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第6章後日談

第6章、後日談投稿しました。

ようやく第6章が終わりました。一年以上掛かってしまいましたよ……。

 ケンが巻き起こした一連の事件は、公には学生による暴力事件として処理された。

 事件を起こした生徒は退学。即日でアルカザムから追放処分にされたと公表され、一応の決着がついたものとされた。

 だが実際の所、この事件による波紋は納まるどころか、あちらこちらに波及していた。

 アビリティの悪用というだけでなく、そのアビリティを学園が全く把握していなかったことが、学園の体勢事態に大きな疑問符を叩きつけることになってしまったのだ。

 現に今でも学園には各国の使者たちから、早急に事情の説明と対策を求める要請が立て続けに送られてきている。

 さらに、アビスグリーフがこの事件にかかわったことがさらに事態をややこしいものにしてしまっていた。

 研究機関から人間に寄生するという形で脱出を果たしたアビスグリーフ。

 かの魔獣は危険極まりない存在であることは十分わかっていたにもかかわらず、魔獣の逃亡を許した事実。

 それはジハードだけでなく、この学園の存続にも深刻な影響を及ぼしかねなかった。

 アルカザム、そしてソルミナティ学園は、言うまでもなく各国からの支援で成り立っている。それ故に、それぞれの国のパイプ役である使者からの評価というのは、アルカザムの運営に大きな影響力を持っているのだ。

 場合によってはソルミナティ学園の再編すら考えられる。

 ジハードはこの問題に対し、アビスグリーフの脱走に関して、今回判明したすべての情報を惜しげもなく各国の使者に渡すことで、各国使者からの追及を躱すことを選んだ。

 生物への寄生、宿主への干渉能力と、変容による能力の大幅な底上げ。そして捕食結界。

 これだけ多くの特異な能力を持つ生物はこの大陸には存在していない。そして、これだけ多くの情報を一度に得ることが出来たということは、アビスグリーフの研究に関しては大きな進歩と言えた。

 さらに宿主にされた人物の確保もしている。これなら、アビスグリーフに関する更なる情報を得ることが出来るかもしれない。それだけではない。もしかしたら、今まで謎に包まれていた大侵攻の原因を特定できる手がかりとなるかもしれない。

 これから得られるであろうアビスグリーフに関する情報。各国がそれをいち早く、より多く手に入れようと考えることは十分考えられる。

 それ故に、使者達は今ソルミナティ学園に下手に介入するのは得策ではないと考え、ケン・ノーティスの傷害事件について、ある程度言及するのみに留めていた。

 つまるところ、各国使者たちは厳重な注意と改善を促しつつも、対応はジハードに一任する、という態度をとったのだ。厄介な役目を押し付けたともいえる。

 とはいえ、事の重大さに反して手打ちが決まったということで、多くの学園関係者達は安堵の息を漏らした。

 だがそんな中で、休む間もなく対応に追われ続けた人物。実際にこの事件の総指揮を取っていたジハードと、彼の補佐をしているインダは、執務室の机に置かれた山のような書類を前に顔を顰めていた。

 2人の顔にはやはり濃い疲労の色が見える。


「ではインダ殿、報告を……」


「はい。先の事件で使用した通魔石に関する調査報告ですが……。やはりジハード殿の御懸念の通りでした」


 ジハードが報告を受けていたのは、先の事件の捜査中に起きた、通魔石の暴走に関する報告だった。

 原因は、何者かが縁石に振りかけた粉末状の魔石。

 粉々に砕け散った“縁石”をグローアウルム機関に提出して調査させたところ、縁石かけらに交じって魔石の粉末が検出されたのだ。

 魔石の粉末も縁石も、魔力には非常に敏感で、繊細な扱いを必要とする物である。

 同じ場所に保管することはあり得ない。まして縁石に魔石の粉末を振りかけるなんて事は、手の中で火球を爆発させるような行為だった。

 通魔石は元々グローアウルム機関の試作品であり、ソルミナティ学園の厳重な管理下に置かれている。外部から侵入して細工をすることは難しい。だからこそ、内通者の存在が浮上したのだ。

 さらに捜査中に起こった様々なトラブル。内通者がいるとしたら、捜査を撹乱することはさほど難しくはない。

 ジハードとインダは内通者をあぶりだそうと捜査を開始。そして怪しい人物が1人、捜査線上に浮上した。


「では、カミラ君を追跡していた“星影”を沈黙させたのは、同じ星影のメンバーだったという事か?」


「はい。あの事件の後、星影のメンバー1人が行方不明になっています。残っていた痕跡を追跡したところ、郊外の森で遺体となって発見されました。」


「遺体の状況は?」


「損壊がひどく、調査は困難でしたが、残った遺体からの推察される体格が本人と一致。また、星影のメンバーが所有する物品数点が発見されました。状況的に考えて、ほぼ間違いないかと……」


 ジハードの口からため息が漏れる。


「拠点の捜索は?」


「すでに行いましたが、手掛かりになるようなものは何も……」


 肩に重りを乗せられたような気分になりながら、ジハードはインダから更なる報告を聞くが、その内容もやはり芳しくない。

 素早い口封じと証拠の隠滅。明らかに先手を打たれていた。


「失礼しますわ。ジハード殿」


 その時、部屋の主の了承もなく、いきなり執務室に入ってきた女性がいた。

 黒を基調としたドレスに身を包んだ貴婦人。押し上げられた胸元と、スリットから覗く艶めかしい曲線を描く脚。

 味気のない執務室がまるで庭園の花壇のような華やかさに色付き始める。

 だがジハードは勝手に入室してきた人物に僅かに眉を潜め、憮然とした表情を浮かべた。


「メクリア殿。困りますな、いきなり訪問されるとは。見ての通り、レディを迎えるには些か寒々しい部屋ですからな。せめて身嗜みを整えるくらいのお時間くらいは頂きたいのですが……」


「あら? せっかく時間を割いてお顔を拝見しに来ましたのに、随分なお言葉ですわね。ジハード殿ほどの勇名を馳せた方なら、女性の気まぐれな訪問にも笑って許すくらいの甲斐性くらいあるかと思いましたのに……」


 悪態をついているわけではないが、明らかに歓迎されていないジハードの口調。だが入ってきた女性、メクリアは華の様な笑みを浮かべている。

 ジハードはメクリアの質問に表情を変えないまま応対していた。


「生憎、そのような機会などには恵まれませんでしたからな」


「御冗談を。奥様との出会いは私達ですらうらやむほど情熱的で魅惑的なものだったとお聞きしましたが……」


 ジハードは肩をすくめると、自分からメクリアに話を切り出した。


「それでご用件は何ですかな? こんな1人寂しい中年とお話ししてくれるとでも?」


「ええ。“今回の事件”で落ち込んでいらっしゃると思いましたから、すこしでも励ましにと……」


 向かい合うジハードとメクリア。笑みを交わしながらも、2人の間にピリッとした緊張感が走る。


「それが本題ですかな?」


「ええ、今回の件はさすがに看過できませんからね。アルカザム議会の方にも、話を上げておきますわ」


 アルカザム議会。各国使者からの要望を使い、圧力をかけ、このソルミナティへの影響力を強めようとしているのだろう。

 確かにアルカザムの運営について、決め事は議会が行っている。彼らが学園の再編を行えと言えば、ジハードとしても無視できない。


「話はそれだけですかな?」



「ええ、私がエグロード様より受けた責務ではこんなところですわ」

 

 メクリアの視線を真っ向から受け止めながら、ジハードは淡々とした態度で対応する。

 エグロード・ファブラン。メクリアが仕えているフォスキーア国の重鎮の一人であり、ソルミナティ学園そのものに反対している人物の名だ。

 メクリアもこの場で学園とアルカザムの対応にどうこう言えるとは考えていなかったのだろう。あっさりと引き下がり、踵を返して部屋のドアへと向かっていく。

 執務室のドアノブに手を掛けたメクリアだが、突然何かを思い出したように振り向いた。


「ああそうです。あの魔獣との戦いについての詳細な報告がまだのようですが、ずいぶん時間がかかっておられるのですね」


「御心配には及びませぬ。次の議会にはきちんと報告できるものと思われます」


「そうですか。どのような戦いだったのか……。ぜひ、聞かせていただきたいものです。あの魔獣はこの大陸に住まう者達にとって、共通の脅威。その憂いが少しでも晴れることを期待したいですわ」


「……ええ、本当に」


 互いに意味深な言葉を交わすと、今度こそメクリアはドアの向こう側へと姿を消した。

 執務室の中に漂う沈黙。2人が放つ緊張感に当てられていたのか、インダは気が付けば、耳の奥に彼女自身の心音が響いていた。

 だが彼女には、まだジハードに報告すべきことがあった。手に持った書類の束を握りしめながら、一歩前に踏み出す。


「ジハード殿。件の隊員は今回の任務前、ある時間帯になると姿を消していたという報告が上がっています。またその時間帯、メクリア殿の姿を邸宅にいた誰も見ていません。

 ですが彼女の姿が見えなくなる直前に、貼り付けていた監視員が極微細な魔力反応の痕跡を確認しました。その場所が……」


「メクリア殿が現在滞在している邸宅内か……」


「はい、おそらく星影に内通者を潜ませたのも……」


 小さくなっていくインダの声。気が付けば再び静寂が執務室を満たしていた。

 ジハードはゆっくりと椅子の背もたれに寄り掛かる。ギシリと軋む椅子の音が、静寂に満ちた執務室の中に響いた。


「……決定的な証拠がない以上、強制捜査はできない。それに、内通者の処分の手際のよさを考えれば、有力な証拠がある可能性は低いな。それに明日にはアルカザムの定例議会に出席しなければならない」


 執務室の天井を見上げながら、ジハードの口から吐き出される言葉に、インダは小さく頷く。


「彼女は次の議会で、今回の事件を学園生徒が起こしたことに相当切り込んでくるだろうな」


「はい……。どうするのですか?」


「まあ、打てるだけの手は打った。アビスグリーフの情報をうまく使う他あるまい。メクリア殿についても一応私が手を打っておいた。明日には間に合わぬだろうが……」


 インダの心配をよそに、ジハードは椅子をくるりと回し、窓の外へと目を向ける。

 アルカザムの街はあの事件の事などなかったかのように、活気のある日常へと戻っていた。

 学園の校舎に始業を告げる鐘が鳴り響く。


「そろそろ授業が始まる。インダ殿、急いだ方がいいのではないか?」


「あ、はい! 失礼いたします」


 一礼して執務室を立ち去るインダを見送りながら、ジハードはこの学園の行く末に思いをはせていた

 今回ケンとアビスグリーフが起こした事件は今後にも尾を引くだろう。だが、時は全てを過去のものとして置き去りにしていく。

 確かに、後味の悪い事件だった。

 死者一名。しかも未来ある若者であり、近々結婚も控えていた。

 事件の犯人であったケン・ノーティスに至ってはアビスグリーフに寄生されたこともあり、とても表に立って口にできないような処理をすることになってしまった。

 忸怩たる思いにジハードが顔を歪める。気が付けば、彼は自分の拳を力の限り握りしめていた。

 今回の事件。完全にジハード達の失態であった。

 あらゆる意味で後手に回り、結果がこのありさまだ。

 アビスグリーフの突出した特異性もあるが、学園生のアビリティを完全に把握していないなど、言語道断である。

 正直、ジハードは腹を切りたい気分だった。

 だが、この職を投げ出すわけにもいかない。アルカザムが再編された場合、どのようなことが起こるのか容易に想像がつくからだ。

 間違いなく、ソルミナティ学園の生徒の質は低下する。その結果、生徒だけでなく、数多くの人が死ぬことになるだろう。

 魔獣の脅威に晒されている国は一刻も早く人材をよこせと急かしてくる。安全圏にいる国はこの街の技術を欲し、この街の力を弱めようとするだろう。

 その結果起こるのが、学園生の全体的な、かつ深刻な練度不足である。

 確かに学生達は経験がまだ足りない。だが、この学園で学び、鍛練する中で、基礎となる地力は間違いなく鍛えることが出来る。

 経験が足りず、窮地に陥ることはあるかもしれないが、地力があれば生き残れる可能性はある。そうして生き残ることで、かけがえのない経験を身に着け、次へと活かし、人に伝え、その結果多くの人の助けとなるだろう。

 しかし、その基本的な力すら、身に着けることが出来なければ、何もできずに殺されるだけだ。

 しかも、この学園の卒業生たちは、再び大侵攻が起こった際に、それに抗う者達の中で中核となる。しかし、その核となる人物に地力がなければ、その下についていた多くの人達が魔獣の餌食になるだろう。

 その結果、さらに連鎖的に犠牲者が増えれば、どこまで被害は拡大するのか……正直想像もつかない。


「……今、悔やんでも詮のない事か」

 

 ジハードは瞑目し、心を落ち着ける。

 後悔の念は未だにジハードの胸の中で渦巻いている。だが、立ち止まっているわけにもいかない。

 この際、ジハードは自分の事は二の次だった。できるのは、生徒達に少しでも多くの鍛錬を積ませてやれるこの場所を、守ることのみ。

 日常へと戻るアルカザムを眺めながら、ジハードはそう自分の心に言い聞かせた。


「後の問題は“彼”か……」


 ある意味、この事件の鍵となる人物を思い浮かべる。

 ノゾム・バウンティス。彼とリサ・ハウンズは未だに目を覚ましていない。

 リサ・ハウンズの方は問題ない。

 エルフのシーナにアビスグリーフの残滓があるかどうか調べてもらった際にも、その気配は微塵も感じられず、身体検査でも異常は見当たらなかったからだ。

 だがあの時、ジハードはノゾム・バウンティスから漏れ出した異質な力を目の当たりにしている。

 魔力でも気でもない、純粋な源素の奔流。あのような力は未だかつて見たことがない。

 特定の源素が固まり、靄のように目に映るという光景はジハードも見たことがある。精霊種の中にも、似たような力を使う者はいるのだ。

 だがそれは大抵、一つの属性に限られる。

 複数の源素を、特に相反する源素を同時に操ろうとすれば、異質な力が相互に干渉してどうなるか分かったものではない。

 あの時のノゾム・バウンティスの様に、複数の源素を同時に現出させるという光景は、本来ありえない光景なのだ。

 そして、噴き出した力の大きさ自体も規格外。どう考えても一人の人間に納まる力ではない。


「まあ、確かに小僧の事は、お主達には頭が痛い問題じゃろうな~~」


「……っ!?」


 突然、執務室にしわがれた声が響く。

 弾かれたようにジハードが振り向くと、いつの間にか執務室のソファーに白髭を生やした老人が座っていた。

 飄々とした笑みを浮かべたその老人は、手に持った杖をいじりながら、してやったりと言うように不敵な笑みを浮かべている。


「おやおや、せっかく訪ねてきたんじゃ、茶菓子くらい出したらどうなんじゃ?」


「ご老人……」


 初めは驚きのあまり瞠目していたジハードだが、すぐに気を持ち直し、厳しい視線をゾンネに向ける。

 話しかけられるまで気配も感じなかった。

 ジハードの警戒心が一気に膨れ上がり、全身から陽炎のような覇気が漏れ出す。

 正体不明、目的も不明の老人。見た目こそ好々爺のようだが、その実力は決して侮れないことをジハードは身をもって知っていた。

 だが、ゾンネがアビスグリーフだけでなく、ノゾム・バウンティスについてもかなりの情報を持っている。

 であればこそ、ジハードはゾンネから何としても話を聞き出すつもりであった。

 ジハードの剣呑な雰囲気を察したのか、ゾンネは先ほどまで浮かべていた子供のような笑みを消した。


「状況が変わったからの。少しだけ、ワシの事を話してやろうかと思ったんじゃ」


 その言葉を聞いたジハードは驚きに目を見開いた。

 ゾンネはノゾムとケンが倒れた後、あっという間に姿を消した。当然ジハードも街中を捜索したが、ゾンネの姿は尻尾どころか足跡すら見つからなかったのだ。

 だからこそ、まさか老人の方から自分に接触してくるとは思わなかった。


「……意外ですな」


「ん?」


「貴方はあの時、ノゾム君の事をずっと気にしていた。その理由ははっきりとはしないが、彼のあの異質な力に理由があることは想像がつく。貴方が話をするとしたら、ノゾム君からだと思っていたのですが……」


 ジハードもまたソファーに腰を下ろす。真正面から互いに向き合うような格好だ。


「まあ、あの小僧に用があるのは確かじゃよ。ワシの目的の一つはあの小僧と、小僧に封じられた“奴”の行く末を見守ることじゃ」


 ある程度予測した答え。ジハードは言葉を返さず、ゾンネの次の言葉を待っていた。


「じゃが、それはあの小僧次第ともいえるがの……」


 真正面から向かったまま、互いの視線がぶつかり合う。

 しばしの間、二人の間に沈黙が流れるが、その静寂を割って口を開いたのはジハードだった。


「これは、私の予想なのですが……。貴方が私と接触したのは、貴方の目的を達することが難しくなったから……ですかな?」


「……なぜそう思うんじゃ?」


「貴方がなぜ私と接触したのか……。ノゾム・バウンティスを見守ることが目的と言うなら、アンリ女史に接触したほうがいい。彼女の方が、私よりも彼を理解しているからだ」


 ジハードの言葉にゾンネが僅かに眉をひそめたが、ジハードは構わず言葉を続ける。

 

「だが、貴方は私と接触した。多分……貴方は単独行動をしている状況だ。組織の人間ではないのか。組織から援助を受けられない状況なのかはわからないが……」


 ゾンネは沈黙したまま仮面のような表情でジハードの言葉を聞き続けている。

 眉ひとつ動かさないほどの鉄仮面ぶりだが、その表情自体が、ジハードの言葉が当たらずとも遠からずであることを示していた。


「理由は分からないが、貴方はノゾム・バウンティスの様子を監視したいが、下手にこの街で協力者を作れない。貴方が私に接触したのは、私がこの学園で大きな立場にいるからだ。違いますかな?」


 降参とでも言うように、ゾンネはハァ~とは深々と溜息を吐くと、ガリガリと自分の頭を掻く。

 すねた子供の様に口を尖らせるその様子は、とてもジハードを追い詰めた人物とは思えないほど脱力する光景だった。


「……すべての情報を与えられん。じゃが、あの小僧を放置することは絶対にできん。奴はこの街だけでなく、この大陸の未来について、鍵となりえる可能性。それをあの時見せた。故に、ワシが話せること全てを、お主に話しておこうと思ったんじゃよ。じゃがな……」


「ッ……!?」


 その言葉を皮切りにして、ゾンネの雰囲気が一変する。

 疲れてダルそうな気配は一瞬にして掻き消え、代わりに極寒の吹雪を思わせる殺気がジハードに叩きつけられた。

 まるで蛇ににらまれたカエルの様に、ジハードの全身が凍り付いたように硬直する。


「これを聞けば逃げることは出来ん。ワシが絶対にさせん! もしもの時はこの街全てを灰燼にすることも辞さん! 無論、あの小僧もろともな……」


 あの時のアビスグリーフ……いや、大侵攻の時にすら感じたこともない、超濃密な殺気。

 一見すれば頼りない老人の姿が、ジハードの目には見たこともない巨大な怪物の様に見えた。


「……それでも、ワシの話が聞きたいか?」


 念を押す様なゾンネの言葉。

 これを聞けば間違いなく後に退けなくなる。一歩踏み出した時点でジハードの後ろは断崖絶壁へと変貌することは間違いない。

 だが、この老人から話を聞くにはおそらくこの機会をおいて他にはないだろう。

 この執務室は今、まさしく戦場だった。一瞬の判断が未来の明暗を分ける。

 肌が凍り付くような緊張感の中、ジハードの脳裏に数多の思考が一瞬で走り抜ける。もう既に決心はしていた。自分がすべきことは、この場所を守ることなのだから。

 刹那の静寂。だが凍結した時間はジハードの言葉で動き出す。


「……聞かせてもらおう。貴方の話を……」


 その言葉に小さく頷いたゾンネは、ゆっくりと口を開いた。









 ぼやけた視界の中で、誰かが向かい合って対峙している。

 白い服に身を包んだ2人の男性。1人は左手に刀を携え、その手を刀の柄にそえている。

 もう1人は赤黒い右腕を振り上げた金髪の青年。半身を人のものとは思えぬ異形に変え、その体から瘴気のような黒い霧を発している。

 周囲に漂うのは刺すような緊張感。胸を締め付けられるような感覚に支配された空間の中は、まるで今にも破裂しそうな水袋を思わせる。

 さらに高まり続ける緊張感。限界まで水を溜めこまれた水袋に無理矢理水を注げば、やがてその圧力に耐え切れずに破裂する。

 そして、その瞬間が訪れた。

 異形の青年が一直線に刀を携えた男性に向かって突進していく。

 刀を携えた青年は動かない。じっと立ち尽くしたまま微動だにしない。

 だが次の瞬間、目の前に光り輝く5色の光が舞った。

 暴力的なまでに鮮烈な光。交差する2人の青年。その光に照らされながら、彼女のぼやけていた視界はゆっくりと色を失っていった。


「ん……」


 グローアウルム機関内に設けられた医療施設。完全に外から隔離された一室の中で、リサは目を覚ました。

 始めに目に飛び込んできたのは純白の天井。石を組み合わせて造り上げた部屋の中には窓もなく医療器具ぐらいしか置かれていない。

 天井には魔力灯の明かりが輝いているが、揺らめきのない白色の光は、簡素な部屋をさらに味気の無いものにしてしまっている。


「リサ、目が覚めたんだ……」


 自分の名を呼ぶ声にリサが顔を向けると、ベッドの隣に親友のカミラが佇んでいた。


「カミラ……。ここ、どこ?」


「ここは学園……というより、グローアウルム機関内の医療施設。あの事件の後、私達ここに搬送されたんだ」


 自分が何故ベッドに寝かされているかも理解できないのか、リサはカミラの言葉に首を傾げるだけだった。


「覚えていないの? ほら……」


「……あっ」


 カミラに促され、リサはようやく自分の身に起こった出来事を思い出す。同時に彼女の顔面が一気に蒼白になった。

 突き付けられた真実。裏切っていたのは自分の方で、ノゾムをずっと傷付け続けていたのは彼女の方だったという現実が、リサの心に重く圧し掛かってくる。

 どれだけ自分は彼を傷付けたのだろう。どれだけ自分は身勝手なことをしてきたのだろう。

 見捨てられて当然の事を自分はした。そんな後悔と懺悔がリサの思考を黒く染め上げていく。

 それでもノゾムはリサを助けた。その時のノゾムの姿を、リサはおぼろげながら覚えている。

 傷つき、ボロボロになった姿でリサを覗き込んでいた時のノゾムの顔が思い出される。

 連戦でノゾムの体に刻まれた傷。純白の制服に赤々と刻まれた傷痕はかなりの数に上っていたはずだ。

 傷は深くなかったかもしれないが、決して無視していい数の傷ではなかった。下手をしたら出血多量で危険な状態に陥っていてもおかしくはない。

 そのことに気付いた瞬間、リサは慌てて自分の体に掛けられていたシーツを払い除けていた。

 

「……ノゾムは、どこ!?」


「隣の部屋だけど……ちょっと落ち着きなさい!」


 跳ねるようにしてベッドから起き上がろうとするリサをカミラが押し止める。

 リサの体はまだ弱っており、カミラは担当の医師から部屋から出ることは厳禁と言い渡されていた。


「起き上がっちゃダメよ! まだ体が治っていないんだから!」


「だけど……!」


 確かにリサの体は重く、思考は霞がかかったように纏まらない。だけど、このままじっとしていることは彼女にはできなかった。

 カミラに体を押さえつけられても、起き上がろうとするリサ。そんな彼女を言い含めるように、カミラは真正面から、訴えかけるようにジッとリサを見つめる。

 その眼差しに多少冷静さを取り戻したのか、カミラの腕に感じる力が緩んだ。


「ノゾムはまだ起きていないよ。聞いた話だと、ちょっと流した血が多いのと、気の使い過ぎで倒れたらしいし。まあ、多分それだけじゃないんだと思うけど……」


 カミラが残した意味深な言葉。リサの脳裏に先ほどまで見ていた夢の光景が思い浮かぶ。

 いや、夢などではない。あの光景は間違いなく現実のものだった。


「あのノゾムの体から出ていた光……何だったんだろう」


「リサ、見ていたの? てっきり気を失っていると……」


 捕食結界の中で魂が繋がっていた影響なのだろうか。あの時の光景を、彼女は夢という形で回想していたらしい。

 あの戦いの結末。それも今でははっきりと理解している。抜き放たれたノゾムの刃はケンの右腕を切り飛ばし、溢れた力の奔流が異形の肉塊を跡形もなく消し飛ばした。


「カミラ……ケンは?」


「ケンは……」


 カミラが押し黙る。

 正直に言えば、カミラにもケンがどうなったか分からない。ただジハードたちに訪ねた際に、彼は同じ施設に収容されたと言っていた。

 だがアビスグリーフに浸食され、あれだけの深い傷を負ったのだ。普通の生活すらできるか疑わしい。

 それ以前に、あの魔獣の影響の観察は絶対に必要だ。少なくとも厳重な監視下にあることは間違いないだろう。


「……今回の件、怪我を負ったジビンさんにあの魔獣が取り付いていたこともあるから、リサもノゾムもしばらくは経過観察が続くと思う。でも、時間が経てば出してくれると思うよ」


 カミラが席を立ち、病室のドアへと向かう。


「リサは横になっていて。今先生を呼んでくるから」


 ドアの向こうへカミラが消えると、リサはゆっくりと体を起こした。

 長い間横になっていた身体は関節が硬くなり、キシキシと悲鳴を上げている。

 リサはベッドから降りると、ドアに耳を当てて外の様子をうかがう。

 遠くなっていくカミラの足音。ゆっくりとドアを開けて廊下を覗くと、廊下の先にカミラの背中が見えた。

 廊下は一本道で、片方は行き止まりで、出入り口は1つしか存在しない。そして廊下の先には武装を身に付けた憲兵の姿がある。

 おそらく隔離された病室なのだろう。廊下にも部屋には窓らしきものは存在しない。

 リサは背をこちらに向けている憲兵に気づかれないように廊下に出ると、隣の病室に滑り込んだ。

 魔力灯に照らされた殺風景な病室。そこに置かれたベッドの上に、一人の青年が横たわっている。


「ノゾム……」


 リサの口から漏れるノゾムの名前。彼女はゆっくりと、ベッドに寝かされているノゾムの傍に歩み寄った。

 規則正しく上下する胸元。どうやら容体は安定しているらしい。

 だが、白い服に身を包んだノゾムの体にはあちこちに包帯が巻かれている。

 傷のせいで少し発熱していたのだろうか。ノゾムの額には濡れたタオルが置かれ、傍には水を張った桶が置かれていた。


「熱、まだあるのかな? ……っ!」


 リサの手が自然と伸びる。だがその瞳がノゾムの身体に巻かれた包帯に向いたとき、彼女は反射的に伸ばした手を止めていた。

 よく見ると、頬に張られたガーゼや包帯にはまだ紅いシミが残っている。

 気の消耗で体の代謝が落ちているのだろう。まだ傷が塞がりきっていないのだ。

 その痛々しい光景に、リサの口元が歪む。

 自分のせいで彼はこんな酷い傷を負った。

 それだけではない。今まで自分がノゾムに与えてきた傷は、これの比ではないのだろう。

 裏切り者はノゾムではなく自分の方。後悔と罪悪感が勢いを増しながら胸の奥で渦を巻く。

 気がつけば、彼女は唇を強くかみしめていた。伸ばしていた手はいつの間にか自分の胸元で固く握りしめられており、ブルブルと震えている。

 彼の側にいることなど許されない。触れるなどもってのほかだ。


“逃げてごめん。気付いてあげられなくてごめん……


 そんな思考がリサの心を包み込もうとしたとき、彼女の脳裏にノゾムの言葉が過ぎった。


“俺は君のためになるのではなんていいながら、鍛錬に逃げて君に向き合おうとしなかった。まじめに鍛錬を続けていれば、君はいつかあの噂は違うんだって思ってくれるなんて考えていた。

 馬鹿な話だよな。逃げてリサと向き合おうとしなかった俺が、リサに見てもらえるはずなんてないのに……”


 以前、寮に帰る途中で偶然出会った際に、彼がリサに向けてきた言葉。

 彼は裏切り者が誰であるか誰よりも分かっていながら、彼女に罵声を浴びせることはなかった。

 リサに向けられたのはただ彼女の将来を想う言葉のみ。

 ノゾムだって全身を焦がすような怒りに駆られたはずだ。葛藤だってあっただろう。それはきっと自分とは比べものにならないはずだ。だって彼はずっと無実の罪を押しつけられ、貶められていたのだから。

 それでも彼は、自分を裏切ったリサを助けに来た。ボロボロになってまで。

 ノゾムが自分を助けてくれた時のことを、彼女は思い出していた。

 黒い獣と一体化したケンに捕らえられ、叩き付けられた無数の糾弾。

 ただ全身を包む冷たさと孤独。そしてノゾムを傷付けた罪悪感から、リサは心を閉ざした。そうする事しか出来なかった。

 全身覆う冷たさに意識は朦朧となり、ほとんどの感覚は麻痺していた。

 だが、それでも自分の体を抱き上げてくれていたノゾムの顔と腕の感触は、はっきりと思い出せる。

 心配そうに覗き込んでいたノゾムの顔。濃い疲労を感じさせながらも、その表情には憎悪はなく、ただ助けることが出来た安堵の色に満ちていた。

 ボロボロになった衣服越しに感じたノゾムの温もり。まるで砂漠に水が染みこむように、触れられた場所から流れ込んできたノゾムの熱は、今でもハッキリと思い出せる。

 その温もりのおかげでリサの心は凍り付くことはなかった。

 だが……。


「私、どうすればいいのかな……」


 ノゾムが触れていた二の腕に手を当てながら、リサは力無く項垂れる。彼女達はあまりに長い時間、すれ違い続けてしまっていた。

 胸の中で罪悪感と後悔は未だにリサの胸の奥をシクシクと痛み続けている。ノゾムの身体に触れることすら躊躇してしまう。

 だが、そんな罪悪感と後悔の中で、胸の奥で相反する暖かさが揺らめいてもいる。

 複雑に絡み合う想いに縛られ、リサはただ彼の顔を眺めることしかできなかった。


「あっ……」


 その時、リサの目がノゾムの額に乗せられたタオルに向けられた。時間が経ているのか、完全に乾いてしまっている。


「タオル、乾いている。濡らしてこないと……。で、でも……」


 タオルを濡らすには、当然ノゾムの額に乗せられたタオルを取らなければならない。

 その時、もしかしたらノゾムの肌に触れてしまうかもしれない。

 リサはタオルを取ろうと手を伸ばすが、ノゾムに対する罪悪感と後ろめたさから、すぐに引いてしまう。

 伸ばしては引っ込め、引っ込めては伸ばす。

 何度かそんな事を繰り返した後、彼女は心の奥で“ごめんね”と呟きながら、おっかなびっくり手を伸ばして、ようやく乾いたタオルを取ることが出来た。

 そしてベッドの側に置かれた桶の水に乾いたタオルを浸す。だが桶の水も既にかなり時間が経っているのか、だいぶ温くなってしまっていた。


「水も変えないとダメみたい……」


 リサは水桶を持ってノゾムの部屋を出る。

 彼女は水をくめる場所を探そうと、トコトコと足早に廊下を駆ける。だがその時、廊下の先から複数の人影がみえた。


「ちょっと貴方! 何しているの!?」


「え!?」


 いきなり響いた大声に、リサは思わず肩をすくませる。

 廊下の奥に見える人影が、ズンズンと肩を怒らせながらリサに歩み寄ってきた。


「どうしてベッドから起きているの!? 病人なんだから大人しく寝ていなさい!」


 眉をつり上げているのは、白衣に身を包んだ女性。どうやら、彼女がリサの治療を担当していたらしい。女医の後ろにはカミラとノルン先生の姿もある。

 

「え、でもノゾムのタオル……」


「いいから! 戻りますよ!」


 ちょっと神経質そうな瞳をつり上げながら、女医はリサが持っていた水桶を引っ掴む。

 アビスグリーフに一度取り込まれたリサは、今は要観察対象者だ。

 一応精密な検査を終え、アビスグリーフの気配を感じ取れるシーナにも調べてもらっていた。その結果、アビスグリーフの残滓は残っていないことが確認されている。

 だがそれでも、ジビンの件があるため、今下手に動き回られるのは困るのだ。

 その為、女医は多少強引でもリサを病室に戻すつもりであった。だが、有無も言わさぬ女医の行動に、リサも思わず水桶を掴む手に力を入れてしまう。


「……放しなさい」


「だ、だから。ノゾムのタオル……」


「こっちがやっておきます! 私に任せて、貴方は病室に戻りなさい!」


 廊下の真ん中で桶を引っ掴み、奪い合う2人の女性。

 強い口調で言い含めようとする女医と、尻込みしながらも桶を離そうとしないリサ。とのよく分からない死闘が繰り広げられていた。


「むうう……」


「くうう……」


 互いに引くに引けなくなったのか、桶を奪い合っている2人は顔をつきあわせて睨み合う。


「どうします……」


「仕方ない。ちょっと仲裁しようか」


 カミラは嘆息しながら、ノルンに助けを求めた。


「2人とも、ノゾム君はまだ目を覚ましていないから静かに……」


 ノルンも呆れ顔で2人の仲裁に入る。だがその時、ノゾムの名前を聞いたリサがうっかり手に込めていた力を緩めてしまった。

 釣り合っていた2つの力の内、一方の力が突然無くなれば、結果は分かり切っている。


「「あっ……」」


 ノルンとカミラの呆けた声が廊下に響く。

 勢いよく後ろに倒れる女医と、慣性に従って宙を舞う桶の中身。傘のように広がった中身は、重力に従って下にいた2人に降り注ぐ。

 一秒後、水がはねる音と共に、可愛い悲鳴が廊下中に響き渡った。




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― 新着の感想 ―
[良い点] ほんとノゾムは毎回病院送りになてますけど、本当に大丈夫なんですか?章がおわった時はだいたい病院。章の途中でもけがして寮で安静、もしくは保健室で安静 この話を全体を通してノゾムと病院はきって…
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