第7章第14節
というわけで、中途半端ですが続きを投稿します。
食事が一通り終わると、ヴィクトルとノゾム達はサロンへと移動して思い思いに語り合った。
ちなみに、ノゾムとシーナに気絶させられたミムルは別室で寝かされていたが、今は復活してサロンに来ている。
ただ、豪華な食事にほとんどありつけなかったことにプンプン怒っており、苛立ち紛れに用意された茶菓子を他人の分まで貪り食い始めたのだ。
もっとも、その瞬間にシーナの氷のような眼光を向けられ、一瞬で尻尾を垂らして白旗を揚げる羽目になるのだが。
ちなみに、残っていたミムルの料理はフェオがしっかりと平らげていたりする。
ノゾムはとりあえず出されたお茶を飲みながら、仲間達の様子を眺めていた。
アイリスディーナとソミアはヴィクトルと話をし続けている。数年間会えなかったためか、話したいことは山のようにあるのだろう。
マルスはティマ、トム、シーナに話しかけ、魔法談義を始めている。
会話の内容から察するに、魔法の制御に関する内容らしい。時折、陣術やら気術という単語が飛び交っているあたり、おそらくマルスの魔気併用術に関することだろう。
マルスとトムは魔法関係で時々話をすることがあったが、ノゾムは最近2人がいつにも増して話をするようになってきたような気がしていた。
フェオは高価な椅子に腰掛け、本当に幸せそうな顔で天を仰いでいる。よほど今日出された食事が美味かったのだろう。
ただ“もう思い残すような事はない”というような言葉を時折口ずさんでおり、幸福のあまりそのまま魂が解脱しないか心配である。
久しぶりに流れる穏やかな時間。
気がつけば、ノゾムの手に持っていたカップのお茶はすっかりなくなっていた。
「ノゾム」
空になったカップをとりあえず手近のテーブルに置いた時、アイリスディーナがノゾムに声を掛けてきた。
「あ、アイリス。ヴィクトルさんとの話はもういいの?」
「ああ、父様はしばらくこの街に滞在するそうだからな。親子の会話にはしばらく困らないよ」
気が付けば、サロンの中にヴィクトルの姿はもうない。先に部屋に戻ったのだろう。
気を使ってくれたのかもしれない。そんな事を考えながら、ノゾムは改めてサロンの中を見渡してみた。
食堂ほどの広さはないが、20メートル四方に区切られたこのサロンもノゾムが見たこともないほど立派なものだった。
壁掛けに飾られた絵や、凝った彫刻が施されたテーブル。
椅子にも凝った彫刻が施されており、腰掛や背もたれの部分には羽毛が入っているのか、ふんわりと柔らかい感触を返してくる。
どれも一流の職人による作品である事は、このような場に縁のないノゾムでもなんとなく理解できた。
「しかし相変わらず、すごいお屋敷だよな。この屋敷をアイリス達がソルミナティに通うために建てたって話だから驚きだ……」
「私は寮生活でもよいといったのだが、父様の意向もあったし、学園からも色々と言われたこともある。
それに私とソミアが卒業すれば、この屋敷はソルミナティ学園に寄付される予定だ」
意外とあっさりこの屋敷を寄付する話に、ノゾムは目を丸くする。
また、こんな豪勢な邸宅をまるで古着を買い換えるような感覚で手放すアイリスディーナは、やはり自分達とは違うところで生きてきたのかと改めて感じていた。
「そんな簡単に手放していいの?」
「私も父も、別にこの屋敷に固執する理由はないからな。
それに学園の生徒の数が増えれば、今の学園施設では十分ではなくなる。この屋敷は広いから、施設の拡張にはもってこいだし、対外的にもいい宣伝になる」
どうやらアイリスディーナ達にとっては、悪い話ではないらしい。
確かに豪勢な邸宅だが、使わずにもっておくのは経費がかさむだけで意味はない。
ならば、いっそのことソルミナティに寄付した方が、フランシルト家やフォスキーア国のアルカザム内での影響力の維持、対外的な宣伝などで有用だと言うことなのだそうだ。既にその話は学園側と調整済みらしい。
「学園に寄付されれば、この屋敷は取り壊されるかもしれない。この街に来た当初は仮の宿程度の気持ちだったのだが、今思うと少し残念な気もするんだが……」
ノゾムは内心“いや、どう見てもこの屋敷は仮の宿程度じゃない”と突っ込みを入れたかったが、ぐっと我慢する。
この豪邸が仮の宿と考えると、フランシルト本家の屋敷はどれほどのものなのだろう。
ノゾムの脳裏には城壁に囲まれた白亜の城が浮かんでいたが、あながち間違いではないのかもしれない。
「アイリス、この屋敷が無くなるのは残念とか言っていたけど、どうして?」
「どうしてって、それは……」
突然黙り込んだアイリスディーナに、ノゾムは首をかしげる。
チラチラと横目でノゾムを覗き見ながら彼女は小さく首を振ると、神妙な顔を浮かべた。
「なあ、ノゾム。君はこの学園を卒業したら、どうするんだ?」
「……さあ。正直、まだよく分からないというのが実感かな。アイリスは、銀虹騎士団に入ることだったっけ?」
「ああ、私はやっぱり、銀虹騎士団に入って、多くの人を助けたい。それに……」
アイリスディーナがちらりと視線を横に流し、何やら戸惑いの表情を浮かべている。
普段から、落ち着きのある彼女がそんな顔をする。ノゾムは直ぐに心当たりがついた
「ソミアちゃん?」
「う、うん。まあ、それもある。ソミアの前では、自慢の姉でありたいんだ」
やや躊躇いがちにソミアの名前を口にするアイリスディーナ。
普段の超然とした気品は鳴りを潜め、家族が大好きな普通の少女の姿がそこあった。
「ノゾムは兄弟とかはいないのか?」
「ああ、俺は一人っ子だったから」
「ご両親はよくソルミナティに来ることを許したな」
「実際、親父には大反対されたけどね。結局殴り合いの喧嘩までしたよ」
苦笑を浮かべながら、ノゾムは父親のことを思い出す。
畑を耕しながら、自分と母親を養っていた、頑固な父親だった。
最終的にはソルミナティに通う事を許してくれたものの、苦虫を100匹ぐらい噛み潰したような顔をしていた事を覚えている。
「アイリスのお父さんはかなりいい人みたいだけど、正直面と向かい合うとかなり緊張しちゃうなあ……」
「強面の外見からよく言われるよ。父はああ見えて、根は素直で茶目っ気のある方だ。まあ、色々と困ることもあるのだが……」
「す、素直……か」
その言葉にノゾムは違和感を覚えずに入られなかった。
確かに見た目ほど厳しい方ではないとは感じていたが、素直という言葉を当てはめるには風格がありすぎるのだ。
一般人が自然と頭を垂れてしまうほどの存在感を醸し出す人物。
おそらくアリスディーナの感覚がズレているのだろうと、ノゾムは無理やり自分を納得させた。
こんな豪邸を“仮の宿”という辺りもそうだ。人は自らが育った環境には違和感を覚えないものである。
「……ノゾム、何か失礼な事を考えていないか?」
「……いや、そんな事はないぞ?」
ノゾムの思考を読んだかのように、アイリスディーナがジロリと疑念の視線を向けてくる。
「特定分野の天然さならノゾムも大して変わらないくせに……」
「は?」
自分の環境が色々と世間的にズレていることを自覚しているアイリスディーナ。だが彼女は、こと刀術や生存技術に関してはノゾムの方が規格外だと常々感じている。
こちらの攻撃も防御も一刀両断に切り伏せる気術と、ジハードとも渡り合える刀術。
今までノゾムの近くで彼の戦いを見守ってきたアイリスディーナとしては、彼と真正面から殺し合いになったら勝てる気がしなかった。
遠距離から魔法をつるべ打ちにして圧倒しても、何らかの突破口を必ず見出してくる。今ではそんな核心めいた予感がある。
一度突破口を見つけたら、ノゾムは躊躇わない。瞬時に己の全力をその突破口へと傾け、こちらの戦略をまるで疾風のように食い破ってくるはずだ。
そして、一度接近されたら、今度はこちらが地獄を見ることになる。
全ての攻撃が一撃必殺と成りえるとか、本当に勘弁して欲しい。
接近戦でノゾムの“幻無”に対抗するとしたら、アイリスディーナには奥の手である“月食夜”しかない。
だが彼女はノゾムのように、一瞬で刃を練り上げるなんてことは出来ないし、月食夜を使った場合、他の魔法に意識を傾ける余裕はなくなる。
そして純粋な剣術の場合、ノゾムに完全に軍配が上がる。つまり、接近されてしまえば、アイリスディーナは実質、対抗手段が全く無くなってしまうのだ。
一度接近できれば勝利確定。そんな風に考えると能力抑圧なんて、本当に些細な事のように思えてならないから不思議だった。
「まったく、君の師はどんな修行をさせたのか……」
「……思い出させないで下さい」
頭を抱えて青い顔を浮かべるノゾムの姿に、アイリスディーナは小さくため息を漏らす。
結局、強くなれるかどうかは本人の心持ち次第なのだろう。アイリスディーナは隣で頭を抱える青年を眺めながらそう思った。
「しかし、最近君の周りはすっかり変わったというのに、当の本人は全く変わらないな……」
「師匠、指の関節はそっちには曲がりません。修行と称して関節の隙間に打撃も入れないでください。そんなに晩御飯が魚一匹だった事に怒っているんですか?
それから百人組手できないから師匠相手に百回組手をするってやめてください死んでしまいます……」
トラウマの渦に沈むノゾムを眺めながら、アイリスディーナは彼の近況に思いを馳せていた。
ケン・ノーティスが学園に広めたノゾムの噂はすっかり消え去った。さらに武技園でのジハードとの模擬戦もあり、逆に今やノゾムの評価は鰻上りである。
特に後輩達からの人気はすさまじく、頼りになる先輩として最近はあちこちから引っ張りだこだ。
にもかかわらず、ノゾム本人は自分の技量や刀術に関して周囲からどう思われているかを気にした様子はない。慢心することもなく、普段どおりの日々を過ごしている。
彼が気にするのは仲間達や相談してくる後輩達の安否。そして、壊れきってしまった幼馴染達の事くらいだ。
確かに、今のノゾムは地位や名誉に気を向ける余裕がない。
だが、たとえ彼が目の前に用意された地位に気づいても、彼自身は変わらない気がする。
“はあ、そうですか”と気のない返事を返すだけに思えるのだ。
人の裏の顔を見続けてきたアイリスディーナ。だからこそ、彼の変わらない本質がどれだけ尊いものか理解できる。
そして、どうしようもなく魅かれてしまうのだ。
日に日に強くなっていくノゾムへの想い。傍に居たいと心から願う人。
だけど、心の底から不思議そうに首を傾げるノゾムの姿に、アイリスディーナは同時にいたたまれない気持ちになってしまう。
「ノゾム、君は、私の事を……」
どう想ってくれているんだ?
そんな言葉を口にしそうになり、アイリスディーナは慌てて喉元まででかかった言葉を飲み込む。
恐る恐るノゾムの様子を横目で覗くと、ノゾムはようやくトラウマの渦から抜け出せたのか、焦燥した表情を浮かべながら荒い息を吐いている。
「はあ、はあ……アイリス、何か言った?」
口から漏れてしまった彼女の言葉は、ノゾムには聞こえてはいなかったようだ。
だが同時に、自分が漏らしそうになった言葉の意味に気付いて、マグマのような熱が一気にアイリスディーナの体を駆け巡る。
引きつりそうになる頬を必死に抑え、アイリスディーナは平常を装う。
「……ああ、ノゾムはニブちんだと言ったな」
「人をトラウマの地獄に突き落としておきながら、更に追い討ちとか酷くないか!?」
心の奥にわだかまる想い。それに無理やり蓋をしながら、アイリスディーナは火照る頬を誤魔化すように憎まれ口を叩く。
嘆くノゾムがアイリスディーナに抗議の声を上げているが、相変わらずの自然体。
そんな彼の姿に、マグマのような熱さは瞬く間に引いて行き、代わりに暖炉の明かりにも似た柔らかい温もりが全身を包み込む。
やがて2人は互いに見合わせたように笑み浮かべ、フフフと笑みを浮かべた。
「ふう、いい夜だな……」
「アイリスが人のトラウマ掘り起こさなきゃ素直にそう感じられるんだけどね」
「むう……」
星空に浮かんだ月夜を眺めながら、しばしの間2人は無言の時間を楽しむ。
やがてアイリスディーナがスッとノゾムに身を寄せると、彼の腕をそっと抱き締めた。
柔らかい乙女の感触が腕全体に広がり、ノゾムは思わず声を上げる。
「ア、アイリス!?」
「いいから、このまま……」
アイリスディーナの唐突な行動に面食らうノゾム。
しかしアイリスディーナの表情が目を伏せ、何か思いつめたような表情を浮かべていた。
「なあノゾム。覚えているか、あのときの言葉」
「え?」
「ええっと、その、つまり……」
暴走した彼を止めようと、勢い任せに言い放った言葉。だけど、間違いのない彼女の本心。
それをもっと彼の心に刻み込みたくて、アイリスディーナは熱に浮かされたようにもっと自分の体をノゾムに寄せる。
もっと、もっと……。彼の近くに……。
「お二方、失礼いたします」
「うひゃう!」
しかし、そんな彼女の熱情に水をさすような声が響いた。
アイリスディーナは思わず弾かれたように身を離し、呼びかけてきた声の主に視線を向ける。
「メ、メメ、メーナ。一体何の用だ?」
声を掛けてきたのはヴィクトルの傍つき女中のメーナ。彼女は狼狽するアイリスディーナに視線を向けると、特に気にした様子もなく、淡々と用件を述べ始める。
「旦那様にノゾム様を呼んでくるよう仰せつかりました。申し訳ありませんが、ご一緒願えますか?」
「父様が?」
「はい、先日のウアジャルト家との一件について、色々とお礼を述べたいと……」
ある意味納得できる理由であるが、アイリスディーナにはメーナの言葉がどうしても胸の奥に引っ掛かった。
アイリスディーナがヴィクトルに送ったルガト襲撃の報告には、ノゾムの秘密に繋がることは何も書いていない。
当時はアイリスディーナがティアマットの存在を知らなかった事もあるが、彼女は恩人に対してあまり突っ込んだ追求をする事を憚ったのだ。
当時アイリスディーナがノゾムから聞き出せたのは、能力抑圧の解放ができると言う一点のみ。
だから、報告には能力抑圧に関する記述は一切載せなかった。その代わり、アイリスディーナは彼の刀術がいかに優れているか前面に押し出した。
少し過剰な文になってしまったかもしれないが、彼女はノゾムの刀術が自分の技量を上回っている事は直ぐに理解できており、その点を強調しながら出来うる限り、不自然が無いよう書簡に記した。
だが自分以上に人の嘘を見破ってきたヴィクトルなら、気付くかもしれない。
元々Sランクの敵と相対して、一人も欠けずに撃退するという事自体が相当困難なものである。
ならばヴィクトルがノゾムに尋ねたいと言うのは、彼自身の秘密に関することだろうか?
いや、それ以外の可能性もないわけではない。
以前学園で蔓延した噂、アビスグリーフに取り込まれたケン・ノーティスが巻き起こした騒動、ジハード先生との模擬戦等、ノゾム自身の話題は事欠かない。
聡明な彼女の頭脳は数秒で何通りもの仮説を立てていく。
だが、どんな理由にしろ、態々2人きりで礼を言う必要はないだろう。
ノゾムのみを指定してきたのは、他に確かめたい事がきっとあるからだとアイリスディーナは考えた。
「私も行こう。それに、あの件で礼を言うなら、マルス君やティマ達も呼ばなければならない」
「そちらの方々についても、もちろん旦那様がご自身でお礼を述べると申しておりますので、ご安心ください」
アイリスディーナはウアジャルト家との一件なら、他にも呼ぶべき人がいると牽制する。
しかし、アイリスディーナの牽制はメーナに一蹴された。当主自身が自分から礼を述べたいと言われれば、アイリスディーナには止める理由がない。
ぐっと押し黙るアイリスディーナ。しかし何とか情報を聞き出そうと口を開きかけたその時、ノゾムがスッと前に踏み出し、彼女の言葉を遮った。
「分かりました。メーナさん、行きましょう」
「ノゾム……」
「話が終わっていないのにごめん。ちょっと行ってくるよ」
スッと体を横に向け、促すメーナに続くように、ノゾムはアイリスディーナの傍を離れていく。
そんな彼の背中をアイリスディーナは揺れる瞳で見つめていた。
ふとその時、ノゾムが思い出したように振り返り、アイリスディーナに微笑みかけてきた。
「……それと、気を使ってくれてありがとう」
ノゾムにも十分すぎるほど伝わっている。アイリスディーナが彼を心から案じている事が。
「大丈夫さ。アイリスディーナの話じゃ見た目ほど厳しい人じゃないみたいだし、ちょっとした三者面談だよ」
その事実が分かっているからこそ、あえて軽い口調で言葉を返せる。
ヴィクトルが何を話したいのか、ノゾムには分からないが、胸の奥に渦巻くような不安は感じなかった。
そしてノゾムはメーナに促されるまま、サロンを後にする。
残されたアイリスディーナはノゾムが去った後も、ジッと彼が消えた廊下の先を眺めていた。
「ノゾム、君の気持ちは……」
先ほど言いそうになった言葉が、自然と再びアイリスディーナの口から漏れ出した。
アイリスディーナの脳裏に浮かぶのは、罪悪感に苛まれながらもノゾムの看病をしていたリサの姿。
ノゾムがまだ深昏睡状態だった時。一向に目が覚めないノゾムの容態に焦りと不安を駆られたアイリスディーナは、焦燥と嫉妬に駆られるまま、リサに対してつい心のない言葉をぶつけてしまった。
だが、その言葉はノゾムだけが言う資格があったものであり、彼女が言うべき言葉ではなかった。ノゾムが学園で孤独になった時に何もしなかったのは、アイリスディーナも同じだったからだ。
本来自分が言う資格のない言葉。ノゾムが目を覚まし、順調に回復した今、彼女はずっと自らの愚かな行為をずっと恥じていた。
だが今まで、ノゾムにも言えず、リサにも謝ることが出来ずにいる。
自らを恥じる気持ちはあれど、リサに対する嫉妬心は未だにアイリスディーナの心の奥底でくすぶっている。
ノゾムへの恋慕とリサへの嫉妬心、そして自責の念に苛まれながら、アイリスディーナは自らの腕をギュッとかき抱く。
自らの腕に残ったノゾムの熱。先程まで暖かかったぬくもりが、今ではギュッとアイリスディーナの胸を締め付けていた。