第7章第11節
放課後の保健室。
消毒液の刺激臭に満たされたこの部屋で、保険医のノルンは生徒の治療に使う薬品の在庫確認と追加を行っていた。
室内には薬品が入った木箱がいくつも運び込まれており、その量は保健室の一角を埋めてしまうほど多かった。
ノルンは木箱の中を確認し、次々と棚に収めていく。
だが彼女の傍に、いつもはこの部屋にいない二人の少女の姿があった。
「ノルン先生、この薬どこに置けばいいですか?」
「ああ、それは棚の上に置いておいてくれ。後で確認する必要があるから」
何故か保健室でノルンの手伝いをしているリサとカミラ。
今まで見たこともない光景だが、不思議と馴染んでいる。
きっかけはノゾムが退院した直後の事。
クラスメートに歓迎され、もみくちゃにされていたノゾムを、リサが遠くから寂しそうな目で眺めていた。
そんなリサの姿を、ノルンが見つけたのが事の始まりだった。
“そこの生徒、暇ならちょっと手伝ってくれないか? 正直猫の手も借りたいくらいなんだ”
“え?”
ノルンはいきなり声をかけられて呆けるリサの手を取り、保健室に引っ張り込む。
リサについてくる形でカミラも保健室の手伝いをする事になり、ここ一週間ほど3人で保健室の業務を行っている。
2人が手伝い始めた当初、カミラはともかく、リサは硬い表情のまま何も話そうとはしなかった。
だが淡々と作業をしている内に、以前アイリスディーナと模擬戦をして気絶した際に治療をした事もあり、僅かではあるが会話が続くようにはなっていた。
「でも、何でこんなに薬品の瓶が多いんですか?」
リサが未だに保健室の一画を占領している木箱を眺めながらぼやいた。
正直な話、木箱の数はこれでも少なくなったほうである。一週間前までは、木箱は保健室の半分を完全に埋めていた。
「なんでも、注文の際に何か手違いが起きたらしい。そのせいで治療に使う薬品と実験用の薬品がごっちゃになってしまったそうなんだ。はあ……まったく、商品の確認くらいしっかりして欲しいのだが……」
「そ、そうですか……」
ノルンは気安い感じで話しかけているが、リサの声はまだどこか硬さが残っている。
作業に戻り、黙々と薬品の瓶を選別する3人。だがノルンは、時折リサがチラチラと何か聞きたそうに視線を向けていることに気付いていた。
「で、聞きたい事は、いつもの事か?」
「え、ええっと……」
突然質問された事に戸惑うリサ。そんな彼女に見えないように、ノルンは口元に浮かんだ笑みを隠す。
彼女が聞きたい事など分かりきっている。つい一週間ほど前まで寝込んでいたノゾムのことだ。
「彼なら大丈夫だよ。体にも特に影響は見受けられない」
ノルンは学園内において、生徒達の体調管理を一手に引き受けている。
特にノゾムに関しては、その身に宿した力の重要性と、元々事情を知っていた事もあって、ノゾムの体調について頻繁に確認していた。
だからだろうか。リサは毎日のように保健室に手伝いに来た際に、それとなく彼のことをノルンから聞こうとしていた。
ノゾムと正面から向き会うのはまだ出来そうに無い。しかし、彼の事は気になって仕方ないのだろう。
「そんなに気になるなら、話しかければいいじゃないか?」
「…………」
ノルンの言葉に、リサは表情を暗くして下を向いてしまった。
まだ彼に対する罪悪感から前に踏み出しきれていないらしい。
これはあまりよくない傾向かもしれない。
ノゾムとの確執を考えるに、元々リサは思い込みやすい女の子だ。気持ちの切り替えが上手くない。このまま何も出来ず、自責の念から動けなくなる可能性も少なくない。
それに、彼女の学園での立場は非常に微妙だ。
ノゾム・バウンティスの秘密を知る人間は少ないほうがいいが、リサの存在はノゾムにとっても重要な位置を占めている。
下手に秘密を話す訳にもいかないが、放置も出来ない存在。
それに、先のタルド家の令嬢による暴行未遂事件の事もある。
一応星影の監視員がついてはいるが、それはあくまで影の存在としてだ。彼女自身の心を支えるような存在ではない。
「少なくとも、ノゾム君は君と話がしたいと思っているはずざ」
なら、自分が少しでも支えるしかないだろう。
リサにはカミラという親友もいるが、元々彼女はリサ側の人間だ。ノゾム側の立場から、リサの手を引っ張る存在も必要だろう。
(元々リサ君の様子も確認するつもりだったし、ノゾム君としてもその方がいいだろう)
そう考えながら、ノルンは出来るだけ優しい口調で言葉を続ける。
「ノゾム君が今、色々と立て込んでいる事は間違いない。だが、時間が経てば落ち着くだろうから、その時にでもきちんと話す機会を作ればいいだろう?」
「…………」
カミラの方も一旦作業の手を止め、2人の会話を見守っていた。リサの親友としても、彼女に何とか立ち直ってもらいたかった。
実際、リサが今でも学園にいられるのは、カミラの助力も大きい。
学園の生徒達の多くがリサに対して白い目を向ける今、カミラの存在がなかったら、リサは自室から出ることも出来なかったかもしれない。
カミラも、ノゾムとリサの関係が改善してほしいと切に願っている。
だが、やはりリサの表情は芳しくなかった。
「確かに、君が謝ったところでノゾム君の2年間が消えるわけではない。だが正直な話、このままだと彼との接点はますます消えていくことになるぞ。今の彼の傍にはアイリスディーナ君達がいるからな」
あえてアイリスディーナ達の存在を強調し、リサにちょっと発破をかける。
もちろんノゾムがリサを蔑ろにするはずはないのだが、ノルンはリサが内心抱える焦りを少し刺激した方が、彼女も動けるかと考えたのだ。
ノルンは最後に、ダメ押しとばかりにカミラに話を振る。
「カミラ君、以前君と話をしたとき、ノゾム君はどんな様子だった?」
「どうって……ただ、必死でした。リサを助けたいって……」
そう。結局のところ、それが何より大切な事なのだ。
憎しみや恨みを超えて、ノゾムが彼女の無事を願ったこと。
「何なら、私が取り次いでもいいぞ。場所の設定は任せてもらう事になるが……」
「……分かりました」
「ん?」
「お願い……出来ますか?」
少々意外な言葉に、ノルンは内心驚いていた。
悩みやすい彼女の事だから、もう少し時間がかかると思っていたのだ。
「リサ、大丈夫なの?」
心配そうに尋ねるカミラに向かって、リサは小さく頷いた。
よく見れば、リサの指先は小刻みに震えている。恐怖は消しきれていない。
どんな顔でノゾムの前に立てばいいのだろう。そもそも、自分にはそんな資格があるのだろうか?
心に吹きすさぶ冷たい風は、今でも彼女を蝕んでいる。
「まだ、ちゃんと覚悟が出来ていませんけど、ノゾムの気持ち、無駄にしたくありません」
でも、リサの胸の奥には小さな種火が確かに息づいている。
今にも消えそうな小さな灯火。しかし、その火は今でも確かに彼女を勇気付けてくれている。
そんな弱々しくも、力強い炎。それを灯してくれたのは間違いなく彼だった。
自らの命を懸けて救ってくれたノゾムの意思。そして彼が自分の憎しみすら押さえ込んで、リサに願った事。
目を背けて、無かった事にしてしまいたい。
でも、ノゾムがリサの胸に灯した小さな種火は、そんな心に吹き荒ぶ嵐の中でも消えることがなかった。
「分かった。ノゾム君の方も一週間後くらいは落ち着くと思うから、その時辺りに機会を設けておく。詳しい話が纏まったら伝えるよ」
「よろしく、お願いします」
リサはぺこりと小さく頭を下げる。
顔を上げた彼女の目に、確かな光が宿っていた。
夕焼けに染まる森の中で、局所的な嵐が吹き荒れる。
人の身では到底扱いきれない力の奔流。その中心で、ノゾムは歯を食いしばっていた。
溢れ出した気が風の渦となって周囲の木の葉を巻き上げる。
自らを縛る鎖を引きちぎった瞬間、あふれ出たティアマットの力。
かつて無いほどの圧力が肉体と魂に襲い掛かり、痛みと共にノゾムの意識を削り取っていく。
「ぐぅ!?」
“グギギギッギイギ!”
ガチガチと歯を鳴らしながら、ティアマットがノゾムの体を食い破ろうと暴れまくる。
それと同時に、ティアマットの激烈な憤怒がノゾムの精神を侵食し始める。
それは例えるなら、全身をマグマで焼かれているような感覚だった。
ティアマットの底知れぬ憎悪に感化されるように、ノゾムは腹から湧き上がるような怒りを感じていた。
「くっ!? ううう……」
呼吸を落ち着け、ぎゅっと目を閉じると、ノゾムは見守る仲間達の顔を瞼の裏に思い浮かぶ。
その瞬間、ティアマットの憎悪と同調しかけていたノゾムの精神が、スッと切り離される。
ティアマットは未だに暴れまわっている。しかし先ほどと違い、ノゾムの精神は驚くほど澄んでいた。
「はあ、はあ……ふう」
一度深呼吸をして、目の前のジハード達に意識を向ける。
ジハードが巨剣を構え、アンリが鞭を振り上げる。インダが再び巨大な炎塊を生み出していた。
体は問題ない。心も、今は落ち着いている。
全身に行き渡った膨大な気のせいだろうか、ドクンドクンと脈打つ心音だけでなく、舞い散る木の葉が擦れる音までノゾムはハッキリと聞こえていた。
「行きます」
ノゾムが“瞬脚”で勢いよく踏み込んだ。同時にインダが炎塊を放つ。
激増した自らの速度と相まって、迫る炎塊はあっという間にノゾムの視界いっぱいに広がる。
だが、その炎塊がノゾムの体を捉えることは無かった。
ノゾムは“瞬脚-曲舞-”で炎塊の脇をすり抜けるように通過。まったく速度を落とさぬまま、インダめがけて突進する。
「っ!?」
普段のノゾムとの速度差に幻惑され、インダの魔法展開が一瞬遅れる。
だがその隙をフォローするように、ノゾムの前に巨大な影が立ち塞がった。
「ぬうううん!」
岩塊のような巨剣がノゾムめがけて振り下ろされた。
大気を切り裂きながら迫る顎落とし。ノゾムは再び“瞬脚-曲舞-”を使い、その軌道から逃れようとする。
しかし、ジハードもノゾムの行動は察していた。
予め“瞬脚-曲舞-”の移動先を読みきり、振り下ろした巨剣の軌道を90度曲げ、ノゾムの胴体をなぎ払うように振りぬいた。
体がねじ切れてもおかしくない無茶苦茶な動き。だが持って生まれた体躯と膨大な気が、その無茶を可能にする。
「しっ!」
ジハードの一撃は確実にノゾムの体を捉えていた。だがその巨剣がノゾムの体を捉えることはなかった。
瞬脚の勢いを乗せたノゾムの切り上げが巨剣の腹を勝ち上げ、その軌道をそらす。
「はああ!」
お返しとばかりに、ノゾムが袈裟懸けの一撃を放つ。
ジハードは振り抜いた巨剣を引き戻し、盾のように構えてノゾムの斬撃を受け止めようとした。
全力で己の肉体と得物を強化し、衝撃に備える。
「ぬうっ!」
しかし、その威力は想定していたよりもはるかに強力だった。予想以上の圧力に、ジハードは思わず呻き声を漏らす。
以前、武技園で刃を交えた時とは比較にならない一撃。すさまじい圧力がジハードの両腕に掛かった。
「ふっ! ぜい! はああ!」
ノゾムは目の前に掲げられた巨剣に、2撃、3撃と次々に斬撃を叩きつけていく。
煌めく刃が顎落としに付与された気を削り取り、舞い散る気が黄昏の空に散っていく。
「くうっ! ぜああああ!」
このままでは圧倒される。そう判断したジハードは、顎落としを支えていた両腕に限界以上の気を注ぎ、ノゾムの斬撃の間隙を縫って一気に押し込んだ。
得物と体の重量。共にジハードに分がある。
ノゾムの体はジハードの巨体に弾かれ、両者の間合いが僅かに開いた。
一瞬の停滞。その間に、ジハードは全力で顎落としを薙ぎ払う。
「ぬうううん!」
唸りを上げてノゾムに迫る巨剣。ノゾムは弾かれた衝撃でまだ宙に浮いている。先程のように“瞬脚-曲舞-”で避ける事は出来ない。
ノゾムが着地する瞬間を、ジハードの剣撃は確実に捉えていた。
「ふっ!」
だが、ジハードの斬撃は再びノゾムに外された。
着地の瞬間、ノゾムは刀をジハードの剣撃の軌道に入れつつ両足の力を抜く。
掲げた刀が柔らかくジハードの剣を受け止めつつ、ノゾムの体は地面へと沈み込みながら、巨剣の軌道から逸れていく。
顔が地に付くほど体勢を低くして、致命の一撃を交わしたノゾム。しかし、その時にはすでに追撃が放たれていた。
「っ!?」
視界の端に映った小さな黒い影。それを見た瞬間、ノゾムは本能的に両足に力を込め、その場から跳び退いていた。
ノゾムが飛びのいた刹那、パァン! という甲高い音と共に、ノゾムがいた場所の地面が弾けとんだ。
「ふあ! 避けられちゃった!」
ノゾムの目に飛び込んできたのは、ジハードの影から側面に回りこんでいたアンリの姿。
のんびりとした口調とは裏腹に、しっかりと攻撃可能な位置につけるあたり、したたかだ。
ノゾムへの追撃はそれだけではない。今度はノゾムの足元に、真紅に輝く魔法陣が形成された。
「ちっ!」
危険を感じたノゾムは再びその場から跳躍。ノゾムが跳躍した瞬間、火山のような炎が魔法陣から立ち上った。
ジハードの後ろでは再びインダが魔道書を開き、追撃の準備を整えている。
「まだです。アンリ先生、追撃を!」
「は~い! まかせてくださ~い」
2人の教師からの苛烈な追撃がノゾムに襲い掛かった。
インダが得意とするのは陣式を利用した連続魔法。
携えた魔道書には数多の魔方陣が描かれており、使用する魔法の陣に魔力を注ぐ事で、素早く多種多様な魔法を切り替えて使う事が出来る。
だが、もっとも驚くべき事は、それだけ多様な術式を制御しきるインダの技量であろう。
学生では到底出来ない。宮廷魔術師でも困難を極める魔法の連撃。
更にその隙を埋めるように、アンリの気弾と鞭がノゾムに襲い掛かる。
高位のAランクによる連携攻撃。だが、ノゾムはその攻撃を完全にしのいでいた。
抜群の身体能力と集中力でインダの魔法をかわし、携えた刀でアンリの鞭と気弾を弾き飛ばしながら、猛攻の嵐の中を、2人めがけて一直線に切り進む。
「くっ! なんて出鱈目!」
「インダ先生~!手を緩めたらダメです~!」
「分かっています!」
この短い間に、インダもノゾムの出鱈目さを理解した。半歩でも引けば相手の勢いに瞬く間に飲み込まれる。
だが、インダ達の攻撃ではノゾムの足止めすら容易い事ではなかった。
「おおおおおお!」
裂帛の気合と共に、ノゾムが更に加速する。
ズドンという轟音が響き、ノゾムの足元の地面が爆発。猛烈な加速を得て、一気に間合いを詰めてきた。
その先にいたのは右手で鞭を振り上げて、左手で気弾を生成していたアンリ先生。
「うえ!?」
猛烈な勢いで間合いを詰めたノゾムは、突進した勢いのまま、アンリの胴体めがけて蹴りを放つ。
アンリは左手でとっさに太ももの打棒を引き抜いてノゾムの蹴撃を防ごうとするが、その程度で今のノゾムの一撃を防ぎきれるはずもなかった。
「ふきゃああう!」
アンリの体はまるで木の葉のように吹き飛ばされ、茂みの奥へと消えていく。
ノゾムは“大丈夫かな?”とアンリの身を心配しつつも、すぐさま次の目標に意識を向けた。
彼の視線の先にいるのは当然、連続魔法が厄介なインダだ。
再び瞬脚を発動。突風のごとくインダめがけて襲い掛かる。
インダは何とかノゾムを近づけまいと多種多様な魔法を放つが、全てノゾムの“瞬脚-曲舞-”によって避けられてしまう。
「もらった!」
「させんぞ」
だが、ノゾムの眼前に再びジハードが立ち塞がった。
ノゾムの進行方向に割り込みつつ、ノゾムの“瞬脚-曲舞-”の軌道を読みきり、顎落としを振るう。
「くっ!」
「むう!」
甲高い激突音と共に、ノゾムとジハードはガッチリと組み合った。
ジハードの筋肉が隆起し、ノゾムの体から今まで以上の気が放出される。
組み合ったまま動かぬ両者。鍔競り合う“無銘”と“顎落とし”がギギギギ……と火花を散らし、鬩ぎ合う気で大気は爆発しそうなほど張り詰める。
「っ!」
「はあ!」
やがて限界を迎えた大気に弾かれるように、両者の体が僅かに後ろに流された。
ノゾムとジハードは流された体をすばやく立て直し、己の得物を振るう。
薙ぎ払われる巨剣と刀。激突した二つ得物は互いの軌道を逸らしつつ、反対方向へと流れる。
ジハードが巨剣の勢いを殺さずに体を一回転。巨剣の軌道を無駄なく変え、ノゾムに向かって振り下ろす。
ノゾムもギュッと両足の指で地面を掴み、一瞬で刀を切り返すと、ジハードめがけて振り上げる。
両者の斬撃は甲高い激突音と共に再び相手の刃の軌道を逸らし、互いの刃が相手の髪を僅かに散らした。
「ぜやああ!」
「はあああ!」
切り返される刃、立て続けに響く激突音。
両者の間で二つの刃が激突し、激しい火花を散らす。
「この感覚、久しぶりだ」
自らの剣を全力で振るうのは何時ぶりだろうか。高ぶっていく己の戦意に、ジハードの口元が僅かに緩んでいる。
自らの体すら巨剣の一部として振るうジハード。
竜の一撃にも匹敵する刃すらも回避に用い、持ち前の絶技で次々といなしていくノゾム。
豪の極剣と柔の極刀。大陸でも最高峰の剣舞。
まるで英雄譚にでも語られるような戦いが、人里離れた廃屋で展開されていた。
援護をするはずのインダもいつの間にか援護を忘れて、目の前の絶技の応酬に見惚れていた。
「くうっ!」
ノゾムの顔が苦痛で僅かに歪む。全身に走る過剰な力が、ノゾムの体を傷付け始めていた。
ジハードの技量、桁外れの重さを誇るタングラール製の巨剣。それらが大陸でも群を抜いた威力を実現している。
その一撃は力を開放したノゾムでも受け流すことは困難を極めた。
だが、その剣戟の均衡を崩し始めたのもノゾムだった。
少しずつ、少しずつ、すり足で巨剣が生み出す竜巻の中を進んでいく。
「ぬう!」
ジハードは目を見開いた。
彼はすでに手加減などしていない。全力で振るう愛剣は間違いなく屍竜ですら一撃で地に臥す事が出来る。
だが、それでもこの生徒を止められない。
感嘆すると同時に、ジハードの脳裏にあの老人の言葉がよみがえる。
“いざとなれば、この街を灰燼に帰すことも構わん”
ノゾム・バウンティス本人にその気はなくとも、目の前の少年はそれほどの危険性を内包してしまった。
一撃一撃打ち合うたびに、その言葉を改めて実感する。
いざという時、止めるなら自分しかいない。
そのためには、己の限界を超えて、この生徒の力と向き合う必要があるのではないかと思うようになっていた。
「っ!」
ノゾムの腕から血が舞う。ノゾムの体に走る傷は、徐々に増え始めている。
だがそれを代償に、ノゾムはついに自分の間合いに入った。
「ふう!」
一撃。相手の剣を受け流すためではなく、自分から攻撃に出る。
そしてノゾムは、自分の刀を打ち込んだ瞬間、片手を腰にさしたままの、鞘に伸ばした。
「はあ!」
ノゾムが一気に攻勢に転じる。
刀と鞘。手に持った両方の得物に莫大な気を流し込み、ジハードめがけて打ちこみ始めた。
両腕から絶え間なく繰り出される斬撃と打撃。気を付された獲物が、流星群のようにジハードに襲いかかる。
ジハードは巨剣を掲げ、全力で気を送り込む。
巨剣越しに、腕が痺れるような衝撃と圧力が立て続けに襲ってくる。
「ぬぅう!」
ジハードの巨体が地面を削りながら、徐々に押し込まれていく。
攻勢は逆転した。先程まで攻めに攻めていたジハードが、今度は守りに転じなければならなくなった。
このままでは押し切られる。そう判断したジハードは、全身の気を一気に高め、炸裂させた。
「かああ!」
ジハードの持つ桁外れの気が全方位に放出され、衝撃でノゾムの攻勢が僅かに衰える。
更にジハードの拳が間隙を縫ってノゾムの頬に突き刺さる。
「がっ!」
ズドンという、人が人を殴ったとは思えない音が響く。
強烈な衝撃を頬に叩きつけられたノゾムの体が数メートル吹き飛んで地面に転がった。
ノゾムは一瞬真っ白になった意識の中で反射的に受身をとり、跳ねるように立ち上がる。
しかし、その僅かな隙を狙ってインダが援護を再開していた。
「そこ!」
手に持った魔道書に魔力を流し込み、術式を発動。ノゾムの足元から木のツルが出現し、彼の手足を得物ごと拘束する。
「まだですよ!」
インダはさらに追撃の術式を起動。巨大な炎塊を作り上げ、ノゾムめがけて打ち放つ。
「はあ!」
ノゾムは刀と鞘に込めた気を炸裂させた。
気術“塵断”。
無数の気の刃が、インダの拘束をまとめて吹き飛ばす。
さらにノゾムは右の刀で宙に円を描き、気の膜を形成した。
気術“扇帆蓮”
ノゾムの気膜は船の帆が風を受けるように、インダが放った炎塊を柔らかく受け止める。
さらにノゾムはお返しとばかりに、左手の鞘でたわんだ気膜を打ち、炎塊をインダめがけて叩き返した。
「なっ!?」
進行方向を180度反転して帰って行く巨大な炎塊。
まさか自分の魔法を返されるとは思っていなかったのか、インダの口から動揺の声が漏れる。
それでも対応するのは流石。服に刻まれた防御用の魔法を素早く発動し、はじき返された炎塊を防ぎきる。
「くっ、視界が……」
だが、防御結界で弾けた炎で視界を塞がれてしまう。
このままではまずい。そう判断し、再び術式を用意しようとしたが……すでに遅かった。
「ふっ!」
「なっ!」
弾けた炎を切り裂いて、ノゾムがインダの眼前に出現する。その手に持った刀には、既に極圧縮された気刃が付されている。
インダは咄嗟に防御用の結界に魔力を注いで強度を高めるが、ノゾムはインダの防御魔法を一太刀で紙のように切り裂いた。
さらにノゾムは、気術“震砲”をインダの腹部に叩きこむ。
強烈な衝撃波にインダは声も出せずに吹き飛ばされ、受け身もできないまま地面に叩き付けられた。
インダは何とか立ち上がろうとするが、衝撃でまともな呼吸ができず咳き込むだけだった。
これで二人。
ノゾムは最後に残ったジハードに向き直る。
「生半可なやり方ではだめだな……」
そう漏らすと、ジハードはおもむろに自分が身に着けている鎧の留金を外した。
ガラガラと音を立ててジハードの鎧がバラバラになり、地面に転がる。
むき出しの体躯。鎧を取り去って小さくなったはずなのに、ノゾムにはジハードの体が先程よりも大きく見えた。
「その状態、間違いなく限界を超えての強化が常に施されている状態だ。君と対峙するなら、自分も限界を超える必要があるだろう」
そう漏らすと、ジハードは巨剣を担ぐように構え、腰を落とした。
丸太のような両足ががっちりと大地を踏みしめ、類い稀な巨躯と巨剣が天を突く。
それはさながら、噴火寸前の火山を思わせる様相だった。
「これで最後の一撃とする。気を張れ。死ぬなよ……」
ジハードの全身から、今まで以上の気が放出された。
漏れ出す気がジハードを中心に螺旋を描き、木の葉を巻き上げ、大地を削る。
「ぬうう……」
血が沸騰するようなすさまじい圧力。全身の肌が泡立ち、心臓がバクバクと激しい鼓動を刻む。
筋肉が隆起し、握り締めた顎落としの柄がミシミシと悲鳴を漏らし始める。
歯を食いしばった形相はさながら鬼のよう。そこに手加減などという文字はかけらも見当たらなかった。
「っ!」
激烈な威圧感を覚えたノゾムは、抜いていた刀を納めて腰を落とす。
おそらくこれからジハードが放つ一撃は、今までノゾムが体験したこともないほど強烈なもの。
だが、どのような一撃かは容易に予想がつく。
「っ!」
痛みと共に、再びノゾムの体に裂傷が走る。
過剰な力で肉体が破壊される痛みは、徐々に全身に広がりつつある。
これ以上長引かせるのはよくない。
ノゾムもまた、この一撃で終わらせることを決めた。
「ふう……」
一度大きく息を吐き、全身の力を脱力させた。
余計な力みは技の精度を鈍らせる。
刃を抜き放つその一瞬まで、ノゾムはできうる限り、全身から余計な力を抜いていく。
首を支える肩から両腕、そして腰から下半身へ。
筋肉を弛緩させ、血管を開き、新鮮な血液を全身の隅々にまで送り込む。
それに合わせるように、全身の気も可能な限り緩める。
肥大化した過剰な気。ノゾムはその力に全ての意識を傾け、できうる限り制御下に納めていく。
それでも、制御しきれない気が彼の体を傷つけていく。
「はあ、はあ……」
「ぬうううう……」
ノゾムが荒い呼吸を漏らし、ジハードは掲げた巨剣に今まで以上の気を送り込み続ける。
両者が放出した気は二人の中間点で激突し、大気は悲鳴を上げる。
だが、唐突にその嵐は終わりを告げた。
「…………」
「…………」
突然の静寂。先ほどまでうなりを上げていた嵐が消え去り、沈黙だけがあたりを支配した。
納刀した“無銘”を左手に携え、右手を柄に沿えたまま、佇むノゾム。
太陽のように輝く巨剣を掲げたまま、彫像のように固まったジハード。
数秒とも永遠とも思える時間が、2人の間を流れていった。
「……いくぞ」
ジハードが動く。
掲げた巨剣が天から落ちる彗星のように振り下ろされ、同時に巨大な気刃が出現する。
気術“一刀”。
極太の気刃が大地を割りながら疾走する。さらに気刃の周囲にまとわりついた真空の刃が、割れた大地のかけらを粉微塵に粉砕していく。
ノゾムの目には、それは正しく迫りくる巨大な壁のように映った。
縦に走る一本の光刃から生まれる城壁。以前武技園で見せた“一刀”とは比較にならない一撃。
それはもはや個人を打倒するための“斬撃”ではなく、軍隊を殲滅するための“兵器”であった。
その時、ノゾムの意識が切り替わる。
音と色が消え失せた視界。
すべてがスローモーションに映る中、ノゾムは緩んでいた全身の筋肉を一気に目覚めさせ、右足に全ての気を注いで極強化する。
踏み込んだ右足から腰、腕へ動きを無駄なく繋げ、同時に連動する全ての筋肉に極強化を次々と移していく。
狙いは眼前に迫る巨大な気刃。
「はあっ!」
納口を切り、抜刀。
一閃。
次の瞬間、ジハードの一刀が進行方向にあった森を粉砕していった。
「わあああ!」
「きゃああ!」
閃光と轟音、そして叩き付けてくる突風に、アイリスディーナ達は思わず悲鳴を上げた。
白い光が目を焼き、風が砂と石を叩きつけていく。
やがて、再び静寂が訪れる。
恐る恐るアイリスディーナ達が目を開くと、信じがたい光景が広がっていた。
「っ……」
誰かが息を漏らした。
眼前の光景に、誰もが言葉を失っていた。
大地に刻まれた一筋の傷跡。堀のように深々と抉られた地面の両側には、粉々に粉砕され、デコボコになった地面が森を切り開いて一直線に続いている。
そして、その切り開かれた森の真ん中に、抜刀した刀をだらんと下げたノゾムが佇んでいた。
地面に刻まれた一筋の傷跡は、ノゾムの手前で二つに分かれ、ノゾムの後ろへと流れている。
ノゾムの“幻無-閃-”は確かにジハードの“一刀”を切り裂いた。
しかし“一刀”の余波を防ぐ事は出来ず、ノゾムもまたそれ以上の追撃は出来なかった。
ジハードは表情を変えなかったものの、内心ため息を漏らしたい気分だった。
ノゾムも自らの枷をかけ直すと、後ろを振り向いてビックリしている。
「うわ……森の中に堀ができてる」
10年前にあらゆる魔獣を粉砕してきたジハードの一撃を切り裂いたノゾム。
そして力を解放したノゾムと正面から戦ったジハード。
狙いすましたように、両者は同時に口を開く。
「滅茶苦茶だ……」「出鱈目だな」
奇しくもノゾムとジハードの呆れ声が重なった瞬間だった。
久しぶりに書いた戦闘シーン、いかがだったでしょうか?
う~ん。インダ先生達の活躍が足りなかったかな? もうちょっとジハードを前面に押し出しても良かったかも。シーンの展開は大丈夫なんだろうか……。
等々、色々考えてしまいましたが、とりあえず投稿してみました。もしよろしければ、感想お願いします。