消すように一心不乱に甘えだす。


「さて、残り一匹の救出をしなければならんな」


 そんな子犬の状況に笑みを浮かべつつ、アイリスディーナは残った子犬を助け出すため、部屋の奥へと足を踏み入れる。


「ノゾム、こちらの犯人は捕まえた。後は諸悪の根源……を……」


 意気揚々と実験室に足を踏み入れたアイリスディーナだが、目の前の光景に思わず固まってしまった。

 切り崩された小屋の壁……これはノゾムが突入した際に開けた穴だろう。しかし、突入した本人は抜身の刀を持ったまま、なぜか呆然とした表情を浮かべている。

 部屋の真ん中に置かれた机の上には、魔法陣を組み入れた紙が置いてあり、その傍でトムが左手で子犬を抱え、驚愕の表情を浮かべたまま硬直している。

 何より目についたのは、トムが右手に持っているものだった。

 それは、非常にきめ細やかな髭を取り付けたブラシだった。明らかに人が使うようなものではなく、馬の毛などを梳く為の物だ。 

 ブラシの髭には子犬のものと思われる毛がびっしりと絡みついており、肝心の子犬はなぜか気持ちよさそうな表情を浮かべつつ、トムに身を任せていた。


「ノゾム、これは何だ?」


「ブラッシング……らしい」


「……は?」


 子犬を実験材料にしようとしていたのではないのか? 怪しい色の薬品や魔法陣も敷かれているし……。でもブラッシング? 

 アイリスディーナの頭の中で?マークが乱舞する。


「酷いよ二人とも! 僕の工房をこんなに壊して!」


「いや、その……え?」


 子犬を抱えて硬直していたトムが泣きながら抗議の声をあげ、混乱するアイリスディーナ達に食ってかかる。それが、さらに二人の混乱を助長させた。


「く、詳しい話、させてもらってええか?」


 涙ながらに叫ぶトム。右往左往するノゾムとアイリスディーナ。そして気持ちよさそうに寝こける子犬。

 混沌とした状況のなか、フェオが弱々しい声で事情を話し始めた。







 事の始まりは、トムが自分の工房を持ちたいと考えたのがきっかけだった。

 適当な物件を探していたトムは、工房の持ち主がアルカザムを去った為に放置されていたものを発見。つい最近、格安で借入れたのだ。

 しかし、借り入れるために手持ちの資金をほとんど使ってしまい、結果としてトムはしばらく金策の奔走することになった。

 その時、フェオにある製品を作らないかという話を持ち掛けられ、それに協力することで金を稼ごうと考えていたのだ。

 その仕事でどうしても動物の毛。しかも、毛並みのいい、質の高い体毛が必要になったのだ。

 それで、フェオがあちこち回って動物を捕獲。トムがブラッシングをして体毛を確保し、せっせと製品を作っていたのだ。


「ま、紛らわしい……」


 フェオから事情を説明されたノゾムは、おもわず嘆息をもらした。

 フェオは初めから、子犬の命を奪う気はなかった。毛を幾らか貰ったら、親犬の所に返す予定だったらしい。

 ちなみに、ワイルドドックの依頼も、ただギルドの掲示板にあったものを見ただけで、依頼は受けていないらしい。


「まったく、こっちはとんだ大損やで。貯めていた資材はパーになるわ、工房は壊れるわ……」


「フェオが初めから事情を説明してくれていたら、こんな事にはならなかったんだけどな……」


「アホ言うなや。商売は情報が命や。まだ量産できておらへんこの状況で、情報の洩れは一番気を使わなければなんらんことなんやで?」


「いやまあ、そうかもしれないど……。それにしても獣耳グッズ販売って……」


 ちなみに、トムが作っていた製品は、動物の体毛を使った獣耳グッズである。そう、ソミアが持っていた、あの猫耳魔法グッズと同じ系統のものだ。

 実際、実験室の片隅には猫耳だけではなく、鼠や馬、羊に鹿など、多種多様な動物の耳を模した飾り物が並んでいる。


「売れるのか、これ?」


「ごく一部からは、すでに発注が来とる。大手顧客には、姫さんの妹さんもいるんやけど……」


「ああ、そういえばソミアちゃんも持っていたっけ……」


 ノゾムが思い出したのは、商業区の空き地で、猫耳をつけてはしゃいでいた少女の姿。

 頭痛と共に思い出したその姿は、確かに良く似合っていた。


「……私、知らないぞ! ノゾムは見たことあるのか!?」


「ああ、すごく可愛かったよ。まあ、その後がアレだったけど……」


 自分が全く知らなかったことに、アイリスディーナが憤る。

 ソミア本人から黙っていてくれと頼まれたからノゾムは教えていなかったのだが、アイリスディーナ本人は相当ショックだったようだ。


「な、なんという事だ……」


 アイリスディーナが、まるでこの世の終わりのように床に手をついて項垂れる。

 すると、失意のどん底に落ち込む彼女の傍に保護した二匹の子犬が駆け寄り、彼女の顔をペロペロと舐め始めた。


「ク~ン、ク~ン……」


「慰めてくれるのか……?」


 瞳に涙をためながら、感極まったアイリスディーナが子犬を抱きしめる。

 もう絶対離さないと言わんばかりに抱きしめる彼女。子犬が少し苦しそうにキャンキャンなき、親犬が“ワンワン!”と抗議の声をあげる。

 アイリスディーナが慌てて腕の力を緩めると、子犬が彼女に甘えてペロペロ。そしてアイリスディーナの腕に力が入る、というパターンを繰り返し始める。


「やれやれ……」


 漫才のようなループを繰り返すアイリスディーナと犬たちに、ノゾムは苦笑いを浮かべていた。


「それよりノゾム君。あれ、弁償してよね」


「……え?」


 唐突に掛けられた声に、ノゾムは思わず気の抜けた声をあげた。

 よく見ると、凍えるような笑みを張り付けたトムが、ノゾムが切り崩した壁を指差している。 

 ノゾムが明けた穴は縦二メートル、横一メートル弱。壁の木材だけでなく、その内側に目張りされていたタイルもすべて斬り裂かれ、床に落ちて粉々になっている。

 ちなみに、このタイル。錬金術が魔力を帯びた薬剤なども扱うことから、防音、防魔など、様々な処理が施された特別性で、かなりお高い代物なのだ。

 具体的には、この特殊タイル一枚で、ノゾムの三日分の食費に相当する値段がつくほど。

 それがどう見ても二十以上、完全に土くれに帰ってしまっていた。


「ノゾム君が斬ったんだから、当然だよね」


「ええっと、トム。怒ってる?」


「怒っていないって、どうしてそう思うの?」


 せっかく念願の工房を手に入れたと思ったら、この有様なのだから、無理もない。

 少なくともこの特殊タイルを張り替えないことには、危なくて工房として使用することはできない。


「工房は滅茶苦茶! 折角作った渾身のフカフカ耳と尻尾は瓦礫まみれ! これで怒らない奴の方がどうかしてるよ!」 


「あ、あれ? お前も獣耳とか好きな奴?」


「何を言ってるの? 自分の作品壊されて怒らない職人はいないよ!」


 おっしゃる通りでございます。

 多分に個人の嗜好が入っているような気がするが、よく考えれば、彼の恋人も獣耳持ち。なるほど、激怒するのも当然である。


「ええっと、フェオ……」


 助けを求めるようにフェオに視線を送ると、狐耳の青年は輝くような笑顔を浮かべて、グッ! と親指を立てた。


「さて、ワイはもう一度売り込みに行ってくるわ」


 そして、しっかりとノゾムを見捨てた。金が絡むと相変わらずブレない男である。


「この犬達については、姫さんに任せた!」


「うむ! しっかりとフランシルト家で預かろう。立派な番犬にもなると説明すれば、メーナも納得するはずだ!」


 そしてフェオは、ノゾムが縋り付く暇もなく工房から離脱。あっという間に人ごみの中に消えていった。


「任せろ。お前を両親にも負けない、立派な猟犬に育て上げてみせるぞ!」


 一方、アイリスディーナは子犬を高々と持ち上げ、意気揚々とそんな宣言をしている。

 持ち上げられた子犬は、楽しそうに尻尾をフリフリ。アイリスディーナは幸せそうに子犬をモフモフ。

 ノゾムの助けを求める視線にも気づかず、子犬に夢中である。もう毛玉しか見えていない……。


「あの、お願いですから……」


「と、う、ぜ、ん! だよね!」


「はい……」


 あまりの剣幕で詰め寄ってくるトムに、ノゾムは完全に白旗を上げた。

 目茶目茶怖い。具体的には、怒らせた師匠並に怖かった。

 その後、トムの命令で散らかった工房を、アイリスディーナと共に夕方まで片づける羽目になった。

 箒と塵取りで自分が切り崩した壁を片づけるノゾムの目は、傍から見ても死んだ魚のように濁っていたらしい。

 精神的に疲れ切ったノゾムと違い、アイリスディーナは子犬達に励まされながら、終始ご機嫌だった。

 ちなみに、子犬達はノゾムにもじゃれついていたのだが、激怒したトムの威圧感にトラウマを抉られたノゾムは全く気付かなかった。哀れである。

ノゾムが回復するのは、翌日、我に返ったアイリスディーナが、慌てて工房の修理費をトムに支払ったという事を、彼女自身の口から聞かされた時だった。

 ちなみに、修理費のお金は、折半した依頼料と彼女の私費から出た。

 その後、アイリスディーナに引き取られた猟犬親子は、彼女の教育の元、立派にフランシルト邸の番犬をしているらしい。


「ところでトムくん、犬耳はあるのかい?」


「……え?」


 ちなみに、修理費を渡すその場ではこんな会話がされていたとかなんとか。

 その後、この話がまたとんでもないトラブルを引き起こすのだが、それはまた別のお話である。



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