第1章終幕・後編
第1章終幕後篇です。
とりあえず第1章はこの話で終わりです。
では、どうぞ!
斬り裂かれた傷口から血が噴き出す。
「あっ……ぐう!」
あまりの痛みと血が抜けていく喪失感で足から力が抜け、俺は地面に膝をついてしまう。
師匠がやったことは至極単純。俺が放った幻無を同じ幻無で相殺したのだ。
だが…………そんなことが可能なのか?
幻無はその特性上、視認することは極めて困難だ。
同じ幻無で迎撃するためには、俺の放った幻無と同じ軌道を寸分の狂いもなく正確に放たなくてはならない。
そんな針に糸を通すよりも遥かに困難なことを師匠は難なくやってのけたのだ。
俺と師匠の実力差は明らかだった。技量、能力、経験どれも彼女が上、俺が勝てる要素はひとつもない。
“勝てない”そんな思考にとらわれた俺に師匠の言葉が響いた。
「ノゾム、能力抑圧を解放しろ」
(えっ)
「わかっとるはずだ。わしに勝つには能力抑圧を解放するしかない」
(確かに、あれを使えば師匠に勝てるかもしれない)
師匠に勝つにはそれしかない。それが自分の持つ唯一の可能性だというのはすぐに理解できた。
だが、俺の脳裏にはあの夢がよぎっていた。
夢の湖の中にいるティアマットとその時に感じた一抹の不安。夢の中で見た奴の眼には、確かに意思があり、生きていた。
精霊種としての特性なのだろうか。おそらく肉体は死んでも、魂はそのままなのかもしれない。
そして能力抑圧は偶然にも奴の力を抑え、その魂までも押さえ込んでいるのではないか?
(このまま能力抑圧を解放したら奴まで解放されるかもしれない……)
「………………………………」
…………決断できない。自分には出来ない。自分を殺す気でかかってくる師匠とそれに勝つにはティアマットの解放が必要。そうしたらどちらにしても自分は死ぬ!
「まだ迷っておるのか」
師匠が再び斬りかかってくる。咄嗟に刀を掲げて防ぐが、先ほど切られた傷のせいで俺の動きは明らかに鈍っていた。
俺は直撃する斬撃だけはどうにか防ぐが、師匠はその隙に鞘による打撃と蹴撃を容赦なく俺の体に打ち込んでくる。
「イッ、クッ、グアアア!」
師匠の攻撃で全身に痛みが走り、止まらない出血と相まって俺は自分の意識が朦朧となっていくのを感じていた。
“ここで死ぬのかな?”
相手が師匠だからだろうか、俺の心の中には今まで戦いの時に溢れていた強烈な“生きたい”という思いは湧き上がらず、“師匠ならいいか”という諦めが支配し始めていた。
その時、ふと俺の視界に入ってきた師匠の顔。その彼女の顔はなぜか苦悶に歪んでいた。
“どうしてそんな顔をしているんですか?”
そんな疑問が頭に思い浮かんだ時、今にも泣きそうな顔で彼女は告げた。
「ノゾム、わしはもうすぐ死ぬ。長くないんじゃよ」
すまないと思いながらもノゾムに攻撃を打ちこむ。
いきなりこんな事をしてすまない。こんなに痛めつけてすまない。
でもこれで最後だから、最後のわがままだから。
そんな思いを必死に隠しながらノゾムに攻撃を叩き込んでいたが、ふと彼の顔が目に飛び込んできた。
ノゾムの眼には、これまでの危機に陥った時の彼のように“生きる”という強烈な意思はなく。これから訪れる死を受け入れた眼をしていた。
違う! そうじゃない! 私は彼に伝えたい事があるから、受け入れてほしい事があるから・・・・そんな目をしてほしいのではない!!
伝わらない自分の思いに泣きそうになる。
彼に伝えないと…………伝えたい事、受け入れてほしい事があると。
そのために……………………。
「ノゾム、わしはもうすぐ死ぬ。長くないんじゃよ」
「ノゾム、わしはもうすぐ死ぬ。長くないんじゃよ」
その言葉に思考が止まる。死ぬ? 師匠が? どうして?
「睡死病じゃよ。徐々に気が体から抜けていき、最後には気を使い果たして死ぬ病じゃ」
「なっ! それならすぐに治療を「治療法は特定され取らん。それにわしの気は持ってあと一晩じゃ。」そんな…………」
「もう少し体の気を制御していれば、もう少し持ったのだがのう」
「じゃあ! どうしてそうしないんですか!! 少しでも時間があれば何かできるかもしれないで「わしはのう…………」師匠!!!!」
こちらの問いかけを無視して自分の話を進める師匠。だが次に発せられた言葉は、さらに続けようとした俺の問いかけを完全に封じた。
「家族に裏切られてここに来たのじゃ…………」
「えっ…………」
「実の姉に嵌められ、両親から見捨てられ、周りから唾を吐きかけられて、この大陸に逃げてきたのじゃ」
それから師匠が語ったことは、今まで聞いたことのなかった師匠の身の上話。師匠の家族の話は聞いたことはあったけど、そんな事があったなんて師匠は全然話さなかったし、全く感じなかった。
師匠が家族の事を話したときはとても嬉しそうで、師匠は家族の事が大好きだったことが分かったから。
「わしとおぬし、驚くほど似ておる。互いに裏切られ、周りから嘲笑されて逃げ出した」
師匠の言う通りかもしれない。俺はリサに振られたことをから鍛錬に逃げ、彼女は実際に国から逃げ出した。
「わしはもう死んでも構わなかった。じゃからこそ、こんなところに隠居したんじゃ」
師匠は自分の思いの丈を叩きつけてくる。俺はただ黙って師匠の言葉を聞いていた。
「わしには何もなくなった。じゃが、おぬしと出会った。初めはわし自身の分身を見ているようで苛立ったが、おぬしはわしと違い、生きることをあきらめなかった。それにわしは自分にはない何かを感じたのじゃ」
「ノゾム、これがわしの最後のわがままじゃ…………。逃げ続けたわしが最後に残したいことが、おぬしだからこそ伝えたい事があるから」
彼女はそう言って泣きそうな顔で俺に懇願した。
「どうか、わたくしの最後の願い。受け入れてはもらえませんか」
………………師匠の言葉で目が覚める。
彼女は自分の最後を目の前にして自分の道をとっくに決めていみたいだ。
…………ここで師匠に言葉を掛けて、生きるよう説得することは簡単だ。でもそれは彼女の意思を捻じ曲げてしまうことなんじゃないか? 彼女は自分の最後の時間を削ってでも伝えたことがあるといったのだから。
……………………認めよう、俺はずっと逃げてきた。あの学園で自分を取り巻くものの全てから。
逃げて、逃げて、“逃げた”という事実からも逃げて…………
でも…………
師匠の顔を見るとその顔は涙があふれそうで、まるで迷子のようだった。
ここで師匠の願いから逃げたら二度と彼女とは向き合えない。何より師匠にあんな顔させたくない!!!
自らを縛る鎖に手をかける。能力抑圧を解除すれば自分はあの漆黒の龍に食われるかもしれない。
でも今ここで逃げたら一生後悔する!!
俺は鎖を引き千切り、初めて本当の自分を解放した。
次の瞬間。俺の視界は暗転した。
俺は夢で見た湖の湖畔にいた。目の前に黒い巨躯が佇んでいる。
“滅龍王ティアマット”
奴は俺を見ると、前足を振り上げて叩き潰しに来た。
咄嗟に後ろに跳び、着地と同時に地面に伏せて衝撃波をやり過ごす。しかし次の瞬間、横薙ぎに薙ぎ払われた奴の尾が俺の目の前に迫っていた。
明らかに前回の戦いより速い!!!
躱す間もなく尾が直撃する。
「げはあっ!!!」
空中に投げ飛ばされて全身の骨が折れ、激痛で意識が飛ぶ。
碌に受け身も取れずに地面に叩きつけられる衝撃で意識が戻るが、脳が痛みの処理能力を超えたのか何も感じ取れない。
全身があまりに傷つき、まだ体があるのかさえ分からないが、全身の筋肉を酷使してどうにか立ち上がる。奴は口をあけ、ブレスをこちらに放とうとしている。以前とは違い始めからこちらを殺しに来ている!
「アアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
雄叫びをあげてティアマットに向かって突っ込む!
奴と自分の能力差を考えれば時間はかけられない。何より……。
「お前なんかお呼びじゃないんだよ! 俺の相手はお前じゃない!!」
今の俺にはお前なんか眼中にない!!
ティアマットブレスが放たれる。眼の前に迫る巨炎を、身を捻って躱そうとするが、ボロボロの身体では躱しきれるはずもなく、炎が触れた右半身が消滅する。
それでもかまわず左足で跳躍。後ろで響く爆音と衝撃波を背に受けながらティアマットに突っ込むが、そこには開かれた奴の口があった。
俺が飛び込むと即座に口が閉じられ、奴の牙が俺を引き裂く。
下半身が断ち切られ、頭を半分抉り取られる。全身を貫かれて、もはや俺の身体は血みどろの肉塊に成り果てた。
だが、精神世界ゆえか、もはや死んでいるはずの怪我でも俺の意識はあった。それが陽炎のように儚くても。
全身をグチャグチャにされながらそれでも前を見ると、血にまみれた視界の中に光る。
その光は黒、赤、青、緑、黄の5色に彩られ、小さいながら絶大な力を感じとれた。おそらくこれが奴の力。
その光に手を伸ばし触れようする。既に体の下半身は喪失し、内臓が垂れ流しになっている。
右腕は喪失し、左腕も牙で抉られ、半ば千切れている。意識はほぼ無く、口からは呻き声しか出ない。
それでも手を伸ばす。指がちぎれた手が光に触れると光があふれ、俺の視界は再び暗転した。
気が付くと元の場所に戻っていた。
「グゥ!!!」
全身から力があふれる。あまりに大きいその力は俺の精神をガリガリ削っていく。
時間はない。長引けば俺がこの力に食われるか、最悪制御できずに死ぬ!
師匠を見ると彼女は嬉しそうにこちらを見ている。
刀を構える。師匠に切られた傷からは血がいまだ流れ出るが、構いやしない。
「行きます!!!」
「こい!! 馬鹿弟子!!!」
これまで以上の気を放出し、刀を構える師匠。
師匠のすべてを受け止める。その意思を固め、俺は再び師匠と対峙した。
2人は再び瞬脚-曲舞-を発動し、ぶつかり合う。複雑な曲線を闇夜に描き、月の光に剣閃をきらめかせる。
その速さはもはや超一流の戦士たちですら目では追えない領域に到達していた。
互いに絡み付きあうように打ち合うその姿は、先ほどと変わらないが、その優劣は明らかに違っていた。
ノゾムの放つ一撃はシノの腕を痺れさせ、シノの攻撃はノゾムに防がれ、逆に弾き飛ばされそうになる。
技量こそシノに分があるものの、抑圧を解放したことで、自らを縛るものがなくなったノゾムの身体能力は明らかに彼女を上回っていた。
徐々に劣勢に立たされていくシノ。その口から思わず愚痴が出る。
「クッ! もう少しおなごに優しくせんか! この馬鹿弟子!!」
「何言ってるんですか! 少なくとも自分の前に優しくしなければいけないか弱い女の子はいません!! いい加減自分の歳考えてください!!!」
「何言っとるか! おなごは何歳になってもおなごじゃ!! 女心のわからぬ奴め、そんなだから恋人に見捨てられるのじゃ、このヘタレ!!!」
「なっ! なんてこというんですか!! こんなところに引き籠ってた引き籠りに言われたくありませんよ!! ヘタレ具合ならそっちも大概でしょう! この世間知らず!!!」
「いっ、言うに事欠いてなんということを! 師匠に対してなんという言い草じゃ!! そこえなおれ! その根性叩きなおしてくれるわ!!!」
「上等だ! いい加減あんたの癇癪には辟易していたんだ! ちょっとした冗談で気術をぶち込みやがって!! 何回死にかけたと思ってるんだ!!!」
「ちゃんと死なないように手加減したわ! 三途の川からギリギリ帰れるくらいにな!!」
「そういう問題じゃねーーーーー! なんでツッコミだけで死にかけなきゃならないんだ!!!!」
「いちいち細かいこと気にするな! 帰ってこれたのじゃからいいじゃろう!!」
「よくないわーーーーーーー! 」
お互い碌でもないことを口走りながら戦う。極めて高度な技の応酬と極めてくだらない舌戦である。
瞬脚-曲舞-での高速戦は身体能力で上回るノゾムに分があり、このままではまずいと思ったのか、シノが手を変えてくる。
「ちぃい! このままでは坊主を粛清できん!!」
「ちょ! 今粛清って言った!! 殺す気かこのばあさん!!!」
「当たり前じゃ!! 初めにそう言ったろうが!! 乙女の心の傷を抉った罪、地獄で反省するがよいわ!」
シノが両手を腰だめにして気を圧縮する。彼女が両手を突き出すと圧縮した気が解放された。
気術“震砲”
圧縮した気を一方向に開放して、相手を吹き飛ばす気術である。
震砲で吹き飛ばされたノゾムにシノは追撃をかける。
「くたばれ! 乙女の敵!!!」
乙女とは程遠い発言でシノは準備していた技を放つ。
気術“幻無”。
極圧縮された気が放たれるが、既にノゾムは迎撃の体勢を整えていた。
「それはこっちのセリフだ詐欺師!! 年齢詐称と暴力は犯罪です!!!」
放たれるのは同じ気術“幻無”。2つの技は互いの中間で激突し、互いに相殺し合う。
ノゾムが先ほどシノが行ったように、幻無を幻無で相殺を可能としたのは極限の集中力。
かつてティアマットと戦い、死に瀕したとき、彼は周りの時間が遅く見えるほどの集中力を発揮した。この極限の集中力のおかげでシノという超一流の剣士の剣閃を完全に見切れたのだ。
周囲に舞い散った気の残滓を2人は突っ切り、次の技を繋ぐ。
「師匠の偉大さを思い知れ!!!」
「下剋上だ!! 天然犯罪者!!!」
気術 “幻無-回帰-”
極圧縮された気を帯びた返しの刃が激突し、周囲に再び気と火花の花を咲かせる。
2人はさらに次の技へ繋ぐ。
返しの刃の勢いを利用し体を回転させる。刀を納刀しつつ鞘尻を相手に向け、納刀と同時に叩きつける。
気術“破振打ち”
相手の体内に気と衝撃波を同時に打ち込み、相手の体内を破壊する内部破壊技。まともに当てれば内臓をグチャグチャにされてしまうだろう。
ドウンという腹に響く音とともに互いの技が打ち消される。
技がぶつかり合った時の衝撃で互いの間合いがわずかに離れるが、そのまま次の技へと繋ぐ。
2人は身を翻しながら、刀を持っていない方の手に気を送り込む。
その量は今までの気術とは比較にならないほど、膨大な気が込められていた。
多量の気を送り込んだ拳を互いに地面に叩きつける。すると2人の間の中央の地面が爆発し、光の柱が噴出した。
気術“滅光衝”
地面に打ち込んだ気を敵の足元で解放し、相手を空中に打ち上げ、気による光の奔流で滅する気術。
彼らの持つ技の中では最大の効果範囲と高い殲滅力を持っている。
2人の滅光衝は地面の中を突き進みそのまま激突。そのまま地上へ押し出されたのだ。
「まだまだじゃ!!!」
「あたりまえだ!!!」
さらに技を繋げる2人。互いに納刀状態のまま相手に突っ込み、四肢を使い体術戦を繰り広げる。
拳、脚、肘、身体のあらゆる部位を使い、まるで舞うように打撃を打ち込む。その型は全くの瓜二つ。
やがて2人の周囲に変化が訪れる。光の粒が現れ、それが螺旋を描きながら2人に集まり始めたのだ。
実は彼らはすでにある技を発動していた。
儀式体術 “輪廻回天”
儀式魔法と呼ばれる魔法がある。その名の通り、儀式を行い外界の魔素に干渉することで発動する魔法だ。
ノルン・アルテイナが魔法の授業で言ったように儀式魔法の起源は、神々や精霊に祈りや供物を奉納する神事である。
もともと“舞”はその神事の際に同じように奉納されていたものだ。
これを利用し、“舞”と“武”を融合して作られたのが儀式体術なのだ。
ある型で相手を攻撃しながらそれを“舞”として奉納し、儀式を成立させ、周囲の魔素に干渉。儀式魔法を展開する。
この“輪廻回天”は周囲の魔素を吸収し、身体強化を重ね掛けしていくもので。舞えば舞うほど威力が跳ね上がっていくのだ。
ただ儀式体術は決まった型にどうしても縛られるため、型を見切られると途端に劣勢になってしまう可能性がある。
身体強化を重ね掛けされた2人の激突は、やがて衝撃波で周囲の木々を震えさせるまでになる。
2人の舞いは途切れることなく続き、周囲にはその舞いを称えるように魔素の光が集っていった。
急激に気が抜けていき、目の前が暗くなっていく。
桁外れに強くなった弟子に対抗するにはすべての気と魔力を使い、すべての技を駆使して限界を振り切らなければならなかった。
それでもどうにか互角が手一杯。
限界を超えた気の喪失は睡死病を一気に進行させた。気の回復量と喪失量は逆転し、もう回復することはない。
それは自分の死が確定したこと。
(まあ…………いいかの)
そんな事実を他人事のように考えながら自分の最後の愛弟子をみる。
…………強くなった。本当にこの子は強くなった。鎖を解き放った時のこの子に勝てるのはもはや大陸でも数人だろう。
その者達ですら場合によっては打倒してしまうかもしれない。
この子は今自分の意思で自分の内に秘めた巨大な力と向き合った。
こんな小さな子など容易く押しつぶしてしまうほどの強大な力。普通の人間なら恐怖のあまり発狂するだろう。もしくはその力に呑まれるか。
こんな婆の最後の頼みのためにその力と向き合い、戦ってくれた。
これが最後になるけれど………………………………ありがとう。ノゾム。
ともすれば破裂してしまいそうな力に歯を喰いしばって耐える。もう長くは解放していられない。理性は削られ、強すぎる力に身体はガタガタだ。
能力はこちらが圧倒しているのに攻めきれない。繰り返し打ち込む攻撃は均衡し、ただ時間だけが流れる。
周囲の魔素の動きはさらに加速し、舞いは終局に近づく。
近づく終わりを感じて、師匠と出会ってからの今までのことが頭をよぎる。
森での偶然の出会い。
地獄のような鍛錬。
自分が目を逸らしていたことを突き付けてくれたこと。
「おかえり」と言ってくれたこと。
師匠のいるところは間違いなく“帰れる場所”だった。
それはもうすぐ無くなる。
とても悲しくて…………胸の内は悲しみで張り裂けそうだが…………師匠の最後の頼みなのだ!
無様な姿は見せられない。
もうすぐ最後になってしまいますが………………………………ありがとうございました。師匠。
舞はついに終わりを迎えた。限界まで強化された2人の蹴撃が激突する。
衝撃波で周囲の地面は捲れ上がり、吹き飛ばされる。木々は大きくしなり、ギシギシと悲鳴を上げていた。
激突した時の衝撃を再利用して2人は独楽の様に身体を回転させる。
それと同時に納刀したままの鞘に全力で気を送り込み、限界まで圧縮する。
気術“幻無-閃-”
ただ己の最速の抜刀術を放つだけの技。ただ己の想いを込めただけの技。
2人の思いを乗せた刀が交差した。
森に静寂が戻った。
ノゾムの刀は柄しか残されていない。
放たれた刀は2人の中心で激突し、その瞬間。ノゾムの刀が砕け散っていた。
直後、シノはその場に崩れ落ちる。
「師匠!!!」
ノゾムはシノに駆け寄り彼女を抱きあげるが、彼女の顔は青白く、生気が全くなかった。
「……………………ノゾム。強くなったねえ…………もう刀で教えられることはなさそうだ…………。」
「師匠…………。」
医者としての知識のないノゾムにも分かった。彼女はもうここで死ぬ。
「嬉しかったよ。こんな婆の最後の頼みを受け入れてくれて。…………わしの想いを汲んでくれて」
目頭が熱くなる。もう避けようのない別れを前にしてノゾムは涙を抑えきれなくなっていた。
「ノゾムこれだけは覚えといておくれ」
「逃げてもええ。立ち止まってもええ。でも“逃げたこと、立ち止まっている”という事実から目を逸らさないでおくれ。もしそれを忘れればわしの様に進めなくなってしまう」
もはや目も見ないのだろう、彼女の視線は空中を泳ぎ、身体はどんどん冷たくなっていく。
「たとえ逃げても、たとえ立ち止まっても、それを忘れなければ、どんな形にしろ、いつか前へ進めるはずじゃから…………」
「……………………ッ、はい。師匠…………」
彼女はノゾムの言葉を聞くと安心したように笑みをこぼした。
「よかった…………これで満足じゃ」
彼女は月を見上げる。静かな、見守ってくれるようなやさしい月だった。
「ノゾム。…………疲れたから少し…………寝るわい。…………いつかまたの」
「…………はい師匠。……おやすみなさい」
彼女は満足し、ゆっくりと目を閉じ、深い、深い眠りについた。
もう覚めることのない深い眠りへ。
後に残ったのは、声を押し殺してすすり泣く誰かの声だけだった。
あれから1週間。ノゾムは3学年に進級していた。
進級試験は相も変わらずギリギリだったが…………。
ノゾムは今の自分を思う。
今はまだ自分は立ち止まっている。リサのこと、学園のこと。俺自身のこと。
また逃げてしまうかもしれない。立ち止まったままかもしれない。
でも、その事実から目をそむけるのはもう終わりだと。
師の教えと新たな決意の萌芽を胸に、彼はソルミナティ学園の門へ歩みだした。