第7章第10節
目が覚めてからしばらくの後、ノゾムは問題なく退院した。
特に身体に異常が見つからず、契約のパスを介した精密検査も問題なしだったため、思ったよりも早く退院する事が出来ていたのだ。
退院した直後は、クラスメート達からはとても歓待された。先の事件でノゾムが活躍したという話が学園中に広まっていたからだ。
クラスメート達はノゾムの退院を笑顔で迎え、口々に祝いの言葉を贈ってくれた。
休憩時間には1、2階級の後輩たちからも歓喜の声を掛けられ、もみくちゃにされた。
ジハードとの模擬戦での奮戦、そして先の事件での活躍から、ケンが撒き散らしたノゾムの噂は完全に掻き消えていた。
そして、退院したノゾムはとりあえず徹底的な走りこみや基礎鍛練を行って鈍った体を鍛えなおしたり、アンリの補習を受けて学業の遅れを取り戻そうとしていた。
退院した直後から始まった多忙な日常。
朝早く起きて鍛錬を行い、通学して授業を受け、放課後はアンリの補習を夜が遅くなるまでこなした。
ノゾムの補習に張り切っていたアンリは男子寮まで押しかけてまで彼の勉強を指導した。
もっとも、そのおかげで二人の関係を邪推した男子生徒が嫉妬と憎悪を滾らせ、ノゾムの自室前で大規模な争議行動に出たりしたのは甚だ余談である。
男子生徒達いわく“生徒による教師への淫行反対!”とか“個人授業は全員に満遍なく行われるべきである!”“アンリ先生! 僕にも特別授業を!”とのこと。
当然ながら、その大規模な争議行動は寮長によって鎮圧され、全員寮門前で一晩中正座させられていたのだが、その背後に狐の暗躍があったとかなかったとか……。
とにかく、ノゾムの日常は大きな変化を迎えていた。
さらにノゾムは、多くの生徒達からパーティーを組んでくれと誘われるようになった。
エルドルを始めとした後輩たちからも口々に指導を頼まれたりもしており、正直ノゾムはあまりに激変した環境にてんてこ舞いの状況。
パーティーを組むことは別にかまわなかった。しかし希望者の数があまりにも多く、もしも組めなくなると不平を述べる生徒もいるだろうというアイリスディーナの提言で、補習が終わるまでは見送ることになった。
だが簡単な指導くらいは特に時間もかからないので、昼休みにはちょくちょく校庭の端で森での体験等の色々な話をすることになる。
集まった後輩の中には、剣術などの体術の指導を頼んでくる後輩やクラスメートもいた。
特にノゾムとの手合わせを願ってきたのは、以前に彼に助けられた1学年のエルドル達。
毎日昼食が終わる頃にノゾムの元にやってきて「お願いします!」と木刀を手渡してくるのだ。
正直ノゾムは戸惑った。彼自身、教えるのがあまり上手だとは思っていない。人に教えた経験が皆無なのだ。
それにノゾムは刀術の技量こそずば抜けてはいるが、槍術や弓術等の技量は他の生徒と大差ない。むしろ不得意な分野だ。
彼自身の動きは完全にミカグラ流刀術に偏っている。なのでノゾムは当初、あれらの頼みをやんわりと断ろうと考えた。
だがあまりに彼らが熱心に頼んでくる上、マルス達の“単純にお前が後輩たちの剣を受けて、感じた事をそのまま言えばいいんじゃないか?”という意見もあり、結局ノゾムは昼休みの空いた時間に彼らと手合わせを行なうことになった。
「それではノゾム先輩! お願いします!」
「いや、まあいいけどさ……。エルドル君、妙に気合入っていないか?」
「当然です! ノゾム先輩とお手合わせしていただける機会は中々ありませんから!」
「そ、そう……」
昼休みの間に行われるようになったノゾムとの手合わせ。
エルドルは左手に携えた盾を前面に掲げ、右手には木剣を持ち、キラキラした目をノゾムに向けている。
以前の優男のような雰囲気は消え去り、すっかり朗らかな青少年といった様子だ。
一方、気合の入りまくっているエルドルに対して、ノゾムは苦笑いを浮かべているだけ。
周囲のノゾムを見る目は変わっているのだが、彼自身の自己評価が特に変わったわけではないこともある。
とはいえ、その構えに隙は一切ない。
ノゾムはまるで真綿を掴むように脱力したまま刀の柄を握っているが、適度に力の抜けた全身はまるで豹のような威圧感を醸し出している。
本人は戸惑いの表情を浮かべているだけに、そのギャップにエルドルは戦慄し、そして戦意を高ぶらせる。
エルドルは先程からずっと闘気を隠さず目の前の先輩に叩き付けているが、当の本人はまるで気にした様子もなく、柳のように彼の戦意を受け流している。
こうして本気で向き合って、初めて理解できるノゾムの強さ。
エルドルはチリチリと自分の産毛が逆立ち、呼吸が浅く、早くなっていのを感じていた。
「……行きます!」
エルドルはゴクリと鍔を飲み込んで息を止めると、ノゾム目がけて一気に踏み込んだ。
盾を前面に掲げたまま片手剣を自分の体の後ろに隠し、瞬脚で一気に間合いを詰める。
一方、ノゾムは先程から木刀を正眼に構えたまま微動だにしない。
先程まで浮かべていた戸惑いの表情はエルドルが踏み飲んだ瞬間に消え去り、既に迫りくる盾を澄んだ瞳で眺めている。
エルドルは掲げた盾でノゾムの視界を覆いながら、相手の肩口めがけて右手の木剣を振り下ろす。
次の瞬間、カァン! と木を打つ音が辺りに響いた。
袈裟懸けに振るわれたエルドルの木剣が逸らされ、彼の身体はノゾムの側面へと流れていく。
ノゾムが受け流した勢いを利用して、身体を一回転させつつ逆袈裟の一撃をエルドルに見舞った。
「くっ!」
エルドルもまた身体を回転させ、左手に持った盾をノゾムの剣撃の軌道に割り込ませる。だがその動きは精練されていたノゾムの動きと違い、どこかぎこちない。
再び硬質的な音が当たりに響く。
ノゾムの一撃を何とか防いだエルドルだが、彼は既に厳しい表情を浮かべていた。
「お、防がれたか」
一方、ノゾムは自分の刀が防がれたことに特別何も感じない。
一秒にも満たない間にエルドルの動きを幾度も観察し、分析し、判断し続ける。
ノゾムが首を僅かにそらす。次の瞬間、反撃とばかり切り上げられたエルドルの木剣が、ノゾムの眼前を一ミリ以下の間隔を残して通過した。
さらにエルドルは振り上げた木剣を切り返し、ノゾムの脳天めがけて打ち下ろしてくる。
なるほど、一撃一撃は充分体重の乗ったいい剣撃である。だが、次の動作への繋ぎがまだ拙い。
それでも身体に打ち込まれる前に盾を割り込ませる事ができたり、体勢を立て直して申し分ない威力の反撃を放てるあたり、彼の身体能力の高さが窺える。
ノゾムは打ち下ろしされた木剣の側面を振るった木刀で弾きながら、この仕合をどう納めるかを何通りも思考していく。
「くう! おおおおお!」
裂ぱくの気合を発しながら、次々とエルドルが木剣をノゾムに打ち込み始めた。
その勢いに押されるように、ノゾムはじりじりと後退していく。
だがエルドルの木剣はノゾムにかすりもしない。まるで氷の上を滑るように、するすると受け流されていく。
さらにエルドルが攻勢を強めようと前に出たその時、ノゾムが動いた。
相手の前進に合わせて一歩だけ前に踏み込み、剣の間合いの内側へと身体を滑り込ませる。
「くっ!」
エルドルが先ほどと同じように、盾をノゾムと自分の間に割り込ませようとする。だが、ノゾムは既にそれも織り込み済み。
腰に力をいれ、足を踏ん張りながら、刀の柄をエルドルの盾の軌道に入れ込み、引っ掛ける。
ガキンと耳障りな激突音と共に両者の動きが一瞬停滞した。
「くっ!?」
至近距離で二人の視線が交差する。
互いに得物を振るえる間合いではない。盾を引き戻そうとするエルドルの腕力に、ノゾムは全身の力で抗っていた。
この僅かな拮抗を破ろうと、エルドルは咄嗟に力押しでノゾムを押し退けようとする。
「この!」
身体能力で劣るノゾムの刀を無理やり引き剥がそうと一気に圧力を強めるエルドル。
だが次の瞬間、ノゾムは腕に込めていた力を一気に抜いた。
「なっ!」
均衡を失ったエルドルのバランスが一気に崩れる。
同時にノゾムは押し込んでくるエルドルの力を再び利用し、くるりと回転しながらエルドルの側面へと回りこむ。
さらにノゾムは腰を落として自分の腕をエルドルの頭と腰に当てると、すくい上げるように一気に振り上げた。
「うわ!」
急激な回転力を加えられたエルドルの身体は、前方宙返りをするように空中でくるりと半転し、そのまま地面に叩きつけられる。
「がっ!?」
更にノゾムは木刀に気を込めると、衝撃でうめき声を上げるエルドルめがけて一気に突き入れた。
突き入れられたノゾムの木刀はエルドルの側頭部を掠め、ガスン! と石床を貫く。
「はっ!はっ!はっ……」
「終わり……だね」
ノゾムの勝利宣言が静寂に包まれた中庭に響いた。
次の瞬間、周りで仕合を見守っていた観客たちは“おお……”と感嘆の声を漏らし始める。
「で、立てるかい?」
「は、はい。大丈夫です……」
ノゾムは荒い息を吐くエルドルを引き起こすと、服についた土や雑草を払ってやる。
「エルドル君の剣は一撃一撃の重みは十分だけど、攻撃の繋ぎがまだ甘いね。もう少し体幹の動きや足運びとの連動を意識するといいよ。その辺は地道な稽古の繰り返しかな……」
「は、はい……」
「後、盾はかなり用途が広い防具だってのは分かるよね、威嚇用にも打撃にも使える。さっきもエルドル君は盾で相手の視界を塞いでいたし、攻撃に使う武具を隠したりしていた。その辺を効率的に出来るともっといいと思う」
「わ、分かりました」
ノゾムはエルドルに率直な感想や意見を述べる。細かい鍛練法等は示せないが、自分がされたら嫌だなと思う手段を教えることはできる。
その時、ちょうど昼休みの終わりを告げる鐘がなった。
見物に来ていた周囲の生徒達も、一斉に自分の教室へと歩き始める。
エルドルはノゾムに一礼すると、友人達と一学年の教室へと戻っていき、ノゾムもまたアイリスディーナ達と一緒に3学年の棟へと向かった。
ノゾムが退院してから10日ほど。これが今のノゾムの日常だった。
「そういえば、今日は森に行くのだったか……」
「ああ、あの話ね……」
教室へ向かう途中、アイリスディーナがおもむろに言い放った言葉。
実は今朝方、ノゾムはアンリ先生からある連絡を受けていた。
それは、退院してから毎日していた補習に関する事。
“今日の補習は延期! ちょっと特別なことをするので~、森に向かってくださ~い!”
指定された場所はシノの小屋跡。なんでも、そこでノゾムの龍殺しの力も含め、色々と確認するらしい。
学園内で彼の力を使わせるわけにもいかないので、人気の無いシノの小屋跡で行うそうだ。
「まあ、いつか来るとは思っていたけどね」
ノゾムの実力。その細かな分析と並行して行う制御訓練。
ジハードがアルカザムに潜入していた諜報員の処分が終わり、本格的にノゾムの修練に力を注げるようになったということ。
そういえば、以前屍竜の襲撃で崩壊した小屋は、最低限の片付けしかしていない状態だった。
森の中の廃墟になってしまったとはいえ、きちんと片付けておいた方がいいのかもしれない。
それにリサとまだ話す時間が取れていないことも気になった。
「アイリス、リサの様子はどう?」
「……正直、あまり元気な様子ではないが、誰かから罵声を受けるということもない。やはり、君が彼女を声高に責めなかったことが、彼女を排他するような行動を抑制しているのだろうな」
あまりに多忙な為に、ノゾムは早朝から夜まで自分の時間が全く取れていない。そのため、今までリサと話す機会が持てずにいた。
だが自分が寝ている間、リサが学園でどんな様子だったかは、アイリスディーナ達から聞いている。
ノゾムが寝ている間は色々あったようだが、今はノゾムが特にリサを責めないこともあり、リサに対する風当たりは小康状態ではあるらしい。
近々、きちんと話す機会を作らないといけない。そんな事を考えながら、ノゾムは教室へと急いだ。
そんな彼の背中を、2人の少女が複雑そうに眺めていた。
放課後、ノゾムは仲間達と共に師匠の小屋を訪れる。
崩れ落ちた小屋の前にはジハード、インダ、そしてアンリの姿があり、彼らの足元には見たことも無い道具がずらりと並べれれていた。
「ノゾムく~ん! こっちですよ~!」
「アンリ先生、声を落としてください。人の目に付くような行為は……」
あいかわらず、どこか気合の抜けるアンリの声が響く。
一方、インダは覗き見られては困ると気負っているのか、どこか肩肘を張っているように見えた。
「大丈夫ですよ~。ここまで深い場所には人なんて来ませんよ~。それに、きちんと隠匿の結界も張りますから大丈夫です~」
「それはそうですが……」
「まあいいさ。ノゾム君達も来たのだ。アンリ先生の言うとおり、結界を何重にも張り巡らせれば問題ないだろう。その為の道具も用意しておいた」
相変わらず対照的な2人の間にジハードが割って入る。心配性のインダもとりあえず納得したのか、小さくうなずいた。
その様子を確かめたノゾムがジハード達に声をかける。
「遅くなってすみません」
「いや、かまわない。私達にも準備があったからな」
そう言いながら、ジハードが足元に置かれた様々な道具を一瞥した。
パッと見た感じ、ノゾムには何が何やら分からないものが大半だった。
ジハードはおもむろに後ろを向いてしゃがみこむと、ごそごそと道具の山を漁り始める。
「すまないが、私はもう暫く準備がある。手始めにノゾム君はインダ先生のところに行ってくれ」
「は、はあ……分かりました」
なにやら作業を始めたジハードを横目に、ノゾム達はインダの傍まで歩いていく。
「準備はいいですか?」
「ノゾムく~ん! よろしくね~!」
「はい。よろしくお願いします」
インダは学園で教鞭を取っている時とは違い、冒険用の服に身を包んでいる。
一瞥した限りはかなり軽い薄手の衣であるようだが、その表面には魔法発動用の陣がびっしりと描かれている。更にインダは、その手に分厚い魔道書を抱えていた。おそらく、これが彼女の戦闘時の衣装なのだろう。
隣にいるアンリもまた冒険用の衣装に身を包み、腰のベルトには愛用の鞭を携えていた
相変わらず子供のように元気一杯なアンリが跳ねる度に、彼女の豊満な胸が柔らかく跳ねる。
ノゾムは必死の思いでアンリの胸元に固定されそうな視線を逸らした。
「では、とりあえずノゾム君の魔法能力について、改めて確認しましょう。アイリスディーナさん達も一緒にやりますか?」
「いいのですか?」
「ええ、各々技量に差がありますが、魔法の発動と維持は基本中の基本です。復習する意味でも、行う意味はあるでしょう。もちろん、自主的に他の鍛錬をしてもかまいません」
その言葉に、仲間たちも各々魔法の鍛練を始めた。
幼いソミアと魔法の精度向上を目指すマルスがノゾムと一緒に訓練を行う。
アイリスディーナは即時展開の能力向上のために多数の魔力弾の形成と維持、シーナは魔力を放出して精霊と語りあい、トムは小屋跡周りの植物や土を調べながら、鞄から出した書物を読みふけっている。
そして各々が鍛練している中、フェオとミムルは野次馬に徹し、周りから顰蹙を買っていた。
「聞いた話によると、初級魔法を使うほどの魔力も無いということですが、足りない魔力はこれで補います」
ごそごそとインダが胸元から取り出したのは、爪の先ほどの小さな石だった。
その石は木漏れ日の光を反射して、鈍い白色に輝いている。
「これって、魔石ですか?」
「はい、あまり高価な魔石ではなく、実験にも使えない屑石ですが、初級魔法を使うには十分な魔力があります。ノゾム君、魔力制御は出来ますね?」
「はい。体内の魔力を循環させる程度ですが、魔法が使えないので、もっぱらそれのみをやっていました」
「よろしい。では始めましょう。魔石を持ってください」
インダがノゾムの手の平に魔石を乗せる。
「魔力を引き出したら次に詠唱を始め、光の玉をイメージしながら術式を構築してください」
インダの言われるまま、ノゾムは自分の手の平に乗せられた魔石に意識を集中させる。
ほのかに暖かい感触が手の平の一点から徐々に全身に広がっていく。
仲間達も一旦手を止めて、じっとノゾムの様子を見守っていた。
「そのまま、そのまま……」
魔石から湧き出す魔力を感じながら、ノゾムは詠唱を行う。
一言一句にイメージを込めて唱えると、やがて手のひらに広がっていた熱が一点に集まり始めた。
やがてノゾムが閉じていた瞳をゆっくりと開く。
目の前には白くほのかに輝く光球が浮かんでいた。
「とりあえず、魔力弾は形成できましたが……」
「なんだか、蝋燭の火みたいですね。風が吹いたら消えそう……」
だがノゾムが形成した魔力弾はあまりにも小さかった。くず石とはいえ魔石を使ったのに、作れたのは爪の先よりも小さい光球。
はっきり言って、儚いと言われる蛍の光のほうがまだ力強い。
「使用された魔力の大半が霧散してしまったみたいですね。今度は氷球を作って見ましょう」
同じように、今度は氷弾の形成を試してみる。
先ほどと同じように魔石の魔力を引き出し、詠唱で術式を構築する。
ゆっくりと時間を掛けて、詠唱を確かめつつ行った氷弾の形成。結果はというと……。
「今度はみぞれみたいな氷球が……」
氷弾というより、デザートといった方がいいようなシャーベット状の物体がノゾムの手の平の上でつぶれていた。
「ああ、そういえばこの前露店でこんな感じのお菓子を売っていたね。確か、“カキ氷”だったっけ? 絞った果汁をかけて売っていたけど、最近暑くなってきたから美味しいんだよね~」
「…………」
ミムルの率直な感想が、矢のようにノゾムの胸に突き刺さった。
確かに外見だけ見れば砂糖水や蜂蜜をかけたら美味しそうであるが、正直この場では全く嬉しくない。
しかも隣では自主練習をしていたソミアが、人の頭くらいの氷球を軽々と生成していた。その歳の少女にしては見事な魔法である。
彼女も姉に負けず劣らず才能豊かで努力家であるから、大きな氷球の形成が出来る事もわかる。
だが、正直11歳の女の子にすら負けている自分の魔法技術にノゾムは涙がちょちょぎれそうだった。
その後も様々な初級魔法を試すが、結果は散々。
風弾は風が纏まりきらずにそよ風になり、炎弾は光弾と同じような蝋燭の炎。石弾の形成は石になりきらずに砂になってしまう。
「結果としていえば……。正直エクロスの一般生徒の方が上手に魔法を使えています」
「ぐふっ!」
そんなノゾムに止めを刺すように、インダの評定が下る。
やや遠慮気味ながらも、率直なインダの感想。ノゾムの胸に新たな矢が突き刺さる。
「ノゾム君の場合、魔力制御というより術式の構築に問題があるようですね。どうやらノゾム君は詠唱式に適性が無いようです。今まで碌に魔法を実践できなかったことが響いているのか、それとも根本的に適性がないのかもしれません……」
確かにノゾムは今まで魔法の実践が全然出来なかった。魔法の試験も、正直追試によるペーパー試験で合格してきた。
もっとも、だからこそ刀術の修練に全力を注げたともいえる。
「逆に陣式であれば、ある程度は問題ないでしょう。足りない魔力を補うことが出来るのなら、陣式でも鍛練次第で中級くらいの魔法はなんとか使えるでしょう」
詠唱式には完全に適性が無い。しかし、陣式に関してはある程度問題がないだろうというのが、インダの意見だった。
これは多分、陣式は術式の制御を魔法陣に頼っているからであろう。これなら足りない魔力すらどうにかできれば、ノゾムも普通に魔法が使える可能性がある。
「足りない魔力を補うって……」
「典型的な方法としては、今回のように魔石を使う方法ですね」
確かに足りない魔力を魔石で補うというのは、大陸中であちこち見られる方法だ。
とはいえ、魔石は基本的に高価なものだ。まったく手が出ないというわけではないが、高いものとなるとノゾムの財布では到底買えるものではない。
「儀式体術とかじゃダメなんですか?」
真っ先にノゾムの脳裏に浮かんだのはミカグラ流の技である“輪廻回天”だった。
あれは周囲の魔力を集めつつ強化魔法を行う技。これなら足りない魔力を補えるかもしれない。
だが、ノゾムの意見はにべもなく否定された。
「今のノゾム君では不可能でしょう。あれは術式の制御を体さばきに頼っていますが、中断しても強化魔法の効果は残っていますし、素早く別の術式に意識を切り替え、制御しなければなりません。たとえるなら全速力で走る馬車に次々と飛び移っていくような行為です」
魔法の同時行使は高度な技術の一つ。
特に必要なのは、術式の並列処理。ノゾムが不得意としている術式の分野だった。
「ノゾム君はジハード先生との模擬戦で儀式体術を用いて“顎落とし”を弾いていますが、その際に魔力を制御しきれず裂傷を負っています。術式に使われなかった余剰魔力だけでそれなのですから。
ノゾム君はそこに別の術式制御まで同時に行う自信はありますか?」
「……ありません」
エクロスの生徒にも及ばないノゾムの魔法技術で、魔法の同時行使などできるはずもなかった。
ノゾムはがっくりと肩を落としながら、ドヨーンと沈んだ声を漏らす。
「まあ、その辺りは今後の鍛錬次第でしょう。今は術式の制御に慣れること。陣式の習熟に専念するといいと思います」
「わ、分かりました……」
「さて、ジハード先生の準備もできたようですし、本番を始めましょう……」
「……はい」
気持ちを切り替え、ジハードの元へ行くと、彼は既に準備を整えていた。
ひと抱えほどもある大きな装置。卓のように平たい頂部には複雑な魔法陣が描かれており、その魔法陣の上には鮮やかな5色の石が同心円状に置かれていた。
なんかしらの魔法具であることは間違いない。しかし、ノゾムにはそれがどのような物なのか、皆目見当がつかなかった。
「さて、これから能力抑圧を開放して、私達と戦ってもらう。相手は私とインダ女史、そしてアンリ女史の3人が勤める。君の龍殺しの力の再確認だ」
「さ、3対1!?」
ジハードの宣言にノゾムは思わず驚愕の声を漏らした。
大陸でも十数人しかいないSランクに名を連ねるジハードと、Aランクでも間違いなく上位に位置するアンリ。
ノゾムはインダの実力に関してはよく知らないが、ジハードの右腕を務める人物がアンリより弱いはずがない。
そんな3人をまとめて相手にするなど、丸腰でサイクロプスの群れの前に躍り出るような行為だ。無理無茶無謀の3拍子である。
「君の正体を考えれば当然の措置だろう。むしろこちらが戦力不足かも知れんな」
ノゾムの本心を察してか、ジハードが妙にいい笑顔を浮かべている。
そんな彼の言葉に、ノゾムは思わず「いやいや、過剰戦力です……」と呟いた。
「さて。それでは始めよう」
そんなノゾムの本音をジハードはさっさと脇に放り投げ、足元の装置に手をかざす。
次の瞬間、装置に描かれた魔法陣に魔力光が走る。
同時に卓上の5つの石、ジハードがゾンネから受け取った“五鱗石”が輝き始め、強力な力場が展開される。
「とある筋から手に入れた魔法具で、強力な隠匿の結界を張るものだ」
「さらに~、私達も結界を張っておきま~す」
魔法具によって展開された結界を覆うように、さらにアンリが結界を展開する。
結界の展開が終わり、ジハードが背負っている巨剣“顎落とし”を引き抜いた。
要塞を思わせる巨躯から、じんわりと冷たい覇気が漂ってくる。
ジハードの後ろに控えるインダたちも、各々の獲物を構えた。アンリが愛用の鞭を手に取り、インダが手に持った魔道書に手をかざす。
ノゾムもまた腰を落とし、携えた刀の柄に手をそえる。
「ん?」
だがその時、ノゾムは妙な感覚を覚えた。何やら自分たちが俯瞰されているような、奇妙な感じ。
「ノゾムく~ん。どうかしましたか~?」
「いや、何かこう……、違和感を覚えまして……」
首をかしげるノゾムに、アンリが間延びした声をかける。
「今回は相当強力な結界を張ったからな。その影響を感じているのであろう。準備はいいか。始めるぞ」
「あ、は、はい!」
とりあえず感じた違和感を思考の隅に追いやり、ノゾムは目の前に集中する。
「では、いきます」
そして、模擬戦が始まった。
先手を打ったのはジハードの後ろに控えていたインダだった。
一瞬で人の上半身ほどある炎塊を作り上げ、ノゾムめがけて打ち放ってくる。
ノゾムは慌てて横方向にすっ飛んでその場から離脱した。
次の瞬間に炎塊が地面に着弾。轟音とともに地面を焼き、火の粉と衝撃波を四方にまき散らせる。
衝撃波に呑まれ、地面をゴロゴロと転がったノゾムが素早く身を起こす。
だがその時には、インダは既に次の炎塊を作り上げていた。
「は、はや!」
再びインダの魔法が射出され、ノゾムは着弾の衝撃に呑まれる。
さらにインダは“氷柱舞”“尖岩舞”“風洞の餓獣”等、中級魔法を惜しげもなくノゾムに浴びせ始めた。
その展開速度はアイリスディーナの即時展開に匹敵する。
「どあああああ!」
魔法の渦に呑まれ続けるノゾムの絶叫が、シノの小屋跡に響く。
一見すると異常な光景。しかし数か月前までは日常的に見られた光景だったりする。
インダはある程度魔法を放つと、一旦攻撃を中断した。
ノゾムがいた周辺では魔法の着弾で土煙がもうもうと舞っている。
「ペッ、ペッ! うわ、口の中がジャリジャリだ……」
そんな土煙の中から、ノゾムが口に入りこんだ土を吐き出しながら現れた。
「割と本気で放ったのですが、やはり無傷ですか」
「無傷じゃないですよ! あちこちすり傷だらけです!」
「普通の生徒なら2発目で失神しています」
「……にしては3発目以降の魔法に躊躇がなかったような気がしますが?」
「貴方の技量が他の生徒と一線を画しているのは分かりきっています。むしろこの訓練は“その力”を使わざるを得ない状況を想定した訓練の一環ですよ?」
「おっしゃる通りでございます……」
確かに、この訓練はノゾムが取り込んだ“龍の力”の制御訓練であり、その為にこのような場を整え、学園最高峰の戦力をこれだけ用意したのだ。
先ほどの先制攻撃も、ノゾムが能力抑圧を解放せざるをえない状況を再現するためだろう。
「ふう……」
ノゾムはゆっくりと息を吐き、全身の力を脱力させた。彼の眼にボウッと、体に巻きついた不可視の鎖が浮かんできた。
ノゾムはその鎖をぎゅっと引っ掴む。
「ノゾム! 本気でやれよ!」
「せっかくだ!全員ぶっ飛ばす気持ちで戦ってこい!」
「インダ先生の魔法は手数重視よ! 下手に距離をとると相手の勢いに呑まれるわ!」
「ノゾムさ~ん。 頑張って~!」
仲間達の声援が聞こえる。
胸の奥から湧き上がる熱。自然とノゾムの口元が緩んだ。
高まっていく戦意。それに反応したジハードの目が細まる。
「いきます……」
確かな覚悟と静かな声と共に、ノゾムは不可視の鎖を掴んだ手を思いっきり引っ張った。
次の瞬間、ガラスが砕けるような音と共に、爆発的な力がノゾムの全身から四方八方に放たれた。