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第6章第28節

あけましておめでとうございます。

2014年初投稿です。

 飄々とした笑みを浮かべたままノゾム達の前に立つゾンネの姿に、言いしれぬ沈黙が辺りに満ちていく。

 老人の背後ではドーム上の繭を形成したアビスグリーフがいる。しかしゾンネはあまり気にする様子もなく、軽い足取りでノゾムに近づいてきた。


「ちょっと待つんじゃ小僧。いたずらにあの結界に飛び込むのは危険じゃ」


「な、何で爺さんがここに……? それに結界って……」


「まあ、色々あるんじゃよ。おお、お嬢さん方も一緒か! うむ! 怪我は無いようで何よりじゃ」


 嬉しそうにウンウンと頷くゾンネに、ノゾムは焦燥感が増してくるのを感じた。

 何が起こっているのか分からないが、今リサが危険な状態であることは容易に想像が付いたからだ。

 今はこんな事をしている状況ではない。ノゾムはキッ! 正気を放つ繭を睨み付けると、大股でゾンネの脇を抜けて行こうとする。


「爺さんナンパなら他の場所でしていてくれ! こっちは今忙しいんだ!」 


「じゃから落ち付けと言うんじゃ。下手に飛び込んでも簡単には解決せん」


 だがゾンネはスッとノゾムの進路に割り込み、目の前に立ち塞がった。その目には深い理性が見て取れる。


「安心せい。少なくともあの紅髪のお嬢さんが今すぐ食われて死ぬと言うことはないじゃろう。今のところあの獣には、あのお嬢さんが必要じゃからな」


 今まで見たこともない理性的なゾンネの言葉と視線は、熱くなりかけていたノゾムの頭に冷ややかに染みこんできた。

 胸の奥から湧き上がる動揺を顔に浮かべながらも、ノゾムはゾンネに問いかける。


「……どういう事だ?」


 確かに、ノゾムは現状について情報が不足していることは感じていた。

 ケンの身に何が起こったのか。リサは今どうなってしまっているのか。

 ただ分かるのは、あの黒い魔獣がこの件に深く関わっていると言うこと。そして、目の前の老人が何らかの情報を握っており、確固とした目的を持ってこの場に来たと言うことだ。

 焦りの色を浮かべていたノゾムの目に理性の光が戻ってくる。そんなノゾムの様子に満足したのか、ゾンネは一度深く頷くとゆっくりと口を開いた。


「あの獣が寄生した男、お主の幼馴染みで、あの紅髪のお嬢さんに惚れていたんじゃろう? 親友であったお主を裏切るくらいに……」


 ゾンネの質問にノゾムは頷く。

 何故老人がノゾムの個人的交友関係を知っていたのかは疑問だが、今は話を全て聞こうとノゾムはゾンネの話に耳を傾け続ける。


「あの魔獣は小僧も知るとおり、桁外れのポテンシャルを持った存在なのじゃ。宿主の体を根本から作り変えてしまうほどにな」


“宿主の体を根本的に作り変える”


 その言葉にノゾムは思い当たる節があった。それはノゾムがシーナ達と森でアビスグリーフに遭遇した時の事だ。

 当時、アビスグリーフは四足の獣のような形態をしており、その尾はまるでギロチンの刃のように鋭利なものになっていた。

 そしてノゾム達の攻勢に追い詰められたアビスグリーフは、首全体を一つの巨大な口へと変貌させ、さらに大剣のような尾を2本に増やすという事をやってのけている。そんな急激な変容を見せる魔獣は聞いたことがない。

 さらに先程のケンの体。ノゾムの幻無によって両断された際に彼の体から出てきた泥のような液体は明らかに人間の体液ではなかった。


「その反面、奴自身は非常に不安定で、自らが存在するために核となる生物が必要じゃ」


 ノゾムの思考を余所に、ゾンネは言葉を続けている。


「その生物ってのは、どんな生き物でも良いのか? 例えばノミとかダニとか……」


「いや、あまり小さい生物だと体を安定させる前に崩壊してしまう。他にも色々と相性という物があるからの。不適合の肉体に寄生してしまった場合、その生存時間は著しく減少する」


 そう言いながら、ゾンネはジハードによって地面に穿たれた破壊痕に目を向けた。いや、老人が見ていたのはそこで亡くなったジビンの遺体だろう。

 粉砕された彼の体はもう原形をとどめていないが、その亡骸を見た時、ゾンネは悼ましそうに目を細めていた。


「……また、あの魔獣は最終的に宿主の魂を汚染し、支配して意のままに操るが、その際に宿主の心の隙を狡猾に突いてくる。核となった宿主が欲してやまない存在をチラつかせるのだ。宿主に自らの支配を受け入れさせ、より強力に、より支配しやすくするために……」


 その宿主が欲してやまない存在。その言葉を聞いた瞬間、ノゾムの背筋に雷が落ちたような衝撃が走った。

 ノゾムの脳裏に初恋の少女の姿が思い浮かぶ。

 アビスグリーフの宿主となってしまったケン。彼が求めて止まない人など、一人しか思い付かない。


「まさか……」


「そうじゃ。核となった男が欲した女性。彼女を取り込ませることで、あの魔獣はより強力な存在となって生まれ変わろうとしているのじゃ。宿主が偏狂的な執着を見せていた少女。あの魔獣がイの一番に取り込もうとしたのも納得出来る話じゃ」


 肩をすくめながら、ゾンネは正気を漂わせるドームに振り返る。

 ケンを核とし、リサを取り込み、文字通りサナギとなったアビスグリーフが孵化するための繭がそこにはあった。


「あの光の繭は取り込んだ存在を魂のレベルで融合させるための“捕食結界”じゃ。下手に飛び込めば骨はおろか魂まで食い尽くされ、あの魔獣の糧とされてしまう」


「じゃあ、結界を破壊すれば……」


「確かに魔獣は倒せるかもしれん。しかし、既にあの魔獣は紅髪の少女の魂を取り込み始めているはずじゃ。迂闊に破壊すれば、あのお嬢さんの魂すら粉砕してしまうかもしれんぞ?」


「そんな……」


 このままこの結界を放置するればリサの死は確実。しかし迂闊に破壊すら出来ない。絶望的な状況にノゾムがかれたような声を漏らす。

 アイリスディーナ達も皆一様に唇を噛みしめていた。

 そんな中、後ろで話を聞いていたインダが疑惑の声を漏らしていた。


「ご老人、貴方一体……」


「ワシ? 見ての通り、さすらいのヒーローじゃよ!」


「私としても気になる。ここに来るまで全く気配すら感じさせなかった手腕。貴方、一体何者だ? 少なくとも、この学園の関係者で、貴方ほどの手練が私の耳に入らないはずはない」


 インダの言葉を引き継ぐように、ジハードが一歩前へと出る。その眼には明らかな猜疑の色が見て取れた。


「おまけに、アビスグリーフに関してはそんな話は聞いたことはない。だが、この状況は少なくとも、その話を否定するものはない」


 アビスグリーフに関してはその目撃例の少なさから、ほとんと詳細が判明していない。魔獣たちに侵攻された土地の奪還も目途が立っていないのだ。

 だが、目の前の老人は明らかに確信を持ってアビスグリーフの情報を話している。


「我々が知り得なかった情報。この大陸で最先端の技術を持つここでも、未だアビスグリーフに関しては不明な点が多すぎる。それを知っている貴方が何者なのか。気にするなという方が無理な話だ」


 ジハードがゾンネの前へと足を踏み出す。

 互いに視線を外さぬまま佇む両者に、その場にいた者達は息を飲んで見守っていた。


「ワシを疑っておるようじゃの」


「少なくとも、貴方に対する疑念を払拭する要素はない。出来うるなら、全ての情報を開示して貰いたいところだ。だが、おそらく貴方はリサ・ハウンズとケン・ノーティスを助ける方法を知っているのではないか?」


 ジハードの突然の言葉にノゾムは目を見開き、ゾンネはヒュ~と小さく口笛を吹いた。


「何故そう思うんじゃ?」


「貴方は先程こう言ったな“迂闊に入るな”と。なら、何らかの手段を講じればあの結界に入ることは可能なのではないか?」


「ただの予想じゃろう?」


「だが、まんざら嘘でもないのだろう?」


 ジハードの目が細まり、全身から噴き出る威圧感がただ一人の老人を包み込む。

 一方、常人なら腰を抜かしそうな眼力で睨みつけられても、ゾンネはどこ吹く風という感じで飄々としている。


「……協力できないなら仕方がない。我々の全力でもってあの結界を破壊する」


「なっ!?」


 黙したまま向かい合っていた二人だが、唐突に宣言したジハードの言葉に、ノゾム達は一様に驚きの声を上げた。

 だが、彼らも理解している。この結界を破壊せずにアビスグリーフが復活したとしたら、この街にも多大な被害が発生することは容易に想像がつく。

 相手は正体不明の化け物。その能力は侮れず、生命力、戦闘能力もケタ違い。

 例え被害なく魔獣を倒せたとしても、この状況でなぜ復活前に手を打たなかったのかという非難が出ることは間違いない。


「あの魔獣は10年前にも目撃され、あの大侵攻と関わりがあると考えられている魔獣です。非情なようですが、そんな危険極まりない存在をこんな街中で解き放つわけにはいきません……」


 インダもジハードの言葉に頷くものの、2人とも苦虫を噛み潰した様に奥歯を噛みしめていた。彼女としても今回の件では忸怩たる思いがあるのだろう。

 

「私達とて彼らをこのまま死なせたいと思っている訳ではない。言い訳にしかならないが、彼らがこうなってしまったことの原因には我々教師側にも責任がある……。だからこそ、協力して欲しいのだ」


 ジハードが強い口調でゾンネに協力を要請する。低い、抑揚の少ない言葉だったが、それは懇願に近かったかもしれない。事実、彼としては必要なら土下座すら辞さない覚悟だった。

 一組織の長が頭を下げる。その意味は非常に大きなものだ。

 権力という禁断の果実に取りつかれた亡者が跳梁跋扈する世界。そこで弱みを見せるということは、ともすればそれは大きな隙となり、大きな代償を払うことになるかもしれない

 逆にいえば、それだけ彼はこの街と生徒たちを愛しているともいえる。たとえ直接はっきりと言葉にはしなかったとしても。


「う~ん。核にされた人間に関しては明確に助ける手段があるか分からぬ。あの憲兵の青年も完全に支配されていた以上、助ける事は不可能じゃったろうな……」


 今一度ジビンの遺体を一瞥したゾンネは申し訳なさそうに目を細める。

 しかし直ぐにジハードと向き合うと、一度大きく息を吐いて口を開いた。


「じゃが、ワシにもワシの理由があっての。全てを話すわけにはいかんのじゃよ」


 ゾンネは申し訳なさそうな顔を浮かべつつも、すべての情報を開示することを拒否した。

 ジハードもそのことは分かっていたのか、特に驚くそぶりもせずに頷いている。しかし、その眼にはある種の決意が見て取れた。


「で、あるだろうな……」


 ジハードが携えた巨剣の柄をギシリと握りしめる。

 すなわち“どんな手段を講じても情報を聞かせてもらう”という意思表示。

 自分が愛するするこの街と生徒たちを守るために、力の行使もいとわない強烈な決意の表れだった。

 そんなジハードの決意をくみ取ったのか、周りを囲んでいた憲兵たちも一様に戦意を高めていく。

 そんな周りの反応を見ていたゾンネは、仕方ないというように大きく息を吐いた。


「やっぱり、こうするしかないかのう……」


 周りに聞こえないほど小さな声で呟いたゾンネは右手に持った杖を高々と掲げると、そのまま軽く地面をコツンと叩いた。

 次の瞬間、図書館前の地面全体に複雑極まりない魔法陣が展開される。


「なっ!?」


 円を基調とした陣が迷路の様に絡みつく、曼荼羅のような術式。

 ノゾムはおろか、ジハードやインダですら見たことのない魔法陣が力強く輝くと、その場にいたすべての憲兵達、そして彼らに保護されていたランサがまるで糸の切れた人形のように倒れ伏した。


「今のって……」


 驚きのあまり、絶句するノゾム達。一瞬死んだのかと思ったノゾム達だが、よく見ると倒れた憲兵たちの胸は規則正しく上下している。どうやら呼吸はしっかりしているようだ。

 だが同時に、一秒とかからず憲兵たちを無力化したゾンネの力量に背筋が凍る思いだった。

 少なくとも魔法を発動するには術式の構築、魔力の充填、発動等の数な過程を踏む必要がある。

 アイリスディーナのような即時展開等のアビリティの補助を受けたのかとも考えたが、それにしても規模が違いすぎる。これだけ大規模な魔法を一瞬で展開できる手段など想像もつかない。

 だがノゾム達が驚きの表情で固まっているのを尻目に、なぜかゾンネも目を見開いて口をあんぐりと明けていた。

 ゾンネの目の先にいたのは先程間違いなく眠らせるはずだったジハードとインダが、歯を食いしばりながらも立ち上がろうとする姿だった。


「く、くおお……」


「うう、っ……」


 唇を噛み切りながらも必死に上体を起こし、自らの足で立ち上がるジハード。インダは立つことこそ出来ていないが、魔力を通した自らの爪を手の甲に刺して、必死にゾンネの術に耐えている。


「う~ん。やっぱりお主達は他の憲兵達とは違うようじゃのう。あまり強力にすると死ぬまで起きんかもしれんからある程度抑えたのじゃが、それでも自力で抗うとはのう……」


「ハア、ハア、貴方は一体……」


「別にお主達に敵対する者ではないわい。まあ、この街に用があるのは確かじゃが……」


“というか、あの小僧にじゃがな……”


 周りに声が漏れないように口の中で呟きながら、ゾンネがチラリと視線をノゾムに向ける。今までのヘラヘラした脳天気なゾンネとは違う真剣な眼差しに、ノゾムは胸を捕まれたような感覚だった。

 だがそう感じたのも束の間。次の瞬間、ノゾムは突然心臓を突き上げるような衝動に駆られた。


“き、貴様、貴様は……!!”


 脳裏に響くティアマットの声。それはどこかありえないものを見たような、驚愕の音色を感じさせた。

 次の瞬間、今まで感じた事もない強烈な頭痛がノゾムを襲う。


「な、何だ……ぐがああ!」


「ノゾム!?」


「ノゾムさん、い、一体どうしたんですか!?」


 アイリスディーナ達が突然苦しみだしたノゾムに目を見開き、慌てた様子で駆け寄る。

 だがノゾムには彼女達の必死の叫びに答えている余裕がなかった。

 まるで焼けた火箸で脳髄を掻き回されるような感覚。あまりの激痛にノゾムは思わず膝をついた。


「ぐううっ、あああああ!」


“ッガアア! キサマハアアアアアア!!”


 ケンと戦っていた時とは比較にならないほどの頭痛。いや、今までで最も酷い激痛がノゾムの頭をグチャグチャに掻き回していく。


「こ、こいつ! いい加減に大人しく……ぐうっ!」


 きつく目を閉じて痛みに耐えようとするノゾムだが、今までにないほどの強烈な頭痛に、歯をくいしばって耐えるしかできなかった。

 真っ白になっていく視界と、まるで噴火した火山のように沸き立つ憎悪。

 それがティアマットの憎しみだと分かりながらも、ノゾムは必死に自我が飲み込まれないように歯を食いしばる。


“ダセ! ココカラダセーーーー!!”


 ノゾムの魂の中で暴れ狂う巨龍。

 湧き立つ憎悪はノゾムの胸の奥にある負の心、すなわち、いままでの理不尽さとケン達に対する鬱憤に火をつけ、彼の魂を憎悪で塗りつぶそうとしてくるのだ。


「うるさい……! 大人しくしろ……!」


 自分自身に言い聞かせるように小さくつぶやきながら目の前が真っ赤に染まりそうなほどの怒りに抑え込み続けていると、突然澄んだ水音がノゾムの耳に響く。

 それは夢の中で何度も聞いてきた音だった。

 リィン……と鈴が鳴るような音とともに、湧き立つような憎悪がまるで潮が引くように静まっていく。


“グウ! ガアアアアァァ……!” 


 やがて完全にティアマットの声が聞こえなくなると、ノゾムは荒い息を吐きながら地面に手をついた。


「はあ、はあ、はあ……」


「少々驚いたわ。まさか自力で奴の衝動を抑え込むとはのう……」


 ゾンネはここまで開くのかと思えるほど目を見開いている。

 だがゾンネの言動には、明らかにノゾムの秘密について知っていることが暗示されていた。


「はあ、はあ。爺さん、アンタどこまで……」


 この老人はどこまで知っているのだろうか。ノゾムは目の前の老人に言い知れぬほどの驚愕と不気味さを覚えていた。

 それはアイリスディーナ達とて同じこと。ノゾムの秘密を知らないジハードは怪訝な顔をしていたが、明らかにティアマットをほのめかす言葉にアイリスディーナ達は言葉を失っている。

 一方ゾンネは得意げにノゾム達を一瞥すると驚愕の表情で固まっているノゾム達を尻目に言葉を続けていく。

 だがその言葉もまたノゾム達を絶句させるものだった。


「さて、話を続けるぞい。核となってしまった奴はどうか分らんが、取り込まれた御嬢さんに関してはまだ間に合う。方法はいたって簡単じゃ。結界を破壊できない以上、あの結界に飛び込んで直接彼女を救出するしかない」


「なっ!?」


「おいおい爺さん! さっき結界に飛び込んだら魂まで食われるとか言っていなかったか!?」


「それの何処が作戦なんですか~! 無茶苦茶ですよ~!」


 ゾンネの提案を聞いたアイリスディーナ達が皆一様に声を上げる。

 はっきり言って先程自らが言い放った言葉を否定するような内容だった。そもそも下手に突っ込んだら命がないと言ったのは目の前の老人なのだ。

 皆が声を上げる中、ゾンネは落ち着くようにと宥める。


「確かに無茶苦茶じゃがの。正直これ以外に方法が見当たらんのよ。結界内はもはや現実とは完全に異なる空間となっており、入り込んだ魂は強制的にアビスグリーフと魂を接続され、その怨念と憤怒を浴びることになる。この場で一番実力があるのはそこの隊長さんなんじゃろうが、彼でも難しいかもしれん」


 ジハードですら難しいという話に、声をあげていた者たちすべてが押し黙ってしまう。

 ジハード・ラウンデルは間違いなくこの学園でも最強の存在だ。

 恵まれた体躯と、群を抜いた技量。そして度重なる死線を潜り抜けた経験から裏打ちされる判断力。何よりも、その成熟した高潔な精神は、学園はおろか、この数奇な街の支柱の一つと言っていい。

 そんな雲の上といえる実力者ですら、危険極まりないとされるアビスグリーフの捕食結界にアイリスディーナを始めとした仲間たちは奥歯を噛みしめる思いだった。

 だが同時に、なぜ危険だと分かりつつ、ノゾムに捕食結界に入ることを提案するのだろうか?

 ジハードやインダもその理由が気になるのか、目を細めてゾンネの次の言葉を待っている。


「じゃが、小僧、お主なら話は別じゃ。その理由は、何となく分かっているかもしれんが……」


 ノゾムはなぜ自分が選ばれているのか疑問に思ったが、先程のティアマットの事をほのめかす言葉にその言葉の真意が分かったような気がした。

 確かにあの巨龍の力はけた違いだ。おまけのその力の本質は、この世界そのものを支えている精霊の力。完全に制御することができれば、取り込まれかけているリサを救うことができるかもしれない。

 ただ、ノゾム自身その力をまともに制御できたことは一度もないのだが……。


「いやいや違うぞ小僧。“奴”ではなく“お主”でなくてはならん。この状況であの捕食結界に取り込まれた彼女を助けることができるのは、恐らくお主だけじゃ」


 だがノゾムの頭に浮かんだ考えを、ゾンネは一刀両断に切り捨てた。ノゾムに対して“リサを助けられるのはティアマットの力ではなく、お前だけだ”と明言したのだ。


「それは、どういう……」


「多分じゃが、お主は秘めた力を持っておる。“奴”ではなく“お主自身の力”じゃ。それがどんな力なのか、詳細はワシにもわからん。お主自身も分らぬようじゃからの……」


 その言葉にノゾムは心臓を鷲掴みにされたように気分だった。

“奴”と、そしてゾンネが言う“ノゾム自身の力”。

 その言葉の裏に隠された真意はともかく、ここ最近のノゾムの精神世界で起こっていた出来事にノゾム自身も思い当たる節があった。

 圧倒的な力でノゾムを屈服させようとしたティアマット。

 かの巨龍は常に必死に抵抗していたノゾムをまるで邪魔な羽虫のごとく踏みつぶし続けた。普通なら一度殺された時点でノゾム・バウンティスという存在はこの世から消えているはずだ。

 しかし、ノゾムは未だに死ぬことなく、此処にこうしている。それこそが何か理由があるのではないだろうか?


「今だから正直に話すが、以前お主がそこの黒髪の君と一緒にいた時、占いとかこつけてお主の体を調べたんじゃ」


「なんだって!?」


 いきなりの宣言にノゾムは度肝を抜かれる。

 そういえばアイリスディーナとフェオの3人でエルドル達を助け、依頼をこなした後に、リサとの関係について助言してやると言われて目の前の老人の水晶に触れた際、手に妙な痺れが走った。

 あの時何らかの魔法を発動していたのだとしたら……。

 次々とゾンネの口から語られる内容に、ノゾムは眩暈を感じた。


「じゃが、お主の力の詳細は分からんかった。じゃが、その力は徐々に目覚めつつある。もしくはすでに目覚めていて、そのことにようやく気付き始めたのかもしれんがな。お主にも思い当たる節はあるんじゃないかの?」


「…………」


 ゾンネはノゾムの心の内を探るように、ノゾムをまっすぐ覗き込む。ノゾムは押し黙るしかなかったが、その沈黙がすべてを物語っていた。

 しばしの間静寂が流れるが、その沈黙を破って口を開いたのはインダだった。


「ですが、いきなり不確定の力に賭けるのは不安要素が大きすぎます。詳細が分からないのに……」


「そうじゃの。じゃからあと一つ、結界に突入する際に小僧とパスを繋いでおく。そうする事で結界の内部や小僧の状況を知ることができるし、何らかの術的なサポートもできるかもしれん。幸いエルフのお嬢さんが小僧とパスを繋いでおるから、その辺はばっちりできると思うぞい?」


「ちょっ! 何で知っているの!?」


 突然ノゾム本人に秘密で繋いでいた契約を暴露され、シーナが慌てふためく。


「ん? パスが繋いであるって……」


「気にしないで! 何でもない、何でもないわよ!」


「え?」


「…………」


 ノゾムが首を傾げながらシーナに契約について尋ねようとするが、シーナは無理矢理話を断ち切った。

 何やら不穏な空気を察したアイリスディーナが押し黙ったまま目を細めている。


「そういえば、黒髪のお嬢さんも小僧とパスを繋いだことがあるんじゃないかの? 何となくそんな名残を感じ取れるんじゃが……」


「貴方はどこまで……いえ、確かにその方がいいかもしれませんね」


 すべてを見抜いているのではとも思えるゾンネの言葉。次々と見抜かれていく秘密にもういい加減思考がマヒしたのか、アイリスディーナもどこか上の空な返事を返す。

 もっとも、パスを繋ぐことに同意した際、タカのように鋭い視線がシーナに突き刺さっていたが……。


「う、うう……」


「え、ええっと……」


 気まずそうに俯くシーナと、なんて声を掛けたらいいか分からずうろたえるノゾム。

 あの時、森で結んだ簡易契約。それを彼女はずっと消さなかった。

 なぜ、どうして。そういえば、以前ティアマットの声に苦しんでいた時、彼女の声が聞こえたような気が……。

 契約という言葉を肯定する出来事が、ノゾムの脳裏に蘇っていく。シーナはノゾムの顔を見ようとせずに、下を向いたままだ。

 だがその姿に拒絶といった負の感情は感じられない。どちらかというと、羞恥や照れといったものであるように感じられた。

 一方、ゾンネとアイリスディーナ達はいつの間にかジハードとインダ相手に会話を再開していた。

 垂れた前髪から覗くシーナの頬が何となく紅くなっているような気がしつつも、ノゾムは後ろ髪が引かれる思いで話し合いへと意識を戻す。


「で、どうじゃ? やってみる価値はあると思うんじゃがの?」


「確かに、可能性がないわけではない。単独で突入するのではなく、契約魔法のパスを使ってサポートができるというメリットは大きい……」


 ゾンネの提案にジハードの頭脳は素早く何通りもの推論を導き出し、検証を繰り返している。

 一番単純なのはゾンネの忠告を無視してアビスグリーフの繭を破壊する方法。

 手段としてはこれが最も被害が少なく、かつ一番確実な方法だろう。2人の生徒の命と引き換えに街の安全が約束される。

 正直ジハードは初め、街の守護者としてはこの選択しかあり得ないと考えていた。

 相手は全く生態が判明していない正体不明の魔獣。おまけにとびきり危険な存在であり、もしも繁殖してしまった際の被害など想像できなかった。下手をしたら一国すら滅ぼしかねない。

 だが目の前にいるゾンネという老人の存在がそれを不可能としている。ジハードから見てもこの老人はあまりに異常だった。

 一瞬で十数人の人間を眠らせ、Sランクの人間にも膝を付かせる。しかもそれを苦もなくやってのけるのだ。

 ジハードの類いまれな才覚と経験が警鐘を鳴らし続けている。目の前の老人と決して戦うなと。今まで感じたこともない存在にジハードは息を飲んだ。

 ゾンネの目的は分からない。

 しかし、目の前の老人はノゾム・バウンティスを非常に気にしている。それはゾンネの言動から容易に想像できるし、彼自身も隠す気がないように思えた。

 だが、ある一線からは完全に線を引かれているようにも感じていた。情報を与えつつも、ゾンネははっきりと答えられないこともあると明言している。

 頭によぎる様々な疑問と答えの出ない推察。思考の迷路に嵌りそうになる自分を律するように、ジハードはこの街にいる根本的な理由に立ち戻ることにした。


「……私の使命はこの街を守ることだ」


 この街を守ること。それがジハードの任務であり、自らに課した使命。


「だが同時に、未来に続く若者たちを育み、そして彼らが巣立ちできるまで支えることでもある。一つでも多くの若者たちの命を助けられるのなら、やってみる価値はあるだろう」


 だが、その使命は未来を繋ぐ若鳥たちを育て、巣立ちの時まで守ることでもある。

 もしここで救える可能性のある生徒の命を見捨てれば、自分は私利私欲で武器を売りさばく死の商人と変わらなくなってしまう。

 ジハードはそう言い聞かせ、ゾンネの提案に乗ることを決めた。


「だが、契約を行う際は私にもパスを繋いでもらう。それが条件だ」


 とはいえ、すべてを生徒に任せきりにするわけにはいかない。そう思い、ジハードは自らも契約魔法でパスを繋ぐことを提示する。

 いざとなれば自らが捕食結界に突入し、ノゾム・バウンティスだけでも助けるつもりだった。


「……分かったわい。ついでじゃからここにいる人達全員とパスを繋ぐかの。契約魔法はエルフのお嬢さんが、その他の手伝いはワシがやるわい」


 そういいつつ、ゾンネは再び杖の先で地面をついた。

 再びノゾム達の眼前に複雑極まりない魔法陣が展開される。

 展開された魔法陣は瞬く間に図書館前の広場全体を包み込み、白く輝く光のドームを形成する。


「これで、結界の中で起きた衝撃が外に漏れることはないし、外の人間たちがここで起きる出来事に気付くこともない。あ、ついでに眠らせた憲兵達やお嬢さんも外に出しておくかの」


 それは一種の隔離結界だった。ゾンネが三度杖を振るう。

 白色の光に包まれた憲兵とランサがまるで雲のように浮かび上がり、白く光る陣の外へと運び出されていく。

 最後の一人であったバロッツァが結界の外に運び出されるのを見届けると、ゾンネは改めて口を開いた。


「もう一つ、最悪の場合も想定しておきたい。もし街に被害が広がりそうなら問答無用で結界を破壊しなければならない。その場合リサ君達はおろか、ノゾム君までも……」


 ジハードは最悪の場合、中に入った3人を全員を見捨てなければならなくなるかもしれないと、ハッキリと口にした。

 厳ついジハードの顔には苦々しさがありありと浮かんでいる。

 本来ならノゾムはジハードにとっては守らなければならない存在だ。そんな彼に重荷を背負わせ続けていることを悔いているのだろう。


「構いません。バッサリやってください」


 しかし重苦しいジハードの言葉とは裏腹に、ノゾムはあっけらかんとした返事を返してきた。そこに迷いや躊躇というものは感じられない。


「それに、脱出できずに結界を破壊されたとしても、死ぬと決定したわけではありません。だろ? 爺さん」


「まあ……確かに死ぬと決まった訳ではない。じゃが、正直影響が出ない方が考えられんぞ?」


「それでもいいさ。危険極まりない上に不確定要素に期待するっていうお粗末極まりない話だけど可能性はゼロじゃない」


 ノゾム自身は今更可能性の有無を問う気はなかった。元々彼は初めからアビスグリーフの捕食結界に飛び込む気だったのだから。


「それに、約束しているからな……」


 リサを支えると誓った約束。3人それぞれの自業自得とはいえ、泡のように溶けてしまった約束だ

 だけと、ノゾムはここでリサ達を見捨てるという選択はしなかった。

 つらくとも、笑いあえる未来。それをつかみとれる可能性が少しでもあるのなら、ノゾムは全力を尽くすつもりだった。


“たとえ別々の道を歩んでも、前を向いて歩いていきたい”


 それが今のノゾムがこの学園に残る理由なのだから。


「すまない……」


 ジハードが詫びるように呟くが、ノゾムは黙って首を振る。


「……始めましょう」


「うむ、では……」


 彼はゾンネをまっすぐに見据えながら、ハッキリとした声でゾンネを促した。

 ゾンネが地面に多重陣を展開する。波紋のように広がる陣は瞬く間にノゾム達を包み込んだ。契約魔法に使われる陣なのだろうが、相変わらず信じられない展開速度と規模である。

 シーナは目を閉じてノゾムと繋いだパスに意識を傾けている。

 蒼い魔力光が彼女を包みこみ、やがて弾ける様に四散する。散った魔力が結界内の人達へと降り注ぎ、包み込んでいく。

 まるで月の光のような、不思議と温かみを感じさせる魔力光。

 やがて舞い散っていた魔力が掻き消えていく。だが、ノゾムはまだ魔力の温かさが体を包んでいるように感じられた。

 パスはしっかりと繋がったのだろう。ノゾムはその場にいた人達との確かな繋がりを感じ取れた。

 ノゾムは未だに汚濁のような光を放つ繭へと向き直る。腰に刺した刀を握り締め、その結界の奥にいるであろう幼馴染達を見据えようとしている。


「ノゾム、気をつけて……」


 背中から声を掛けてくるアイリスディーナに無言でうなずき、ノゾムは捕食結界めがけて駈け出して行った。





というわけで、新年初投稿でした。

今回は繋ぎみたいなものですが、一応ここまで。次は捕食結界に突入です。


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― 新着の感想 ―
[良い点] おもしろい [気になる点] 展開と関係ないけどインダ先生は今までの態度ノゾムに謝れ
[良い点] 成り上がりは楽しい。 [気になる点] この先の展開がわかりやす過ぎて… あの複合魔獣が出てきて倒してまではよかったと思います。でもその後大人達は何故復活させたのか?がよくわかりませんが。…
感想一覧
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