第7章第24節
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紅色の髪をなびかせたリサの登場に、アイリスディーナ達は一様に目を見開く。その顔色に先ほどまでの死相は微塵もない。
「あ、あの……大丈夫?」
「あ、ああ。助かった……」
リサの気負いを含んだ問いかけに、アイリスディーナも思わずそっけない感謝を返す。
2人の間に流れる微妙な空気。リサとしては目の前の黒髪の麗人は、色々と迷惑を掛けた相手であり、今一番ノゾムに近いと思われる少女。
アイリスディーナとしても、今は自分の嫉妬心などは脇に置いておくと決めたとはいえ、リサには、自分の未熟ゆえに色々と罵詈雑言を吐いてしまったという負い目もある。
互いに色々思うところがある相手だけに、いざ顔を突き合わせると、口が上手く動いてくれない様子だった。
とはいえ、今はそんな事を気にしているような余裕がある事態ではない。
「「おおおおおおおおおお!」」
ノゾムの雄叫びとともに、気の奔流が吹き荒れる。
唐突な横槍で邪魔をされてしまったが、怒りに染まった彼の視線は、未だにシーナが持つミカエルに向けられている。
「マズい!」
乱入してきたリサにアイリスディーナ達が気を取られていたその間隙を縫うように、ノゾムがシーナめがけて踊りかかる。
とっさに前に出るマルスとミムル、フェオの3人。
だが次の瞬間、ノゾムの進路をさえぎるように、無数の光の矢が上空から落ちてきた。
ズドドドド! と耳を付くような轟音を立てながら、土煙を巻き上げていく光の矢。
数秒間の間に、およそ数百とも数千とも思えるほどの光弾の群が、ノゾムとアイリスディーナ達の間の空間に、無差別に降り注ぐ。
「のわああああ!」
「ひええええええ!」
荒れ狂う衝撃波にもみくちゃにされるのは、とっさに前に飛び出たマルス達3人組。
空中に巻き上げられ、グルグルと宙を舞いながら、アイリスディーナ達の足元にベチャリと投げ出された。
「やれやれ、お嬢さん方も坊主どもも、無茶しすぎじゃ……」
ひょっこりと茂みの奥から姿を現したのは、リサに手当てを施していたゾンネだった。
彼の後ろには、トムとソミアの姿もある。
「無茶はてめえだ! 殺す気かこのじじい!」
「焼けた! 私の尻尾焼けた! こんな廃棄物老人に傷物にされちゃったよ~!」
「は、廃棄物って……。ちょっと酷くないかの~」
巻き沿いで吹き飛ばされたマルスとミムルが、ゾンネに向かって口々に文句を述べる。
「みんな、無事?」
「姉さま、大丈夫ですか!? すぐに傷を癒しますから!」
「ソミアまで……」
ソミアは小走りで姉の元に駆け寄ると、拙いながらも姉に回復魔法をかけていく。
実際、アイリスディーナとマルスはノゾムの震砲で吹き飛ばされた際に、体をあちこちにぶつけており、至る所に切り傷を負っていた。
ソミアの手の平から照らされた淡い光が、2人の全身を包み込み、傷を塞いでいく。
最近ノゾムに影響されてかなり修練に身が入っているためか、ソミアも徐々に魔法の練度を上げてきていた。
「フェオ君、早く起きて! アイリスディーナさんの壊れた術式を治さないと!」
「ふえっぷ! うえええ……口の中がジャリジャリしとる……。どこかの山猫族の料理並みに不味い……」
「む、失礼な! トムは私の料理、いつもおいしく食べてくれます~! 大体、あんたはいつも石食べているんだから大丈夫でしょ。むしろ力が湧くんじゃない?」
「このくそ雌猫……」
「フェ、フェオ君、後でミムルにはちゃんと言っておくから……。ミムル、それ以上変なこと言うなら……後でお仕置きだよ」
「お、お仕置き!? わ、私、トムにどんな事されちゃうんだろう……。も、もしかして、あんなことやこんなこと……。いや~ん!」
お仕置きという言葉に、ミムルは一体何を想像したのだろうか。クネクネと体をよじらせて悶える様は、妙に痛々しい。
先ほどまで顔をしかめていたフェオも、いつの間にか居心地悪そうに視線をそらしている。
「あ、お仕置きするのは被害に遭ったフェオ君だよ?」
「え? ワイ?」
「あああん! てめえ! 私とトムの間に割り込むとはどういう了見だ!」
唐突な恥じらいから、一転して阿修羅のごとき憤怒を顔に浮かべながら、ミムルはフェオの襟首を捻りあげ、彼の体ごと持ち上げる。
毛が逆立ち、先ほど傷物にされたと言っていた尻尾もピンと立っていた。
「ワイ、何か悪いことしましたか?」
「フニャーーー! ニャニャ! フシャーーー!」
「人の言葉でお願いします……」
すでに彼女の頭に理性はないらしい。理性どころか人語もない。
ニャー、ニャーと猫語で何かをまくしたてながら、鋭い牙むき出して、持ち上げたフェオをぶんぶんと振り回している。
「先日の牛頭亭での炭酸酒騒ぎ。他にも……」
「ワイが悪うございました。お願いですから荒ぶる猫神様をお沈めください」
指を1本、2本と折りながらブツブツとフェオの所業を語り始めたトムに、狐尾族の青年は素直に白旗を上げた。
「さて、漫才はここまでにして、フェオ君はアイリスディーナさんの術式の修復をお願い。ミムルは……ちょっと大人しくしていようね」
「にゃにゃ?」
トムがおもむろにミムルの喉をなでると、ミムルは持ち上げていたフェオをポイっと放り出して、ゴロゴロと撫でてくるトムの手に自分の体をこすり始めた。
地面に投げ出されたフェオが「ぐえ!」とぐもった声を漏らしたが、ミムルは気にせず恋人に甘えてスリスリ、スリスリ。
まさしくマタタビを嗅いだ猫状態だった。
一方、ゾンネはゆっくりとした足取りでアイリスディーナの脇を通り過ぎると、そのまま巻き上げた土煙の先をにらみつける。
舞い上がっていた土煙が徐々に晴れ、瞳を怒りに染めたノゾムが姿を現す。
「ご老人……」
「さて、詳しいことはあの猫撫で少年に聞いておくれ。しばらくはワシに任せい。今のワシは余り力を発揮できぬが、それでも何とか小僧を押さえこんでみせるわい」
一歩前に踏み出したゾンネとノゾムが相対する。
今までシーナが持っていたミカエルに向けられていたノゾムの視線が、ゾンネへと向けられた。
「「オオオオオオオオオオオ!」」
ノゾムとティアマット。2人の重なるような怨嗟の怒号がゾンネへと向けられる。
ミカエルがノゾムとティアマットの前に姿を現してから、初めて彼らが憎悪の矛先を明確に変えた。その事実が、この老人もティアマットと深い関わりがあることを改めて浮き彫りにしている。
「「ソールアーラーーーーーーーー!」」
「その名で呼ばれるのも懐かしい。そうじゃ。ワシもお前の怨敵の一人。怒りのまま、ワシへその刃を向けるがいい」
ゾンネの体から膨大な源素が吹き出し、渦を巻きながら曼荼羅模様の多重陣を形成。同時にノゾムが轟音と共に瞬脚を発動し、一足飛びに間合いを詰めようとする。
瞬く間に空中に形成される光の矢。アゼルのそれよりも遥かに多く形成された光矢は、一気にノゾムめがけて撃ち出される。
しかも、一度だけではない。放たれた光群は、次の瞬間には再び形成され、二度三度とノゾムめがけて撃ち出されていく。
視界を覆うほどの光の群れが、何度も何度も襲い掛かかる。それはさながら、打ち寄せる津波のようだった。
「「!?」」
ノゾムはすぐさま全力で跳躍し、初撃を回避するが、続けざまに荒波のように殺到する光の矢の群れが、瞬く間に迫っていく。
まともに回避しきれないと悟ったのか、ノゾムはすばやく刀を振り抜き、気膜を自分の前方に形成。さらに軽く飛んで両足を気膜に乗せると、光矢の着弾に合わせて跳躍。一気に光矢の範囲外へと離脱した。
更に左手に気を集中させ、着地と同時に地面に叩き付ける。
「むう!」
気術“滅光衝”
先ほどアイリスディーナ達へ向けて放とうとした気術が、ゾンネの足元から彼を強襲する。
だがゾンネがすばやく手を振ると、一瞬で多重障壁が足元に形成される。
激突した気の奔流と源素の壁。障壁に押し出された気が老人の足元の土を消し飛ばし、耐えきれなかった障壁が1枚1枚と光の塵へと還っていく。
やがて最後の障壁が破砕されるのと同時に、地面から噴き出していた気の奔流も収まる。
辺りの地面は既に十数メートルにわたって抉られ、クレーターと化していた。
辺りには巻き上げられた土砂が舞い、再び両者の姿を隠している。
凄まじいのは気術の余波だけでこれほどのクレーターを作り上げたノゾムか、それとも、そんな気術を完全に防ぎ切った老人か。
だがどちらにせよ、この機会をノゾムが逃すはずもなかった。
「っ!」
土煙を突き破り、ゾンネの右側面からノゾムが一気に肉薄する。
相手はアゼル以上の存在。ペースを握られれば、瞬く間に呑み込まれる。だが、真正面から突っ込んでもあしらわれるだけ。故の行動だった。
しかし、当然ながら、その行動はゾンネには筒抜けだった。
「精霊の力を借りずとも、その程度の行動など見抜いておるよ」
ゾンネが腕を一振りすると、ノゾムを囲むように魔法陣が形成され、四方八方から光の鎖がノゾム目がけて殺到する。
この鎖はただの拘束魔法。龍封じの結界のように、ティアマットに対して特別な効力があるわけでもない。
それでも、動きを止められることはノゾムには致命的だ。特に、大規模な広範囲攻撃を可能としている相手には。
ノゾムは四方八方から迫ってくる光の鎖を“瞬脚-曲舞-”で躱しながら、ゾンネのとの間合いを詰めようと前へ前へと踏み出す。
だが、光の鎖はまるで蛇のようにしつこく、徐々にノゾムの後ろから迫っていく。
さらに、突然ノゾムの目の前が突然爆発し、複数の光の槍が突き出してきた。
同じように多重陣を使いこなすアゼルとは似てはいるが、ゾンネは異なる種類の魔法を複数同時に操っている。更に一つ一つの魔法の数も半端ではない。
明らかにアゼル以上の使い手だった。
地面から突き出た槍が、ノゾムの進路をふさぐ。
前を光槍、後ろを光鎖で塞がれ、逃げ道を塞がれたノゾム。さらにゾンネは、一際巨大な多重陣を自分の眼前に形成。全力で源素を送り込むと、とどめとばかりに身の丈以上の巨大な光線を撃ち放った。
地面を抉り、倒れた倒木を吹き飛ばしながら迫りくる光線。
決して防ぎようのない一撃だった。逃げ道もなく、障壁魔法を使えない相手は防ぐことは不可能。そう、相手がノゾムでなければ。
「「はあああああ!」」
ノゾムの全身から噴き出す5色の源素。渦を巻きながらノゾムが携えた得物に流れ込み、その刃を混沌に染め上げる。
さらにノゾムは混沌に染まった刃を納刀すると、切り上げるように素早く一閃した。
5色に染まった一筋の閃光が走る。真っ二つに両断される光線が、ノゾムの背後から迫っていた鎖を消し飛ばす。
ノゾムの後ろに流れていく光線の向こうに見えるのは、顔を顰めた老人の姿。さらにノゾムは切り裂かれた光線の隙間に飛び込む。
ノゾムの前を塞いでいた光槍も、後ろから迫っていた光鎖も、すでにゾンネの光線が吹き飛ばしてしまっている。
瞬く間に間合いを詰めたノゾムが、ゾンネの脳天めがけて刀を振り下ろす。
「むん!」
ゾンネは両手を掲げると、彼の体からあふれ出した源素が集まり、一本の光の杖を作り上げた。
ノゾムと刃とゾンネの光杖が激突する。
直後、ズドンという轟音と共に、衝撃波が四方八方に放たれた。
「「!?」」
「ぐうううう」
勢いをつけたノゾムの斬撃を、ゾンネは真正面から受け止めていた。
怒りに染まったノゾムの目に、あきらかな動揺の色が混じる。
ゾンネは腰を落としながらくるりと光杖を回し、ノゾムの力を後ろに流しつつ、彼の体を空中に放り投げた。
さらにゾンネは杖の先を、空中に投げ飛ばしたノゾムに向ける。
ノゾムは反射的に体をひねり、空中で刀を振るう。直後、ゾンネが掲げた杖の先から光弾が放たれた。
ノゾムの刀が放たれた光弾を切り裂き、霧散させる。
「ちっ。駄目じゃったか」
着地したノゾムは再び踏み込むことはせず、油断なく構えたままゾンネを睨みつける。
一方、ゾンネは得意げな笑みを浮かべてくるりと光杖を回した。
「意外か? これでも数万年生きた身じゃ。人間の技の1つや2つ、身に着けていてもおかしくなかろう?」
先ほどの術理は間違いなく、4足の獣のものでも、精霊の御業でもない。2足歩行をする人の技だ。
しかも極上。抑圧を解放したノゾムの斬撃をいなし、捌いた上で反撃できる人間など、この大陸でどれだけいるのだろうか。
言われてみれば、相手ははるか太古からこの大陸を見続けてきた生ける歴史。この程度など造作もないのかもしれない。
「「グウウウウ……」」
「さて、かかってくるか?」
ゾンネは杖の先を下に向けて構える。どうやら、このまま接近戦を続けるようだ。
両者の間の距離は10メートルもない。ノゾムならゾンネが術式を展開するよりも早く踏み込めるだろう。
ノゾムに対して笑みを浮かべつつも、ゾンネは内心湧き上がる焦りを抑え込んでいた。
“地脈を著しく消耗させる龍封じの結界はもう使えぬ。この状況で、小僧相手に本来の姿に戻るのはかえって状況を悪くする……。そもそも、戻るだけの猶予は与えてくれぬだろうし、戻れるだけの余力もないのじゃが……”
ゾンネは今、ほかにも不利な要素を多く抱え込んでしまっており、本来の龍の姿に戻ることが難しい。
1つめは、龍封じの結界がもう使えないこと。
アゼルが一度展開したことで、ゾンネが以前施した術式は崩壊してしまっている。さらに龍封じの結界は地脈を著しく消耗させるので、再び術式を施すのも難しい。外部からの干渉に脆い龍封じの結界の、もう一つのデメリットだった。
そもそも、ティアマットを封じ込めるほどの結界が、何の欠点もないはずがない。
2つめは、今現在彼が、龍の姿をとることができないという事。これはアゼルを封じるために自分の魂を一部差し出したことで、力をかなり消耗していることが原因だった。
龍族は強大な力を持つ一方、その在り方を肉体に縛られる。人間の肉体では、どうしても最大出力に制限ができてしまうのだ。
そして肉体を再構築する事にも、ほかの精霊と比べて多大な力を必要とする、何かと燃費が悪い種族なのである。
もっとも、龍の姿に戻れたとしても、一度アゼルの変身を見ている今のノゾムが、それを許すはずもないだろう。
「この肉体で使える力の上限には問題ないが、それでこの小僧を抑えるのは難儀じゃのう……」
幸いなのが、ノゾムもまた連戦で相当消耗しているという点だ。
ティアマットからの力の供給があるおかげで戦えているようだが、肉体のほうはかなり消耗しており、動きにそれが表れ始めている。
実際、先程の踏み込みの速度も、以前屍竜を差し向けた時ほどではなかった。
だが、肉体の限界が近いという事は、戦いやすいという反面、ティアマットの復活が近づいてもいるという事でもある。
こうして相対している内にも、その事実を示すように、ノゾムの体からは血がとめどなく流れていた。
「それでも、以前の小僧ならすでに肉体が崩壊しているはずじゃ。やはり、ティアマットの力に適応してきている。それも、驚異的なほどの速さで……」
「「オオオオオオオオオオ」」
「ちい! やはり怒りにのまれたままで退くという事はありえぬか!」
ノゾムは抜いていた刀を納刀すると、雄叫びを上げながら、ゾンネに向かって突貫する。
半秒もかからず10メートルの距離を踏破し、ゾンネを刃圏にとらえる。
鯉口を切り、抜刀。
混沌の光とともに放たれた“幻無”が、ゾンネが掲げた光杖に激突。杖を形成している源素を削り取り、白く輝く燐光を散らす。
さらにノゾムは素早く返しの一撃を放つ。
逆から薙ぐように放たれた“幻無-回帰-”。狙いはゾンネが持つ光の杖。先ほど打ち込んだ幻無と寸分たがわぬ位置に、正確に打ち込まれる。
ゾンネが掲げた杖から、弾けるような閃光が奔り、同時にミシリと嫌な音が響く。
「く、杖が!? やはり奴の力とワシら(精霊)の力は相性が悪い!」
同じ精霊の力でありながら、ゾンネとティアマットとでは、その力の方向性が真逆である。
方向性の違う力を無秩序に取り込んだがゆえ、ティアマットが持つ力の本質は“破壊と混沌”となっている。
一方、ゾンネが持つ力は光を起源とする“白”の力。秩序の象徴である。
互いに相反するだけに、白の力はティアマットを封じ、混沌の力はゾンネの力を塗りつぶす。
もっとも、他の龍族なら、逆にティアマットに力を取り込まれかねない。そう考えると“相性が悪い程度”で済んでいるだけマシである。
ゾンネは素早く源素をかき集め、損傷した光杖を修復する。
しかし、この隙をノゾムが見逃すはずもない。
素早く攻勢に転じ、連撃を放って押し切ろうとする。
しかも、そのすべてが光杖の同じ位置を狙っている。明らかにゾンネの動揺を見抜いた上での行動だ。
さらに少しでも意識が杖に集中しすぎれば、素早く目標を切り替え、本人の体を狙う。
「ぬお!?」
足を薙ごうとしたノゾムの刀を、ゾンネは後方に跳び退いて躱す。
さらに今度は上段からの唐竹割りで杖ごとゾンネをかち割ろうとしてきた。もちろん、掲げた杖もしっかりと狙っている。
「ぬうう……。怒りに染まっているにもかかわらず、こと戦いに関しては“くれーばー”すぎじゃろ!」
ゾンネは一発だけ作った光弾をノゾムの側面から撃ち込み、彼の意識を逸らした上で自分から踏み込んで、光杖を薙ぐ。
ノゾムの圧倒的な威圧感を受けながらも、しっかりと踏ん張って正面から打ち合えるあたり、この老人も十分すぎるほど“圧倒的”だった。
振われた光杖に対し、ノゾムもまたお返しとばかりにその手に携えた極刃を返す。刀と光杖が激突する音が、灰色の森に何度も何度も木霊していく。
「すげ……」
ノゾムとゾンネの戦いを、マルス達は茫然とした表情で見守っていた。
彼らはケンが起こした暴行事件の際に、ゾンネの実力の一旦を垣間見てはいたが、こうして目に見える形で突き付けられると、正直言葉も出ない様子だった。
茫然としているマルス達の前に、トムが進み出る。
「皆、聞いて。上手く行けば、ノゾム君を元に戻せるかもしれない」
「本当か?」
「うん。とはいっても、無茶苦茶で戦術とも取れるようなものでもないよ。ただ極めて高威力の魔力を左胸にぶち込んで、心臓を1回止めてしまおうって話だし……」
「ぶっ!?」
トムの提案は至極単純。かつ、滅茶苦茶な内容だった。彼のぶっ飛んだ提案に、マルスが思わず噴き出す。
確かに、心臓が止まって血液が廻らなくなれば、人は意識を失う。そうなれば、必然的にノゾムとティアマットとの同調も切れるだろう。
その後の蘇生措置への影響も考慮し、攻撃に使う手段に、肉体に影響の少ない純魔力によるものに限定したことも理解できる。
しかし、一歩間違えばノゾムを殺しかねない手段でもある。
その事実にアイリスディーナ達も苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「お爺さんの話では、ノゾム君とティアマットとの同調を断ち切るには、それ相応の衝撃を与える必要があるって言っていた」
「つまり、そこまでしないと戻らないってことか……」
「うん。シーナとの契約でも声が届いていないなら、無理矢理にでも元に戻すしかない。あらゆる危険を承知の上で……」
解りきっている事実に、アイリスディーナは自分の手を握りしめた。
薄氷の上を歩くような危険を抱えながらも、なんとか自我を保っていたノゾム。その均衡が崩れた際の危うさは分かっていた。いや、分かったつもりになっていただけなのかもしれない。
彼女達の目の前では、全身から血を流しつつも、刀を振るい続けるノゾムの姿がある。
「……わかった、やろう」
「アイ、本気!?」
「それしか手がない。それに、今は時間が惜しい」
思わず声を上げたティマの言葉を流し、細剣の柄を握りしめた。
アイリスディーナのいう事はもっともだった。既にノゾムが力を開放してからかなりの時間が経っている。もう、一刻の猶予もないのである。
「で、どうやってノゾムの左胸に魔力をぶち込むんだ?」
「マルス君達が前線を支えて、後ろから援護。基本的にやり方はさっき、マルス君達がやっていた方法と変わらないよ」
その時、押し黙って話を聞いていたリサが口を開いた。
「私もやるわ。手伝わせて」
「いいのか? 最悪、ノゾムに殺されることになるぞ?」
「私は、きちんとケジメを付けなきゃいけない。正直、私に何ができるかなんてわからないけど、この状況をただ見てるだけなんてこともできない!」
手の骨が砕けてしまえるのではと思えるほど、拳を握りしめながら、リサは己の心情を吐露する。
「私は、ノゾムに助けられた。助けられてばっかりだった。 だから、ここで逃げたら私は本当に立ち上がれなくなる! ノゾムの想いをまたドブに捨ててしまうことになる! だから、お願い、します……」
涙を浮かべながら、頭を下げてリサは懇願する。
彼を傷つけ続けた自分には、この場にいる資格すらないのかもしれない。
それでも、ここで逃げたくはなかった。たとえどんな形でもいいから、彼の一助になりたかった。
「トム君……」
「分かってる。彼女の事も考えているから。シーナ、なんとかその弦が切れた弓、使えるようにして」
「分かったわ」
「フェオ君、壊れた術式の修復をたのむ」
「はいはい。了解しましたよっと……」
トムとアイリスディーナが矢継ぎ早に指示を出し、他の皆が手早く動き始める。
シーナは切れた弦の代わりに自分の髪の毛を一房ナイフで切り、束ねて弦輪を弓の上部にひっかける。
髪は見た目に反して強度も強く、魔力の通りも良い。
また、魔石には到底及ばないほど微々たるものだが、本人の魔力を溜めこむ性質もあり、魔法を扱う女性は、手入れなどの手間を鑑みた上で、長髪にしていることが多い。
逆に魔力が多すぎて制御しきれないティマなどは、肩口くらいまでしか髪を伸ばさない。
フェオもまた、懐から4枚の符を取り出し、重ねて術式を刻む。
皆がそれぞれ動き始める中、リサとアイリスディーナはまっすぐに互いに視線をぶつけている。
アイリスディーナは思わずため息を吐いた。リサの揺れる瞳の奥に、ルビーのように煌めく光を見たからだ。
後悔と懺悔、迷いを抱えつつも、前へ進もうとする強い意思。それは、彼女の想い人と奇しくもよく似ていたからだ。
「得物を持たないリサ君は、フェオ君達の援護をお願い。術式の制御中は無防備だから」
「分かったわ、ありがとう……」
「別に礼を言われることじゃない。私も、彼に戻ってきてほしい気持ちは同じつもりだ。それに……」
「それに……?」
「いや、何でもない。今は……」
首を傾げた彼女の紅の髪が、さらりと風に流れる。
つい先日まで砂上の楼閣のように、いつ崩れてもおかしくなかった彼女だが、今ではもうしっかりと前を見据えている。
これほどまでに短時間で変われるのは、彼女自身が内に秘めていた強さなのか、それとも、彼の影響だろうか。
羨ましい。喉元まで込み上げていた言葉を、アイリスディーナは飲み込んだ。
今は横に置いておくと決めた。自分の嫉妬心も、彼の気持ちが何所に向いているのか気にするのも。
そっと、左手を胸に当てる。
思い出すのは、あの森でノゾムに告げた言葉。
“傍に居たい。傍に居てほしい”
その自分の気持ちに偽りはない。あの森の中で自覚し、確かめた気持ちをもう一度確かめる。
自分の心に巣食う負の心に、流されないように。
「よし! アイリスディーナさん、準備が終わったよ!」
「いくぞ!」
「ええ!」
黒と紅。2つの魔力が猛る。
トムの掛け声とともに、横に並んだ2人は、荒れ狂う嵐を目指して駆け出した。
ソールアーラ
ゾンネの本来の名。真意は太陽の翼。
その名の通り、太陽を支えるものという意味と、太陽の先へ導くものという意味をもち、長い間白龍族を引いていた。