第7章第8節
ノゾムが覚醒したとの報を受けたジハードとインダは、すぐさまグローアウルム機関に出向いた。
彼の病室に入ってみると、室内にはアイリスディーナ達だけではなくマルス達の姿もある。
ノゾムは覚醒してすぐに女医から精密検査を受け、今まさに結果を聞かされるところだった。結果が気になるのか、皆の表情は硬い。
「で、彼の身体については?」
「はい。至って健康体です。多少筋力が低下していますが、それも訓練次第ですぐに戻るでしょう」
問題なし。この言葉を聴いた瞬間、誰もがホッと肩の力を抜いた。
一通りの説明を受けた後に女医が退室すると、マルスがコツンとノゾムの頭を叩きながらぼやく。
「ったく。寝すぎなんだよお前は」
「いや、俺もこんなに寝込むとは思っていなかったんだけど……」
「という事は、病院に担ぎ込まれるくらいは考えていたんだな?」
「まあ、死なければ問題ないかな? くらいは……」
叩かれた頭を押さえながらノゾムが苦笑を浮かべていると、隣から槍のように鋭い視線が突き刺さった。
ビクリと肩を震わせた彼が横目で覗くと、黒髪の姉妹2人とエルフの少女がものすごい形相を浮かべ、眉をつり上げている。
「あ、いや。その……。ごめんなさい……」
慌てた様子でペコペコと頭を下げるノゾムだが、頬を膨らませた少女達の視線は変わらない。
彼女達の心情を考えれば無理もない。散々心配して、必死に看病して、一日も早い回復を願ったのに、当の本人は何事もなかったかのようにケロリとしているのだ。
無事だった事は嬉しいが、今まで散々心配していた反動もあり、自然とキツい態度を取ってしまう。
ノゾム自身も無茶をした自覚というのはあるので、ただひたすら頭を下げるしかなかった。
「というか、そんな複雑なこと考えていなかったよ。ただ何とかケンを止めないと……って思いで一杯だったし」
ノゾムは白い天井を仰ぎ見ながら独白する。
事実、それがすべてなのだろう。
あの時、ノゾムを動かしていたのは、リサを救うことと、暴走したケンを止めることだけだったのだ。
だから、これはただ我武者羅にやった結果でしかない。
今度はフェオが手を頭の後ろで組みながら、飄々とした雰囲気で口を開いた。
「まあ確かに、ノゾムの性格を考えればそれだけやろな」
他の仲間たちもノゾムの性格は理解しているのか、納得したように苦笑を浮かべている。
もっとも、ごく一部の少女たちの視線は変わらないが。
「でもマルスの言うとおり、確かにちょっと寝すぎだわ。屍竜の時と違って、あんまり怪我とかはなかったのにな~」
「やっぱり、あの魔獣の捕食結界に入った時に何かあったの?」
フェオの一言に促されるように、トムがなんとなく憶測を述べる。
実際の所、アビスグリーフがノゾムに対して何かしらの干渉をしたのではという意見は、かなり上がっていた。
ノゾム自身もアビスグリーフの捕食結界に突入した時の事は鮮明に覚えているので、トムの質問に小さく頷いた。
「うん、多分。でも不思議なことに、何か影響が残っているって訳じゃなさそうなんだよな」
自分の拳を握ったり開いたりしながら、おもむろにノゾムはそう述べた。
確かに寝すぎたせいで頭はボーっとしているし、倦怠感が全身を包んでいるが、特に違和感を覚えることはない。
自分の手を見つめるノゾムの視界に、自分の身体に巻きついた不可視の鎖がぼんやりと浮かんだ。
あの時、自分に何が起こったのだろうか。
今まで自分を縛っていた鎖が突然飛び出してきて、アビスグリーフと融合したケンに巻きついた瞬間、突然ケン達が苦しみ出した。
あの時ノゾムには、この不可視の鎖があの魔獣の力を抑え込んだようにも見えた。
だが、そんな話は聞いたことがない。ノゾムもこのアビリティが発現してから図書館などで色々と調べてみたが、そのような記述は欠片も無かった。
自分の手を眺めながら目を顰めているノゾム。そんな彼を、インダが複雑な表情で見つめていた。
アビスグリーフが憲兵の1人に寄生して復活したという事実がある以上、ノゾムも何らかの影響があるのではと一瞬不安に駆られたのだ。
同時に、そんな風に考えてしまう自分自身を諌めようと、小さく首を振っていた。
「それは、君が龍殺しであることに関係があるのか?」
一方、ゾンネからノゾムの状況をつぶさに聞かされていたジハードは、特に驚く事ではなかった。
だが、あの老人から諌められている事もあり、周りに気取られぬよう、確認するような口調でノゾムに問い掛ける。
「さあ、分かりませんが……って、ジハード先生も知っていたんですね」
「ああ、おおよその事は彼女達に聞いた。それも含めて、君の口から直接聞きたいのだが……」
ジハードがちらりとアイリスディーナ達に視線を流すと、彼女達はノゾムに申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ですよね……」
大方、勝手にノゾムの秘密を話した事に引け目を感じたのだろう。
ノゾムは苦笑を浮かべながら“気にしないで”というように軽く手を振った。
彼が能力抑圧を解放した際に放出された力は、おおよそ人間の枠に収まるものではない。
噴出した膨大な気と、それに混じっていた五色の光。ノゾムが放った“幻無-閃-”には、気でも魔力でもない五色の源素がしっかりと込められていた。
それだけの物を見せてしまった以上、彼女たちが言い逃れる事は不可能だろう。むしろ事情を話して、こちら側に味方として引き込んだ方がいい。
ノゾムは肩をすくめて深く息を吐くと、気を取り直してジハードと向き合う。
改めて、ノゾムは自分の秘密。取り込んだティアマットと、その経緯について話す。
基本的な事は既にアイリスディーナ達が説明しただろうが、一応自分からも話を通しておくことが筋だと思ったからだ。
「それで、俺の扱いはどうなるんですか?」
自分の秘密を全て話し終えたノゾムは真直ぐにジハードを見据えると、今後は逆に正面から質問を返した。その口調には、特に動揺している様子は窺えない。
確かに最悪の場合、監禁される事もありえる。しかし、こうして外部の人間であるアイリスディーナやマルス達と面会できている事が、ノゾムの頭に浮かんだ最悪の事態を否定してくれたからだ。
そんなノゾムの思考を理解しているのだろう。ジハードも特に抑揚のない、落ち着いた口調で現状についての説明を始める。
「君が龍殺しである事は、この場にいる人間しか知らない。私も公に公表する気はない。下手に公に出来ることではないからな。
たが今はともかく、今後はどのようになるかわからん。」
将来どうなるかについては不透明。これについてはノゾムも特に動揺はしなかった。
この場にいる人間しか知らないという事は証明しようがないが、少なくともノゾムの情報をかなり限定している事は充分予想出来る。
「何せ、数百年ぶりの龍殺しの登場だ。こちらによこせと各国が煩くなるのは目に見えている。そうでなくとも、君の身体を調べて資料をよこせと騒ぎ立てるだろう」
まあそうだろう。さすがに大っぴらに“人体実験しろ!”ということはないだろうが、アルカザムが各国の支援で運営されている以上、居丈高に無理難題を通そうとする事は目に見える。
「一応、君には今までどおり学園に通ってもらうが、もしも各国が人体実験などの人道に反するような要求を無理に通そうとしてくるなら、思い切って君の存在を大陸全土に知らしめることも考えなければならん。
もっともその場合、君の人生はかなり窮屈なものになってしまうだろうが……」
とはいえ、その辺りの対策は考えてあるらしい。
ジハードの言うとおり、大っぴらに祭り上げてしまうという方法もそのひとつだ。
もっともそうなったら、色々とノゾムの人生に制限が掛かる事は目に見えてはいるのだが……。
「だがその場合も、各国が理由をつけて君の力を利用しようとする事は明白だ。だからこそ、君には今のところ、龍の力は解放せずに大人しくしてもらいたいのだが……」
「元々俺はこの力をひけらかす気になんてならないですよ。俺にとっては諸刃の剣です。でもどの道、今は大人しくしているのが吉ですね……」
ノゾム自身もある程度は予想できたことだが、改めて人の口から聞かされると、正直体が重くなるほど憂鬱な話だった。
とはいえ、ノゾムとしてもいきなり祭り上げられたり、モルモット扱いはゴメンである。
最悪の場合は抵抗しまくるつもりだった。
ジハードとしても、ノゾムに暴れ回られたらたまらない。
彼がどれだけの時間、力を解放していられるのかは定かではない。しかし彼と衝突すれば、それを止められる人材はジハード以外には皆無であり、最悪の場合多くの無益な血が流れてしまうことになる。
「そうだな。とはいえ、君は完全に龍の力を掌握しきれてはいないようだ。その点も不安要素ではある。
なので、色々と君と話をして煮詰めていかなくてはならない。そうだな、手始めに、君が取り込んだの“その力”の制御訓練とか、不得手な魔法訓練とか……」
「その辺りは私とアンリ先生で協力しましょう。その場合、外部に漏れないよう、厳重な体制をしかなければなりません。アンリ先生は……」
「私は必要な道具や場所の選定ですね~。魔法関係はインダ先生の方がお上手ですし~、お手伝いに回りましょうか~」
ジハードの話にインダやノルンも混じる。
そもそもノゾムは今、ソルミナティ学園の生徒である。
この学園と生徒を守ると決めている以上、ジハードにとってノゾムは保護対象だ。
もちろん、ジハード自身万能ではないし、しがらみもある。しかしノゾムの不安要素を出来うる限り取り除くことは、ジハードにとっては絶対にしなければならないことだった。
「ええっと……」
どんどん話を進めていく教師陣に、ノゾムは思わず頬を掻いた。
確かにノゾムが取り込んだ龍の力は強大だ。危険性も高い。だがそれ以上にジハードは自身の恨みや怒りを抑え込みながらリサを助け出したノゾムを買っていた。
憎悪に呑まれたまま戦えば、犬死する者を増やすだけ。
頭で分かっていたとしても、それを貫ける人間がどれだけいるのだろうか。
「君は既に大きな力を手にしてしまっている。
龍の力だけの話ではない。あのシノ・ミカグラの刀術を納め、その技量は既に証明されている。
特総演習でも君は戦力で勝る相手に善戦し、屍竜と立ち会って生き延びた。ハッキリ言って、君を欲しがる国は数多ある。だから……」
そこまで言っておきながら、ジハードは強調するように溜めを作る。
ジハードの鋭い視線が突き刺さる。師匠によく似た強い意志を前に、ノゾムは圧倒されていた。
「君はいずれ、自分の道を決めないといけない」
自分の道を決める。その腹の奥に響くような重い言葉に、ノゾムはゴクリと唾を飲んだ。
しばしの間、2人の間に沈黙が流れる。
「まあ、今すぐにと言うわけでもない。卒業しても、この学園に残る事は出来る。君の刀術にはそれだけの価値があるからな。しかし、心には留めて置いて欲しい」
ジハードはすぐに頬を緩めると、軽い調子でノゾムの肩を叩いく。だが軽く叩かれたはずなのに、ノゾムにはその手が妙に重く感じた。
「あ、あの。リサはどうなったんですか……?」
「彼女なら身体に支障は無い。今のところ学業に戻っているよ。一応君が目覚めたことは伝えておこう」
リサが無事であることを確認する前に気を失っていたので、ノゾムは彼女の無事を確かめると、ひとまず胸をなでおろした。
「ありがとうございます」
「いや、こちらこそだ。あの時、犠牲が最小限で済んだのは君の奮闘があったからだ。この街の守護者として感謝している。
むしろ、至らなかった自分達の非をここに詫びたい。すまなかった」
突然の感謝と謝罪に、ノゾムは驚く。正直な話、こんな形で面と向かって謝罪を受けるとは思わなかったのだ。
そんなノゾムの心境を他所に、ジハードの後ろに控えていたインダも深々と頭を下げる。
「今までごめんなさい。その、色々と……」
「い、いや。頭下げられても恐縮なんですけど……」
正直、それがノゾムの率直な思いだった。
ケンとの事に関しては色々とあったが、ノゾム自身も自分の至らなさに原因の一端があることを充分自覚していたからだ。
自分にも非があるのに、他人を糾弾する気になどなれなかった。
「だが、けじめは必要だ。もし、何か力が必要なら言ってくれ。君の内にいる存在とは関係なく、力を貸そう」
「その……ありがとうございます」
だが、ジハードとしても何かしらの形でけじめをつけなければ、納得が行かなかった。
自己満足かもしれない。それでも、本当に助けが必要な生徒に何も出来ず、結果的にすべてを押し付ける形になってしまったことに、ジハードは忸怩たる思いだったのだ。
とはいえ、目上の者に頭を下げられているという状況は、小市民のノゾムにはいささかバツが悪い。
「あ、あの。ケンはどうなったんですか?」
ノゾムは話を変える意味でも、もう一人の幼馴染について尋ねてみた。
次の瞬間、ジハードとインダの表情が曇る。
ジハードはインダと視線を一瞬合わせると、一度大きく息を吐き出し、腹に鉛を抱えたような重苦しい雰囲気をかもし出しながらゆっくりと口を開いた。
「生きてはいる。しかし、あれを生きていると言っていいのか……」
「身体自体は生きていますが、状態としては先程までの貴方と同じ、深昏睡状態です。しかし、彼自身があの魔獣に取り込まれたということもあり、最上位の警戒と封印が施されています。
これはこの街の議会の決定であり、私達にもどうにも出来ません。申し訳ないのですが……」
「……そう、ですか」
ジハードの言葉を引き継いだインダの話によれば、ケンは今現在グローアウルム機関の最下部に封印されているらしい。
封印には強力な物理的手段と魔法手段の両方が使われ、身動き1つ出来ない状況であるらしい。
ただノゾムと違い、意思や自我というものが極端に衰弱しており、文字通りただ“生きているだけ”の状態だそうだ。
当然面会など出来ない。この封印に関する権限を持っているのは議会であり、ジハードの管轄ではなくなっていたからだ。
かつての親友のあまりに無残な状態に眩暈を覚え、ノゾムの身体がぐらりとふらつく。
「……ノゾム、大丈夫か?」
周りの仲間達が心配そうな声を漏らしながら、彼の身体を支えようとする。
ノゾムは手をかざして仲間達を遮り“大丈夫だと”言うが、口元が痛々しいほど噛み締められていた。
これが結末かと、ノゾムは天を仰ぐ。
確かに彼に陥れられた。大事な人の夢を、ケンは結果的に壊した。その最後をノゾムは自分の手で下した。
間違えたとは思っていない。後悔したくないから刃を抜いた。その気持ちに偽りはない。
それでも、胸の奥がジクジクと痛みつづける。
ただ1つ、リサが無事だったという事実を聞けたことだけが唯一の救いだった。
「とにかく、今はゆっくりと静養してくれ。復学出来るようになったら、色々と話そう」
「身体の検査が問題ないと分かりましたから、これからは誰でも自由に面会できます。色々話すこともあるでしょうから、ゆっくりしてください。それではまた学園で……」
ジハードとインダは、心痛めるノゾムを優しい口調でノゾムを気遣うと、促すようにアイリスディーナたちを一瞥し、病室を後にした。
2人が病室を出て行くと、事の成り行きを後ろで見守っていた仲間達がノゾムの元に寄ってくる。
「皆。心配かけてごめん」
「本当よ。まったく心配させて……」
「えへへ。でも、目覚めてくれて安心しました!」
ぺこりと頭を下げるノゾムに、皆が安堵の笑みを返す。先程ケンの現状を聞き、落ち込んでいるノゾムを励ますつもりでもあったのだろう。
まだ胸は痛い。でもようやく見た仲間達の笑顔に、ノゾムの頬も自然にゆるんだ。
「夢を、見ていた」
「夢?」
「うん。あの龍の夢……」
ティアマットを示唆するノゾムの言葉に、その場にいた仲間達に緊張が走った。
「またお前を乗っ取ろうとしてきたのか?」
マルスが眉を顰める。ノゾムはしばしの間考え込むと、ゆっくりと首を振った。
「いや、確かに最後はいつもどおりに怒号を浴びせられて殺されかけたけど、そんな雰囲気じゃなかった。それに……」
「それに……?」
ノゾムの脳裏に浮かぶあの光景。血の涙を流しながら、天に向かって怨嗟を上げていたティアマットの姿。
いったいかの龍に何があったのだろうか。5000年前の文献はほとんどが見つかっておらず、未だに多くが謎に包まれている。
それに夢の中で叫ぶティアマットの声色には、初めて出会った時から感じていた狂気の他に、深い悲哀をありありと感じ取れた。
そこまで考えて、ノゾムは首を振る。
「ううん。まだ良く分からないことが多くて。ただ、あの龍は俺達が思っているよりもずっと複雑な事情があるんだと思う」
肝心なことは何一つわからない。
だがノゾムは、ティアマットにどこか自分と似た印象を抱き始めていた。
「それは、確信?」
「うん。……っう!」
シーナの問い掛けに小さく頷いた時、ノゾムの体がふらついた。やはり目覚めたばかりで、体が弱っているのは本当らしい。
「まだ本調子じゃないんだろう? しばらく休んどけ」
「うん、そうするよ」
病室から外を見れば、もう太陽は完全に街並みの中に沈んでしまっており、僅かに残った薄明の光だけが空を焦がしている。
正直なところ、マルス達はノゾムの事がかなり心配ではあったが、はっきりとした受け答えをする彼を見て、その不安はだいぶ薄れていた。
これ以上病室に留まるのも彼の負担になるかもしれない。そう考えた仲間達は、いそいそと帰る用意を整える。
「ノゾムく~ん。先生ばっちり補習の用意しておくから、早く元気になってね~!」
「あ、ありがとうございます、アンリ先生。でも、お手柔らかにお願いします……」
むん! と両手に力コブを作るアンリ先生に、ノゾムは苦笑を返す。
だが、特別メニューって何だろうか?
アンリの妙に猛っている気概に、ノゾムは嫌な予感しかしなかった。
「ま、諦めろ。寝すぎたお前が悪い」
「それ言われると何も返せないんだけど……」
「まあええやないか。先生からの個人授業……。もしかしたら、またおもろいことになりそうや……」
マルスの駄目出しにノゾムは肩をすくめ、フェオが何やら不埒な企みを企てている。
そんな3人の会話を聞いていたトムとソミアが、2人そろって首をかしげていた。
「個人授業?」
「補習と何か違うんでしょうか? ティマちゃん分かる?」
「そ、ソミアちゃんにはまだ早いと思うなあ……」
純真なソミアの質問を、ティマは顔を真っ赤にしながらはぐらかした。
一方、その言葉にピンと耳を立てたミムルが、ばっとトムに飛びつき、猫なで声を上げた。
「トムには私が個人授業してあげる! あ、むしろトムが私に教えてくれても……」
「え?」
「はい、そこまで!」
幼子の前で全部は言わせない。そんな決意を滲ませながら、シーナがミムルの襟首を引っ掴んでトムから引き剥がす。
グエッ! と蛙が潰れたようなうめき声を上げて、ミムルは目を回してしまった。
「まったくこの娘は……。それじゃあノゾム君、私たちは帰るから。お休みなさい」
微笑みかけているシーナに、ノゾムもまた笑顔を返す。
胸が温かくなるようなシーナの微笑。ノゾムには何があったのか分からなかったが、どこか今までの彼女には無かった柔らかさを感じていた。
「ありがとうシーナ。お休み」
シーナの言葉にノゾムは頷くと、もぞもぞとベッドに横になる。
彼の返答にシーナは微笑んだまま小さくうなずくと、ミムルを引きずって病室を後にした。
気になることは山ほどある。だが今は体を休めよう。
仲間達も別れ際にノゾムと挨拶を交わすと、次々と病室を後にして行く。
最後にアイリスディーナが扉に手をかけた時、何かを思い出したのか、ふと彼女が振り返った。
「お休み、ノゾム。それと、目覚めてくれて本当によかった……」
「アイリス……」
目を真っ赤に腫らせながらも、満面の笑みを浮かべる彼女。
一瞬、ノゾムの心臓がトクンとはねる。
だがその時、突然アイリスディーナの顔が曇った。
「リサ君の事で無理、するのは分かるけど……。でも……」
「え?」
「ゴ、ゴメン! 何でもない! それじゃあ、元気で……。無理、しないでよ」
ノゾムが問い返す間もなく、アイリスディーナはドアの向こうへと消えていく。
彼女が浮かべていた何かに耐えるような憂い顔。何故彼女はあんな表情を浮かべていたのだろうか。
突然リサの名前を出した彼女。いったい何が……。
その答えを出す間もなく、すぐにノゾムの全身に睡魔が襲ってくる。体よりも精神がまだ休息を必要としていた。
まだ会えていないリサの事、封印されてしまったケン、垣間見たティアマットの過去、そして、アイリスディーナ達の安堵の笑みと憂い顔。それらがグルグルと脳裏に浮かぶ。
しかし、急速に襲ってきた睡魔には抗えず、ノゾムの意識は眠りへと誘われ、すぐに規則的な寝息を立て始めた。
しばらくすると、病室の扉が静かに開かれた。ゆっくりと開かれた扉から、真紅の髪をなびかせたリサが静かに病室に足を踏み入れる。
彼女は寝息を立てているノゾムに近づくと、ほっと安堵の笑みを浮かべた。
しかし、その笑みはすぐに消え、悲痛な表情に取って代わる。
「ノゾム……」
再び眠りについたノゾムに少女の声は聞こえていない。だが、彼女はノゾムが目覚めたことは聞いていたし、直に確かめることもできていた。
リサがノゾムの覚醒を知ったのは、この医療施設に入った時だった。施設から出てくるジハード達に偶然出会い、ノゾムが目覚めたことを知らされたのだ。
ノゾムの覚醒を聞いた彼女は、慌てて彼の病室へと駆けつける。だがノゾムの病室の扉を開く前に、彼と仲間達の会話を聞いてしまったのだ。
明るく、朗らかに話すノゾムの声を聴いた瞬間、リサの体は彫像のように硬直してしまい、扉を開けることが出来なかった。
やがて仲間達が帰る時になる。
リサはあわてて隣の空き部屋に潜り込むと、ノゾムが眠りについたタイミングを見計らって彼の病室に入ったのだ。
仲間達がいる時に病室に入ることもできた。彼が眠りにつく前に会う事も出来た。
シーナと話して彼女の純粋な想いを目の当たりにし、ノゾムの意思を蔑ろにしたくなくて、もう一度彼と向き合おうと扉に手をかけて……。
でも、心の奥に潜む臆病な彼女は、最後の一歩を踏み出しきれなかった。
ノゾムの前に出る勇気がなかった。アイリスディーナが自分に向けた悲痛な激情を受け止め切れなかったのだ。
「ごめんなさい」
リサは自分の情けなさに臍を噛みながら、謝罪の言葉を口にする。
寝ているノゾムに自分の声は聞こえていない。それでも一度ノゾムに話しかけると、言葉は堰を切ったように溢れ出てくる。
「……ありがとう、助けてくれて。ずっと学園に残ってくれていて」
言葉と共に自然と涙が湧きだし、止めることは出来なかった。
ノゾムに対する罪悪感、臆病な自分への情けなさ、そして何より、自分とケンの歪な関係に正面から対峙してくれた彼の想いに胸がいっぱいだった。
目の前で穏やかな表情を浮かべているノゾムの寝顔。その頬に触れたい衝動に駆られる。
つい伸ばした手を、彼女はゆっくりと引っ込めた。
まだ自分が彼に触れる資格があるとは思えなかった。
自分は何もできていない。贖罪もしていない。彼に何も返せていないのだ。
まだ胸はジクジクと痛む。ノゾムに対する罪悪感や躊躇は、こうして寝ている彼の前に立つだけで指先まで震えさせる。
それでも……。
「……お休みノゾム。早く、元気になってね」
その言葉だけをノゾムに送ると、彼女は席を立ち、名残惜しそうにゆっくりと病室を後にした。
すっかり暗くなった中央公園までリサが戻ってくると、カミラが心配そうな顔を浮かべて彼女を待っていた。
「リサ。ノゾムの様子はどうだった?」
「うん……。体は大丈夫、みたい」
「その様子だと、面と向かって話せなかったみたいだね……」
俯くリサに、カミラは溜息を吐く。
まあ、カミラもある程度は予想していた。2年間のすれ違いがようやく解消されたとはいえ、いきなり気安くノゾムに話しかけられるはずもない。
そもそも、先程の暴行未遂事件の事もある。彼女が受けたショックの大きさを考えれば、躊躇の方が勝るのは分かっていた。
とはいえ、だからこそカミラはリサにノゾムと話して欲しかった。ノゾムなら、リサの躊躇を消し飛ばしてくれると考えたからだ。
同時に、彼女を支えきれない自分の無力さに、カミラは歯噛みする。
自分とてリサと同罪の人間だ。出来るなら、きちんとリサを自分の手で立ち直らせたかった。
だが、ノゾムが寝込んでいる間、カミラが何を言っても、リサを立ち直らせることが出来なかった。
リサの心を占めているのはノゾム。
ならせめて、リサが罪悪感につぶされないよう、こうして彼女の傍にいよう。いつかきちんと、ノゾムと向き合えるまで。それが、カミラにとっての贖罪の1つだった。
一方、ノゾムから離れたせいでまた自責の念が増してきたのか、リサの表情が曇ってきた。
「ねえ、カミラ。私、どうしたらいいのかな……?」
「まあ考えられるなら、ノゾムに必要な事してあげることぐらいしか思いつかないけど……。正直、私達は今のノゾムの事をよく知らないんだよな……」
カミラの脳裏に、ケンと刃を交えるノゾムの姿が浮かぶ。
2年前、ノゾムはケンに模擬戦で一勝もできなかった。
そんなノゾムがあのジハード・ラウンデル相手に善戦し、奥の手まで使った全力のケンを相手に勝利をもぎ取るほど成長している。
そして極めつけは、あの時黒い魔獣に取り込まれたリサを救出するという難事もやってのけた。
自分達が知っていたノゾムとは明らかにかけ離れたその実力。その所為だろうか。ノゾムの気持ちに歓喜する反面、凄く彼を遠くに感じるのだ。
だが同時に、リサはノゾムを遠くに感じながらも、カミラとは違う感想も抱いていた。
「でも……」
「ん?」
“変わらないところもあったよ……”
リサの喉からわずかに漏れた声。その言葉は彼女自身の耳にすら届かず、そよ風に流されて消えていく。
胸を張ってその言葉を口にするには、リサの心はまだ硬く萎縮したままだった。
確かにリサ達は、今のノゾムを知らない。
何処であれだけの刀術を身に付けたのか。どうやってあの化け物に取り込まれた自分を助けたのか。
そして何より、アイリスディーナ達とノゾムとの間を繋ぐ絆は何なのか。
見ようとしていなかった真実を目の当たりにし、曇っていた目が晴れた今、罪悪感と後悔に苛まれながらも、リサは次々と新しい発見を目の当たりにしている。
だけど思い出して見れば、以前声を荒げて拒絶するリサに向けられたノゾムの瞳は、彼女が大好きだった頃の彼と何も変わってはいなかった。
純粋な、優しい彼のままだったのだ。
ただ、彼女がそれに気付こうとしなかっただけ。
「……そうだね」
カミラもその辺りの事は内心気がついていたのだろう。たとえ耳には届かずとも、そよ風に流されたリサの言葉をそれとなく感じ取っていた。
「まあ結局のところ、一度はノゾムときちんと話をしないといけないんだけどね……」
つまるところそれに尽きる。2年間のすれ違いにきちんと決着をつけないといけない。
そうしないと、リサもノゾムも本当の意味で前に進めないだろう。
「う……うん。そ、そうなんだけど……。その事について……きゃん!」
未だにノゾムの前に立てなずにどもるリサが、突然可愛らしい悲鳴を上げた。
彼女の尻部に、何かがわさわさと這い回る感触が走る。
全身の毛が逆立つような不快感に勢いよく振り返った彼女が見たのは、ローブに身を包んだ白ひげの不審者だった。
「ほほほ、ええ尻じゃ。これはまるで桃のような張り……思わずうっとりしてしまうの~~」
「き、きゃああああ!」
「ぐぎゃああ!」
相手が誰かを確認することなく、リサの平手が力いっぱい不審者めがけて振りぬかれた。
反射的に魔力強化も施してしまったのだろう。強烈な張り手を見舞われた老人はズドン! という轟音を響かせながら宙を舞い、そのまま公園の草むらめがけて突っ込む。
カミラの目には叩き飛ばされた老人の首があらぬ方向に曲がっていた気もするが、その辺りは努めて考えないようにした。
「だ、誰?」
「ほ、ほ、ほ! いい平手じゃ。まさしく女神の一鞭! いや本当にありがとうございます!」
「ひっ!」
だが、老人は何事もなかったかのように草むらから飛び出してくる。
よほど強烈な一撃だったのか、老人の頬は蛸のように腫れ上がり、ドクドクと鼻腔から血を流している。
それにもかかわらず、荒い息を吐き、身の毛もよだつような台詞をのたまうものだから、その不気味さは一入であった。
「ア、アンタ。確かあの時の……」
「カ、カミラは知っているの?」
「うん。リサがケンに取り込まれたときに協力してくれたお爺さんみたいなんだけど……」
確かにカミラは目の前でだらしなく顔をニヤつかせている老人に見覚えがあった。
そう、先の事件でリサが黒い魔獣に取り込まれた際に介入してきた人物。ゾンネである。
「初めましてお嬢さん方。ワシの名はゾンネ。商業区のしがない占い屋兼、麗しのヒーロー(女性限定)じゃ!」
ドドン! と効果音が聞えそうな程の強烈なインパクトと共に、キザッたらしく手を伸ばす老人。目が痛くなるほどの3文芝居に、周囲の時間と空間が停止した。
つまるところ……とてつもなく“寒”かった
「ええっと……。確か凄い強いお爺さんのはず、なんだけど……あれ?」
凍りついた空気をどうにか押しのけて、カミラが震えた声を漏らす。だが、頭の中には?マークが飛び交っていた。
確かにカミラは目の前でだらしなく顔をニヤつかせている老人に見覚えがあった。
あの黒い魔獣に関して聞いたこともない知識を有し、ジハードにすら気配を感じさせない強者……のはずなのだが。
「おや、そこのお嬢さん。わしのことを知っておるんか!? いや~、こんなお嬢さんにすら惚れられてしまうとは~。相変わらずワシは罪な男じゃな~!」
だがしかし、こんな人物だったのだろうか?
色欲と妄想に濁りまくったピンク色の視線が妙に腹立だしい……。
「何処をどう飛んだらそんな結論になるんだろう……」
「むしろウザいし、気持ち悪いな……」
リサもカミラもいきなり現れた犯罪ジジイに警戒心マックスである。
老人に向けた視線は果てしなく冷たい。
とはいえ、ゾンネと名乗った目の前の老人が常軌を逸した実力の持ち主であることは疑いようがない事実でもある。
これは演技かもしれない。色欲ピンクに染まった老人の視線はどう見ても欺瞞には見えないが、カミラはそう考えて無理矢理自分を納得させた。
「それで、一体何の用なの? アンタほどの人間が、私たちに用があるとも思えないけど……」
「うん、まあそうじゃな。用があるのは、そこの紅髪のお嬢さんじゃ」
「わ、たし……?」
「うむ、あの小僧と関わりが深い人間じゃからな、少し話をして見たかったんじゃ。だから先程挨拶をしようと思ったんじゃが、あまりに綺麗な尻に見惚れて……こう、つい手が伸びてしまって……」
訂正。疑う余地は微塵もない変態さんである。
「……リサ、ジハード先生の所に行くよ。このお爺さんをさっさととっ捕まえてもらおう」
「ちょっ! 待っとくれ! さっきはちょっとした悪ふざけじゃが、この話はマジなんじゃ!」
「マジなのは痴漢行為の方でしょ。むしろジハード先生に突き出すんじゃなくて、この場で潰してもいいかもしれない」
「ど、どこを潰すつもりじゃ!」
「……ナニ?」
カミラがあらん限りの冷たい視線をゾンネの特定部位に向けた。どことは言わないが、世界中の男性諸君共通の急所である。一部の特殊な男性には効果がないかもしれないが……。
刺すような冷気が下半身に突き刺さり、ゾンネの腰がビクッと引けた。
「ゴホン、ゴホン! さて、お嬢さん。君は今自分がどうしたらいいか分からなくなっておるんじゃろう? しかし何かをしたくとも、お嬢さんは今の小僧についてあまりに知らなすぎる」
カミラから向けられる絶対零度の視線から逃れるように、ゾンネはいきなり真面目な顔になる。
あからさまな話題の方向転換にカミラのジト目がさらにキツくなるが、ノゾムの名が彼女の追撃を鈍らせた。
カミラの脳裏に先の事件で介入してきたときのゾンネの姿が甦る。
この老人は明らかにノゾムの事について熟知していた。そしてあの黒い魔獣に関しても。
「あの黒髪のお嬢さん達は知っていて、お主が知らない小僧の秘密。知りたくないかの?」
まるでこちらを誘い込むようなゾンネの言動に、カミラの警戒心が一気に高まる。
「アンタ、何が目的なの?」
「あの小僧の監視じゃよ。ゆえに、ワシはこの街におる。
小僧が自分の中に取り込んだ力に飲まれるか、それとも自分の憎悪に振り回されないかを見極めるためにな。そういう意味では、ワシの杞憂はひとつ消えたことになるのだが……」
唸るようにカミラは老人を睨みつけるが、ゾンネは飄々と肩をすくめると、まるで、ゾンネは一蹴するように肩をすくめただけだった。
「ノゾムが取り込んだ……力」
一方、リサはゾンネの言葉を確かめるように反芻している。
いつの間にか手は硬く握り締められ、心臓はどくどくと早鐘を打ち始めていた。
彼女はそれがおそらく、自分とノゾムとの間を隔てているものだと直感で理解したのだ。
「……何で私達に話をしに来たんですか? 話をするなら、アイリスディーナさん達の方が……」
「彼女達は既に知っておる。その危険性も、身を持って味わった。それでも、あのお嬢さんたちは小僧の傍にいると決めたようじゃがの」
「…………」
既にアイリスディーナ達はノゾムの秘密を知っている。その事実にリサは一瞬言葉をなくして黙り込んでしまった。そして同時に確信もした。それがノゾムとアイリスディーナ達の絆であると。
ゾンネはそんなリサを一瞥しながらも、口を動かすことを止めようとはしなかった。
「お主はどうじゃろうな。小僧は本人の意思とは関係なく、事と次第によってはアークミル大陸の未来も左右する事態に関っておる。小僧の傍にいるなら、相応の覚悟と勇気が必要じゃ。
だが、お主はノゾムを受け止められるか? 今小僧と向き合うことすら怯えておるお主に……」
「私は……」
第三者から伝えられる、アイリスディーナ達の絆。なんとなく察してはいたものの、こうして改めて突きつけられると、目の前が真っ暗になるような感覚に陥ってしまう。
分かっていたことだ。自業自得なのだ。
最後まで彼を信じ切れなかったのは自分。磨き上げてきた戦技とは裏腹に、心はこんなにも弱い。
突きつけられた現実が再びリサの身体を貫き、小さく灯った温もりすら奪いつくそうと侵食してくる。
自身でも気付かぬうちに、リサはごくりと唾を嚥下していた。
隣ではカミラが心配そうにリサを見つめていたが、彼女もゾンネの言葉に何も返せない。自分達は所詮枠の外にいるだけだと突きつけられたのだから。
その時、厳しい視線でリサを見つめていたゾンネがフッとその表情を和らげた。
同時に張り詰めていた周囲の冷気が霧散する。
「じゃが……決して何も出来ないわけではない」
「え?」
突然変わった穏やかな口調。
当惑しているリサ達に孫を慈しむような優しい微笑を向けながら、ゾンネは穏やかに話を続ける。
陽だまりのように優しい瞳。そこに僅かな憐憫と後悔の色が混じっていた。
「まだお嬢さんには時間がある。出来ることがある。何より、自分の罪に立ち向かうことこそ躊躇しておるが、今度は目を背けてはおらん。だからこそ……」
「見つけましたよ、お爺様」
その時、ゾンネと名乗った老人の後ろから、冷たい声が響いた。
一体誰かと3人が目を向けた暗がりから、ローブを纏った少女が現れる。
月光に照らされた白髪と、コバルトブルーの瞳。人形のように端正な顔立ち。そう、以前マルスと中央公園でぶつかった少女である。
リサ自身も目を見張る程の美少女。だが何よりリサの耳に残ったのは、彼女がゾンネに向けて言い放った一言だった。
「「お爺様?」」
「な、な……」
一方、ゾンネはこれでもかと目を見開いて、目の前の少女を見つめていた。
「ア、アゼル! なんでここにお主がおるんじゃ!?」
「それはこちらのセリフです。いきなり里から行方不明になったと思ったら、何をしておられるのですか?」
驚愕に震えたまま、大声を張り上げるゾンネに対し、アゼルと呼ばれた少女は呆れた様子で言い返す。
先程までのゾンネが纏っていた威厳は完全に霧散し、今ではどこかばつの悪そうな表情を浮かべている。
一方、少女はゾンネの後ろで唖然としているリサ達などまるで眼中になくキュッと目を細めつつ、淡々と話を続けた。
「ただでさえ今は微妙な時です。一刻も早くあの災厄を見つけ出して処分しなければならぬ状況で、一体何をなさっていたのですか?」
「色々じゃよ。色々……」
強い語気にゾンネへの非難を込める少女。そ知らぬ顔して口笛を吹くゾンネに、段々少女の視線が鋭くなる。
その時、ようやく少女の瞳がゾンネの後ろにいるリサ達を認めた。
「お爺様、そちらの人間が何か?」
リサ達に着いて尋ねてはいるが、その冷淡な口調には彼女達への興味は、やはり微塵も感じられない。
質問はあくまでゾンネへ向けたもの。少女がリサ達へ向ける視線に感情は、完全に無色透明だった。
「いや~。見てのとおり中々将来が楽しみなお嬢さんじゃろ? じゃからちょっとそこの酒屋に連れ込んで……」
「貴方という方は……。いい加減、ご自分の立場というものを!」
リサ達に向ける興味や関心はまるでないが、ゾンネに対しては妙に気色ばむ少女。
一方、そんなアゼルの癇癪を目の当たりにしたゾンネはバツが悪そうにあさっての方向に目を向けると、突然踵を返した。
「あ! ワシ用事を思い出した! それではお嬢さん方。残念じゃが、この続きはまたの機会……」
「あっ! ちょっと待ってください!」
いきなり立ち去ろうと歩き始めたゾンネを少女が慌てて追いかける。
ゾンネはガミガミと何か小言を撒き散らす少女を他所に、そのまま街の中へと消えていく。
だがその時、立ち去ろうとしたゾンネが唐突に振り返った。
「ああそうじゃった。もし覚悟が決まったのなら、ワシの店に来ると良い。色々と話をしてやるぞい!」
その一言だけを残すと、ゾンネは脱兎のごとく駆け出して闇の中へと消えていく。その後ろをアゼルと呼ばれた少女が慌てて追いかけていった。
「いったい何が……」
突然の出来事に声も出せず、リサ達はしばしの間、呆然とその場に佇んでいた。
「商業区の占い屋……」
そこに行けば知ることが出来るのだろうか。今のノゾムを。
あからさまに怪しい老人だった。普段なら絶対に行かないだろう。
だがリサの心は、ノゾムの秘密を知ることが出来るという誘惑に激しく揺れ動いていた。
いかがだったでしょうか。
自信は……微塵もありません。
何でここまで躊躇してしまっているのか……。