閑話 宴会にはご注意を 前編
閑話となっていますが、一応本編にも絡んでいます。
事の始まりは、ケンが引き起こした一連の事件で寝込んだノゾムが、退院した直後の事。
お祭り好きのフェオとミムルが、ノゾムの退院祝いを牛頭亭でしようと言い出したことが発端だった。
アイリスディーナやソミア、ティマをはじめとした女性陣も、この宴会を行う事に賛成。
身内だけのささやかな祝いの場という事で、牛頭亭代表(仮)のマルスも場を提供する事を了承した。
牛頭亭を切り盛りしているハンナさん達に話を通し、それぞれ準備を終え、ノゾムに内緒で彼を牛頭亭に呼び出した。
そして何も知らずに牛頭亭を訪れたノゾムが店の扉を開けた瞬間に、一気にネタバレ。
「ノゾム、退院おめでとう!」
アイリスディーナの掛け声とともに、フェオとミムルが用意しておいた紙吹雪をノゾムめがけて撒き散らす。
突然の出来事に目を白黒させているノゾムの手をアイリスディーナとシーナが引いて席に座らせる。
ノゾムが席に座ったタイミングを見計らって、マルスとエナが次々と料理を卓に並べ始めた。
「……え、え? 何これ?」
「見てのとおり、ノゾム君の退院祝いよ」
「まあ、驚かせようと思って内緒にしていたからね。昨日フェオ君達から突然提案されて、突貫で準備したけど、驚いてくれたのなら掴みは上々かな」
いまだ呆然としているノゾムにシーナとアイリスディーナが事情を説明する。
そんな間にもマルス達が運んできた料理がノゾムの鼻腔を刺激していた。
香草と一緒に香まで焼かれた鳥や、一日掛けて煮込んだスープが湯気を立たせ、ノゾムの胃袋を刺激していく。
寝込んでいる間は食事を殆ど取れず、目を覚ました後も胃腸が弱っていて、流動食が主だった。そのせいか、香りをかいだだけで唾液があふれ出してくる。
だが何より、仲間達の心遣いがノゾムの胸を熱くした。
「みんな……」
「ノゾム、何か一言……と言いたいけど、無粋みたいだね」
「そうね、さっと始めましょうか」
感激しているノゾムにアイリスディーナ達が微笑む。
それ以上の特別な言葉は要らなかった。ただ暖かい温もりだけが心に満ちていく。
しばらくして、その場にいた全員にジュースが配られた。酒の類はテーブルには出ていない。
これは牛頭亭のエナがマルスに酒禁止を通達していたためだ。
今回の宴は幼いソミアも参加しており、以前に酒関係の騒動で店を騒がせてしまったこともあったため、当然の措置といえる。
準備段階で酒が飲めると内心喜んでいたマルスはエナの酒禁止通達に不満だったが、当然ながらエナの鋭い眼光を向けられ、沈黙させられていた。
宴の始まり。その音頭をとるのは提案者であるフェオとミムルだった。
だが、この2人がまともな挨拶をするはずも無かった。
「よっしゃ、それじゃノゾムの退院と言う名目でのドンジャン騒ぎにみんなよう集まってくれた!」
「いきなり俺の事が脇に置かれた!?」
「今日は私とトムの婚前祝いに参加してくれてありがとう!」
「ミムル何言っているの!? そんな話聞いた事ないよ!?」
「「それでは皆さん! 今日は飲んで食べて騒いでたのしみましょう! かんぱ~い!」」
「話を聞けよ!」「話を聞いてよ!」
まだ宴も始まっていないのに、最初から全速力の狐さん。それに負けず劣らずの猫さん。
宴の主目的をいきなり放棄する言動に、ノゾムとトムから猛烈なツッコミが入る。
しかし、その程度の抗議をこの二人が聞き入れるはずも無い。
他の仲間達もいまさら突っ込んでもしょうがないと諦めているのか、苦笑を浮かべ、手に持った杯を一気に傾けていた。
いきなり置いてきぼりを食らったノゾムとトムも、半分やけくその気持ちで杯の中身を一気に呷る。
ほのかな果汁の香りと甘みが口いっぱいに広がった。
飲んだ瞬間にシュワシュワとした刺激が喉を打つが、不快感はまるで無く、むしろそれが果汁の甘さをさらに引き立てている。
今まで呑んだこともない味のジュースだが、とても美味いと言えるものだった。
「今日用意したのは、ワイが街の行商から手に入れた“炭酸水”って言うので作ったジュースや」
「へえ、初めて飲むけど、刺激的な飲み物だね」
「酒が飲めないのは残念だが、これはこれでイケるな!」
トムとマルスが始めて飲む炭酸ジュースの刺激に顔をほころばせている。
酒が飲めないことは不満だったが、舌の上で弾ける新しい刺激に、マルスの不満も霧散していた。
「久しぶり飲んだけど、これって相変わらず舌がヒリヒリするな……」
「アイリスディーナさんは飲んだことがあるの?」
「故郷のパーティーでも出されたことがあるからね。初めて飲んだときは、正直針の塊を飲んでしまったような気分だった」
シーナの問いかけに“今ではすっかり慣れたけどね”と付け加えながら、アイリスディーナはゆっくりと杯を傾ける
その仕草はやはり貴族の令嬢らしく、妙に気品があふれるものだった。
ノゾムとしても、この炭酸ジュースが美味いものであることに異論はなかった。胸に蟠るモヤモヤを吹き飛ばそうと、一気に自分の杯を飲み干す。
「んぐ、んぐ……ぷは~! ちくしょう! 宴会のダシにされたのに、出された物が妙に美味くて怒る気になれない!」
そして美味いものは人の高ぶった怒気をも沈める。ノゾムがちらりとフェオに視線を向けると、彼はニヤリと口元を釣り上げ、いい表情で親指を突き立てた。どうやらこの飲み物で怒りを削ぐ事すら計算に入れていたらしい。
その時、ニヤニヤと口元に薄笑いを浮かべたマルスがノゾムに声を掛けてきた。
「まあ、このくらいのサプライズがあってもいいんじゃないか」
「サプライズって言うのか、あれ……」
「下手に堅苦しい挨拶は学園だけで十分さ。お前の退院を祝うと言う趣旨はきちんとあるんだぜ?」
確かにマルスの言うことはもっともで、そうでなければノゾムも準備を頼まれていただろう。
牛頭亭に入ってきた時にノゾムを歓待した仲間達の笑顔は確かに本物で、彼の無事を安堵していたのは間違いないのだから。
「それに、イジられるうちが華だろう?」
余計な一言を付け加えると、マルスは面白そうに口元を釣り上げた。
「……俺の記憶が確かなら、お前もイジられ役でツッコミ担当じゃなかったか?」
マルスの余計な一言に、ノゾムも素直に感謝する気がそがれたのか、ぞんざいな口調で返答してしまう。だが2人の間に険悪な空気は微塵も無く、どこか安堵を感じる光景だった。
「さあ~な。今日の主役はお前だからな。今日は外野でしっかり楽しませてもらうぜ」
人の悪い笑みを浮かべたまま、マルスは宴へと戻っていく。
「ちくしょう、いきなり主賓という名のイジられ役かよ。トム、お前は……」
「ミムル! 婚前祝いってどういうこと!? 僕、聞いていないよ!?」
「大丈夫、分かっているわ! トムはまだ錬金術の研究したいのよね。任せて! 私、立派なお嫁さんになってトムを支えるから!」
あちらの方はどうやら冗談ではなかったらしい。
なにやらトムが人生の墓場へ直行しそうな会話が繰り広げられている。
ノゾムはとりあえずトムへの声掛けを一旦中断し、事のなり行きを見守る事にした。外野に逃げたとも言う。
「もちろん、トムのお嫁さんになるにはまだまだ色々足りないわ! だからもっと花嫁修業をしないといけないと思うの」
「ねえミムル、僕の話を聞いてる!? ……これ何?」
トムの言葉をさえぎるようにミムルが皿に盛られた料理を彼に差し出した。
深皿の上にはこんがり焼かれたパイ生地が盛り上がっている。一見すると何かのパイ料理に見えるが……。
「トムに食べてほしくて作った新しい料理よ! 愛情を一杯入れて作ったわ!」
腕によりを掛けた料理らしく、焼かれたパイ生地の香ばしい香りが漂っている。
しかし、トムの表情はまるで死刑を宣告された囚人のように青ざめていた。
「いくつか試作品作ってみたんだけど、これが一番上手に出来たの! 食べて!」
確かに美味しそうな香りだ。しかし、かつて彼女の料理の危険性を、身をもって味わったノゾムとしては、正直彼女の料理を見るだけで背筋の悪寒が止まらなかった。
それに彼女は先ほど試作品と言っていた。という事は、その試作品は今どこに……。
「きゃああ! あんた! 一体どうしたの!」
「もしかして……」
その時、牛頭亭のキッチンから絹を裂くような悲鳴が響いてきた。
ノゾムが慌ててキッチンに飛び込むと、床にこの店の主人であるデルが床に倒れ伏している姿が目に飛び込んできた。
キッチンの卓上には、ミムルが作ったであろう試作品の料理がいくつも並べられている。食べかけの試作品があることから、デルがこのパイ料理を食べてしまった事は間違いなさそうだ。
「ああ、やっぱり……」
ミムルが時折作り上げてしまう超絶的な不思議料理。あらゆる味覚を共存させる奇跡の腕前は、しっかりと発揮されていたようだ。
幸いなのが、この料理ができるのは完全なランダムで、普段はしっかりと食べられる物を作るというところだろうか。
いや、いつ当りを引くか分からない恐怖を考えると、むしろマイナス要因しかないかもしれない。
デルの介護をエナとハンナに任せ、ノゾムはとりあえず宴の席に戻った。
「今回の被害者はデルさんだった……」
「そ、そっか。申し訳ないと思うけど、ある意味助かったのかな……」
青ざめていたトムの表情に安堵の色が浮かぶ。
デルが食べたパイが“当たり”だったと言う事は、おそらく他のパイは大丈夫だろう。
安堵の息を漏らしながらも、トムはミムルのパイに手を付け始めた。
スプーンでパイの衣を割ると、中から熱々のシチューが漏れ出してきた。どうやら彼女が作ったのはシチューパイらしい。
キノコや鳥肉、季節の野菜をふんだんに使ったソースが、割ったパイ生地に染み込んでいく。
きっと食べればサクサクとしたパイ生地と濃厚なシチューが、口の中ですばらしいハーモニーを奏でるだろう。
周りでにぎやかに騒ぐ仲間達も、笑顔でミムルのシチューパイをパクついていた。
自然とノゾムの喉も鳴る。
「ま、まあ。結婚は早すぎると思うけど……とりあえず、いただきます」
トムがシチューパイを口に運ぶ。パイ生地が割れる軽快な音が、ノゾムの耳にも聞こえてきた。
だが次の瞬間、トムの目が一気に見開かれた。
「ぐっ!?」
「……え?」
驚きの表情で固まったトムが、そのままテーブルに倒れ伏した。
ピクンピクンと痙攣を起こしているそのさまは、先ほどのデルと全く同じ。
「……もしかして、こっちも“当たり”だった?」
どうやらトムが食べたパイも当たりだったらしい。
他の仲間達は今も美味しそうにシチューパイを食べているところを見ると、あちらは大丈夫のようだ。
“当たりは一つとは限らない”
そういえば、以前のサンドイッチの被害者もノゾムとフェオの二人だった……。
目の前の惨状に戦々恐々としながらも、ノゾムはとりあえず目の前に置かれたシチューパイをそっとテーブルの端に寄せて見なかったことにした。
視界の端でミムルが「トム、気絶するほど美味しかったの! うれし~~!」とか言っていたが、当然無視した。病み上がりの身であのミラクル料理への対処は無理だった。元気な時でも食べたくなど無いが……。
その時、ハキハキとした元気のいい声がノゾムの耳に響いてきた
「ノゾムさん。退院おめでとうございます!」
満面の笑みを浮かべてノゾムに駆け寄ってきたのはソミアだった。
彼女の後ろにはアイリスディーナとシーナの姿もある。
「ああ、ありがとうソミアちゃん。アイリスとシーナもありがとう」
「気にしなくていいぞ。当然のことをしているだけだからな」
「パーティーの準備といっても、私達は大した事をしたわけじゃないわ」
「いやそっちだけじゃなくて……その、俺が寝込んでいる間のことも含めて」
ノゾムはちょっと恥ずかしそうに苦笑を浮かべながら、アイリスディーナ達をまっすぐ見つめる。
そんなノゾムの視線に、アイリスディーナ達は恥ずかしそうに目をそらした。
「ええっと……」
「俺を診察してくれた女医さんから聞いたよ。毎日意識のない俺を看病してくれたって。
大した恩返しをできるわけじゃないけど、せめてお礼だけは言わせてほしい。本当にありがとう」
「い、いいのよ。その、私達だって貴方に助けられたんだから……」
「そ。そうだな。前にも言ったけど、私もソミアも君には返しきれないほどの恩があるんだ。このぐらいは当然だろう」
飾りのない、真っ直ぐなお礼の言葉に、2人は自分の顔が熱くなっていくのを感じた。
増していく気恥ずかしさを誤魔化そうと、2人はノゾムの言葉を遮る。しかし、ほのかに紅に染まった頬はまったく隠すことができなかった。
「返しきれないくらいの恩って……。俺もあの時助けられたんだけどな……」
だが、ノゾムの攻勢は収まらない。
彼としても、アイリスディーナ達に返しきれない恩を感じていたのは偽りない本心だからだ。
暴走しかけた自分を命の危険を顧みず救ってくれた。そして、未だに爆弾を抱えたままの自分を受け入れてくれている。
ノゾムとしても、これ以上のことはない。
とはいえ、アイリスディーナ達としてはこれ以上攻撃されたら堪らない。
ノゾムが意識不明に陥ったことで自分達の気持ちを自覚した今となっては、彼の無事と先ほどのお礼は、百の贈り物よりも心に響くことだ。
しかし、同時にアイリスディーナ達が感じていた恥ずかしさは天元突破し、もはや憤死してしまうのではと思えるほどになっていた。
「な、なら、お互い様だ……」
「分かった。ありがとう」
なので、アイリスディーナは無理やり話を終わらせた。
擦れるような小さな声だったが、ノゾムも最後に改めて礼を言うと、それ以上話を蒸し返したりはせず、恥ずかしそうに頬をかくだけだった。
まあ、第3者から見れば“全員もげろ!”と罵声を浴びせたくなるような光景ではあることは間違いない……。
アイリスディーナ達はそのままノゾムのとなりの席に腰を下ろすと、手に持った飲み物を飲みながら雑談に興じ始めた。
丸いテーブルを4人で囲む。ノゾムの両隣にアイリスディーナとシーナが座り、正面にソミアが席についている。
色々と話に興じている内に、シーナがソミアにあることを問いかけた。
「そういえば、ソミアさんは魂に魔道具を取り込んでいるのよね? 問題はないの?」
「霊炎の炉のことですか? う~ん……私は今年の誕生日までそんなことになっているとはぜんぜん知らなかったですが、別に今まで前触れもなく具合が悪くなったりしたことはないですね」
ノゾムとは違う形だが、ソミアはその魂に異物を取り込んでいる。それが彼女に悪影響を及ぼしていないか、気になったのだろう。
だがシーナの懸念は、あっけらかんとしたソミアの言葉にすぐさまかき消された。
その時、シーナがソミアの秘密を知っていたことに、ノゾムが驚きの表情を浮かべる。
「というか、シーナも霊炎の炉のことを知っていたの?」
「ええ、前に貴方の力についてアイリスディーナさんに尋ねた時、一緒に聞かされたのよ」
シーナの言葉を聞いて、ノゾムは納得の表情を浮かべた。
確かに、以前と屍竜との一件でノゾムとの仲が険悪になった際に、彼女はアイリスディーナからノゾムの力についての話を聞いている。
あの時のアイリスディーナが彼の力について説明するなら、ウアジャルト家との密約とソミアの秘密についても話す必要があっただろう。
フランシルト家が数百年前にウアジャルト家と行った密約は、フランシルト家にとって、外部の人間には知られたくないことだ。
だがアイリスディーナとしてはそれを話してでもノゾムを優先した。
そんな彼女の気持ちにノゾムは胸が熱くなるが、同時にいらぬリスクを背負わせてしまったことを申し訳なくも思った。
だが、その気持ちを顔に出したりはしない。実際、話を聞いているアイリスディーナの表情に後悔の色はなかった。ここで下手に“話させてしまってすまない”と彼女に謝罪することは、彼女の意思を踏みにじる行為でしかないとノゾム感じたからだ。
喉元まででかかった言葉を飲み込もうと、ノゾムは杯の中身と一緒に飲み干す。
そういえば、その密約の件はどうなったのだろうか?
ノゾムは率直な疑問をアイリスディーナにぶつけてみた。
「そういえばアイリス、ウアジャルト家との交渉についてはどうなったの?」
「話を聞いて、父様が直ぐに動いた。外部に漏らすわけにいかないから秘密裏に交渉を進めているらしいが、ほぼ解決したらしい
父に仕える腹心のメイドから書が届いて知らされたよ」
「そう、か。よかった」
アイリスディーナの言葉に、ノゾムはハァ~と安堵の息を漏らして大きく肩を落とした。
「腹心のメイドって……」
「メーナという女性だ。昔から父上に仕えていて、若い頃は母様の御傍仕えもしていた。
とてもよくできた女性なんだが、厳しい人でもあったな」
「私もお勉強とかお作法とか色々と教わりましたが、よく叱られました。そういえば、最近姉様に色々と送ってきているようですが……」
「ああ、あれか……」
ソミアの言葉に何か思い出だしたのか、アイリスディーナが唐突にため息を漏らして天を仰いだ。その表情は、どこか呆れを感じさせる。
彼女としては珍しい哀愁漂う姿に、シーナが声をかけた。
「一体何を送られていたの?」
「まあ、大したものじゃないよ。彼女が送ってくるのは私の婚約者候補についての書類だから」
「こ、婚約者候補!?」
ノゾムの口から思わず大きな声が漏れる。
一方、アイリスディーナは特に動揺もせず、仕方がないといった表情を浮かべていた。
「別に珍しいことじゃないよ。ソミアにも送られてくるし」
「そういえば、前にそんなことを言っていたような……」
ノゾムは呟きながら、以前ソミアとのデートで聞かされた内容を思い出していた。
そんなノゾムの様子に、ソミアが軽い口調で送られてきた書類について語り始めた。
「はい。今月は5通ほど送られてきましたね」
「私は20通だ。まだ未熟者の私には夫など早いというのに……」
月に20通とすれば、年間240通。言い換えれば、それだけ数多くの有力者が、アイリスディーナとの縁談を望んでいるということだろう。
ソミアにしても、まだ11歳にもかかわらず月5通。正直、ノゾムにはまったく想像のつかない話だった。
「メーナが言うには“良縁は早いほうがいい!”とのことです」
ソミアが軽い調子で話を続けているが、それにしても縁談の話が多すぎるのではないだろうか。
唖然とするノゾムをよそに、一般人には一生縁のない姉妹の会話に割り込んだのは、意外にもシーナだった。
「そちらにもそのような事があるのね」
「シーナ君にもあるのか?」
「ええ、エルフは大侵攻のせいで数が激減したから、老人達は若い者達を結婚させようと必死なの。実際、私にも縁談が来たことがあるわ」
ノゾムにはこれまた予想外な話。だが良く考えれば、こちらも納得できることだった。
「相手はどんな方だったんですか?」
「今、エルフの街を切り盛りしている有力者の一人よ」
「へえ、すごい期待じゃないか。でもシーナ君の精霊魔法を思い出せば、納得できる話ではあるな」
興味津々のソミアと納得顔で頷くアイリスディーナ。そんな2人の反応に、シーナは手を振って苦笑を浮かべた。
「私というより、私の姉と母の影響が大きいわね。2人は大樹の精に仕える巫女の一人だったから」
ノゾムには想像もつかないが、大樹と言うことはフォスキーアの森の中央にそびえていた巨木のことだろう。
エルフの故郷。大侵攻によって陥落するまで、難攻不落の城壁にたとえられるほどの堅牢さを誇っていた森。その要たる巨木だ。
シーナの話では強い精霊力を持つ巫女達が20人近く巨木の世話をし、儀式を通して大樹と意志の疎通を行うことで、森全体に霧を立ちこませ、外敵の侵入を防いでいたらしい。
その巫女に、シーナの姉と母も選ばれていた。
それを考えると、彼女の強力な精霊魔法も納得できる。魔道具やティマのサポートもあったとはいえ、彼女は先の事件でアルカザム全体をカバーできる魔力網を維持していたのだから。
「何だか……。本当に貴族の世界なんだな……」
まるで遠い国の出来事のように感じたノゾムが、思わず口にした言葉。
それを聞いた女性陣は、あきれたと言うように皆一様に溜息を吐いた。
「何を人事のように……」
「ノゾムだって人事ではないぞ。君の龍殺しが知られたら色々と理由をつけて縁談を組もうとする人間があちらこちらから湧いてくるぞ」
「あ……」
シーナとアイリスディーナの指摘に、ノゾムは思わず声を漏らした。
「予想していなかったの?」
「いやまあ。そっちよりも人体実験とか、戦場に送り込まれるとか、そっちに意識が向いていたから……。でも、龍殺しの能力って遺伝するのかな?」
歴代の龍殺しが、妻や愛妾など、女性との間に子供を儲けたという書物は大陸でも時々見受けられる話だ。
父親の強大な力を引き継ぎ、英雄となったという物語もあれば、何の才も無く市井の民の中へ消えていった話もある。
また東へ渡ったとされるものや、湖の中にある幻の都へと消えていったなど、その物語の種類は様々だ。
しかし、歴代の龍殺しだけでなく、その子供に関しても色々と後付けがされた形跡があり、信憑性の薄いものが多い。
「それに関しては全く例が無いわけじゃない。それに能力が子に伝わらなくても、君という存在を縛る鎖にはなる。相手の女性も、そして生まれてくる子供もね」
実際、龍殺しが国を成したと言う物語を伝える国がある。
フォルスィーナ国の隣に位置するクレマツィオーネ帝国がそうだ。
かつて千年ほど前に、龍殺しが初代皇帝となったと言い伝えられる国家があったらしい。その初代皇帝も数多の妃を娶り、多く子を成した。
しかしその死後、その血筋による権力争いで、数十年もの間、国が荒れた過去がある。
その騒乱の中でその国は分裂、衰退、合併を繰り返し、クレマツィオーネ帝国になったらしい。
だがその龍殺しの血は騒乱の中で失われ、今現在その血を伝える者はいないらしい。
昔から勇者、権力者を問わず、多くの賢人達を縛りつけてきた要素。
金、女、権力。
龍殺しと呼ばれる、人間世界における最強の不確定要素に関しても、結局はそのどれかに縛られていた。
「だけど、龍殺しの血って対外的なカードでも十分すぎるよね?」
「そうだ。だが、同時にリスクもある。自分達では制御しきれない力の暴走、切り札を保有することで増すであろう外圧と内部の不穏分子、さらに複雑に絡み合った利害関係が予想不可能な自体を引き起こす可能性もある。それらを懸念する人も出てくるだろう」
「頭が痛い話だ……」
ノゾムはあまりに不安要素の多い将来に頭痛を覚えた。
どこか他の勢力の庇護下に入っても、結局はどうなるか分からない。
「だが、実際にバレた時の事を考えると、どこかに属しておいた方がいい面もある。色々としがらみはあるが、最低限社会的に孤立する事は避けられるからな」
「でも、いきなり縁談とかいわれてもなぁ……」
婚姻と言うのは、特定の勢力と繋がりを深めるには最も簡単で、最も確実な手だ。龍殺しの初代皇帝が、多くの妃を娶った理由もわかる。
しかし、ノゾムとしてはどうしてもそれに違和感を覚えずにはいられないのだ。
胸の奥がモヤモヤする感覚。それを振り払うように、ノゾムは手近にあった鶏肉をほおばった。
「ノゾムは……やっぱりこの手の話は苦手か?」
「苦手というより、想像できない……いや、頭ではわかっているんだけど、やっぱり納得できない自分がいる。それに、俺は……」
「なんやなんや、辛気臭い顔して。せっかくのパーティーなんやからもっと楽しそうな顔しようや」
「うお!」
大声とともに、フェオがノゾムの背中にのしかかって来た。ノゾムは危うく手に持っていたコップを落としそうになる
「おいフェオ。危ないだろうが」
「まま、お代官様もう一杯!」
「誰がお代官だよ……」
ノゾムの突っ込みも無視しながら、フェオはノゾムの杯にジュースを継ぎ足していく。
そのままアイリスディーナ達の杯にもジュースを継ぎ足すと、そのままソミアとシーナの間の席に腰を下ろした。
「なんやら縁談だの結婚だの楽しそうな話をしとるみたいやないか。で、誰の話? ノゾムか黒髪姫? それともシーナ? まさか姫嬢ちゃんとか……」
「まあ、あえていうなら全員?」
興味心身といった様子で身を乗り出してくるフェオに一抹の不安を感じるが、ノゾムはそのまま先ほどの話をフェオに語った。
「なるほどなるほど。確かに黒髪姫やシーナの話も分かる。姫嬢ちゃんに月5通も縁談が来るのはちょっと驚いたけど」
ウンウンと納得しながら、フェオは料理に手を伸ばしながら話を続ける。
お世辞にも行儀がいいと言い難いが、シーナも仲間だけのパーティーということで特に野暮なことはいう様子はなかった。
「で、どんな奴が婚約者候補に名を連ねていたんや? シーナのところもかなり有名人みたいやけど、黒髪姫や姫嬢ちゃんの相手も気になるな~」
「フェオ、お前な……」
無遠慮に尋ねるフェオにノゾムが苦言を放つが、フェオは特に気にした様子もなく
「だ~って、気になるやんか! ノゾムは気にならんの?」
「…………」
フェオの言葉に、ノゾムは一瞬言葉を詰まらせた。
将来の彼女達の相手。それはいったいどんな男なんだろう。
言いようのない感情がムクムクと鎌首をもたげていく。
「……この手の話は無理に聞き出すことでもないだろ」
ノゾムは胸にわだかまる感情を振り払うように、杯を傾ける。
乗ってこないノゾムに不満顔のフェオだが、仕方ないというように肩をすくめる。
しかしフェオはにんまりと口元を吊り上げると、アイリスディーナ達にとんでもない質問をぶつけた。
「じゃあじゃあ! 3人はどんな相手と結婚したいと思っとるんか?」
「ぶふっ!」
直球ドストレートの質問に、ノゾムは思わず飲みかけていたジュースをふき出した。
「う、うむ。そうだな……」
「…………」
騒がしかった牛頭亭の中に、一瞬静寂が流れる。
すらりとした足を組んで背筋を伸ばしているアイリスディーナだが、なぜかそのあちこちが宙を泳いでいる。
シーナは小動物のように身を縮こませ、両手に持った杯に口を当てたまま、彫像のように固まっていた。
異なる仕草を見せる2人。しかし、その頬はほんのりと紅くなり始めていた。
「おいフェオ……」
「はい、ノゾムはちょっと黙っててな~」
「ムゴ!」
フェオは割って入ろうとしたノゾムの口に、手近にあったパンを突っ込む。
保存を考えて硬く焼かれていたパンを口いっぱいに詰め込まれたノゾムは吐き出すこともできず、モゴモゴ意味不明な音を発するのみ。
ノゾムは何とか呼吸を確保しようと、必死に口に詰め込まれたパンを吐き出そうともがく。
そんなノゾムを眺めながら、フェオはそっと2人の耳元でささやいた。
「まあ、2人は最近特に気になる人がおるようやけど……」
その言葉に、紅くなり始めていた2人の頬が、一気に朱に染まった。
アイリスディーナの黒曜石のような瞳が見開かれ、その奥がユラユラと揺れる。その視線はチラチラと隣でもだえる男の子を覗き見ていた。
シーナは顔を先程よりさらに俯かせ、もうテーブルの下に隠れそうなほど小さくなっている。
「そ、そうだな……やっぱり背中を預けたいと……」
「ぷはあ! フェオ、死ぬかと思ったじゃないか!」
「ちっ! もう復活したんかい……」
ノゾムはなんとか口の中身を飲み込み、呼吸を確保。
心底残念そうに、フェオは舌打ちをしていた。ノゾムの額に青筋が走る。
あまりに息苦しさにノゾムはアイリスディーナが何を言っているかぜんぜん分からなかったが、さすがに文句の一言くらい言ってやろうと口を開く。
その時、フェオの隣にいた少女が、可愛らしい声でとんでもない爆弾を投下してきた。
「あっ私、ノゾムさんみたいな人がいいです」
「……エッ?」
その瞬間、牛頭亭内の空気が文字どおり凍りついた。