第7章第15節
メーナに案内されたノゾムは、ひときわ豪奢な扉の前へと通された。
案内してくれた中年の女中によると、この屋敷に用意されている客室の一室らしい。
ノゾム自身も一度この屋敷に泊まったことはあるが、その時泊まった部屋と比べても、目の前の扉は大きく、重厚だった。
「旦那様、お連れいたしました」
ここまでノゾムを案内してきたメーナがコンコンと扉を叩く。
「ああ、入ってもらってくれ」
部屋の中から聞こえてきた主の声に応え、メーナが恭しく扉をあける。
通されたノゾムの目に飛び込んできたのは、豪奢な扉に相応しい広い部屋。
だが部屋の中に置かれている家具は白などの淡い色で装飾されており、派手さや雅さとは無縁な、素朴な印象を受ける。
だが何よりもノゾムの目を惹いたのは、部屋の隅に置かれたテーブルの傍で、茶を入れているヴィクトルの姿だった。
「あ、あれ? え?」
「ノゾム君、すまないがもう少し待ってくれ。もう少しでお茶が入るから」
「こちらのソファーにお座りになってお待ちください」
軽い口調でそんな言葉を返されたノゾムは、メーナに促されるまま、部屋に備え付けられたソファーに腰をかける。
メーナはノゾムを案内し終わるとそのまま部屋の奥へと消えていき、ヴィクトルは当惑するノゾムを気にした様子もなく、楽しそうにお茶を入れ続けている。
ティーポットとカップに湯気の立つお湯を注ぎ、一度捨てる。
さらに茶葉をティーポットに入れて、ちょっと高い位置から音を立てるようにお湯を注ぐ。
ティーポットの中で泳ぐ茶葉を、ヴィクトルは満足そうに眺めている。
やがてヴィクトルは慣れた手つきで温めておいたティーカップに紅茶を注ぎ始めた。
ノゾムはお茶の淹れ方など詳しくは分からないが、その動きはとても洗練されているように見えた。
ヴィクトルがお茶を淹れ終わった頃になると、部屋の奥からメーナが丸い盆を持って姿を現す。彼女のお盆にはクッキーなどの菓子が並べられており、甘く香ばしい匂いを漂わせていた。
「わざわざ呼びたててすまない。君とは一度、面と向かって話がしたいと思っていた所だ」
「い、いえ、こちらこそ。今晩はお招きいただき……」
「先ほども言ったが、堅苦しい挨拶は必要ない。私は君をもてなさなくてはならない立場だ」
ヴィクトルがノゾムと自分の前に紅茶を置き、続いてメーナが二人の間に茶菓子を乗せた皿を置く。
ノゾムはヴィクトルに促されるまま、一口紅茶を飲んでみた。
芳醇な香りが口の中いっぱいに広がる。正直なところ、ノゾムは先ほどサロンで飲んだ紅茶よりも美味しく感じた。
「まあ、私の密かな楽しみでね。こう見えて結構な腕だと自負している。メーナは中々私に茶を煎れさせてくれないのだが……」
「メイドを差し置いて主が茶を淹れるなど、旦那様の威厳に関わりますので……」
「だが、実際メーナよりも私が煎れたほうが美味いではないか」
ヴィクトルの物言いにメーナの切れ目が釣りあがるが、彼はそんな彼女の様子を“くっくっく……”と笑いをかみ殺しながら、楽しそうに眺めていた。
「……ですが、やはり主の気品に関わります」
「そのような些事、今回は必要ではないぞ。それにノゾム君にはウアジャルト家との一件では、特に世話になったのだからな。当主である私自ら茶を出すぐらいは必要だろう?」
人のいい笑みを浮かべながら人をからかう様子は、何処となくアイリスディーナの姿を彷彿とさせる。
なるほど、彼女が言っていた茶目っ気というのはこういうことかと、ノゾムはなんとなく理解した。
「さて、メーナをからかうのは楽しいのだが、後が怖いのでここまでとしよう。話というのは他でもない。我がフランシルト家と、ウアジャルト家との密約の件についてだ」
やはりその事かと、ノゾムは姿勢を正してヴィクトルの言葉に意識を傾ける。
「娘からの書簡で事の次第を知った時は驚いたなんてものではなかった。私自身も、ウアジャルト家との密約については聞かされていなかったからな。
何かの間違いではないかと過去の当主の経歴を隅々まで洗っても分からず、先祖の私物を墓から掘り起こしてようやくその密約が真実であると分かったのだ」
ヴィクトルの話では、その密約は代々の当主が秘密裏に受け継いできた事だったらしい。
だが、ヴィクトルの祖父が次代にその秘密を伝える前に事故死した事で失伝し、それ以降の当主がウアジャルト家の密約について知る事は出来なかった。
結局、その密約を結んだ当時の当主の墓を掘り返し、彼の私物からその密約についての裏づけが取れたらしい。
「あの娘達は私の妻が最後に残した宝。この密約を知った時は、自分達の尻拭いを子供達に押し付けた先祖に怒りも湧いたが……」
先程まで人のいい笑みを浮かべていたヴィクトルの表情が憤怒に染まる。
しかし直ぐに神妙な顔を浮かべて、ノゾムの目を真っ直ぐに見つめてきた。
「アイリスディーナからの書簡に、君達の事が書いてあった。魂を奪われそうになった娘の命を助けて頂いた。
フランシルト家当主としてだけではなく、一人の親として感謝している。本当にありがとう……」
ノゾムに対して、ヴィクトルは精一杯の感謝と共に深々と頭を下げた。
大貴族から頭を下げられた上に感謝の言葉を送られる。普通なら絶対にありえない事態に、ノゾムは当惑した。
「い、いえ、俺の方こそ、アイリス達には助けられてばかりですし……」
「それでも、君がいなければ誰かしら犠牲が出ていただろう。そして、その犠牲はもしかしたら娘達だったかもしれない。
ならば不甲斐ない父親が、罪のない娘達を救ってくれた恩人に頭を下げて礼を言うのは当たり前の事だ」
うろたえた様子で言葉を濁すノゾムに対して、ヴィクトルは深々と頭を下げたまま顔を上げようとしない。
小市民のノゾムがこの状況に耐えられるはずもなく、慌てた様子でヴィクトルの感謝の言葉を受け入れた。
「わ、分かりました! ヴィクトル様のお礼はきちんと受け取ります!」
ですから顔を上げてくださいとノゾムが言う前に、パッとヴィクトルは視線を上げてニッコリと笑みを浮かべた。
「そうか、よかったよ。それに礼として、後で部屋いっぱいの財貨を寮に届けて……」
「やめて下さい!」
そんな事をされたら明日からどんな顔をして学園に通えばいいのだろうか。
ノゾムの脳裏に金銀財宝で埋め尽くされた自室の前で、寮生達から後ろ指を指されつつ、右往左往している自分の姿が浮かんでいた。
そもそも、ノゾムはそんな大金を渡されてもどう使えばいいかわからない。
一方、ヴィクトルは先程と同じ人の良い笑顔を浮かべながら、口元では笑いをかみ殺していた。
自分が先程のメーナと同じようにからかわれた事に気づいたノゾムは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたが、ヴィクトルは更に笑みを深くして話を続ける。
「アイリスディーナの話では、君は相当な刀術の使い手らしいな。特総演習の時だけではなく、武技園でもずいぶん暴れたとの事だが……」
次にヴィクトルが口にしたのは、武技園でジハードと行った模擬戦での出来事。
武技園に使用されていた魔法障壁が基盤からオシャカになりかけていたとか、修復に丸々数週間かかったとか、その際の被害額などをつらつらと述べ始めた。
その騒動に関わっていたノゾムとしては、顔から血の気が引いていくような内容。
何せその修繕費だけで、ノゾムが一生食べていけるくらいの金額がかかっていたと言うのだからたまらない。
「い、いや、あれはほとんどジハード先生が起こした被害です……」
「ふむ、それにしてはジハード殿だけでなく、君もノリノリで戦っていたと聞いたが?」
「うっ……」
何とか話を逸らそうとするも、ヴィクトルはしっかりと退路を塞いでくる。
否定できない。
あの時、ノゾムが仲間達の応援で気を良くして、学園では使わないようにしていた技を躊躇なく使ってしまったのは事実だからだ。
もちろん、ノゾムにとっても、今まで逃げ続けていた学園生活に向き合う意味では“本気を出す”事が必要不可欠ではあった。
しかし後先考えていたのかと言われると、ノゾムとしては言葉に詰まってしまう。
「ふふ。まあ、意地悪な話はこれまでとしよう。あまりからからかい過ぎると、またメーナから怒られそうだ」
ふとノゾムがヴィクトルの背後に視線を向けると、控えていたメーナが無表情のまま厳しい視線を主の背中に向けていた。
「ヴィクトル様、恩義のある客人をからかうとは何事ですか?」
「ん、んん! 怒られてしまったか……」
ノゾムとしては意外すぎる大貴族の姿に、驚かされっぱなしだった。
メーナから絶対零度の視線を受けて、ヴィクトルが姿勢を正す。その時、ノゾムは緩んでいた部屋の空気が少し引き締まったような気がした。
「……ミカグラ流か。大陸のこのような所で、東方の名門剣術を修めたものに出会えるとは思えなかった。いや、剣術ではなく、刀術だったな」
「知っているんですか?」
「ああ。嗜む程度だが、私も剣術はそれなりに身に着けている。もっとも、ミカグラ流の技そのものに関してはあまり知らないのだが……」
剣術を嗜んでいるというヴィクトルの言葉に、ノゾムは改めて目の前の偉丈夫の姿を眺める。
なるほど、体は程よく引き締まっているし、手には剣を振るう際にできるタコが所々に見える。
だが、そのタコもあまり硬くはなさそうだった。
座る際の姿勢を見ても、背筋は伸びているが、ほんの僅かにバランスが右に寄っている。嗜み程度という話は本当だろう。
だがノゾムはヴィクトルが剣を嗜んでいるという以上に、彼がミカグラ流を知っている事に驚いていた。
「だが、シノ・ミカグラの名声は良く知っている。私の父親が良く話をしていたよ。見目麗しい、清純な美麗の剣士だとね」
「清純? 美麗? 何処の誰だろう……」
ヴィクトルがシノのことを知っている事は別に不思議はない。以前ヴィクトルとも似たような会話をしたことがあるからだ。
とはいえ、こうして偉人とも呼べる人物達から、師匠の逸話や風評を聞くと、ノゾムとしてはどうしても違和感を覚えずにはいられない。
彼にとって師匠とはわがままで、融通が利かなくて、弟子を修行で虐めるのが大好きなハチャメチャ婆さんである。
だが怪訝な表情を浮かべるノゾムをよそに、ヴィクトルは質問を続けてきた。
「ノゾム君はどのくらい前に師と出会っていたのだ?」
「ジハード先生にも話しましたが、師匠と出会ったのは1年の時からですから、大体2年くらい前ですね」
「ふむ……」
師匠の話を聞いて考え込み始めたヴィクトル。
しばらくの間沈黙が流れ、窓から入る風の音だけが流れていた。
「あの、それで、どうして俺を最初に呼んだんですか?」
押し黙ったヴィクトルに、ノゾムは思い切って自分だけがここに呼ばれた理由を問いただしてみた。
ヴィクトルは瞑目して肩をすくめると、おもむろに自分の煎れた茶を一口飲んだ。
「先ほども言ったが、アイリスディーナから報告を受けた際に君の名前が書いてあった。その時の事が詳細に書いてあったが、娘が特に手放しで感謝していたのが君だったからな」
先ほども聞いた内容。だがノゾムは、本当にそれだけなのだろうかと疑念を持っていた。
いつの間にかヴィクトルの口元には先ほどまでの人をからかうような笑みはなく、真剣な眼差しをノゾムに向けている。
「それに、君自身のことも知って驚いたよ。能力抑圧というハンデを抱えながらも、Sランクの吸血鬼を退け、特総演習で能力差をひっくり返した上にあのアビスグリーフを二度も退ける。さすがは“龍殺し”といったところか……」
「っ!?」
“龍殺し”
ヴィクトルの口からその言葉が発せられた瞬間、ノゾムの全身が凍りついたように固まった。
再び両者の間に沈黙が流れる。
だが先程と違い、今ではまるで鉛のような重苦しさが豪奢な部屋の中を満たしていた。
全身に圧し掛かるような重圧はまさしく戦場と同じもの。
ノゾムの頭の中で、意識がカチンと切り替わり、ドクドクと心臓が鼓動を早め、体が自然と臨戦態勢を整える。
「……俺のことを話したのは、ジハード先生ですか?」
張り詰めるような緊張感の中、ノゾムはおもむろに沈黙を破ってヴィクトルに質問を投げつけた。
ノゾムが龍殺しであることをアイリスディーナ達が話していないとすると、他に知る者はジハード達くらいだ。
ヴィクトルもまた表情を変えずに、ノゾムの問いかけを受け止める。
「直接聞いたわけではないが、先程ジハード殿との模擬戦を遠見の魔法で見させていただき、大まかながら書面で知らされた」
特に取り繕う様子もなく、ヴィクトルはあっさりとジハードがノゾムの秘密を知らせたことを話した。
なぜジハードはノゾムの正体をバラしたのだろうか。
ノゾムは頭に浮かぶその疑問をとりあえず頭の端に追いやり、グッと腹に力を入れた。
「なるほど、模擬戦の時に感じた視線は貴方のものでしたか……」
視線には気づいていたというノゾム。確信を持って放たれるその言葉に、ヴィクトルは目を見開いた。
「ほう、気づいていたのか?」
「見られていると確信したわけではありません。なんとなく違和感を覚えただけですけど……」
一方、驚愕の表情を浮かべていたヴィクトルは、フッ……と息を吐き、深々と背もたれに体重を預けた。
「想像以上だった。あれほどの力なら、ウアジャルト家の執事を追い返せた事も頷ける」
「別に俺が大した事をしたわけじゃないです。アイリスやティマさん、マルス達ががんばって時間を稼いでくれたから、ソミアちゃんを助けられたんです」
ヴィクトルが切り込み、ノゾムもまたすばやく切り返す。
実際の話、マルスやティマ、そしてアイリスディーナがいなかったらノゾムの助けは絶対に間に合っていなかった。
それにノゾムは当時、師匠以外の前で龍殺しの力を使うことに躊躇ってもいた。
マルスやティマの奮戦、そしてアイリスディーナの切実な叫びがなければ、結局最後まで迷い続けていたかもしれない。
「もちろん、その点も理解している。しかし君が龍殺しでなかったら、君達にも犠牲者が出たかもしれん。そういう意味では、アイリスディーナの言葉はまさしく真実だった訳か」
張り詰める緊張感の中、ノゾムはゴクリとつばを嚥下する。
自分が飲んだ唾の音が、ノゾムの耳にはとても重く響いた。
「実際のところ、アイリスディーナからウアジャルト家の執事との戦いを手紙で知らされたとき、君が何らかしらの能力を持っているのではと感じていた。しかし、それを確かめるよりもウアジャルト家との交渉のほうが優先だった」
背もたれに預けていた体を起こし、ヴィクトルはノゾムの顔を覗き込むように前のめりになる。
「同時に、娘が私に隠すような友人達にも興味を覚えたというわけだ」
ヴィクトルは興味を覚えたと言うが、ノゾムには見つめる彼の瞳の中に、それ以上の何かがあるのではと言う疑念がよぎっていた。
しかし、ノゾムには彼が何を考えているのか理解できない。
口元には先程と同じような笑みを浮かべてはいるものの、まるでほの暗い井戸の底を覗いているような感覚だった。
「……それで、俺が龍殺しだと知った貴方は、どうするんですか?」
「公にすると言ったらどうする?」
その瞬間、ノゾムの体から漂っていた緊張感が一気に臨界点を迎える。
数百年間確認されていなかった龍殺しという存在。しかも、現在その龍殺しがいるのは、各国の利害が錯綜するアルカザム。
ノゾムが公になった場合、正直どんな事態になるか分かったものではない。
救世主に祭り上げられて最前線送りになるのか、それとも拘束されて実験体扱いされるのか。
少なくとも、今の仲間達と一緒にいることは出来なくなるだろう。
気がつけばノゾムは自分とヴィクトルの立場も忘れ、鋭い視線でヴィクトルを睨みつけていた。
「……冗談だ。公になど出来んよ。君の正体を公にすれば、下手をすればウアジャルト家との密約についても公になってしまう危険性がある。
折角ウアジャルト家が矛を収める結果になったというのに、それを態々壊す必要などないからな」
ヴィクトルは口元に浮かべていた笑みを消し、無表情で公にする気はないと言い放つ。
しかし、一度湧き上がった猜疑心は簡単には消えない。
「それに、この街でそんなことを公にしようものなら、この街が更なる混乱に陥ることは必至だ。
アビスグリーフ出現の混乱がようやく収束に向かいつつある中で、君の正体を晒す事はジハード殿の足を引っ張る事になる。
そうなれば、学園の運用にも支障をきたす。それは私の願うところではない」
その言葉を聞いて、ノゾムは目の前の人物が、このソルミナティ学園設立の立役者の一人であり、今現在も学園に多大な援助をしている事を思い出した。
アイリスディーナの話では、今ノゾム達が訪れている屋敷も、彼女達が卒業した後に寄付される事が決まっているらしい。
それほどの援助をする人物が、この学園を裏切るとは思えなかった。
それに、先ほどの食事の際の雰囲気を考えれば、彼は自分の娘を本当に愛している。
少なくとも娘を裏切るような真似はしない。
「ふう……」
ノゾムは焦る自分の心を落ち着けようと、一度深呼吸をした。
全身を駆け抜けていた血がゆっくりと収まり、張り詰めていた空気が幾分和らぐ。
「……そういえば、ウアジャルト家との件はどうなったのですか?」
「双方のためにも詳しく話すことは出来ないが、とりあえずは落ち着くべきところに落ち着いたよ」
取りあえずは落ち着いたと言い放つヴィクトルだが、詳しく話す気はないとしっかりと距離をとってくる。
ノゾムはテーブル一枚隔てた空間の間に、巨大な壁があるような感覚だった。
「今度は私から尋ねよう。君はその力を何に使う?」
「……何に、とは?」
「目的があったからこの都市に来たのであろう? 色々あるとは思うが?」
目的。そう言われ、ノゾムは自分が取り込んだ力について改めて考えて込む。
確かにこの力は絶大だ。使い道や制御に難があるが、こと“殲滅”に関しては右に出る力はないだろう。
この力に救われた事はある。しかし、正直ノゾムにはティアマットに散々翻弄されてきた事があるので、大きな厄災というイメージがこびり付いている。
だからだろか。特にこの力を使う目的といわれても、ノゾムにはピンとくるものがなかった。
「……まあ、特に今は」
曖昧な返事を返すノゾムを、ヴィクトルは真剣な瞳で見つめている。
ノゾムにはその瞳がなんとなく糾弾しているように思えた。
「ここ数百年、歴史の表舞台から姿を消していた龍殺し。単純な力だけでなく、その名前だけでも大きな可能性を秘めている。使い方によっては、さまざまな道が開けるだろう。だが……」
ヴィクトルは言葉を一度止め、ジロリとノゾムを睨みつける。
先ほどまで笑みを浮かべてお茶を入れていた人間とは思えない威圧感。
「同時に、君の存在は危険極まりない。取り込んだ龍の力は未だに制御し切れておらず不安定。一時は本当に暴走の危険があったそうだな?」
「……本当に良く知っていますね。やはり、先ほどの戦いを見ただけではなく、誰かから直接俺の事を聞いているんですね」
「その危険性すら言及した上で問う。君は、その力を何に使う?」
ノゾムの言葉を一切無視し、ヴィクトルは一切の虚偽は許さないという視線と共に、改めてノゾムに質問を投げつける。
向けられた目線には虚偽は許さないという無言の圧力があった。その圧し掛かるような威圧感に、ノゾムは思わず眼を見開く。
「俺は……」
その力を何に使う。ノゾムはその質問に何を返せばいいか分からなかった。
リサの夢を支えるという目的は、すでに一度完全に破綻している。しかし、彼女に夢をあきらめて欲しくないと言う思いはある。
だが、その夢に自分がついて行くのかと問われると、心のどこかで引っかかりを覚える。
そもそも、自分が本当に願っているのはなんだろうか。
リサとの関係の清算。壊すのではなく、新しく作り直す事。そのために、過去と向き合うことを決めたはずだった。
「あっ……」
そこまで考えて何かに気付き、ノゾムはさっと血の気が引くような感覚に陥った。
「君に、この学園に残り続ける理由はない。君は今までずっと過去の清算を行ってきたが、君自身の未来に関わるような意思は感じられなかった」
そう、ノゾムが今までしてきたのは、全て“過去の清算”だった。
リサとケン。歪みきってしまった2人との関係を終わらせるために奮闘して来たに過ぎない。
そこにノゾム自身の明確な未来を思い描いていたわけではなかった。
「君は過去と現在しか見ていない。“未来”がないのだ。まるで海を漂う船のようにな。幼馴染の事も満足に解決できないようでは……」
「…………」
反論できない。
ノゾムは過去の清算が終われば、前に進めるかもしれないと曖昧に考えていた。
今でも、未来の自分の姿を明確に想像できない。
だからノゾムは、辛辣なヴィクトルの言葉を真っ直ぐに受け止め続ける事しか出来なかった。
「失礼します。そろそろお時間の方が……」
張り詰めた空気の中、メーナが2人の会話に割って入ってくる。
「やれやれ、もうそんな時間か。ノゾム君、色々と話につき合わせてしまってすまなかったな。私はまだ用事があるので、すまないがお暇させてもらう」
「……分かりました。俺達も寮に戻ります」
「そうか、今日は楽しかったよ。君という人間の人となりが、少し分かったからな」
「いえ、こちらこそ、貴重な体験をさせてもらいました。こんな高価な服に袖を通す事なんて、多分もうないでしょうからね」
「それは、今後の君次第だ。若いと言うのは、それだけで“可能性”に満ち溢れているのだからな」
「…………」
慰めか、それとも挑発か。
判断のつかない言葉を背中に受けながら、ノゾムは静かにヴィクトルの部屋から退室する。
「おっ、ノゾム、どうかしたのか?」
「……マルスか? どうしてここに?」
ヴィクトルの部屋を出たノゾムの目の前に、若いメイドに連れられたマルスの姿が飛び込んできた。
「メイドに呼ばれて、連れて来させられたんだ。なんか以前の吸血鬼騒動で礼をいいたいとからしい。お前もか?」
「ああ、まあね」
ノゾムはそういえば、メーナが先ほど、ルガト襲撃の件で他にメンバーにも礼を言いたいと述べていた事を思い出した。
「ふ~~ん」
マルスが考え込むノゾムの顔を覗き込みながら、なにやら意味ありげな視線を向けてくる。
一体何かあるのかと身構えるノゾムに対して、マルスはしょうがないと言うようにすくめた。
「まあ、何を考えているか知らないが、余り考えすぎない事だな。お前の場合、変に考えても自分の尻尾を追いかけるネズミみたいに同じ所をウロウロするだけだろうから」
「はあ……。いきなり失礼な奴だな」
「へっ! 今更だろ?」
「マルス様、そろそろ……」
「ああ、分かったよ。ったく、様付けされるのは慣れねえな」
ぶつぶつ文句を言いながら、ヴィクトルの部屋へと向かっていくマルスの姿を眺めながら、ノゾムは一度大きく息を吐いた。
気を使われたのだろう。カリカリと頭をかきながら、ノゾムは先ほどのヴィクトルの言葉を思い出していた。
「目的、いや、夢か……」
自らが無くしてしまったもの、その言葉に思いを馳せながら、ノゾムは踵を返して仲間達の元へと戻っていく。
マルスの不器用な気遣いのおかげか、沈んでいた気分は少し晴れた。
しかし、胸の奥に打ち込まれた楔は結局パーティーが終わってもシコリとして残り続け、結局ノゾムは寮に帰ってからもヴィクトルからの質問への答えを出せなかった。
ノゾム達が帰宅した後。ヴィクトルは自室のソファーに座り、持ち込んだ葡萄酒を飲みながら、今日顔を会わせた青年について考え込んでいた。
既に夜はふけ、街は眠りについている。
彼からすればまだまだ未熟と言える青年。体ではなく、心が。
おまけに彼を取り巻く情勢は複雑だ。
今は落ち着いていると言えるが、彼の周囲には見えない落とし穴が無数に空いていると言える。
そして、本人自身も巨大な火山のような力を持っている。はっきり言って懸念事項が多すぎた。
そんな中で、フランシルト家の当主として、どのように立ち回っていくのか。夜の静寂が満たされた部屋で、ヴィクトルは思考に没頭する。
今回ヴィクトルがノゾムを招待した目的は、ノゾムの人となりを把握する事。
話した時間はほんの僅かではあるが、貴族の社交場で海千山千の経験を積み上げてきたヴィクトルである。その短い間にも、ノゾム・バウンティスという人間の人物像をかなり把握していた。
彼自身は悪い人間ではない。むしろ、善人と呼べる類の人間だろう。
彼はルガトを退けたことに対する対価を一切要求してこなかった。その気になればヴィクトルを揺する事が出来るほどの秘密を持ちながらも、それを手札にする気配は微塵もなかった。
それどころか自分はおまけで、娘や仲間達の功績を称えたくらいだ。ここまで来ると善人というより、お人よし過ぎて損をするタイプの人間である。
腹の中に何を飼っているか分からない貴族連中よりもよほど好感が持てる人物だった。
とはいえ、ヴィクトルの立場としては、それだけではノゾム・バウンティスを認めるわけにはいかない。
人柄、実力共に悪くはないが、ジハードの要請を受け入れるとなると、今のノゾムでは承服しかねるのも事実だった。
「主様も人が悪いですね。あのような方法で彼を試すとは……」
「メーナか……」
思案にふける主の後ろから、腹心と言える女中が姿を現した。
現れた女中は、やや呆れたような視線を己の主に向けている。
「確かに、今のノゾム様に明確な目的はありません。しかし主様の“漂う船”という言葉はいささか大雑把な表現で、確実の的を射ているとは言い難いです」
“漂う船”という表現でノゾムの内心を言い表したヴィクトルだが、そもそも“なぜ船が漂流しているのか”という原因については明確に指摘していない。
舵が破損して進路が定まらないのか、セイルを喪失して速力を失っているのか、海図などの航海用具を失ったのか……。
「そう思うか?」
「ええ、そうでなければ、そもそも自分から過去の清算をしようとは考えません。逃げたままなあなあに日々を過ごし、平凡な日常に埋没していくだけでしょう。
しかしノゾム様は違います。彼には彼の明確な行動原理があり、それに基づいて自分の意思決定を行っています。ただ、その方向が今は過去に向いているだけ……。旦那様もお気づきにはなっているのでしょう?」
そういう意味で考えるなら、ノゾム・バウンティスは“目的地を失った船”である。
別に舵が壊れたわけでもなく、荒波を渡る術を失ったわけではない。
「…………」
ヴィクトルは従者の言葉には一切答えず、手に持った杯を傾けて甘酸っぱい液体を喉に流し込んでいる。
しかしその沈黙自体が、彼の答えを雄弁に語っていた。
ノゾム・バウンティスの人となりを把握するために、ヴィクトルは手っ取り早く、ノゾムの弱点とも呼べる部分を一突きした。
結果として見えてきたのは、彼自身の不安定さが浮き彫りになっていた。
それは、ヴィクトル自身もある程度予想していた事。彼を支えている仲間の存在と、幼馴染達との確執を考えれば大方予想はついた。
自分自身の長期的な目的意識の欠如。そして彼は、その中に隠れるように“迷い”を抱えている。
仲間達がいることで幾分か誤魔化されてはいるが、その迷いはいま、彼の歩みを鈍らせている。
ヴィクトルの質問に答えられなかったことが、その証である。
「ですが、ノゾム様が脆いかと言われれば、それは否です」
そう、メーナの言うとおり、ノゾムの精神が脆いのかと言われれば、それは否である。
自らが目を逸らしている事実を突きつけられ、さらにヴィクトルの視線を受けても、彼は一切目を逸らさなかった。
それは、ノゾム自身が今の自分の欠点を正しく理解し、受け入れている事の証拠である。そしてそれは、万人が出来る事ではない事を、ヴィクトルもメーナも理解していた。
実の所、“漂う船”と大げさな表現をしたのは、間違ってもいないが、正しくもない。ノゾムの心を揺さぶり、彼の本質を覗くための手段である。
「自分の本質的な急所。それを見せつけられ、素直に受け止められる人間は少ないからな……」
迷いを抱え、自分の弱みを突かれながらも、ノゾムはしっかりとヴィクトルの視線を受け止めていた。それは、彼が自分の弱さを認めている事に他ならない。
ヴィクトルはグラスに入っていた葡萄酒を一気に飲み干し、空になったグラスに新たな酒を手酌で注ぐ。
「そのために、態々ご自分でお茶を煎れたりするなど、ノゾム様の意表を突き続けたのでしょう?」
「……いや、そっちは本当にやりたかっただけだぞ」
グラスを揺らして注いだワインの香りを楽しみながら、ヴィクトルは飄々とした様子で首を傾げた。
そんな主の様子を見たメーナは、呆れたようにため息を漏らす。
人は自分が知らない人物と初めて対面する際、本人が意図する、しないに関わらず、無意識に防壁を張ってしまう。
メーナがノゾムを部屋に案内した際に、お茶を自ら煎れる姿を見せるという事も、実のところノゾムの意表を突いて、彼の無意識の内の防壁を崩す効果を狙っての事だった。
同時に無意識の防壁が一部でも崩れていれば、彼の欠点を突いた際の効果は何倍にもなる。
メーナは改めて、己の主の姿を眺める。
彼女の主は相変わらず、持ち込んだワインの香りを満足そうに楽しんでいる。
実のところ、ヴィクトルがお茶を煎れるのが趣味と言うのは本当である。趣味と実益を兼ねて、あんな行動を取ったのだ。
「まったく、貴方と言う人は本当に油断がならないですね。まるで詐欺師のようです。
それで、ノゾム様の援助に関して、ジハード殿には何と返答するのですか? お話では、後見人になって欲しいと言うものもあったようですが……」
ジハードがヴィクトルに要請した援助の中には、ノゾム・バウンティスの後見人になる事も含まれていた。
一見すればフランシルト家としてもいい条件に見えるが、今のノゾムの様子を見た限りでは、受け入れるわけにはいかない。
「まあ、後見人の話は無理であろうな。あのような状態では……。しかし、彼との関係を放棄すると言う選択肢はない。それなりの援助をする事は約束するさ」
「つかず離れず、ですか」
「そういうことだ」
ヴィクトルは再びグラスの中身を飲み干すと、満足そうに頷いた。
よほど今飲んだ銘柄の葡萄酒が気に入ったのだろう。
「君自身は、彼の事をどう思ったのだ?」
「そうですね。良い人物だと思います。お嬢様方があれほど入れ込んでいるのも納得できます」
ヴィクトルが返してきた質問に、メーナは淡々と答える。
「確かに、ノゾム様には長期的な目的と呼べるものはありませんが、それでも彼が非凡であり、折れぬ心を持っている事は理解できます。それを証明する実績は数多ありますし……」
龍殺しになった。あの歳でジハードに並ぶ技量を身につけた。Sランクの吸血鬼を相手に互角以上立ち回り、アビスグリーフを滅した。
さらに、取り込んだ龍の力を使わずとも、ジハードと並ぶほどの刀術と、気の制御力を見につけている。
特総演習でも格上のパーティー相手に罠やチームワークで互角以上に立ち回り、上位に食い込む結果を残した。
どれも、龍殺しの力だけでは成しえなかった事。その根幹に、ノゾム本人の成長があり、なにより彼が最後の一線を譲らなかったからこそ出来た事だ。
「才能だけの人間なら、探せば見つかります。しかし、ほんの僅かな可能性を信じて前に進める人間は多くはありません。そういう意味で、ノゾム様は非凡と言えます」
「ふん……」
不満げに鼻を鳴らす主にメーナはため息を吐いた。
フランシルト家当主として、今はまだ迷いを残しているノゾムの後見人になる事は出来ないが、保留してある程度の立場は確保しておく。ヴィクトルとしても、それができれば御の字だっただろう。
そもそもジハードがノゾムの正体をヴィクトルに伝えたのも、後ろ盾のない彼の背中を守るためである。少なくとも、ヴィクトルがノゾムの援助を断れないことは予測していた。
今回の件はあくまでも予定調和。それがこんなにめんどくさい事になったのは、ヴィクトルの娘が妙にノゾムという少年と親しいからだ。
「満点はあげられなくとも、80点ほどは気に入ったのでしょう?」
はっきり言ってヴィクトルの眼力に耐えられる貴族はほとんどいない。強面で威圧感たっぷりの彼の視線に、甘やかされて育った若年の貴族が相対できるはずも無い。
そんなヴィクトルと相対しても真っ直ぐに睨み返してきたノゾムに対して、メーナも既に一目を置き始めていた。
もっとも、彼女の主は複雑そうな顔を浮かべていたが。
「……そこまでの高評価は下してはいない」
従者の言葉を否定するように、ヴィクトルは葡萄酒を三度呷る。
そんな主の姿を眺めながら、メーナは仕方ないと言うように溜息を洩らした。
「そんなにお嬢様とノゾム様が親しいのが気に入らないのですか?」
「…………」
無言のまま葡萄酒を飲み続けるヴィクトル。だがその背中は、どことなく不満げな雰囲気を醸し出していた。
沈黙したままぶすっとふくれっ面をしている姿は、先程までの大物貴族としてではなく、1人の普通の父親としての姿そのもの。
「それは……いや、やっぱり赤点だ。娘にあんな悲しい表情をさせるなど……」
「旦那様。やはりサロンでのアイリスディーナお嬢様の様子を覗き見ていたのですね」
彼が言う悲しい表情とは、恐らくノゾムを見送った際のアイリスディーナの表情を、何処からか覗き見ていたのだろう。
覗き見をしていたヴィクトルにジト目を向けるメーナ。しかし娘の事で頭が一杯のヴィクトルはそんな辛辣な視線に気付きもせず、立ち上がってウロウロと部屋の中を歩き回りながら声を張り上げ続け始める。
更にヴィクトルはなよっちい男には娘の背中は任せられんとか、意表を突かれたとはいえ感情を押し止めきれないところはイカンとか、ノゾムに対する不満をグダグダと漏ら始めた。
その姿に、先程までの大貴族としての風格は微塵もない。溺愛していた大事な娘を取られまいとする普通の父親の姿だった。
とはいえ、その姿には失笑しか浮かばない。傍で主の醜態を眺めるメーナも溜息を漏らすのみ。
実はヴィクトルがこんな情けない姿をさらすのは初めてではなかった。
愛していた妻を亡くしてから、ヴィクトルは忘れ形見である娘二人を本当に大事にしてきた。
だが、その愛情があまりに大きすぎたのか、時に暴走してしまう事が度々あったのである。
普段は毅然とした当主としての姿を見せてはいるものの、娘が社交界にデビューする際に一番似合う服を仕立てようと国中の職人を集めようとしたり、ソミアが家出をした際などは捜索の為に騎士団を招集しようとしたこともあった。
特にソミアが家出をした時は、アイリスディーナまでもがソミアを探す為に屋敷を飛び出したため、ヴィクトルは完全に我を忘れて集めた騎士団すらも放り出し、娘の名を叫びながら城下町に突撃していった。
その際、止めようとした騎士団数名が木の葉のように吹き飛ばされてしまったのは甚だ余談である。
素面のヴィクトルに騎士団の団員を吹き飛ばすほどの実力はないのだが、娘が関わると桁外れの実力を発揮する時がある。そのくらい、彼は娘バカだった。
おそらく気配に敏感なノゾムがサロンでヴィクトルの気配に気づかなかったのも、この辺りに理由があるのだろう。
ちなみに、アルカザムに来る際も娘のお土産として各国の名産品を馬車数台分掻き集めたりしており、パーティー前にノゾム達の知らないところで、娘達が部屋に山積みにされたお土産に、引きつった笑みを浮かべたりしていたのは甚だ余談である。
「では、彼がお嬢様を笑顔にしたときは?」
「±100点だ!」
そんな娘に対する愛情全開な父親なものだから、正直な話、ノゾムの存在が面白くない。
人に対する感情に敏感で、相手の真意を読むことに長けているヴィクトルであるから、当然娘たちの気持ちにも既に気づいている。
「二重採点ですか。内心歓喜しながらも、嫉妬に狂うというものですね。
ですがソミリアーナお嬢様はともかく、アイリスディーナお嬢様は既にノゾム様の事を……」
「ぐぬぬぬぬ……」
次女はまだ幼いから、今のところノゾムのことは兄のように思っているだけだろうが、長女の方は既に危険域にまであの青年に気持ちが傾いてしまっている。
個人的には好人物だと分かっていても、ヴィクトルとしては到底受け入れられない話だった。
家族を想うあまり嫉妬する様は、アイリスディーナにそっくりである。もっとも、相手が強面の中年男となると可愛さなど微塵もなく、ウザったい事この上ないのだが……。
「……旦那様、そろそろ娘離れするときでは?」
「何を言う! 父親は娘を降りかかる危険から、身を挺して守るものだ!」
無茶苦茶である。
そもそも、言葉が体を成していない。
父親として娘の成長を願うなら、ここで無理に干渉するべきではないだろう。
実際、メーナが鋭く“旦那様の場合、理由が嫉妬だけですよね”と突っ込むと、ヴィクトルも“ぐぬぬぬ……”と押し黙ってしまう始末である。
反論の余地が無い事を察したヴィクトルはすぐさま話の論理を変えてきた。
「そういえば、お前は娘達に縁談の話を数多送りつけていたな!?」
そう、メーナはこれまで、何十通もの縁談話をアイリスディーナとソミアに伝えてきた。
ある意味、彼女達の将来を左右する内容である。
しかしメーナはしれっとした顔でヴィクトルの言葉を受け流す。
「もちろんお嬢様方を想っての事。良き縁は早めに結んでおくに限りますし、判断するのはお嬢様でございます。そういう意味では、お嬢様はよい方を想っているようです」
メーナ曰く、縁談の話は文字通り、縁を繋ぐための機会を用意するだけの事。その縁をどうするかはアイリスディーナ達次第だと。
実際の話、メーナはヴィクトルも信を置く忠臣。彼女の慧眼も、ヴィクトルは十分知っている。
ノゾム・バウンティスは元々一本気があるというか、一度決めたら引き下がらない、いい意味での頑固さを持っている。
それは彼が自分を裏切った幼馴染を責めなかったことからも読み取れる。
だからこそ、メーナの言葉には反論の余地が微塵もないのだが……。
「ちなみに、お嬢様は雰囲気の変わったノゾム様の様子にすぐさま気づき、見送ってからずっと部屋から心配そうな瞳で男子寮の方を見つめていますが……」
「み、認めてたまるかーーーーーー!」
広大な屋敷の一室に、父親の無情の叫びが木霊した。
いかがだったでしょうか。
過去と向き合い、仲間達を得て、“過去の清算”に全力を傾けてきたノゾムですが、それに囚われ過ぎていた面は無きにしも非ず。
そして、彼の心の奥にある迷い。
そんな要所をヴィクトルに突かれた形になりました。