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第6章終幕

「きゃ!?」


 シーナ達は急激な浮遊感を襲われると、つい先程まで感じられていたノゾムとの意識が一気に遠ざかっていくのを感じた。

 光に包まれ、気がつけば現実世界で立ちすくんでいる自分自身に気付く。


「一体何が……」


「ごめんなさい、何故かノゾム君とのパスが急に遮断されてしまって……」


「ふむ、小僧が何かした事に原因があるようだが……。しかしアレは……」


 いきなり現実に引き戻されたことに戸惑うシーナ達。ゾンネは顎に手を当てて考え込んでいる。

 一方アイリスディーナ、インダは玉のような汗を吹き出しながら、荒い息を吐いて地面にへたり込んでいた。


「姉様、大丈夫ですか?」


「ハア、ハア……。だ、大、じょうぶ……だ」


 ノゾムと深く同調し、痛覚を共有していた影響だろう。アイリスディーナは心配する妹に気を使って笑顔を返そうとするが、痛みの残滓で顔が引きつり、上手く笑えていない。


「インダ先生~、肩を貸しますよ~」


「す、すみません……」


 インダも気合いを入れて立ち上がろうとするが、足が生まれたての子鹿のように震えており上手く立てない。

 何とかアンリの肩を借りてようやく立ち上がるが足に力が入らず、アンリに吊り下がるようになってしまっている。

 ジハードはさすがにきちんと自分の足で立ち上がっているが、額には油汗が浮かび、吐く息はかなり乱れていた。


「確かに……。普通では考えられないほどの激痛だった。もう体験するのはごめんだな……」


 ジハードとしても、今回受けた痛みはかなり堪えたようだ。普段なら低く、落ち着きのある声色が、今はやや上擦っている。それでも、きちんと受け答えが出来る時点で他の2人とは明らかに違う“格”を感じさせるのだが。

 ジハードは一度深呼吸すると、含みのある視線をアイリスディーナ達に向ける。


「それにしても、この老人だけでなく、君たちもノゾム君に関して、私達に隠し事があるようだが……」


「うっ……」


 射竦めるようなジハードの視線を受けて、アイリスディーナ達に緊張が走る。

ノゾム自身にもアビスグリーフに匹敵する、厄介な存在を抱えている。

 確かに今は予断を許さない状況ではあり、危機的状況であったが、アイリスディーナ達は不審に思われるだけの内容をつい口に出してしまっていた。


「能力抑圧の解放……だったか? 今まで聞いたことがない話だな」


 ジハードの言葉にアイリスディーナ達は肺を締め付けられたような息苦しさを覚えた。

 強ばった表情の彼女達を眺めながら、ジハードはさらに追求の言葉を重ねていく。


「それにそこの老人が言っていた“奴”という言葉も気になる。どうやらアビスグリーフとは違う存在を指しているようだが……」


「はて? そんなこと言ったかのう?」


 チラリとジハードが横目でゾンネを眺める。

 明らかに咎めるような視線を向けられているのだが、ゾンネはどこ吹く風というように明後日の方に視線を向け、ピーピーと口笛を鳴らしている。

 ジハードはこの老人から情報を聞き出そうとすることは諦めたのか、アイリスディーナ達に視線を戻した。


「話してはもらえないかな?」


「ノゾム君が許せば、ですが……。私達の一存では話せません」


ジハードもアイリスディーナ達も全く表情を変えないまま、互いに目を逸らさない。

 双方の間に沈黙が流れる。

 ジハードは引く様子のないアイリスディーナ達から視線を外して、彼女達以外にも事情を知っていそうなアンリに目を向けるが、彼女もニコニコと笑みを浮かべたまま、何の反応も返してくる様子がない。

 完全に蚊帳の外に置かれた状況を前にして、正直ジハードはため息を吐きたい気分だった。

 無理やり聞き出すことも考えるが、人員が乏しく、既に賽が投げられている。この現状でアイリスディーナ達は大切な人材であり、無駄に不満や反感を買うことは好ましくなかった。


「だが、アイツは学園の敵じゃねえよ」


「そうであろうな。少なくとも彼はそんな手の込んだことが出来るような器用な性格ではないだろう」


 ノゾムと接した時間は短いが、ジハードも彼が策謀を得意とするような人間でないことはなんとなくわかっている。

 ノゾム・バウンティスは少なくとも力をひけらかすような性格ではない。彼の力がどんなものであるかジハードは知らないが、厄介なのはその力の存在を知って騒ぎ始める周囲の人間であろう。


「……まあ、仕方ない。後で彼に訊いてみるとしよう」


 とにかく今はアビスグリーフをどうにかすることこそ肝要。そう気持ちを改め、展開された捕食結界に向き直った。

 ジハードの追及がなかった事にアイリスディーナ達はホッと安堵の息を吐き、彼と同じように捕食結界に目を向ける。

 相変わらず気分が悪くなりそうな色彩の結界が展開されている。その様子に変わったところは見られない。


「何も起きない?」


「いや、それはないじゃろう。最後に小僧が何かしたみたいじゃから……」


 ゾンネの言葉に反応するように、結界に変化が現れる。

 ビクンと震えるように結界全体が脈動し、結界の表面がうねり始める。

 明滅を繰り返し、何かに怯えるように震え続ける捕食結界。それを目の当たりにしていたジハードは、ゆっくりと“顎落とし”を構えた。


「始まったな……」


「ティマ」


「うん、分かってる」


 ジハードに続くように、マルスとティマが構えた。それぞれの得物に気と魔力が収束し始める。

 叩き付けるのは純粋な気と魔力。特に属性に偏るようなことはしない。

 必要なのは純粋な突破力。分厚い捕食結界の壁を貫き、中に囚われたノゾム達に一筋の道を作り上げる。

 一点に凝縮されていく力に、周囲の大気が悲鳴を上げ始める。


「ぐうう!」


「マルス君……大丈夫?」


 高度な制御を必要とする魔気併用術を使おうとしていたマルスが顔をしかめる。彼を案ずるティマの額にもまた汗がにじみ出ていた。


「あ、ああ。大丈夫だ。やってやるさ!」


 マルスは魔気併用術を特総演習の時に暴発させて以来、この術を使っていない。自らにはまだ分不相応なものであると身に染みて理解したからだ。

 あれ以来、マルスは不得意な魔法の制御をティマと一緒にやっていた。

 それでも、この魔気併用術を完全に制御するには、まだ至っていない。それでも今この場で、友を助けるためにこの術の封を解くことに決めていた。


「……いくぞ!」


「はい!」


「いつでも良いぞ!」


 ジハードの掛け声とともに全員が息を合わせ、一斉に得物を振るう。次の瞬間、解き放たれた力が一斉に捕食結界に牙をむいた。

 放たれた力の奔流が地面を抉り、槍のごとく捕食結界に突き刺さる。

 轟音と共に弾ける閃光。

 舞い上がる土煙で視界が閉ざされる中、アイリスディーナ達は焦る気持ちを抑えながら、ジッと土煙の向こう側に目を凝らした。

 













 肉壁に包まれた捕食結界の中で、ケンとノゾムは三度対峙していた。

 ケンが異形と化した右腕を振り上げると、再び黒い眷属たちが肉壁から姿を現す。


「イイ加減シツコイゾ……!」


 紅に染まる単眼をギラつかせ、一気にノゾム目がけて跳びかかる眷属達。

 だがノゾムは津波のように押し寄せる魔獣たちに構わず、残った僅かの気を足に叩きこみ、さらに加速した。

 過剰な気の使用に加え、肉体と精神に叩きこまれたダメージが一気に噴き出し、ノゾムの体は急激な倦怠感に襲われた。

 一気に暗くなる視界。こんな状態であの眷属たちを突破できることなど不可能だった。

 絶望的な状況下の中、ノゾムは無意識に右腕を突き出していた。

 次の瞬間、ケンの目に飛び込んできたのは、ノゾムの右腕から白く輝く鎖が四方八方に飛び出し、肉壁に突き刺さる光景だった。


「ギャガアア!」


「ググエエエ……」


 苦悶の叫び声を上げながら、黒い眷属達の姿が泥人形の様に崩れていく。

 さらには鎖が突き刺さった場所から、赤黒い肉壁が次々と剥がれ落ちていった。

 バラバラと舞い落ちる肉壁は灰色に染まり、砂の様に崩れて消えていく。


「コ、コレハドウイウ事ダ!?」


 相手を侵食し、食らい尽くすはずの捕食結界が、逆にノゾムの鎖によりかき消されていく。

 目の前で起こる事態に困惑の表情を浮かべるケン。だが、すぐさまその元凶に思い当たり、激烈な殺気とノゾムに叩きつけた。


「オノレ……!」


 蛇腹剣と一体化した右腕を振り上げると、肉片すら残さないといわんばかりの力を込め、ノゾムめがけて振り下ろす。

 空中でしなる蛇腹剣がその牙を突き立てんと迫りくるが、それでもノゾムは足を止めなかった。

 もう既にノゾムにはケンの“這い回る蛇牙”を回避することは出来ず、防御する方法もない。突破するしかなかった。

 漆黒の蛇がノゾムの体を切り裂くかに見えた瞬間、光が迸った。

 ケンの右腕に絡みつく光の鎖。捕食結界を蹂躙していた鎖の群れがその向きを変え、ケンめがけて殺到し始めたのだ。


「チ、力ガ……ガア!」


 輝く鎖に巻きつかれた途端、ケンの体から急速に力が抜けていく。

 色褪せていく蛇腹剣。背筋が凍るほどの威圧感を発していた“這い回る蛇牙”はやがて土くれの様にボロボロと崩壊し、赤黒く醜い右腕に戻っていく。

 そして、その間にノゾムはケンの眼前へと間合いを詰めていた。


「貴様! ガハッ!」


 ノゾムの拳がケンの腹に深々と突き刺さる。

 本来なら蚊に刺された程度でしかないはずの人間の拳打の前に、圧倒的な魔獣の力を手に入れたはずの存在が体を折った。

 くの字に曲がり、顎の下がったケンの頬に返しのフックが突き刺さる。

 引っこ抜かれたようにケンの首が横に振れた。ノゾムは拳を振り抜いたまま体を一回転。さらに勢いをつけた回し蹴りがケンの首を襲う。


「ブガァ!」


 ケンの首が再びねじれる。ノゾムの勢いは止まらない。足を振り抜き、さらに回転を加えたノゾムの肘がたたらを踏むケンの脇腹に深々と突き刺さった。


「ゲガアア!」


 衝撃がケンの内臓を再び蹂躙し、ケンはえずきながら顔を強張らせる。


「はあああああ!」


 ノゾムは止まらない。

 肘打ちから掌底でケンの顎をかち上げ、がら空きの胴に再び拳打を叩き込む。さらに体幹の動きと連動した蹴りを膝の側面に打ち込んで相手の体勢を崩し、まだ人の形を保っている足の甲を踏みつけ、手刀をケンの喉に打ち込む。

 間隙なくケンの急所めがけて打ちこまれ続けるノゾムの打撃。その動きに無駄は一切なく、舞うようにケンを攻め立てる。


 儀式体術“輪廻回天”


 ノゾムの体に収束し始めた魔力が渦を巻きながら彼の体に収束し、身体能力を劇的に高めていく。気をほとんど使い果たしたノゾムにはこの技しか残されていなかった。

 拳打の嵐はさらに勢いを増し、さながら嵐のごとくケンに襲い掛かる。

 一方、ケンは全身に絡みついた鎖によって満足に動けない。全身を襲う虚脱感はケンが今まで感じたことがないほど酷いものだった。

 当然ながら、そんな状態のケンがノゾムの輪廻回天を防ぎきれるはずもない。

 次々と叩き付けられるノゾムの打撃にケンの体が悲鳴を上げていく。


「調子ニ、乗ルナ……!」


 だが、ケンは諦めていなかった。

 ノゾムの体に収束する魔力から技の正体に気付くと、彼は突き出されたノゾムの拳をいとも簡単に避けきった。

 輪廻回天の欠点は型が限られるがゆえに先読みが容易であるという点である。

 ケンがお返しとばかりに左の拳をノゾムの頬に叩きこんだ。


「ぐっ!?」


 衝撃で後ずさるノゾムにケンが今度は異形と化した右腕を振るった。

 異常なほど肥大化したケンの右腕が、邪魔な羽虫を叩き潰すように振り下ろされる。

 勢いは先程と比べるべくもないほどに鈍っているが、その巨大な質量は決して無視できない。このままではノゾムはヒキガエルの様にペチャンコに潰されてしまう。


「はあ、はあ、はあ……!」


 荒い息を吐きながら朦朧とする意識の中で、ノゾムはなりふり構わず地を蹴って自分の体を前に押し出した。

 振り下ろされたケンの右腕は何とか回避できたものの、勢い余ってノゾムはケンの胸板にぶつかってしまう。

 だが今度は足の止まったノゾムの体にケンの右腕が巻き付いた。


「モウ逃ゲラレナイゾ!」


 ミシミシと音を立てながら、ケンはノゾムの体をちょうどサバ折りの様に締め付けていく。

 輪廻回天によってノゾムの体に施されていた強化魔法は急速にその効果が減じている。

 骨の軋む音と共に血が沸騰するように熱くなり、目の前が真っ赤になっていく。


「ぐ、ぐがあ……」


「潰レロ! 邪魔者!」


「っ!」


 ノゾムは足を踏ん張りながら腰に力を入れ、捻りながら全身の力を集約し、思いっ切り肩をケンの胸板に叩き付けた。


“発振”


 気に頼らない、純粋な体術による一撃。相手の内臓に衝撃を直接浸透させる技がケンの胸板に叩きつけられた。

 また輪廻回天による強化魔法の効果は残っており、まるでハンマーで叩かれたような衝撃がケンの内臓を蹂躙する。


「ギッ!? ガァ!」


 全身に走る衝撃がケンの体を彼の意思から切り離し、動きを一瞬止める。

 ノゾムは間髪入れずに残っていた魔力を全て掌に集約し、腰だめに構えた。

 そしてそのまま両の掌を突き出しながら、集約した魔力を一方向に解放する。


「ぐう!」


「ゲゥアア!」


 解放された魔力の奔流がケンの体を吹き飛ばし、肉壁に叩き付ける。同時に制御しきれなかった魔力によってノゾムの腕に裂傷が走った。

 魔力光と共に、鮮血が舞う。

ノゾムはかまわず納刀していた刀の柄を掴み、抜刀。リサを包みこんでいた黒球を一閃した。

 パシャンと弾けるような音と共に黒球が弾け、リサの身体が投げ出される。

 ノゾムは慌ててリサの身体を抱きかかえると、ノゾムの腕から延びた鎖が彼女の体に巻き付いた。まるでリサの魂を優しく包み込むように。

 ノゾムがリサの口元に手を当てると、規則的に手の平に当たる微かな息が感じられる。静かに上下する胸元は、彼女がまだ命の糸が切れていないことを示していた。


「良かった……」


 ノゾムの口から安堵の声が漏れた。だが彼が安心に浸るまもなく、引き裂くような怒号が結界内に響く。


「ァアアアア! 返セ! 僕ノリサヲ返セエエエエ!」


 腐肉を撒き散らしながら、ケンが立ち上がる。

 その時、結界全体に衝撃が走った。


「な、何だ!?」


「グウウ!?」


 突然暴れ始めた地面に立っていられず、ノゾムもケンも思わず膝をつく。

 周囲を走る振動は既に崩壊しかけていた結界内を蹂躙していく。

 肉壁に取り込まれた無数の獣たちの口から絞り出される叫び声。不協和音のように耳を引き裂く悲鳴と共に肉壁に罅が入り、光が薄暗い結界内を照らし出す。

 ノゾムは何も考えずにリサを抱きかかえ、地面を蹴った。目指す場所は罅から覗く光の向こう側。


「待テエエエエ! リサヲ、彼女ヲ連レテ行くなあアア!」


 後ろから聞こえるケンの怒号が聞こえる。いや、それは怒号と言うより懇願に近かったかもしれない。

 やり方を間違えたとはいえ、ケンがリサを一途に思っていたことは間違いない。

 それでもノゾムは足を止めなかった。

 ケンの怒号が聞こえながらも、彼は差し込む光の先へと一心不乱に駆ける。

 そしてノゾムが光の向こう側へと身を投げ出した瞬間、目の前の景色は一転した。

 突き抜ける感覚とともに、ノゾムの頬を風がなでる。

 闇夜に輝く星々の光に照らされた街並み。そしてノゾムを呼んでいた仲間達が驚きと安堵を浮かべていた。


「はあ、はあ、はあ……」


 荒々しい吐息が口から絶え間なく溢れ、心臓は相変わらず破裂しそうなほど鼓動を繰り返している。

 ノゾムは腕に抱えたリサに視線を落とした。

 ぐったりとしたまま意識が戻らないリサ。顔は血の気を失い、体は氷のように冷え切っている。


「り、さ……」


 ノゾムの口から漏れ出した自分の名前に反応したのか、リサの目がわずかに開く。続いてリサの口元がかすかに動いた。

 一体彼女は何を言っているのだろうか。全身を襲う疲労感と激痛で白濁した思考の中、ノゾムは腕に抱くリサの口元に顔を寄せる。

 その時、ダラリと力なく垂れ下がっていたリサの手が、ノゾムの服の裾をギュッと握りしめた。

 

「ごめん、なさい。ノゾム、ごめんなさい……」


「リサ……」


 衰弱している人間とは思えない程の力でノゾムの腕が引っ張られる。

 リサの目は焦点が定まっていない。どこかうつろな口調でノゾムへの謝罪を繰り返している

 やがてノゾムの服をつかんでいた手から力が抜け、プツンと糸が切れた人形のようにリサの体は力を失った。


「ノゾム!」


「無事だったかこの野郎!」


「やれやれ、突然パスが切れたから心配したで」


 次々と仲間たちがノゾムの元へと駆け寄ってくる。

 だがノゾムは黙り込んだまま自分の服の裾に目を落とすと、ゆっくり地面にリサの体を横たえ、自分の上着をかける。

 リサが握っていた服の裾。そこには深い皺がハッキリと刻まれていた。

 意識を失ったリサを見つめるノゾムを、アイリスディーナ達はただ黙って見守っていた。

 その背中は決して喜びに溢れてはいない。だが悲しさや虚しさだけでもない。

ただ胸を突き上げるような“感情”を覚えずにはいられない。そんな背中だった。

 

「ノゾム……」


「ノゾム君……」


「ノゾムさん……」


 彼女達の口から自然と出てくる彼の名前。だが彼が彼女たちの呼びかけにこたえる前に、引き裂くような悲鳴が隔離結界内に響き渡った


「アアアアアアアアア!」


「ちぃ! アビスグリーフの奴か!」


 空気が割れたような破砕音とともに、ズタズタに引き裂かれていた捕食結界が完全に消滅。異形と化したケンが姿を現す。

 リサを失い、宿主であるケンが不安定になったせいだろうか。異形化したケンの体にはあちこちに傷が走り、右腕はまるで乾いた泥のように皮膚がボロボロと剥がれ落ちている。

 そのあまりに現実離れした姿形に、アイリスディーナ達は目を見開いた。


「リサ、リサ、リサ……」


 壊れた人形のようにリサの名前を繰り返し呟きながら、ケンはリサを探し続ける。

 やがてノゾムの傍で横たわる彼女の姿を確かめると、覚束ない足取りでリサの方へと歩き始めた。


「本当にしぶとい奴やな」


「だが、あの様子では長くはあるまい。すぐに終わらせるぞ」


「ああ、いい加減に終わらせ……ノゾム?」


 得物を構えて前へ出ようとするジハードと仲間達だが、彼らを遮るようにノゾムが足を踏み出した。


「アンリ先生、リサを頼みます……」


「ノゾム君……」


 ノゾムはゆっくりと足を進めながら、自分の体に巻き浮いた不可視の鎖を握りしめる。


「リサ、リサ……」


“ギギギ! ギャガウウ!”


 すでにノゾムの姿すら映っていないのか、ケンはただ只管に想い人を求め続けている。

 だがそんな彼のも意思とは違い、異形化した右腕はまるで恐慌を起こしたようだった。


“ニゲロ、ニゲロ、ニゲロ!”


 不規則に揺れる紅の瞳。その眼がノゾムとジハード、そして後ろに控える仲間達へと向けられる。その瞳の奥に映る感情は純粋な恐怖だった。

 すでに勝敗は決しているようなものだ。宿主の安定に欠かせない要であるリサを奪還され、こちらにはまだ無傷の仲間達が大勢残っている。

 それをアビスグリーフも分かっているのだろう。何とかこの場から逃れようと必死になって宿主に撤退を呼び掛けている。

 だがケンはアビスグリーフの言うことを聞く様子はなかった。

 左腕で右腕に開いた紅眼を鷲掴みにし、腕を引きずるように歩を進めていく。

 

「ケン……」


 それほどまでにリサを求めるケンの姿に、もうノゾムにかける言葉は見つからなかった。

 ただ終わらせよう。その意思を胸に、自らを縛る鎖を引き千切る。


「ぐう……!」


“ガアアアアアア!!”


 解放されたティアマットの力が荒れ狂い、巨龍の憎悪がノゾムの精神を押し潰そうとする。巨大な力がノゾムの体に収まりきらずに無作為に四方八方へと放出され、まるで竜巻のように渦を巻いていた。


“ギギッ!?”


 アビスグリーフの紅眼が見開かれる。叩きつけられる桁違いの力を前にし、根源的な恐怖がさらに助長されていた。


「な、なんですか……。これは……」


「っ…………!?」


 一方、突然放出されたノゾムの力を前にしてインダは茫然と立ちすくむ。ジハードもまた一瞬驚きの表情を浮かべるが、すぐに我を取り戻し、厳しい表情で事の成行きを見守っていた。

 叩き付けられる気の奔流を前にして、地面に横たわるリサのみを見つめていたケンの瞳が、ようやくノゾムの姿をとらえた。顔が徐々に強張り、瞳に明確な意思が戻り始める。

 恐慌を起こしているアビスグリーフは一心不乱にこの場から逃げ伸びようとのた打ち回っているが、ケンは右腕からの警告を一切無視し、ノゾムへの戦意を高ぶらせ続けていた。

 信じられないほど膨大な気を振りまくノゾムと、その右腕に異形を宿したケン。二人が一歩足を進めるたびに、張りつめそうな緊張感がその度合いを増していく。


“ニゲロ、ハヤクニゲロ! コノママデハ死ヌ! 死ンデシマウ!”


「邪魔、するな……!」


“ギ、ギグガ……!”


 耳元でがなりたてるアビスグリーフに眉をひそめたケンが一括すると、震えるよう声と共に暴れていた右腕がおとなしくなった。

 無理矢理アビスグリーフを抑え込んだケンは具合を確かめるように右腕を一振りすると、ヒュンと空気を裂く音が響く。


「いくぞ……」


 初めに動いたのはケンだった。

 弾けるような炸裂音が木霊する。怪物と化した故の身体能力。それに魔法による身体強化を併せ、猛烈な速度でノゾムに襲いかかる。

 異形化した右腕に魔力を充填して硬質化。魔法剣の要領で強化し、そのままノゾムの体を断ち切る勢いで振り下ろす。

 砕けた床石のかけらを舞い散らせながら突進してくるケンに対し、ノゾムは真正面から相対した。

 鞘に納めた刀を掲げ、同時に極大にまで膨れ上がった気を叩きこむ。次の瞬間、ケンの魔法剣とノゾムの鞘が激突した。

 はじけ飛んだ空気が衝撃を全方位にぶちまけ、辺りを蹂躙する。

 叩きつけられた風にアイリスディーナ達は思わず顔を伏せるが、向かい合う双方はがっちりと組み合ったまま鍔迫り合っていた。


「ぐうううう!」


「っううう!」


 互いに歯を食いしばり、2人はあらん限りの力を振り絞る。だがどちらが優勢であるかは、目の前の状況が雄弁に物語っていた。

 ノゾムの足はしっかりと地面を踏み締め、その場から一歩も後ろに下がっていない。

一方、突進の勢いすら上乗せしたケンの一撃はノゾムに完全に押し止められていた。

 ケンが残っていた魔力をすべて絞り出し、ノゾムを押し切ろうと体にブーストをかける。だが、それでもノゾムを押し切ることができない。

 

「く、くそおおお! がはっ!ごほっ!」


 ケンが悔恨の声を漏らす。だが無理な魔法の使用がケンの体自身に牙を向いた。

 無理な強化魔法の反動が痛めていたケンの内臓に襲い掛かり、ノゾムの腕にかかっていた圧力が一瞬緩む。


「っ! はああ!」


 次の瞬間、ノゾムは裂帛の気合とともにケンの魔法剣をはじき返した。

 両者の間にわずかに生まれる空白。押し返されて目を見開くケンと、鞘に納めた刀の柄を引っ掴むノゾム。

 ノゾムの体から5色に染まった光が溢れ出す。

 あまりに異質な力の現出。周囲の大気だけでなく、辺りを覆っていたゾンネの結界すらギシギシと悲鳴を上げていた。

 放出された5色の光は一斉にノゾムの刀になだれ込み、鮮烈な光を輝かせる。

 過去を終わらせようとするノゾムと続けようとするケン。2人の視線が交差する。

 鮮やかな閃光に照らされる中、ノゾムは一気に刀を抜き放った。


 幻無-閃-


 放たれた秘奥は5色の光を巻き込みながら、ケンの右腕を一閃。その存在を文字通り跡形なく消し去った。


「あっ……」


 光の残滓が舞う中、ケンが呆けた様な声を上げる。

 ノゾムの一撃はケンの腕だけでなく、ゾンネが張った隔離結界すらも斬り飛ばしてしまっていた。

 訪れる静寂の中、ケンは呆然と消滅した己の右腕を眺める。そこにはあれだけ欲した力は欠片も残されていなかった。

 ケンの全身から力が抜け落ちていく。まるで冷たい氷の上にいるような感覚と喪失感が彼の体に襲いかかっていた。


「リサ……」


 遠くなっていく意識。かすれていく視界の中で、ケンは想い人に手を伸ばす。

だがその手は彼女に触れることはなく、やがて力を失ってパタリと地面に落ちる。


「ノゾム……」


「ノゾム君……」


 抜き身の刀を手にしたまま佇むノゾムの背中にアイリスディーナとシーナが声をかける。放出されていたティアマットの力はいつの間にか治まり、辺りには再び夜の静寂が戻っていた。

 だがノゾムは刀を鞘に納めることもせずに、じっと倒れ伏したケンを眺めている。

 ノゾムの胸に去来する想い。ただ色の見えない、重く、激しい感情の奔流。

 互いに同じ思いを抱いていた相手。いつの間にか道を違えたとはいえ、その思いは一括りにできるものではなかった。

 ただ胸の痛みを押し殺しながらノゾムは胸に手を当て、ケンを悼むように目を閉じる。

 その様子をアイリスディーナ達は黙って見守っていた。

 その時、張りつめていたノゾムの精神が切れたのか、彼の体がぐらりと傾いた。

 慌てて仲間達が彼の元に駆け寄り、その体を支える。その眼元から、スッと一筋の涙が流れていた。


一応、第6章の終幕です。後は後日談ですね。

この事件の一応の顛末を書いて、第6章を終りとします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] すばらしいバトルでした。88888どこかでティアマットの能力のみを開放することになると想いましたがここで開放するとは。なんども申し訳ないのですが、非常に面白いです。
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