第7章第13節
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フランシルト邸に到着したノゾム達が一番に薦められた事は、湯浴みだった。
ノゾム達としてはありがたい話で、先程まで森の中で鍛練していたので、彼らの体は汗と土でかなり汚れていた。
しかし、家一軒が丸ごと入るのではと思えるほど大きな浴場の中では落ち着く事もできず、ノゾム、トム、マルスの3人は巨大な浴槽の端でちょこんと湯に浸かり、終始ソワソワしていた。
はしゃいでいたのは、場の空気を読まないフェオくらいである。
驚かされた事はまだまだあった。
浴槽からあがると、今度は数多くのメイドにより晩餐での衣装の着付けが行われた。
ノゾム達に用意されたのは、社交界でも通用するようなタキシード。
ハッキリ言ってノゾム達の収入ではボタン一つも手に入らないほどのお高い代物。しかも何故か、全員の体にぴったり合うように採寸されていた。
一体いつ作ったのだろう。
ノゾムは初めて着る正装に少し困惑を覚えながらも、こんな高価な服を平民出の学生相手に贈るフランシルト家の豪胆さに驚いていた。
だが何より緊張したのは、浴室から出た瞬間に10人程のメイドに囲まれていた事であった。
本人達は淡々と“衣装の着付けとお世話に参りました”とか言っていたが、ノゾムとしてはたまったものではなかった。
マルス達もこの羞恥プレイに大慌て。
恥ずかしさから必死に抵抗したノゾム達だが、次々と着付けされてしまう羽目になる。正直、ジハードとの模擬戦よりも疲労してしまっていた。
着付けが終わると、ノゾム達は食堂へと案内された。
以前にソミアの誕生会が行われた場所。相変わらずとんでもなく広い食堂では、ヴィクトルが一人、パーティー用としか思えない長いテーブルに腰を落ち着けて。ノゾム達を待っていた。
「来たか。うむ、中々似合っているではないか」
「ええっと、良かったんでしょうか。こんな服を用立てて貰って……」
「気にするな。客人をもてなすのがホストの勤めだ」
素人から見ても高価な服を用意された事にノゾムは恐縮しているが、ヴィクトルは特に気にした様子も無い。
「それに、服にしろ小物にしろ、良い品を1つは持っておく事だ。イザという時には必要になるぞ」
「いや、自分にそんな機会なんて……」
社交界では、服装や装飾品の良し悪しが、それを身に纏う者の価値を表す。
それは社交界と言う戦場を戦うための道具であり、貴族にとって騎士達の武具と同じ物なのだろう。
とはいえ、ノゾムにとってはこんなお高いものなど到底手が出るものではないのだが。
「まあ、今すぐというわけではない。この学園を卒業し、出向いた先で名を上げていけばイヤでも理解できるであろう」
「はあ……」
確かに名のある人物にとって、自らの身を飾り立てる品は一種のステータスだ。しかし、卒業後の事にあまり実感の湧かないノゾムは気の無い返事を返すのみ。
だがノゾムはヴィクトルの言葉の中に、妙な含みを感じずにはいられなかった。
「まだアイリスディーナ達は来てないのか……」
「ご婦人方というのは準備に時間がかかるものだ」
アイリスディーナ達の準備はかなり時間がかかっているようだったが、ヴィクトルは特に気にした様子もなく、暖炉の前でパチパチと音を立てる炎を見つめている。
「せっかくだ。娘達の準備が整うまで話でもしないか? 君に少し聞きたいこともあるのでな」
「聞きたいこと……何ですか?」
「なに、娘達がこの街でどんな様子だったのか聞きたいのだ。こう見えて、一応彼女達の親だからな」
「分かりました」
ヴィクトルは年月を重ねた厳つい顔に笑みを浮かべつつ、ノゾムの言葉を待っている。
「そうですね……。アイリス、ディーナ様は筆記の成績も剣の腕も学年トップクラスです。魔法もアビリティの加護がありますが、決してそれに驕ったりしません。実際、彼女の魔法は詠唱式や陣式を使う生徒より頭一つ分抜きんでています。
ファンも沢山いますし、告白されたことも一度や二度じゃないですね。
彼女はしっかりしていますし、時に厳しい事を言う時もありますが、フォローはしっかりとしてくれるので、後輩からも慕われていますね。まあ、ソミアちゃんの事になると少し我を忘れる時がありますが……」
ヴィクトルはノゾムの話を聞きながら、うむうむと頷いている。
「ソミアちゃ……ソミリアーナ様については校舎が違うので、クラスでの様子は分かりませんが、努力家で気のいい娘ですから、親しい友達もたくさんいるみたいです。最近は放課後も学園や図書館で色々と研鑚に励んでいるようですし、充実した学園生活を送っているようですよ」
ヴィクトルはノゾムの話を聞くと、一言“そうか……”と呟くと、顎に手を当てながら考え込み始めた。
ヴィクトルの威風に当てられたのか、ノゾムは全身がピリピリと引きつるような感覚を覚えていた。
その時、ソワソワと落ち着き無く体を揺らしているフェオが視界に入る。
彼はご馳走を前にしてお預けを食らった飼い犬のように目を爛々と輝かせて、食堂の扉を見つめていた。
「おい狐野郎、なんでそんなに鼻息荒くしてんだよ」
そんなフェオの様子が気になったのか、近くにいたマルスが声をかける。
マルスもフェオも、今はノゾムと同じようにパリッとした正装に着替えていた。
マルスが身に纏っているのは白を基調としたタキシード。薄い色の金髪もしっかりと整えられ、さながら貴公子のような印象を受ける。
とはいえ、口を開けば生来の粗野な口調が漏れてしまうので、瞬時に残念貴公子になってしまうのだが。
フェオの衣装はマルスと同じ白のタキシード。ただマルスと違い、首に銀のネックレスをかけている。
体付きはマルスと比べれば華奢であるが、決してひ弱という印象はない。傍から見るとやり手の若手商人という感じだ。
「あったりまえや。あのレベルの女の子たちが着飾るんやで。楽しみに決まってるやんか!」
「相変わらず自重という言葉を投げ捨てている奴だな……」
だがそんな高価な衣装を身に纏っても、フェオはやっぱりフェオだった。常に自分の娯楽最優先を貫く姿勢は、派手な外見でも変わらない。
ちなみに、トムの衣装はノゾムと同じ黒のタキシード。
元々小柄なトムが着ると、なんとなく服を着ると言うより、服に着られていると言う印象を受ける。
それでも美少年と言っていい顔立ちなため、それほど気にならない。
トムは普段慣れない高尚な衣装を用意された上、荘厳なフランシルト邸の空気に当てられているのか、先程から落ち着かない様子でリスのようにキョロキョロと視線を泳がせていた。
「なあ、ノゾムやって黒髪姫やシーナ達の衣装が気になるやろ?」
「おいこら……!」
フェオはマルスの視線など気になる様子も無く、今度はノゾムの肩に手を回し、顔をこれでもかと近づけてくる。
目の前に大物貴族であるヴィクトルがいるのも関係ないというように、フェオはズルズルとノゾムを引っ張っていこうとしている。
フェオの自分の楽しさを最優先する姿勢は、たとえヴィクトルの前でも変わらないらしい。
ノゾムはヴィクトルに失礼だろうと考え、フェオを諌めようとしたが、それよりも先にヴィクトルが苦笑いを浮かべながら、手を振ってノゾムを促した。
「こちらは気にしなくてよい。娘達が来るまで、友人との語らいを楽しみなさい」
「すみません。ちょっと話をしてきます」
肩をガッチリ固定されたノゾムは満足に動けないので、やむを得ず頭だけを小さく下げる。
フェオはノゾムの懊悩など関係ないという感じで、さらに力を込めてノゾムを引っ張っていく。興奮気味なのか、鼻息かなり荒い。
「ノゾム、いいから話を聞かせてや!」
「お前ね、もうちょっと場所とか相手とか考えたらどうなんだよ……」
相変わらずの享楽主義にノゾムは思わずため息を漏らしそうになった。
とはいえ、アイリスディーナやシーナ達の艶姿が気にならないと言えば嘘になる。何だかんだでノゾムも思春期の健全な青年だった。
「で、ノゾムが一番楽しみにしているんは誰何や?」
「いや、それは……」
しかし、ノゾムはフェオのようにあからさまな態度はまったく取れない。
元々彼は特定の相手を除いて自己主張が乏しい青年。フェオのストレートな質問にはどうしても答えに窮してしまう。
実際、咄嗟にノゾムの脳裏に浮かんだ少女達は、誰もが甲乙つけがたい美少女達なのだ。
ノゾムがどう答えたらいいのかと返答に戸惑っている間に、フェオはどんどん話を進めていく。
「“いやそれは……”やないで。まさかノゾム、興味がないとか言わんよな」
「は?」
一瞬、フェオの言葉が理解できなかったノゾム。両者の間に僅かな沈黙が流れる。
だがその数秒にも満たない間に、フェオの視線がなにやら疑惑の色に染まり始めた。
「まさか男の方に興味があるとか……」
「……この狐は毛皮になりたいのかな」
フェオの口から出たのはノゾムとしては到底看過できない言葉。
彼は瞬時に隣の狐尾族の喉笛をわし掴みにし、ぎりぎりと締め上げていく。
今までフェオが起こした騒動に散々巻き込まれてきたせいか、ノゾムも目の前のトラブルメーカーに対しては容赦というものが既に無い。
「ノ、ノゾム……喉はあかん」
周りではマルスとトムがまたかと溜息を吐いているが、助けに入る様子はない。
「ノゾム、毛皮はやめとけ。売り物にならねえぞ」
「ちょ、ひど……」
否。止めに入るどころか、マルスの方はさらに追い込みをかけてきた。
「なら……剥製か?」
「ドヤ顔狐の剥製か……趣味の悪い成金商人に美術品と偽って売られるか、倉庫の奥でネズミにかじられるくらいの未来しか想像できないな」
どちらにしても、フェオにとっては勘弁願いたい未来である。
「2人とも、それはちょっと……」
ノゾムとマルスのあまりに容赦のない物言いに、横で会話を聞いていたトムも、苦笑いを浮かべて、戒めの言葉を漏らしていた。
とはいえ積極的に止めようとしない辺り、トムもかなりノゾム達に染まってきているといえる。
「……仮に剥製に題名をつけるなら、2人は何て名前を付けるの?」
「「“愚者の末路”の一択」」
「……きゅ~~」
「あっ、落ちた」
ついに限界を迎えたのか、目を回したフェオが床に崩れ落ちた。
少々強く首を絞めすぎたのか、顔が真っ青になっている。
ちょうどその時、トントンと食堂のドアを叩く音が食堂に響く。
「お嬢様方がお着きになりました」
扉を開け、姿を現したメーナが女性陣の準備が整った事を告げてきた。
気絶したフェオはそのまま放置しておくと邪魔になるので、ノゾムは力なく横たわっている彼の体をとりあえず柱に寄り掛からせ、ペシペシと頬を叩く。
「おいフェオ、起きろ」
「う、う~ん。あ、あれ? ワイなんでこんなところに? さっきまで確か、川みたいなところに立っていたはずなんやけど……」
「ま、まあ。疲れているんじゃないか? お前最近貧乏が続いたし、何やら牛頭亭で色々と働いていたから……」
どうやらフェオの魂は行ってはいけない場所に行きかけたようだ。
ノゾムは少々やりすぎたか、と引きつりそうになる頬を何とか抑え、フェオの肩を支えながら言葉を濁す。
「そ、それにアイリスディーナ達の準備もできたみたいだから、そろそろ食事にありつけるんじゃないか?」
「お! マジか! 最近はパンの耳すら食えんかったからな! 今日は食いまくるで~~!」
「お前、普段何を食っていたんだよ……」
「その辺に生えている雑草とか虫とかやな」
「…………」
どうやらフェオの極貧生活はノゾムの想像を遥かに超えるものになっていたようだ。
黒パンすら食えなくなっていたフェオの生活に、ノゾムは思わず言葉を失う。
「ノゾム、知っとるか? 石を舐めているとそれなりに空腹感は紛れるし、飲み込むと結構腹に溜まるんや……」
擦れた声で自らの極貧生活を語るフェオの瞼に、一粒の涙がきらりと光る。金色の尻尾も力なく垂れ下がり、ぺたんと床についてしまっていた。
彼自身も森の中でそれなりに厳しい思いをしてきた経験があるが、さすがに石を食するほど貧窮はしていなかった。
これほどまでに酷い食生活をしていたとは、あまりにも哀れである。
ノゾムは憐憫の情から込み上げてくる涙をこらえながら、支えていたフェオの肩をポンポンと叩いた。
「……明日の昼飯、奢るよ」
「……うん」
今度からもうちょっと優しくしてやろう。そう考えながら、ノゾムは項垂れたフェオの頭を撫でる。
隣で撫でられながら小さく頷く同級生の姿に、ノゾムはほんの少し穏やかな気持ちになれた気がした。
その時、食堂の扉がギィ~と音を立てながら開かれる。
どうやらアイリスディーナ達が到着したのだろう。
隣で項垂れるフェオの頭を撫でながら、ノゾムが顔を上げる。その瞬間、ノゾムの目の前に色鮮やかな華が咲き誇った。
「うわ……」
「ほほう……」
その場にいた男性陣から感嘆の声が漏れ出す。
最初にノゾム達の目に飛び込んできた華は、ピンクのドレスを身に纏ったソミアだった。
彼女は扉が開け放たれた瞬間、元気よく食堂に飛び込んでくる。
ソミアが身につけているのは、可愛らしいフリルをふんだんにあしらった柔らかいドレス。明るいピンクの衣装は肩から手までをすっぽりと覆っており、肌の露出などは殆どない。
「ふふ、こんばんわノゾムさん! どうですか!?」
トテトテとノゾムに走りよってきたソミアは、にっこりと微笑みかけながらくるりと一回転した。彼女が回るタイミングに合わせて、柔らかいドレスがふわりと浮かぶ。
頭にはドレスと同じピンク色の造花によって作られた色鮮やかな花冠を被っており、太陽のような笑顔が魅力的なソミアを更に引き立てていた。
「うん、とても可愛いよ。ソミアちゃんの雰囲気にとても似合っている」
「……えへへ。ありがとうございます! ノゾムさんも、すっごく似合っていますよ」
にぱっと華やかなドレスに負けないくらいの可愛らしい笑顔を浮かべるソミアに、ノゾムの頬も自然に緩む。
互いに笑顔を浮かべるノゾムとソミア。その時、ノゾムの視界の端に誰かの影がスッと入ってきた。
「あっ、シーナさん」
「シーナ……って、え?」
振り向いたソミアの言葉にノゾムがパッと顔を上げると、今度はノゾムの眼前に蒼く澄んだ泉が姿を現した。
シーナが身に纏っていたのは、蒼を基調としたドレス。スカートは膝上までと短く、その中からほっそりとした白い脚が美しくのびている。
彼女の長い蒼色の髪は白い造花を施した髪留めで纏め上げられ、真っ白なうなじが曝け出されている。
胸元は控えめに、それでいて体のラインを損なうことなく作られたドレスは、人ならざる者であるシーナの魅力をこれでもかと引き立てている。
そして短いスカートを隠すように、肩から腰まで伸びた長い半透明のショールとシースルースカートが、彼女の持つ幻想的な雰囲気を更に引き立てていた。
ソミアのように可愛らしさを前面に押し出したものではなく、清純さと純真さを感じさせるドレス。
そんな幻想的な姿のシーナを目の当たりにしたノゾムは思わす言葉を失い、見惚れてしまっていた。
「な、何よ……何かあるなら言いなさい」
「あ、ああ……。いや、その……」
恥ずかしそうに頬を赤らめたシーナに声を掛けられ、ようやく我に返ったノゾムだが、その口からはまともな言葉が出てこない。
「まるで……妖精みたいだ」
「な、何よそれ。私は元々妖精族だけど……」
「いやそうじゃなくて、とても似合っているなって思って……」
「っ……」
ノゾムの裏表の無い純心な感嘆の声に、シーナの朱に染まった白い肌がさらに真っ赤に染まる。
しばらくの間、ノゾムとシーナの間に甘酸っぱい沈黙が流れる。シーナは恥ずかしそうにモジモジと手を組んだりし、ノゾムもまた普段見せない彼女の姿に目が離せなかった。
「あうううう……」
「ほらティマ、そんなところに隠れていないで」
互いに顔を赤らめて黙り込んでしまっていたノゾムとシーナだが、廊下から突如として聞こえてきた声にハッと顔を見合わせた。
なにやら食堂の扉の向こうがなにやら騒がしくなっている。声から察するにアイリスディーナとティマのようだ。
ノゾムは何事かと首を捻る。
「ああ、ティマさん、まだやっていたのね……」
先ほどまではモジモジしていたシーナが何かを察したのか、額に手を当ててハァッと小さくため息を吐いた。ソミアも事の次第を理解しているのか、アハハ……と苦笑をもらしている。
何が何やら分からない男性陣が目をパチクリしているが、その間にもティマとアイリスディーナの問答は続いている。
「だ、だって、こんなドレス……」
「よく似合っているんだから問題ない。ほら、皆待っているんだから」
「まあ、ティマっちは皆に見られるのが恥ずかしいだけじゃなくて、とある“特定の男子”に見られるほうがもっと恥ずかしいだけなんだろうけどね~」
「ふわあぁああ~~!」
「ミムル君……」
「おっと、失礼~~」
どうやらティマとアイリスディーナだけじゃなく、ミムルも何やら絡んでいるらしい。
「無理無理無理無理! 無理だよ~~!」
「もう、しょうがないな……」
「あっ! アイずるい! 離してよ~~!」
焦れたようなアイリスディーナの言葉とともに、ティマの甲高い叫びが響く。
双方かなり白熱しているようだ。いや、アイリスディーナの方は呆れているような雰囲気だろうか。
「ほら、いい加減覚悟を決めるんだ」
「うううう……」
しばし続いた問答の末にティマは観念したのか、アイリスディーナにズルズルと腕を引かれながら、食堂に姿を現した。その後ろにはニヤニヤと含み笑いを浮かべるミムルの姿もある。
「うわ……」
「こ、これはワイも予想外やった……」
二人の姿を目の当たりにした男性陣が、感嘆の声を漏らす。
月夜のように黒を基調としたドレスを身にまとっているアイリスディーナ。そして、命あふれる草原のような、翠のドレスを着込んだティマ。2人の後ろからついて来るミムルもスリットの入った紅いドレスを身に纏い、颯爽とノゾム達のほうへ歩み寄ってくる。
3人の衣装はソミアやシーナと違い、艶やかと言った言葉が良く似合うドレスだった。
大きく開いた背中、大胆に開かれた胸元。どれもが普段の2人とはまったく違う印象を見る者に与えてくる。
「ううう……。アイ、せめて、せめて何か羽織らせて~~!」
ティマのドレスはスカートには所々にフリルがあしらわれ、ソミアと同じように柔らかい印象を覚える。
しかし上半身は肩から胸元までが完全に露出しており、意外にも大きな双丘がこれでもかと強調されていた。
手にはドレスと翠の手袋を嵌めており、普段大人しくて控えめな彼女からは想像もつかないほど色っぽいドレスだ。
とはいえ、翠に彩られたドレスは決していやらしさは感じさせない。少女と大人の中間をイメージさせた、絶妙なデザインだった。
「ほらマルス君も何か言ってあげたらどうだい?」
アイリスディーナに手を引かれてつれてこられたティマが、ドンと前へと押し出される。
その先にいるのは、白の正装に身を包んだマルス。だが彼はポカ~ンと口を開けたまま石像のように完全に固まっており、まったく反応がない。
だがようやく思考が追いついてきたのか、徐々にその厳つい顔に朱色が広がっていく。
「そ、その……。お、俺も、似合っていると、思うぜ……」
「っ!?」
「あっ、おい!」
マルスに声を掛けられたティマは一目散に駆け出し、カーテンの陰に潜り込んでしまった。
慌てて駆け寄ったマルスが何やら言葉を掛けているが、こんもりと人型に膨れたカーテンがフルフルと震えるだけ。
よほどマルスに今の姿を見られたのが恥ずかしかったようだ。
「やれやれ、ティマが落ち着くにはもう少し時間がかかりそうだな」
「あ、あははは、アイリス。お疲れ様」
「ふふ、ありがとうノゾム」
仕方ないと言うように額に手を当てたアイリスディーナをノゾムがねぎらう。
ティマのあの様子から察するに、ドレスを着せる段階から相当苦労したことは間違いないのだろう。
「それで……どうだ?」
アイリスディーナが改めて意見を問うように、ノゾムの前でドレスに身を包んだ体を晒す。
彼女の黒髪とよくマッチした黒のパーティードレス。背中は大胆に開かれ、ティマほどではないが胸元もしっかり強調されており、豊かな胸元が薄手の生地を押し上げている。
背中は大胆にも開かれており、彼女がスッと体を横に向けると、真っ白な背筋が覗く。
スカートなどにフリルなどは一切あしらっていない、流れるようなロングスカート。
さらりと流れる黒髪には黒バラを模した髪飾りがあしらわれ、彼女の艶やかさを更に強調している。
ソミアのようにフリルといった可愛らしさを強調するものはないが、美というものをこれでもかと追求した衣装。
背筋がピンと伸びたアイリスディーナの容姿と合わさり、さながら女神を想わせるほど魅力的であった。
「うっ……」
「……似合って、いないか?」
圧倒され、押し黙ってしまったノゾム。アイリスディーナの声に不安の色が混じる。
「いやいやいや! その逆だって! その……すごく、綺麗だと思う……」
「っ! ふふ、良かった。少し恥ずかしかったけど、冒険した甲斐があったよ……」
ノゾムが慌てて否定すると、アイリスディーナの顔がパッと華やいだ。
本当に、心の底から安堵と嬉しさが滲み出る笑顔が、夜空の月のように、黒のドレスに映える。
「さて、女性陣の準備もできた事だし、そろそろ食事を始めようか」
ヴィクトルの言葉に促され、ノゾム達が思い思いの席に腰をおろす。
カーテンの陰に隠れていたティマもマルスに促され、恐る恐る姿を現した。
ただティマの羞恥心はまだ治まっていないのか、未だに顔を真っ赤に染めたまま、カーテンの端でその体をしっかりと隠している。
このままでは埒が明かない。仕方なくメイドがドレスとお揃いのストールをティマに渡し、体を隠すことで、彼女はようやくカーテンの陰から出てきた。
最後に残っていたティマとマルスが席についたことを確認すると、ヴィクトルがパンパンと手を叩く。
すると開かれたドアからメイド達が料理の乗った台車を次々と運び入れ、テキパキとテーブルの上に並べ始めた。
真っ白な皿の上に盛られたスープから美味しそうな湯気が立ち、焼き立てのパンが香ばしい匂いを漂わせる。
テーブルの中央には黄金色に焼かれた鳥が並べられ、切り分けられた肉から肉汁が溢れだす
ジハードとの模擬戦で空腹だったノゾムの喉がゴクリとなった。
「さあ、気にする事はない。好きに食べて欲しい」
「おおおお! じゃあ遠慮なく!」
さっそく料理に飛びついたのは、赤貧生活で空腹を抱えていたフェオだった。
前菜の野菜からスープ、パン、そして肉と次々に平らげていく。
「ううう。ワイ、今最高に感動している……」
よほど感動しているのかフェオが涙を流し始めた。
鼻をすすりながら一心不乱に食事にありつく姿は異様だが、ヴィクトルは特に気にした様子もなく微笑んでいた。
むしろ、本当に旨そうに食べるフェオの姿に満足しているようにも見える。
「それほど喜んでもらえて光栄だよ。君達も、作法などは気にしなくていい。存分に味わってくれ」
「まあ、客人を楽しませることがホストの義務なのだ。ノゾムもマルス君達も、父様がこういうのだから、気にせず食べてくれ」
「そ、それじゃあ……」
戸惑うノゾム達を、ヴィクトルとアイリスディーナが促す。
ノゾムは一瞬戸惑ったが、2人のフォローを受けて、ゆっくりと目の前の料理に手を付け始めた。
「むっ!」
「うわ、美味しい……」
驚愕の表情と共に、無言の時間が流れる。食堂に響くのは動かす食器の鳴る音だけ。
無理もない。目の前に出された料理は、普段ノゾム達が絶対に口にすることが出来ないものだ。
しばらくの間、ノゾム達は完全に食事に夢中になっていた。
「ふふ、随分と美味しそうに食べてくれるのだな」
「あ、すみません。食べてばっかりで……」
「いや、良い。そんなに喜んでもらえて何よりだ」
ヴィクトルは特に気にしないというように、手を軽く振る。
相手を放っておいてしまったという事実にノゾム達の間に一瞬緊張が走るが、フッと口元に浮かべる笑みが張り詰めそうになった空気を一瞬で溶かす。
だがヴィクトルは唐突に顎鬚に手を当てながら、低い声で唸り始めた。
「しかし、やはり私の前では緊張するか?」
「父様の顔を見れば、仕方ない事だと思います。普段外にいる時は、基本的に顰め面ですからね」
「やれやれ、久しぶりに会ったというのに、長女は厳しいな……」
微笑むアイリスディーナと苦笑を浮かべるヴィクトル。親子だからだろうか、その笑顔は何所かよく似た雰囲気を醸し出している。
「ソミアもそう思うだろう?」
「そうですか? 私は、父様はとても優しいと思いますよ」
「ふふ、ありがとうソミア。次女はフェラーナに似て優しいな」
他愛ない親子の会話。たとえ生まれや身分が違えど、そこにあるのは間違いなく普通の家族だった。
そんなフランシルト親子を眺めていたシーナがポツリと独り言を漏らした。
「家族……か」
どこか遠いものを見るような表情で、彼女は3人の様子を眺めている。
無理もない。彼女の家族は既にこの世におらず、たった一人復讐を胸に秘めてこの学園へとやってきたのだから。
「シーナ……大丈夫か」
彼女の事情を知るノゾムが、心配そうにシーナに声を掛ける。
だが意外にも帰ってきた声色は、あっけらかんとしたものだった。
「ん? 何が?」
「い、いや。ええっと……」
彼女が落ち込んでいると思っていたノゾムは、思わず拍子抜けして言葉に詰まってしまう。 一体何事かと首を傾げたシーナだが、直ぐに「ああ……」と事情を察して小さく頷いた。
「確かに私に家族と呼べる人はもういないけど、今は皆がいる。だから、決して孤独じゃないわ」
そう言いながら、シーナは周りで食事を楽しむ仲間達を見渡した。
ミムルに“あ~ん”させられて戸惑うトム。彼女はドレスから覗く胸元をこれでもかと近づけ、トムを誘惑しようとしていた。
2人の向かい側では、マルスとティマがナイフとフォークを動かしながら、ゆっくりと話をしている。
先程まで碌な会話も出来なかったようだが、ティマがようやく落ち着いてきたのか、2人の間では静かな時間が流れていた。
そして、残ったフェオは喜色満面を浮かべて食事をかっ食らっている。その眼にはもはやノゾム達は入っていない。ここぞとばかりに食い溜めをする気なのだろう。
気がつけばミムルの攻勢に根を上げたトムがマルス達の会話に混ざり、そこにミムルが突入。
ミムルは逃げた恋人に不満顔で恋愛とはかくあるべしと語り始め、その苛烈な内容にティマが再び赤面。その事に調子に乗り始めた彼女は、更に過激な内容を語ろうとしたところでマルスが鉄拳を落とすという展開が繰り広げられていた。
そして始まるドンチャン騒ぎ。なんてことはない。普段どおりの光景が広がっていた。
そんな皆の様子を眺めながら、シーナは穏やかに微笑む。
「ああ、また始まったのね。ミムル達、ここが何処だか分かっているのかしら」
「分かっていたけど、もう気にならないってとこだろうね。まあ、いつも通りといえばいつも通りかな?」
ヴィクトルも特に咎める様子はない。むしろ面白そうな目でミムルたちの様子を眺めている。
彼の隣にいるアイリスディーナもソミアも、ミムル達のことを楽しそうに父親に語っていた。
ノゾムとシーナは互いに視線を交わすと、仕方ないというように苦笑を浮かべる。
ノゾムもそれだけで彼女が何か言いたいのか分かった。ノゾムもまた、今の仲間達に救われた人間。それ以上、言葉は要らなかった。
「私は右側から、ノゾム君は左側からお願い」
「了解、作戦は?」
「一撃必殺で行きましょう。その方が手間はかからないし、何となく私達らしいわ」
互いに頷き会いながら、おもむろに席を立つ2人。
数秒後、音もなく密かに背後に回ったノゾムとシーナが完璧に息の合った手刀を騒いでいたミムルの首筋に叩き込み、騒動の元凶は一撃で意識を刈り取られることになる。
その一撃は傍から見ていたヴィクトルが“ほう……”感嘆の声を漏らすほど見事だった。
いかがだったでしょうか。
今回は正直、ヒロインたちのドレス姿を書きたかっただけです!
いや、これが無かったら多分もっと短かった……。